この言葉達の紬ごとでさえ、死の恐怖の代替でしかない
死の恐怖を日常で感じるのは、疲れきるまで鍛錬を努力を積み上げをしていないからである
いいわけ、そう、いい訳なのだ
全てが
この言葉達の紬ごとの全てが、ものかき部の紬ごとの全てが
そして私の人生の全てが
いい訳、代替作用
子供の顔を見て幸せな気持ちになればいい
給料が増加して物を増やせばいい
学問の蓄積に身を浸せばいい
尊敬を獲得して修身に励めばいい
世界に感謝して統覚に飛びつけばいい
全てが代替なのだ
人間である限界から飛び出せない
その代替でしかない
冷たい雨の中、駐輪場に入る。
年下が煙草を吸っている。
こちらから挨拶をする。
1人は返事をしない。
もう一度、「おはよう」
しぶしぶ、「おはよう」
なぜ、向こうから挨拶をしない、どうして、2度言わせる、と少しいらついた。
「形式主義に染まってはいけない。形式主義は形骸化する。」
学問的知見が頭蓋骨の後ろで囁いた。
「形式主義はやる気が出てこない。創造性が出てこない。そういう人生でいいのか?」
少し濡れるが雨の中に歩き出した。