ものかき部

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「 鏡の話 」
2007年03月16日(金)

父方の伯父さんの家にお使いで着ました。
おばさんはおしゃべりで、伯父さんはちょっとロマンスグレー気取りです。お昼ごはんを食べている時に叔父さんから、灰色の磨(みが)き粉を貰いました。お母さんの後に隠れる頃から手の甲の大きさの鏡に漆色の持ち手がついた手鏡をいつももっています。お台所でお昼ごはんの洗い物をしたついでに、久しぶりに灰色の磨き粉で磨いてみました。
 私にはちょっと可笑しな癖があります。手鏡を見る振りをして後ろに居る人や周りに居る人を覗(のぞ)くのです。もし鏡の中で眼が合っても鏡が落ちそうだったから、といい訳出来るので引っ込み思案の私には丁度いいのです。いつも格好いい人が、私の座っているベンチの後に立っている時に、ぽかーんと口をあけていたり、どうでも良かった人がはなをほじっていて嫌いになったりしているのでした。その人の無意識がみえることがあります。

 冬も終わりかけの桜も開きだす日差しの気持ちのいい日でした。午後は終わってから恋人と逢う約束をしていたので、いつも3時のおやつに出てくるお菓子を頂かないで、いつもの公園へ向かいました。奇麗になった鏡を持って急ぎ足でそわそわしながらグレーの岩で出来た入り口から生い茂る緑の中に入っていきました。待ち合わせしているのはひょうたん型の池の口の部分にあるベンチです。短髪の後姿をみると一層ドキドキが速くなった気がしました。急いでいたのでバックから手鏡が出そうになっていたので、ふとその手鏡を取り出して恋人を覗いてみました。
 なんとそこに写っていたのは気味の悪い妖怪でした。子泣きじじいのように頭部はテラテラと精気がみなぎる禿(はげ)げ上がって大きく、細くくの字形につりあがった眼は意地悪そうで、唇のない口からは蛇のように長く先端が2つに割れた舌がニョロニョロを顔の前を行ったり来たりしています。その長さは大きな頭を一周できるほど長いものでした。
 私は思わず、自分の眼を疑って、鏡を通さないで直接彼を見ました。いつものように物静かに湖面を眺めている格好のいい恋人でした。けれども、前とどうも様子が違う気がしてもう1度鏡越しに恋人をみました。するとやっぱりそこに写ったのは子泣きじじいのような薄気味悪く意地悪そうな姿でした。その妖怪の口が思わず耳元までカッターで切ったようにぱっくり割れると、恋人の「ああ、やっときたね。」という甘い声が聞こえてきました。そして子泣きじじいは地面までありそうな小さく長い手のひらでお尻をぼりぼりとかきながら近づいてくるではありませんか。背筋がゾクゾクと気持ち悪くなり、私はいち目算(もくさん)に逃げ出しました。

 それからどのくらい走ったのか歩いたのか分りませんが、大きな街に来ていました。彼の姿とその鏡の姿を思い出していました。走った後の少し疲れたけれどすっきりとした気分になり少し振り返ってみました。そうすると私には外見は全く違うけれど、子泣きじじいと短髪の素敵な恋人は同じ人のように感じられました。恋人は短髪でスキッとしたスポーツマンタイプでしたが、最初の頃に他の人から告白された事を今でもねちねちというのです。それが決まって私に何か無理なお願いをする前と決まっていたのですから。それに一旦怒ったり泣いたりすると止まらない人で、2時間も1つの事を怒ったり泣き続けたりするのでした。私にはどうも彼の本当の姿なのではないか、と感じられて仕方がなくなってきました。
 日が高く知り合いもない街中でまた鏡に写る人の姿を覗いてみました。そうするとこれまた驚きました。天使のように白い奇麗な羽の生えている人、お仏様のように後光が差している人もいれば、ちょっと横に大きく広がっている人や髪の長さの違うだけの人もいました。そしてもちろん、妖怪ぬりかべや、雪女のように冷たい目をした人もいました。一見可愛らしくてけれどお化粧が厚くてすぐに水商売の人と分る女性は、男性に声を掛けられて嬉しそうに見えるのですが、鏡を通してみると男性を見下したような冷たい目をしていました。
 ひどいショックを受けました。よろよろと近くの甘味屋にへたりこむように座り込みました。暖かいお茶を飲んで一息つくと途端に、私は人が怖くなりました。そしてこの鏡で両親を写した時が怖くなったのです。と同時にこの鏡が大変怖ろしくなりました。曾(ひい)おばあさんの形見分けで頂いた大切な鏡ですが、私はこの鏡を壊してしまったら、埋めてしまったらと考えてしまいました。何故なら両親を見た時のショックを思うと思うと怖くてたまらないのです。厳しく無口だけれど小さい時に私の頭を撫でてくれた父、いつもポーっとして家事があまり好きではないのだけれど父のためなら時々奮発する母を写すのは怖くて考えたくなくなりました。それでも鏡を伏せて反対側の漆色をみていました。
 「あら、偶然」と不意に声がしました。漆色から目線が右横に向くと幼馴染が立っているではありませんか。視線が合うとお互いがつられて笑顔になりました。甘味を食べながら、買い物に来ていて偶然出会えたのを喜びあいました。彼女は結婚してこの大きな街から少し外れた場所に旦那様と一緒に住んでいるそうです。面白くて優しい人だから、と彼女は旦那様に逢うように誘ってくれました。両親の住む家に帰るのは気が引けたので、お誘いを受けることにしました。家についてお夕飯の支度を一緒にしながら取りとめもない話をしていると、旦那様がお仕事から帰ってきました。短髪ではなく少し太めで目がクリクリと可愛い、彼女の言う通りの人でした。ねぇ、可愛いでしょう、と彼女が旦那様はにっこりと微笑みました。それでもね、昔はスマートでもてたらしいのよ、と付けくわえるのも忘れませんでした。それから一緒にお魚料理を一緒に食べながら楽しいお食事をしました。彼女が旦那様を大好きで愛しているのも伝わってきましたし、旦那様が彼女を見守りながら大好きなのも伝わってきました。何時の間にか昼間の怖かった出来事を忘れてしまっていたのでした。
 「もう遅いから泊まっていっていらっしゃいな。それに何日でも泊まっていって欲しいのよ。この辺りは少し寂しいし」と外を眺めました。「そうだね、ぜひ泊まっていってください。私は彼女の笑顔を見るのが大好きですし、あなたは彼女に特別の笑顔をもたらしてくれた人だから、ぜひに。そうだそうだ、今日は2人で一緒に寝るといいよ。明日からは使っていない部屋を使っていただこうよ」と旦那様も言ってくれました。「ええ、有り難う、とても嬉しいわ、今日は楽しかったし、お言葉に甘えて数日ご厄介になります」と答えました。その夜は洗い物を一緒に畳みながら、終わった後も3人でお茶をしながら幼い頃の話や楽しかった話を沢山したのでした。

 翌日も彼女と一緒に起きて朝ご飯の支度をして、気持ちのいい風の中でお洗濯と掃除をした後、また街にお茶と夕ご飯の材料を買いに出かけました。バックを取り出そうとすると漆色の鏡を思い出して、急に怖くなりました。それまで楽しい雰囲気で着ていく服の話をしていたのに、急に眉間に皺(しわ)が寄り無口になってしまいました。彼女は一瞬止まった後、「小さい頃と変わっていないわね。何か怖いことがあるとうつむいて皺を眉間につけるんだから」と明るく声を掛けてくれ、幼い時のようにぎゅっと抱きしめてくれたのでした。私は彼女に勧められるがままに、伯父の家から恋人のことや鏡のことを話しました。あらそれなら、私を見てみてね、と彼女が勧めるので恐る恐る観てみると、彼女は彼女のままでした。彼女が鏡越しに私をみても私は変わらないそうです。そこで、大分遅くなりましたが街に出て鏡をみてみました。私には色々な妖怪や天使様がみえるのですが、彼女には見えませんでした。今日のお肉の夕食の準備の間に話していたのですが、結局食後に旦那様に聞いてもらう事にしました。旦那様は全て聞いてくださった後、へーじゃあ僕はスリムに写っていないのかな、と彼女と同じ事を言って私を笑わせてくれました。彼女も、同じことを言う人なのね、と幸せそうに笑っていました。場をなごませて下さった後に、「僕の知り合いに詳しい人がいるから明日逢いにいってきたらどうだろう、このままじゃ心のどこかにわだかまりが残ってしまうだろうから。それじゃあご実家に帰りにくいというのはよく分るよ」と仰ってくれました。「あら、でもこのまま家に一緒にいる方のもいいわよね」とニッコリと微笑む彼女の笑顔が嬉しくて嬉しくて、涙がポロポロと落ちてきてしまいました。私は嬉しくなって彼女に今度は抱きついてしまいました。

 翌日の午後、旦那様の仕事場の横の建物へと2人で向かいました。教えられた通り入り口で女の人に「山本さんに、お天気のことを聞きに来たのですが」と伝えると、「山本さ〜ん、例の相談の人だよ〜」と奥へ声が入っていきました。「はぃ、はぃ」とこだまのように穏やかに帰ってきた人は、朝に固めた頭に寝癖がついている人でした。働き盛りの何処にでも居るような普通の格好の人で少し驚きました。まるで、町内の打ち合わせにでも来ているようにリラックスしていたのです。「横の部屋空いているよね」と女の人に聞くと「あいているよ〜」と気にもかけない様子でした。「じゃ、どうぞどうぞ、汚い所ですけど」と言うと「汚いは余計だよ、掃除しているんだからねこれでも」と女の人はこちらも見ずに手を動かしながら言うのでした。
 私は彼女と2つの長いすしか置いていない個室に入り4人掛けの長椅子に座りながら、これまでの経緯を話しました。「うん、うん」と相槌(あいづち)を合わせるでもなく聞いてくれました。話し終わった後で山本さんは鏡に触りクルクルとまわしました。ものすごく長い間に感じられた2、3秒の後、山本さんは「じゃあ、どうしましょうね」と言いました。大分意外な言葉でしたが、はっきりとした自信も感じられました。何故だか知りませんが、もう大丈夫だ、と直感的に感じたのでした。
 「今回は怖い思いをしましたが、鏡は持っていたいですか、それとも処分したいですか」
 「持っていたいです。記憶がないとはいえ曽祖母の物ですし、ずっと持ってきましたから」
 「はい。では鏡は持っていてください。次に、人によって姿が変わるのを見たくないですか、それとも見たいですか」
 「う〜ん、悩みます。人によって姿が変わることで教えられたこともありますが、怖い気もします」
 「そうですね、では姿が変わる理由を知りたいですか、知りたくないですか」
 「それは知りたいです、是非とも。だってこんなに怖い思いをしたんですから」
 「そうですね、分りました。では街に出てみましょう。私も彼女も一緒に行きますからご安心下さい。」
 
 そうして私たち3人は、街の大通りに戻ってきたました。人が3人も4人も横に並んで歩ける大通りは色々なお店がズラーっと並んでいます。2,3本裏道に回れば歓楽街もあります。萌葱(もえぎ)色の鮮やかな緑色の暖簾が掛かったお茶屋に入って甘味を注文しました。今は彼女や山本さんが横にいてくれるから大丈夫だけれど、私独りだったら、鏡の姿を思い出してうすら気持ち悪くなってしまうでしょう。それでも怖いからか恐ろしいからか興味からか鏡で人を覗いてしまうことでしょう。そわそわしてどうしてか、どうしても鏡で人の姿を確認してしまうのでしょう。そんな風に思うと、私はとても注文した甘味やお茶には手が付けられませんでした。どんな人が作ったのか分らないので薄気味悪いから、手が付けられなかったのです。少し汚いものを見るように体を引きながら、それでも不自然に目を下に向けていました。「あの美しくて人気のある店員さんはガリガリのシワシワでめがギョロリとしているのに、お腹だけが異様にふくらんでいて、地獄にいる餓鬼(がき)のようですね」とぽつんともらしました。思わず山本さんの緩んだ横顔を凝視しました。視線はそのままで「山本さんは鏡の姿が見えるんでしょうか」となるべく驚きを隠そうと声を小さくして尋ねました。「はい、あなたの話を聞いてから鏡を通して見えるようになったのです。私は最初、めがねだったから大変だったのですよ」と言われるので、今まで気にも留めなかったメガネの縁(ふち)の黒さに気が付きました。
 「じゃあ、この缶の中に入っている緑色の粉で磨いてきてください」とバックの中から缶を取り出しながら、山本さんのメガネがこちらを向きなおしました。言われるがままに便所の手洗いでササッと磨いてきました。幼馴染の横に戻って座り鏡を通して店員をみると、店員は不思議な事に白い大きな袋になっていました。「今度は袋になっていませんか、それも白い大きな袋です」とまた店員の居る方を向いている山本さんは言いました。「ええ、ええ、まさにその通りです」と言う声と同時に「それはどういうことなんでしょう」と今まで静かにしてくれていた幼馴染は聴いてきました。「少し街に出てみましょう」というので出ることにしましたが、食べきっていない幼馴染の不満そうで愛らしいふくれっつらを久しぶりに見ることも出来ました。なんだかさっきまでの怖さが何処かにいっていました。緑の粉で磨いた鏡を通すと街の人は、カラフルな色の混ざり合いや原色1色で、カーテンや服、紙袋やカレンダーの人に変身していました。もちろん本人の姿に変わりなくそのままの人もいました。山本さんが「あの人は、紫一色の高級そうなカーテンですよね」と2,3人確認した後、品の良い彼女は控え目にお茶屋さんの質問を違う言葉で繰り返した。山本さんは今度は丁寧に答えて「他の人に聞かれると少し変な人になってしまいますから、あの部屋でお話します」と私が告白した部屋の方へ歩き出しました。
 
「曾祖母さんは人の心で大分苦労されたんだと思いますよ。そしてあの鏡を見ながら「人の心が分ったら」と思われたんじゃないでしょうか。それがあの鏡の力になっています」
「そういえば、事業で大分苦労したと聞いています」
「粉で磨く事で、その人の心持が色んな形で見えるんでしょうね。伯父さんに貰った灰色の粉は、宗教的に見たその人の心持なんでしょう。お仏様や餓鬼や妖怪などは宗教のお話に出てきますからね。あの灰色の粉はお仏壇の線香の灰かもしれませんね」
「私は見えなくて残念なのだけれど、そうかもしれないのね。じゃあ、先生、カーテンというのはどういうことなんでしょう」と幼馴染が聞きました。
「まず、鏡に映る姿が、本人の心持を表すのだとまず考えてみましょう。餓鬼の店員さんは前から声を掛けてくる男性を何人も抱えている人でトラブルをよく聞いていたんです。その中に知り合いの人がいて、この人は人間的にも男性としても立派な人でした。けれども、2,3回のデートで終わってしまったそうです。話を良く聞くと彼女はどんなに素敵な男性でもどうしても飽きてしまうそうなんです。声を掛けられてドキドキする感じが好きなんだそうです。よく考えてみるとそれは食事とよく似ていますね。食べている時は楽しいし美味しい味覚もある。幾ら食べても永遠にお腹が空く餓鬼のように彼女は欲しがり続けるのでしょう。どんなに素敵な食べ物を食べても心の奥底では満たされていなかったのでしょう。そしてその理由は、彼女の中身が何もなく、うわべだけは純粋そうな白色だったのでしょうか。自分自身で考えて相手に求めてばかりでは中身がない白い袋と一緒で、永遠に満たされませんから。店員さんの心持を宗教的に見たら餓鬼になり、紙や糸で見たら白い袋になったのでしょう。」
「あぁ!」
私は思わず、大声を出してしまいました。その声はあまりも変だったので恥ずかしくなって下を向いてしまいました。
「えぇ、えぇ、そうかもしれません。いえ、そう仰られると納得することばかりです」
「そう、それは良かったわね」、「そうですか、良かったですね」と2人の声が合わさった。
「そうだとすると、彼女や先生がそのままの姿というのは不思議ですね」と何時の間にか山本さんは「先生」になっていた。
「それは多分、そのままの姿の人は、その人であることを感謝して受け入れているからでしょう。あなたは今、感謝して受け入れていますか」と先生は幼馴染に聞いた。
「はい、私の旦那様のお陰です。ただ、私は旦那様がいなければどうなってしまうのか不安で不安でたまらなくはありませんし、大分甘えていると思います」
「それで良いんですよ。本当の自立や自由というのは、充分な依存と共にあるのですから。大切なのは充分な依存を事実として認めて自他に感謝することなのです。そうしないと、と依存を否定して自分だけだ、と神様、仏様になってみたり、自分は奇麗なだけの存在と考えて天使様になったり、自分は悪いだけの存在だと悪魔になったり、欲望だけに捉われて妖怪になったりするんです」
私の胸はチクリと小さく痛んだ。
「だとすると先生、妖怪はよくない、となりますか」
「妖怪には妖怪の良い所と悪い所がありますよ。だから妖怪が悪い、良いはないんですよ。ただ、合うか合わないか、はありますね。その仕事に合う、一緒に生活するのに合う、お友達として合う、ご近所さんとして合う、はあります。それと多分ですが、今は天使の人が今後悪魔になったり、そのままの人が妖怪になったりしますよ。その人の心持が変われば鏡に映る姿も変わると思います」
「変化するのは何だか怖い気がします。私も何時か妖怪や悪魔になってしまうんでしょうか」と今度は彼女が視線に陰を落とした。
「賢い人ですね、結論まで導いてくれました。悪魔も妖怪も天使もそのままの姿も、鏡の映る姿でしかない、というのを忘れないでください。その人の心持は見えるかもしれないけれど、何も害はないのですから。一切実害もなくて変わる姿の1つですから」
「怖くはないんですね」と2つの声が明るくそろう。
「ええ、怖がる必要はありません」
はっきりと仰って下さったので、私は大分安心した。両親がどんな姿で写ろうとも、所詮鏡の姿でしかない、と太鼓判を押してくださったから。私が実家に帰ればこらえ性のない私は鏡で両親を見ない訳がないのだし。

 帰り際、安心させて頂いたお陰で私自身、最後に1つだけ残っていた疑問を聞いてみた。
「先生はどうして私の見えた鏡の姿が分ったのですか」
「それは相手のお話を丁寧に聞くとその能力が見えるようになるからです。まるでメガネを替えるようにね。だから多くの人が私に相談されるんですよ。」
それで納得して、夕飯の買い物に2人で出かけた。今日はお祝いだからとケーキを食後に食べようと話し合いながら大通りに出た。もう大通りで行きかう人々が怖くなくなっていた。走り回る子供たちは殆どがそのままの姿だったけれど、4.5人は大人と同じように変化していた。少し怖ろしくもあり、少し安心もした。

 夕食前に実家と恋人に電話をしました。幼馴染がこっそり両親を安心させてくれていたので、「もう少しゆっくりしてもいいよ」と何だか拍子抜けしました。恋人にはこの前のお詫びをちゃんと伝えたら、「驚いたけれどいいよ、また次のお休みに逢おう」と言われました。明日、お洗濯とお掃除をしたら実家に帰ると2人に告げると、残念がってくれました。2人には本当に感謝してもしたりないくらいで、思わず涙がこぼれてたのでした。
 恋人に2人の家から電話をした時、家の雰囲気と私と恋人の持っている雰囲気があまりにも違うので驚いてしまいました。少し寂しくなって、そして2人に教えてもらった大切なものと、先生の言葉の意味を初めて実感したのです。恋人とは明日、しっかりと逢って話し合って別れることにしました。2人だけだとズルズルと欲望に引きずられてしまうかもしれないので、地元の女友達2人と一緒に4人で話し合おうと思います。


                         (校正H19.4.3)

「 白皙の君�宗 �
2007年03月15日(木)


 深い青色のカーテンの足元は太陽の液体をこぼしたように、白色が眩(まぶ)しい。
 チャンネルがブラウン運動の見るともない映画、涎(よだれ)のようにダラダラ流れる音楽、ダイエットの罪悪感を背負った白砂糖の塊、ちらっと思い出した洗濯物をまるで死ぬ前の唯一の願いのように暗黒の空に干したりした。
 ようするに私は、麻雀のように1つに熱中して徹夜をしたのでもなく、お酒を浴びるように快楽を貪(むさぼ)った訳でもなく、ただぼんやりと、ただただ用もなくぼんやりと、脳みそをこぼして収集がつかなくなったように朝を迎えた。
 
 駄菓子は20本買いだめしたのを全て食べたから数は分るけれど、トイレに何回行ったかは、覚えていないほど、そんな理由にもならない理由で夜が明けてしまった。
 何枚も、緑の、赤の、嫌いな黄色のカーテンを1枚ずつかけたら、太陽の液体は、くるくると後戻りしてくれるかな。カーテンの向こうにいくだけじゃあ可哀相だから、ちょっと小さな入り口を作ってあげて、そこから透明の切り子ガラスにすくい取ったらいいのかもしれない。多分、スクリュードライバーみたいな暖かいオレンジ色と強いエネルギーをくれるんじゃないかな。
 春の日差しのように浴びるように飲んで、机で両手の上に頭をそっと置いたら、多分、私にもやっとやってくるんじゃないかな。やっとやっと。
 

「 明らめの時 」
2007年03月03日(土)



 じっとしている
 じっと身を留めている
 じっと身の内で氷が壊れていくような悪寒にどうしようもなく耐えている

 何もしてこなかった
 何も心を留めてこなかった
 何も心の内で規則正しくも礼儀正しくも良心に正しくも耐えられなかった

 どうしようもない
 金銭も異性も権力も、そして最後に残った名誉でさえも永劫の時から比べれば、何と虚しい
 そこから出発して活力を得ようとも、最後にたどり着く先はどこに違いがあるというんだ

 生命の本能に従って種の世代交代に参加しても、性別の本能に従って愛情の獲得に参加しても、自我の本能に従って修行の鍛錬に参加しても、原初の本能に従って堕落の充満に参加しても、集団の本能の従って社会の獲得に参加しても、全てに参加しても尚、何と虚しい

 それぞれに参加している者々からすれば弱者のいい訳に過ぎないこの虚しさと言い切った時もあったのに、次から次へと止め処なく流星のように降り注ぐ肉体的な死

 もうこの私の人生の到着駅は決められている
 もうこの肉の終生の終着駅は決められている
 もうこの心の生涯の終結点は決められている

 判ってしまったからこその極寒の中の悪寒なのだろう
 ホワイトアウトのブリザードになれば、やっと眠気に身を任せる時がやってくるのだろう
 明らめの時がやってくるのだろう


「 明らめの音 」
2007年03月02日(金)



 紅梅には春の兆しを探し
 白木蓮には冬の戻りを求む
 卒業の頃


注記:紅梅は2月頃の寒さの厳しい季節に咲く
   白木蓮は3月過ぎに春の暖かさが感じられる季節に咲く

「 白皙の君�次 �
2007年03月01日(木)

 職場の引越しに現れた白皙のあなたは、フリースにジャージという服装だった。
 赤と黒のフリースに真っ青なジャージ、カラフルな色に普段の繊細なお洒落が吹き飛んでいた。「頑張ってね」と普段通り優しい、そして誰にでも優しい声を掛けてきてくれるのは一緒、けれど、落ち着いたスーツからは想像も出来ないくらい黙々と1人で動き回るあなた。上司は、煙草を呑まないと、辞められないといい訳が当たり前のように言い放って半分はサボっている。あなたはそれが夏の澄み渡る青空に、ポツリと小雨でも降ったかのように全く気にもしていない。黙々と動いて大きいものを動かしていく。上司の準備不足を責める事も一切なく仕事を探し掃除をし、上司の領分を動かさないように慎重に。それはまるであなたの普段のスーツの繊細なセンスが、そのままそっくり体を動かすことに移ったかのよう。
 私はまた一つあなたを見たような気がしました。私はまた一つ新しいあなたを発見しました。何か新しい場面に出くわすとあなたは新しい面をみせてくれる。
 上司などいつもと同じしゃべり方で、同僚の女の子はトイレに駆け込んだり、長い長〜いお使いに行ったり、男の人は煙草休憩や眺めているだけだったり、女の仕事だろうなんて仰ったりする。夜の慰労会を何処に行こうかなんて話し合ったり、ここぞとばかりに趣味の話を繰り返したりしている。

 集合の1時間前の7時に集まって5時終了まできっちり働いたあなたに私はもう一度声を掛けてみようと思い立った。慰労会で掛ける言葉を何度も何度も心の中で反芻(はんすう)して、ドキドキを増加させていった。あたなの顔を思うと冬空の下でも頬が熱くなるのが分った。
 けれど、あなたは来なかったわ。「何だか用事があるんだって」という言葉を私以外の女子職員に伝達していった。多分あなたは「幹事だから」というのに決まっている。私の頬はちょっぴり落ち込んだ。多分こうやって頬は落ち込んでたるんでいっておばあちゃんになっちゃうんだわ。自棄酒(やけざけ)でも飲もうと思ったけれど、フラフラと遊んでいた同僚の話や、煙草を満足そうに吹かしている上司をみて、馬鹿らしくなってしらけてしまった。トイレ、と言ったっきり肩掛けポーチをもって、とぼとぼとあてもなく歩いていた。
 気が付くと引越し先のビルの並びに来ていた。幅10mの大きなどっしりとしたビルや4mの小さなノッポのビルが並ぶ、ちょっと外れのビジネス街は広い歩道に浸水性のタイルが可愛く敷き詰められている。車道側には街路樹もあって自転車も歩行者もすっかり夕暮れの隙間風の中をゆっくりとすら歩いている。腰の折れ曲がったストールをぎゅっと被ったおばあちゃんにつられて視線を上げてみれば、少し先の3階から蛍光灯の白色光がもれていた。
 ああ、と私はため息をついて、ついでに涙もほっぺについた。
あの引っ越したばかりの3階にいるのはあなただろう。ううん、あなた以外にいるわけがない。5時だからと完全に終わっていなかったのだったから。1つのことに熱中し出すと徹底する性格たっだから。そしてそれは賞賛が欲しい訳でも自分が成長したいからでもないのも私には解っていたのに、ほんとうに解っているつもりだったのに、あなたを私は心の底で理解していたんじゃなかったんだ。
 ボタボタとつく涙という液体が、頬の体積も重量も増やした。もう、肝油のようにブチャブチャと噛めば音がするかしれない。真下まで来て見上げてもあなたの蛍光灯よりも白い繊細な肌は見えない。そう、もしあなたの仕事が終わって涙を流してグチャグチャになった私の顔を見て同情で抱きしめてくれたとしても、決してあなたの白い肌には触れられない。もしあなたの仕事が終わって化粧をドロドロにした化け物のような私を見ても心からの愛情で抱きしめてくれたとしても、決してあなたの白い肌には触れられない。
 だって、私はあなたの白い繊細な肌の尊さを知ってしまったもの。害にしかならない煙草や化粧やおしゃべりや酒の馬鹿騒ぎやくだらない趣味で自分を可愛がるだけが人生の目的とは思っていないのに、まさにその通りにしか行動していない人々にはもう戻れないもの。悲しい時に泣き、苦しい時に眉を顰(ひそ)めて耐えるような純真さをこのビジネス生活の中に置き忘れてしまったもの。
 あなたに無遠慮に関わっていく横暴さもあなたと対等に接しながら女として触れ合えるものを持っていないのだもの。あなたは「それはいらないし、気にしなくて良いよ」と言ってくれたことがあったけれど、やっとその意味が解ったの。私はビルの階段を上がってあなたと一緒に月よりも明るい蛍光灯の下に立つことも出来ないし、安居酒屋に戻って与太を飛ばすことも出来ない。あなたは決してこの場所まで降りてこない人だし、降りてきたらあなたではなくなってしまう。あなたは「ビルの3階と1階でもいいよ、きにしなくて」と言ってくれたのだった。そしてそれは今日1日の行動で充分、行動で判ってしまったの、他人からの賞賛も自分の進歩よりももっと深い喜びを持っているあなたを。

 カーストといういい訳も人種も文化も、生活や行動とも違ってあなたとの立場の違いをはっきりと知り、あなたの白い肌の繊細をやっと知る事が出来たように思ったの。
 靄(もや)は吐く白い息でさらにはためきゆらめくけれど、私は底冷えする6畳に帰ろう。そして自分自身のために思いっきり美味しい料理を作ろう。そして一緒に食べてくれる人を探そう。その人は1階の私の部屋に入ってくれる人にしよう。

 鈍感だったら肉欲だけの馬鹿だったら、繊細だったら一徹ものの馬鹿だったら。
 いいえ、私はあなたに出逢えて幸せ。その繊細な麗しさと私自身を知れたのだから。
 有り難う。
 部屋に帰ったらまず世界に、そして次にあなたに手を合わせることにします。
 トボトボ と ゆらゆら と帰りましょう。


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