私に病気に立ち向かえる根性はない、 負けてしまうタイプだ。 分かっていた。
毎日、夕ご飯の後片付けが済んだら 「あぁ、きょうもここまできたら大丈夫だろう。」と胸をなでおろす。 でも 昼頃から感じているこの強張りが不気味だ。。。
医師は何回か「膝だから命に別状はありません」と言った。 でも 座薬はもちろん一番強いという筋肉注射の痛み止めも効かなかった状況さえ、医師からみたら何十人もいる患者の一人にすぎない。
きょうは 退院してきてからは飲んでいない導入剤を早めに飲んで寝よう。
足が悪くなってからはいろんな事を我慢しているけれど、この秋はまた特別で身近な紅葉さえも愛でることができないでいる。
それでも狭庭の雪柳の小っちゃい葉っぱは黄色くなってるし、何処から飛んできたのかハゼの赤黄色くなった葉っぱも玄関周りに落ちていた。
東京では雪が降ったとニュースは伝えているし、主人も自分でネックウオーマーを用意していた。 私が入院したから 自分の衣服のありかを多少は知ったようだ。
それでも、医師も理学療法士も歩くことは全身運動になるから、怖がらずに出かけてくださいと言う。 そう・・・一番のネックは私の気持ち。 あのいきなりの痛みが・・・そのことが頭から離れずにいる。 でも、弟の入院してる病院に行こうと思えば歩けるようになっていないといけない。
だからというわけではないが、午後 家から一番近いコンビニまで一人で出かけてみた。 駅までは半分の距離、片道5分くらいか、スマホの歩数計には1790歩と出た。 私にはちょっとした冒険のようで何気に楽しかった。
楽観はできないけれど大丈夫かもしれない。
2016年11月15日(火) |
憂いあり されど月見の病窓や |
昨夜はスーパームーンとかで 私の住む地域では見られなかったけれど、入院中に旧暦の満月(正確には十四夜)を見た。 思い出してみれば 去年の満月も病室から見たのだった。 去年に同室だった人たちとは 揃ってお月見できたけれど、今年の同室だった人は興味が無いようで、偶然に水彩画教室のお仲間も入院してて、私は緊急手術の直後でトイレ以外安静を強いられていたからその人が教えてくれなければ見逃していた。
そして入院中は朝日、夕日を見るのが本当に楽しみだった。 刻々と変わる朝日の美しさには時折目が潤んだ。 それは私の入院しているという状況の辛さもあったけれど、病室の四角い窓から見える空は、同じように入院している上の弟の病院にもつながっているのだと。
それでも13日の日曜日には下の孫の七五三参りもあって、その日は息子の42歳の誕生日と重なってうれしい日だった。 私は神社にお参りはできなかったけれど、主人に連れて行ってもらってお祝いを渡せたし息子の家族の元気な顔を見られたからそれだけで幸せ。 上の孫は学校から出した俳句が大阪府の優秀作品賞に選ばれたとかで、貰った表彰状と記念の盾を見せてもらって本当にうれしい日だった。
私も日にち薬の回復を願って 毎日静かに過ごしている。
10月の中頃、私の入院を知らない歴史教室の友達から、一緒に正倉院展に行こうとお誘いを受けた。 もちろん それどころではないからお断りしたら、きのう「行ってきました」と、正倉院展の絵目録と播の模様のハンカチ(バンダナ)が送られてきた。 まさか 予想もしていなかったことだから凄くうれしくて食い入るように見た。 絵目録の中にはシルクロードを経てやってきた美しい色の磁皿というのや、象牙でできた櫛などがあって、できるはずもないけれど見るんじゃなくて触りたいと思った、私は。 今年の正倉院展は出品物が地味だと、歴史教室の先生が話されていたらしいが、それでも長蛇の列でもの凄い人出だったようだ。 彼女は社協で車椅子を借りて行こうとまで言ってくれたのだけれど、13日に緊急手術を受けていたから本当に無理だったのだ。
今日で緊急手術から3週間。 傷の痛みは日にち薬だろうが、原因の分からない疾患は途方に暮れる。。。
医師に珍しい症例と言われて、 原因も分からないから特発性と言われて、かなり落ち込んでいるのに 耳が悪いから同室の人に話しかけられて聞き取れないことも多くて それがまた新たなストレスになってる。
「すみません、私 耳が悪いから聞こえてないことが多くて失礼してると思います」 そう言ったのに、 「かまへんよ、何べんでも言うから」 そうじゃなくて、ほっといてほしいのだけれど。。。 我が家は個室に入れる余裕などないので、退院してきた。 あぁ、やっぱり我が家はいいわぁ!!
それでも病気に対する不安は 怯えのように背中に貼りついてるから、精神安定剤を処方してもらった。
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