きよこの日記

2005年02月14日(月) 『THE JUON』

男の人にとって、すっごく気になる日なんだねえ。
バレンタインデー。

しかしながら「チョコ100個もらえるかなっ」
と、浮かれる男の先生を見て初めて気がついた私は、女としていかがなものか。

そんな私のバレンタインデー。
放課後、友達に誘われて、『JUON』を観にいってきました。

まったく容赦ない映画でごわした。

オープニングから出る人出る人惨劇に巻き込まれて逝ってしまい、いったいこの映画の主人公はいつ出てくるのーー!!

やばい音がしだしたら、私は顔を覆って指の間からこっそり覗いておりました。
近づいてきたかな?
まだかな?
やだやだ、もうたえられない!
怖すぎる!
・・・・キターーー!!!!!

って感じ。
とりあえず、見終わったときは放心状態。

月曜の夜に見たにもかかわらず、すっきりと仕事のことを忘れることができました。



2005年02月05日(土) らぶりー♪

ラブリーアイテムを発見。

http://www.hori.ne.jp/dqsc/

「ぼく、わるいスライムじゃないよ。
 コントローラーだよ。」

なに?
それはまことか?

ほ、ほすぃ〜!

ラバーでむにゅむにゅな手触りだったら、ど、どうしよう。
孤独なゲーマーライフもほんわかなごみムードにごまかされちゃうかも。



2005年02月03日(木) Yoshi『もっと、生きたい・・・』

『Deep Love』の作者Yoshiが同時期にやはりケータイで連載していた作品だそうです。

生徒が持ってきてくれて借りたのですが、
「ちょっとえぐかったりするよ」
「ちょー怖かったー」
などという前評判。
  
自分では絶対手に取らないタイプの本なのですが、それも、紹介してもらって本を読む醍醐味です。

さて、読み始めてみると、どんどんと物語りは進んで、ぐいぐいと読ませます。
流れに身を任せてトリップしているような感じだけど、でも、読んでいる自分の感情とかをすごく冷静に見つめている自分の存在が確実にあって、本当に本の世界にはまり込んだ状態にはなれませんでした。
だから、えぐい表現も、グロイ描写も、身に迫る感じはなく、本の中の作り事の世界で起こっているフィクションの出来事という感じ。
ふーん。と。

でも、Yoshi作品がものすごく若者に受け入れられるのは、そこにきっと彼女たちのリアリティがあるからなのでしょう。

携帯電話であるメールを見ると、体の一部が切断される。
あるホームページにアクセスすると人格が豹変して人殺しをしてしまう。

などなど、荒唐無稽とも思えるような出来事の中、どこか現実の断片が重なる部分があるのでしょう。
だから恐怖し、おののき、共感し、人に勧めるのでしょう。

うちの中学校でも多くの子がYoshi作品を読んでいます。
私はこの本を読んで、この物語にリアリティを感じている子が多くいるということの意味を考えさせられました。



2005年02月02日(水) 「上」とか「下」とかいうこと

(今日の日記には誹謗中傷する表現や、不快な表現が含まれています。日常生活だけでもストレスフルという方は、読まれないことをおすすめします。)

給食を食べているときに、ある先生に聞かれた。
「5時間目は空いてる?」
「いえ、授業ですけど…」
「じゃあ、昼休みは?」
「空いてますよ。」
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど…。」
「なんですか?」
「5時間目の道徳で、読み物資料を使いたいんだけど、コピーの途中で、印刷しといて欲しいんだけど」

絶句…!
何で私がそんなことしなきゃなんないの???
の思いが渦巻く。
「銀行に行かなきゃいけない用があってさ」

自分の授業の準備は自分でしなさいよねー。
なんで昨日のうちにやっとかないの?
できないんだったらその授業あきらめて、自分で他のどうにかなる教材考えてよね!
こんな直前に人に押し付けるなんて、非常識にもほどがある。

と、はげしく心の中で毒づきつつも、「昼休みは空いている」と言ってしまった手前断れない自分の気弱さがうらめしい。

そして、給食終了後、職員室に戻って絶句ふたたび!!
B5サイズコピーがわらわらわら私の机上に置いてある。
「え?先生、何枚になるんですか?」
「いっぱい」

てめー!!
一時間で道徳で伝えられるのがどれほどのものか、よく考えろよ!
こんな山ほどの資料、中1の彼らに消化できるわけないじゃないの。
しかも、私が読んだって内容があるようなないような曖昧模糊とした文章。
一体何がしたいんだよ…。

どうも、この先生、私を使用人か何かと勘違いしてらっしゃる。
私は、もとより上からものを言われると激しく反発を感じる性質だし、その上、心から尊敬できないこの先生にこき使われるなんて、本当に心外もはなはだしい。

教師の世界は上とか下とかないはずだと思っていた。
年功序列などなく、それぞれの性別、世代にそれぞれの持ち味と強みがあるって思っていた。

それでも、この先生には最初っから「下」に扱われている、という思いがぬぐえずにいる。
色画用紙を買っておいて、とか、ビニール袋を買っておいて、とか、普通の先生だったら自分でやるようなことを私に当然のそぶりで頼んでくるのだ。

しかし、本題はここから。
誰かを下に見るということは、人というものを「上」とか「下」で格付けしているということだ。
当然、その先生にとって「上」とみなされる先生がいる。
その先生に対する態度は、私から言わせると、“迎合”“追従”“盲信”
上の先生が言うことはすべて正しいのだそうだ。

いつか、私が心配だと言ったK君について、その時は
「あいつは絶対に崩れないって俺は思っている」
って言っていたのに、上の先生が
「K、最近様子が変だから、気をつけたほうがいい」
って言ったら、目の色かえて指導に入った。

判断の基準が主観なんだよ。
そういうことがあるにつけ、とっても絶望してしまう。
そして、この職員室にはこの先生以外にもそういう先生が多い。

物事の核心に迫る話しができない。
すべてはうわっつら。
適当に教育書にのっているような用語をわかった顔で並べ立ててみたり、自分の手柄を吹聴してまわったり、大きな声で文句を言ったりすること、そういうことが大事なんだって。

「人が見ている所で善行を行うな(善行は人に知られるためにやるものではないから、本当のよい行いと言うものは人の見ていない所で行われるものだ)」と教えこまれてきた私にとってはまったくもって、異次元ワールド。



2005年02月01日(火) 平行線

「きよこさん、寝癖はねてる」
「え?これは寝癖じゃないよ。
さっきお風呂はいってきて、寝てないんだから、寝癖がつくはずがない。
だから、これは寝癖ではないの。気のせいだよ。」

と、まあ、こんなのはいつもの軽口なので、私も相手もそんな深い意味もなくやりとりしていたのです。ここまでは…。

「それ、パジャマ?」

「なにいってるの。れっきとしたトレーナーだよ。パジャマじゃないから」

「卓球するときは、ちゃんと上下ジャージで合わせようとか、そういうの気にしないの?」
「私、上下ジャージって好きじゃないの。」


「でも、トレーナーだと、脱ぎ着するときに頭を通さなきゃいけないから、そうやって寝癖がついちゃうでしょ。」
「いいの。卓球するときにそんなことたいして重要じゃないから」

「じゃあ、ほかにもっと大切なものがあるの?」
「あるよ!」
「でも、それじゃあ子どもができたときに「きれいなお母さんがいい」って言われちゃうよ」
「あのねえ……」


ああ、もう!
レッドゾーンに侵入されて大いに憤慨。

こういうのって、不毛なやり取りだ。
人の価値観にとやかくいうのは趣味じゃないから、私と異なる価値観の持ち主とだって協調路線でやっていきたい。
だけど、私の価値観に対して批判してくるというなら話しは別だよ。
それが、私の主張の背景まで理解されていると思えない人に、軽々しく否定されるとなると憎悪の念すら禁じ得ない。

あなたに私の何がわかるっていうの!?

自分でもちゃんとした身なりでいるべきだ、って思っているようなTPOで、私がだらしない格好をしているならば、この人の意見ももっともだ、と聞きいれるだろうし、大いに恥じ入り意見してくれたことに感謝すると思うんだけど、この場合はそうじゃないんですよ。
むしろ、見た目にこだわらずに卓球に打ち込んでる自分を楽しんでるような場面で、そんなこと言われても、「邪魔すんな」ぐらいの気持ち。

平行線なんですよ。
お互いの主義がどこまで行っても交わりを持たない平行線。
そういう者同士が干渉しあうのって不毛だからやめようよ。


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