NHKの朝ドラ『わかば』が終わった。前回の『天花』があまりにも演技の下手な二人が主人公だったので、今回のドラマは安心して見ることができた。どの人も演技が上手で、やっぱりこうじゃなくちゃね・・・という感じだった。また、脚本にも無理がほとんどなくて、継続して安定した面白さがあったかと思う。(飛びぬけてすごい面白いというわけでもなかったが)
主人公わかばをやった原田夏希はさわやかでいい感じを毎回出してくれていた。段々ぽっちゃりしていく感じがしたけど、健康的な感じでいいかなと思った。最初の頃活躍した準一役の塚本高史がよかった。こんな人にプロポーズされてわかばは一体・・・と思ったものだったが、友達にしか見られない人っているのかもしれない。結婚相手となる雅也をやった姜暢雄はちょっとなぁと思うところもあったが、まあよかったかな。
弟の光役の崎本大海が最初の頃いい味出していた。こんなおっとりしたいい弟がいたらよいだろうなーというような感じ。それと個人的に啓太役の内野謙太が好きだった。
まあ、どの人々も演技が上手でよかったが、時々わかばの母・詩子にはわからないことがあった。その思考とか行動があまりにも突拍子もないと思われるところもあって・・・。
私は震災を経験してないから、その心の傷がわからないと言われればそれまでなんだけれど、一番わからなかったのが娘の結婚式のシーンだった。自分も最近結婚したから、わかばが結婚前に悩むところとか、マリッジブルーみたくなるところなんかを興味深く見ていた。自分が結婚の準備をしたのも大変だったなとか思いながら見ていたのだけれど、親にとっても娘の結婚というのはある意味一大イベントで、普通は衣装を選んだりとか色々なことを娘と一緒にやりたがるものかと思っていた。でも、詩子は違う。神戸と離れているのもあるとは思うが、結婚の前日にも親友の娘の結婚式に出るために宮崎に残り、当日も結婚式ぎりぎりまで来なくて、ついにチャペルでの挙式が始まり、始まった後でようやく姿を現すのだ。いくらトラウマがあるとはいっても、こんなぎりぎりまで親が顔を出さないのってどうなのだろうとちょっと思ったのだ。
結婚式の当日って、親の方が普通は色々と気配りをしたりするものみたいで、うちの親も夫側の親も来てくれた人に挨拶したり色々していた。遅れるなんてもってのほかって感じがしたのだ。それも、遅れた理由が「父さんと昔歩いていた場所を見て回っていた」ということで、ちょっとあきれるかもと。そういうことは結婚式が終わってからいくらでもできるでしょう・・・って。娘のこと、あんまり考えてないのかなーってちょっと思ってしまった。時々詩子は子供たちをすごく突き放す言い方をし、それはそれで悪くはないと思うが、行き過ぎるとどうなのかなって思った部分だった。
まあ、あとに関しては穏やかなまとまり方をしていたし、特に文句はないのだが・・・。本当に設計したとおりの緑のある家ができるのかなーと思ったけれど、できたら一度住んでみたいような気がした。
★わかばの小説版
優しい時間
あの倉本總の脚本だということで、何となく見ることにした。私は『北の国から』は一応全部見ている。最後の方はあまりついていけない部分もあったが。ちなみにどうもこの作品、脚本が倉本總のときと、そうではないときとあったみたい。そうではないときには「原案:倉本總」という風に出ていた。
海外での仕事が多いエリート商社マンだった勇吉は、妻を交通事故で亡くし日本へ戻る。そこで息子がぐれており、息子・拓郎の運転する車に乗っていて妻が死亡したことを知る。妻を深く愛していた勇吉は拓郎を許すことができず、拓郎も「一人で生きていく」と言い残して親子は断絶する。勇吉は妻が生前話していた「自分でミルをひかせるコーヒー店」のマスターになるため、妻の生まれ故郷富良野に向かい、念願の店を開く。一方拓郎は富良野の近くの窯元で陶芸の修行に励んでいる。喫茶店のアルバイトのあずと偶然知り合った拓郎は、あずが父の店で働いていることを知る。勇吉も次第に拓郎がどうしているかを知るようになり・・・。
親子の断絶と和解を描いたこの作品は、北海道の美しい自然の中に佇む、本当にゆっくりとした時間の中にうまく溶け込んでいた。きっと親子が和解するのであろうと思いつつも、二人がどちらとも苦しむ様子にやきもきするようなこともあった。また拓郎とあずの恋愛のようなものや、あずがトラウマからリストカットなどをするというような若者の弱さみたいなものも自然に描かれていたと思う。
最後の山場の和解のシーンはすばらしいものがあった。寺尾聡の抑えながらも父の優しさや息子に対する愛情、そして後悔のようなものを感じさせる演技もよかったし、二宮和也の一生懸命父にわかってもらおうと話す姿、謝る姿が涙を誘った。終わり方もさわやかな感じで本当によかったと思った。
また、時々出てくる妻の幽霊が非常に優しい話し方で好感が持てた。実際には死んでいるはずなので妻の印象を勝手に勇吉が作り上げているだけなのだとは思うが、このシーンが毎回入って何となく心がほっと和む感じだった。でも、またこういうのをやりすぎると、子供たちが「人間は生き返る」なんていう風に思ってしまうのかもしれないが・・・。
一点、残念だったのは、わき道にそれる部分がすごく多かったこと。その部分を入れずに、親子とそれを取り巻く人々の物語にした方がわかりやすかったのではないかと思うのだ。確かにマスターの人柄を描くために少しはそういうエピソードも必要だったのかもしれないが、あまりにも突拍子のない感じのエピソードもあったし、本当にいらないような気がしたものが多い。そういうそれる部分はどうでもいいやと流してしまう自分もいた。
そういうところを削り、もっと親子の周辺だけを密に描いた方が、絶対にもっと引き締まったすばらしい作品になったと思うのだが・・・。ちょっと残念だった。
★優しい時間 シナリオ
2005年03月24日(木) |
みんな昔は子供だった |
みんな昔は子供だった
山の中の分校は生徒一人で廃校の危機。そこで都会からの山村留学生を受け入れることにして・・・というお話。都会からの山村留学生はそれぞれ色々な問題を抱えているものの、やはりそこは子供。そこまで悪い子もいないし、全員がやっぱりまだまだ子供で純粋な気持ちを持っているような気がした。
この子供たちを教えるのが国仲涼子扮するアイ子先生。彼女は都会で生徒の指導に失敗をし、いわば田舎に逃げてきたのであるが、先生という職業から逃げ出したのではなかった。彼女にとって教師は天職。都会の生徒の指導を失敗した・・・というのは、大人の狭い目で見ただけのことで、この子の挫折は決してアイ子先生のせいではなかったし、どちらかというと子供の親に責任があったような気もする。
校長の息子でいわゆるニートの柾。彼は教師になろうと思っていたのに自分には無理だというレッテルを自分に貼ってしまい、何もしないでいる。分校の宿泊センター長になり、子供たちと接するうちに先生への夢がもう一度よみがえってくる。
分校で育ち仙台の大学院で天文学を学びつつも挫折し、田舎に戻ってくるゆかり。彼女は最初は子供たちに対して反抗的だったが、やはり子供たちの純粋さを見て自分が幼かった頃のことを思い出す。
結局はすべての人が田舎に来て癒されたり、再び生きる力を取り戻したりするというありきたりの話なのではあるが、やはり子供たちの純粋さとアイ子先生の教育方針にはやられてしまう面もあった。
最後には分校が結局廃校になることが正式に決まる。この辺が現実の厳しさを教える形になっていたと思う。
ちょっとありえないのでは?と思うところや、いかにも感動させようというような作りみたいなのには、そこまでのめりこめないと感じたものの、最後は一応さわやかな終わり方だったと思う。
田舎の空の青さが不自然で、どうやらCGだったのではないかと思う。せっかく田舎でロケしたのだったら、本物の青空や星空を見せてほしかったな。それとも私がそう思っただけで実際は本物だったのかな・・・。
★原作本は『みんな昔は子供だった』
2話目から何となく見続けてしまった『富豪刑事』が終わった。原作を読んで思ったけれど、原作の方がよいと思う面もあった。
ドラマはコミカルなところが面白いといえば面白いし、『スクール・ウォーズ』をパクったりとか、そのノリには脱帽と言わざるを得ないけれど、逆にそれが最後まで続いたのがちょっとつまらなかったような気もする。どうせなら途中からもう少しみんなが美和子に一目を置くとかでもよかったように思うのだけれど。
ドラマでは、ほとんどすべての事件を美和子が一人で解決に導いているのに、誰もそういうことを認めず、美和子が発言しようとすれば「なに、とぼけたこと言ってるんだよ!」みたいな表情を浮かべる。でも、結局その美和子の意見が通るわけで、それで問題が解決までいくのだから、もう少し美和子にみんなが耳を傾けて一目置いてもいいはずだと思う。
原作の方では、署員たちもみんな神戸大助に一目を置いていたのでこの辺だけがちょっとなと思ったかもしれない。最初はなめていても、実績を積むにつれみんなの態度が少しずつ変わるとかだったら面白かったのに。
やっぱり原作にあった4話は完璧な作りだったと思うけれど(ドラマの方ではそれも少しずつアレンジしてあったが)、ドラマオリジナルの作品は少し原作に比べると劣るかなというような気もした。もちろん原作よりもドラマの方がわかりやすい作りになっていて面白かったものもあったけれど。
ドラマではバカっぽい婦人警官の2人がいつも登場した。この2人、重要な役割を果たすのではあるけれど、いらないような気も。というか、こんな間抜けな人材ばかりの警察でいいのか?と思ってしまった。
やはりドラマだけの瀬崎については、まあ面白い存在ということで楽しめた。でも、最終話の瀬崎は一体なんだったのだろうというような感じだ。喜久右衛門は見事はまり役だった。
★原作は『富豪刑事』 →その感想ページ
2005年03月13日(日) |
女は毎月生まれかわる 高岡英夫・三砂ちづる |
女は毎月生まれかわる 高岡英夫・三砂ちづる ビジネス社 2004
『昔の女性はできていた』で語られていた「ゆる体操」の内容がこの本に書いてあった。ゆる体操に興味のある人は読んでみるとよいと思う。
月経血コントロールと女性の身体性を高めていくことについてが書かれている。薄い本なのですぐに読める。
こうした内容について啓蒙していくのは悪いことだとは思わない。でも、すごい商売性を感じてしまうのは、私だけだろうか。
というのは、きちんと(C)マークが入っていて「ゆる体操の指導は運動科学総合研究所の公認資格をとってから行うようにしてください」という注意書きがあったりするからだ。
でも、こうした本を出して、誰にでもできるように書いているわけなので、一体これはなんだろうとちょっと思ってしまったのだ。
さて、私自身はこの体操を真面目にやったわけでもないのだが、「月経血は自分で排出するものだった、体に悪い血をためないことは体によい」というのにはなんとなく納得がいき、ちょっとだけ意識するようにしたら、なんだか前とはちょっと変わった。もちろんコントロールしようとかは思っていないのでできているわけではないのだが。
興味がある人は是非手にとってもらいたい一冊ではあるのだけれど、ちょっと批判がましい気持ちもしてしまう複雑な心境なのである。
★『昔の女性はできていた』の感想ページ ★その他の三砂ちづるさんの本 ・『オニババ化する女たち』 →その感想ページ
浅倉卓弥 中央公論新社 2005
STORY: 東京でデザイナーとしての仕事に追われる日々を過ごした後に挫折、田舎に帰った主人公は昔会ったのと全く同じ少女と深夜の公園で出会い、彼女と話すようになるが・・・。
感想: う〜〜〜む。かなりの期待はずれとしか言いようがない感じ。最初から最後までだるいムードが満載というか。途中、主人公が東京に出てデザイナーとして活躍している部分は面白かったのだが、挫折してのちの話は退屈に過ぎる。
作者の浅倉卓弥は『四日間の奇蹟』を書いた人で、この作品はまあまあ面白かったから読んでみようと思ったのだが、はずれてしまった。
元々人が挫折して真っ暗な状態を描いた作品はあまり好きではないのだが、主人公があまりにも子供すぎるのか、とにかく何に苦しんでいるのかもよくわからないのが何とも言えない。
妹や雪の中で出会う少女に色々と諭されるわけだけれど、その話もあまり面白いものでもなくて、感動するものでもなくて、ありきたりな話をただ聞かされるだけというのだろうか。
やっぱりこの作品は失敗だったのではないかと思う。とりあえず最後まで読んだが、半分くらいで本当にやめたくなった。
筒井康隆 新潮文庫 (1978)1983
STORY: 大富豪の息子神戸大助がその資金力と頭脳で事件を次々に解決していく様を描く。1話完結計4話(富豪刑事の囮、密室の富豪刑事、富豪刑事のスティング、ホテルの富豪刑事)
感想: 現在放送中のドラマ『富豪刑事』を2話目から思わず見始めてしまい、ちょっとはまっていたりするので、その原作が読みたくなってしまった。そこで借りることにした。
この中の4話はすでにテレビで放映されていたものの原作だったので、まだ見ていない分を読むということにはならなくてよかったと思った。やはり原作とは時代も変わっているのもあると思うが、ドラマの方がかなりアレンジされているという感じだ。ドラマだと深田恭子にみんなやめてほしそうな感じだけれど、原作だと大助は結構頼りにされていたりするところも違う。
とにかく古いなぁというのが目立った。たとえば現在JRとなっているものが「国鉄」と書いてあったりするのだ。そして、登場人物の会話も現代ではないなーという感じがひしひしと感じられる。昭和53年に発表されているのだから仕方ないのだとは思う。
解説で、筒井康隆の文体について工夫を凝らされているということが述べられていたが、私はどうも素直にその意見にうなずけなかった。というのは、筒井康隆は場面転換の際に1行あけるというのをやっていなくて、場面が変わっているのにわかりにくいと思うところが多かったからである。これは昔の作家は1行あけるというのがなかったのかもしれないから、時代の関係なのかなと思っていたのだが、どうもわざとこうしたらしい。私は逆に読みにくいような気がするのだが・・・。
内容は現代でも通用するというのは確かで、なかなか面白いとは思った。ドラマの方が誇張されすぎているし、コミカルで警察がバカっぽく描かれているが、それはそれでまた楽しいし。
以前、読売新聞に連載形式でこのドラマの原作が掲載してあって、そのときも食い入るように読んだ。その原作がドラマ化されたということで、見ることにした。
原作とは設定が異なる部分も結構あったような気がしたが、アルコール依存症の恐ろしさは十分に理解できたと思う。これを見て自分は大丈夫だろうか?と思った人も多かったのではないだろうか。
主演の篠原涼子は確か歌手だったと思ったのだが、すごい女優っぷり。迫真の演技だった。髪の毛がきれいだなーと個人的に思った。また相手役の西島秀俊も抑えたいい演技をしていたような気がした。室井滋の女医っぷりが、どうも前に見た若年性アルツハイマーだかのドラマを連想させられてしまった。こういう格好が似合うのかもしれないけど、どうもワンパターンにはまっているような・・・。
とにかく壮絶な話だった。そして、依存症を断ち切るには非常な努力と家族の支えや愛情が必要なのだと思った。私が同じような立場だったら、結婚直後にこんなことがわかった場合にそのまま離婚しないでいられるだろうか?とちょっと思った。そうしなかった男の愛情がすごく深いなーと思った。
★原作は『溺れる人』
2005年03月01日(火) |
レーシング・ストライプス |
一足先に試写会で見る機会があり、見させてもらうことにした。
置いてきぼりにされたシマウマの赤ちゃんが牧場を経営しているお父さんに拾われ、娘のチャニングに「ストライプス」という名前をつけてもらい、そのまま育てられることになる。この一家は元々は競走馬を育てている一家だった。しかし、騎手だったお母さんが事故で死んでからは名調教師だったお父さんは競走馬を育てることをやめ、娘にも馬には乗らせないという生活を送っていた。シマウマのストライプスは自分を競走馬だと思い込んで育ち、レースに出たいと思っている。他の馬たちに変わっているとバカにされながらも、農場の仲間の動物たちなどに励まされ、レースに出ることを目指すが・・・というようなお話。
話を聞くと『ベイブ』をシマウマにしたような感じだな・・・と思われる方も多いことだろう。なんとなく『ベイブ』が好きな人には受けが悪いような気もする。二番煎じと言われてしまえばその通りのような気もするし。
でも、私は結構感動した。というのは、やっぱり一家の置かれた状況にすごく同情するというか、感情移入できるから。お母さんの死から立ち直れていないお父さんと娘。そこから立ち直るためにもレースをすることが必要だった・・・という図式。
レースのシーンはやっぱり手に汗握る。シマウマって馬に比べると小さいけど、走るの速かったのね・・・という感じ。
それと、競走馬を育てることを巡る様々な人間関係も実は面白かったのだ。この映画はどちらかと言うと動物たちの会話を楽しむというより、そっちに重きを置いて見た方が楽しめるような気がした。
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