私たちの鎮魂の感覚が日本全国で謳(うた)われ続ける
「みんなのことを思いやる」
「身を犠牲にしても」
「少しでも出来ることを」
その謳われる讃美歌は、事故原因とそっくりだというのに
「原発は日本のみんなのことを思いやって導入しました」
「私たちが原発内部で被曝しても続けていきます」
「自主エネルギーのために少しでも原発を増やしましょう」
私たちを事故にたたき落とした讃美歌を、今現在も聞きつづけている
その歌詞は替れども、旋律は変わらず、今も真実から眼を逸らし続けている
讃美歌は魂を慰めはするが、決して真実を明らかにはしないのだから
もう、この雑音の中で真理の冷厳を求める人々はいないのだろうか
美しき 誠に美しき
尊き 至誠に尊き
その思いやり
私たちは事故の中にそれを観た
実際に荒廃した人身が犯罪行為を行っていても それを観た
私たちが「民のかまど」の神話を受け継いで来たように それを観た
その思いやりが私たち全員の心を慰(なぐさ)めるように それを観た