きよこの日記

2003年10月31日(金) 遠慮と水臭さ

「いいからいいから!」
と言われて、???となることありませんか?

たとえば、お饅頭の最後の一個を、ぽんと手渡されて、
「若いんだから、もう一個たべて、いいからいいから!」

こういうとき、ちょっと、困ってしまう。
「え?そんな、いいですよ。私もうたくさん食べちゃったし」
と辞退して
「いいからいいから!」
と、押し問答になってしまいます。

こういうのって、どう対処したらいいんだろう?っていつも悩んでしまいます。
本音を言うと、お饅頭好きですから、そりゃあ、もらえるならば、何個だってうれしいっす。
だけど、もし「いいからいいから!」と言う人が、遠慮して私に勧めてくれているのだったら、ちょっと、悪い気がします。

でも、あんまり、意固地になって断るのも、せっかくの好意を無駄にすることになるかもしれないから・・・・なんて、考え出すときりがないです。

最近の私は、食べ物ぐらいだったら、「え?そうっすか?じゃ、お言葉に甘えていただきます♪」
ぐらいのノリで受けるようにしていますが、お金となると、どうなんでしょう?

おばあちゃんとご飯を食べに行ってお会計、という段になります。
私とおばあちゃん、二人してレジに行きます。
「おばあちゃん、ここは私払うよ。
 たまにしかないことなんだから、いいよいいよ。」

「そんな無駄遣いしないで貯めておきなさい。」
「いやいや、そんな大きなお金じゃないから、気にしないで。ここは私に払わせて。」

これで、引き下がってくれればいいのですが、このやり取りが延々と続きます。
「私が払う!」「いや払わせない!」

だんだん、「おばあちゃんは本当に払わせたくないのか?」と疑ってしまうほど。
結局最後は引き下がってもらうのですが、毎回ひともんちゃくあります。


なんでしょうね。
こういう遠慮深さって。
私みたいな、単純バカにはむずかしくって困ります。
「本音を言ってくれよ!」みたいな。


この前、友達の結婚式がありました。
ちょっと遠くに住む友達です。
とても仲のいい友達なので、喜んで飛んでいきました。
とてもいいお式でした。
披露宴が終わって、花嫁がやってきて、なんだか、こっそり私に封筒を渡そうとします。
表には“お車代”
「ほんと、遠くまで来てもらって、悪いね。
 これ少なくて申し訳ないんだけど受け取って」
「いやだ、こんなの、もらえないよ。やめてよ、水臭い」
「いやいや、ほんとに、申し訳ないくらい少ないんよ」
「だめだめ。私の結婚式には来てもらわないといけないんだから、もらえない」
「いや、それはまた別の話しやし。ほんとに貰ってもらわないと困るから」

うーん。これは参った・・・。
額が額だし、私はお祝いに行ってるんだからお金を貰うわけにはいかない、って思ったし。
ほんとに、本心から「もらいたくない!」って思いました。
遠慮じゃなくって。

でも、結局、私がおれて受け取ってしまいました。
うーん。むずかしいよう。



2003年10月28日(火) Mr.Children『wonderful world on DEC21』

いよいよミスチル活動開始です!
久々のシングル、『掌/くるみ』
11月19日発売ですって♪
公式ホームページで思わせぶりなムービーをみて期待で胸は膨らみます。

つい最近、AMAZON屋さんでミスチルのDVDを衝動買いして、ミスチル熱が過熱していた矢先だったので、嬉しさもひとしおです。
このDVDは2002年12月21日、桜井さんの急病のため中止になったツアーの代わりに行われた一夜限りのライブを収めたものです。

そういう経緯をしっているかいないかというのは、先入観として、けっこう印象に影響を与えるものですが、私にとっては、背景なしに、とってもよかったです。

いつも聞いているアルバム『I’ts a wonderful world』に、私が持っていたイメージは聞きながら車を運転していて流れていく風景だったり、このアルバムが発売されたころ住んでいた部屋の光景だったり、ほとんど固定したイメージになっていたのですが、ライブでのアレンジを聴いて、映像を見て、すごく新鮮な驚きがあったり、あらためてじ~んときたりしました。

そして、ライブ映像のほかにおまけの1枚が。
数曲のプロモーションビデオ。
これがとっても詩的なんだ。
ミスチルの歌詞自体が、もともとすっごく詩的で、メッセージ性があるというのもあるけれど、どのクリップも、下手な映画より伝わるものがあるよ。
『ファスナー』は前衛っぽくって、ちょっとグロくって、難しいんだけど、そのへんもお手軽すぎず、よし。

そして、すごいのが、ミスチルメンバーが、みんなでライブ映像を鑑賞してコメントをしているところがおまけでついてるの!
そのときどきに思ったこと、感じたことを、本当にありのまま話す姿が収められていて、このインタビューをみた後で、ライブを見ると2倍楽しめるという感じ。

まあ、とにかく、よかったの。
結局、はなから好きなものなので、批判の出ようもなく、「ミスチルバカ」を露見させただけの文章になってしまったわ・・・。



2003年10月27日(月) 田口ランディ『ミッドナイトコール』

20代後半。女。仕事をもっている。自分のお金も自分の生活もある。
趣味がある。友達もいる。
きっと未来だってあるはずなんだけど、全体に漂うのは、あきらめと倦怠感。

そんな女たちの短編集。

めっさ等身大ですわ。
そういう年頃になったんだなあ、と妙に感心。
軽妙な会話も、おしゃれなシチュエーションも、どこかうわすべりで、本気じゃない。
現実でありながら実感の希薄なそれぞれの日常。


「僕はね、ときどきむしょうに君と飲みたくなることがあるんだ。何ヶ月かに一回、なんだか君のそのわけのわからないぐだぐだしたへ理屈を肴に酒を飲みたくてたまらなくなるわけ。それは君の言う色気とは関係あるんだろうかね。」
 ないと思う。と、私は心の中で答えてみた。
 だってあなたは私は口説いたことがないもの。今夜だってちゃんと帰るつもりでいるでしょう?あなたがときどき私と飲みたくなるのは、私が「あなた」を、あくまでも、「私があなたのことを好きだ」という自信があるからだ。自分を嫌っている女と飲みたい男なんていないと思う。
 もちろんそんなことを言ったら、大切な男友達を傷つけてしまうから、口にだしては言わない。



2003年10月26日(日) バカの壁について

いやいや、ごめんなさい。
はじめに言っておかなければなりません。
これは養老孟司先生の話題の本『バカの壁』とはまったく関係がないお話しです。

とはいえ、養老先生、まったくずいぶん思い切ったタイトルをお付けになりましたよねえ。
いまにも差別用語として抹殺されんばかりの「バカ」という言葉を堂々と・・・。

私が、このタイトルを聞いて、まず思ったのは、「凡人には決して超えることが出来ないバカの壁」ということです。
大勢の子どもたちに囲まれて毎日を過ごしていると、それは、とくに男子に多いのですが、信じられない言動、行動を目にすることがあります。

EXAMPLE1 授業にて
「ちょっと、ちゃんとノート写しなさいよ」
授業に身が入らない子に近寄って注意。

「は?
 俺、日本語わかんねーから英語で言ってくれよ」


EXAMPLE2 廊下にて
「田中君、おはよう」

私に気づく田中君。

「♪太くて ちぢれて ぽっぽー ぽっぽー  日清の ラーメン屋さん・・・」

無表情&スキップで去っていきました。


EXAMPLE3 独唱
真剣な顔で歌うのを通りすがりに見てしまった・・・。

♪風の中の すーばるー
 クソの中の  ピーナーッツ


ほとんど感動すら覚えます。
その発想に。
その独創性に。
私など凡人には一生かかっても発することのできない言葉の数々です。

バカというすばらしいきらめき。

私もこんな面白すばらしいひらめきで、人々を楽しませたい!と切に思うのですが、それはいくら願っても越えられぬ「バカの壁」なのです。



2003年10月25日(土) お山の大将

本日は地区大会。
と、いうことで、引率に行ってきました。

長い一日でした。
団体戦は6チームの総当り。
接戦続きで、五番手までまわることしばしで、見ているこちらのほうが気が気じゃないと言う感じでした。
ふ~。
自分が試合したほうがどれだけ楽なことか・・・。

でも、みんな元気いっぱい、ガッツ満載のいい試合をしてくれました。
技術のほうはてんでからっきしなんだけど、みんな、すごく卓球が好き。
練習も試合も一生懸命だから、私もできるだけのことをしてあげたくなります。
いっぱい教えてあげたいし、できるだけ上の世界を見せてあげたいし。
今の1年生が3年になることには北信越大会に連れて行ってあげたいな。

さてさて、地区大会なのですが、気になったことがあります。
それは、子どもたち、特に強い子達の精神性です。

じつに軽薄で軟弱で、気に入らない!

弱い相手に手を抜く。
知り合いとの試合でへらへらしているくせに、負けるとぷりっとしている。
会場で大声でおしゃべりしている。
肩で風を切るようにして歩いて、威張っている。

本当に嘆かわしい。
いったい、自分がどれほど偉いと思い込んでるんでしょう。
どれほどすばらしい選手だと思っているんでしょう。

たかが中学生の地区大会で、ちょっと勝ったからといって、どれほどのことでしょう。
そんなことは、言ってしまえば趣味の自己満足の世界で、べつに人に誇れるほどのことではないのではないかと思います。
むしろ、卓球の技術を磨く中で、仲間と切磋琢磨して心を通い合わせたり、克己心をつちかったりすることにこそ私は大きな意味を感じます。
それがなければ、本当に自己満足に終わってしまうでしょう。

卓球は相対的な対人スポーツです。
相手よりもミスが少なければ、「強い」ということになります。
でも、どこまでいっても、相対的な強さなのです。
絶対的な強さを手に入れるための唯一の方法は、自分自身に勝つことです。
相手との勝敗をすべてとせず、自分の技術を厳しく批正していくこと、それが出来ない選手は、決して一流にはなれません。

未来開かれた中学生の中に、甘えや尊大さを見るとき、ほとんど失望にも似た気持ちになります。



2003年10月24日(金) 回答と解説

昨日のテストの正解を発表します!

① ゴロゴロ
猫が嬉しくて咽喉を鳴らすのは「ゴロゴロ」ですね。

② お茶漬けの味とビフテキの味を比べてみるの
「これ」など、指示語の指示内容はほとんどの場合、その指示語よりも前にあります。
ここでは、「これ」の一行前にあります。
③ 日の丸ノスタルジー
問題文は、はっきりとした二項対比の形で書かれています。
「日の丸ノスタルジー」と「お茶漬けナショナリズム」など、何通りかであらわされていますが、この文章では一貫して、「日の丸ノスタルジー」肯定の立場が貫かれています。

④ そういう
⑤ 西洋の文化や技術をうけいれること
「ハンバーガーをパクつく」とは暗喩になっているので、その表す内容を説明する問題です。
「ハンバーガー」とは西洋の文化。「パクつく」とは正面から、思い切ってうけいれるようすをあらわしています。

 このテストをやってみて、生徒の反応は「難しい!」とマジ切れ気味だったわりに、点数はまあまあよかったです。
ただ、読み違えてしまった子は、ばっさり間違えてしまって、いつもより全然取れなかったり。

テストを返却する時間は気合を入れていきます。
3年生の、特に男子が、「これは絶対に合っている!」
「せめて三角に!」
と、押し寄せてくるからです。

まあねー、「国語に正解はない」って言葉もあるけどねー。
○ ×つけられないようなことは、問題として出題しないからね。
答えが限定されるから問題として出ているんだからね。

「そんなの、文章を書いた人に聞いてみなきゃわからない!」
なんて、屁理屈をこねるのは勘弁してもらえないもんかねえ。
それが間違えている、ということを私は確信しているから、理由を説明して、納得してもらうしかないんだけど。

「そんなこといったって、ちがうかもしれないじゃないか!」
そこまで言うなら、それが正解だということをしっかり説明して、私を説得してみせてちょうだい。

と、すったもんだです。
でも、このときばかりは、本気で文章を読んで、必死で自分が正解だって説明しようと考えるから、一番国語の勉強している瞬間なのかもね。
返却しても、すぐに引き出しにしまっちゃうよりはいいか(^^)



2003年10月23日(木) 力試し

テスト作成は私にとって鬼門です。
むずかしくなり過ぎたり、やさしすぎたり、誤植があったり、合計点が100点にならなかったり・・・。
大雑把な私とって、頭がいたい問題です。
今回、3年生のテスト作成にあたって「ちゃんと責任の持てるテストにするために、よし、自作の問題を作ろう!」と思いたちました。
(そうです。いつもは問題集の切りばりで作っちゃうんです。)

ちょうど面白い文章を見つけていたので、意外と楽しく作ることが出来ました。そして、自分で作ると、生徒に早くやってもらいたくなるものですね。
テストの一週間ぐらいまえから、ずっと「テストまだかなー」とうずうずしていました。
では、この日記を読んでいるみなさんも、一部をお楽しみください。


三島氏は、自決する四年前の昭和四十一年、『お茶漬けナショナリズム』という一文を「文藝春秋」に書いた。これは、お茶漬けの味を考えつつ日本文化を論じた内容である。
この手のエッセイは、お茶漬けという日本固有の料理のなかに、日本人の伝統的な美意識をしみじみと語るものになりがちだけれども、三島氏のものはまるで違った。 
 外国へ行くと、当時在住の日本人に「ぜひ家へお茶漬けを食べに来てください。
海苔もありますよ、千枚漬けもありますよ」と言われる。すると、進歩的文化人も反動政治家も、猫がマタタビの匂いをかがされたように、咽喉を( A )鳴らして喜んでしまう。
三島氏は、これがみっともない、と指摘するのである。
舌を鳴らしてお茶漬けをかきこみながら、日本はどうだこうだと議論する連中を、三島氏は「お茶漬けナショナリスト」と批判する。
そして日本へ帰ってきて「やっぱり日本はいい。和食がうまいから」と言い張るのは、西洋を鏡として日本文化を考える感覚で、「和食もうまいが洋食もうまかった」と対等に考えるべきだとする。お茶漬けの味とビフテキの味を比べてみるのはナンセンスで、どちらが上とも下とも言えたものではない。 ②これ は、日本人が、外国を鏡として自国の文化を認識する弊害から抜け切れていないためである。比較をするのは一切やめるべきであると。
 三島氏の頭には明治の帰朝者の気概がある。お茶漬けの味という食味レベルのナショナリストではなく、日本人の精神的内面的価値に立脚したナショナリストになれ、と。
三島氏は、ハンブルグの港へ行ったとき、入港してきた巨大な貨物船の船尾に、へんぽんとひるがえっていた日の丸を見て感激した。感激のあまり、その場にいたただ一人の日本人として、胸のハンカチを広げて、ふりまわした。
厄介な日本のインテリは、こういう話しをするとニヤリとして三島氏を哀れむが、この「日の丸ノスタルジー」と「お茶漬けナショナリズム」と、③どちらが国際性があるか 、と三島氏は問うのである。
 「口に日本文化や日本的伝統を軽蔑しながら、お茶漬けの味とは縁の切れない、④ さういふ 中途半端な日本人はもう沢山だといふことであり、日本の未来の若者にのぞむことは、⑤ハンバーガーをパクつきながら、 日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである」というのが三島氏の結論であった。

①( A )にふさわしい擬態語を答えなさい。

②「これ」の指示内容を文中から二十字で抜き出しなさい。

③「どちらが国際性がある」と三島氏は考えているか、答えなさい。

④「さういふ」を現代仮名遣いにしなさい。

⑤「ハンバーガーをパクつきながら」とはどのようなことか。「西洋」という語を用いて、比喩を使わずに二十字以内で説明しなさい。


答えはまた明日!



2003年10月22日(水) マンガは苦手です

読書にマンガは入るんでしょうか?

私としては、ありですよ。
文字を読んでストーリーを理解する、ってことですもの。読書に含まれると思います。

でも、実は、私、マンガって少し苦手です。
活字の本の読書量に比べて、マンガの読書って、ほんとに少ない。
最後にマンガを買ったのはいつのことだろう・・・。
昔からマンガが苦手だったかと言うと、そんなことはなく、小学生時代は、「りぼん」や「ちゃお」がなくては夜も日も明けない子どもでした。
読まなくなったのは、高校生ぐらいから。

私がマンガが苦手になっちゃったのは、なんででしょう?
多分、規制が多いからです。
活字だったら、文字を追いながら自分でイメージを膨らませて読んでいくから、登場人物の顔も、舞台も自分の思いのままに想像して作り上げることが出来ます。
でも、マンガではそうはいかないですよ。
作者の描く顔、風景を擬音つきで、コマの大きさで場面の強調まで指定されて読んでいかなければならないのです。
だから、読んでいて、すごい違和感があります。
「ここは、こんな顔じゃないと思うんだけどなあ。」
「こんなコマって、必要ないんじゃないの。」
そして、読むのがまどろっこしくなって、飛ばし読みしてしまいます。

こんなことになるのも、マンガがすごくハイレベルな文化だからじゃないかと思います。
だって、ストーリーだけじゃなくて、画力も必要だし、構成力もかなり必要、これだけの能力を一人で担っちゃうのって、ほとんど超人技。

日本のマンガの第一人者は手塚治虫ですが、マンガというジャンルを確立できたのは、天才手塚治虫であったからであって、凡人が手を出せるような世界じゃないんじゃないか、という気すらします。
その点、活字ならば、絵が下手だろうが、字が下手だろうが、筆力さえあればそれで事足りちゃうんですよ。

でも、今、世に出回っているマンガで、人目に耐えうるレベルに達しているものがどれくらいあるんでしょうね♪

さっき、マンガを数年来買ったことがない、と書きましたが、ちょっとうそ。立ち読みはするんです。
一条ゆかり、槇村さとるの二人は好きなので、この二人のマンガだけはコンビニで見かけるとチェックチェック♪



2003年10月21日(火) 厚顔な人

私の大事な友達ヨウちゃんは、筋金入りのいい人なんです。
生真面目さと、善良さと、人をあきさせまいとするサービス精神からくるブラックユーモアを混ぜて、純粋培養したような人なんです。
そう、かけがえのないキャラクターの持ち主なんです。

ヨウちゃんと私は大学以来の仲なのですが、ヨウちゃんの友達にアベちゃんという子がいました。アベちゃんとヨウちゃんと私は何度かパジャマパーティーをしたことがあるのですが、私の狭い了見では、
「ちょっと、アベちゃんとは友達にはなれないわあ」と、いう感じで、「アベちゃんと友達でいられるなんて、やっぱり、ヨウちゃんって、本当にいい人だよなあ」と思っていました。

そんなヨウちゃんとアベちゃんの間柄ですが、今は、互いに他県に暮らしているので、メールをたまにやり取りするぐらいになっていたようなのですが、ここに来て、ちょっとした事件が。

アベちゃんからのメール「絶対無理だとは思うんだけどー、今度の連休に上田市か松本市で会えたらなー、なんて思うんだけど」
ヨウちゃん「うーん、連休は稼ぎ時だから、休むのはかなり難しいんだよー。うーん、一応、聞いてみるけど・・・。
―後日-
アベちゃん「せっかく会うんだから、思い切って、ヨウちゃんの住む街まで行きたいんだけど、でも、ヨウちゃんは仕事あるだろうから、そんな案内してなんていわないけど、どっか、一人で見て回るのにいいところ教えて。それで、その夜は、ヨウちゃんの家に泊めてもらいたいんだけどー・・・。」

ヨウちゃん「うーん、そのことだけど、まだ、はっきり休めるって決まったわけじゃないから、よくわからないんだけど、もし休めたら、まあ、いいけど」

-さらに後日―
アベちゃん「あのことだけどさー、ヨウちゃんのとこまでは、私電車に乗って一人で行くけど、わざわざそこまで行くんだから、帰りはヨウちゃん、松本ぐらいまでは車で送ってくれない?」

ヨウちゃん「え・・・ちょっと、そこまでは・・・

アベちゃん「ヨウちゃんが仕事とかで無理だったら、だんなさんでもいいんだけど」
(ヨウちゃんの暮らす街から、松本までは、高速を使っても2時間。)
ヨウちゃん「だんなも仕事で無理だって」

アベちゃん「・・・そうかあ。じゃあ、帰りも電車で帰るよ。
でさー、すごく言いにくいことなんだけど、これからもヨウちゃんとはずっと友達でいたいから言うね。やっぱり、お金のことって、友情に響くじゃん、そこまで行くのに結構交通費かかるでしょ、松本までは私、はじめから行くつもりだったから、自分で出すけど、そこから先の交通費、ヨウちゃん、半分出してほしいんだ。」

絶句・・・

ほとんど友情の押し売りですよ。
結局ヨウちゃんは押し切られる形で、半分交通費を出すことを承諾したそうです。
でも、いくらいい人のヨウちゃんだって、今回のことで堪忍袋の緒が切れたそうです。
私から見ても、アベちゃんは、大学時代からヨウちゃんのいい人ぶりを利用しているような節がありました。
気前のいいヨウちゃんにおごらせたり、ヨウちゃんの部屋に転がり込んできて、何日も居座って我が物顔に振舞ったり。

嵐山光三郎の『文人悪食』の中に引用されていた種田山頭火の言葉を思い出します。

「自分は与えられる側でわあるけれども、与える先方の者よりも上だという意識がなければならない。さもなくば、本当の意味で『貰う』という事は出来ないものだ。自分のほうが上だと信じていてこそ、初めて経の声もろうろうと出てくるのだ」

なんというか、アベちゃんって言葉はいかにも友達然としているけれど、厚顔な確信犯です。

どうも、こういう人、最近多いような気がします。

逆切れ、言ったもん勝ち・・・。

NOと言えない日本人も困りますが、それでも、厚顔無恥な主張ばかり強い人よりずいぶんましです。



2003年10月20日(月) 40km/hドライバー

「おおー、私ってば、どうしちゃったの?
 スピード出しすぎだわ」

と、思って、スピードメーターを見てみたら、ちょうど60km/hを指していました。
ありゃ??
80km/hぐらい出していると思っていたのに・・・。
と、思い返してみると、私の車ライフの平均時速が40km/hであることに、はたと気付きました。
学校までの通勤の3kmばかりの行き帰りだけのためだけにあるような私の車。
しかも、その道のほとんどが一方通行という環境なのです。
だから、40km/hドライバー。
事故の起こしようがない環境です。
いいでしょ。

話は変わりますが、長野県は公共の交通機関の完備をあきらめたかわりに、道路の整備に全力を傾けているようなところがありまして、車を持っていないと始まらない、といった観があります。

私はどちらかというと、車はあんまり好きじゃなくて、自転車とかきこき子やっているほうが性にあっているんですよね。
ほんというと通勤も自転車でできればいいのになって思っているんだけど、そのためにはもうちょっと早く起きる“ずく”がいるんですよねえ。



2003年10月17日(金) すっぱおいしいもの

人の味覚って変わるもんですね。

だいたい私はなんでもおいしい人で、「まずくって食べられない」ということは皆無なのですが、「これは好き!」と思う味が変わってきました。
小さい頃は特別なんとも思わなかった、ふきとか、みょうがとか、たらの芽とか、昆布とか、そういうしぶーいものがおいしい。

歳をとったというのもあるんでしょうが、自分で料理をするようになると、また、味覚って変わるんだろうと思います。
だしとか、調味料とか、隠し味とか、そういう細かな味に敏感になる。

そんな私の中で、ここのところ、フィーバーしているのが「酢」。
すっぱいものって実は苦手で、いまだに梅干は苦手だし、レモンはなるべくきかせないし、果物もすっぱいのはダメなんです。
お酢も一応持っているけど、酢の物以外、何につかったらいいんだろ?って感じでもてあましていました。
でも、きっかけはりんご酢。
「体にいい」という評判にチャレンジしてみました。
まずは市販されているジュースで。

「すっぺー。ぺっぺっ」
って、ぞぞっときたのですが、それでも二度三度、飲んでるうちに、そのすっぱさにもなれてきて、だんだん病みつきに。
なんだか、すっぱい感じがいかにも体にいいことしているようで、自己満足。

ほかのお酢にも興味がわいてきて、バルサミコ酢を買いました。
もちろん初挑戦だし、どんな料理に使うのかも知らなかったのですが、その未知さ加減がいいでしょう?

バルサミコ酢の原料はブドウで、味は、酸っぱいながらも、濃厚。
ドレッシングみたいな感じだったので、まずは塩コショウ、オリーブ油とか、小魚アーモンドとか、適当に混ぜてサラダにあえて食べてみたら、「ふむ。なかなかいいぞ」
気をよくして、いろんなものにかけて楽しんでいたら、ある日、運命の出会いが!
バルサミコ酢と生卵!
クリーミーな上に、ピリッと酸っぱくって、いろんな料理をぐんと引き立ててくれますよ♪



2003年10月16日(木) ひとりぼっちのあいつ

ビートルズの『NOWHERE MAN』って知ってますか?

He's a real nowhere Man,  あいつってやつは「Nowhre man」
Sitting in his Nowhere Land,  自分の世界にこもっちゃってんだ
Making all his nowhere plans for nobody. 何の役にも立たないことばっかり考えてね

Doesn't have a point of view,  見通しなんか立っちゃいない
Knows not where he's going to,  どうしたいかもわからない
Isn't he a bit like you and me? なんかちょっと、あなたや私と似ているよね。

Nowhere Man, please listen, ねえ、聞いてよ。
You don't know what you're missing,  君は気付いていないんだよ
Nowhere Man, the world is at your command. ねえ、世界は君の思うがままなんだよ

He's as blind as he can be,  あいつはぎゅっと目を閉じて
Just sees what he wants to see,  見たい物しか見ないんだ。
Nowhere Man can you see me at all? 僕のことが見えてるんだろうか?

Nowhere Man, please listen,
You don't know what you're missing,
Nowhere Man, the world is at your command.

Doesn't have a point of view,
Knows not where he's going to,
Isn't he a bit like you and me?
Nowhere Man, don't worry, ねえ、心配ないよ。
Take your time, don't hurry, 時間をかけて、ゆっくりいこう。
Leave it all till somebody else lend you a hand. 
  誰かが手を貸してくれるまで、全部ほっておけばいい。

He's a real Nowhere Man,
Sitting in his Nowhere Land,
Making all his nowhere plans for nobody.

最近、ゆううつな気分になりがちだったんです。
まったく、nowhere manでした。
学校にでも、ただ、与えられた仕事をこなすだけで精一杯、自信がもてなくて不安定だったり、義務感に押しつぶされそうだったり、その反動で不満だらけだったり。

でも、私は何も見ようとしていなかった「Nowhere man」だったんだよね。

1年生の生徒には毎日1ページ、漢字を書き、提出することが宿題になっている。
だけど、全員が完璧に提出し続けることができるわけでもなく、出さない子は常習化していくのが常です。
そんなことははなから承知なので、私のほうでは見てみぬふりをしていたのですが、あるクラスの国語係が
「先生、ちゃんと、ノートを提出してくれません!」
と、一生懸命なので、「じゃあ、提出状況が悪い子に放課後、職員室の私の所にくるように言ってくれる?私から言うよ」ということになり、放課後、指名手配された生徒たちがぞろぞろやってきました。
「明日は何ページやって提出するの?」私は一人一人に聞き、約束しました。
二ページと言う人もいれば、5ページと言う人もいました。
そして、翌日、大抵の子はその約束を守って提出しました。
でも、やって来ない子もいました。
それも予想していたことですが、ここは、きちっとしとかなければならないところ。
「いっちょやっとくか・・・」
というぐらいの感じで、しかし、いかにも真剣な顔で、授業のはじめに語りました。

「私がなんで、たかが漢字の宿題でこれだけこだわるかわかる?
 それは、人間性の問題だからだよ!」

おいおい、人間性なんて、えらい風呂敷広げたよ。

「人間性っていうのは、簡単に言えば信用できる人かどうかってことだよ。
 私は、漢字の宿題を毎日やっていたって、ほとんど褒めたことはないけど、中には、毎日2ページ、必ずやっている人もいるんだよ。やってもやらなくってもばれない、土曜や日曜も欠かさず毎日やっている人もいるんだよ。
そういう人は、無条件に人として信用できるよ。それどころか尊敬に値するよね。
だけど、やってくると言った約束を守らない。それも、私と一対一で昨日した約束を守らずに、平気でいられるって、そういう人をどうしたら信用できる?」

と、まあ、こんな調子でね。
こんなことも、一連の流れとして、仕事としてこなしていたんです。

でも、翌日、すべての子がノートを提出しました。
中には約束のページ数をやらない子もいたのですが、
「先生、今日は2ページしかできませんでした。すいません。明日残りの2ページと、今日の分1ページを足した3ページを必ずやって出します。お願いします」という、メッセージが書かれていた子も何人かいました。

そういう一人一人の反応を見ていて、「ちゃんと受け止めて、感じてくれる一人一人の生徒がてくれているんだ」って、ごくごく当たり前のことが、心の中にじーんときました。
こんな単純で、そして、一番大事なことが見えなくなっていたんだなあ、って思いました。

Nowhere Man, please listen, ねえ、聞いてよ。
You don't know what you're missing,  君は気付いていないんだよ
Nowhere Man, the world is at your command. ねえ、世界は君の思うがままなんだよ



2003年10月15日(水) ソニン『合コン後のファミレスにて』

初めてきいたんだけど、つんく、研究熱心だなあ。と、いつも思います。
それっぽい詞を書くのが上手だなあ。
『合コンあとのファミレスにて』は彼氏がいないOLが彼氏のいる友達をうらやむ歌です。

なかでも、心に残ったのが、

「あんたの話し長いばかりでオチがないのよ」

っていうの。
きっと彼氏ののろけ話をする女友達のことなんだろうけど、思わず笑っちゃった。
女ってやつはのべつまくなし話しちゃうんだって!
あったことを脈絡なく並べ立てちゃうんだって!
オチをつけるとか、笑わせようとか、そういうの頭にないから。

「○○のパスタが、もう、ほんとにすっごくおいしかったんだよ」
「えー!私ずっとそこ行きたかったんだー。今度一緒に行きたいね」
「うん、行こう行こう!」

でも、私はそれで全然オッケー。
私もそうするし、友達もそうしてもらって、お互いに
「そうだよねそうだよね」
って同意しあって、肯定しあって、盛り上がって、それでオッケー。
女友達とは、そういうこと言い合いたい。

でも、かえって私は、話が長くてオチがない男の人に会うことが多いなあ。
結論を予想した2分後にやっと結論が出てくる人とかいるよ。
会話で2分って、結構なもんですよ。
それまでニコニコ相槌をうつのに疲れちゃったりする。

多分、そういう人ってノリとかテンポとかよりも、自分のペースで自分の好きなように話したいんじゃないのかな。オチなく結論までじっくりたどりつきたいのかしら。
男にしろ女にしろ、きっちりオチでまとめるはなし方ができる人はエライね。
聞く人に優しいクレバーさんだ。



2003年10月14日(火) 村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

あまりにも有名な『ライ麦畑でつかまえて』という訳。
その題名ばかりが先行して、想像していた内容とあまりにも違って、ちょっとがっかりした覚えがある。

そもそも、私が『ライ麦畑でつかまえて』を読んだのは、高校二年のときだった。
小沢健二がなにかのインタビューで「高校時代に読んでいたらよかった!と、すごく後悔した一冊」と紹介していたので興味を持って手に取った。

だけど、紹介された本の多くにあるように、私にはあまりその良さがわからず。
ふーん。
とか思ってしまった。

訳にひっかかって。
この話は、思春期の男の子の独白体なんだけど、どうも訳が不自然だったんだよ。
かえって親しみがもてなくなっている気がして。
翻訳って、簡単に言うけど、こと文学の翻訳なんて、ただの言葉の置き換えにとどまらず、その比ゆとか、文化的背景、それから登場人物の性格、言外にこめられた意味までもちゃんと写し取らなきゃいけないことだから、ひとつの独立した作品ぐらいに考えたほうがいいよね。
ほんとは原書のまま読めればそういう翻訳の問題なんてぴょんと飛び越えられるんだけど、なかなかそれは難しい問題でして・・・。

こんなことを思っていたもんだから、『The Catcher in the Rye』を村上春樹が翻訳!という話を聞いて、「まってました!」と言う感じ。
なんて豪華な企画なんでしょ。
また、期待を裏切らぬ内容でした。


  「人生とはゲームなんだよ、あーむ。人生とは実にルールに従ってプレイ  せにゃならんゲームなんだ」
  「はい、先生。そのとおりです。よくわかっています」
   ゲームときたね。まったくたいしたゲームだよ。もし君が強いやつばっかりそろったチームに属していたとしたら、そりゃたしかにゲームでもいいだろうさ。それはわかるうよ。でももし君がそうじゃない方のチームに属していたとしたら、つまり強いやつなんて一人もおりませんっていうようなチームにいたとしたら、ゲームどころじゃないだろう。お話にもならないよね。ゲームもくそもあるもんか。


伝わるよー。わかるよー。うんうん。
人生とはスタートの時点でまったく不公平かつシビアなゲームだよ。

余談 ところでなぞの多い作者サリンジャーですが、いったい今どうなさっているのでしょう?



2003年10月13日(月) 合コンという娯楽

私の周りにいる男友達は合コンが大好きだ。
「条件を言ってくれればどんな男でもそろえられるから言ってよ。」
と、豪語するほどだ。
「うん、じゃあぜひ今度お願いするね」
といつも言うけれど、一度も実現したことはない。
お互いに一種の社交辞令みたいなもんだってことをわかって言っているからだ。

最近、女友達関連で、合コンになることがままある。
私はのこのこ出かけていく。

何と言うことはなく、初対面どおし、当たり障りのない、ちょっとした世間話をして、お酒を飲むだけで、そこからどうこうということはない。
ただ飯食べさせてもらおうなんて気もなく、自分が食べたぶんはきっちり払って帰ってくる。

でも、今日、友達の友達ということで一緒になった女の子はちょっと違った。
合コンの帰りの道すがら、
「もう、いいのは全部売れちゃって残ってないのかなあ」
「ほんとデブだけは勘弁してほしい。
 デブと既婚者と、ちょっとネタか?って感じだね」

この毒舌の私をひかせる悪口雑言。
とても同調できなかった。
なんつーか、体温差を感じた。

そうかあ、合コンに必死に望みを託している人もいるんだね。
本気で出会いを探しているんだね。

私にとって、合コン・・・?
カラオケに行ったり、映画を見に行ったり、そういうのの延長線上にある、娯楽みたいなもんなのかも。



2003年10月11日(土) 週末リゾート

毎年体育の日関連の3連休の土曜日に、大学時代の同期で集まって遊ぶことになっています。
そして、今年は私が幹事。

どうせ酔っ払うなら、とまるところも必要だろうし・・・と考えて、穂高にある貸し別荘を借りて、みんなでどんちゃん騒ぎをすることにしました。

どんどん山の中にわけいった先は大自然に囲まれたいかにもマイナスイオンいっぱいって感じの別荘地がありました。
今回の同期会は男8人女2人の総勢10人だったのですが、10人でも余裕の広さ。
和室、ベッドルーム、暖炉、台所、温泉、なんでもあるんだ。
そして、夕食はケータリングサービスで運んできてもらえて、至れり尽くせり。

一年あっていないだけでも、けっこうみんな変化があります。
営業マンをやめて、塾を開くため新居兼教室を新築中の人。
新婚生活満喫中の人。
オープンカーで登場する人。・・・二人。
彼氏同伴で参加する人。
盛大なキスマークをつけて参加する人。
彼女と別れた人、別れそうな人。

なかでも、私を一番喜ばせたのは、「初めて彼女ができた人!」
だって、すごくいいやつなんだもん。
あんまりいいやつなんで、悪い女にだまされるんじゃないかって心配なんだけど、写真を見たらすごく優しそうな感じの女の子で安心しました。

そして、私は、相変わらず。いつも相変わらずの私。



2003年10月01日(水) 嵐山光三郎『文人悪食』

自分では手に取らない本、というのがあります。
見た目と言うか、雰囲気と言うか、オーラと言うか。
私は自他共に認める乱読タイプで、広く浅くたくさん読むほうなんだけど、それでも、しらないうちにある一部分、まったく手付かずにすごしてしまったことに気付くことあります。

例えば、この嵐山光三郎の『文人悪食』はそんな私の手に取らないっぽいにおいのぷんぷんする本です。

部活で一緒の先生にもらわなかったら、手に取らなかった確率99パーセント。
だけど、うんとよかったです。
森鴎外や夏目漱石から林芙美子、坂口安吾など、近・現代を代表する作家の食生活、食癖からその素顔を垣間見よう、というような趣旨の本です。

やっぱり、「食べる」って、本能行動だから、ものすごく人間らしい素顔がのぞけます。
私の崇拝する三島由紀夫についても書かれていたのですが、綿密な下調べに基づいて三島由紀夫の食を明らかにした上での人間三島由紀夫の考察がすばらしい!
舌を巻くものでした。

「三島氏は、「虚飾と純粋」をあわせ持っていた人である。人並みはずれた嘘と、人並みはずれた真実を、魔法使いのように使い分けた。」

そうそう!そうなんですよ!
嵐山さん、話がわかるね!

私は大学時代で研究ってものは、私には絶対無理だって匙をなげてしまった人だけれど、最近思う。
もし私が研究することができるとしたら、それは三島由紀夫とその文学についてだけだろうと。
作品を読み、関連文献を読み、歴史を知り、そして、自分の論をまとめる。
そして、それに対する人からの批判を受け、意見を戦わせる。
まったく、自分とはかけ離れた世界の人々のすることだと思っていたけど、三島由紀夫に関してならばやってみたい気がする。
嵐山氏の三島論を読み、無性にそう思った夜でした。


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