小学生時代、万引きをしても大した罪悪感がわかなかったり
高校時代、メル友に会って襲われそうになっても 大して危機感を覚えず笑って諌めてみたり
今から振り返ってみると、 どうも現実感を感じるセンサーが鈍いんじゃないかと思う。
何か普通と違ったことをしてみても、 うちは相変わらず生きている。
"人生が変わる"とは、 想定されていたのと別の道を歩き出すだけのことであって 生きていること自体は変わらない。
その辺りが、いまいちわかってない。
でも、わかってないのは他の人の方じゃないかと思うこともある。
一歩踏み出すのも、一歩踏み外すのも、 "人生を変える"のなんてとても簡単なこと。
それを希望ととらえるかリスクととらえるかは人それぞれなんだろうけど うちはそれをリスクと考える。
すると、こんな不安な世界を平気で生きている人達が ものすごい度胸のある人達に見えてくる。
何を勝手に信じて生きているの?
そして時々、その根拠の無い期待や信頼を 想いっきり裏切ってあげたくなる。
うちの"不可解な行動"の根元にはそんな考えがあるのです。
2010年01月20日(水) |
卒論をがんばる自分へ一言 |
卒論書いてます。
正確には、まだ結果をまとめている段階で 卒論にまでは手が回ってません。
仮提出の〆切は来週末だけどねー!
最近よく頭をよぎるのは 「本当にこれでいいのかな?」という言葉。
自分の出した結果に自信が持てなくて それをまとめても何かの"成果"になる気もしなくて ただ不安になって…
でも、そんなときの自分を励ましてあげたくて この日記を書いてます。
これまで十分に頑張ってきて 今だってやれるだけのことはやっているんだから あとはそれを自信を持って人に伝えればいいだけ。
不安に思うくらいなら伝え方を考えよう。 とにかくやれるだけのことをやろう。
責任の大きさに怯えるよりも できることを、ただ、がんばる。
それが今、あなたに求められていることだから。
自分を追い詰めるより 少しだけ余裕を持って、今を楽しもう。
がんばれるあなたは今、幸せなはずだから。
よし、がんばろ!
2010年01月16日(土) |
10年前くらいのこと |
大学のサークル仲間との新年会の中で 各自の小・中学校時代の話で盛り上がりました。
今は同じ大学に通う人達であっても
ひとりは教育ママの下で厳しく育てられて 絵に描いたような優等生の道を歩んできた人だったり
医者の娘としてなんとなーく当たり前のように優等生だったり
当時ではまだ少し珍しかった学級崩壊の立役者という こちらも絵に描いたような悪ガキだったり
色々いて、かなり面白かったです。
うちはといえば、
人をあまり信頼せず、友達を見下して、 そのくせ他人には良い顔ばかり見せようとして 学校でも家でも良い子を演じていて、 そのズレから生じるストレスを 万引きで解消する
って 書きようによっては(?)ひっどい小学生でしたね。
でもこーゆー話を面白おかしく他人に話せるようになったのは 信頼できる良い友人達に恵まれているからだなと こっそり感謝しました。
生きてる、なぁ。
自分の全てが好きになれない。
でも、殺す価値もない。
今はただ この気持ちがどこかに行ってくれるのを待つしかないのかな?
生きているのが恥ずかしい。
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