バックルームにある商品の山は 年末商戦に入ろうとするスーパーにとって いつもながらの見慣れた風景ではあるけれど これをみんな店出しするのか・・と思うとうんざりする おまけに冬物ばっかりだから 嵩は高いしぶ厚いし、どこもかしこもダンボールだらけ 社員の支持があればいいのだけれど そうでなければ売り場の何処に何を持っていくのか まるでパズルをやっているのかと・・いつも感じる
先日 行った吉野での観光ボランティアの人が私と同じ思いで熱く語った『有馬皇子』のことを そんな仕事の合い間に思っている それは私の胸の内のことだけで パート先で話すこともないけれど 吉野の紅葉をプリントして何人かの友達に送ってみた ただ 歩きながらふとうかんだ気持ちをメモしたものを失くしてしまった いくつかは思いだせないでいる・・・
様かえず 散る葉もありて吉野山
紅葉に染まりし山の 篤き人
ふみしめる苔も見どころ 修験道
はらはらと 落ち葉しぐれの奥吉野
つわぶきが ひっそり咲きて 寺の庫裏
季節は帳尻を合わすのか 寒い一日だった (気象庁発表のきょうの奈良の最高気温は10.8度、最低気温は2.1度)
そんな中 急に誘われて浄瑠璃寺と岩船寺にいってきた 当尾(とうの)の石仏めぐりとしてもそこそこ有名な地域で、遅れている紅葉を求めて歩きを楽しんでいるような人も多かった たしか 以前にも来たことのあるお寺のはずだけれど、興味のないころのことは何も覚えていない 花の寺としても有名なお寺なだけに 観光ポスターで何度も見ているし、ツアーの観光客も多い でもいいお寺だった 浄瑠璃寺は 内田康夫の『平城山を越えた女』にでてくるお寺で、ご本人も視察に来られているようだ このお寺ではまず東の薬師仏に苦悩の救済を願い、その前でふり返って庭の池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を願うのが本来の礼拝の形だそうだ
道々にある無人の販売所では柿や自家製の野菜や漬物がとても安い値段で置かれている 誘ってくれた人は ここでの買物が目当てだったようで野菜と漬物をどっさり買い込んでいた ドライフラワーのような 花なすび というのを初めてみた 枝のついた柿や鷹の爪は絵手紙の題材によさそうだ
お寺歩きでいつも思うのは、ダンナと一緒に来られたらなぁと・・・ たびたび誘うのだけれど興味がないらしい 仕方ありませんなぁ
花は黙って咲いて 黙って散っていく
去年は 山の辺の道 の真ん中あたりから天理に向かって歩いたので きょうはその真ん中あたりから桜井に向かって歩いてきた 田んぼはどこも稲刈りがすんで稲架が並んでいる 畑はどこも白菜や大根が青々とした葉を見せて、柿やみかんの木はたわわに実をつけている 無人の販売所には富有柿が5つで100円なんてびっくりするような値段で置いてあったけれど、重いので後ろ髪を引かれるものの買うことはできなかった そんななかに点在する天皇陵や古墳はいろんな想像力を生む 蘇我氏や物部氏の物語を読むと必ず出てくる海石榴市(つばいち)や、金屋の石仏は私がいつか訪ねたいと思っていた場所で、もしも私がその時代に生きていたなら・・と考えるだけでも胸がわくわくする たぶん一生、田んぼのぬかるみに足を突っ込んでいるような生涯だろうけれど今と違って何の情報もない時代ゆえにかえって幸せだろうか・・と考えたりする それはダンナに言わせると、きっとそんな身分から抜け出したいとあがいているだろうと言うのだ でもそういう思いさえ抱かないのがその時代の婢女なのだ 話が逸れたな・・
お弁当とお茶とおやつを用意して、 いつも私がいそいそと出かけるものだからダンナには 「まるで遠足のようやなぁ」と言われてしまった なかなかうまい表現をするものだとチラッと頭の隅で思いながら 来週の吉野行きに期待している 紅葉は見ごろだろうかと
落ち込み気味の数日だったけれど いくら ため息をついても何も状況は変わらないし 必ず 朝になって夜になってふわふわした一日が終わる 毎日 あぁ今日も終わった・・とつぶやいている それでも 自分で作った夕食、夕べはかきフライとぶり大根がことのほか美味しくて やっぱり私は生きているんだと変な実感がある こうして ダンナとふたり生きていくんだな・・
どなた様からかエンピツフォームメールというのをいただいた でもHTMLのタグが並んでいるだけで私には分らない その中のホームページのURLらしきものをクリックしても ページが表示されません、とでる ・・・・
去年のきょうはどうしていたかなぁ
その前の年の11月5日は落ち込んでいたっけなぁ
親として子供の誕生日を忘れるはずもなく
ああでもない、こうでもないとさんざん考えてカードを作った
余計なことは書くまい
ただ一言、おめでとう
<こもりたる 日がないちにち 愛娘思う>
<読まれたる 証しも見えぬ 文を書く>
<拒否される 親になりたる悲しさよ>
<目を閉じて 胸いっぱいの 愛娘の名よ>
午後から 静かに冷たい雨が降った
三十年前の今頃は 待望の娘を胸に抱き こころ満たされていたのだ
娘よりみっつ年上の実家に預けた息子のことも案じながら
無事に生まれてくれて ありがとうという気持ちに溢れていたのだ
そして きょうは
きょうという日が終わるまで 娘の名をこころで呼び続けよう
ひとり静かに ひとり静かに・・・
私らの年代になったら 思うようにならないことや気がかりは多々あるけれど 緊張するということがあまりない(私だけだろうか・・) でもきょうは仕事でかなり緊張を強いられることがあった フロアの統括マネージャーは ホームじゃなくてアウエーだから少々不利ですが、 と言ってくれたけれど緊張のしまくりで頭が真っ白になってしまった でもまぁこれが私の実力なのだろう 今朝は3時前くらいから目が覚めてしまって 早く夜にならないかなぁ、と願っていた はい、すべて終わりましたとも 撃沈であります ストレスからか、おなかの調子も悪かったけれど 終わった、終わった
明日は自分へのご褒美で正倉院展に行こうと思っている 楽しみだ
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