「僕はもう、死んだ方が良いんだ」と助手席で頭を両手で地に落すような仕草で呟(つぶ)いた。
いつものことだ。夜中の1時か2時に電話がかかってきて「ちょっとドライブしよう」と言う。私は「分かった」の一言でベッドからジーンズへと乗り換える。
「僕は、死んだ方が世の中のためになる人間なんだ」と両手の指をさらに深く噛(か)み合わせ、頭を助手席の先頭へ押し付ける。
いつものことだ。
見なくてもその内に頭と助手席の「ポッス ポッス・・」という音が聞こえてくるだろう。
また彼は借金地獄へと何人かを叩き込んできて、そしてその中で尊敬できる人間を見つけたのだ。
尊敬できる人ほど詐欺まがいの行為は、いや詐欺の行為はスリリングで楽しいのだという。「尊敬への復讐(ふくしゅう)なんだ」といつぞやに深酒の勢いで語っていたが、本心だと感じている。尊敬できるものが困難に打ち震えて切望する姿はよっぽど快楽を引き起こすのだろう。彼は詐欺の後、自分で借金の回収作業、つまり追い込みは決してしない。追い込まれた人間は、かみ終わったガムをはき捨てるよりも容易に、煙草の煙で他人を癌(がん)に追いやるよりも残虐(ざんぎゃく)に人間性を壊すのだという。
彼は、それを観たくないのだ。尊敬そのものだけが彼の胸に残り、彼はその尊敬を引き降ろした快楽の反動を受けなければならないのだ。
「あの人はね、女手1つで3人の息子を育てようとしていたんだ。3人目の直後に過労死かなんかで死んじゃったからね。上の子は高校3年になったばっかりでバイトをしながら偏差値は60を切ったことがないんだ。一番下はまだ小学校5年だけど生徒会長をしているんだよ。お母さんがどれだけ立派な人か分かるだろう?」
私はいつも答えないでいる。それが最もいい方法なのだ。
「なあ、なあ・・・・」
甘えるような声になった。被害者への尊敬の念を私に共鳴させようとするのがありありと分かる。私は彼の楽器にはなるつもりはないのだから顔も向けない。
「なあってば! 聞いているのかよ・・・よぉ・・・・」
彼は後数秒で、細かいヘッドバンキングが、瞳の大雨になって中止される。
「まったくよぉ・・・・やってやったんだよぉ・・・・」
「夫婦は駆け落ちだったんだってよぉ・・・・・だから、親戚もいないんだって・・・ぃなぁ・・・・・・でよぉおおお・・・・・」
私は彼にとって必要なのかどうかよく分からない。
私は彼が必要なのかどうなのか分からない。
そんな疑問を頭の上で左右に抱えながらアクセルを、浜岡町へと踏み出した。
彼は、世界にとって自分よりも何万年も確実に尊敬を奪い取る塊を見ると、気が落ち着くのだ。
特に、日の出という神々(こうごう)しい輝きの中で。
それとは反対に私はいつも不安を感じる。
彼と私の関係は何なのだろうか、と。
そして、こんな陳腐(ちんぷ)な疑問でも、彼のような力強い尊敬でも、味わいつくした愛情でも、手に入れて退屈な金銭や時間でも、人と人の間は埋められないのだ、と。
生殖行為は絶対的に孤独な人間を再生産させるだけの行為なんだろう、と。
目の前にある原発が日本を滅ぼす可能性を増大させているのだから、もしかしたら最も孤独な人間を生み出さない行為に加担しているのではないか、と思う。
原発は電力も生み出して最愛も生産しているのかもしれない、と感じるのだ。
けれど、私は原発の側に住みたくもないし働くのも真っ平だ。
彼からの深夜の電話を、じっと待っていたいから。
彼と一緒にいると引き起こってくる、発作のような疑問や思いにも飽きていないから。
そして絶望の淵(ふち)に立った時、詐欺まがいの、詐欺そのものの行為であやふやすぎる日常へと騙(だま)し戻してくれるから。
さあ、彼が涙を流しすぎて出た鼻水のために手を伸ばした。
今日は、後部座席のティッシュの音が5回以内に到着するように頑張ろう。
前回は6回だったのだから。
執筆者:藤崎 道雪 (校正H16.5.21)
赤い爪の人がいた。
「赤い」や「爪」という物質面を思い出すのは、なにもあの人が即物的なちんけな人だったからではない。
精神的に躍動(やくどう)していて素直でそれが魅力的ではあったのだけれど、他の異性へと躍動したのだった。
けれど、決して自分から連絡を断絶したいと申し出はしなかった。
あの人は本当は、怒って止めて欲しかったのかもしれない。
あの人の心の底では、止めるか突き進むかわかっていなかったのかもしれない。
そういう道筋を通らないと心の底に判断が定着しないのかもしれない。
私もそうだったから。
「いいよ。それがあなただもの」、「それが与えられた性(さが)そのものだもの」と心の中で呟(つぶや)いて、
私はあの人との距離を開かなかった。
けれども、いつかくるだろう物理的な距離が強欲に割り込んでくるのも観えてはいる。
私の中にある「美的な倫理観」が真っ青な小さな棘(とげ)となって胸に残っているからだ。
洗い流せない青い棘から目を背(そむ)けるように、
真っ赤なテールランプの煌(きらめ)きを吸収するような夜空を見上げる。
弾力があって日焼けできないもち肌を恋しいという肉感でもいい。
ちょっと大きな瞳(ひとみ)が細くなり、無くなってしまうほどの笑顔でもいい。
私は異性にもてているんだ、という恋に恋するナルシズムでもいい。
仲間内や家族に対する世間体やストレス解消というそんなものでもいいのだ。
そんなお手軽な、口腔(こうくう)にふわっと香りが広がるコンソメスープたちの内へ、
私の凍りついた青い棘を溶かしださせればいいのだけれど。
けれど、色彩も心彩(しんさい)も心の底では即物的でしかない。
注記;「心彩(:しんさい)」は造語。「心の彩(いろど)り」というそのままの意味で、「心の、多様性や情感の豊かさや躍動感」を指す。
執筆者:藤崎 道雪
灰色のゴムとプラスチックの合いの子のような電車の床
無数の人が踏みつけ、荷物を置き、汚物に雨に、時に雪に見(まみ)える灰色の床
その床につく数えられない大小様々なキズ
誰かがつけた生の証しでもある大小様々なキズ
キズをつけた人が自分だとは気づかないキズ達
彼らをつけた人々の何人の人が、自らの生を謳歌(おうか)しているのだろうか
彼らをつけた人々の何人の人が、すでに自らの生を閉じているのだろうか
顧みられないまま、次の世代へ受け継がれないまま、電車の床についたキズたちは産業廃棄物となっていく
この世に生を享けて、キズをつけたいと願った私の生と、彼らと何処が違うというのだろうか
執筆者:藤崎 道雪
『空の極み』
道雪
腕に感じるざわめき。
心に感じる恋のざわめきのように強くはない。だからこそもどかしくて、じらされて、じらされてくすぐられているようだ。
小指の下がPCに触れたり、台所の銀色のステンレスを撫でたりするだけでも、移ってくるざわめき。
体調の悪い時に、肉体が出してくるサイン。
なにかに沈んでいたいのに、くすぐって上がってくる。
普段は、思考に、恋愛に、本に、バラードに、そしてそれらを捉えているという自意識の波に揺られて静かに、奥深くに沈んでいる。
視界は極端に狭くなり、目線は低くなっていく。
もし、靴下を履かないとざわめきが移ってくるから、靴下に感謝を感じてしまう。
その内に靴下では防げなくなって、布団に感謝するようになるだろう。
冬になると、繰り返される感謝行だ。
冬になると、思い出す人がいる。
今でも彼女に対して、感謝を時々する。
風のように、清楚だった人だ。イメージとしては、冬の青々とした空を曇りガラスから眺めたような物悲しさと不透明さを、それでいて受ける印象が正六面体であったと記憶している。彼女自身、3つの面をなんとか心の中で統一しようとしていたのだろう、と思いだされる。彼女の中での要素が互いにぶつかり合い統一される前の荒々しさを、持っていたのだろう。
20歳と18歳の時に出会った。
どこかのサークルがやっていたダンパのようなものだったと思う。
その後、一回しかダンパに行っていないはずだから、特に印象は強かった。
やぼったい赤いふわふわのセーターにタイトなミニスカート、胸までのストレートヘアは、トリートメントという言葉を知らなかった。上がるにつれて徐々に太くなる腿には、タイトなミニスカートは似合わなかったし、目が大きく口も大きくて歯並びの悪い緑川登美子には、ふわふわのセーターは似合わなかった。全体が田舎もの丸出しで、笑顔が可愛かったから、まあしょうがない、まだ磨かれていないんだ、という気持ちにさせた。
男ども4人は、なんだかんだ言っても純粋な東京育ちは1人もいなかったし、ダンパに来たら、「どんなブスでも良いから彼女にする」などと意気を巻いていたモテナイ男達だったのだ。それでも、ちょっと「優位だぞ」と感じるやいなや、相手に対して厳しい要求をしてしまう。登美子に対してもそうやってのぞんだ。
「こんにちは、初めまして。緑川です。」
「こんにちは、…
ところで、どこから来たの?」
「え? えーと、代々木上原です」
「(一同爆笑) いや、そうじゃなくて出身地だよ。」
「あ…山形県です」
「へー、山形のどこなの?」
などと会話は続いていって、山形県の名産とかそういう地元ねたになる。こうやって交わされる東京での自己紹介のやり方。大体の地方の順位とかがあって、それがその人の順位になったりする。それでしか相手を判断できない受験戦争で偏差値しか知らない我々が探り当てる人間峻別の基準。
登美子は、ちゃんとそういうものを感じ取ってはいたものの、出身大学が良かったのか、気さくに話しかけてきた。2人組みだった友達は、なんとかといって視線がえろかったのでそっちに男3人は群がっていった。自動的に二人になって、母方の実家が秋田だとかそういう話で、時間がつぶれていった。
彼女はダンパに憧れていたせいか、目が潤んでいて盛りあがっているようだった。また、それを見て「似合わねーなー」などと格好つけていたのだが、太腿が気になってしまったし、それに地元も近いし、へたなことは出来ないな、と思ってホテルに誘わず、電話番号を聞いた。前日は、絶対すぐに田舎娘を捉まえてラブホになんて考えていたのだが、意気地なしだから、いつも挫折する。これで何度、男の無念をしたことだろうか。というか、一度もそんなことはした事がなかった。エロ本とかファッション雑誌の白黒ページとかにある記事を読んで、「自分も!自分も!」と思っていただけだ。顔も出身大学も性格も平凡なやつに、渋谷の町を歩いたくらいで声を掛けてきてくれる人なんて1人もいなかったのだ。それでも、どこかでは、「もしかしたら、偶然に、たまたま…可愛い子と知り合えるかも知れない…」と思ったりする。それと同じ事だった。
正直言って、彼女らしい彼女も大学に入っていなかったし、「どんな子でもいい」と思っていたのを思い出して、電話番号を聞いた。
潤んでいた目が一瞬下を向いてもぞもぞしていたが、手帳を切り取った切れ端に大きく丸文字で書いてくれた。多分、この子は俺が教えなくても聞かないだろうと思ったけれど、電話番号を聞いて照れた動作が愛らしかったので、もう1つの切れ端に自分の電話番号を書いた。
横を見ると、まだ、3対1で馬鹿笑いをやっている。もう本命は明らかなのに、それに気がつかないのかどうなのか分からないが、地元の名産品の解説にオヤジギャグを付けて笑いをとっていた。愛想笑いをしながら本命君によりかかったりしたので、とみこの友達とは思えなかった。どうでも良いと思ったが、もう帰りたかった。ボロをとみこに見せたくなかったからだ。彼女はまだ、東京での初めてのダンパだけで、目を潤ませていたかだ。本当はそんな資格がないと思うが、錯覚を通して俺を見ているフシがあった。東京人の資格は、住む住人の1割も持っていないと思う。ファッション雑誌にある一万前後のシャツやジーンズ、2万前後の靴にフリース、4,5万はするコート、それに大学生には手が出せない車、スキーウエァ一式、広いマンションの一室などである。ファッションへの知識やスポーツなどもこなせること、後は容姿端麗にして高等な大学の学歴もお持ちの方々などは、1割にも満たないかもしれない。
そういった話題を今日はしたくなかった。これ以上する話題がない自分としては、どこのラーメン屋がうまいとかしか残っていなかった気がする。とにかく帰りたかった。丁度朝の5時になり、始発も出る頃だった。
ただ、先に帰ったら残りの3人に茶化されるのは目に見えていた。それも嫌だった。
とみこは、なんであんな友達と仲がいいのだろうか、最初に思った疑問を考えたりした。いまだに何某の良い所は見当たらない。ダンパが2人をくっつけたのだろうか。とみこはただ、黙って微笑んで彼女を見ていた。東北人らしい粘りっけが、心に染み入っていた瞬間だった。
それ以後、当たり前というか、型どおりに電話数回して、デートして、家にいって、という手順を踏んでいった。最初はぼやけていたが、彼女が抱えていた3つの要素は徐々にハッキリしてきて、見えるようになっていった。彼女の女子高校時代の写真や先生との関係、友人との付き合い方や、交際歴がないこと、家族の話はしないことなどから、彼女を知っていって、好きになっていった。三ヶ月も経つと、仲間からのやっかみもなくなった。もう次のダンパの話をしたりしていた。何某君と本命君は数回のラブホデートで終わったそうだ。とみこからも何某の話は聞かなくなった。
それから、10年が経った。
彼女との連絡はもう5年もとっていない。大学にいた時の住所が最後だから、もう連絡は取れないだろう。今は結婚2年目であるが、時々、彼女のことを思い出す。
膜があるのだ。
薄い甘い膜がある。手を伸ばして届く距離にはなくて、それでいて視界の切れ間にある膜。その膜が閉息感を感じさせる。
同棲してすぐに結婚した。子どもはいないし、今の所作る気もない。「作る」と言うのは傲慢なので「産ませてもらう」にしようなどと考えていて、2人で話し合ったりする。
どこか、守りに入っていたり、なんというか、自分の全て、思ったことや甘えを受けてくれるからこそ、緊張感が欠けてしまった現在。現在、家庭のためという世間的に通る大義名分で自分を、放り投げていた時にはない緊迫感を失ってしまったのだろう。仕事は残業が多いが順調だし、夫婦間で会話もある。世間的な基準では測れない自分の中にある切迫感の基準を満たしていないのだろう。
まとわりつくピンクの膜は、そういった心理的なものが何となく感じさせる結果だろう。登美子は、ちょっと曲がった性的出会いをしていた。年上にいたずらされていたのだ。それが何某との橋渡しになったのかもしれない。しかし、最初が正常に、一般的に済むと本来もっている軌道に修整されたようである。橋がなくなって、友人関係は切れたようで、俺への音は連れてこなくなったのだ。
本来持っている東北人としての粘性を、太宰が「津軽」で述べたような恥ずかしがりの気質を、発揮していった。それと同時に冬の空に感じる物悲しさも強くなっていった。とみこは自己主張というものが極度に少なかった。部屋を見ていると、スティングやエレクトーンを好きな事が分かる。壁紙が白くて、家具が茶色に統一されているのも彼女なりのこだわりなのだと思う。しかし、そういったものを押し付けてくる事はなかった。いやもっと言うのならば、言葉に出さなかっただけでなく、態度にすら出さず、感づかせることすらなかった。まるで自分を殺して、殺している自分すらも殺しているようだった。殺されて苦しみのもがきも感じさせなかった。そういう物悲しさ、やませのようなむずがゆい不安を感じさせた。
ふと、新宿渋谷などの一般的なデートをする時でも、「見たいものはない?」と聞いたり、また、さらに家具のコーナーや、CD売り場に連れていっても、後ろについて来るだけだった。精神的にもそういう感じだった。
自分の意志を消しているような、物悲しさを感じた。
キムチが、嫌いだったのもうなずけるなぁ、と今では思う。キムチを食べて血流が速くなり「カッカ」して自己主張をするのとは、対蹠点にあった登美子だった。
その後、幾人かと付き合ったが、皆やはり「自分が可愛い」という甘さを持っていた。付き合いだして慣れるに連れて自己主張が全面に出してくるのを考え合わせると、キムチの甘辛さに近いと思う。女性が好んで食べるケーキの甘さは、同性が感じる甘さであって、異性が感じる甘さはキムチの甘辛さに近い、と感じる。トローリと舌に甘いのではなく、甘さの裏に濃厚で情熱が隠されていて、それでいて時として、ピリリと嫉妬の刺を指したり、独占欲を発揮したりする。
そうやって何回も甘辛さを経験すると中毒になっていくのだ。
どれほどキムチ度が高いか、その後の女性の評価基準だった。登美子はまったく異質の人だった。
確かに、妻はなくてはならない人になっている、キムチ的に言うと。しかし、キムチでない関係というのも、もしかしたら異性関係には存在するのかもしれない。2人がなんで別れたかは忘れてしまった。若いからこそ異質な関係を保てたのかもしれないし、一緒にいる時間が短かったせいかも知れない。別れた原因を忘れてしまった今では、何も断定出来ない。とみこを思い出すのは、非日常への逃避かもしれないし、ぶっちゃけて言ってないものねだりかもしれない。人間の飽くなき欲求ゆえに生み出される想像の産物かもしれない。
最近、よく登美子を思い出す。
幸せであって欲しいとかは、まったく思わない。幸せにしたいとかもまったく思わない。多分、2人でいれば、薄い膜は、幸せな時に出来る薄いピンクの膜が張る事はないだろう。それだけは確信する。しかし、それ以上の事を予測するのは難しい。予測が出来ないからこそ、人生本来が持っている意志の強さを常に要求されて、冬に滝に打たれるようにはっきりと進んでいくだろう。
晩秋の青々とした空へ、ざわめきにせかされている。
了
平成12年11月22日 小雪の日に
校正平成15年10月30日 秋晴れの日に
執筆者:藤崎 道雪