2006年02月24日(金) |
石持浅海『扉は閉ざされたまま』 |
不思議な静かさと緊張感ともどかしさで一気に読ませるミステリーです。
大学の同窓会でメンバーを殺した伏見。 殺害シーンははじめに描かれているので、読んでいる私は伏見の視点でいかにしてこの殺人を事故死として成立させるかを見守っていきます。 ところが物語は本当に静かに進んでいきます。 死体が発見されないから。 そこに集まった4人は残りの1人が扉の向こうで死んでいることも知らずに酒を飲み続けます。 周到に殺人は遂行され、すべては伏見のシミュレーションのとおり、ただ一つ、彼女の存在を除いて。 彼女は明晰な頭脳で、状況の不自然さを見抜き、じわりじわりと伏見につめよります。
も〜う、どこまで知られているのか、まだ逃げ切る余地はあるのか、すごいやきもきしました。 むしろ、「この女さえいなければ」的な苛立ちで読み進めたのですが、最後には思ってもみない、それでいてすごく自然で納得のいく大団円なので一気にストレス解消です。 いいじゃんいいじゃーん。
ただ一つ、殺人の動機にはちょっと納得いかなかったなー。 そんな理由じゃ人を殺さないでしょ。
2006年02月17日(金) |
石田衣良『スローグッバイ』 |
「誰とも会わずに終わった日曜日の夜は、ひどく静かで淋しかった。人類滅亡のあとに生き残ったひとりぼっちの人間になった気がする。黒須瑞樹は電子レンジであたためたタイ風チキンソテーとチャーハンのの残りを、キッチンのゴミ袋に落とした。甘くて酸っぱいだけで、どこがタイ風なのかわからない味だった。おまけにチャーハンにはパイナップルとレーズンが入っている。便利なのは一枚のトレーでたべられるのと、ピッチャーゴロをとったピッチャーが一塁手にトスするように、手首の一ひねりで簡単に片づけられるところだけだった。。スリーアウト、チェンジ。あとは何も残らない。瑞樹の休日を締めくくるにふさわしい食事だ。カロリーはあるのだろうが滋養はなく、味はするようだが香りはしない。自分の生活と同じだった。生きているけど、ほんとうは生きていない。」
上手ですねー。 共感しちゃいます。
軽く読めて楽しいハッピーエンドの恋愛小説短編集です。 休日のお風呂で読むのにうってつけ。 筆者は控えめに書いているけれど、きっととてももてる人だろうし、都会の恋愛事情に精通した人なんだろうなあというのが感じられました。 なので、この短編の数々は、自分の味わうことのないちょっとしたファンタジックな夢物語として面白い。 そして、冒頭のような共感を呼ぶ描写がはさまれているから私の現実ともまったく乖離するということもなく、いい距離感です。
一番気に入ったのは「フリフリ」 「前回までの見あいはことごとく失敗に終わっている。こちらに女の子とつきあう気がないのだからしかたなかった。だいたい今の世のなか、ロマンチックな恋愛や偶然の出会い、ついでに性的なパートナーシップなんかが、あまりにも過大評価されすぎている。いつでも誰かとつきあって恋をしていなければ、男性(女性)失格だなんて思いこみは、生き方を狭くするだけではないだろうか。」
という男性が、友だちに付き合いで紹介された女性と、これ以上紹介されないために付き合う「フリ」を始めるのですが・・・。 好きになるまでの過程が自然でいいなあと思いました。
2006年02月15日(水) |
阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』 |
軽いんだけど、重みがあって、真面目腐っていながら脱力感があって、おされだね。 都会の今の空気感がすごく乾いた感じでカッコいい! (渋谷がどんなとこかはよく知らんいなかっぺなのですが、そうぞうの渋谷にジャストフィット☆)
日記形式の一人称でつづられていくある若い男の日常なんだけど、どこにでもいるような若者のありふれた日常である風を装ってはいるけれど、読み進めるほどにどんどん謎に引き込まれていく感じがして、夢中になってしまいました。 これは、文句なく面白い。 極限まで玄人くささを消して、若い世代の素の文体を装っているからだまされそうになるけど、これは確信犯だね。 ものすごく計算しながら狂気やチープなアンダーグラウンドの世界を描き出しています。
そして、読み終わってもなお謎を残す深みのある作品です。 作者の作品では初めて読んだんだけど、断然興味持っちゃった。 又他の作品読んでみよっと。
「オヌマさん、また慎重にやれっていいたいんですか?おれに」 ようやく言葉を発したものの、彼は依然ぼくと顔をあわせようとはしなかった。 「何だおまえ、おれに指図するなって感じの顔だな」 「べつにそういうわけじゃあないですよ」 「ふて腐れるなよ、おい、冗談も通じないのか?そんなんでよくいままで生きてこられたな、運が強いよ、おまえ」 「・・・・・・自分のほうが年上だからってあんまりなめるなよ」 ここでヒラサワは僕の顔へ視線をむけた。どうやら腹を決めたらしい。 「ああ、悪かったな、気に障ったのなら謝るよ。おまえを怒らせたくていったわけじゃあない」 ぼくが素直に謝るのを見て数秒間視線をはずし、ヒラサワは表情をやや軟化させた。わかればいいんだ、とでもいいたげだった。 「いいですよ、べつに。ただちょっと気分が悪くなっただけだから」 「ほう、そうか。鈍感なやつでも気分が悪くなるのか、大したもんだな、小僧」 咄嗟にヒラサワの眼つきが険しくなり、ぼくのほうへ顔を近づけてきた彼は椅子から腰を少し浮かしているようだった。だが次の行動を決めかねており、ぼくの出方を待っている。ぼくは彼の肩を右手でつかみ、再び態度を変えてこのように述べた。 「まあ慌てるな、おちつけよ、いまのも冗談だ」 ヒラサワが、ふざけんなよ1と怒鳴りかけたのを遮り、僕は言葉をつづけた。
私の知らない世界だ〜
2006年02月04日(土) |
人生のボーナストラック |
車の運転中、携帯電話が鳴りました。 「もしもし」 聞こえてきたのは予期せぬ声。 あの人の番号はもうアドレスから削除してあったのでとても驚きました。
OB杯を前に、練習するならばやろう、という電話でした。 「いいよー。やれるならばやろうよ」 私は気のいい女友達の声で告げました。
久しぶりに思いがけずあの人に会うことになりました。 何よりも気がかりなのは自分があの人の目にどんな風に映るかということでした。
人は自信がないものほどよく見せかけたいもんなんですね。 私は、以前あの人のことを好きでいた頃に比べて、ずいぶん人生というものに冷めた気持ちしか抱けなくなってしまって、それを私の見た目から気取られるのが嫌なのです。 私はあのころと同じように、夢見がちで、あの人がいなくっても毎日を楽しんでいると思わせたかったのです。 果たしてその願いがかなったのかは知る由もないのですが、それでも、あの人はあいかわらずのやわらかな空気で、私はとても楽しい時間を過ごしました。
だけど、二人は気の合う友達。 まがうことなく友達同士です。 私もようやくこの関係を自然に受け入れることが出来るようになりました。 この心境に至るまでにずいぶんと時間がかかってしまいました。
あの人を諦めなければならないという現実をどうしても受け入れたくなくて、ずいぶんと駄々をこねてしまったのは、私があの人を好きでいた数年間が本当に豊かで幸せな時間だったから。 あの人なしの現実がどれほどか味気ないものか、想像に難くなかったから悪あがきをしてしまったのだけど、今になってようやくわかりました。 あの人を好きになったあの数年間は私の人生のボーナストラックだったのだと。
ボーナストラックが終わったあとの自分の人生が味気なく、つまらないものなのは、あの人のせいでもなんでもなく、ただ、私の人生がそういうものだというそれだけなんです。 つかの間であっても、本当に楽しく幸せだったときをもたらしてくれたあの人に、今ようやく100%感謝できるようになってきました。
2006年02月01日(水) |
三島由紀夫『暁の寺 豊饒の海(三)』 |
さあ、次はどんな三島由紀夫が出てくるのかなあ、と、わくわくして読んでいきました。
始まりの舞台はタイ。 本多は五十に近づいていた。弁護士としてある商社の訴訟の弁護のためにやってきていた。 そこで「自分はタイ王室の姫君ではない、日本人の生まれかわりだ」という王女の噂を聞き、謁見を願い出た。 気が狂っていると幽閉同然で姫は薔薇宮に住んでいた。 そして、翻訳兼、護衛兼、監視役の3人の女官を振り切って、本多のズボンの膝にすがりついた幼い姫はこう叫びます。
「本多先生!本多先生!何というお懐しい!私はあんなにお世話になりながら、黙って死んだお詫びを申し上げたいと、足かけ八年というもの、今日の再会を待ちこがれてきました。こんな姫の姿をしているけれども、実は私は日本人だ。前世は日本で過ごしたから、日本こそ私の故郷だ。どうか本多先生、私を日本へ連れて帰ってください」 なんと、ジン・ジャン姫、前世の記憶を持っている!?
「ずっと南だ。ずっと暑い・・・・…南の国の薔薇の光の中で。……」という死の前の勲の言葉の通りに、本多はまた出会い、輪廻の物語が始まるのです。 どうする、どうなる!?
…だけど、意外と本多先生冷静なんです。 本多について「一緒に日本へ帰る」と言う王女を振り切って、すんなり日本に帰って今まで通りの生活に戻ってしまうのです。 えー。 がっかり。
しかし、時は流れ再び二人は日本で出会います。 そして、思わぬ方向へ話は流れていきます。 それまで輪廻の歴史の静かで正確な目撃者、記録者として読者を導いてきた本多が、思わぬ乱調をきたします。 起・承・転・結の転をみごとに表します。
そうです、今度は三島由紀夫のあの一面、『仮面の告白』『鍵のかかる部屋』『女神』『美徳のよろめき』『音楽』の世界です。 この変態チックな世界を、理知的で論理と客観の権化として描いてきた本多の中に見ることになるとは・・・本当に驚くやら、呆れるやら。 すごいよ。いろんな意味で。 お風呂で一気に読み終えてしまった。 う〜ん、「結」に向けて動き出している感じがものすごくします。 これはうれしいというよりも、読み終えてしまう寂しさのほうが先立つ感情です。
『豊饒の海』はこれまでの三島作品を習作として、三島文学のすべてを体現している作品なんだと確信してきました。 そして、周到に構成されたこの四部作によって、きっと三島文学は現しつくされ、完結してしまうのです。 それがとてつもなくさびしい。 ・・・やっぱりまだ読むべきではなかったか・・・・だけど本当に面白くて、読んでよかったとも思うのです。
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