ああ、今日も1日生きられた、ありがとう御座います
ああ、今日も1日人間だった、ありがとう御座います
森信三先生の感謝を肉体にもすり込んでいく
間接照明の風呂で鼻呼吸しながら
ありがとう御座います、というと心が優しくなる 心が軽くなる
そういうのは、間接的な現実逃避だ
そういうのは、死ぬという真実からの逃避だ
長く生きるためには必要な逃避だ
死ぬという真実は劇薬だ
劇薬は、ほんのたまにでいい
「おーい」 と呼びかけてくる声がする
「おーい。早くこっちの感謝の世界においでよ。人生充実して楽しいよ。社会上も成功できるよ。その成功も継続できるよ。」
「もっともっと、お前は能力があるんだから、社会にお役に立つために、おーい、早くこっちにこいよ〜」
と呼びかけてくる誘いの声がする
私の居場所は、感謝の世界にはない
感謝で世界を眺めるという偏りすぎる盲目さに耐えられないから
それは私の美意識だろう
かといって
私の居場所は、欲ボケの世界もない
物質や幻想で世界を支配できるという偏執さに耐えられないから
それは私の死への意識だろう
なんで、ここなんだろう
わからない
なんで、ここしかない、とかんじるのだろう
どうしてだろう
知性も智慧も、知識も学歴も科学も家族も名誉も地位も、それらが全て及ばない場所だからだろうか
こどものときの、ひみつきち、のようなかんじがする
死んで無くなることを、おびえるひとへ
むりして、むりして、世の中に感謝しなくていいんだよ
むりして、心残りをすまさなくていいんだよ
おびえている、そのままでいいんだよ
感謝も、今日生きていることに感動しなくても、なみだを流さなくてもいいんだよ
夜のやみの飲み込まれることを、おそれているひとへ
むりして、むりして、人の声をきかなくていいんだよ
むりして、光につつまれなくていいんだよ
おそれている、そのままでいいんだよ
ふるえている体を放っておけばいい
ざわついて静まらない心をそのままにしておけばいい
そのまま そのまま
しんこきゅう