楓蔦黄屋
もくじ←昔のを読む新しいのを読む→

2021年05月26日(水) 甲戌・紅花栄・ファンレター

レターセットをよく買う。

今日も手紙を書いて、そうしたらお気に入りのレターセットの便せんが
みんな底をついてしまったのでさきほど買い足した。

今月は手紙をよく書いたと思う。

今日書いた手紙はいわゆるファンレターだ。
先日行ったYUKIちゃんのライブ「Terminal G」がものすごくよかったので、感想を書いた。

どんなことを書くかを軽く手帳にメモしてから便せんに向かう。
そうしないと私の場合、とりとめがなさすぎて読んでて少々しんどい長さと内容になってしまうから。
エンターテインメントのプロ中のプロに出す素人の拙いファンレターとはいえ、読んでもらえる(可能性がある)からには少しでもストレスなく楽しんでもらいたい。

絵も描いて同封。
もっとも感動した場面のイラストだ。
こういう機会でしか実はアナログ画材で絵を描くことはほぼないので楽しい。

「読んでもらえるかな」とドキドキしながら書くのはいいものだ。
読んでもらえたかどうかわからないのも、いいもんだ。

-----

手紙を書くのは実は体力がいる。時間もいる。
ついったーなんかに書き込むのと比べれば、踏む手数が圧倒的に多い。

SNSはスマホを手にとって、指先2、3タップぐらいでもう書き始めることができる。寝転がっててもOKだ。
ちょっと長めの文章をPCで書くときだって、イスに座って5回ぐらいクリックすればもう本文をぱちぱち入力できる。
手紙を書くならまずペンを用意して、封筒と便せんを選んで、片付いた机に座って。
封筒と便せんがなければ買わないといけない。ペンのインクが切れてるならそれも。
思い立った時間によっては明日にならないと書き始められない。

手紙本文をペンで書くのも消すのも、スマホやPCよりも時間がかかる。
手紙を書き終わって、封筒に宛先と送り元を書いて。宛先が思い出せないなら調べて。
便せんを畳んで、封筒に入れて、封をして、切手を貼る。
切手がなければ買うタスクが発生するし、もちろんポストに出さなければ完了しない。
しかも料金間違いでもあれば、切手を貼るところからやりなおし。
ネットなら書き終わればそれで公開したも同然だし、その後もいくらでも書き直せる。消すこともできる。

どちらがいいということではない。私はどちらも好きなのだ。

物事はいい面とそうでない面どちらも必ず持ち合わせている。
ならば複数のツールで、それらのいい面だけをうまいこと活用していきたい。
そうやって、大好きだということ、応援したいという気持ち、ありがとうという言葉を、いつも声を大にして伝えたい。


2021年05月20日(木) 戊辰・朝晩の本

寝る直前と起きた直後のスマホいじりをなるべくひかえたい。

もともと寝つきが悪い。
PMSの時期なんか朝4:00ごろまで起きている。
(↑これもう最近何回も書いてる気がするが、年齢のせいかやっぱりまた書いてしまう)
だから別にスマホのせいで寝つきが悪くなってもいいや、といじりまくっていたのだが、
そうすると今度は首が固まってしまう。痛い。
腕も痛い。肩も痛い。背中も痛い。
痛いから熟睡できない。
寝つきが悪いのはともかくさらに熟睡できないとなるとちょっとよろしくない。

主にタブレットで本を読んでいるのだが(なので正確に言うとタブレットいじりだ)、
最近紙の本を通販で買ったのもあって、
せめてではタブレットではなく紙の本にしようと思い、
ここのところ寝る直前&起きた直後は本を読んでいる。
夜と朝で別の本を読んでいる。
今は夜が東海林さだお「大衆食堂へ行こう」、朝が夢眠ねむ「まろやかな狂気」。

どちらも小さい章にわかれているので切りがいい。
ドキドキするようなミステリーではなくエッセイやインタビューなのもいい。

電子と紙の最大の違いは、「今いるページの把握のしやすさ」にあると思う。
紙のほうが圧倒的に把握しやすい。手で触れればわかるからだ。
電子は読んだページ、残りのページを把握するのにもうワンアクション要る。
しおりもあるがそれだとさらにもうワンアクション要るうえに、しおりの位置を把握するのにもうワンアクション要る。
紙はそれらすべてがほぼノーアクションで把握できる。ノーモーションと言ってもいい。脊髄反射でわかるのだ。

寝る前と起きたあとは、そういうノーモーションでの読書が適している。

首や肩が痛くなったりもならない。
文庫本1冊ならどうしたってタブレットより軽いし、何より両手で持てるから身体の片方に負担がかかるということがない。
タブレットだと実は片手でしか持てないのだ。物理的には両手で持てるのだが、そうするとうっかり拡大してしまったりしてすごく面倒くさい。

目も断然疲れない。
紙だと印字された黒い字だけが情報として入って来、白地はあくまで背景だが、
デジタルだと白もまた「光」という情報なので、じつはけっこう過多なのだ。
印刷されたもののほうが誤字脱字なんかを見つけやすいのもこういう理屈からではないかとひそかに思っている。

かといって別に、紙のほうがいい!というわけではないんだけど。
相変わらず、電子書籍を浴びるように読んでいる。
でも、紙の本の良さがかえってわかるようになって、近年では紙の書籍もぼちぼち買っている。
あんまり買いすぎるとしまう場所がないから、整理にも頭を悩ませないとなんだけど。

-----

というわけで、今読んでいる朝晩の本も、そろそろ終わりを迎えようとしている。
少しずつ少しずつ読んで、足らないと思ったら何度も読み返したりして、けっこう贅沢な時間を過ごしているんだが、
やっぱり足らないと思うとたくさん読んじゃってあーあと思ったりもしてるからなかなか贅沢なだけではまままならない(まがいっこ多い)。
次に読む本は三谷幸喜。ありふれた生活シリーズはいっぱい出てるので、しばらくは読む本に悩まずに済みそうだ。
これはもっぱら夜読むようにする。軽妙なエッセイは夜読むに限る。心地いいからだ。
朝は、一度買ってなかなか読む機会がないムック本やアーティスト本なんかを読もうかなと思っている。

まろ狂3。欲しかったけどまた争奪戦に敗れ、書店に行くしかなさそうだ。

2021年05月13日(木) 辛酉・ゆるす

人と会ったあとに自分の言動を後悔するのは
けっきょく自分のことしか考えてないからだ。

相手のことをどれだけ覚えてるだろうか。

覚えちゃいないのだ。結局。

なら自分のこともとっとと忘れればいいのだ。
考えるまい。
相手も覚えてない。覚えているとすれば自分が忘れていることだけだ。

相手のことだけ覚えている人間になれればいいけど、
なれやしないのだ。結局。


-----


生きていると思いもよらないことが起きる。
自分の力ではどうにもならないこと。


そういうときにたまに天啓のように
頭のなかに言葉がしずかにひらめくことがある。

預かり知らぬ領域を預かってもらうために
私はその言葉を受けとる。

受けとった言葉たちがいつまでも
心の中に根をおろして咲き、風にゆれている。

-----

「同じ失敗をくりかえさなければいい」
って、おだやかなようでいてずいぶん厳しい条件だなと昔から思っていた。

同じ失敗をくりかえしたって、ゆるせればそれでいいと思う。
忘れればそれでいいと思う。

いつかは同じ失敗に飽きる。
それでいいと思う。


-----

今年の目標は「善意に従わない私をゆるす」だけど、
もっとシンプルに「私をゆるす」でいいんじゃないかな。




2021年05月08日(土) 丙辰・奇面組

「奇面組よめるじゃん!」と急に思いついて電子書籍を買う。
最高だな。

昔の漫画が夜中でもすぐ読めて家の収納もかさばらなくて作者さんにはお金を払える。
最高だな。

-----

何度も書いたと思うが私が6歳のときに生まれて初めてレンタルしたCDは
うしろ指さされ組&うしろ髪ひかれ隊の奇面組OPED集だ。

ドラクエのサントラを借りようとしたら母と姉に反対されて、代わりにすすめられたのだ。
今思うとどっちも大して変わんないじゃん。
たぶん「どうせ借りるなら歌が入ってる方がお得」みたいな感覚だったんだと思う。

ともかくそれを毎晩聴きまくって全部覚えた。
「うしろ指さされ組」のイントロは何回聴いても聴くたびにワクワクしていた。あのイントロすげーよな。

で、30年以上経った今やっぱり
「聴けるじゃん!」と急に思って中古を買った。

たぶんiTunesにもあるだろうけど、こっちはモノそのものを欲しかった。

うしろ指さされ組のCDはベストも含めてたくさんあるので最初ちょっと迷ったが、
収録曲を見たらあっさりわかった。
なんとなくピンクっぽいジャケットだとしか思ってなかったけど、おもっきし作者描き下ろしの奇面組イラストだった。
アニメ絵じゃないんだ。
私はアニメグッズでも原作者書き下ろしイラスト入りのものが好きなんだが、もしやこの思い出のおかげだろうか。
だってすっごい可愛くてすっごい描き込みだもんなあ。
唯ちゃんと千恵ちゃんが等身大で、ふたりが持ってる箱に
ほぼ全キャラが2頭身でわちゃわちゃ詰め込まれてるっていう。
色も可愛いんだよなあ。好きだなあ。
第一希望のCDじゃなかったけどこれにしろと言われてこれにすると素直に頷いたのはきっとこのイラストのおかげだと思う。ほんとに。
曲も全部好きなんだよなあ。サウンドもよい。

で、今はでんぱ組.incにハマってるっていうね……(でんぱ組の名前は「うしろ指さされ組」の要素も含まれているというね)。

-----

漫画はハイスクール!の20巻だけ持っていた。
最終巻だ。それ一冊を読みまくっていた。

この最終回が大好きだ。
形としてとても美しいと子供心に感心していたと思う。

愛蔵版ではラストシーンに零さんの影が足されているそうだが
それが当時から描いてあったらたぶん私は逆に「?」となっていたと思う。

連載を長い間追いかけていたわけではない、
アニメも観てはいたけど熱心だった覚えはない、
そういう読者で、しかも小学生だったから、ならではの感想かもしれない。

今にも走ってきそうだな、と思うことですでにワクワクさせてくれる存在だからだ。奇面組のみんなは。

影が漫画の中にあったら、私の今いる世界も零さんたちと繋がってるかも、というあの感覚にはたぶんならなかったように思う。

現実はどこかで想像の世界とつながってるんだと
思うことに力をもらって、日々を乗りこえてきた子どもでした。
今もそうかもしれない。

零さんたちが高三でタイムワープ設定になったことをさっき知ったんだが、
それをふまえてもやっぱり自然な終わりかたなんじゃないかなー。

-----

好きだなあ奇面組。


2021年05月04日(火) 壬子・眠れない夜

定期的に夜更かしになる。

ものすごくわかりやすい黄体後期の症状だ。

以前はこの眠れない夜を悩んでいたが、
最近は眠れないならそういうもんなんだろうと
受け入れて起きている。

起きているからこうやって日記も描いたりする。
2:54。

とくに今は連休中だし
そもそも私以外の家族はみんな早起きだしで
私が起きなくてもまったく問題ないというのはあるんだが、
そもそも明日は早く起きなきゃ!という日でも、眠れなくて焦ったりはしない。

ついこないだまで、早起きできるようになりたいと切に願っていたが、
それも別に願わなくなってきた。

早起きできなくても家のことは回せるし、
仕事もちゃんとできているからだ。

あと早起きしたらしたで
夕方ものすごく眠くなって夜まで寝てしまう。
夜は家事と育児はたいてい私ひとりでやることが多いので、それはかえって大変によろしくない。
それに夜まで寝たらけっきょく夜更かしになって朝また起きられなくなるのだ。

人はそれぞれ、必要な睡眠時間が異なるというのが最近の医学界の主流な考え方だとかなんとか。

私は12時間必要だ。
12時間寝るとリズムが安定する。
22時に寝て10時に起きるのがベストだ。

子どもの支度のために朝早く起きることもあるが
それでも二度寝する。

学校や会社に行かなければならない立場であれば
朝早く起きる努力は必要だと思う。
だけどそれも、12時間睡眠を前提として努力できればどれだけラクだっただろうと思ったりする。
まず中学でも高校でも運動部になど絶対に所属しなかっただろうし、
勉強も学校にいる間だけ集中してやっていたと思う。
塾や予備校も行かない。バイトも吟味して厳選する。

ましてや外に行かなくていい今、
昔よりもラクに生きられるなら、ラクに生きる。

最近まで早起きにこだわっていたのは
たぶん呪いかなんかだったんだろう。
早く起きられるショートスリーパー以外が間違っているなんて暴論だ。
睡眠時間によって寿命がどうのこうのも超どうでもいい。

朝は好きだ。
だけど、起きられないから、起きない。
それでいい。

朝に起きなくなってから、不機嫌になることがものすごく減った。
それがすべてを表していると思う。

ラクに生きていく。それが一番だ。


-----


宇多田ヒカルのインスタライブに偶然遭遇したので視聴することができた。

とにかくすごい人というのはもう充分わかっているので、
せっかくだから雲の上の人だと思わずに、まるで友だちと飲んでるみたいな感覚で視聴してみる。
リアルな妄想遊びというか、友だちごっこだ。

私はこの手のライブでわりとよくコメントにも参加する。
もちろん失礼なことなんか言わないが、
仮に私のコメントが相手の目に入っているとして、
こっちが善意のつもりでも微妙な感じで受け取られることは充分考えられる。
というかたぶんやっちまってると思う。ただでさえ私の言葉は相手に通じづらい。自虐でも反省でもなく、たぶんそうだろうなという感じ。

でもそれでコメントしないというのも大変もったいない話だと思うので、
そこらへんはもうあんまり気にしないのがコツだ。

ネットの自分はあくまでリアルの自分が作った架空のキャラクターだ
という感覚の頃のネット遊びをしてきた世代だからかもしれない。
あまりネットの自分とリアルの自分が結びついてはいない。結びつくのはアンダーグラウンドなサイトだけだった。今はまるで逆だ。

しかし宇多田ヒカルにリアルタイムでつながれるなんて、ひと昔前には考えられなかった気軽さだ。
しかもイギリスにいるのに。すごい時代だな。

昔、「Automatic」が発売される前日、
雑誌の後ろのほうの小さなモノクロ記事で、宇多田ヒカルの短いインタビューを読んだ。
たしかZipperだったような気がする。何もかも、今では考えられないような記事だ。
でも強烈に惹き付けられた。
バイト先の有線でかかったとき、それがそうだと知らないまま、やっぱり耳が惹き付けられた。

そこからここまで、ずいぶん遠くまできたなあという感じだ。

宇多田さんは可愛らしくて、めちゃくちゃ真面目だった。
すごく真面目にファンからの質問に答えていて、これは質問した人は嬉しいだろうなと思った。
ストイックで誠実だ。いつも人のことを考えているような印象を受けた。

たぶんこの人は、口下手なんじゃないかと思った。
めちゃくちゃしゃべるはしゃべるんだけど、要領よく説得できる人と違って
とにかく全部を相手に伝えようと、言葉を尽くす人だなあという印象。

その不器用さが、十代のときにはむしろ強気な印象を与えていたんじゃないかと今思う。

英語でしゃべるときはとてもリラックスしているように見える。
言葉ですべてを伝えようとしてないように見える。
気のせいかも知れませんけど。

-----

やりたい仕事をやれずに仕事の意義を見出だせない人の相談を受けていた。

私はやりたい仕事をやれずにやりたくない仕事をわりと長くやっていたので
そのつらさはけっこう体感している。

だけどそのつらさがどこか甘えであることも当時から自覚していた。

私は「やりたい仕事をしてる人」になりたかっただけで、
「その仕事をしたい人」ではないのだと自覚していた。
むしろなんなら、「その仕事をせずに、その仕事をしている人だと呼ばれたい」ぐらいに思っていた。
それはいかんな、と思っていた。

やりたくない仕事をやりながらでも、
その「やりたいこと」をやれる人になりたいと思った。
それぐらいになって初めて、「やりたい仕事をしてる人」になる資格があるんじゃないかと思った。

やりたくない仕事をつまらないと思ってしまう自分ならば、
やりたい仕事をやれたとて、精々その程度に終わるなと思ってしまう。

そして事実、わりと長いことそうだった。

-----

「やりがいのある仕事」とか
「やりたい仕事こそ人生」とか、
そんなフレーズははっきり言って、流行語だ。

どっかの誰かが何かを売るために仕事で産み出したただの商品だ。

私は、10代から20代で、かなりそういうフレーズを骨の髄まで刷り込まれたように思う。

そういう、人の心にスッと入っては掻き乱していくような言葉は、
踊らされるぶんにはある種気持ちのいいもんだが、
自分の実生活と結びつけるのはやめたほうがいい。
話半分に聞いていたほうがいい。

今がつらいなら改善すべく行動するのはいいことだと思うが、
言葉で自分の心をどうにかしようとしないほうがいい。

逆だ。言葉は自分の心でどうにでも変わるものだ。

やりたい仕事があること、
やりたくない仕事をやっていること、
自分がつまらないと思っていること、
自分の日々の生活のこと、
自分の人生とかいうもののこと。
それは全部、まったく別々のこととして分けて考えたほうがいいと思う。
紐付けるとたいていわけわかんなくなる。

私は仕事をがんばるし、
やりたかった仕事ができるというのは本当にありがたいなと思う
(というか厳密に言うと、周りがみんなすごいねえと言ってくれるので、きっと自分が思う以上にありがたいことなんだろうなとうすぼんやりと思っている)が、
そのふたつはまったく別々のことであって
生活の中の一部ではあるがすべてではなく、
ましてや人生という概念とは折り合いがつかない。

そういうことを、インスタライブを見て改めて考えた。
きっと他の人たちもそうだと思う。
まるでひとつの映画を観たようだった。
やっぱり宇多田ヒカルってすごいな。


-----

4:12になってる。




2021年05月02日(日) 己酉・八十八夜・すごいやつ

風がはちゃめちゃに強く吹いている。

私の住む地域ではきのう竜巻注意報が出てました。

周りにあんまり高い建物が建ってない区域で
わりと高めの階に住んでいるので
風が強いと当たりがすごい。

今日の風はどこから吹いてるのか定まってない感じがする。
東西南北ぴょっぴょぴょっぴょ縦横無尽に吹いてる気がする。

そうはいってもきっと南東の風とかそういう感じに定まってるんだろう
と思って天気予報で調べて見たけど見てもよくわかりませんでした。

窓の外の風の音はうるさいと思うのなんでだろうな。


-----


新しいことに向かって駆けだしている。


今やってる仕事、の前にやってた仕事はぜんぶ
職種問わず
とにかく「やらない」の連続だった気がする。

依頼に対して「やらない」と断るんじゃなくて、
物理的に、結果的に、「やらない」という感じに終わっていった。
要するに、やれなかった。

今の仕事になって、ようやく
「やらない、とは絶対言いたくない」という意地みたいなプライドみたいなものが
芽生えたような気がする。
結果的にやれなかった判定の仕事になっちゃったとしても、
やれることはとにかく、突拍子なくても、方向性間違ってても、全部やってきた。

だから今、新しいことに取り組める機会をもらえて本当にすごい嬉しい。

さらに、これを機会にもうちょっとこう、一緒に仕事しやすいというか、
ストレス感じさせない人になるべくがんばっている。

自分のがんばりかたがこの年になってようやくわかってきた。
というか。
自分ががんばったりあきらめたりしながら積み上げてきた失敗が、続けてきたことでようやく「努力」っていう名前に変わってきたような気がする。
消去法で、ようやく、ああこうやって努力すればいいんだなというのがわかりかけてきた。
努力が実を結んで成功になるのではない。失敗が実を結んで努力になるんだな。

成功とかそういうものはきっと自分の外にあるんだ。

-----

プロ意識、とかそういう大層なものは今だってまったくもって全然持ち合わせてないんだが、
仕事をするということと、お金をもらうということと結びついていなかったような気がする。
自分のした仕事に対してお金をもらっているのではなくて、
自分の所属している組織がなんかしらんがお金をくれるんだという感覚。

バイトで時給でもらってる時のほうがなんぼか、労働対価としてもらってる感触があった。

正直言うと今もそのふたつの感覚が半々だ。
まあ半々になっただけマシなような気がする。

仕事ではなく趣味でやってます、とか、趣味も仕事です、とか、
有名だったりすごかったりする人たちはすごいことを言うな、と思う。
てかやっぱちょっとヘンな人たちなんだろうな、と思う。
それかそういう、なんつーか、インタビュー記事にしやすいことを言える頭のいい人たちなんだろうな、とも思う。経験が豊富というか。憧れる。

そういう人たちのおかげで私もこの世界の片隅で仕事ができているな、と思う。
エジソンとかジョブズとかが、働いているという自覚なしに働きまくってくれたおかげで
私は今寝っ転がってiPadで読書だのゲームだのできてるしマジでほんとありがとう俺のためにあなたがたは生まれてきてくれたのかな?
って思うのと似ている。

「プ〜一族」の松田は
「そう描けば売れる」みたいなテンプレでは決して描かないという人で、
めちゃくちゃカッコいいし憧れる。
自分はそういうテンプレすらまず掴めてないから、あれもまた雲の上の人の話だ。
というか大橋ツヨシカッコいい、という話。

そういう風にすごい人、ほんとにすごいな、と思う。
てことは自分はたぶん、そういう類いのすごい因子みたいなのは持ってない。

持ってないけど新しいことに全力で駆けだしている。
それでめちゃめちゃしんどいのこれ何でなんだろうな。
いやしんどいだけじゃなくて楽しいし面白いんだけど、単純に体力がないってだけなんだけど。

すごい人はどんだけエネルギーもってんだろうな、と思う。
いや近場にひとりいるけど。すんごいエネルギーもってる人。

なんかもうちょっとこう、自分にも、すんごいものあったらいいなと思う。
別に仕事するのに役立たなくていいから、なんかすごいやつ。カッコいいやつ。

とか思いながら今日もゼーハーいって駆けている。
うまくいくといいなあ、新しいこと。


-----



あー今日から5月か。





楓蔦きなり

My追加