2002年09月30日(月) |
高樹のぶ子『光抱く友よ』 |
それまで読んだことのない作家の本を手にする時、新しい世界にのりこむような期待で、胸がわくわくします。
それまでの常識を覆してくれるようなおもしろい世界を見せてくれるんじゃないか、思いがけない表現であっと言わせてくれるんじゃないか、わくわくです。
高樹のぶ子さんに初挑戦。 女性作家は場面の説明にこって、出来事の描写に終始してしまうことが多いように思います。 これは人の好みですが、私は、あんまりそういうのは好きじゃなくって、もっと内面をぐっと掘り下げて、かつ簡潔な言葉で言いきって欲しかったりするので、高樹のぶ子さんの文体はうならされました。
邪魔な装飾をはぶいて、質素で硬質なんだけど、鋭く本質をついています。 「高校の現代文の問題になりそうだな」なんて思いました。
「僕はまだ、男女のことを殆ど知らないわけだが――」と言い淀んでいたが、 「経験を共有するなんて変な言い方になるけれど、たとえば相手の経験が自分 のものと同じほど大事になる、それくらい近づきあうことは可能だね。 知識だって共有できないはずはないんだ――」 と言葉の端々に力をこめて言った。 「知識と言ってもだよ、読んだ本や専門的な学問のことじゃなくて、頭の中に蓄 えられていていつでも自在に出てくるもの、考え方の共鳴といったようなこ とかな。 その相手がいなくては、自分の考え方を確かめる方法がない、という繋がり方 をした男女もこの世の中にいるはずだよ」とつけ加える。
うんうん。そんな風に感じられるような人はかけがえのない存在だね。
みんなどうなんっすか? 気になりません?
「これ一本で家庭の味」 とか「煮物はこれ一本」 って、キャッチフレーズで、お手軽においしい料理ができますよって調味料。
私はむむむって感じ。
スーパーマーケットをうろうろしていると、本当にたくさんの調味料を売っていていて、以前は手に入れにくかったエスニック料理の調味料やスパイスが普通にそろっていたりする。 その半面、「これ一本」式の調味料もすごく多いのに驚いてしまう。 この前なんか、「ゴマあえの素」が売っていて、びっくり。 素を買うほどのもんなのか? かえってそういうのは、応用がきかないから、台所にごろっとたまっちゃって、賞味期限切れても使い切れなさそう。
私はなるべく基本的な調味料(砂糖、塩、胡椒、酒、みりん、酢。、ハーブなど)をそろえて、いろいろ配合して自分好みの味を作っていくのが好きなのです。 私はかなりうす味好きなので、「これ一本」の味は辛く感じちゃうんです。 それに、何が入っているか心配。 製品化の過程が複雑になるほど、添加物はたくさん使われる危険が増えるし、原材料が見えなくなっちゃう。 なんだか安心できないんです。
かといって私がナチュラリストかっちゃー全然そんなことはなく、とっても添加物多そうな駄菓子とかだーい好きだったりします。 ただ、まあ、自分で作るときぐらいは、健康によさげなものを作りたいなって思うわけです。はい。
2002年09月27日(金) |
村上春樹『ノルウェイの森(下)』再読 |
下巻は上巻でふりまかれた複雑でもやっとしたカオスが、収束に向かって動き出すのでさらっと読んでしまいました。
「さらっとしすぎて、らしくないわ。」 ぐらいの感じで。 人生や存在にたいする軽い諦観はかなり身を潜め、恋愛がクローズアップされています。 ため息出ちゃうぐらいリアルです。 「ああ、私のことみたい」 共感を通り越してます。 きっと、私だけでなく、私の年代の人が読んだら、誰しもがこんな気持ちを抱くんだろうなあ。
「どうして?」と緑は怒鳴った。「あなた頭がおかしいんじゃないの?英語の仮定法がわかって、数列が理解できて、マルクスが読めて、なんでそんなことわかんないのよ?なんでそんなこと訊くのよ?なんでそんなこと女の子に言わせるのよ?彼よりあなたのほうが好きだからにきまってるでしょ。私だってね、もっとハンサムな男の子好きになりたかったわよ。でも仕方ないでしょ、あなたのこと好きになっちゃったんだから」
“若さ”の真ん中で右往左往している人のところへ行って 「はい」 って、ぽんってこの本を手渡してあげたくなった。
明日の最低気温はマイナス3度ですって。
秋の夕暮れはつるべおとし、そして、冬へと駆け足で向かっています。
この季節になると私は決まって編み物がしたくなります。 むずむずうずうずしてきます。 ひょいと手芸店に立ち寄っていい毛糸がないか物色したり、雑誌をめくって、この冬の流行を眺めたり、着々と編み物の準備を進めます。
そして、ショールを作ることに決めました。 三角形でぐるっとまくとマフラーのようにつかえる大判の、ちょっとレトロっぽいやつ。 もくもくもくもくとかぎ針を動かしていると、 「あやしふこそものぐるほしけれ」 とでもいうような、えもいわれぬ喜びがわきあがってきて、ついつい手を止めることができず、夜更かししてしまいます。
高校のときの数学の先生が手編みのセーターを着てきていたことがあって、 「先生、そのセーターは奥さんの手編みですか?」 って、からかったら、 「編み物なんて単純なルーティーンワークをやりつづけるなんて、女ってほんとにくだらない!」 なんて、はぐらかされたけど、この、単純な動きをひたすらに心を込めて続けるというところに、写経にも似た癒しがあるんだけどなあ。 わっかんないかなあ。
さて、編み物のいいところは、自分の思い通りのものを作れるところと、なんといっても安いことです。 お店では、マフラーで2000円は下らないし、手袋だって1000円はしちゃうから自分で編むととってもオトク。 でも、セーターとか、大物になってしまうと、毛糸代のほうが買うよりかえって高くなってしまうことが多いので、私が編むのは小物ばっかり。 手編みのセーターって、実はリッチな代物です。 男の人への心のこもったプレゼントの代名詞のような手編みのセーターですが、コストも高いし、時間もかかるし、下手だと嫌がられるし、別れたら処分に困るし、実は贈るにもかなりの英断が必要なんですよ。
2002年09月25日(水) |
村上春樹『ノルウェイの森(上)』再読 |
「なんだか、ああじゃないこうじゃないってもじゃもじゃしていて、もっとはっきりしたらいいのに。 主人公はなんかもったいぶってかっこつけた感じでいけ好かないし。読んでいて退屈だ…。」
以前この『ノルウェイの森』を読んだときには、読むことが苦痛ですらあった。全然面白くないけど、とにかくどんな本でも読み始めたら最後まで読み終えるのがポリシーだったから、何とかかんとか最後まで読んだ本。 あえて、再挑戦です。
表紙をめくって、タイトルページをめくって…あれ、全然退屈じゃないじゃん。 それどころか、いいのでは?随所にどきっとさせられながらぐいぐい読まされる。
「読書は経験の代用としては有害なものであるが、 経験を解釈し、拡張する上においては最も重要である」 デューイ『学校と社会』 ってことか☆ 大学に入って自分とは何かを探し求める主人公とミドリ、直子。葛藤したり、語り合ったり、求め合ったり、めちゃくちゃをしたり。 今、私自身がそういう時を越えてみて、この物語はむしろ懐かしさをもって胸に迫ってきます。
これ、初めて読んだ時、私は小学生か、いいとこ中学2年ぐらいだったから、そりゃあ、わかりっこないよねえ。
「何か事件が起きるでもなく、淡々とひたすら続くのね」 って、思って、ほんとに惰性で読み切ったんだけど、この作品がすごいところは、そんな風にいやいや読んだはずの私にしっかりと文章を刻み付けていたことです。 読んでいて、「あ、これ、覚えている。」 という、デジャブのような感覚を何度も覚えました。 たとえば、寮のルームメイトの突撃隊の話、レイコさんの過去、長沢さんが大きなナメクジを3匹飲んだという武勇伝。読む瞬間までは忘れているのに、読んだ瞬間に、 「ああ、この記憶は『ノルウェイの森』だったんだあ」 と気づく。
上巻を読んでみて、一番胸に染みた言葉。 幸せについて
「まるで荒れた冷たい海から引きあげられて毛布にくるまれて温かいベッドに横たえられているようなそんな気分ね」
水彩絵の具の水色で塗りつぶしたような、真っさおな秋の空が広がるようになりました。
毎日が日曜日みたいな私は、朝寝坊して、昼間は何をすると言うこともなく、のんびり過ごすことが多いんだけど、今日は、ちょっと自転車で遠出。
きこきこきこきこきこ。
私、自転車って好き。 風を切って走ると、町並みのちょっとした変化や、過ぎ去ってはやってくる季節の移ろいに気づきます。 今日は、あんまりにも気持ちよく自転車日和だったのでちょっと寄り道回り道。 住宅街の小さな道をきこきここいでいくと、ふっと、懐かしい匂いがしました。 一瞬、何の匂いか分からないくらい遠い記憶。 金木犀です。 小学校の体育館の裏には、一本の大きな金木犀の木があって、秋になると甘くて優しい匂いが一面にみち、私はその下で友達と遊んだものでした。 懐かしいなあ。
いつもうだうだごろごろしてばかりいないで、自転車こいで出かけるってもんだ!
2002年09月20日(金) |
Sweets Crazy |
秋風が吹いて半袖に腕をとおすのを躊躇するようになると、どうしてこんなにお腹が空くのでしょう? 今年もやたらとお腹が空きます。 ♪いくらたべてもたりないなー
とくに、甘いもの!
年がら年中甘い物好きだけど、ちょっと常軌を逸しています。今、お気に入りなのは、ヤマザキの「ローズネットクッキー(80円)」一日に何度もたべたくなっちゃう。 ローズネットクッキー片手にコーヒーを飲んで本を読んだりするひとときが今一番幸せなのだ。 あと、突然「まめ大福―!!」って時も、やっぱりヤマザキ(80円)。お餅がもちもちなのー☆ それから、しょっぱ系で最近のヒットは、カルビー「堅ポテト(138円)」見たところは何の変哲もないポテトなんだけど、食感がよい!硬派なチップスです。
…おやつのことだけで、この熱の入りよう。 相変わらず。
去年教えていた中3の子達は、授業をはじめようとすると、言ったもんです。 「先生、最近はどんなお菓子にはまってますか?」 授業をはじめさせまいとする作戦だってわかっていながら…私は語らずに入られなくって…一度は50分の授業全部お菓子の話をして終わってしまったことも…。
あほー。
2002年09月18日(水) |
現代「孟母三遷」事情 |
最近家庭教師をしていて、教師をしていたときよりも、個人的な感覚でお宅にお邪魔しています。
家庭教師って、ひじょーにびみょー。 教師よりも一対一だから、親密になれていいなあ、と思いきや、「成績アップ」が売りのビジネス色が強いから、ドライかも。良し悪しですなあ。
それにしても、私が受け持っている生徒はみんなすごーくよく勉強をする。 (私がするように育てたなんてことはかけらもありません) 平日に2時間半とかやってるってきいて、「けっこうやっているんだね」なんて平然と言いながら、心の中では「中学生で一日2時間半も、勉強することあるの?それやりすぎ!」 なんて思ったり。
本人も、勉強にすごく前向きなんだけど、印象的なのがお母さんの頑張り。 まるで我がことのように、参考書を選んでそろえたり、勉強方法を子どもと話し合ったり、試験の対策を練ったり。 “二人三脚”って感じで一緒にがんばってる。 いまどきのお母さんってみんなこんな感じなのかなあ? うちのお母さんは、みごとに勉強に無関心だったの。 成績が上がろうが下がろうが勉強について何かいわれたという覚えがない。 「宿題やったの?」って聞かれたこともない。 私も勉強に無関心だったから、それはそれでよかったんだけど、今、二人三脚親子を見ていると、「一緒の目標に向かってがんばってて、仲良くていいなあ」って思います。
でも、振り返ってみて、私にとってよかったなあ、と思うことは、物心ついたときに、まわりにたくさんの本があったことです。 子ども百科事典とか、偉人伝とか絵本がたくさんありました。 小さい頃にそういう本に触れられたことは、すごいラッキーだったと思います。 そういう環境を作ってくれたことには、うちのお父さんとお母さんに感謝しなきゃね。
テレビをつけたら、さんさんと降り注ぐ陽光の下で上半身はだかで行き交う人々が映し出された。 テロップには“2008年に向けて、裸にNO!”
ああ、オゾン層の破壊で紫外線の害が深刻ですもんね。 そんな上半身を無防備にさらして歩き回ったら、危険だわ。 暑くっても、シャツなり何なり着ないと。 裸になるなら、ちゃーんと、日焼け止めを塗ってね。
って、ガッテンしてたら、どうやらそういうことじゃないらしい。 映し出された場所は北京。 2008年にはオリンピックが開催されます。 と、いうわけで、世界中の人々がやってきても、恥ずかしくない国際的に洗練した都市にするための、“裸NO”だそうです。 ある新聞社を中心に一大キャンペーンを催して、裸で闊歩するおじさん方にTシャツを配っていました。
なーんだ。 なんだかもったいない気がしました。 だって、裸のおじさんたちはほんとにのびのびとしていて、そこに昔ながらの北京の人々の生活を感じるんですもの。 既成の西洋風のTシャツを着せてしまうのは、大袈裟だけど、息づく文化の消滅みたいな寂しさを感じました。
2002年09月16日(月) |
『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか』 |
言えます? 私言えないな。絶対無理。 しかし、この本の筆者はそれをやってのけてしまいました。 しかも、仕事で初めてあった人に。 「英雄的行為、好呵!!」
しかし、この本は傍若無人な猛者の、英雄的行為を記録したものではなくって、本来は、私なんかと同じ、 「ほんとは鼻毛が出ていることが気になってしょうがないのにいうことができずにいる」 小市民が、「ちょっと小さな勇気を出してみた」記録です。
鼻毛指摘のほかにも、 ・ 電車で知らないオヤジに話しかけ飲みに誘う ・ 激マズ蕎麦屋で味の悪さを指摘する ・ 知人に貸した2千円の返済を迫る ・ 電車でマナーを守らぬ乗客を叱り飛ばす
う〜ん。あるある。 やりたくってしょうがないけど、どうしてもできないよねえ。 私がとくにやりたいことは「電車でマナーを守らぬ乗客を叱り飛ばす」…気になって気になって、ついにらんじゃうんだけど、注意できないんだよねえ。 だから、この本を見つけたときに 「ああ、こんな偉業を成し遂げた人がいるんだ! 是非参考にしたいわ」 と思ったんだけど、なにせ筆者も小市民。 小さな勇気をふりしぼっても、成功するとは限らない。 マナーの悪い乗客に果敢にも挑戦するも、無残に惨敗。 逆切れされ、ほかの乗客にまで失笑されてしまったり、とほほな結果。 でも、小さな勇気、おすそ分けしてもらった気がする。 にらみつけるぐらいだったら口に出したほうが潔いじゃんね。
今日は卓球の試合に行ってきました。 大学時代に一緒に練習してきた仲間と久しぶりにチームを組んでの試合は、懐かしくって楽しかったです。
あるチームとの試合、なかなかの混戦で、2−2で、五番手に勝敗が委ねられました。 わがチームの五番手はちーたん。私の一つ後輩です。 ちーたんはとっても強いんだけど、相手チームの選手もかなりやる。先に2セット先取されてしまった。 でも、ちーたんも落ち着いて作戦を立て、3セット目、追いついてジュースになりました。
ベンチは大盛り上がり、私も精一杯応援します。 でも、ボールが動き出したら、もう、声を出すことはできません。もう、まわりで見ている人間にはどうすることもできません。 「こんなにがんばっているんだから、どうしても勝たせてあげたい!」 こう思う時、最後の手段で私は祈ります。 なんだかわかんないけど、祈ります。 誰にというあてもなく、祈ります。 祈る言葉を知らないので、祈りの言葉は高校時代の朝の祈りです。 …天にましますわれらの父よ、御名が尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく、地にも行われんことを。…
困ったときの神頼みってやつです。 でも、不思議とこうして祈ると、願いが通じるんです。 この時も、何度もジュースを繰り返した末、ちーたんがこのセットをとりました!そして、4セットも連取! ただ、最後の最後には、負けてしまいました。
卓球は「勝てば官軍、負ければ賊軍」のせちがらい世界。 今日、残念ながら勝つことはできなかったけれど、ちーたんはすごくいい試合をしてくれて、勝ちよりも価値がある試合もあることを思い出すことができました。
2002年09月11日(水) |
田口ランディ『昨晩お会いしましょう』 |
のっけからの超激しい性描写にめんくらって、 「なんじゃなんじゃ、ポルノ小説かや?」 とおもってしまった。 表現が奇抜で、刺激的なもんだから、底に流れるすごく繊細な感覚的な主題を見逃してしまうところだった。
とくに印象的だったのは「堕天使」 SMの出会い系サイトで知り合った女と不倫の関係をずっと続けている産婦人科医。お互いに伴侶とはセックスレスだが、不仲というわけではない。 家庭と不倫の両立が上手く行っていた、不倫相手が夫の子を妊娠するまでは…。 彼女は「夫の子どもなど産みたくない」と言い、堕胎を主人公に依頼する。
傍目には幸せに見える主人公の人生のすきまに見え隠れする小さな煩悶。 それは、立場は違っても誰にとっても普遍的なものなのかもしれない。
一冊読み終えて、またびっくり。 どうやら田口ランディさんって、女性だったんですね。 ずーーっと男性だと思って読んでました。 そう言えば主人公は女性が多かったし、女の心理を細かく描写しているなあとは思ったけど。 文体がさっぱりしていて、女っぽいねちっこさがないから、かってに男性だって思っていました。
2002年09月10日(火) |
二つの『冷静と情熱の間』 |
今更ですが、『冷静と情熱の間』観ました?読みました? 映画を観て読んだ?読んで映画を観た? どっちから読んだ?
恋愛小説、恋愛映画、一つの物語として語られることが多いけど、その恋愛の渦中にいる二人は、それぞれ違う風景を見ているかもしれない。 この発想から辻仁成、江國香織の二人がそれぞれ男と女の立場から『冷静と情熱の間』を書いた。
私はまずこの成り立ちを知って、快哉を叫んじゃった。 だって、それぞれの立場から見ると一つの恋愛でも、違う風景がある、至極当然のことなのに、今までこんな試みをした作品はなかったように思う。
と、いうわけで、私が手に取ったのは、男編『blu』 一気に読んでしまい、すぐに女編『rosso』に。 『blu』では、主人公が10年前に別れた彼女にどうしようもなく心を残している様子が丁寧に描かれていて、読んでいる私も一緒になって恋焦がれ、「10年前の約束、覚えていてくれるかしら」と、はらはらしながら読んだのですが、『rosso』は女側の立場でありながら、あんまり感情移入もできず、ちょっと期待が外れてしまった。 でも、『blu』だけでも、2冊分の満足感を満たすぐらい面白かったです。 ただ、せっかく、「一つの恋愛をお互いの立場から見たら」という試みなのだから、二人にもっと重なり合うイベントがあったほうが面白かったように思います。 これから、この『冷静と情熱の間』みたいなスタイルが一つのジャンルとして確立され、多くの作品が生み出されたらいいのになあ。
中国歴史小説を書かせたら、日本でこの人をおいて他にはいないでしょう! いつかNHKで、作者の特集をやっていたんだけど、もともとはお勤めをしていて、遅咲きの新人だったらしい。 古代中国の文献を読んでいて、その漢字の研究を趣味にしていて、それが高じて小説を書くようになったということだ。 さもありなん。 しっかりとした文献を下敷きにしているから、2000年も前の中国の物語なのに、すごい現実味を持って迫ってくる。
宮城谷作品というと、2〜3巻におよぶ長編が多いんだけど、この『玉人』は短編集なので、初めての人にぜひお勧めしたいな。 どの作品も、すごく個性的で魅力的で、最初の1ページでぐいぐい引き込まれて、あっという間に読まされてしまう。 全部読んだ後、「どれも似たようなのばかりじゃん」 って、がっかりすることはないと思う。
登場人物は多分すべて歴史上本当に存在した人物。 世界史で習ったような王朝の樹立者から、思想家、史家など、「あ、知ってる!」みたいな発見もあって面白い。 私は以前『晏子』をよんだんだけど、この短編の中に晏子がひょっこり現れた時は、「ああ、なつかしい!」みたいな。 三国志なんかが好きな人にはうってつけなんじゃないかと思いました。(私は読んだことないのが残念)
学校で教師をしていた時、ふと思った。 「学校って、デパートみたいなもんだな。」 各教科がそれぞれの専門店で、教師はその店の店長さん。 だから、教師間に先輩、後輩はあっても、原則的にそれぞれのお店はそれぞれの店長に任せられている。 それぞれの教師が、それぞれの工夫で、生徒の学びの手助けをしているところ。 上司、とか部下、っていう関係がない社会。 (あるとしたら、校長教頭と教員の間かな)
そんなところに身を置いていたため、今になって、 「上司とのつきあいって難しいなあ」 なんて思います。
今フリーター稼業をしていて、いろいろ、下っ端なのですが、“がまんの臨界点一歩手前”の上司がいます。 しかも、何人も。 でも、こんなにがまんがならないのは、上司だけの責任ではなくて、私の度量の狭さももちろんある、と思います。 なので、「“がまんの臨界点一歩手前”の上司と、円滑に仕事をする」のが今の目標です。
もちろん、「ついていくわ」と思える上司もいます。 「精一杯がんばるぞ」 「認められたい」 って、思わせる、畏敬の念を抱かせるような人もいます。
私にとって、いい上司、悪い上司って何だろう?
人柄? そうねえ、ユーモアがあって、楽しい人にこしたことないよねえ。陰気で卑屈な人はこまるわ。 私が今、嫌だなって、思う上司の共通点は「ねっとり」 必要以上に近よってきたり、斜に構えて人を見たり、状況を顧みずにおしゃべりしてきたり、 「仕事しろよ!」 ってつっこみたくなることしばしば。 仕事、やっぱりこれでしょう! だって、仕事上でのつながりなんだもん。 仕事意外のところで親しくなるかどうかは、後の話でしょう。上司でありながら、率先して仕事をおろそかにしちゃうような人は嫌だな。
あさがおが咲いたよー。 ぽんぽんぽんって、3つ。 赤むらさきの鮮やかな大輪のあさがお。 ベランダに張ったネットに広がった緑のつる、大きな葉っぱ、その緑色だけでも、マイナスイオンだかなんだか、とてもいい気持ちにさせてくれたけど、やっぱり花が咲くと、絵になるよな〜。 うんうん。 よしよし。
でも、今年は、きっと、これでおしまい。 植えるのが遅かったから、つぼみがこれしかつきませんでした。 よーし、花が終わったら、種だ。 3つの花の種をとっといて来年はちゃんと早く植えるぞー。
2002年09月05日(木) |
アマゾン屋さんに遊ぶ |
ネットでサーフィンゴーゴゴー♪
今日びのウェブサイトってすごいなあ、と、思わず時を忘れて遊んでしまったのが、Amazon.co.jp yahooo!とかで検索すると、“Amazon.ne.jpで関連する本を検索する”ってアイコンがでる、あれです。 でっかい、品揃えのよい本屋さんなので、私も何度かお買い物をしたことがあるのですが、今日は、お買い物以外で遊んじゃいました。
何が面白いって、お得意様気分が味わえちゃうところ! まず、サインインが必要なんだけど、名前とか、住所とか入力すると、ページに行ったときに、「こんにちは、きよこさん」とか言ってくれる。
その上、「おすすめの本」ってところをクリックすると、私のこれまでの検索履歴とか、購入歴とかから、私の興味に会いそうな本をたくさんリストアップしてくれるの! それが、馬鹿にできないもんで、けっこう趣味に合っているからオドロキ!! その上、さらに、それぞれの本に、「持っている」「興味がない」って、クリックできて、その私からのフィードバックによって、どんどんおすすめ本リストが更新されていくんだよー。 普通の本屋さんだと、置いていないようなレアな本があるし、自分好みの本中心に出てくるし、本好きとしてはもーうはうはなページです。
2002年09月04日(水) |
美輪明広さんのおしへ |
私が一目置いている論客に美輪明広さんがいます。 彼女の人生相談とか、もうくぎ付け。
「見た目ばっかり磨いたってダメ。美は内面から輝くんだから、もっと美しい芸術に触れたり、優れた文学に触れたりして、内面を磨かなければ。」
言い古されたこんな言葉も、彼女が言うと説得力がある。 そんなわけで、私は美輪明広ウオッチャーなのですが、彼女の言う、「優れた芸術、文学」の具体例によく名前が挙がるのが、寺山修司と言う人。 私、どっかで名前を聞いたことがあるぐらいで、よく知らないから、これはぜひ知っておかねば、と思っていたら、ちょうどよく目にとまったのがこの本。
『寺山修司の忘れ物−未刊創作集』 寺山修司の初期の戯曲、詩、小説で、未発表のものを集めたもので、寺山修司入門者にはうってつけの一冊でした。 なるほど、確かにすごく素敵な表現者だなあという感じを受けました。 言葉がいかしてる。斬新です。 特に気に入った一節を、小説「ゼロ地帯」から。
――混血のマリには恋のほかに生きがいなどあろうはずがない。あたしは、浮気なんかじゃないんだわ、情熱にたいして誠実なだけなんだわ。 マリは口ぐせのように言っていた。 「貞淑な女の人って、情熱にたいして怠けてる人のことじゃなくて?」
好きです。他にも読みたくなりました。
この夏、念願のあさがおがやっとつぼみをつけました。
もう九月になってしまったなあ。
やっぱり植えるのが遅かったから、丈はぐんぐん伸びても つぼみはほとんどつかないみたい。 しょうがないか。
少しずつ少しずつ、つぼみがふくらんでいきます。 色は赤むらさきのようです。 咲いた朝顔を見逃さないように、早起きの習慣をつけよう。
2002年09月02日(月) |
久世光彦『燃える頬』 |
不思議な森の生活。 舞台は第二次世界大戦末期、主人公は父と二人で東京から疎開してきた15歳の少年。 戦争はますます激しくなっていたはずなのに、その森の生活には、まるで生活苦や食糧難といったものからはかけ離れ、優雅ささえ漂っている。 日本の片田舎であるはずなのに、西洋的な空気感はなぜだろう。
疎開先の森の日々は、ゆっくりと静かではあるがその一夏に少年はある女性と出会い、少しずつ大人へと変わっていく。
この物語がセンチメンタルに終わらないのは、父と少年との朴とつな「男の世界」が一貫しているからかもしれない。 女の私の目からは、べたべたしないけど通じ合っている、というこの父子関係は新鮮だった。
(余談) この本は、図書館で何気なく手にとって読んでみた本だけど、いろんなつながりに気づきました。
私は三島由紀夫が好きなのですが、三島氏が若い頃、ラディケにずいぶん傾倒していたと聞いて、最近ラディケの『ドルジェル伯の舞踏会』を読みました。 そしたら、その後読んだなかにし礼のエッセイ『愛人学』で、『ドルジェル伯〜』からの引用がありました。 そして、この作品、『燃える頬』はラディケの『肉体の悪魔』を意識して書かれたそうです。また、久世光彦は、三島由紀夫を尊敬しているとのことです。
こんなふうに、いろんな点が振り返ってみると一つの線につながっているということに気づくことがたまにあります。
ラディケなんてほんの一年前までは名前も知らなかったぐらいなのに、いろんなところで接点が出てきました。 こういう時、私は、今の時期に私が手に取るのにちょうどいい本が、自然に私に向かって集まってきているような感覚を覚えます。 こういう不思議な縁を感じることも本を読む楽しさの一つだなあと思います。
2002年09月01日(日) |
サトラレ〜目は口ほどに〜 |
サトラレって、漫画や映画、ドラマをやっている。 それは特別な能力を持った人で、その人の考えること、思うことを周囲の人にサトラレてしまう能力を持った人だ。 私って、「サトラレかしら?」ってくらい、思ったことが顔に出ちゃう。 目が口ほどに物を言ってしまう。
機嫌がいい時はいいのよ。 嬉しい、楽しい、おいしい、興味津々。 顔いっぱいで表現しても、周りの人を嫌な気持ちにすることはないから。 問題なのは、不満な時。 気に入らない、つまらない、どうでもいい、嫌い、疲れた。 ぜーんぶあからさまに顔に出てしまう。 周りの人を、私の問題で不快にさせてしまうのは、自分としてもすごく嫌なのに、なんせ、サトラレです。
今日は、ちょっと疲れていて、また、いつもにましてご機嫌ななめでした。 元気な時は、躁病みたいに元気がよくて、愛想がいいのに、疲れていたり、体調がよくなかったりすると、無口になって、自分のことしか考えられなくなってしまう。 自分勝手でいやになります。
今日は、卓球クラブでの合宿旅行。 卓球あり、温泉あり、宴会ありで、楽しい楽しいはずなのに…。 ちょっとしたこと、些細なことに批判的になっている自分がいました。 たとえば、 「おじさん、いくら暑いからって、上半身はだかで卓球するってどういうこと?」みたいな。 いつもだったら、笑ってすませること、心の中で毒づいて、きっと顔にも表れていただろうな…。 情けないな…。
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