2007年08月23日(木) |
三島由紀夫『天人五衰 豊饒の海(四)』 |
ついについに、豊饒の海の完結です。 そして、三島文学の最終幕です。
そのことを考えながら読むと、本当に何重にも意味づけられ、意図された表現の数々で、私は感慨ひとしおです。
じつは、もうとっくのとおにこの作品は読み終えていたのですが、思いあふれて言葉足らず、ここに記すことができずにいました。
でも、やっぱり言葉として残しておきたいと思って、この夏、読み返してみました。 そして、あらためて、最後を飾るのにふさわしい作品であることを再確認しました。
三島由紀夫は、人間の世の中のありとあらゆるものの真実の姿を、書くということで明るみに出してきた人だと私は思います。 個人が、心の奥底で一人ながらこっそりと感じていたある感情を、慣習と必要から出発した欺瞞に満ちた社会の機構を、白い紙の上にあられもなく黒々 と書きつけ、衆目のものとしてしまったのです。
『天人五衰』に描かれる、人間の老いの姿は、容赦なくグロテスクで、しかも哀愁と矜持に満ちています。 人は、成長し、力が強くなり、知識を得ていく右肩上がりの曲線の先にある臨界点や、その後の急墜、次の世代への権力の譲渡について、考えようとしません。 しかし、この老いという不可避の帰結を知ることは、人間を知るため、生きていくために、やはり不可避であるという気がします。 あんなに美にこだわってきた三島由紀夫が、最後の作品において、人間にとってもっとも身近で、美しくも芸術的でもない、一人の人間の老いを描いた、ということは、非常に大きな意味があると思います。
天才と英才の対比というのも、本当に三島ならではの視点でした。 この豊饒の海は、天才という選ばれた人間の、あふれる生の輝きと、運命によってはかなく消えるこの世での命と、天才の生と死の連なりを冷静に観察する英才の人生が対照的に描かれました。
輪廻を負って登場した透は、天才であることを願いました。 同様に本多も天才であることに憧れてはいましたが、運命の観察者である自分の最後の仕事を自負していました。
聡子に会うこと。 それは、すべての始まりであり、すべてを終わらせることを意味していました。 本多は生の意味を、輪廻の本態を、すべてを知りたいと願ったのでした。 そして、聡子の口から告げられた言葉は・・・・・。 人智を凌駕している、としか言えない、意表をつくものでした。 これまでの年月は、人間の生とはなんなのか、すべてが覆される一言でした。
そして、この一言が本当の三島由紀夫らしさを如実にあらわしていると思います。 彼の死に方は、彼という人間に、人々にとってわかりやすい肩書きをつけることになりました。 でも、三島由紀夫にとって、あの死に方には、ほとんど意味などなかったということが、豊饒の海を読むことでわかります。
三島由紀夫は、天才に憧れたのです。 自分が英才であると卑下しながらも、どうしようもなく天才に憧れたのです。 もちろん、天才だ、英才だということすら、この世においてそんなにたいした意味は持たないということすら理解しながら・・・。
私は、三島由紀夫は、天才でありながら、英才であったと思います。 そして、なによりも、人の世のことを知り尽くしながら、自分を世知によって護ることができなかった、しようとしなかった、不器用な人なんだと思います。
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