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普通の日記

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2001年05月31日(木)
シャンプー

退勤時刻間際になって慌てて美容院に電話をする私。
私の記憶が正しければお店で扱ってるシャンプー剤その他用品が2割引のはずだから。
DMが届くわけでもなく店頭に行かなくちゃ確認できないけど
長いお付き合いから鑑みても確か今月が該当月。
半期の1度の大サービスだったはず。
5月だったか6月だったかとにかく今頃の季節であることだけが私の記憶に残されていた。
で、電話。
「つかぬ事をお伺いしますが・・・シャンプーの割引は?」
「今日までです。売上の関係で来店していただくことになります。」
あ〜ん、やっぱり今日まで。
4月の7日にカットに行って以来美容院とはトンとご無沙汰だからなぁ。
電話口でカルテを確認してもらって急いで直行。
前回購入もやっぱり割引セールを狙ったんだっけ。
よりよい物をより安くが生活の基本だもん。
私の愛用してるのは某美容院の直販物。
いかにも髪によさそうな海藻のシャンプーとそれに付随したトリートメント。
最初は1000mm4000円って定価のポンプサイズを
もちろん割引を狙って購入してたんだけど今じゃそのレフィルで。
重い荷物になっちゃうけどそれで半年持続できるんだったら安い買い物に違いない。
当然旦那も子供たちも義父母も別のシャンプーを使ってるから正真正銘私専用。
で、店頭。
「電話でお願いした者ですが・・・」
と、担当者が暖かくお出迎え。
社交辞令で「来るって分かっていれば取り寄せしておいたのにぃ。」
1600mm入りの大きなレフィルを各1本、4800円×08×2のお買い上げ決定。
これって牛乳パックみたいな紙の容器に満々と入ってる代物で
滅多に買う人もいないから今日は発注のみ。
で、別の人が現物限り4割引ってコーナーから
いつもよりちょっと小さめ720mm2800円ってシャンプーも持ってきてくれたの。
一瞬にして頭の中で計算するとレフィル購入と変わりないじゃん。
ってことでこれも購入。
もちろんそんな大きな容器のだけじゃなくて200mmのとかも存在するけど
私の視界には入ってこないのが現状。
半年単位で購入すると補充にぴったりだから嬉しいな。
これでしばらくはシャンプーがなくなる危険性もなし。
最終日ギリギリ気がついてよかったぁ。
なんか滅茶苦茶得した気分。
それにしてもシャンプーだけじゃなくてそろそろ髪のお手入れにも行かなくちゃ。
週末にでも気分転換のカットに出かけて来ようっと。



2001年05月30日(水)
携帯のこと

最近しきりと新しい携帯に興味を示す我が夫。
旦那の使ってるのはいつ買ったんだっけ?
白い本体のD502。
そんなに使い込んだわけでもないから目新しい物に心を引かれてるらしい。
もちろん旦那の狙いはiアプリ対応の503シリーズ。
折りたたみ式の黒いPに憧れてるらしい。
5月初旬に出たばかりの新製品。
確かに見た目は格好いい。
Pだったら充電器もいざとなったら兼用できる。
転職記念と父の日を兼ねてプレゼントしてもいいかなーって思ったけどちょい待てよ。
請求書兼明細書を見ると旦那にiは宝の持ち腐れ。
私と旦那の携帯は「お前が家族でよかったよぉ」の
ファミリー割引の適用を受けてるから旦那名義で一括請求なんだけど見れば見るほど必要なし。
だって旦那ったらiの性能をフルどころか全く活用してるとは思えないんだもん。
着メロと待ちうけ画面に数百円かかってるのは明らかだけどそれだけ。
パケット通話料の値が何よりの証拠。
旦那のパケット通話料ったらわずか100円にも満たないって。
携帯アドレスは電話番号のままだから
わずかばかりの料金は出会い系サイトから流れてくるものに違いない。
メールよりもとにかく電話の方がって思ってる人だから。
自分からメールを打ったこともi対応のHPを見たこともないんじゃないかな。
私がテストメールを打ったのだって知らん振りしてたしさぁ。
そんな人にiアプリなんて〜〜。
最新式の見た目に引かれて購入しても旦那にiなんて必要ないじゃん。
503じゃなくて210でも旦那には十分だよ。
なのに210じゃプライドが許さないんだろうって。
真正面から反対すると頑として受け付けないしこれからの対応に苦慮するよなぁ。
iの多用も困っちゃうけど使いこなさないのも無用の長物。
旦那の性格からすると私に内緒で購入しちゃって事後報告ってのもあり。
そのうち新しい電話機に変わっちゃうかもしれないけど。

携帯って言えばふと見たTVで某女性タレントが彼氏チェックに携帯を多用してるって。
彼も電話帳を全て仮名の男性名にしてたんだけど
発着信履歴だけじゃなくて誰彼かまわず電話チェックされちゃったんだって。
で、彼女の存在を突き止めたって実話。
すごい束縛。
私ったら旦那の携帯にはついぞ無頓着だもんなぁ。
履歴なんか見たこともないし電話が鳴っても知らん顔。
お互いが平和でいるためにもプライバシーは侵害しちゃいけないもん。



2001年05月29日(火)
運動会

延期となってた運動会。
朝起きるとお天気は大丈夫。
日曜には不可欠なお弁当も場所取りも平日の今日は関係なし。
応援団係の隆之介は一足早く登校。
光太朗が登校するのと同時に旦那が場所取りに出かけたら
いつもは7時開門で敷き詰められちゃう校庭の見物席も閑散。
子供たちの演技種目を考えて紅白の両方に陣地となるシートの用意。
いつもだったら観客で溢れ返る校庭も閑散としてるんだもの。
お弁当は必要ないものの子供たちの水筒補給のペットボトルと簡単なお菓子を持参。
義父母の為に小さな折り畳み椅子なんかも用意して。
子供たちはどちらも赤組。
応援団の隆之介は開会式での整列も応援席もクラスから離れる形で目立ってた。
2年生のお遊戯は後半途中でCDが故障しちゃったとかで打ち切りになっちゃってちょっと可哀相。
最後の決めのポーズが見せ場だっただけに残念って感じ。
光太朗が旦那に教えた観戦ポイントは踊り始め地点だったらしく途中から見失っちゃうし。
1番格好よく見えるポイントを事前に聞き出さなかったのは失敗だわ。
隆之介のお遊戯はそれほど広範囲移動じゃなかったから対応できたけど。
徒競争は2人とも散々な結果。
午前中の種目を終えて赤組の優位。
子供たちが給食の為に教室に入ると校庭にいた家族は一斉に校門から退出。
お昼前から応援に駆けつけた義父も合流して我が家はお蕎麦やさんを目指したけど
学校周辺の食べ物やさんはどこも運動会特需で大繁盛だったって。
昼頃ちょっと雲行きが怪しくなったけど降られずに済んで午後の競技も恙無く終了。
後から周辺地域じゃ雹が降ったとか局地的雷雨が凄かったってニュースを耳にしたから
運動会に被害がなくて本当によかったなぁってしみじみ。
最終的に245対195で赤組の勝利。
優勝トロフィー授与とか返還って色々なシーンで応援団長が脚光を浴びてたわ。
再来年は隆之介って下馬評もあるらしいから本人に確認してみたらその気はないみたいだけど。
で、ちょっと元気に日焼けして帰宅。
光太朗はお友達と公園で外遊び、隆之介は塾。
私はと言えば悲しいかな運動会開始早々カメラを落として壊しちゃったからカメラ屋さん直行。
コンビニで簡易カメラを買ったけど望遠が使えなくて子供たちの活躍は恐らく点。
旦那のビデオが健在だったからよかったけど。
運動会終了で次なる行事は家庭訪問。
上手に休暇計画立てなくちゃ。



2001年05月28日(月)
代休の日

昨日の運動会は雨で順延になったものの今日は当初の予定通り代休。
昨日登校した分と言えばそれまでだけど
やっぱりお休みは疲れを癒す意味でも運動会翌日であってほしいってのが本音。
で、ここの所天候が不安定だし今朝の天候次第で子供たちの行動も決まることになっていた。
土曜日の塾のテストに行かれなかった隆之介は追試が最優先だけど
光太朗は懸案となっていた自転車に乗りたいから空模様次第。
雨ならお弁当持参で学童、晴れたら義母と公園で自転車って。
で、お天気とは皮肉なもので昨日の運動会から一夜明けて朝からの好天。
光太朗は自転車決定となり嬉しくて仕方ない。
通院から戻った義母を伴って近所の公園へ。
子供たちの学校って3年の6月頃行われる自転車教室が終わらない限り
子供だけでの自転車厳禁って決まってるから家族が一緒じゃないと乗ることができない。
サイクリングに出向くほど義母の体調が芳しいわけでもないから近所の公園。
光太朗ったら「自転車乗るのにいい場所発見したんだぁ」って意気揚揚。
義母が知らない振りして付いていったらやっぱりいつもの公園だったって。
自転車屋さんで一通り点検、OKをもらうと颯爽と乗り回す光太朗。
ついこの間までの上手に乗れないイメージしか知らなかった義母は滅茶苦茶驚いてたもん。
子供の上達って驚くほどだから。
でも家族が伴わないと自転車は封印されっぱなしだから光太朗が次に自転車に乗る日は微妙。
ってなことで私の自転車購入も考えなくちゃいけないんだよなぁ。
我が家にある大人用自転車って義母の電動機付自転車だけだもん。
どうせならとっても格好いいMTBでも購入しちゃおうかなぁって計画中。
で、復習テストに臨まなくちゃいけない隆之介はちょっと憂鬱そう。
ここ数回塾で学んでいる図形は初体験だしイマイチ納得できないで苦戦していたから。
2002年の学習指導要領改定で問題となった
(上底+下底)×高さ÷2って台形の面積も出題範囲。
学校では分度器で角なんてのを学び始めたばかりなのにやっぱり塾は高度だよね。
図形に入る以前、前々回テストではクラスで上位だったのに弱音さえ口にしてたもん。
帰宅後答え合わせしてみたけどやっぱり結果は芳しくなかったわ。
今からサンタさんへのお願いが四角い頭を丸くするシリーズの図形編。
苦手意識が芽生えちゃった図形を克服する手段ってないのかなぁ。



2001年05月27日(日)
雨降り

楽しみにしていた小学校の運動会。
週間予報は好天だったのに昨日辺りから予報が変わって怪しい雲行き。
お弁当作りを急ぐ6時頃には激しく打ち付ける雨音が聞こえてくるほどとなった。
これで運動会延期は必至。
場所取り係の旦那も起きてきて「こりゃだめだな。」
普段通りに子供たちを起こして「運動会できないねー。」
運動会は延期になってもお弁当持参で授業だから忙しさは変わりなし。
運動会ならお弁当は後でもいいけどそれができない分急がなくちゃいけないしー。
子供たちの朝食中、義父母が残念そうに空を眺めつつ起床。
で、忙しいのに子供たちの手で義母に誕生日のプレゼント贈呈。
私が選んで購入してきた馬の毛を使用した爽やかな茶色のケリー風バッグ。
あまりの忙しさに義母の反応確認もできず。
無事子供たちを送り出すと運動会用に作っていたお弁当のおかずにラップをして
稽古着へのアイロンがけやら諸々のお仕事。
いつものようにスーパーの朝市に買出し。
それにしてもいくら雨降りだからってスーパーの出足があまりにも鈍い。
学区内にあるから必ず知った顔に会うはずなのに誰にも会わないって妙に不安。
「まさか雨中運動会なんてやってないよねー」って旦那に何度も確認しちゃったりして。
周辺に流れるはずの音響も聞こえないんだからもちろん心配はないんだけど。
さらに義母も同行して買い物三昧。
改装売り尽くしと銘打ったディスカウントショップで生活必需品を買ったり。
子供たちも義父もいないから3人で平和にお買い物。
義父の昼食は運動会のお弁当。
義母ったら誕生日記念と称してまた腕時計を購入していたわ。
膝が痛いって言いながら外出を止められない義母の金銭感覚って不思議。
で、そろそろ子供たちの帰宅かなーって学校前を車で通過。
でも校庭だけじゃなく校舎全体が妙に静けさを保ったまま。
道端にも子供の気配が感じられない異様な世界を体感。
しばらくして静けさを打ち破って元気に帰宅した子供たちに安心したけど。
延期運動会は火曜日の予定。
で、夕食は予約を入れたいつものお寿司屋さん。
義母が食べた大とろがあまりにも美味しそうだったから
板前さんに聞いたらカマとろだって言うから旦那も私もそれを食べちゃったし
岩牡蠣の軍艦巻きも牛刺しの握りもみ〜んな美味しかったわ。
これでしばらく義母のご機嫌が安定してるといいんだけどな。



2001年05月26日(土)
空き缶炊爨

今日は学校がお休みの第4土曜日。
光太朗たちビーバースカウトは珍しく土曜日の活動。
好天に恵まれて楽しい1日間違いなし。
2年生の光太朗たちはビッグビーバーに昇進、新たに新人も加わってちょっとお兄ちゃん風。
で、今日の活動は空き缶での炊爨。
いつもの持ち物に加えて350mmの缶ジュースと米1合を持参するように指示されていた。
持参した缶の中身を飲み干してから昼食準備開始。
光太朗はアク○リアス、他のみんなは炭酸系が多かったらしい。
まずは空き缶にお米と水を入れて米とぎの真似事。
もちろん十分にできるわけはないけど。
で、蓋のないままの缶にお米と水を入れて火にかけてご飯炊き開始。
細長いから倒れそうになるのを見張ったりしながらなんとか無事にご飯が炊けたって。
一方では豚汁の用意。
光太朗ったら率先して包丁を手にして牛蒡やお肉や人参と言った食材を切ったって。
自分たちの作った美味しい昼食に舌鼓。
野外で力を合わせて作って食べるって本当に美味しいものね。
みんなお代わりして食べたらしい。
光太朗がスカウト活動から帰宅すると子供たちは土曜日恒例のスイミング。
月末の今日は検定日。
隆之介は2級から1級への挑戦中。
4泳法の25mタイムトライアルやフォームと言った第1段階を経て
100m個人メドレータイムと着衣泳法の第2段階の
全てをクリアしないと1級への昇格はありえないから誰もが数ヶ月を費やす壁だ。
もちろん週に何度も通う子は検定機会も多いから短期合格も可能だけど。
で、2級在籍5ヶ月終了を目前にして隆之介も最後の種目着衣への挑戦。
着衣検定に臨むのは隆之介唯一人。
ほかのみんなが検定を受ける間ぼーっと待って体力温存して一番最後に登場。
Tシャツを着たまま服の中に空気を貯めながら背泳みたいに泳いで無事合格しちゃったわ。
これでようやく来月からは1級。
2級の倍の50m、200m個人メドレーの世界。
1級の上はもう選手コースだからここまでよく頑張ってきたなぁって感じ。
光太朗は相変わらずクロールの息継ぎで留まってるけど。
終了後は急いで子供たちの歯医者さんへ。
虫歯知らずの隆之介はきれいに磨いてもらって終了。
学校からお知らせを持参した光太朗は左上に2本の虫歯。
来週の予約を取って帰宅したけど早く完治するといいなぁ。
それにしてもお休みの土曜日とは言え忙しかったわ。
明日は運動会予定だけどお天気が心配だな。



2001年05月25日(金)
給料日

去春の転職が芳しくなかった旦那が先月途中から再々就職して1ヶ月。
ようやくその報酬を手にする日を迎えたらしい。
「らしい」ってのは気配だけだから。
共稼ぎの我が家、給与明細をお互いに知らないのが実態。
必要な経費をお互いに出し合い、それ以外は自己管理ってあまりにもアバウトな家計。
でも昨春以来毎月の確実な収入がなくなって私に無心することが多かったんだよね。
旦那の口座からは電気・水道・ガスの使用料、
私からは学童保育料、子供たちの習い事の月謝、携帯電話の使用料金って
それぞれに担当する経費があったはずのにマイナス続きの旦那に補填する形で援助してたんだもん。
大黒柱の私の給与で1年近い家計を賄ってたって言っても過言じゃないかも。
職場の多くの男性陣が私と同レベルの収入で家計のやりくりをしてるんだから
そのこと自体はちっとも不思議じゃないけど。
で、これまでは旦那の心情を慮って無関心を装ってきたけど今日は何気に聞いてみた。
「給料出たの?」
旦那ったら顔を綻ばせるでもなく淡々とした表情のままゴソゴソと銀行の封筒を私に手渡す。
ここで「今まで心配かけたね」とかって辛気臭い言葉がないのが旦那流。
何事もなかったかのようにさも淡々と。
私ったらここ1年の間に旦那から生活費を調達できない生活に慣れきってたから
ちょっと意外どころか臨時収入を手にした感があってなんかすっごくラッキーって感じ。
本来の姿に戻っただけなのにいきなりお金持ちになっちゃった気分になっちゃったもん。
無駄遣いしないように心してかからねばって自戒。
旦那に定期収入があるって普通のことがこんなに平和で幸せなことだったなんて。
で、旦那曰く必要経費の携帯料金も会社に請求できるって。
でも我が家の携帯ってファミリー割引適用になってるし
旦那が当初使ってた番号を私が引き継いで旦那が別番号を取得した関係で
主契約が旦那の使用回線じゃなく私の番号になってるって実態。
両契約とも長期割引適用だから解約しなくて済む方法を見出さなくちゃ。
ってことでどんな方法で請求書を会社に持参するかが来月までの課題。
旦那の命を受け早速docomoに問い合わせ。
主回線を従回線とチャンジしたい旨問い合わせると「それじゃ解約になります。」
食い下がると入念に調べてくれて窓口対応で可能とのこと。
来月から携帯料金も会社負担?
家計に光明が見えてきたわ。



2001年05月24日(木)
検印

日曜日の運動会を目前にしての練習三昧で子供たちはお疲れ気味。
昨日は剣道があったせいで今朝宿題をやったぐらいだしー。
でも今日は隆之介の学習塾があるだけだし光太朗の宿題は難なく終了。
連絡帳チェックをして。
と思ったら「歯科検診のお知らせ」なんてぇのが入ってるじゃありませんか。
隆之介が入学してから4年目だけどこの種のお知らせを持ち帰るのは兄弟で初めて。
今までどの部位の検診もクリアしてきた健康体だから母のショックは半端じゃなかった。
「処理した方が良いと思われる虫歯があります」って
受診のお勧めがあるから今週末は急いで歯医者さん通いだわ。
こればっかりは放っておいて治るって類のものじゃないもん。
担当医の完治証明ももらわなくちゃいけないからちょっと面倒だけど。
隆之介は朝食後の歯磨きの後何も食べずに登校するけど
光太朗は「おばあちゃん飴ちょうだい」って口に放り込んで登校するから菌が繁殖しちゃうんだろうな。
ダラダラ食い禁止強化月間突入宣言。
ますます監視の目を強固にしなくちゃ。
でも眼科と耳鼻科と内科に加えてギョウチュウ検査で引っかからなかったからいいかな。
光太朗は保育園時代にお腹に虫が住み着いてた過去があるんだしー。
で、念のため隆之介の連絡帳もチェック。
4年生なんだし自己管理もきっちりできてるだろうなーって思ってたのに今日の日付の先生の検印。
週明けの学級通信に忘れ物が目立つので連絡帳の更なる活用をって記事で
該当者にはしばらくの間先生がチェックしますって予告してあった検印に違いない。
ってことは隆之介は忘れ物常習者ってこと?
本人に聞くと漢字と計算のドリルの宿題らしい。
今まで宿題は自分で決めた40分モノだけって思ってたから再認識。
で、慌ててドリルに取り掛かるよう促すも頭の中は運動会でいっぱいらしい。
「今日僕ねぇ三三七拍子の試験合格したんだよー。6年生になったら団長だなって先生に言われちゃった。」
挙句の果てにはその仕草まで披露してくれちゃって一向にドリルは進まない。
本業を圧迫するなら習い事も応援団も止めちゃえー。
結局のところ宿題も半端なまま睡魔に襲われちゃって敢え無く入浴・睡眠。
ってことで残念ながら子供たちが年長さんからつけてる日記も日付が止まったまま。
本人たちは機を見て再開って張り切ってるけど本当に再開できるかどうかは微妙です。



2001年05月23日(水)
お稽古日

「隆君たち帰ってきた?」
そう、今日は子供たちの剣道のお稽古日。
電話口には義父。
「お義母さんも行ったの?」
私の用件に答える形で2言交わしただけで会話時間はわずか9秒。
義母帰省中の先週の2回、2人で通ったお稽古だから
今日の義母の同行は私にとっては思い掛けない行動。
膝痛で長時間歩くのを禁じられてるのに雨の中無理して一緒に行くなんて。
先週の水曜日も雨降りで徒歩での帰宅は8時ちょっと前。
恐らく今日もその位の時間帯で帰宅するんだろうなぁって母子3人分の夕食を準備。
いつもだったら私たちより先に夕食を済ませてるはずの義父母の夕食も義母を待つ形。
当然私は義父母の夕食については冷たい程に関知しない。
7時45分を過ぎて不安になった義父が義母に電話を入れて所在確認。
「今○○川だって」
○○橋なら知ってるけどそんな名前の川なんて私には初耳。
告げてる義母が間違ってるのか聞いてる義父が間違ってるのかは知らないけど。
で、しばらくしてピンポーン。
玄関のドアを開けると果たして重い防具を背負った義母の姿。
「自分の荷物をなぜ背負ってこないの?」って私。
どちらが言い出して義母が背負うことになったかは定かじゃないけど甘やかすには程がある。
「歩くと50分も掛かっちゃうのよー」って義母は能天気な発言だけど当然お互い穏やかじゃない。
義母にとっては良かれと思ってやった行動だろうけどこれぞ有難迷惑。
我が家には買い置きのお菓子だってあるのにコンビニの袋のお持ち帰りだし。
「ママーお腹空いたぁ。今日ってカツなんだよねー」って子供たちに促されて夕食。
台所を私が占拠してるから義父母は待ちぼうけ。
「こんなに遅くなるんだったら考えてもらわなくちゃいけないなぁ」って義父が何気に嫌味っぽく呟く。
光太朗の稽古への同行をお願いしたのは事実だけどそれってあくまでも光太朗。
遅い時間帯の隆之介の練習まで付き合ってなんて頼んだ覚えなんかないんだもの。
5時に光太朗の練習が終わった時点で帰宅すれば何の問題もないのに。
そんなに孫に関わりあいたいのかな。
今朝だって最高気温20度報道に私が用意してた長袖Tシャツを義母が勝手に半袖Tシャツにチェンジ。
そのまま稽古に通って寒そうな帰宅。
日頃無関心を装ってるくせに気が向くと過干渉って困りもの。
本人が送迎で自分の存在を示してるのに暗にお断りって難しいなぁ。



2001年05月22日(火)
朗報

実家の母と喜びの電話会談。
末弟の今秋の結婚がいよいよ本決まりになりそうだから。
私は4兄弟。
一番できの悪い末弟が両親にとっての心配の種だったからそれはそれは手放しでの喜びだ。
すぐ下の妹は保育士、高校教師と結婚して一男一女をもうけてそれなりに幸せ。
長男となる弟は市役所勤務で大学時代の友人と結婚しこれまた一女一男。
でも末弟だけは私立高校から系列の大学への優先入学も果たせずに挫折。
どこかに劣等感を抱きつつ人生を送ってきた感が否めない為か何をやっても中途半端。
弟なりの葛藤を得て最近は落ち着いてきたけど
その弟が結婚まで漕ぎ着けたってのは何を置いてもめでたいことだ。
お相手は白衣の天使でスレンダーな美人って噂。
昨日は本人と双方の両親が実家に集合したらしい。
先方のご両親も弟のことはどこの馬の骨かと思ってたらしく実家の両親と会って安心した様子。
とりあえず今秋の結婚式は両家公認となったらしい。
実はこの結婚について弟本人から事前連絡を受けていた私。
日頃無関心を装っていても私の兄弟は妙な連帯感があるから。
昔2人で北海道スキーツアーに参加してカップルと間違えられたのもこの弟。
8つも年が離れてるのに周囲にそう見られるってお互いに妙な気分だったけど。
で、結婚式はどの兄弟もそうだったように自分たちで式場と日程を決めて事後報告。
私は赤プリ、妹は地方のホテル、弟はシェラトンベイとホテルで神前が主流だった。
でも弟たちが選んだのは柏玉○殿のチャペルウェディング。
その種の式場への列席経験のない私はゴンドラにスモークって
良からぬイメージを抱いていたから一瞬驚き。
でもHP(http://www.ceremo.com/wedding/maria.htm)で確認して自分の認識を新たにしたわ。
ロケーション抜群でちょっといいかも。
非日常を体験できるなんて今から楽しみだわぁ。
お式は結婚シーズン真っ盛りの10月の土曜日。
と、待てよ。
その日って子供たちは学校だわぁ。
子供たちに意向を聞くと断然列席との強い意思。
旦那は休ませることはないって言うんだけど授業に差し障りがないなら休ませちゃおうかな。
それにしても末弟ったら住居の心配がないっていいなぁ。
実家から徒歩1〜2分の新築一戸建てにお嫁さんが入ってくるだけだもん。
新居購入はこの為だったのねぇ。
遅々として進まない我が家の家探しとじゃ比較にならないほど羨ましいわ。



2001年05月21日(月)
膝痛悪化

義父母も揃って我が家の日常が戻ってきた。
義父にも嫌々ながら相槌をしてくれる相棒が復活してくれたのは喜ばしいこと。
TVだけがお相手だと私たち母子への風当たりも強かったんだもん。
別居が無理な現状ではこれが次善の策かもしれない。
出発前から膝に水が溜まって痛みを訴えていた義母はそれが悪化しての帰宅。
我が家へのアプローチとなる50段の階段はよほど苦痛と見えて外出するのも容易ではないらしい。
必要な買い物がなくても毎日買い物をする習慣の義母が
糖尿をきっかけに食後の散歩を始めてほぼ2年。
とにかく外の空気に触れることが義母なりの気分転換って感じ。
当然出かけたら衝動買いの誘惑も多いんだけど。
昨日は我慢して私たちと共に気分転換に外出したものの耐え切れずに本日通院。
疲れが溜まってる事もあって足の具合はかなり芳しくない状態らしい。
毎週の通院を命じられた様子。
当然糖尿悪化を予防する日課のお散歩を禁じられて。
で、義母ったら散歩をしてるって事実を自分なりの拠り所にしてたから
散歩を禁じられて「あぁこれで血糖値が上がって糖尿が悪化して死んじゃうんだわ。」
もちろん自分1人で指先で計る血糖の値はいつもより若干高めは事実らしいけど
そこまで極端に物事を突き詰めて考えなくてもいいんじゃないかって感じ。
血糖数値は自己管理で一喜一憂してるだけで私たちには知らされないから
本当に危険値なのかどうかも定かじゃないけど。
「散歩はできないからこれ以上血糖値を上げない為には食事を摂らないしかないのかしら」だって。
一昨年暮の糖尿の教育入院以来意地で続けてるかに見える食後のお散歩。
カロリーを消費するには食後何分が有効って決まってるらしく朝夕欠かさず続けてた。
今だって規則正しいとは言い切れないにしても我慢の生活を強いられてるんだから
これ以上自分を締め付けちゃうって危険なのになぁ。
膝の故障で義母の精神状態も悪循環に陥ったかも。
散歩を禁じられて気分転換の外出もできなくなると不満が一気に爆発しちゃうかな。
こっちに爆発余波が襲ってこないことを祈るばかりですわ。
教育入院した人って定期的な入院が必要って言うけど
このままの精神状態だったら再入院してもらおうかな?
そう言えば一昨年の教育入院の時も白内障で精神状態悪循環してたんだっけ。
義母の病気、悪循環に陥らないことを祈るばかりです。



2001年05月20日(日)
オークス

牝馬の祭典オークス開催の今日。
子供たちは珍しく特段の予定もなく光太朗は自転車の更なる上達を目指して意欲的に練習したいって。
でも旦那の一言で敢え無く却下。
去年からず〜っとお預け状態だったG1レースの勝ち馬投票券つまりは馬券の購入に行きたいって。
ここ八王子から程近い立川のウインズが旦那の目的地。
買い物から帰った私も慌しくお出かけ準備。
昨日鹿児島から帰ったばかりの義母ももれなくご同伴。
出かける前から痛がってた足がまた痛そうなんだけどそんなことにはお構いなしで。
運転はもちろん私。
旦那は途中のコンビニでスポーツ新聞を購入して後部座席であれこれ予想。
牝馬の祭典ってことで女の端くれ義母もチャレンジ。
でも義母の予想は子供たちに枠色で予想させたり好きな名前の馬を選ばせたり。
馬券購入後は近くのお店で買い物をしたり昼食を食べたり。
義母ったら「お世話になったから」って昼食ご馳走してくれたけど
私と子供たちで併せて2000円にも満たない。
仕切りに今度の日曜日は自分の誕生日ーって予告してたから
かえってお高い昼食になっちゃったりして。
3時半過ぎに旦那が結果確認に出向いたんだけど結局誰も当たらず。
で、私の目的は子供たちの体操服購入。
今度の日曜日が運動会なんだけど現在使用中のそれは泥んこ汚れが凄いんだもの。
最初のお店では子供たちのサイズは完売状態。
次のお店では店頭に陳列されてなく奥から取り出してもらってようやく購入。
光太朗の演技に必要なリストバンドとハイソックスは自宅にあるし
隆之介のゴム12センチの用意もできて運動会準備も完璧だわ。
6月から始まる水泳授業を見越して隆之介の水着を購入したりで日ごろできない買い物三昧。
光太朗が希望してた自転車練習は結局時間がなくて次回持越になっちゃった。
時間が遅くなっちゃったって理由じゃ子供も納得できないから
隆之介の自転車を光太朗が乗るんだったら完全に再点検して安全な状態で乗ろうって。
実際ペダルが壊れかけてる状態で光太朗にお下がりなんかできないもん。
光太朗はお下がりを納得。
隆之介も新車購入を楽しみにしてる。
私も旦那も自転車って持ってないから親専用のがないと子供とお出かけできないなぁ。
ってことで自分たちの自転車購入も視野に入れてチェック。
旦那は私にオレンジ車体のそれを勧めたけどこれなら2人で兼用できそうかな。



2001年05月19日(土)
義母ご帰還

義母が鹿児島に出かけて1週間余。
ついに帰宅の日がやってきた。
義父は珍しく日程が入ってるらしく飛行場へのお迎えは旦那の担当。
でも朝から何度も鹿児島からの宅配が届いて身軽な帰宅の義母なんだから
本当にお迎えの必要があったのか?って疑問に思うくらい。
旦那が出掛けに「花に水遣っておけよ」
義母が出発前に義父に頼んでいったのにすっかり萎れて枯れる寸前って様相だったから。
先週も週末には旦那と私がやったし1日は恵みの雨もあったりして
義父の出番は4日だけだったはずなのにこの有様。
慌てて全ての鉢に満遍なく水をやったけど完全回復には至らなかったわ。
お昼前にはお出かけする義父。
久しぶりにスーツに着替えて私に品評を促すの。
「可笑しくない?どうかな?」って。
連日の暑さなのにベストまで着込んじゃって変。
自分で判断したらって突き放しちゃったからそのまま出かけちゃったけど。
で、子供たちが帰宅してスイミングの時間帯に旦那と義母の帰宅。
当然帰宅後の義母は枯れそうになった花を見てガッカリしながら慌てて水遣りしたらしい。
一方、義妹から届いたバラは私の努力で元気を保つ。
旦那が私の努力を伝えてくれたらしく一応は感謝されたもん。
夕食は鹿児島から空輸されたさつま揚げと地鶏のお刺身。
ちょっとした鹿児島気分を味わいましたわ。
義母の帰宅で義父の面倒から開放されたのは手放しで嬉しいよー。

さて土曜日の今日は学校半ドンのはずだった。
当然お昼過ぎには帰路を急ぐ子供たちの声。
でも運動会の応援練習でみんなより遅いって言ってた隆之介が帰宅しても光太朗の帰宅がない。
2時半からのスイミングも迫ってくるし2時になって慌てて学校に連絡。
担任の先生も慌てて校内を探したりしてくれたんだけどどこにもいない。
隆之介と一緒に帰るつもりで校内で遊んで時間調整してたらしんだけど
それを先生に見咎められて一緒に帰るタイミングを失っちゃってたらしい。
慌てて自宅を出て通学路を学校に向かう。
先生は学校からこちらに向かって。
自宅に程近い大通りをトボトボ歩く光太朗を発見して安堵したけど人騒がせだわ。
一旦学校に電話連絡を入れてからまだ道沿いを探してくれてた担任を発見してご挨拶。
2人仲良く帰宅してくれたらこんなことにならなくて済んだのになぁ。
帰宅を渋ってたのはやっぱり義父の存在だったのかな。



2001年05月18日(金)
企て

12日からの義母の鹿児島帰省も今日で7日目。
何もしない義父の生活態度に呆れ果てた私たち母子は朝からある計画を立てておりました。
隆之介の防具袋に忍ばせるテレカ。
今日は子供たちの剣道の稽古日だから仕事帰りの私とうまく合流できればって計画。
もちろん夕食時に私のお手伝いしてる子供たちに指差して指図したり
目に余る義父の態度に嫌気が差してる子供たちの気分転換を図るため。
放課後時間が来て今日は2人とも約束通り徒歩にてお稽古に。
今日も光太朗たちは4時から、
隆之介たちは4時からの防具付けと5時からの練習で全日程終了は6時半頃だから
終了後携帯に電話連絡をもらうことになっていた。
で、帰路を急ぐ車内の私。
子供たちからの一報には早過ぎる6時15分、私の携帯が鳴り響く。
「ご飯炊いてないけどお米かけておこうか?」って義父からの迷惑電話。
ここ数日少しずつ蓄積された冷凍ご飯を処分しなくちゃいけないからわざと炊飯器をかけてこなかったのに。
その旨伝えて一瞬にして電話を切る。
今電話が入ったことで子供たちとの計画をさらに強固なものにすることを決意。
今夜の義父の夕食なんか知ーらない、母子で外食しちゃおうっとてな具合。
電話を切ってしばらくすると今度は隆之介から。
1度目は稽古が終わったよー。
2度目は駅で待ってるけどあとどのくらい?
私の乗った電車が到着して改札に向かうと改札口の向こうに元気に並ぶ顔2つ。
「ママーお腹空いたぁ」
光太朗はそばの売店で牛乳を一気飲み。
子供たちと夕飯を食べる段取りの前にとりあえず家に電話をしなくっちゃ。
で、隆之介が自宅に電話。
「練習が終わって駅でママと会ったからご飯食べて帰るね」って一方的に伝えて終了。
すぐに義父からの電話。
隆之介が出て「だから食べて帰るから」って義父の言葉を受け付けない。
出不精な義父からのメッセージなんて「お弁当買ってきて」しかないって見当もつくけどさ。
その一言を聞き遂げない為の隆之介なりの必死の抵抗。
再び鳴った電話は無視。
母子3人の外食はもちろん平和そのもの。
義父と囲む重苦しい食卓から開放されて子供たちの話も矢継ぎ早。
でも帰宅してすぐ現実に引き戻されちゃった。
待ちかねてたかのように義父ったら隆之介にお小言。
「お前がそう言う態度なんだったらー」
義父の大好きなチ○ンラーメンの空袋は7枚。
お互いの鬱憤も爆発寸前です。



2001年05月17日(木)
虚言癖?

TVでは外務官僚だった野党議員が外相に執拗に質問を浴びせ続けるシーンが何度となく流れる。
「虚言癖や精神分裂の気があるんじゃないか・・・」
つい義父の行動と照らし合わせて考えちゃう。
虚言癖かはたまた健忘症か義父の行動は相変わらず不可解だ。
懸命な読者の皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか?
月曜日、旦那に入浴を促された義父が「明日」って発言したことを。
そして「明日」に当たる火曜日には義父の入浴サインはなかったはず。
なのに水曜日に旦那が再び入浴を促すと「昨晩入ったから」って言ったんだって。
当然義父の入浴後を示す様々なサインは見当たらず。
おかしいなぁって少なからず疑問を抱いていた私。
で、今日はその種の発言が全て嘘だったって愕然。
私が帰宅すると義父はパジャマ姿。
隆之介に「おじいちゃん、1日中パジャマでいたのかな?」って密かに耳打すると
「僕が帰ってくる前にお風呂に入ってたって光クンが言ってたよ。」
どうやら光太朗が学童から帰宅した5時半頃が入浴タイムだったらしい。
誰にも見られずに事を終えようとしていたのか。
慌ててお風呂場を確認すると子供たちの証言通り完全に入浴後を示してる。
水滴のついたドア、湯船に満タンに蓄えられたお湯、ギトギトの洗面器、
使ったままのお風呂マット、濡れたタオル・・・。
1番風呂にだけは入らないでって願ってたのにー。
火曜日に入浴したとしても前回から8日目だったはずだからさらに進んで今日は10日目。
火曜日に入浴して1日置いた木曜日の入浴なんて頻度は逆立ちしたってありっこないし。
そんな人が入った後のお風呂の水なんか汚くて。
本人は久しぶりの入浴で気分をよくしてるかもしれないけど私たちにとっちゃとんでもない災難。
だからあれほど口やかましく入浴を促してたのに嘘吐きジジィ!
しばらくして子供たちと入浴。
義父の気配漂うお風呂の匂いに耐え切れず花○のバ○を規定の倍量湯船に投げ込んじゃった。
おかげで森の香り漂う爽やかな入浴タイムにはなったけど。
でも当然誰も湯船には入ろうともしない。
シャワーを目一杯活用して入浴タイム終了。
義父母とは洗濯が別だから10日振りに脱ぎ捨てた
義父の汚いパンツを洗わなくていいのは助かるけど義母の帰宅までそのまま?
何にしても義父の今回の入浴が嘘で固まってるのが気になるわ。
このままボケまっしぐらだったらどうしよう?



2001年05月16日(水)
ごみ袋

天気予報は雨マークを示してる。
今日は剣道のお稽古日なのに。
今月から防具着用の隆之介は稽古通いに大荷物。
リュック形式の一式を背負い袋に入った竹刀を手に。
万が一雨が降ればそれに加えて傘。
どんなに上手に傘を差してもランドセル以上の背中の荷物は濡れてしまうに違いない。
で考えたのごみ袋作戦。
45Lの黒い袋をかぶせてみたら手頃な大きさ。
でも滑る素材だから動いてるうちに徐々に取れちゃう。
ビニールの口を縛るには半端だし接着しちゃうと帰り道には使えない。
旦那が何か閃いたらしく鋏で切り込みを入れて工作。
袋の状態をキープして背負い紐を通す部分を作ってた。
そのままだと破けて来ちゃうからガムテープで入念に補強。
これで雨でも安心だわ。
光太朗は着替えのジャージが入った普通のリュックを背負うだけ。
で、放課後。
光太朗が心配だからって付き添ってる義母は鹿児島ご旅行中。
初めて2人だけで通う警察署までの遠い道のり。
医者に行くって話してた義父は当てにせず家の鍵も持たせて。
隆之介が帰宅したのに光太朗が遅い。
練習時間を気にして隆之介は焦る。
3時過ぎに出発して到着はギリギリ。
光太朗たちは普段通り練習。
隆之介たちは4時から防具の着脱練習、5時から6時半まで防具をつけての練習だったらしい。
もちろんごみ袋の雨具は他の父兄も絶賛。
で、隆之介たちって今までは基本組だったから5時で終了。
自宅で待つ義父は今日もそのつもり。
6時半過ぎても帰宅しないからって焦って私に電話を掛けてきた。
義父が道場に電話なんか入れたら話が大袈裟になるだけ。
6時45分に私が先生に問い合わせると終わったばかりの隆之介に取り次いでくれた。
前回練習を欠席した本人も6時半までって知らなかったんだけど
光太朗に同行した義母の連絡不行き届きってことかしら。
自宅に連絡して一安心。
でも私が帰宅した7時半を過ぎても帰ってこない。
義父が「迎えに行かなくていいかな」って心配してるけど私は我が子を信じてた。
1時間かけて「あーお腹空いた」って帰宅。
2人だけでの道場通いも大丈夫だね。
でも約束を破って自転車で行っちゃったんだって。
竹刀の幅が危険なことは知ってるから自転車と竹刀を持って歩くを交代で。
自転車は3年生からって学校の約束も破った光太朗。
仮免許運転中の光太朗が事故に遭わなくてよかったけど当分自転車は禁止だわ。



2001年05月15日(火)
薔薇の花

昨日宅配された義母宛のバラ。
自然の営みに従って着実に消滅の方向に向かって突き進んでおります。
水切りはしっかり、氷や花の保存液まで入れて見たけど花びらは確実に広がってきてる。
19日の義母の帰宅まで持続させるなんて事実上無理。
全く人の気苦労も知らないで義父母ったらのん気なんだから。
実はこのバラ、丁寧に箱詰宅配されたもの。
私が見たのはバケツ入りだったから義父が箱から出したのは確実らしい。
でもそこから先の作業はやる気も感じられないほど人、つまりは私任せ。
余りにも横柄な態度だったから「私は知りませんから」って断言。
義父の「自分でやるから」って言葉を取り付けた上で
結局花瓶へ入れる作業まで私が執り行ったのが夕べのことだった。
花びらを覆う薄い包装紙を10本分取り除いて適当にあしらって玄関に飾って。
でもこの時点でつぼみじゃなくて開花してたしこうなったら散るまで一直線。
私が諸々苦労してるってのに今朝もバラに関しての話題は一切上らず。
夕食前に「お義父さん、バラ花瓶に入れたんですか?」って知らん振りして聞いてみる。
「お礼言おうとして忘れてたんだ。やっぱり女の人がいるといいなぁ」
「箱にドライアイスが入ってたから大丈夫かと思って」
全く馬鹿なんじゃないかって思っちゃったわ。
ドライアイスはあくまでも輸送用で到着したら関係ないじゃん。
「お義母さんがいると勝手に触ると怒られちゃうから花なんて何もやったことがなくて」
70歳過ぎの大の男の台詞じゃないよね。
とりあえず何にも分からなくても花瓶に差すぐらいはできるでしょうに。
しかもそんな浅はかな考えで19日まで持たせるなんて無理な注文まで。
私の不在中双方で連絡を取り合ってるらしくバラの件は義母にも伝わってるらしいけど。
それにしたってあと4日は至難の技だわ。
乾燥剤使って花びらだけ保存って方法もあるけど中途半端な日数だし。
枯れた頃に義母の帰宅って現実が目に見えるよう。
宅配された箱は保存して「これです」って提示しなくちゃいけないかな。
最終手段は挿し木だろうけど誰かこのバラに関してのいい方法を教えてほしいわ。
全くなんで私がここまで気にかけなくちゃいけないんだろ?
普通贈り物をする時って先方の都合って考えるよね。
やっぱり諸悪の根源は送り主の義妹?
去年まではアレンジメントだったんだから今年は意図的って感じちゃうわ。



2001年05月14日(月)
役立たず

仕事を終え自宅に電話を入れる。
「ご飯はタイマーにしてあるし何もしなくていいから。」
当然相手は留守番の義父。
ご飯を炊けば水加減は間違うし残ったおかずをお味噌汁の具にしちゃうって前例。
何か仕出かされるより何もしないでいてもらった方が有難いからって作戦。
義母が鹿児島に出かけてまだ3日目だ。
私が帰宅するとお願いした通り全く何もしていない。
洗濯物を取り込むぐらいできるだろうに
強風でバランスを失って片側が落ちた状態の物干し竿が目に飛び込んでくる。
義父はと見るといつも通りTV前の座椅子に寄りかかって寝てるんだか起きてるんだか。
夕食準備を急ごうと洗面台へ行くとバケツの中にバラの花束。
バケツには水が入っているものの茎を覆う水分補給の紙さえも解いていない。
義母不在の間に母の日の花束を送りつける義妹の嫌味?
義父は「帰ってくるまでは持たせないと」って言いつつ一向に何もしようとはしないし。
バラの包みの百貨店から14日午前中の指定で届けられた花束には何の意味があるっていうの?
義妹と義母の母子関係だったら鹿児島行きは当然熟知してるはずなのに。
横目で見ながら知らん振りして夕食準備。
準備も整ってお手伝い要員の子供たちを何回呼んでもなかなか来ない。
子供たちが降りてきたら「ママを手伝ってあげなさい」って義父。
座ってばかりじゃなくて義父が働けばいいんだよって私の心の叫び。
ただ運ぶだけの単純作業なのにさぁ。
準備が整いみんなに先に食べてもらって洗濯の取り込み&お風呂に着火。
で、夕食後子供たちの勉強に付き合って一緒に入浴。
光太朗ったらパジャマも着ないでバタンキュー。
子供たちはしばらくそのままに水切りしたバラの花束を花瓶に入れる。
旦那も帰宅したし子供たちを寝かせてゴミ出しに。
明日は燃える&燃えない両方のゴミの日だから。
ちょっと遠くの置き場から戻ってくると点いてたはずの玄関の電気が一瞬にして消えた所。
ドアを開けると案の定義父。
「ゴミは明朝出しに行くのかと思ったから」って言い訳してたから
一歩間違えば玄関の鍵さえ閉められる寸前だったってことね。
6日以降入浴の気配のない義父(じゃなくて1番風呂を奪われた家族の健康)を案じて
旦那に入浴を促してもらったけど「明日。」
何もしないのは許すとして頼むから足を引っ張らないでくれよー。
分かっていたけど全く役立たずのGさんだわ。



2001年05月13日(日)
母の日のこと

5月の第2日曜は母の日。
巷にはその種のCMが氾濫してるけど我が家には大きな影響もない。
去年は子供たちから腕時計のプレゼントがあったけど
今年は2人ともスカウト活動だから買い物に出る予定もないもん。
義母が鹿児島に行って不在ってのも大きな手抜き要素かもしれないけど。
実家の母には先週のうちにバラの花鉢を送付済み。
ってことでいつもと変わりないスカウト活動の日曜日です。
隆之介たちカブ隊は市内のカブ隊が一同に会するカブラリー。
光太朗たちビーバー隊も同様にみんな揃ってのビーバーズディ。
隆之介たちの集合時刻は8時15分。
お握りやら持ち物準備もあって日曜の朝なのに私のお寝坊は許されない。
子供たちも7時前にはしっかり起床。
で、隆之介たちのイベントが開催される子供キャンプ場は車で20分。
光太朗の別会場9時集合に極めて危険な時間帯ってことで旦那と分担して送迎。
だけど旦那ったらそこへの送迎が不慣れだから途中で迷子になったらしい。
ナビ搭載車でも難しいんだからこれからはもっと積極的に子供の行事に参加してもらわなくちゃね。
カブ隊の今日のイベントは「売りっこ買いっこ」
各隊で趣向を凝らした出店をしてお互いに買い物を楽しむ1日だったらしい。
もちろん本物の貨幣が飛び交ったんじゃなく特製チケットが貨幣代わり。
チョコバナナ、ホットケーキ、フランクフルトと言った様々なお店に
スカウトみんなの手作り看板やら客引き合戦やらで大賑わいだったらしい。
他の団に比べて人数の少なさは否めない所属隊。
でも少数精鋭だから気合も十分だしそれなりに頑張っちゃう。
出したお店がかき氷やさんだからお天気も味方してくれてお客様殺到。
最終的にどの団よりも多くの商品を売ったってことで集会の最後に優秀団の表彰を受けたらしい。
ロープで作った必需品ネッカチーフ留めをもらって誇らしげ。
みんな日焼けばっちりで楽しかった様子。
一方の光太朗たちのイベントは泥んこになろう。
大きな泥団子を作ってこちらも楽しそうにお持ち帰り。
「お母さんありがとう」ってカーネーションシールの貼った
洗濯洗剤入りの小さなビニール袋も一緒に持ち帰ったけどそれほどの泥汚れじゃなくてよかったわ。
帰宅した子供たちったらスーパーで私がもらった造花のカーネーション発見。
ちょっとおすまししてそれを贈呈。
何がなくても子供の元気が母には嬉しい贈り物かな。



2001年05月12日(土)
義母の旅立ち

いよいよ義母の長期不在。
今日から19日の帰宅まで義父の面倒を見なくちゃならない。
故郷鹿児島での1泊2日の同窓会がてら1週間も家を空けちゃう義母が恨めしいったら。
とりあえず子供たちの習い事のおかげで羽田空港送りは免れたけど
大荷物があるから駅まで送れって朝から鬱陶しい。
羽田までは義父がお供なんだしそれほど大荷物って訳でもないのに。
旦那が仕事に行くついでに東京駅まで送ることになって私はお役ご免。
玄関前でしっかりお見送りなんぞさせていただきましたわ。
「お義父さんのことお願いね」って念押しされても困っちゃうんだけど。
義母でさえのんびりしたいからって単身で里帰りするほど厄介な義父だもん。
台風3人がいなくなってお稽古時間までは母子3人でゆったり気分。
昨日の剣道練習が今日に振替になったはずだったのに
警察署が立ち入りできないってことで急遽練習もなしになっちゃったしラッキー。
午後はスイミング→床屋→塾の個人面談と分刻みの予定をこなすんだから小休止って感じ。
そんな忙しい午後になるのが分かってるなら午前中に床屋を済ませちゃえばいいのにねぇ。
午後の段取りもバッチリ。
床屋さんも済んで駅前の駐車場に車を停め子供たちを百貨店に送り込むと個人面談へ。
これまでのテスト結果を提示されたりしながら成績全般やら受験ついてのご説明。
3段階の1番下のクラスに辛うじて滑り込み入塾した隆之介だけど
見る見るうちに成果が現れて今じゃ真中のクラスの上位だって。
いかにこれまでが勉強と無縁だったかってことでもあるけど信じられない。
で、終わって時計を見ると6時を回ってる。
百貨店屋上に子供たちを迎えに行くと3人で夕食の相談。
ついでだからそこの中で食べちゃおうってことになって3人でお好み焼き。
7時過ぎに誰もいないはずの家に帰ると玄関の電気が点いてるぅ。
旦那の帰宅には早すぎる。
ってことは羽田まで送っていった義父が帰ってるってことじゃん。
3人で食べてきちゃったし義父の夕食はどうするの?
「ただいまー」って家に入るとご飯のことなんか聞かず余計な話もせずにさっさと2階に退散。
後から台所チェック。
大好物のインスタントラーメンの袋跡。
これを山ほど買い込んできたのはこの1週間の為だったのかしら?
ベルマークがついてるおかげでごみ箱直行じゃないのが幸い。
19日までに空袋が何枚重なってるか興味深いわ。



2001年05月11日(金)
授業参観日

新学期が始まって1ヶ月少し。
今日は新年度初の1日授業参観だ。
子供たちが持ち帰った全学年全クラスの授業予定を見ながら参観予定も検討したし心構えもばっちり。
もちろん欠かさず見てほしいものを子供たちに希望を聞いた上。
授業一覧なんて去年までなかったからきっとこれも校長先生の発案だろう。
で、旦那もいつもの通り2校時途中まで参観。
その足で仕事に向かうからってスーツ姿。
黒のスープラで学校まで出向いちゃったの。
学校の駐車場って参観の父兄の為にあるわけじゃないって主張する私と大きな意見の相違。
最後の1台分に滑り込んだけどどう見てもスープラって学校には似合わないよ。
1時間目は隆之介が算数で角、光太朗たち1年生は3クラス揃って音楽。
2時間目はどちらも話し合い。
高学年になった隆之介たちは議長を選出して会議を進める初めての体験で慣れない形式に戸惑ってた。
光太朗たちは3〜4時間目の町探検の打ち合わせで注意事項や学校に戻る時間を最終確認。
旦那はこの時間帯の途中で「じゃ」って退出。
グループ行動となる町探検には安全の為に父兄の参加が求められてるから
隆之介の3時間目授業の国語は残念ながら参観できず。
で、町探検。
2年生全員が小グループに分かれて学校周辺にお散歩って感じ。
各班毎に父兄を伴って決められた方面に出発なんだけど光太朗たちが呼ばれたのは1組で最後。
周囲を見回すと親は私だけ。
隆之介の授業によっては途中で学校に戻るかもって事前アンケートに記入していたから
先生が一緒に行動してくれるってことらしい。
急いで他のグループを追いかけようとする子供たちを呼び止め注意深く探検しようって促して。
真っ先に光太朗が目に止めたのは建物玄関前の石の蛙。
インスタントカメラでばっちり激写。
断りながら周辺のお店にもお邪魔して犬のトリミングやらお米やさんの大きな秤を写真に撮ったり。
で、何気なく「ウコッケイの卵あります」って張り紙されたお店の奥までも侵入。
子供たちはもちろん先生も私も新たな発見に驚き。
指定されたギリギリの時間まで探検して24枚フィルムの残0まで頑張ったわ。
慌てて学校に戻って隆之介の体育授業。
昼食はお友達と日本料理屋さんで850円ランチを満喫。
5時間目の光太朗の算数と隆之介の体育で参観終了。
引き続きPTA総会。
4時頃携帯電話が鳴ったのを機に退出するまで長い1日となりました。



2001年05月10日(木)
拾得物

昨日の放課後友人宅に遊びに行った隆之介。
私が帰宅すると何やら漂う秘密ムード。
夕食準備を急ぐ台所にやってきて「あのね、今日○○君にこれもらったんだけど。」
隆之介の手には一頃大流行りしたたまごっちによく似たデジモンを育てる小型のゲーム機。
小さな画面には可愛いモンスターが踊ってる。
「じゃママからお礼の電話した方がいい?」
しばらくしたら「本当は出かける時に拾ったの。」「○○君の家でリセットしたんだ。」
微妙な心の揺れが秘密を感じさせる行動となったことは想像に難くない。
とりあえず昨晩は隆之介の手元に置いたものの今日交番に届けることを約束させていた。
後ろめたい気持ちがあって拾ったものを自分の物にしちゃうより
どんな些細な拾い物でも交番に届ける正道を歩ませたかったから。
幸い今日は夕刻から塾通い。
駅前の交番に立ち寄ってから塾に行っても十分間に合う。
1人交番に入って隆之介が拾ったゲーム機を提示する。
自宅付近で拾ったことや拾った時間帯など必要事項をお巡りさんから聞かれる。
さらにお巡りさんが確認のために自宅に電話。
自宅で留守番をしていた義父が交番からの電話に少々驚いたらしいけど。
警察署での剣道に通ってるって話が及んだらしく
「半年経って落とし主が現れなかったら警察署で」って拾得物の証明書をもらって手続き完了。
で、交番を出ようとしたらにわか雨に襲われちゃってお巡りさんが傘を貸してくれたんだって。
駅を挟んでほんの数分間傘のおかげで無事塾に到着。
本当にわずか10分程で降った雨は帰宅時にはすっかり止んでたから帰りに傘の返還。
何とも晴れやかな気持ちでの帰宅です。
私が帰宅すると書類を取り出してきて「半年だって」「ちゃんとしまっておかなくちゃ」
あれこれ考えて隆之介が「秘密の引き出し」と称してる引き出しに保管してたわ。
ここって急性虫垂炎で入院した時に母子でやり取りした手紙を入れたりしてる隆之介の特別の場所。
ゲーム機の類に落とし主が現れることって本当に稀だろうし。
で、昨日再起動させちゃったゲーム機を案じた隆之介が「お巡りさん煩いって思ってるかな」
あの手のゲームってお腹が空いたとか遊んでよとかピーピー訴えることが多いんだもんね。
半年後には電池切れ間違いなしだけどそれもまたいい経験だろう。
交番に物を届けるって習性そのものが子供には大事だわ。



2001年05月09日(水)
お菓子な午後

今日は午後から役員推薦委員会ってPTAの会合があることになっていた。
この委員会って次年度役員を決めるだけで本格的な仕事は秋以降のはず。
今日は顔合わせ程度って言うし仲良し副委員長さんに電話でお休み報告。
金曜日の授業参観の方が優先だし午後半休はせずにお仕事に精進。
で、その心構えがよかったせいか午後はお菓子三昧。
お昼にチョコレートのスフレを某所で入手。
3時のおやつに食ーべようって思ってたらそれを口にする前に
「ケーキがあるよぉ。お皿持っておいでー」ってくまちゃんからの電話。
くまちゃんについては知ってる人は知ってるわね?
例のティファニーの指輪を私に永久貸し出ししてくれてる職場の先輩。
箱に入った様々なケーキの中から私が選んだのは木苺のケーキ。
明日の分のアップルパイもキープしたし。
コーヒー入れてお友達とティータイムって段取りを整えてたら
今度は部署の後輩がしろたえのシュークリームを2つ届けてくれたの。
色んな洋菓子を目の前にして悩む悩む。
スフレは11日が賞味期限だって言うからこの時点で脱落。
やっぱり生ケーキよねーって木苺のケーキに舌鼓。
なんて幸せな午後なんでしょ。
午後半休しなくて本当によかったわぁ。
で、一緒におやつを食べたお友達が去って別の同僚と入れ替わり。
彼女はおやつしてなかったってことでスフレを差し上げたわ。
一口味見してごらんって言われてついつまんじゃったけど。
それからしばらく冷蔵庫の中の存在を忘れた振りをしてたんだけど
何たって職場の冷蔵庫が私の背後に鎮座してるんだもん。
退勤時刻が迫った頃シュークリームもついぺろっと食べちゃった。
洋菓子には目がない私。
来週健康診断があるのにいいんだろうか?
で、帰宅時。
やっぱり昼間のカロリーを消費しなさいって神様の思し召し。
帰りの中央線はちっとも座れなかったわ。
最後の数駅でやっと座ったけど。
で、私の目の前に立つ妙な男性を目撃したわ。
見るからに勤め人ってご様子なのになぜか違和感がある。
よくよく観察するとスーツの上下はバラバラだし足元はスニーカー。
上着は借り物かと思うくらいダボダボサイズを着てるし
Yシャツの衿もブラウスみたいにだらしなく遠目にも汚れてるって見える。
白い丸首の下着も見えちゃってるし。
やっぱり人って見かけも大事って実感。
洋菓子食べ過ぎて太らないようにしなくっちゃ。



2001年05月08日(火)
広告

朝刊の折り込み広告を見ていた旦那が差し出したB5版のチラシ。
「使わないピアノ買い取ります」「テレビCMでおなじみの」って様々な文字が踊っている。
その種のCMってとんとご無沙汰だったけど提供してる日テレの某番組名まで書いてある。
「本日より7日間運賃無料サービス実施中」「だから安心富○楽器」
ご丁寧にフリーダイヤルの番号が大きく書かれてる。
これは電話するっきゃないわよね。
我が家の不要ピアノは相変わらず大きな顔してるんだから。
リビングダイニングセット購入で部屋の模様替えをした3月以降も結局ピアノの行き先は決まらず。
あれこれ業者に問い合わせしても階段を上った所に居住してるってのが大きなネック。
自己持ち出し額を最低限に押さえたいって思ってるから迷っちゃって。
要らないピアノって本当に煮ても焼いても食えないって言うか迷惑な存在。
その間義母の心も揺らいでると見えて相変わらず子供たちには「ピアノに傷がつく」とかって発言。
今朝の広告を見せた時にも今更何?って顔してたもん。
で、早速電話で問い合わせ。
ここの業者ってすぐに電話で無料査定まで行ってくれる。
メーカー、モデル、製造番号など必要事項に加え
ピアノの設置場所は階段を上った場所って伝えると査定開始。
ピアノは四半世紀を経てる年代物でこれまでの調べ同様に二束三文。
それでもこの大手業者さんは路面に接した家に置いてあったらって
仮説ながら1万円って今までにない高値を提示。
階段の段数が30段までだったら処理費8000円、それ以上はケースバイケースって教えてもらった。
30段以上だと下見料3150円の実費を払って見積もりを出してもらうシステムだって。
当然我が家は50段は下らないはず。
食い下がってどんなパターンがあるか教えてもらったら
50段と仮定して人力だと30000円、クレーンを導入すると1万4000円とかって事例もあるらしい。
下見予約をすると2〜3日で来てくれるらしいけど今日のところは一先ずこれにて問い合わせ終了。
帰宅がてら段数チェック。
階段50段に加えて坂道が存在しておりましたわ。
全くこんな家に運び入れちゃって始末に困っちゃう。
旦那に報告したら「何れにしても処分しなくちゃいけないよな」
「雨ざらしにして壊しちゃおうか?」って究極の意見。
この大荷物は当分我が家に居座るんでしょうか?
それにしても厄介な代物ですわ。



2001年05月07日(月)
入浴

連休も終わって子供たちの小学校では月末の運動会に向けての本格的練習が始まった。
2人ともかけっこが速いわけでもないから表現と称するお遊戯がメインの出番かも。
それはそれは具体的に歌や踊りを交えて私に報告してくれましたから。
5月の爽やかな風の中の練習とは言え間違いなく汗まみれだから当然毎日の入浴は欠かせないね。
今朝も出勤前の私がお風呂を洗って水の入れ替え完了。
汲み終わらないうちに出勤時刻になっちゃったから「水止めてねー」って託して。
義母ったら自分の老化を悟ってるらしく指に輪ゴムを巻いてたわ。
水って頼まれても忘れちゃったりするから
「あれ?なんだったかな?」って思い出すような自分なりの工夫らしい。
この方法に行き着くまでには様々な失敗を重ねたんだろうって想像に難くないわ。
で、私が帰宅して洗面所でうがい手洗い。
水滴の付いたお風呂場のガラス戸を見て全てを悟ったわ。
朝から嫌な予感がしてたんだもん。
結局連休中1度も入浴しなかった義父の久しぶりの入浴。
お風呂マットは敷かれた状態。
洗面器のポジションやら全ての状況証拠から義父の入浴を確信。
極め付きは義父専用濡れタオルの存在。
昨年夏から洗濯籠も別になって汚れ物で確認できないのが辛いんだけど。
前回の入浴から10日、連日の入浴警報発令中で嫌な予感はしてたんだけど全くって感じ。
久々の入浴でさぞお肌も光り輝いてるだろうと夕食中の義父をしみじみ観察。
と、パジャマにガウンでどう見ても入浴サインなんだけど
不精髭はそのままだし頭髪も整えずにボサボサ。
ちっとも精彩がなくて生きてるのがやっとって感じ。
今までの入浴後とは余りにも違いが大きすぎて言葉を失ったわ。
ってことでご本人には入浴確認できず。
だから子供たちは密かに「おじいちゃんまだ入ってないかもしれない。まだ間に合うかも。」
前例から考えても入浴を確信してた私は無駄な抵抗は止めろって思ってたけど。
で、子供たちとの入浴って段になって都合よく旦那が帰宅。
すかさず「たまにはパパと」って促して父子入浴を実践させましたわ。
子供たちったら最後まで「パパと入ると熱いから嫌」って抵抗してたけど。
旦那と入浴すると300数えないと出してもらえないからいつだって茹蛸になっちゃうんだもん。
義父エキス入りのお風呂には入りたくないから私はシャワーのみ。
次の入浴はいつになるんでしょうね。



2001年05月06日(日)
剣士予備軍

GWも今日でおしまい。
結局何てことのないただの連休になっちゃった。
午前中は子供たちの剣道のお稽古。
事前連絡で去年から始めてる隆之介たちが防具を装着するって知らされてたから今日は特別。
平日は同行することのできない私も道場へと出向く。
さて9時半の練習開始。
光太朗たち今年始めたクラスは先日までと同様にジャージに着替えて足さばきの練習がメイン。
剣道の基本は何と言ってもこの足らしい。
ひたすらに先生の言うがまま前後左右への移動を命じられる。
で、隆之介たちは道場で開始の挨拶を済ませると
納品されたばかりの真新しい防具一式を受け取り開封。
初めてで何もできないから先生や先輩方の手助けを受けて着用。
先日稽古着での練習を見たばかりだって言うのに防具を付けただけで別人に見えちゃった。
面の奥に覗く顔は明らかに我が子なんだけどやけに凛々しくて眩しいこと。
先生が新人たちの指導に回る間、防具着用を幇助してくれた先輩方を相手に面打ち等の練習。
始めは面も小手も固いから竹刀の上げ下ろしは大変なんだって。
踏み込んでってメーンって完全にヒットすると気持ちよさそう。
先輩方は協力はしたものの頭が痛くて大変だったみたいだわ。
装着に時間を費やしたこともあってあっという間に練習時間は終了。
面をはずして道場での挨拶を済ませると今度は先生を交えて装着の練習。
今日は先輩方がいてくれたからいいけど次から困っちゃうもん。
順番に垂れの結び方、胴の付け方、手ぬぐいの被り方と練習。
練習を終えた光太朗が隆之介たちのあまりの格好よさに「僕も早く防具が欲しい」って。
ちょっと面を触っただけで隆之介に怒られてたけど憧れは倍増だね。
胴着用はスカウトで習ったもやい結びみたいな特別な結び方だったし手ぬぐいも難しい。
面付けの練習だけは今日はしなかったけど慣れるまでは時間がかかりそうだわ。
で、事前に防具のことが知らされてたって言うのに我が家ともう1人しか父兄が現れなかった。
子供が習ってきても実際にスムーズに着用できるようになるには
ある程度親の理解も自宅での復習も必要だって言うのに大半が無関心。
要所要所で親の出番って必要なのにな。
で、重い防具一式を携えて帰宅。
ちょっぴり汗の匂いが混ざった稽古着は即座にお洗濯。
練習終了毎の陰干しは必須条件だわ。
防具一式の出費は痛いけど子供たちの成長は楽しみだな。



2001年05月05日(土)
こどもの日のこと

普通の4連休って感が否めないGWも早3日目。
特段予定もないままこどもの日を迎えました。
4月の日曜出勤が祟って五月人形の出番もなし。
長男10歳にして初めての経験です。
午後から子供たちのスイミングとあって今日もお出かけとは無縁。
とりあえず美味しい柏餅をキープしようと和菓子屋さんの予約だけは欠かさなかったけど。
変わり映えのない午前中を過ごし午後からスイミング。
いつもだったら駐車場へ入るのも一苦労なんだけど連休でお出かけの人が多いのかあっさり駐車可。
もちろんスイミングに通う子供の数も少なくて練習量もばっちりでした。
美味しい柏餅のお店ってスイミングの近くだから終了後は予約した品をお持ち帰り。
私たちの帰宅を待ってたみんなで柏餅を頬張って。
餡子モノより洋菓子の方が好みの私はどんなに美味しい柏餅って言われても口にしませんでしたけど。
で、こどもの日のお祝いに食事でもってことになって義母と旦那が提案したのは回転寿司。
ちょっと前に回転寿司は食べたばかりだから隆之介的には受け付けない気分。
あまりにも回転寿司じゃ安易だしねー。
旦那に却下されるのを覚悟してピザか普通のお寿司って提案してたわ。
一瞬ピザって決まりかけたけど行き付けのお寿司屋さんに電話したら席が空いててここに決定。
行く前に柏餅を食べた私以外のみんなはそれほどお腹が空いてなかったらしい。
いつもだったら1人前食べた後でもお好みでたくさん食べちゃうのに今日はそれもなかったもん。
子供たちはそれぞれにお子様寿司を食べた後ちょっぴり物足りなくて
お子様寿司1.5人前を追加して分け合って食べてたけど。
旦那と義父は散らし寿司、義母と私は普通のニギリ。
旦那はボトルキープされてるウーロンハイのセットで私はビール。
子供たちにお酌してもらって超ご機嫌。
義父母はお酒に弱くって始めの乾杯だけだもん。
私と旦那が1種ずつ追加で握ってもらってあっという間の会食は終了いたしましたわ。
今日は奥の個室。
新装開店してからこの部屋に入るのは初めてだけど堀コタツ式になってていい感じ。
子供たちは握るのが見えるカウンターの方が好きだって。
で、帰宅後は恒例の菖蒲湯。
菖蒲の葉で鉢巻みたいにしたり顔中インディアンみたいな模様に葉で化粧したり
子供たちなりに楽しい子供の日を過ごした様子。
10歳の長男が何歳になるまでこんなこどもの日が送れるかな?



2001年05月04日(金)
バイオ君その後

4月の14日に旦那がバイオ君をお持ち帰りになって早3週間。
ネットには繋がれていないものの我が家では順調に普通のPCとしての存在感を示しております。
「四角い頭を丸くする」塾でもらった難問だらけのスクリーンセーバーも入れた。
子供たちはゲームやら指使いの練習やらでかなり慣れたみたいな感じ。
もちろん一応の所有者である旦那もそれなり。
私はと言えばネットに繋ぐ環境をどうしようかって思案中。
で、ここに来て不安材料が大きく台頭。
昨日も独り留守番だった義父が「説明書見せて。」
どうせ読みっこないんだしちょっと嫌がらせかもって思いつつ
バイオ本体に加えてプリンターやら目いっぱいの資料を提供しようとしたら
「こんなにあっても分からないから極めて単純なのだけ貸して」
「勉強したいから」ってとんでもない事を言い出しました。
数年前に皆の反対を押し切って自分専用のヒラガナ入力ワープロを購入した時だって
興味は1ヶ月と持続しなくて結局お蔵入りしちゃったって前例もあるし
本当にやる気があるのかどうかは定かじゃないにしても義父がキーボードを触るなんて。
ってなことでとりあえずバイオの説明書を2冊提供。
で、一夜明けた今朝「説明書少し読んだけど名称覚えるのも大変だな。」
「習うより慣れろ、説明書読むより実際に触った方がいい」って一応言ってはみたものの
「壊しちゃったら困るから」ってご自分の分析が当たらずとも遠からずって気がするし。
隆之介だって市のPC教室を受講してきたし学校でも触ってるから私と同じように実践を薦める。
義父に行動力があれば広報には年配者向けのPC教室の案内だって頻繁に出てるのに。
今のところ義父の知識は名称止まりで済んでるらしいけどこれからどうするつもりなんだろう?
毎日が日曜日で暇を弄んでる義父がネット生活に突入する?
しばらく義父の動向を見守らないと安易にネットに繋いだら危険かも。
せっかくのバイオ君も我が家じゃ宝の持ち腐れになっちゃうの?
それもこれも義父がPCとどんな関わり方をするかにかかってるみたいですわ。

連休2日目も我が家じゃ特段のお出かけはなし。
スケートとパターゴルフって案を提示したのに今日も旦那に却下されちゃったんだもん。
おかげでお財布は安泰と思いきや旦那の車のタイヤの購入なんかで予定外の出費。
安全の為にはタイヤ交換って分かっててもなんだか悲しい連休だわ。



2001年05月03日(木)
非常ベル

世間ではGW後半の4連休なんて騒がれてるけど我が家は特段の予定もなし。
子供たちの予定を優先すると結局実家にも帰れなかったし。
悪天候でも楽しめる屋内スキーでも行こうかって子供たちと計画しても旦那の賛同を得られない。
高速渋滞を1人で運転するのも嫌気が差してスキー計画はあえなく没。
で午後から近場のアウトレットへとお出かけです。
スキーには難色を示してた旦那もアウトレットって声には敏感に反応してくれちゃって。
義父はいつも通りお留守番。
子供たちと義母を伴ってのお出かけです。
当然のようにアウトレット周辺の駐車場はどこも満車。
でも1ヶ所だけガーデニングとレストランを利用した時のみ2時間無料って駐車場が。
買い物だけが目的の人には嬉しくないだろうけど意外と穴場で結構空いてる。
わずか3台ほど並んだだけであっさり駐車できちゃいましたから。
とりあえず向かうはナイキやらアディダス。
運動会を控えた子供たちに手頃な靴でも購入しようかと思ったけど見当たらず。
私と義母の靴を購入しただけになっちゃった。
アウトレット全体が連休のお祭りって感じ。
子供たちはピエロとバルーンを作ったりフェイスペインティングをしてもらったり。
で、ガーデニングのお店では実家の母への母の日の贈り物を調達して宅配。
義母は義母で自宅の庭を彩るたくさんの花を購入したりして駐車場無料は確保。
安心した時に事件は起こった。
トイレに行ったはずの義母がいつになっても戻ってこない。
ちょっと不安になって様子を見に行くとトイレから鳴り響く非常ベル。
トイレの前でウロウロする義母。
どうやら水洗ペダルと間違って非常ベルを押しちゃったらしい。
5分たっても係りの人は一向に現れない。
本当にトイレ内で気分を害しちゃったり万が一の事件だったらって不安になっちゃうくらい。
義母ったらトイレの後続の人にも「間違っちゃって」って弁明。
旦那は「よくあることだよ」って慰めてたけど私はもちろん初体験。
なんておっちょこちょいなんでしょって心では思ってたもん。
もちろん非常ベル鳴りっぱなしの状態でもそのトイレは利用され続けてたわ。
ようやく係りのおじさんがのんびり駆けつけてきて一件落着。
何事もなかったかのようにベルの音も終了。
ちょっぴり事件を伴うなんてやっぱり我が家だわぁ。
義父のことは構わず5人で夕食を済ませての帰宅となりました。



2001年05月02日(水)
割引

仕事を終えると足取り軽やかに家路に着く。
4連休が待っているって嬉しいな。
電車で今夜の夕飯についてあれこれ考え最寄駅のデパ地下に直行。
7時過ぎって時間帯もあってかなりの賑わい。
出来合いのお惣菜に一瞬目が眩んでサラダなんかを調達。
さらに威勢のいいお兄ちゃんの掛け声につられて鮮魚コーナーに行くと願ってもないタイムサービス。
それまで1つ1つに値段が付いていたものが一箇所に集められて3つで1000円まで下がってた。
生車海老やらそれこそ選択の幅は限りなく。
これを利用しない手はないぞって周辺を物色。
鰈と蛍烏賊と天然ブリをゲット。
1つ1200円なんて大きな海老やらホタテなんかも放出してあったんだけど
結局便利に使える食材を選んじゃったわ。
カルタ取りみたいに一瞬の差で欲しい獲物を逃した人もいたからかなりの競争率だったのかも。
義母不在の間の義父の食材とするために鰈とブリは冷凍しちゃいましたけど。
半額とはいかないまでも3割から4割引きでなんだか密かにラッキー。
で、デパ地下を出て家路につくと駅前の八百屋さんからこれまた威勢のいい掛け声。
ここの八百屋さんって地の利もあっていつも賑わってる。
大方の品物がなくなりつつある状態の店内には「全品半額」の立て札。
もちろん売り子のお兄ちゃんたちも「半額だよっ」って熱心にお商売。
八百屋さんも4連休するらしく店内商品売り尽くしってことらしい。
残ってた野菜の中から大根100円とかニンニクの芽98円とかレタス100円やらを選んでから
お漬物コーナーで福神漬けと紅しょうがを2点ずつご購入。
もちろんそれぞれが半額だから結局50円の野菜だし
袋入りの漬物って遠い賞味期限だから滅多にないチャンスだもん。
なんだか重い荷物を抱えての帰宅になっちゃったけどとっても得した気分だわ。
で、帰路もう1軒立ち寄ったのがクリーニング屋さん。
季節の変わり目ってことで全品2割引セールの真っ最中。
先週預けてお金は未納って物のお支払い。
2割引でも10198円ってまとまった出費にはなっちゃったけど。
でね、ここってチェーン店の取次店なんだけど本来は4月末までがセールのはずだったの。
それまでは店舗ごとに異なる期間で順次セールが移行していく形だったのに
給料日で売上が左右されちゃうって声が上がったらしい。
ってことで消費者には嬉しい5月末までずーっと2割引だわ。



2001年05月01日(火)
ランチバイキング

連休の間とあって通勤電車も心なしか空いてる。
特段仕事でもないのに職場に参上。
子供たちは普段通り登校だし旦那もお仕事。
家でG&Bと同じ世界を共有してるのも鬱陶しいって理由での出勤です。
冷え冷えと閑散としてて妙に寒さを感じる職場には人影はチラホラ。
参加することに意義があるって五輪精神みたいな人もいるし
それぞれの家庭事情にもよるってことね。
出会った同僚には「何で来たの?」って真顔で質問されちゃって。
「G&Bがいるから」って答えたら
「普段通り出勤する振りして自由時間を過ごせばよかったのにぃ。」
真に彼の言う通り。
入念な計画を立てれば1日が自由だったんだ。
映画だって買い物だって思うが侭だったのになぁってちょっと後悔。
私としたらそんな風に頭が回らなくって大失敗かも。
でもちゃんと神様は見ててくれるってことね。
10時過ぎて職場の大先輩から電話があって昼ご飯に誘われちゃった。
正に拾う神あり。
誘ってくれた先輩に加え後輩2人と段取りを整えてランチバイキングへ出動。
職場近くのレストラン。
連休の間とあっていつもの混雑は見られずにゆったりと昼食を楽しめる。
席が決まると真っ先にサラダコーナーへ。
レタス、アルファルファ、トマト、ソフトサラミ、卵、モヤシの中華味、ブロッコリー、
カリフラワー、大根とレモン、ヒジキ、ほうれん草、飯ダコのマリネ、ポテト・・・。
様々なサラダを満遍なく皿に盛り付けて席に持参。
次なる皿にはローストビーフやらシュウマイ等のメインとなり得る料理を選択。
カレーライスや蕎麦、パンケーキ、フランスパンも赤白ワインも用意されてるし
本当に幅広いメニューの中から選べて嬉しい。
仕事中だからワインは遠慮したもののサラダをお代わり。
ここに来るとメインは専らサラダだもん。
それぞれに選択した主食も違って私が選んだのは大好きなフランスパン。
一通り食べ終わるとコーヒーを準備してデザートに突入。
イチゴムース、抹茶ムース、プチシュークリーム、パウンドケーキ、チョコレートケーキをチョイス。
パンナコッタ、コーヒーケーキ、オレンジシャーベット、ヨーグルトの他のケーキと
パイナップル、オレンジ、グレープフルーツ、メロンのフルーツには到達しませんでしたわ。
滅茶苦茶食べてお腹いっぱい。
先輩のおかげで優雅な昼食を満喫することができましたわ。
本当にご馳走様でした。