2002年10月27日(日) |
冬はお風呂であったかリフレッシュ |
ひそかに健康フリークの私。 体に微妙にいいことが大好き。 微妙に。 「無農薬しか口にしないわ」 「毎日10キロ走るの」 なんて、バッチリ健康フリークになる根性がないので、楽して、微妙に健康によさげなのが好き。
そんな私の研究によると、「お風呂はかなり利用価値が高い!」という、結果がでました。 ノンノン、ただ、入るだけじゃだめです。 ポイントがいくつかあります。 1. やや熱いお湯を胸の下ぐらいまではる。 2. 入る前にコップいっぱいの水を飲む。 3. 好きなだけつかり、汗をかきまくる。 4. 出たときにコップいっぱいの水を飲む。
いわゆる半身浴です。 これをやると、血行が良くなって、冷え性になりにくいんですねー。 そして、血行が良くなるから、肌のつやも良くなるんですねー。 基礎代謝が高くなるからダイエット効果も高いんですねー。 湯冷めしにくいんですねー。 お風呂はマイナスイオンがたくさん放出されているんですねー。 もう、いいとこだらけ!
私は時間が許すときは2時間でも3時間でもお湯につかっているんだけど、この時間を何も利用しない手はない、と言うわけで、読書することにしています。 狭い浴室だと、いつもより集中できるから、がーっと読めるし、読書をしていると、ただ入っているよりもたくさん汗が出るんです。 ただ、本がふにゃけて駄目になっちゃわないように、それだけは要注意! うとうとして、ボチャン!! なーんて、こともあったりなかったり。
「あー、きよこ先生!」 おはようー! がんばってるねえ!
っと、いけないいけない。 再会の喜びに浸っている場合じゃないね。 今日は中学校の地区大会。 卓球部をちょっと見させてもらっていた私は、応援に駆けつけたのでした。 この地区大会で団体で3位に入れば、中信大会にいける、というわけですが、みんなにとっては「まずは一勝!」です。 まだ、公式戦で勝ったことがないんです。 でも、顧問の先生にしっかり見ていただいて、以前に比べて技術も意識も進歩してきているから、今度こそ、勝てそうなきがするんです。 練習試合では、ぼちぼち勝っているし…。
しかし、ここからが勝負の厳しさよね。 がんばって練習してきてるのは他のチームも一緒。 以前に比べて、試合にはなってきたけど、勝てそうで勝てない、という試合がいくつもありました。
私にも経験があります。 最初にセットを取ったのに、負ける。 ジュースになるのにセットが取れない。 必ずいいところでサーブミスをする。
勝ちを意識するほど、上手くいかないんだよね。 でも、それを克服してこそ、成長だよね。 小さな学校で、みんな仲良しだから、どうしても「競争心」「闘争心」が育たない。 優しさだけじゃ片輪の車。優しさと強さを併せ持ったたくましさを持たなきゃね。
* うれしかったこと* 話しかけても、答えてもくれなかったKくん。 いつもすねた顔をして、そっぽを向いて、私に敵意むき出しだったKくんが、話しかけて来てくれた! よ!って、おでこに手をかざして私にあいさつしてきてくれた。 「元気そうだね!」っていったら、 「そうでもない。 昨日まで、腹の調子悪かったし…」 初めて会話ができた!
かんど〜〜〜。 子どもは変われるんだ! 私に力がなくっても、変われる力を持っているんだ! だから、私は絶対あきらめないでいよう!
2002年10月25日(金) |
吉本ばなな『体は全部知っている』 |
吉本ばななを最後に読んだのはいつだったんだろう? 『TUGUMI』が大好きで、味をしめて他にも何冊も読んだはずなのに、他の作品は記憶に残るほどでもなく、いつのまにかどうでもいい作家の一人になっていた。 でも、久しぶりに吉本ばななを読んで、やっぱり、いいなあ、と深く深く思いました。
これは、ショートショートと言ってもいいくらい、短い作品を集めた本です。 ほとんどが書き下ろしということもあって、肩の力が抜けている感じが伝わってきます。
どの作品もすごくさりげない。 私の日常のリズムを乱すことなく、静かな安らぎを与えてくれる。 「感動した!」とか 「おもしろかった!」 って感想とはかけ離れているんだけど、このさりげなさって、すごいことだと思う。 うーん、よく自分にも似た体験や、感情を持った覚えがあって、「共感する」なんて言うけれど、私はこの本を読んで、「共感してもらった」気がした。 静かに紡がれていく物語の中に描かれている人の心のちょっとした屈折、こだわり、苦しみ、なんかがちくりと胸をさすんだけど、その後にはちゃんとほっとするケアがある。 なんか、読んでいながら「受け入れられている」と言うような不思議な安らぎがある本だった。
2002年10月24日(木) |
長嶋有『猛スピードで母は』 |
表題作と「サイドカーに犬」という短編が収録された単行本。 とっても淡々とした語り口なのに、思わず「わはは」って笑かせられたり、すんごく切ない気持ちになったり。
きっと、この作者の人は、照れくさくって、ダイレクトな愛情とか思いやりとかの言葉を口にしないんだけど、人一倍感じやすい人なんじゃないかと思いました。
ろ、いうのもこの表題作は、女手一つで僕を育てながらも背筋をしゃんと伸ばしさっそうと生きている母と僕の物語です。 母は、いつもは僕に人に迷惑をかけないようにと言うことだけは注意するが、それ以外のことはあまり頓着しない。
それについて、僕はこう思っている。 「母がサッカーゴールの前で両手を広げ立っている様を慎はなぜか想像した。 PKルールはもとよりゴールキーパーには圧倒的に不利だ。 想像の中の母は、慎が何かの偶然や不運な事故で窓枠の手すりを滑り落ちてしまったとしても決して悔やむまいとはじめから決めているのだ。」
母は、息子を思う気持ちがあまりにも強く、また、自分にはどうしようもないことがあることも分かっているからこそ、自衛の手段として、期待しすぎないようにしている、ということでしょうか。
人の気持ちのとても繊細で、言葉にできないような微妙なニュアンスを大切にして書かれている作品だと思いました。
朝夕の冷え込みに、上着なしでであるくのがためらわれるようになってきましたね。 でも、日中は青い空にさわやかな秋風が吹いて、とっても気持ちいいです。 部屋の中でもぞもぞやっているのがもったいなくって、私は薄着で出かけます。 歩いて近くの公園に行って、本を読んだり、編み物をしたり。 街を自転車こいでめぐってみたり。そんなサイクリングでお気に入りなのが、パン屋さんめぐり。 おいしいパン屋さんを探してうろうろしていると背中にぽかぽかの日差しがふりそそいで、なんともあったかくって気持ちいいんです。 なかでも、ほんとにおいしいパン屋さんを見つけました。 天然酵母のこだわりのパン屋さん「ポンヌフ」です。 お店のたたずまいは昔風で、飾り気がないけれど、味はもう、すごい! 味覚のおおざっぱな私ですら、ぜんぜん違うって分かる。 生地自体がおいしくって、バターとかつけずにそのまま食べたい。 ほんとに病み付きになっちゃって、ほとんど毎日通っています。けっこう一個がぎっしり詰まった感じなのに、しつこくないから何個も一度に食べちゃうんだよなあ。 「たべすぎ!」って思いつつ、翌日には、またポンヌフのパンを目指して、自転車をこいでしまいます。
2002年10月22日(火) |
ショック『ハリーポッター炎のゴブレット』発売 |
ついについに、ハリーポッター最新刊、『炎のゴブレット』発売です。明日か? がーん。 ショック。
ハリーポッターは出版界の常識を覆した大ベストセラー。 売れてる本に手を出すのがしゃくな私ですら、やられてしまった。 だって、生徒から、友達から、みんな「ハリーポッターは面白いよ!」って言うんだもん。で、ほんとに面白かった。
最初は「こんなに売れるのはなぜか?」って、分析しながら読んでたんだけど、そのうち、そんなのどうでもよくなって、ポッターと一緒に冒険してしまった。
ハリーポッターシリーズは、一年に一冊づつしか発売されない。しかも、日本語に翻訳されるのに、またすこしかかる。 そこで私は考えた。「英語で読めば、日本発売前に読めるじゃん!」 と、いうわけで、『アズカバンの囚人』を、英語で読んでみた。 でも、なんせ単語を知りませんから、その辺は想像力をたくましくして。あてずっぽで。 そうすると、わかったようなわからないようなところが出てきて、そんなときは生徒に聞いたもんです。 「え、結局、Sirius Blackって、ハリーの何なの?」 「うーん、お父さんの親友で…。」 「Godfartherって、あったけど、日本語でなんていうんだろ」 「名付け親?」 「後見人?」 中3のクラスでは7割くらいの子が読んでいたから、わかんないとこは生徒に聞きました。 そんなことで、気をよくして、「よーし、『炎のゴブレット』を読むぞ」と読み始めたのが、2月…。 おいおい。半年以上たってるよ。 まだ、新入生を迎えて、寮決めの場面です。 (でも、今までと違って、この巻では、ホグワーツ魔法学校の新学期が始まる前に、クィディッチワールドカップがあったから、ここまでで200ページぐらいある)
先取りのつもりが、日本語版も発売になっちゃって、とほほな気分。 まあ、日本語版でもそうだけど、ハリーポッターの終盤はぐんぐん読ませて、息つく暇もないって感じだから、佳境になれば…。 そう、そこまで行くのに、あと何ヶ月かかるんだろ…。
いろんなところから、秋の味覚をいただいて、私一人で料理して、もそもそ一人で処理するのはあんまりにもさみしかったので、大学の後輩を呼んでおもてなしすることにした。
料理を作って人を呼んで、食べてもらうのって大好き。 「きたい人は誰でも!」 ってくらいの大風呂敷を広げたので、今回は特にはりきりました。 相手は食べ盛りの大学生、お腹にたまって、秋らしくって、ゴージャスで、なおかつやっぱりおいしいもの! メニューを考えたり、段取り考えたり、買い出しにいったり、数日前から準備を進めました。 今日は日中ほかにいくところがあったから、昨日の夜はほとんど徹夜で下ごしらえしました。
*今日のメニュー* 栗のリゾット 変わりいなり寿司 手羽先韓国風てりやき チンジャオニューロース ポテトとかぼちゃのマッシュサラダ ナスとトマトのチーズオーブン焼き 大豆と根野菜のカレー炒め 大根の味噌煮 ふかし芋
「おいしい!」 「すごい!」 いやーそんなことないっすよ。 といいながらも、まんざらでもないにやけ顔になっちゃいます。 ふふふ。 出す皿出す皿、おもしろいぐらい、すぐに空になって、 「喜んでもらえた!おいしかったんだ。よかった♪」 と、すごく嬉しかったです。 もてなすのって好きさ。
2002年10月20日(日) |
上高地は紅葉の見ごろです |
来週からの打ち合わせに、上高地へ。 今日はあいにくの小雨。 日中でも11℃と、学校では今シーズン初めてストーブに火が入ったそうです。
松本から上高地へはずっと一本道で、約一時間。 観光のメッカなので、大型バスがたくさん行きます。 運悪く大型バスの後ろにつけてしまい、時速30キロののろのろ運転でのドライブに舌打ちしながらトンネルを出ると…目の前に広がったのは、赤、黄、緑の紅葉の山々でした。 「うわあ」 あまりの見事さにおもわず笑みがこぼれました。 私は今までこんなに美しい紅葉を見たことがありませんでした。 (…なんだか、英語を直訳したみたいだな) 息を呑むほどの色の洪水。 絵に描いたような紅葉の景色です。 そして、自然に口をついて出てきたのは子どもの頃に歌った歌でした。
♪秋をいろどる 色さまざまに 山のふもとの すそもよう
この歌は、こんな見事な紅葉をみて作られたんだろうなあ、と思うと、合点が行きました。 だって、ほんとうにその時の私の気持ちにその歌はぴったりだったんですもの。
半年に一度ぐらい、忘れた頃に見る夢を見た。
大学に行くと、友達が騒いでいる。 「ここのところ、どう考えた?私分からなくって、とりあえずのことしか書けなかったよ」 「わたし、****かなって考えたんだけど、やっぱり違うかもしれない」 お互いの分厚いレポートを見せ合いながら。 私にはそのレポートの記憶がない。 「今日提出だよ。先生は研究室にいらっしゃらないけど出しておくようにって」 言われてみればうっすら、そんなことをいわれた気がしてきた。でも、参考文献一つ読んでいない。 どうしよう。これからマッハでごみみたいなのを書いて体裁だけ取り繕うことすらできるかどうか。 幸い、先生はいない。
などと考えながら、とりあえず誰かの講演を聞くために教室に入り、座ると、斜め前に先生が!! どうしよう! 謝り倒すべきだろうか。知らぬふりをしてここはやりすごしてしまうか…。
目が覚めた。 この夢を見るとき、私は本当に焦って、慌てて、我を忘れる。 大学を卒業したのはもう何年も前のことなのに、いまだ大学のゼミの日々は生々しい苦しみとして心に残っている。 もし、私にトラウマというものがあるとしたら、これだろう。 尊敬する先生に認められたいのに、勉強不足、力不足、努力不足の私。 同級生は地に足をつけて自分を持ってちゃんとやっているのに、だらしがない私。 卒業論文はこんな劣等感にがんじがらめになって、かろうじて形だけ見繕ったものだった。 自他ともに認める劣悪品。 なのに、先生は優をつけた。 教師としての就職が決まっていた私に、更なるキャリアアップの道として、数年後には大学院に行くことを考えるように先生はおっしゃった。 「院に行くときは選考に卒論の成績が行くから」 先生は親心として優をつけてくださったのだろうが、私にはそれがつらかった。
この夢を見るたびに、思い出してしまう、大学時代のこと。 いつになったらこの夢を見なくなるだろう。
眠るのが嫌で、今日はとうとうしらじら夜が明けるまで起きていてしまった。 一日24時間、長いですか?短いですか? 最近の私は短く感じます。 35時間ぐらい欲しいです。 時間が足りないよ―。
いやいや、こんなこと言うと、世の中の勤勉に働いている多くの人に怒られちゃうな。 一日中予定がないなんてことがよくある私。 じゃあ、一体なんでこんなに時間が足りないかと言うと、やりたいことがいっぱいなんです。
本が読みたい。編み物したい。まんが読みたい。散歩したい。ひなたぼっこしたい。長風呂したい。英語の勉強したい。料理したい。ギター弾きたい。卓球したい。
あー、羅列してみたら、そのくだらなさにびっくり。 でも、こんなくだらない日常がいとおしい。
今月末から学校にまたお勤めすることになりました。 学校が好きだから、それは楽しみなことなのですが、この悠々自適なぐうたらライフがもう終わってしまうかと思うと、惜しくて惜しくて。 とうとう今夜は徹夜してしまいました。 ずっとひたすら、編み物してました。 目がしょぼしょぼ。
でも、こんなでも、私の中ではいい傾向です。 今とは逆に、ひたすら惰眠をむさぼる時は、ちょっとよくない傾向。 悩み事や、考えなきゃいけないことを放り出して、夢の世界に現実逃避しちゃってるから。 朝、とっくに頭は目覚めているのに、枕に顔をうずめていたり、家に帰るなり布団を敷いて、倒れこんだり。 かたく目を閉じて、苦しみなんてないふりをして、起き出さなければいけない時間がくるまで寝たふりしている私。 そんなのはよくない。 だから、今、目を覚まして一人でいられる私は大丈夫。
2002年10月16日(水) |
ドナルド・キーン『日本語の美』 |
私にとって本は、知識を得るためのものではなく、読んでいる瞬間を楽しむためのものなので、読み返す、ということはめったにない。 だから、本はほとんど買わない。 たまっちゃっていやなので、よほど好きな作家の本か一度読んで、「これは手元においておきたい」と思える本だけ買うことにしている。
この『日本語の美』も、図書館で借りてきたんだけど、これは買うべきだと思った。
筆者はアメリカ人の日本文学研究者。 『日本文学史』という古代から現代まで7巻あまりの大著があり、私が高校で日本文学史をおしえるなんてことになっちゃったときに、大いに参考にさせてもらいました。 だから、アメリカ人とはいえ、日本語・日本文化に対する造けいの深さは舌を巻くものです。
はあ、この本を大学時代に読んでいたら、もっと日本語に興味を持って、もっとちゃんと勉強したかもなあ…。
もともと、「中央公論」誌に連載された日本語にまつわるエッセイなどをまとめたものなので、ひとつひとつの文章は本当に短いんだけど、そこにつまったエッセンスの濃厚なこと! しかも、日本語の母語話者ではないから、外から日本を見るという公平な視点で日本語や日本文化のもつ問題点もスパッと切り取っていて文句無し!
――― 最も困ったことには日本人も自分たちが神秘であると信じるようになったことである。そして、外国人がどんなに長く日本語を勉強しても日本人の小学生ほども読めないと堅く信じる執筆者たちが、外国人に絶対読んで貰いたくないようなことを平気で日本語で書いてきた。(中略)私は外国人として二、三十年日本文学を勉強してきたが、日本人の普通のサラリーマンよりも古典文学を知っているということが分かると、「恥ずかしい」と言う。この場合、「恥ずかしい」と言わず、「嬉しい」と言ったほうがいいのではないかと思う。―――
お恥ずかしい。 私も「恥ずかしい」って思っていました。 「日本語は日本人にしか理解できない」という凝り固まった考えが日本語の国際化を阻害しているんですね。
2002年10月15日(火) |
有閑マダムごっこ(8月23日参照) |
今日はナツコサンのおたくにお呼ばれざーます。 平日の昼間がお暇な私たちは、たまにランチをご一緒し、 昼下がりのひとときを、おしゃべりして過ごすんでございますの。
なんて、有閑マダムみたいだわ。 しかし、これも、今だけのことで、来年度は私もナツコサンも働くでー。 そうです。 ナツコサンも教員採用試験に合格したんです! (ナツコサンとの出会いについては8月23日の日記を参照) ね?ね?やっぱり私の予感は当たるんですよ。
ナツコサンは英語科です。 大学卒業後、イギリスとコロンビアに留学して、英語教育の研究をしてきた、ばりばりです。 考え方もとっても開けていて、さばさばしています。
ナツコサンちにお呼ばれされるのは二度目なのですが、ナツコサンの料理はすごくおいしいの! 私なんかは、まずご飯と汁物ありきの和食中心なんだけど、ナツコサンは洋風で、私が使わない具材や、調理法だったりして、すごく参考になる。
今日のお献立: トマトリゾット かぼちゃサラダ ブロッコリーとたまごのグラタン ドイツの黒パン チーズのせ 特にかぼちゃサラダはかぼちゃのほくほくに、フレークがさくさくで、「ぜったい真似してみよー」っていうおいしさだった。
食休みをした後は、秋空の下、サンダル履きで近所の銭湯に二人で行きました。 銭湯といっても浅間温泉の源泉をちゃんとひいているので、お肌すべすべ。
はー、ごくらくごくらく。
2002年10月14日(月) |
山本文緒『恋愛中毒』 |
これは、タイトルがぐんばつにすばらしい! 脱帽ですね。 「お、読んでみたいなあ」 という気分にさせる。 そして、私は、このタイトルから今日びの恋に夢中になって分別を無くしちゃった女の子の話を連想していたんだけど、私の予想は見事裏切られました。
いい意味で。
この小説はただの恋愛小説というには、深刻です。 もしかしたら、人のどうしようもない弱さにげんなりしてしまうかもしれない。
この一歩を踏み出してはいけない、主人公はわかっている。 その一歩を踏み出すことで、それまで守ってきた地味だけど穏やかな生活が消え去ってしまうことをわかっている。 そして、そうわかっているのに、結局足を踏み出さずに入られないこともわかっている。
愛情を求めるあまりに犯罪行為を犯してしまった一人の女の物語です。
でも、私は不思議と、読んでいて不快な気持ちは起こりませんでした。 恋愛中毒で我を忘れてしまう、愚かな女性の心理が丁寧に描かれていて、シンパシイを感じました。 わかっていながら落下していく主人公を待ち受けている未来が、救いようのないほどのどん底ではないことが、読んでいる間、一筋の光のように感じられました。
いい作品です。
元彼、というのは、微妙なもんだ。 世の中にはいろんな恋の形があり、 その残骸として元彼、元彼女がいるわけですが、 そのありかたは千差万別なんでしょうね。
私には元彼という人が一人だけいます。 一人だけだから、自分にとっての元彼がどんな存在なのかを、いろんな元彼で比較対照することができないから、また微妙です。
久しぶりに元彼に会いました。 サークルが一緒で、3年間付き合った彼です。 サークルの同期会のメンバー男女8人で、ボーリングして、カラオケして、飲んだくれて雑魚寝しました。
相変わらずでした。
「相変わらずだね」って昔付き合ってた女にそう言われた
よくとっていいのか悪い意味なのか ただへらへら笑ってた (mr.children「LOVEはじめました」)
良くも、悪くも、ね。 元彼は、友達と言うにはあまりに知りすぎています。 その手の形、笑い方、声、話し方、すべてよく知っているものでした。 でも、その近さが友達になるのを邪魔します。
自分が書き上げた長編の物語は、書き上げた瞬間に読み返せるほど、お手軽なものではなく、 その物語を書いたときの苦労と喜びが風化して初めて、 単純に楽しめるのではないでしょうか。
元彼と別れてもう3年半。 思い出話ができるようになったということは、二人の物語はもう、風化してきているということでしょう。 「一度、すげーべろんべろんに酔っ払ったよな」 「ああ、そうそう。あん時が私の中で史上最高によっぱらった時だった」
「なんか、包丁さばきが上手くなってる」 「ふふん。当然」
この同期会は、これからも一年に一度開かれるそうです。 そして、ゆくゆくは恋人や、伴侶、子どもを連れて参加するような会にしたいねって話しています。
「ま、がんばって彼氏作れよ!」 「大きなお世話だっての!」
大学時代のサークルの同期会のため、上京です。 そう、まさに「上京」っていうちょっと時代遅れの言葉がぴったりの心境。
私はみやこへ上る、おのぼりさんです。 何度目かの東京ですが、何度行ってもも、やっぱり東京は特別なんです。 高速バスで3時間あまり、往復5千円で行けちゃうのに 「ちょっと週末は東京へ」 なんて気分にはさらさらなれません。 「東京なんて独りで行ったら、悪い人にかどわかされっちまう。おっかねえ」 ぐらい抵抗がある。
さいわい、今回は親しい仲間が待っていてくれると思うと百人力を得たようで、意気揚々と出かけて行きました。
しっかし、人の多いこと。 あっちもこっちも人・人・人。 うー。いやだあ。 しっかり歩かないと、人の濁流に飲みこまれちゃう。 浸透圧みたいにして、過疎の地域に人が流れて、うまい具合に釣り合いがとれたらいいのにねえ。
「満腹中枢こわれちゃってるよ」 と、昨日まで思っていたのですが、どうやら、まだ、正常の範囲だったようです。
今日、本当に、常軌を逸して食べまくってしまいました。 だって、おいしいんだもーん。 実りの秋ですよ。味覚の秋ですよ。
同じ秋なら食べなきゃソンソン。 ブドウ、梨、サンマ、柿、いちじく、栗。 おじいちゃんとおばあちゃんは、ありったけのものをテーブルに並べてくれました。 食べなきゃ孫がすたるでしょう。
やっぱり、みんなで食べるご飯はおいしーねー♪
あたいはみーこ。 これでも昔は器量良しでならした、ちょっとした三毛猫だったのよ。 だけど、女なんて年を取るもんじゃないね。 なーんにもいいことなくってやんなっちゃうさ。
あたいにだって人なみの幸せを夢見たことがあったわ。 かっこいいオス猫とであって、かわいい小猫を産むの。 そして、優しい人間に飼われて、縁側で昼寝して暮らすの。 餌をねだるときだけ「にゃーん」って、それはそれはかわいい声で鳴いてやるわ。
いいでしょう? 猫なんだもの。
どうして、こうなっちゃったのかねえ。
私のかわいい小猫ちゃん、ちいさくってふわふわしてて、そりゃあ食べちゃいたいくらいかわいかったのよ。 人間がかわいがるのもごもっともさ。 そんなことに嫉妬するなんて、そんなにあたいはばかじゃないから、余裕で見ていたわ。
あたいよりも、小猫のほうがたくさん餌をもらったってね。 あたいの座布団を占領したって許してやるさ。 だけど、小猫や、あたいを無視するなんてどういうことだい。 おまえを産んだのはあたいだよ。
こういうの、親の心子知らずっていうのかねえ。 腹を痛めて産んだ子に、自分の幸せかっさらわれちまうなんて、あたいも落ちぶれたもんさ。
でもねえ、人生何が幸いするかわかんないもんだね。 あの家をおんだされちまって、飢え死に寸前でたどり着いたこの家は、お人好しのじいさんばあさんの二人暮らし、いやというほど猫っかわいがりだ。 おや、見慣れない人間がやってきた。 若い女だ。
「みーこや、おねえちゃんがきたぞ」 「おじいちゃん、みーこはまた、えらい太ったねえ。 まーんまるじゃないの」 「にゃーん(失礼な女だね)」 「ん?みーこ、おめでたですかー?」
今日は文化祭の2日目。 昨日とはうってかわって、自由なムードでのスタートです。 フリーステージは誰でも、何をしてもいい時間。 ダンスあり、アカペラあり、太鼓あり、伝統舞踊あり、バンドあり。 どれもが生徒の発案だというのだから、おそれいりました。 全校生徒たった44人でですよ!? 子どもの思いもよらぬ発想と、創造力には脱帽です。
そして、音楽会へ。 ブラスバンド部、選択音楽などの発表があり、最後の全校合唱へ。 「大地讃頌」 私も中学時代歌った曲です。 一人残らずいい顔をしていたなあ。 一人だって一瞬だって指揮者の指先から目が離れることがなかった。 いい合唱でした。
エンディングで、感極まって号泣する3年生たち。 3年生を全校生徒で胴上げです。 文化の秋、実りの秋。 豊かな実りを感じる文化祭でした。 先生方はとりたてて触れられませんでしたが、例年こんなすごい文化祭をしているんでしょうか? 私は感動しっぱなしだったんですけど!
〈おまけ〉 お楽しみの職員合唱。 昨日来たときに 「きよこ先生は、じゃあ、この位置ね」 と、いうわけで、乗せられるまま、私も参加することになりました。 でも、遊びとはいえ、教師は手を抜かない。 振り付けもばっちり覚えさせられました。 「飛び出せ!青春!!」 校長先生の掛け声に、場内大爆笑。 そして、振り付けにさらに爆笑。 いつもはしかめっ面の先生がまじめな顔して変な踊りをするもんだから、生徒は大喜びでした。
ある先生の一言が印象的でした。 「こんなもん、あんまりうまくっちゃ面白くない。 へたくそだったり、失敗するのを見て生徒は喜ぶんだから、あんまり練習しちゃいけない」
教職はエンターテイメントなり。
今年の春に臨時で勤めていた中学校の文化祭に招待されちゃいました。
数ヶ月ぶりの学校です。 生徒たちは夏を越えて、みんな少したくましくなったみたい。 「名前覚えているかな?わたしのことみんなわすれちゃったかも」 というのも、杞憂で、会った瞬間に「わあ」って、会わなかった数ヶ月間を飛び越えて楽しく話ができました。
第一日目の今日は、総合的な学習の時間と選択教科の学習発表会です。 「ふるさととひとつに」 という、全体のテーマのもと、この半年間の学習の成果を、一人一人が発表しました。
「総合的な学習」は今年度から本格的に始まったもので、新学習指導要領の根幹となる「生きる力」を鍛えるための教科です。 具体的には、各自が興味にしたがって問題を設定し、教科にこだわらない横断的な体験を通して解決していくというものです。
ほんとのところ、「大丈夫なの」という気持ち半分でした。 「教科書がない教科だから、主体性にまかせるというと聞こえはいいけど、あそびに終始して学びが伴わないんじゃないの?」 って。 でも、次第に考えが変わってきました。 なによりも、総合的な学習の時間で価値があるのは生徒一人一人が「自分で考える、体験してみる」ということです。 それには十分な時間が必要です。 時間の割に、成果は上がらないかもしれないです。 でも、失敗も含めて、そのすべての過程が「学び」です。
今日、発表を聞かせてもらって、展示を見て、改めてそう思いました。 論拠のないもの、科学的ではないもの、結論のないもの、批判しようとすれば、つっこみどころ満載の発表でしたが、だからこそ、やる意味があるでしょう。 どうやったら、実りのある研究になるのか、これから考え、少しずつステップアップしていくのです。 時間をかけて一つ一つ子どもたちが自分の足で乗り越えて行くのが「総合的な学習の時間」です。 今日の発表で、みんなが時間をかけ、心を尽して取り組んできたのが伝わってきて、嬉しい気持ちになりました。
職員室の雰囲気もあいかわらずでした。 校長先生はじめ、笑い声の絶えることのないあたたかな職員室です。 本当に居心地がいい。 久しぶりに心から笑ったような気がしました。 学校にいると自然と笑顔があふれてくるのだから、私は学校好きなんでしょうね。
「あれ、きよこ先生、気づかなかった。 あんまりとけこんでるもんだから」
「きよこ先生、このまま春までうちの学校に勤めたらいいじゃん」 できることならそうしたいもんですよー。
2002年10月01日(火) |
I'm happy to |
このところ日になんども郵便受けをぱかぱか開ける落ち着かない毎日。 教員採用試験の結果は9月下旬に郵送されることになっていたのです。 そして、金曜日、それはひっそりと郵便受けにやってきていました。
合格
あまりにもそっけない文面を要約すると、どうやらそう言うことらしい。
「おめでとうございます! あなたは合格です! 来年からは先生だかんね、こころしてやってよ!」
なんて、わかりやすく書いてくれたらいいのに。 読み間違っちゃいけないと思って何度も読み返しちゃったよ。 「ほっとした」というのが率直な感想。 喜びであることに違いないんだろうけど、安堵した、胸をなで下ろした、という表現のほうがよりふさわしい気持ちです。
おじいちゃんおばあちゃん 「やったねえ。よかった、よかった。」 本当にご心配おかけしました。
前にお世話になった学校の校長先生 「やったじゃん。おめでとうございます!! たいしたもんだ」 校長先生のご指導のおかげで合格できました。
前の高校の同僚の先生 「えー、ほんとー、すごーい。 びっくりしたー。いや、ごめんね、落ちるって思ってたわけじゃないんよ。」
お母さんに電話する。 「ほんとー!!うわー、すごい!おめでとうございますー」 あまり、感情の起伏のない人なのに、はずむような声で喜んでくれた。
とても嬉しいです。 我がことのように喜んでくれる人たちの声を聞いて、私はいろんな人に支えられている幸せを感じました。 そして、いろんな人の祝福の中でだんだん実感として、合格の喜びがわきあがってきました。
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