きよこの日記

2004年04月30日(金) つかれ涙ふたたび

給水所直前で失速、リタイヤ、という感じ。
新学期が始まって、予想通りの緊張と過労の4月でした。
それを自覚しながらも、かろうじて走ってきました。
明日からのG・Wの連休で一休みして仕切りなおすことを望みの綱にして。

今日は参観日。
そして、PTA総会。
その後は保護者も招いての歓送迎会。
つつがなく済みました。

そして二次会で先生方だけで行ったお寿司屋さん。
口は災いの元。
私の先輩の先生に対する批判的な言葉を他の先生にとがめられてしまいました。
そうなった以上は、私は自分の言葉に責任をもたなければならない、と思って、私の考えを言いました。

互いに一歩もひかず、二次会の場が水を打ったような静けさに。
そして、意に反して私の目からは勝手に涙があふれていました。

疲れきってしまったとき、緊張の糸がぷちんと切れてしまうと涙がとめどなく流れてしまうのです。
悔しいとか、悲しいとかそういうことで感情的になったわけではないのです。
むしろ、冷静に議論したいのですから、こんなタイミングで泣いてしまうことは、自分の幼稚さでごまかしているみたいですごく遺憾です。

でも、涙は次から次から流れてきて、泣きながらの議論になってしまいました。

きっとあの先生は連休明け「飲んでいたからよく覚えていないんだけど、ごめんね」と忘れたふりでなかったことにするだろう。

私は「私のほうこそ今まで至らないことだらけだったということに気づかずてすいませんでした。これからも間違えていることがありましたらどうぞ教えてください。」と言うだろう。



2004年04月15日(木) ガルシア・マルケス『百年の孤独』

「長い歳月が流れ銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレリャノ・ブエンディア大差は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したにちがいない。」
表紙をめくり、ブエンディア一族の家系図が示されて、上記のように百年の長い物語は始まります。
誰の視点で時間軸のどの座標に立っているかもわからない表現。
冒頭でぐっと掴んで一気に引き込む、というような文章ではないです。

なんだかよくわからないけど、とりあえず読み始めてみようかなあ、と、手探りしながら読みすすめました。
途中で読むのをやめるとしても、とりあえず、読み始めておくのが、本を薦めてくれたカトリーナに対する誠意だよね。ぐらいの気持ちで。

だから、本当に不思議です。この不可解な物語にいつの間にかひきこまれてどんどんと読みすすめていったことが。
要するにブエンデイア一族の百年の物語なんです。それが、ごく平坦に、淡々と編年的に述べられていく、ただそれだけなのですが、不思議に読んでいて苦痛じゃないんです。
むしろ、単純に面白い。
こういうの、作品の力というのかなあ。

文学的な優劣が奇抜な設定や、登場人物の魅力によって決まるのではないんだなあ、と実感。


この長大な作品を私はどのように評していいのか言葉を持たなかったのですが、カトリーナがヒントを教えてくれました。

この物語の鍵は「歴史は繰り返す」というところにある、と。
そう言われてみると、思い当たる節が。ブエンディア家の二つの名、アウレリャノとアルカディオ、それぞれの名を持つものにそれぞれに現れる特徴がある。
また、ところどころでちらりと、つぶやかれるフレーズに垣間見ることもあります。

「曾祖母の声に気づいた彼はドアのほうを振り向き、笑顔を作りながら、無意識のうちに昔のウルスラの言葉をくり返した。
「仕方がないさ。時がたったんだもの」
つぶやくようなその声を聞いて、ウルスラは言った。「それもそうだけど。でも、そんなにたっちゃいないよ」
答えながら彼女は、死刑囚の独房にいたアウレリャノ・ブエンディア大佐と同じ返事をしていることに気づいた。たった今口にしたとおり、時は少しも流れず、ただ堂々めぐりをしているだけであることをあらためて知り、身震いした。」

作者、ガルシア・マルケスの文体はとっても簡素で、ありのままをありのままに書き記していくスタイルなんですが、あくまで歴史を記すという体裁でありながら、突然現実にはあり得ない出来事がさしはさまれたりして、現実と非現実が混在しています。
この文体は「マジカリアリズム」と呼ばれているんですって。

カトリーナと本にまつわる話をしていて、いろいろ教えてもらったりして、こういうつっこんだ趣味の話しができる友だちっていいなあ、と思いました。
私のつたない英語では伝えられることはほんのわずかなことなんですが、それでも、すごくわかりあえている感じがします。

言葉は通じるんだけど、気持ちの通じない人のいかに多いことか。



2004年04月11日(日) 彼女が髪を切った理由

雑誌から目を上げて、少し驚いた。
10分前の私とはまるで別人。
「全然イメージが変わったねえ」会う人会う人に言われます。
「本当に。私もそう思います」

かねてからの念願の断髪です。
ばっさりと短く切ってやった。
夜職員室で残っていて、早く帰りたくてむしゃくしゃするときなど、エレファントカシマシのボーカルの人のように、わしゃわしゃーっと髪の毛をかきむしることができて痛快です。

でも、「なんで髪の毛切ったの?」と会う人会う人に聞かれて、困ります。

だって、失恋したんだもん。

こんな月並みな答えされても困るじゃん。
なので、色々適当に答えてみる。

「春だしねえ。」
「飽きたからね」
でも、どうもこんな答えじゃ、満足しないらしい。

あ、こんなのはどうだろう。
「髪型にだまされて男の人があんまりたくさん言い寄ってきて困ってたんだ」



2004年04月10日(土) Mr.Children『シフクノオト』

修学旅行に行く前日に手に入れたのですが、帰ってきてほっと一息聞くことができました。
新しい車で初めて聞くCD。
きっとしばらく変わることはないだろうから、このアルバムの曲は今の私の生活の風景と一緒になって私の心に焼き付いていくんだろうなあ。
修学旅行から帰ってきてみたら、ほころびかけだった桜が満開です。
車に差し込んでくる日差しもまぶしくなってきました。
少しだけ窓を開けて走ります。

このアルバムのなかで今一番お気に入りは「花言葉」です。

♪コスモスの咲く季節に君は〜去った〜

みたいな、季節はちょっと違うのですが、フォーク調の穏やかなメロディが、気ぜわしい毎日の中で、一時こころを和ませてくれます。



2004年04月09日(金) 花さそふ

修学旅行2日目は京都市内のタクシー見学です。
朝ごはんを食べ終えるや否や、生徒たちは先を争うようにホテルを飛び出していきました。
そして、引率職員も巡回に。
私は女の先生3人と一緒に、まずは御所へ行きました。

まったくすばらしいタイミングでちょうど春の公開だったのです。
御所のぐるりにある枝垂桜の見事なこと!ため息が出てしまうほどすばらしい。
自然でありながら芸術です。

御所の中はさらにすばらしい。
『源氏物語』や『枕草紙』などの王朝文学が生まれることができた文化を目の当たりにすることができて、ただただ感激。

特に、牛車が置いてある車寄せ(ガレージ)に時を越えてリアリティを感じました。
初めてみる牛車は想像していたよりも大きくて、高級な装飾が施されていて、この車に乗っていた人々が雅な特権階級の方々であることを実感しました。

そして、コーキー先生お勧めのイノダコーヒーへ行きブレイク。

哲学の小径の桜は散り始めで、水路にゆっくりと流れる花びらがこんな歌を思い出させました。

花さそふ 比良のやまかぜふきにけり こぎゆく舟のあとみゆるまで

京都は日本的な美しいものにあふれた土地です。見るものすべてが美しく、筆舌に尽くしがたいというのはこういうことだなあ、と思いました。あまりにもすばらしいものを目の当たりにしたとき、言葉は脆弱で、役立たずです。



2004年04月08日(木) いにしへの

なんと昨年に引き続き、今年も修学旅行の引率に行くことになりました。
今年も桜に間に合いました!
学校を出るとき、地元ではつぼみが膨らみだしたところだったのですが、奈良では満開の桜と法隆寺と雲ひとつない澄み切った青空が、本当に一枚の絵のような見事さでした。

思わず私の心の書庫の奥底から

いにしへの奈良の都のやへざくら けふここのへににほひぬるかも

という歌が浮かび上がってきたので、中沢先生に「いにしへの」と題してメールを送ってみる。

去年の修学旅行では新しい学校に入ったばっかりで本当にいっぱいいっぱいの状態でやってきたので、ほとんど見ても見ていない状態だったんだなあ、と実感。
今年もほぼ同じコースなのに、初めて目にするような新鮮さです。
奈良公園に鹿に国宝興福寺、東大寺南大門。



2004年04月04日(日) お金のつきあい

趣味で知り合いがふえていくのは楽しいことです。
仕事で出会う人や、学生時代に知り合う友人は、自然と同じ価値観、よく似た経歴の持ち主だったりしますが、共通の趣味で出会う人は職業も、年齢も、価値観もまったく多様で、とても面白いです。

同じところで何年間も暮らし、卓球の試合に出たりしていると、卓球での知り合いがとても多くなってきました。
大学時代からのつきあいのおじさんがいます。
大学のサークルの練習にきてくれて技術指導をしてくれたり、相談に乗ってもらったり。

卓球用品店を経営していてこのへん一帯では知らない人はいないくらい顔が広いおじさんです。今でも、試合に行くとよく会うのですが、最近なんだかぎくしゃくしてしまって。

「先生、どうですか?また一年生が入ってきてにぎやかになりますね。
今度ほかの学校3校ぐらいで交流試合をやりましょうよ。
一年生の道具はまとめて買うんですか?
なんなら、先生の手を煩わせないように、保護者向けのプリントの雛形もあるから、また、言ってください。」

私の猜疑心がどっかりと居座って、ひきつった顔でうわの空の返事をさせます。
「はい・・・またお願いします」

理由はわかっているんです。
私が卓球と商売をつなげたくないっていう私のわがままなんです。

新入部員がラケットなど一式をそろえるとなると、学校単位ではけっこう大きなお金になります。

技術指導に、という提案も、交流試合に誘ってくれるのも、それでつながりをつくって、卓球用品を買ってもらおうという気持ちからなのかな、と考えてしまいます。
もちろん、それだけの気持ちであんなに熱心にかかわれるはずがない、私のかんぐりすぎだってわかるのですが・・・。

私が教師じゃなければこんなこともなかったんだろうなあ、と落ち込みます。
ただ私が一人のプレーヤーでしかなかったら、おじさんとこんな営業トークをすることもなかったのにな、と思います。

さらに私を悩ませるのは、卓球用品を斡旋するこのおじさんのような知り合いが他にもいて、同じように「学校に指導に行きますよ」と言われることです。
商売がからんでなければ、諸手を上げて大歓迎なんですが・・・。

でも、生徒の立場になってみれば、技術も教えてもらえるし、卓球用品についても専門家に判断してもらうほうがいいにきまっているので、私のとるべき態度は決まっているんです。

おじさんたち業者さんと偏りなく仲良くして、愛想よく振舞って、どんどん指導に来てもらったりうまく利用して、それでいて、過剰な売り込みはやんわりと、しかしすっぱりとお断りすればいいんですよね。ふう。



2004年04月03日(土) 『ジョニー・イングリッシュ』

あのミスタービーンのローワン・アトキンソン主演のスパイ(パロディ)映画。
楽しむ気満々で選びました。

私、この方、好きなんですよねえ。
お笑い職人っていう感じがして。
日本でいう志村けんさんみたいな印象です。
とっても真面目にお笑いに取り組んでるなあ、っていう感じがいいです。

どうも最近年のせいか、へんくつになってきて、「笑えないもんは笑えねーよ」とテレビを見ていてダメだししてしまうことが多いのですが、アトキンソンさん、職人芸で私を笑かしてくれました。

惜しむらくは007のパロディがふんだんに盛り込まれているのに私は007をまったく見たことがないということでした。
そして、アトキンソンさんはハリウッド的起承転結にはそぐわないなあというのも正直なところ。

内容とは関係ないところですが・・・
「耳が慣れる、というのは本当にあるんだなあ」

カトリーナとおしゃべりするようになって、英語がものすごく聞き取れるようになってきた実感があります。
この映画も字幕を読みながらも耳で聞く英語と比べて「ああ、はしょって訳しているなあ」とか思ったりしました。
そして、アトキンソンさんの英語ってなんだかいいわあ、と思ったり。
悪役の人のフランス語っぽい音がものすごくわざとらしく入った英語が面白いなあ、と思ったり。


あんまりちゃんと見ずに終わってしまったということです。



2004年04月02日(金) 春夏仕様

麻雀で朝帰り。
お天道様はとうの昔にあがっていたけど、とりあえずお布団へ。
なんて自堕落なんでございましょう。
この前、おじいちゃんが危惧していた、まさにそういう自堕落な生活一直線でございます。

それでも、午後2時には起床。
天気がよかったので「もう遅いかな」と思いつつふとんを干しました。

新学期が始まって、ばたばた生活していたので、部屋がいつもより混乱状態。
掃除をし、同時に洗濯も。そんな風にして部屋を行ったりきたりしていたら調子が出てきたので、ついでに部屋の模様替えもしてしまった。

部屋とキッチンをしきっていたふすまを取り払ってしまって、すっきり。
オイルヒーターもしまったし、すっかり春夏仕様の部屋に生まれ変わりました♪
誰か遊びに来ないかなー。



2004年04月01日(木) 麻雀のススメ

今年学校に来た先生がたは麻雀ができる方が多くって、さっそく今日は麻雀大会。
集まりました総勢7人、点数計算ができる先生は一人だけで、私なんかは役もよくわかっていません。
保健の先生はドンジャラ経験は長いものの麻雀は初挑戦でした。
なので、私たち初心者はルールをよく知っている先生と二人で一人前でやってもらいました。

いやあ、私は今回で麻雀三回目なんだけど、少しづつ役も覚えてきて手が作れるようになってきて、ますます麻雀面白くなってきました。

だけど、つい先日、おじいちゃんから電話がかかってきたんです。
「この前、麻雀を覚えたなんていっていたけど、麻雀はやっちゃいけないぞ。
あれは、面白いかもしれんが、夜更かしして、健康に悪いし、衛生にもよくない。
もうやっちゃいけないぞ」

「うん、わかったよ。もうやらない」
なんて、一応答えたけど、でも、やめられないさー。
ほんとに面白いんだもん。

むしろ、なんで麻雀にダークなイメージがつきまとうのかが不思議でならないよ。
麻雀って、確率を推理したり、変化する状況を判断したり、ものすごく頭を使うから、頭を鍛えるのにうってつけだと思う!絶対。

だから、子どものうちに覚えてやるといいと思うんだけどなあ。小学生中学生にもやらせたい。
お金をかけるギャンブル性がいけないならば、得点の計算はするけど、お金はかけなければいいよねえ。ルールが複雑すぎるなんて心配はご無用。
子どもは子ども扱いするほどに子どもに停滞するもので、大人あつかいするほどに成長していく。ゲームや遊びのルールなんて、きっと大人が覚えるよりもよほど早く飲み込んでしまうだろうと思う。
過度な映像、音響表現で感覚刺激ばかり過剰になったテレビゲームをやるよりはよほど知的にいい刺激を与えてくれると思うけどなあ。


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