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普通の日記

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2000年10月31日(火)
歯医者さん

「抜けた歯は心配ありません。後ろ隣が虫歯ですので次回治療しましょう。 ××歯科医院」
隆之介が持ち帰った紙切れには手書きで症状が記されていた。
小児科、眼科と1人通院歴のある隆之介だけど今日は歯科への初体験。
急なことだったので「予約してないんですけどぉ」って下校後の通院だ。
我が家じゃ隆之介も光太朗も乳歯から永久歯への生え変わりの時期。
2人ともどこかグラグラしてる状態が続いている。
で、昨夜私が隆之介に就寝前の仕上げ磨きに糸楊枝を動かした途端、
1本の歯がグラっと動いて下から出てる新しい歯がしっかり見えるほどだったのに
どこか1箇所が固定されてたみたいでなかなか全部が抜けきれない。
歯はぶら下がった状態でドクドクと血は流れるしあちこち動かしても抜けない。
本人は気持ち悪くてその場で抜きたくて鏡に向かって格闘の末やっと抜けたのが数分後。
向かって右側の上の前から数えて4本目、つまりは糸切り歯に当たる個所と言えば分かりやすいかな。
「抜けたぁ」って持ってきたものの歯には肉片がへばり付いて血は流れる一方だった。
こんな歯の抜け方ってあったっけ?
跡地には新しい歯が顔を覗かせてるもののこちらも同様に肉片付。
心配になったけれど夜間診療の歯科医院ってない。
そのまま就寝させ今朝様子を見たら消毒でもした方がいいかなぁって感じ。
で、保険証&診察券と診療代を用意して帰宅後通院するように告げてあった。
段取り通り自転車で1人歯医者さんに行く隆之介。
当然「1人で来たの?」って聞かれて。
で、診察の結果は冒頭の所見通りってこと。
糸楊枝使って仕上げ磨きも欠かさないしフッ素液でのうがいもしてるのに虫歯に侵されちゃうのね。
それにしても1人で歯医者さんにも通える隆之介って偉い。
予約なしで待ち時間が長かったから待合室にあったドラえもんの漫画を読んでたんだって。
隣の歯の治療は一緒に行ってあげなくちゃね。

隆之介たち3年生は1・2時間目に社会科で織物工場見学。
絹織物産地の面影を残す八王子ならでは。
仕事中の工場に80人全員は入りきらないから10人交代。
コンピュータで作図した柄が縦糸と横糸の動きで綺麗に織り込まれて行く様子に見入ったらしい。
犬の絵が可愛かったって隆之介の感想。
自分たちで蚕を育てて授業で糸を紡いだし今回は実際に織る様子の見学。
色々な体験が大きな実を結ぶといいね。



2000年10月30日(月)
お米

収穫の秋を迎えて世間に出回るお米はすでに新米。
夏の冷戦突入以降、義父母たちとは別のお釜で別のお米を食べている私たちは当然新米に突入して久しい。
私たちのお米は台所の米びつに納められており、
義父母のお米がどこにあるのかってのは密かな興味の対象だった。
で、米びつじゃあないけれどこの週末にお米の入った袋を発見。
予想通り自分たちの部屋にお米をキープしていた。
どうやら例年通りに義父母の田舎の鹿児島から送られてきた新米らしい。
平日の昼、私の知らない間に宅配されてきたんだろう。
夕べのすき焼きの時のご飯もこれだったか?
申し訳ないけど義父母にはおいしく感じられるこのお米も私の口には合わない。
早く収穫できることはメリットだけど南の地方で収穫されるお米ってのはどうしても大雑把。
だから「鹿児島のお米はおいしい」って言う味覚には同調できない。
義母の兄弟が仕事の合間に丹精こめて作ったものってのは有難いけど。
幼い頃から慣れ親しんだお米の産地のものが木目が細かくておいしいのは確か。
だから食生活を別にしてから味覚を強制されないことがどんなに助かっているか。
でも、昨日はこのご飯を食べちゃったんだよね。
もちろんおいしく感じられなくてお茶碗に半分食べたところで残しちゃったけど。
それにしても義父母は新米の炊き方も知らなかったと見える。
義父母が水加減で相談して多目の水でご飯を炊いたらしい。
できたご飯は当然お粥みたいな柔らかさ。
老人食には適正かもしれないけどこんなご飯は頂けない。
新米を炊く時は水は控えめが鉄則じゃなかったか。
で、そのご飯を食べながら義父ったら「天皇陛下より早く新米食べてるな」って。
いくら新嘗祭と言われた勤労感謝の日が来月だからって天皇陛下だってとっくに新米だと思うけど。
自分と天皇陛下を比較すること自体感覚がおかしいぜぃ。
それに今ごろ新米の感想ってことは義父母の食べてたお米は今の今まで古米だったってこと?
食生活が別で本当によかったわぁ。
そう言えば先週の芋堀の日に買い置きしてたお芋で大学芋を作った時も
「掘ってすぐのお芋はおいしい」って義母が言ってたっけ。
掘ったお芋はしばらく放置しておいた方がおいしいんだよー。
年寄りの知恵袋って言うけど我が家の年寄りはちょっと知恵が足りないみたいです。



2000年10月29日(日)
応援感謝セール

昨日で日本シリーズの決着がついて今日からダイエーは応援感謝セール。
昨年までだったら最寄駅にあるそごうが優勝セールのはずなんだけど
破綻して優勝セールは三越に移っちゃったからなぁ。
店舗が継続されるリストにあったってことはかなり営業成績もよかったはずなのにぃ。
で、遠路はるばる三越の恩恵を受けるより近場にある庶民の味方ダイエー。
ってことで義母と旦那と子供たちと一緒に行ってまいりました。
当初の予定では今日は海上自衛隊の観艦式に出かけるはずだったんだけど
天候確認に目を覚ました5時過ぎは寒くて雨降りで予報も悪いまま。
3年に1度の観艦式は確かに魅力的だったけど風邪引きそうだったし諦めざるを得なかったわ。
で、お昼前から地元にあるダイエーです。
応援感謝を表す39円(サンキュー)、王監督の背番号にちなんだ89円が目玉商品。
他の商品も全館全て割引価格。
居住地でありながらダイエーがいつもの買い物ルートに入っていない私には何もかもが新鮮。
100円均一ならぬ88円ショップってのがあるって新聞では見たことがあるけれど
実際に目にしたのは今日が初めてだし。
せっかくの機会だから割引を有効活用して蛍光灯とか隆之介のGパンを購入。
義母は昨日の約束通り子供たちに遊戯王カードを購入してました。
ダイエーでお友達にも遭遇。
みんなダイエーのファンじゃないはずなのにねっ。
で、帰宅後旦那が「蛍光灯のサイズが違ってる」って。
自分で確認して購入を進めたはずなのにー。
速攻で再度お取替えに行ったのはもちろん私。
大きなサイズに替えて別の蛍光灯も追加購入したのに徴収された差額がたったの226円。
もしかして担当者のミス?
ダイエーさんには申し訳ないけどなんだかラッキーって気がしてなりません。

巨人の優勝で滅茶苦茶気分のいい義母。
「巨人が優勝したから今夜はみんなですき焼きだよー」。
全く単純な構造らしい。
おいしい食材買い込んで恩恵のすき焼き鍋を囲む平和な我が家。
もちろん夕食時にも巨人軍選手出演中のTVが点いてたことは間違いありません。
巨人の勝利でここまで機嫌の波があるって全く・・・な義母です。



2000年10月28日(土)
ドッジボール大会

今日はせっかく学校がお休みの第2土曜日だって言うのに早起きな私。
子供たちが楽しみにしていた学童のドッジボール大会の試合当日だから
リクエストにお答えする形でお弁当作りに勤しむ。
3年生の隆之介は学童生活も今年いっぱいだから楽しみだし
1年生の光太朗にとっては初出場ってことでこれもまた楽しみ。
10時に学童に集合してバスで会場まで移動。
市内の学童と児童館の子供たちが会しての賑やかな大会です。
隆之介の数年に渡る試合結果ではいい所のない○○学童チーム。
最終年度の今年は今までの集大成にリベンジを誓う隆之介です。
とは言っても集団での戦いだし全員参加がモットーだから勝負に拘るものでもなし。
男女に分かれて戦って今年の男児はなんと2勝2敗。
女子はもっと結果が悪かったらしい。
隆之介にとって2勝もできたことが夢みたいに感じるほど今までが弱かったってことですが。
ちっちゃいから逃げ逃げ大作戦で戦いに臨むつもりだった光太朗は標的にされて簡単にアウト。
数少ない3年生の隆之介は頑張って活躍したらしい。
もう1勝でもできるとさらにコマを進められたらしいけど。
でもたかが2勝でも隆之介にとっては最後の大会で今までの憂さを晴らした感じだし
今年が初参加となる光太朗には来年へのいい経験となったに違いない。
せっかく作ったお弁当がどっちも少しずつ残されてたのが残念だったけどね。

そう言えば昨夜有難くないことに我々の入浴を前に入浴した義父。
しかもいつも通りと言えばそれまでだけど1時間もの長風呂。
ここの所寒くなったのにあまりにも規則正しい一週間毎の入浴で義父も改心したかって疑い。
じゃなければ今日も何かイベントかって思ってたらやっぱり午前中からスーツ着てお出かけでした。
案の定同窓会か何かのイベントだったらしい。
鹿児島の紫サツマイモ数本と加治木饅頭数個がお土産。
入浴間隔を探る前に義父のイベントを調べた方がよさそうです。

で、ついに日本シリーズの決着!!
巨人の3勝2敗で迎えた今日は義母の熱烈応援にも一層気合が入ってた。
大量得点に気をよくした義母は得点数だけの遊戯王カードを子供たちに購入する約束までしてたもん。
あぁ、こんな形で20世紀最後の有終の美を飾るなんて巨人軍ってさすが。
巨人軍優勝が我が家にもたらす好景気と平和を考えただけで幸せ気分です。



2000年10月27日(金)
脱走

「がん太を捕まえたわ」携帯に義母から連絡が入ったのは11時少し前。
今朝出勤する私の不注意でがん太が脱走してから3時間半近くも経っていた。
外犬がん太は普段鎖で繋がれていないから一瞬の隙を突いて脱走と言うことになる。
門にS字型のフックががん太脱出防止策。
出入りする人間はそれはそれは慎重に門の開閉を余儀なくされている。
ところが季節的なこともあって妙に行動的ながん太は水曜に次いで度重なる脱走。
一昨日の脱出も私の不注意。
子供たちと一緒に出勤しようと光太朗が玄関から出てくるのを待っている間の出来事だったから。
登校の誘いに来てくれた2人のうち犬嫌いなK君が逃げたら
遊んでもらえると思ったがん太はK君に飛びついて泣かしちゃったし。
でもこの時は隆之介がすぐに追いかけてマーキング中のがん太は敢え無く捕獲。
で、この時からモヤモヤしたままだったのか虎視眈々と脱出機会を覗っていたがん太。
出勤、登校が重なって門の開閉が重なる時間帯がチャンスと狙っていたんだろう。
今朝は可燃ごみの収集日とあって大きなごみ袋を持って門前に立つ私。
門の向こう側にはいつものように子供たちを迎えに来た隣の大ちゃん。
一昨日のこともあって慎重にことを進める私がごみ袋を出そうと門を開けたその一瞬の脱走。
義母が大事にしてる門柱の花鉢がガチャンと落ちた音と共に。
それまではがん太の気配もなかったはずなのにこの時とばかりに門から飛び出していったわ。
玄関先から「がん太逃げちゃったー」って大きな声で叫んでそのまま出勤。
隆之介は大ちゃんにランドセルを預けて周囲を一回り。
でも一昨日みたいにすぐに捕獲することはできなかったらしい。
延々と逃げて遊び回るがん太。
しばらくして義母も近所の公園周辺を探しに行ったらしいんだけどがん太は一向に見つからない。
数時間の放浪の旅。
がん太はご近所の飼い犬の柴犬の母親が
主も知らない間に産んだ子犬って過去があるだけに歴史は繰り返してるのかもって思える。
どこかでがん太そっくりの子犬が産まれるかな。
で、電話連絡の通り10時半過ぎて家周辺にいる所を義母が捕獲したんだって。
私が帰宅すると今朝までは家を一周できてたがん太から奪われた自由な行動。
周回通路が2箇所で遮られて門に接近できないようになってた。
これからはがん太の脱走なんかないわよね?
専用扉をジャンプしてでも脱走するかしら?



2000年10月26日(木)
救急車騒動

午後の勤務中、部屋の外の廊下が何やら騒がしい。
ガヤガヤと人の動く気配と無線で何かを告げる一方的な会話。
「こちら○○(←職場名)、××(←部署名)、●●(←急患者氏名)29歳」。
慌てて野次馬となって廊下に出ると救急隊のご一行様。
救急隊が慌てて向かう先に急患が出たらしい。
救急隊員に通報されている29歳の彼女は
ここしばらく風邪気味で調子が悪そうだったんだけど急変したのかな?
救急隊第1部隊到着後、しばらくすると第2弾の救急隊員が担架か何かを搬入。
様子が分からないだけに私も他の野次馬も心配そうに遠くから様子を覗う。
数分後担架ならぬ簡易車椅子みたいなものに乗って運ばれる彼女。
顔色も悪そうだしホント大丈夫かなぁって。
でも様子が分かったのはエレベーターに乗り込む所まで。
救急車がサイレン鳴らして発動する気配なんか職場のざわめきの中じゃ聞こえやしない。
同じフロアの友人数人と彼女を気遣って数時間。
情報が何も入ってこないだけに心配は募る一方。
と、救急車に同行した先輩の声がエレベーターホールに響き渡ったと思ったら
当の本人も姿を現したからなおビックリ。
数時間前に救急車で運ばれた時より顔色は少しだけいいけど当然まだまだ病人状態。
数人で心配して様子を聞くと今朝から飲み始めた風邪薬が原因らしい。
それまで飲んでた薬から切り替えた薬を昼食後に飲んだら急に呼吸が苦しくなっちゃったって。
気道の粘膜が閉じて息ができなくなる感じがしたってとっても怖い。
部署の人には気丈に「大丈夫」って言ってたけど身体はやっぱり大丈夫じゃなかったってこと。
救急車で運ばれた先はこの辺ではかなり有名な大きな病院。
で、彼女は呼吸が苦しいからたくさん空気を取り入れようとして今度は過呼吸に陥っちゃったらしい。
脈拍と血圧を測定しながらビニール袋みたいなのを口に当てて酸素の調整をしたって。
過呼吸って若い女性がなりやすいって聞くけど実際になった人に出会ったのは初めて。
これが職場だったからよかったようなものの
電車なんかだったら対処が遅れたかもって考えるとかなり怖いものがある。
彼女ったら職場に戻ってから定時になっても帰宅の気配なし。
こんな日のアフター5予定は即刻キャンセルしなくちゃだめよー。
みんなの忠告を聞いて帰宅したからホッとしたけど
次に起こる可能性も否定できないだけに今後も要注意です。



2000年10月25日(水)
催告書

旦那宛に舞い込んだ市の納税課からの親展。
で、開封して目を通したご本人は何食わぬ顔で私に渡してくる。
じっくりその書類を読むと思った通り住民税を催促する書類。
4月に転職して以来税金が給与天引きとなっていない旦那は
自ら納めに行かなくちゃいけないのに怠ってたから。
旦那からお金を預かって振込みに行くなら引き受けるけど振込用紙だけ渡されたってねー。
私だって旦那以上にしっかり給与天引きされてるんだから。
初めて目にする書類には「市民税・都民税が払われていません!!」。
で、さらに読み進めると「すでに督促状などで納付のお願いをしておりますが・・・」。
ってことは旦那は事態がここまで悪化する以前の督促状なるものはどうしちゃったんだろう?
ちなみにこの催告書で催促されている税金は8月いっぱいが納期となっていた第2期分。
年4回の納期のうち2回目をほったらかしにしてたから。
しかも今月が第3期の納期。
納税は国民の義務だから催告書の後はおそらく納税課の担当者の家庭訪問だろうし
観念してこの辺で救済措置を講じてあげないとヤバイかなぁ。
でもこんなに放っておいても延滞金は0円。
もちろんそのことを事前に調査したうえで私は放置しておいたんだけど。
高額納税だったら延滞金が膨らんじゃって馬鹿らしいから私だってすぐに手を講じるわ。
自分の給与から税金を納めてるうえに旦那を救済しなくちゃならないこの現実。
いい社会経験だと思わないとやってられないわね。
資産差し押さえなんて事態に陥る前に税金納めてこようっと。
そんなこんなで相変わらず旦那の新しい会社は遅配だし所得より支出の方が嵩んでる。
旦那もそろそろ嫌気がさしてる時期かもしれない。
そうは言っても転職しちゃったんだから今更どうにもならないのにさ。
で、少しでも家計の足しになればと今月から子供の扶養を旦那から私に移動した。
今まではそれぞれが1人ずつ扶養してる形を取ってたんだけど
人事担当者に申し出て私が2人を扶養してるって方法にした。
所得の高い方に扶養を付けた方が税控除が大きく次年度の税額が違ってくるから。
そして今月から私の給与に微々たる1人分の扶養手当の増額も見られた。
扶養家族なし扱いになった旦那は来年の税額はどんなもんなんだろう?
来年の今頃、旦那も私の扶養扱いになってたら恐ろしいけど。



2000年10月24日(火)
マニキュア

いつものように帰宅すると子供たちは自室、義父母は夕食後の団欒中。
ここ最近の義母の気がかり日本シリーズもない今日は本当にのんびりした気配でTVに見入っている。
でも家に入った途端漂ってくる嫌な空気。
TVを見ながら義母がマニキュアを塗っている最中だ。
この種の匂いが好きって言う人もいるけれど私は大の苦手。
これから食事をしようとする場所がシンナー臭いなんて真っ平だわ。
ってことで義父母が団欒中なのにも容赦なく窓を開け放った私。
ベランダで煙草を吸って戻った義父が「開いてるのか?」って言ったけど
「私がマニキュアしてるからでしょ」って義母は平然としていたわ。
その後義父が「開けなくてもそのままで乾くんじゃないのか?」って言ったのがお笑いだったけど。
要するに2人とも匂いには鈍感ってことね。
いざ母子3人での夕食って段になって2階から子供たちを呼び寄せた時に
やっぱり子供たちも「臭〜い」って言いながら降りてきたわ。
子供たちも私に似て匂いに敏感だから。
それにしても日頃匂いに接してると鼻が麻痺してドンドン強い匂いを求める傾向にあるのかな?
そうじゃなければ1週間も10日も入浴しない義父と一緒の布団に寝られるはずがない。
義父母は冷めた関係にもかかわらずず〜っとダブルのお布団で就寝してるから。
私だったら耐えられない臭いだけど一緒に寝てる義母はすでに嗅覚が麻痺してるってこと。
で、義父母のヘアスプレーにしたって家中に臭い匂いを振りまいてるのに自覚なし。
それを知ってか知らずか義母ったらお家の中に芳香剤を多用してる。
玄関にも脱衣場にももちろんトイレにも大きな芳香剤がデ〜ンと置かれてる。
もちろんトイレだけは1階と2階で別利用だから2階ではそんな無粋なものは使わない。
元々匂いに弱くって化粧品売り場や新規開店の独特の匂いなんかも苦手な私はこの種の匂いは大嫌い。
義父母主導で家庭が動いてるから匂いに悩まされながらの日常となる。
脱衣場なんて足元じゃなくて洗面台の高さに置かれてるから匂い直撃で苦痛。
それよりも義父の入浴回数を増やす方がよっぽど消臭効果高いのに。
臭い物には蓋って言うけど年寄り臭いって自覚してほしいなぁ。
もちろん私だって匂い全てを拒否してるわけじゃなく
そこはかとなく香り漂うポプリとか自然の花の香は好き。
せめて微香性の芳香剤に変えてもらえないかしらね。



2000年10月23日(月)
定期券購入

毎日の通勤に利用してる定期券の使用期限がいよいよ明後日と迫ってきた。
20日の給料日にはドカンと半年分の交通費も支給されてて今月の給与額面は驚くほど。
毎日通過する乗換駅の自動改札口では10月25日期限ってしつこいくらいに表示攻撃を受けている。
ってことで帰宅がてらJRの駅の窓口で26日から半年分の定期券を購入。
で、今回の購入に際して密かに試してみたかったことを実行に移してみました。
それは週刊誌なんかで再三取り上げられてる生活防衛のための裏技とも呼べる方法。
なんでもJR中央線を利用してる乗客の場合、新宿を境に定期券を分割するとかなり安くなるらしい。
新宿〜八王子間は京王線と競合してる路線だからってのが理由らしい。
週刊誌に再三取り上げられてるってことはやってみる価値がありそう。
でも半信半疑だから駅の窓口で確認。
現在使用中の定期券を提示して「あのぉ、新宿で分けると安くなるって聞いたんですけどぉ」。
すると駅員さんったら手馴れた様子で窓口の機械で計算を進めていく。
「2枚に分けると122480円ですねー」って。
今使ってる半年の通勤定期が133060円だからなんと1万円以上お徳ってこと。
もちろん合法的手段だしこれを用いないって手はないわね。
早速購入申し込み用紙2枚に記入して購入完了。
2枚の定期券を持つことによって生じる弊害なんかは実際に使ってみなければ分からないけど。
で、ここだけの内緒の話私はバス運賃も支給されている。
でも駅の乗り場でバスを待つ時間よりダッシュで自宅に直行した方が早いから
今までタクシーは利用することはあってもバスには乗ったことがない。
ってことで職場から支給されてるバス代は私のポケットの中に収められてる。
まあこれも許される範囲ってことね。
交通費の支給で少し懐具合が豊かになったのは気のせいでしょうか。
そう言えばずっと昔職場で逸話になってるほどの人がいる。
職場から程近い所に住んでいながら実家の住所を活用して交通費を誤魔化していたツワモノ。
それも半端じゃないやり方で実家の母親を巻き込んで。
疑いを持った担当者が実家に電話すると母親が取り次いで「今留守です」。
すぐに娘に連絡を入れてっていう何とも悪どいやり方だった。
もちろんすぐにバレちゃったけど。
それに比べたら私の生活防衛手段は可愛いもんだわ。
浮いた交通費でおいしいもの食べちゃおうかな。



2000年10月22日(日)
芋堀

昨日から山中泊だった隆之介たちはあっ気なく山を降りる日。
朝食後近くの川で沢がにを捕まえたりして楽しんだみたい。
下流に行くほど流されてるカニが多くてたくさん捕まえてキャッチ&リリース。
履いて行った靴はびしょ濡れだから予備の靴になっての下山。
ちょっと予定時刻より遅れることになっちゃったけど1時ごろ無事解散。
楽しい1泊2日を満喫してきた隆之介でした。

光太朗と私はビーバー隊で秋の楽しみ芋堀へ。
子供たちは長靴履いて軍手してスコップを手にお芋の畝に向かいます。
それにしてもお芋堀1つでも性格ってもんが現れるのねー。
一人っ子のS君は黙々とひたすらマイペース。
でも頑張る割に収穫は少ないくらい。
3人兄弟のお兄ちゃんO君は誰よりも一生懸命掘って人が掘ってる傍から奪い去っていく。
ってズルじゃんって大人たちの思いは彼には届かないみたい。
もちろん誰よりも多い収穫でビニール袋1枚じゃ収容しきれないほどの大収穫。
で、光太朗は掘り始めてすぐにお芋を掘るのに飽きちゃった。
光太朗の掘ったお芋はその辺に置き去り状態。
軍手も剥ぎ取って素手で何やら遊んでる。
どうやらお芋堀より土中にいる虫に興味引かれたってことらしい。
「黄金虫の幼虫かなぁ」なんてとっても楽しそうに手中で弄んでる。
O君の掘ったたくさんのお芋の山を尻目に光太朗の分も頑張って掘り進める私。
ほんの1時間半ちょっとの作業でノルマ達成。
スコップで注意深くお芋を掘る作業って案外疲れるからこの程度の時間で十分。
1株いくらって芋堀体験ができる農場だからお手軽だよね。
みんなそれぞれに満足のいく収穫量でビニール袋の底が抜けそうなくらい。
それぞれの家庭でどんなお料理に化けるのか楽しみです。
掘ってきたお芋を消化する前にスーパーで買ってきたお芋を食べ尽くさなくちゃ。
ってことで本日収穫したお芋は放置して買ってきたお芋で大学芋作り。
義母は家で作れるって知ってか知らずかいつも購入してくるけど
やっぱり手作りで出来立てはおいしいよね。
買い置きのお芋がなくなった次からは苦労して掘ったお芋が味わえそうです。
それにしても私の作った大学芋をみんなと一緒に食べてた義父母ったら
「やっぱり掘り立ては新鮮でおいしいわねー」って。
大学芋の出来が良かっただけなのに何か勘違いしてるみたいです。



2000年10月21日(土)
秋を探しに

今日は学校のある土曜日。
光太朗たちの学級は2年生の某クラスと一緒に秋を探しに公園探検の授業。
生活科の秋を探す授業も様々な角度から子供たちを攻めてるって感じ。
学年全員で行ったり拾ったもので作品を作ったりした最終段階なのかな?
夕べの雨で催行が心配されたけど日ごろの行いがいいせいか無事催行です。
合同での公園探索は8つのグループに分かれて行動。
ペットボトルにどんぐりを入れて遊ぶマラカスグループとか葉っぱを拾って遊ぶグループとか
2年生の説明に基づいて事前に班分けされたグループごとに行動する。
光太朗はどの項目にも興味を引かれたらしいけど虫取りグループに最終決定。
虫かご持参で登校して帰宅した時にはバッタとカマキリとハチが捕らえられてた。
なんでも2年生が捕まえてくれたらしいけどハチを虫かごに入れるってよほどの勇気だわ。
もちろん帰宅後ハチだけはすぐに逃がしましたけど。

子供たちが登校してる間、私は学校へ。
2学期に入って週末ごとに学童で個人面談が行われてて今日が我が家の該当日。
学童での子供たちはやっぱり元気いっぱいってこと。
若い男の先生が面談担当だったんだけど
日ごろの光太朗たちの態度を見ると「もっと伸び伸び遊ばせたいって思う」って。
学校の敷地内だから木登りにしても砂場遊びにしても禁止事項が多いんだって。
先生ったら別の学童から今春移動してきたばかりの時は自分も木登りして注意を受けたって。
今時の子供が自由に遊ぶってなかなか難しいんだなぁ。
学童面接を終えてから職員室直行で学校での子供たちの様子を確認して帰宅。
あれもこれもまだまだ課題の多い息子たちです。

夕方から隆之介はスカウトのナイトハイク。
5時半に市街地に集合して6時から歩き始め裏高尾の日影沢って所まで延々歩く。
大きな荷物は車に積み込み必要最低限の荷物のみ背負って。
第1ポイント狭間駅隣の公園で腹ごしらえのおにぎり。
第2ポイントのコンビニでグループ毎に軍資金が供され1人125円内の買い物を許される。
隆之介が選んだのは栄養補給のためのドロップ。
で、さらに歩き続け第3ポイントで宿泊の為の大きな荷物を車から受け取って背負って再出発。
大きな荷物を背負っての山登りは荷物の重みで後ろに引っ張られる気がしたって。
とにかく大変な行程を一人の落伍者も出さずに完歩。
夜食と会議終了後は寝袋に入って熟睡です。



2000年10月20日(金)
厄日?!

いつものように帰宅すると義母が誰かと親しげに電話してる声が玄関先まで聞こえてくる。
で、私が「ただいまー」って玄関を上がると慌てて「お帰りー。じゃあね」って。
私の不在中にコソコソと電話をする間柄の人物って言ったら義妹しかいないはず。
1度「じゃあ」って言ったものの私が手洗い・うがいをする間も続く電話。
要するに最初の挨拶は私が帰ってきたことを示す暗黙の信号ってことみたい。
義妹と義母の深い繋がりには口を挟む余地もないけど
不在中にコソコソってのはいつもながらいただけない。
「ハロウィンの仮装パーティ行きたいわ。11月には学芸会なのね」って。
義母の外出はもちろん拒まないけどどうせなら義父も一緒に連れていってくれー。
何はともあれ再来週は義母が義妹宅を訪問することだけは間違いなさそうな気配。
事前に情報をキャッチできただけで善しとしましょうか。。。

で、いつものように朝汲み替えたお風呂に点火しようと浴室に行ってビックリ。
予想もつかない行動をするのが我が家のGだけど13日の金曜日から1週間で入浴してる。
先週に引き続いてのさめG入浴クイズを催行してたら正解者不在だっただろう。
もちろん私だって1週間での入浴なんか全く予想してもいなかった。
先週のように湯船のギトギト確認にお風呂の蓋を恐る恐る開けてチェック。
と、1週間って間隔が短かったと見えて先週のような驚くほどの湯垢はなし。
洗い直しを余儀なくされた先週とは若干様子が違うみたい。
てことで諦めてGの残り湯に入る覚悟を決め込む私。
もちろん子供たちを溺れさせないように厳重注意が必要なことは言うまでもありません。

義母の電話、義父の入浴とイヤーな雰囲気を背負って夕食の準備。
隆之介のリクエストでイカリングフライを・・・とイカをさばいてた時に新たな事件発生。
私のウッカリミスでイカ墨を爆発させちゃったんです。
焦って夕食準備に取り掛かっていたために着替えもせず白のシャツブラウスのままなのにぃ。
左袖と左身ごろに点在する墨の跡。
一瞬はシマッタと思ったもののやっちゃったものは仕方ないもんねー。
明日はクリーニング屋さんに直行だなっって思いながらそのまま準備続行。
もしかして今日は夕方から厄日だったのかな?



2000年10月19日(木)
餃子

本日外回りの為直行直帰だった私。
1日PC無縁生活を送っておりました。
でも職場よりず〜っと近くの現場で朝は少しだけのんびり。
はなまるなんてのもチラッとだけ見ちゃったし
職住接近だったら毎日がこんな生活なのねぇって羨ましくも思ったり。
で、外回りの仕事も順調に済んで当然のようにいつもより断然早い帰宅。
昨日発熱した光太朗は今朝は元気に登校したけど念の為学童に行かずに帰宅してる。
隆之介は所要があって土曜日にプールに行かれないから振り替えてスイミング。
台所争奪戦はあるもののいつもみたいに慌てて夕食の準備を作る必要もないから
光太朗と相談して久しぶりに餃子作り。
光太朗は台所でのお手伝いが大好きで踏み台を持ってくるのが常だから。
今日も餃子って決まって嬉しくて野菜を刻む前から「何かすることない?」って。
一通り野菜を刻むのを待って今度は「僕に混ぜさせてー」。
小さな手で混ぜてたらいつまでかかるか分かりゃしない。
少しだけやらせるとすぐに交代。
すぐに混ぜ終わると光太朗には皮に包む作業に専念させました。
自分からスプーンとか水を入れる小皿とか次々準備してくれて。
う〜ん、だいぶ上達してるなぁ。
上手な襞は作れないけど独創的なオリジナル作品を次々編み出していく。
皮を2枚重ねて大きなパイみたいなのを作ったり。
隆之介が帰ってきて出来上がった手作り餃子を羨ましそうに眺めてた。
で、早速焼いて食べる母子3人。
光太朗はもちろん自分の作った作品を食べたいし
隆之介だって形良く作られた普通の餃子よりそっちに興味が引かれるみたい。
中身は同じなのに隆之介がそっちにばかり手を出そうとするから「僕のぉ」って死守する光太朗。
私の作ったのよりそっちの方がおいしそうに見える?
スイミングで餃子作りに参加できなかった隆之介も自分で作りたかったのよね。
近いうちにまた子供たちと一緒に夕食作りしなくちゃね。
母子の団欒を与えてくれてなんとも有難い外回りの1日でした。



2000年10月18日(水)
断水

いったいあれから何日が経過したって言うんでしょう。
「あれ」って義母と私が以心伝心で同じ日に市役所に通報した漏水です。
9月19日の通報以来「数日で」と言う工事屋さんの言葉だけが頼りだったのに
その後も一向に工事の気配がない・・・ってことで義母が再度の要請をしたのが昨日。
1ヶ月以上の間放置されてた水漏れはどのくらいの水量となったことでしょう。
今日お昼近くになって慌てて工事屋さんがすっ飛んで来た模様です。
工事人たち、まずは周辺家庭に断水のご挨拶。
水道管破損状況は開けて見なければ分からない情況。
で、いざ蓋を開けたら予想を遥かに上回る被害。
簡単に済む工事ってわけには行かなかったらしい。
断水時間は4時間を越える大掛かりな工事。
もちろん私が帰宅する夕方までには工事終了で私に確認できるのはその名残だけ。
階段下の涌き出てた所だけじゃなくて道路を横断する形で工事が行われた気配。
ってことは昼間はこの一帯は通行止めだったってことよね。
ちょうど水を使う時間帯じゃなかったにしても周辺地域の影響は計り知れない。
それにしても1日中家で暇してる義父母が4時間断水で1番困ったのは当然トイレ。
水洗って水なしでは生きていかれないってことだもの。
断水が終わって水の有り難味を実感しながらトイレに駆け込んだのは言うまでもありません。

ここの所一気に寒さが増して体調不良の人が増えてるみたい。
何とかは風邪を引かないって言うから我が家は当然該当者なしって思ってたけどそうでもない。
今日は学童から自宅に光太朗発熱の連絡の電話。
ドッジボールの練習をしてた光太朗が4時頃になって
急に寒気がするって先生に訴えて検温したら38℃を超えてたらしい。
3時頃まで学童で過ごしてた隆之介も気がつかなかったって言うからよほど急な発熱に違いない。
で、義母のお迎え。
明日が掛かり付けの小児科の定休日だから念の為通院させてくれた。
診察の結果扁桃腺による発熱でかなり腫れてたらしい。
炎症を抑える薬と解熱剤をもらって帰宅。
義母は光太朗に宿題があるって心配してたけど
具合が悪いんだから宿題なんかさせずに夕食後すぐに寝かせちゃった。
もちろん爆睡。
明朝にはケロッと元気になっててくれるといいな。



2000年10月17日(火)
主夫?

ディナーの宵の昨晩は12時過ぎの就寝。
飲んだら入浴しないってのは鉄則だから今朝の起床は5時。
入浴を済ませて洗濯干して子供たちの朝食を準備してって日常生活。
で子供たちを6時半に起こして身支度を整えて朝食。
それから7時過ぎに旦那を起こすのが私の毎日の日課となっている。
旦那ったら少しは子供と一緒の時間を持つ努力をすればいいのに何度起こしてもなかなか起きない。
子供以上に手ごわい存在。
しかも今朝は起こしても「頭が痛い」って布団から出ようとしない。
しつこく起こそうとしても反感を買うだけだから諦めて朝食中の子供たちの元へ。
頭が痛いって風邪?
それにしてもうちの旦那って根性が足りないせいか頻繁に具合が悪くなること。
7時半頃には私は出勤、子供たちは登校と相次いで自宅を後にする。
再度旦那の様子を見に行くとやっぱり布団を被って寝ているから「行ってきます」のご挨拶。
よっぽど具合が悪いのかよっぽど怠け癖がついているかのどっちか。
で、私が都心まで出勤してから旦那の携帯に確認の電話。
ダルそうな声を出して予想通り「休んだ」って。
自己管理ができないで体調壊しちゃってさー。
ここ最近季節の変わり目で寒くなってるのに薄着してるから。
でも医者に行った様子もない。
自分の体調と相談してじっくり休養を取れば大丈夫って思ってるのかな。
あれこれ言うとまた五月蝿いから旦那のことは放っておく。
仕事を終えた私がいつものように7時半頃帰宅すると旦那が「早く着替えてきて」。
じっくり休養を取った旦那は夕方から義母と買い物に行った気配。
子供たちの宿題もやや進んでる。
もちろん夕食もみんなで食べてるしお風呂だって沸いている。
私の夕食もテーブルの上に一式揃ってて気分いいわぁ。
これってつまりは逆転生活?
私が給与を得るために働いて旦那が主夫してるって感じ。
こんな逆転生活もたまにはいいわねー。
でも1日家にいて洗濯物を取り込んでいないようじゃやっぱり主夫にはなりきれないみたい。
完全逆転まではまだまだ修行が必要みたいです。



2000年10月16日(月)
ジョージアンクラブ

仕事上のお付き合いとは言え今宵は素敵なディナーの夜。
西麻布の閑静な住宅街にひっそりたたずむ白亜のお城のような洋館がその舞台だ。
建物もインテリアも18世紀後半の英国ジョージ王朝スタイルのレストラン。
優雅でリッチな雰囲気を醸し出すジョージアンクラブ。
もちろん男性はジャケット・ネクタイ着用と言うフォーマルな舞台だ。
ディナー予約の6時半近くになって洋館前に到着。
黒服数人のお出迎えを受けてウェイティング・バーへ。
メンバーが揃う夕食までの間食前酒となるシャンパンを飲んで待っている。
で、いよいよメインダイニング会場に移動。
扉を開けて螺旋階段を降りると舞踏会でも行われそうなほどゴージャスなフロア。
階段の両サイドにはカサブランカの香りが漂っている。
左右の壁にはそれぞれに2枚の鏡や絵画が備え付けられていて広がる奥行き。
ここが日本であることが不思議なほどの豪華さだ。
今宵の客となる私たちは上席に4人、招いてくれた3人と向い合い素敵なディナーの始まりだ。
ホストがアルバムほどの分厚いワインリストの中からソムリエと相談して赤・白それぞれを決定。
ここには300種、3000本以上のワインが揃ってるって評判だけど中でも特級品を選んでくれたみたい。
ワインの値段を知ったら飲めないかも。
温かい前菜、冷たい前菜、リゾット、口直しのシャーベット、
お魚料理、お肉料理、チーズ、デザート、更にデザートと飲み物の見事なコース料理。
オマールエビ、トリュフ、フォアグラなんて食材もふんだんに盛り込まれておりました。
メインのお魚は天然マダイ、お肉は子牛。
黒服さんたちが一斉にメイン料理の銀の蓋をあけてくれる一瞬は期待でいっぱい。
35種のチーズの中から癖のあるタイプも選んでもらって一口挑戦。
最初から最後までどれもこれもおいしくて素敵なお料理に大満足で満腹状態。
もちろんおいしいワインに話も弾んで楽しい一時となりました。
自腹で来ようとは思えないから今日はスポンサー付で超ラッキー。
私たちの他には常連らしき1組のカップルがいただけなんだけどどんな人種のカップルなんだろう?
こんなゴージャスなディナーを食してるってやっぱり何かの記念日なのかな?
私にとっては一生に1度の夢の体験かもしれません。
当分粗食で過ごさないとカロリー超過が心配だわ。



2000年10月15日(日)
運動会

今日は小学校の校庭で通学区域全体の地区運動会。
10近くの町内会が町会の名誉をかけて戦う運動会だ。
ちょっと前にゴミ出しに行った時に町会の掲示板でちらっと開催日だけ確認してた。
でも回覧版が回ってきた様子もないしおかしいなぁと思いつつ
朝になってから義母に「今日地区運動会?」って確認。
「回覧版回ってきて開催日が書いてあったけど知ってると思った」って言われちゃった。
掲示板で見ただけで詳細は何も知らないのにー。
回覧版が来たことだって教えてもらってないじゃん。
そんなこともあって子供たちはほぼ諦めムードで日曜朝のTVに釘付け。
でいつもの通りの食材の買出しから戻ったら
子供たちったらやっぱり運動会に興味を示して突然の参加宣言。
とりあえず行って知ってるご近所さんを探せば何とかなるよって送り出し。
子供たちから30分ほど遅れて現場に向かったら途中のゲームショップで興ずる我が子発見。
町会のテントは分かったけど競技に参加できるかどうか聞いていない雰囲気。
慌てて一緒に校庭に向かったけどすでに午前中の子供の競技は終了してた。
校庭に集まったお友達と一緒に遊んで午後からの障害物競走までひたすら時間調整する子供たち。
地区運動会って子供主体って言うよりは大人向け運動会って感じだから。
我が町内からの参加者はどこの町内よりも少なくて団体競技に出るのがやっと。
リレーもムカデ競走も二人三脚も全て予選落ち。
とにかく参加することに意義があるって感じ。
んで、子供に同行した私も午後からの競技は否応なく参加を余儀なくさせられました。
昼食後のフォークダンスに参加して携帯のストラップとポケットティッシュ1個ゲット。
ムカデ競走予選に参加してティッシュ1箱、
二人三脚でアルミホイル1個、スプーンリレーで台所用中性洗剤1個と細々と賞品稼ぎ。
参加することに意義があるから出場すれば誰でももらえるってことね。
んで最後のリレー決勝前にようやく子供たちの出番となる障害物競走。
光太朗はスタート1組目だったから麻袋の前でどうするのかって迷ってロスタイム。
でも網も跳び箱もマットも平均台もダッシュで駆け抜けてどうにか2位。
隆之介も同様に2位をキープして兄貴の面目を保ってました。
たくさんのママたちとも一層交流が深まって疲れたけど楽しいイベント。
来年は旦那も誘って家族で町会を乗っ取ろうかしら?



2000年10月14日(土)
レトルトカレー

今日は学校が休みの第2土曜日。
ちょっぴりお寝坊してのんびりした朝を過ごしてから光太朗のみ床屋さんへ連行。
夏の間スポーツ刈りだった隆之介はほどよい伸び加減なのに光太朗はちょっと伸びすぎって感じだったから。
んで可愛く変身した光太朗を伴って帰宅したら義父母がお昼のカレーを食べている。
ご飯は炊いたみたいだけどカレーを作った気配はな〜い。
何気にごみ箱を開けるとレトルトカレーの空袋。
ん?それってこの間私が買ったレトルトじゃん。
別室にいた旦那に「言いたくないんだけど」って前置きしてからその事実を伝えたら
「直に言うんじゃない」って口止め。
嫁である私とは一線を引いてる義父母も子供である旦那には食材を提供してるからって理由。
つまり旦那は私にも義父母にも頼って生きているどっちつかずな存在だったってことね。
抑止されたものの再度義父母の食事中を直撃して
「帰宅が遅くなって夕食準備が間に合わない時のためのストック」って訴えたわ。
1日中暇な時間がたっぷりの義母にはストックって言葉も無関係でしょうけど。
それにしても自分で買った覚えのないものにも手を付けちゃうってどういう感覚?
よっぽどバツが悪かったのか義父ったら「冷蔵庫買え」って呟いてた。
狭い空間に6人で居住しててどこにもう1台の冷蔵庫を置くのぉ?
旦那はのん気に「食べられて困るものは自室にキープしておけ」とか言ってるし
我が家の食戦争はとどまることを知りません。

夕食時、義母はいつもの通り義父より一足先に夕食を済ませてお散歩にお出かけ。
私たち親子が4人して食卓を囲んでる時も1人寂しそうに待ちぼうけだった。
見かねた旦那が「親父夕飯は?」って一声かけたけど
「お母さんがそのつもりで帰ってくるだろうから」って。
でも義母が帰ってくる前に余計なことかもしれないと思いつつ
義父に私が作ったお味噌汁を差し上げてた。
それを口にするでもなく義母の帰宅をじぃっと待ってた義父ったら帰ったばかりの義母に「味噌汁温めて」。
一汁三菜って言葉に反して義母の食事に味噌汁が供されることって珍しいから大喜びで食べること。
昼間のレトルトカレーの余韻も覚めやらぬうちに味噌汁を提供する私って何なんでしょ?



2000年10月13日(金)
13日の金曜日

13日の金曜日ってやっぱり悪い事が起こる予感。
帰宅後私を待っていたのは有難くもない義父の入浴でした。
いつものように朝取り替えた水に点火しようとお風呂場直行。
風呂場の曇りガラスに残された結露。
お風呂マットは敷かれたままだしどうみても義父が入浴を果たした気配そのもの。
久しぶりの入浴に手足を伸ばしたのか湯船にはなみなみと蓄えられた生温いお湯。
ってことから夕方の入浴じゃなくて誰にも邪魔されない昼間の入浴だったらしいことが伺える。
いつものように諦めてそのお湯に再点火と思いながらも一応浴槽の点検。
するとバスタブの側壁にこびり付いたギトギトの湯垢は尋常じゃない。
このまま入浴するとこの湯垢が私たちの体を直撃するかも?
って思った瞬間これまで我慢してた風呂水の入れ替えを実行しちゃいましたぁ。
水道代よりも私たち自身の健康を確保する方が重大案件。
湯垢でギトギトの湯船や洗面器に専用洗剤を撒き散らして入念に洗って再度お風呂の準備。
子供たちと私だけが知ってる風呂水入れ替えの事実です。
でも煙草を吸いにベランダに出てた義父が「全く失礼な話だ」って。
この独り言が別件へのコメントであることを祈らずにはいられません。
ってことで今回の入浴クイズでようやく正解者が出ました。
見事Gの入浴日を当てたなるなるには心からの拍手。
粗品をお送りいたしますので必要事項をメルしてくださいねっ。

子供たちの学校では1年生から3年生までの音楽鑑賞会。
トランペット、トロンボーン、チューバと言った金管楽器と
打楽器奏者が色々な説明を織り交ぜて生演奏を聞かせてくれたらしい。
と言っても楽器の種類もあくまでも子供たちの報告だけなので本当はもっと充実してたかも。
ディズニーメドレーから始まって様々な曲を耳にしたらしい。
光太朗はチューバが1番お気に入り、隆之介は打楽器全般に興味があるみたい。
小学生のうちから生演奏に触れる機会を与えられて幸せだよねぇ。
2人とも音楽鑑賞会を満喫してもう1回やらないかなぁって感想でした。
堅苦しい演奏会と違ってこう言う鑑賞会ってホント貴重な存在だよね。
子供の興味を上手に引き出す鑑賞会がもっと一般的に行われるようになるといいな。



2000年10月12日(木)
戻り夏?

フェーン現象だかなんだか知らないけれど夏に逆戻りしたみたいに暑い1日。
東京でも28℃を超えたって言うんだから半端じゃない暑さだ。
やっぱりこんな日はお風呂でさっぱり汗を流すに限るって考えるのは普通の人。
入浴クイズで焦点の人さめGはこんな陽気にも惑わされることなくマイペースみたい。
出勤前の慌しさの中で取り替えたお風呂の水が沸いて満タンに近いお湯が張られてたら
それが義父の入浴サインなんだけど帰宅後もお風呂の水は出かける時そのままの様子を呈してる。
洗濯籠も別になってから汚れ物チェックもできないけど入浴チェックは意外と確実。
子供たちと夕食を摂って宿題やら日記をやらせてる間に入浴されても嫌だからギリギリまで着火せず。
水道代を払ってるのが私たちだから冷戦後の義母は湯船には入ろうともせずシャワーだけ。
シャワーの方が水の無駄遣いになるけど
私たちより義母の方が先に入浴するのが最近のパターンだからこれはこれで許そう。
これから徐々に寒くなってもシャワーだけで済ませるかどうかは義母の根性次第だけど。
でも義父は昼間入浴しようが自分が終い湯だろうがふんだんにお湯を使って入浴する。
ご存知のように時々しか入浴しない義父の後の水は湯垢が浮いてるし洗面器も汚れてる。
いくらなんでもこんなに暑いんじゃ今日辺り入浴かなぁって考えながら帰宅したからちょっと拍子抜け。
入浴の気配があっても恐怖、なければこれから日一日と恐怖が増していくに違いないわ。
Gったらいったいいつまで入浴間隔記録を伸ばせば気がすむのかしら?

昼間から職場周辺は右翼の街宣車が来たりと何やら騒がしい気配。
もちろん機動隊の人が常時待機してて物々しい。
午後私が郵便局に出かけた時に耳にしたのもスピーカーから流れる大音声。
右翼の人って良くも悪くも時局研究怠りなしだから。
周辺道路には日本の旗と中国の旗が掲げられてるから中国政策に対しての抗議であろう。
誰もが大迷惑だろうけど目の前の小学校なんか騒音被害のために二重サッシになってるって噂。
地下鉄の駅のゴミ箱も警備のため撤去されてる。
中国の朱鎔基首相来日ってそんなに大きな事件なのかしら?!
右翼みたいに勉強を怠らないようにしなくちゃね。



2000年10月11日(水)
納豆

朝から義母の機嫌が悪かった。
子供たちが朝食時に牛乳をこぼしちゃったのがきっかけ。
カーペットの汚れを気にして子供たちの前で「全部おばあちゃんが買ってるんだから」ってお小言の始まり。
「お風呂のマットだって何だってママは何1つとして買ったことがないじゃないの」って。
ついには切れて「2世帯だって言うならここで食べずに2階に持って行って食べなさい」。
もちろん子供たちの朝食はそのまま続行。
夕食も時間差でいつもと同じ場所で食べました。
今更悔やんでも仕方がないけど結婚当初から生活費の扱い方を間違っちゃったことを後悔。
働いてることを理由に生活費一切を義母任せにしたことが全ての始まりだから。
年貢である生活費は言わば共通のお財布。
だから直接買うのは義母でも私の給与で購入してたはず。
少々の無駄遣いにも目を瞑って義母の好きなようにお金の管理を任せてたのに。
しかも何も買わないなんて当然あり得ない。
で、その結果が「ママは何も買わない」じゃ割に合わない。
夏の冷戦以降はその年貢も納めてないからこっちは以前より気が楽だけど。
んで納豆。
日曜の朝市で私が購入した3個パックのうち1個が消えてたのが月曜日。
そして夕食に残りの1個を食べようと冷蔵庫を開けるとついに残り0。
しかもそれとは別の新しい納豆が購入されてた。
「ここにあった納豆知りませんか?日曜に買ってきたんですけど」って私。
義父母とも知らん顔してるから「おかしいなぁ納豆消えちゃった」って。
すると自分が間違って食べたことは認めずに「そこにあるのを食べればいいでしょ」
「私はそんなことでとやかく言うほど人間が小さくない」って義母。
うっそー。
牛乳に義父の名前を記入して冷蔵庫の全ての食材を別にしたのはどこの何方?
さらには冷凍庫フル活用の私に「冷凍庫を占領するな」だって。
帰宅後ダッシュで夕食準備の必要性に迫られての自己防衛手段なのになぁ。
冷蔵庫も別にしなくちゃって当然だけど別居しかないわねー。

25日で6ヶ月の通勤定期が期限切れになる。
交通費は当然職場支給だけど半年で13万UPとかなり。
定期を忘れたら自宅に引き返すかもって金額。
んで期限2週間前の今日、自動改札には慣れっこの私も驚かされた。
乗換駅の最新式改札で「定期期限10月25日」って表示されたから。
通過する一瞬の出来事。
機械の進歩って本当に凄いなぁって実感です。



2000年10月10日(火)
タマタマのこと

ほぉらやっぱり10月10日は晴れの特異日だったのねぇ。
元祖体育の日の底力を見せ付けられた気分。
十三夜の月も綺麗な晩でしたこと。

さて、我が家では日ごろのコミュニケーション不足を補うべく母子3人での入浴が日常。
昼間接する時間が短いから貴重な時間帯です。
3年生の隆之介は外向きには格好悪いと思ってるらしく最近じゃ他言無用って感じだけど。
で、今夜の入浴で男の子の大事な部分を洗ってる時
ちょっと前に爆笑問題の田中が片方のタマを切除した話を子供たちにしてみました。
爆笑問題にはピンと来ない子供たちもP-キッキーズのキャラの爆チュー問題でお馴染み。
2匹のネズミに扮したタナチューとピカリは子供たちの人気者だから。
始めは光太朗、時間差で隆之介。
「これってなんて言うか知ってる?」「タナチューが病気になって片方取っちゃったんだって」
母の言葉にビックリする光太朗。
「ボールぐらいに腫れちゃったらしいよ」「光太朗だったらどうする?」
自分のタマを転がして「そんなに大きくなっちゃったの?!」って。
「りゅう君の虫垂炎だって大きくなって爆発寸前だったんだから
ボールくらい大きくなったタマは取り出さないと自分が死んじゃうかもしれないんだよ」。
病気で切除するなんて考えられないことだったらしい。
「どこから切って取るの?」って素朴な疑問。
下腹部を横に切開する真似をしながら「こんなふうに切るらしいよ」。
と、光太朗ったら「切ったらポケットみたいに中が見えて届いちゃうんだぁ」って妙な感心。
腹部からタマを取り出すってそんな容易な作業じゃないと思うけど。
男の子って微妙だけど病気になったら困るからタナチューを引き合いにご指導。
「痛くなったりちょっとおかしいって思ったらすぐ病院に行かなくちゃね」って。
時差入浴の隆之介に同様の旨を伝えて光太朗の発言内容を教えたら笑ってた。
隆之介は自分の虫垂炎手術経験から身体には肉がついてることも十分承知。
手術痕を眺めながら光太朗の幼い発言を可愛いって思ったんじゃないかな。
何はともあれタナチューのおかげで滅多にできない会話の入浴となりました。
でもあと何年かしたら一緒に入浴できなくなるのが現実。
そうなるとやっぱりちょっと寂しいかもね。



2000年10月09日(月)
体育の日のこと

祝日法改正で今年から成人の日と体育の日がその月の第2月曜に変更。
イマイチしっくり来ないけど今日がその該当日。
東京五輪を記念した10月10日が馴染み深いだけになんだか変な気分です。
でもこれからを生きる子供たち世代にはこんな風に祝日が移動するなんて
当たり前に感じられるんだろうな。
日本の祝日も過渡期かもしれない。
3連休じゃなくても飛び石連休自体が勤め人には骨休めのできる有難い存在なのに。
10月10日は晴れの特異日と言われ毎年のように運動会日和だったけど
祝日法の改正を恨んでか今日は生憎のお天気。
運動会を予定してた人たちは大変だね。

昼食時、私たち母子は協力してコロッケ作り。
こねたり丸めたりって子供たちも大好きな作業だから。
コロッケを揚げ終えいざ食べようとしたら今度は義母が台所へ。
義父母と私たちがそれぞれに別の食事を作って食べるんだから狭い台所が一層狭く感じる。
んで義父母もやっと昼食。
市販の混ぜご飯の基を入れ込んだ秋の味覚ご飯とお漬物と納豆だったらしい。
でもその納豆って昨日の朝市で私が買ってきたんだよぉ。
義母の納豆は賞味期限が切れてたから昨日密かに私が捨てちゃったの。
義父母は期限なんか気にせず自分たちのおかずの残数だけ見てる?
どんなに古くなったものでも捨てちゃいけないってことね。

さらに夕食時。
子供たちに自主的にメニューを決めさせたら定番のカレー。
子供ってカレーが大好きだね。
ピーラーを使って人参やジャガイモの皮をむいてお手伝い。
包丁にも意欲を見せたから隆之介にはジャガイモ、光太朗には人参を担当させたわ。
ザクザク切ってる子供たちを横目にヒヤヒヤしながら見てた私。
旦那も夕食に間に合って「僕たちが作ったんだよぉ」って満足そう。
子供たちもどんどん協力してくれるといいね。

数日前に義母が家周辺を大掃除したらしく燃えないゴミの黒いビニールが8袋。
何でも捨てちゃう義母だから中に入ってるものは定かじゃない。
でも中を漁って確認することもせず明日は不燃ごみの収集日。
集積所までちょっと距離があるからみんな義母にノルマを課せられた。
自分1人で事を起こしたのに今日も1人息巻く義母。
「あぁ私だけ大変だわぁ」って。
義母がゴミ捨ての間に私たちは夕食。
義父にも勧めたけど「お義母さんが作ったのがあるから」。
義母のご機嫌取って生きる義父も気の毒です。



2000年10月08日(日)
2000円

新潟での友人の結婚式の為に午前2時に旦那を送り出した私。
昼からの披露宴で都心での集合時間が3時過ぎだから運転ご苦労様って感じ。
そんなこともあって私としてはちょっとお寝坊したい休日の朝だけど
今日は珍しく隆之介の剣道の練習日。
いつもは自転車で警察署まで出かける隆之介だけど今日は車で送ることに。
9時半からの練習だから早起きさせて元気の源・朝食を摂らせて。
隆之介を送り届けるとスーパーの朝市に食料調達。
再び警察署に取って返すと1時間の練習を終えた隆之介のお迎えです。
少し時間が早かったので道場を覗くと初めて目にする凛々しい隆之介の稽古着姿。
「小指が遊んでるぞ」って注意を受けてたみたい。
署内の駐車場に停められず路駐してた私は焦って車に戻って隆之介と一緒に帰宅。
と自宅を目前に義父から携帯に「10時半に出掛けるから」って電話。
義父の外出は昨日のうちに聞いてたから織込み済みだし
光太朗1人でお留守番できるから安心して帰宅。
と、とっくに家を出たはずの義父がまだ庭で愛犬と戯れてた。
で突然「2000円貸して」って借金の申し出。
出かけることが分かってるなら昨日のうちに義母に貰っておけばよかったのにー。
当然「買い物してきて小銭はありません」って却下。
深夜旦那が出かけたのを知らなかった義父は気がついたら誰もいなくて焦って
私に借金を申し出る為だけに外出を遅らせてるのかって疑いの眼差し。
それにしても2000円、いったい何に使うのか?
同窓会費用には足りるはずもなし。
借金を断られた義父はすぐにお出かけしていきました。
昼近くになって思い出したかのように義父を心配する義母からの電話。
でもそんな時間じゃワープできない限り同窓会には間に合わない。
やっぱり義父への関心なんてそんなものなのねぇ。

昼を挟んで母子3人でのんびり。
隆之介夜の部の活動は3時集合でスカウト活動です。
高尾駅集合でちょっと奥の日影沢で星空観察。
でも天気が悪くて星はたった1つ見えただけで残念そう。
防寒対策万全でミニファイヤーとミニナイトハイク。
夕食時は炒め物係りだったって。
同じ市内でも高尾までの距離ってちょっとした行楽感覚。
駅周辺は秋のハイカーがいっぱいだし甲州街道の銀杏並木はお見事。
深まり行く秋を感じての送迎往復。
終了後帰宅した隆之介は昼夜のフル稼働にバタンキューでした。



2000年10月07日(土)
運動会?!

昨日の連絡を受けて子供たちの登校に間に合うように公園に秋探し。
早起きして犬の散歩をしてる人がいるけどそれ以外の人の気配はなし。
蚊に襲われつつもビニール袋には色づいた木ノ実や葉をたくさん拾って大収穫。
滅多に公園なんかに行かない私に秋の気配を教えてくれるための光太朗の策略かって感じるほど。
袋にたっぷりの秋と一緒に登校した光太朗です。
授業では拾った秋は使い切れないほどだったみたい。
貼ったり切ったり素敵なオブジェができたのかな?

横浜に住む義妹と連絡を密にとってる義母。
どうやら今日は甥の幼稚園の運動会らしい気配。
朝からいそいそと「今日は横浜に行ってくるから」って。
私が公園から帰った時もちょうど電話中。
もちろん会話なんか耳に入って来なかったけど。
で、しばらくして義母が「出かけるからよろしく」って。
洗濯やら何やら忙しくしてたけど玄関先までお見送りしたのよ。ちゃんと。
「お義父さんは行かないんですか?」って聞いたら
「夕べ遅かったし明日も同窓会で出かけるから」って義母。
いつも横浜に行く時は自分1人、義父を同行させるのはよっぽど鬱陶しいらしい。
甥、つまり自分たちにとって娘の産んだ可愛い孫の運動会である今日でさえ。
と、突然義父が「お義母さんを駅まで送って」って本当に突然私に言ったのよ。
家着のスウェットのままだし突然の申し出に大弱り。
何しろお出かけ体制じゃないんだから。
もちろん義母は出かけることさえ極秘裏だったんだから始めから歩いていくつもり。
義父のお節介のおかげで嫌な雰囲気が漂う中義母は出発。
そんな義父から開放されて義母にはさぞ楽しい運動会だったことでしょう。
当然留守を預かる義父は一歩も外出せず。
義父の昼食も夕食も結局はなぜか私が配慮することに。
子供たちのスイミングが終わって買い物に出た私に「海苔弁を頼む」って義父の身勝手。
冷戦でお互いの食事には関知しない関係になってるんだからこんな時でも当てにするなよー。
と言いつつ適当にスーパーで見繕って夕食を与えた心優しい私と旦那。
でも夜になっても義母からの連絡はないまま。
家の鍵を義父が締めてる。
ってことは義父母は当初からお泊り予定だった?
だったらなお更義父も一緒に連れて行って欲しかった。
来るはずのない電話を待ってた私たちも悲しすぎるわぁ。



2000年10月06日(金)
秋を探しに

「ママ〜僕も一緒に行くぅ」
今朝も背後から光太朗の声が追いかけてきます。
ほんの3分ほどの時差出勤&登校となる私と子供たち。
隣りの大ちゃんと一緒に通学する隆之介に
「橋の所で待ってるねー」って言い置いて光太朗が駆けて来ます。
一緒に歩くのは僅かな距離。
でも貴重な母子のふれあいタイムです。
今日の光太朗はランドセルに水筒持参。
週始めに悪天候で順延になってた「秋を探しに」近くの公園探検です。
公園で見つけた秋を拾って入れるビニール袋持参。
でも光太朗ったら遊びに夢中でドングリ1つ拾っただけ。
連絡帳に先生から「興味が沸かなかったのか拾うことができませんでした」って。
みんなは落ち葉とかドングリなんかをいっぱい拾ってたらしいのにー。
で先生から「明日拾ったものを授業で使います。拾って持ってきて下さい」って私に宿題が出されちゃった。
明日は子供たちの登校前に近所の公園に行って秋拾いだわ。

義父ったら今日はいそいそとシティホテルにお出かけです。
なんとそれが政治家のパーティだから驚きも2倍。
義父とは無縁なはずの資金集めのパーティ。
でも本人は滅多にない晴れ舞台とあってず〜っと前から今日の日を楽しみにしてた。
鹿児島出身の義父と同窓の代議士のパーティ。
鹿児島の人って良くも悪くも結束力が固くてこういう時は妙に張り切っちゃう。
信じられないことに自分から勧誘の電話なんかもしてたもの。
郷土の有志も集まるし郷土芸能も味わえる楽しいイベント。
つまり義父にとっては政治家のパーティとは名ばかりで同窓会感覚ってこと。
親戚の親戚は皆親戚って鹿児島独特の感覚。
旦那の従兄弟の結婚式に従兄弟の子である隆之介も列席したほど血縁地縁を重視する風潮。
義父にはその鹿児島の風が恋しいらしい。
言葉も感覚も独特の郷土だからなおさらなんでしょうけど。
義父が大枚ン万円の自腹で参加するほどのものってどんなんでしょう?
古くからの友人知人に出会って心も和んで心地よく帰宅。
出不精の義父を引き付ける郷里の魅力ってさすがです。
「鹿児島に帰ろうかっ」って義父母は心にもないことを口にする。
でも50年もの長い間東京で暮らしてたらやっぱり鹿児島の生活は不便に感じるよね。
鹿児島在住の良き時代に義父の心を引き戻してくれた同窓会気分のパーティ。
帰宅後家人の誰一人として感想を聞かなかったのは言うまでもありません。



2000年10月05日(木)
農家訪問

昨日発熱で学校を早退した隆之介は今朝はバッチリ熱も下がって無事登校。
今日は3〜4校時を費やして3年生の校外学習、農家訪問の授業です。
学校から徒歩で30分ほど。
ご一行80人が目指すお宅は隆之介たちが通ってた保育園に近い所。
市街地の校区を少し離れた所だから校区ギリギリの子は自宅から直行したかったんじゃないかな。
我が家からだと直角三角形の短い一辺で登校して長い一辺で農家を訪れたって感じ。
農家ではほうれん草、ゴボウ、里芋、葉牡丹、柿、大根・・・等色々な栽培物を目にしたみたい。
案山子や鳥除けの大きな目玉が子供たちの興味の的だったらしい。
トラクターや野菜の種類を入念にメモ。
葉っぱだけで野菜の種類が分かる子もいれば全く分からない子もいたみたい。
実際に土に触れる機会のない今の子供たちには貴重な体験授業だわ。
発熱直後で心配された隆之介だけど往復とも元気いっぱい。
畑ですくすく育つ野菜を見て外の空気に触れていい気分転換になったみたいです。

隆之介たち3年1組の窓の外に1ヶ月ほど前から鳩が巣作り。
産卵された卵を親鳥が温める日が続いてたんだって。
そして子鳩が生まれてピヨピヨと可愛い声が聞こえるようになって数日。
頻繁に餌を運んでいた親鳥が先週末から突然数日間消息不明となって子鳩たちに生命の危機。
クラスのみんなが「僕たちで育てようよー」。
担任の先生も自然の掟を知りながらも火曜日には理科の先生も巻き込んでの子鳩救出大作戦。
隆之介たちは梯子部隊。
男の子たちが餌となる虫集めをしたりスポイトで水を与えたり。
で、子鳩がクラスのアイドルとなった矢先の今日親鳥が舞い戻ってきたんだって。
親鳩は当然巣周辺をウロウロ探し回る。
んで子鳩救出隊は今度は子鳩を巣に戻し隊となって大活躍。
でも鳩って人間の手にかかった子鳩は育てなくなっちゃうって言うでしょ。
自然の営みと言えばそれまでだけどこれからの子鳩の生育がクラスのみんなの心配のタネ。
ここ数日は窓際の鳩の巣からは目が離せない状況のまま。
偶然窓の外にできた鳩の巣が子供たちの生きた教材です。
でも自分たちも親に庇護されてるってどれだけ理解できるかは疑問。
やっぱり親のありがたみが分かるのは自分が親になってからかな。



2000年10月04日(水)
発熱

何ともあっ気ない幕切れでした。
期待を裏切って申し訳ない。
何がって?!
もちろんGが9月28日以来突然の入浴を遂げたからです。
金曜の締め切りを待たずしての入浴は大誤算。
皆様からの再挑戦の声が上がればリベンジ編なんてのも考えますけど。

今夜は珍しく会合が控えてた私。
旦那に子供たちの面倒を見てもらうために早めの帰宅を依頼して安心してた。
でも昼食時突然隆之介の担任の先生から電話。
38℃発熱して具合が悪いからお迎えをって。
義母とギクシャクしてることも承知だからこっちに先に連絡を入れてくれたのね。
飛んで行かれる距離じゃないし義母にお迎え依頼。
隆之介が帰宅した頃合を見計らって電話すると本人が電話口に。
「熱があって頭が痛い」って訴える。
日曜に治まったかに思われた発熱再発。
月曜に病院で処方された薬には熱を下げる効果はなし。
会合欠席の手配を取ると退勤時刻にダッシュで帰宅。
でもここからも長い道のりなんだなぁ。
時折隆之介が携帯に「頭が痛くって」「早く帰ってきて」って何度も電話を寄越す。
旦那も帰ってきてるはずなのにこんな時はやっぱり当てにはならないってこと?
最寄駅到着後は急いで隆之介の好きそうな食べ物とか解熱用のシートとかの買い物。
その間も容赦なく隆之介からのヘルプ電話。
ようやく家に辿り着くと夜間診療に行くほど悪そうな様子でもない。
ベッドには義母が用意してくれた水枕と電話の子機。
ママとダイレクトに話せる電話が隆之介の頼りだったんだなー。
発熱と頭痛だから常備してる小児用バファリンを服用させる。
もちろん小児科に電話して処方薬との併用可を確認して。
しばらくするとかなり落ち着いてきて宿題にも取り掛かる余裕。
で、自分の体調についても詳しく教えてくれた。
2時間目の体育のキックベースを終わって
3時間目の算数の時間に頭が痛くなって保健室直行だったんだって。
検温後ベッドに入って熟睡。
その間先生が連絡してくれたってわけね。
義母のお迎えに「ママならよかったのになぁ」って思って渋い顔してたって。
帰宅後は子機を握り締めてひたすら休養の隆之介だったってわけ。

で、義父の入浴よぉ。
そんなこととは露知らず点火しようとして浴室の嫌な気配に旦那に確認。
「夕方入ってたなぁ」って。
義父ったら珍しく入浴後も不精髭のまま。
いつもながら入浴を察知するのは難問です。



2000年10月03日(火)
お金のこと

今日の午後職場の私に旦那から電話。
数日前の腕時計の際にちょっとお小言したのが効いてるのかちょっと控え目な言い方。
「そろそろ高速券がなくなっちゃうんだけどぉ」って。
前回も私が使おうと思ったらすでに0円になってて私に怒られちゃったんだっけ。
それにしても5万円のハイカを購入したのは8月下旬の里帰り時。
1ヶ月ちょっとで5万8千円分の高速料金を費やしてるってことね。
都心に出るだけで中央道〜首都高と乗り継ぐ地の果て在住者には辛いものがあるわぁ。
週末には旦那が新潟での結婚式に車で列席するのよねぇ。
5万円のハイカ代、どうやって捻出しようか頭が痛いわ。
今週には旦那の車の任意保険も満期。
こっちも結構かかるのにぃ。
やっぱり旦那は私を金のなる木って思ってる?
それともどんな難局でも乗り切っちゃう私ってそんなに頼りになるのかしら?

義母と決裂してから月々の生活費・・・所謂年貢を納めなくなって久しい。
んで先月分のレシートをベタベタ貼り付けて点検チェックです。
と何と食費としての支出は5万円を切ってる。
義母にはこの数倍渡してたってことはやっぱりぼられてた?
義母は爆発時に旦那に「水道代、電気代の半分は出す」って約束したらしいけど
相変わらずこっちは私たちが払ってるけど。
子供たちの面倒は見ないって啖呵切った義母だから夕食は別・・・のはず。
でも今日の私の帰宅時に耳にしたのは「光太朗は食べたから」って。
自分の都合で食べさせたりそうでなかったり。
もちろん隆之介は私の帰宅を待って一緒に夕食。
自分が食べちゃうとママが1人で寂しいって隆之介は知ってるから。
母たちは箱入りでお手軽にできるグラタンだったって。
私たちはカレイの煮付け、カリフラワーサラダ、玉葱の味噌汁、納豆。
どっちがカロリーを要する若者でどっちが老人か分かりにくいメニューって感じ。
義母の機嫌に左右されるのってホント面倒くさいなぁ。



2000年10月02日(月)
裸の王様

昨日発熱した隆之介、やっぱり風邪を引いたみたいで今朝は熱はないものの咳と鼻水。
でもいつも通り無事に登校していきました。
今日の2時間目は体育館での体育の授業。
隆之介が担任の先生に「昨日熱が出た」って自己申告したら見学のお許しが出たみたい。
連絡帳に記入しなくても自己申告で見学できちゃうシステムって悪用されないように要チェックだわ。
今日は大事を取って正解だったけど。
授業は普段通りに消化したものの学童は欠席して帰宅。
登校前に「念のために医者に行っておけば」って申し送りしておいたので1人で小児科に通院です。
学校を通り越して踏み切りを渡って子供の足じゃ20分って所かな。
小児科は珍しく閑散としてて先生に「1人で来た」って言ったら感心されたって。
軽い風邪で薬局で処方してもらった薬をもらって帰宅。
1人で通院したり買い物に行ったりホント頼りになる3年生です。

昨日から新しいメガネになった義父。
金縁の丸いフレームで今までとはイメージ一新。
子供たちに「おじいちゃんメガネ変わったけどどう?」って本人の前で感想を求めてみたわ。
「格好いい」って言葉を発した隆之介に対して「・・・」無言の光太朗。
興味がないと言うかどうってことないじゃんっていう表情のまま。
義父は隆之介の言葉に気をよくしてちょっとご機嫌だったけど。
んで別室で光太朗に「裸の王様ってお話知ってる?」って聞いちゃった。
賢い人にしか見えない布と言われ無い物を褒め称える愚かな大人たちに
「王様は裸!」って言い切る純粋無垢な子供。
この話は知らなかったけど義父のメガネに無反応だった光太朗はこれに等しいかも。
隆之介だって3年生ともなれば義父の気持ちを察して誉めてるだけだし
メガネを選んだ義母や旦那だって他のと比較してよさそうなのを選択しただけ。
結局光太朗の心が一番正直なのかも知れません。
ちょっと若返ったかに思えるけど元が年寄り臭いんだからやっと実年齢ってところかな。
これで義父の改造は第一歩を踏み出したのかしら?
毎日入浴するまでの意識改革には尚一層の努力が求められそうです。

って所で久しぶりに義父の入浴日当てクイズなんてやっちゃおうかな。
義父の入浴日をドンピシャと当てた方には粗品進呈。
でも過去数回のクイズでは誰も当たったことがない難問中の難問。
どんどんさめボードに予想して行ってねー。



2000年10月01日(日)
赤い羽根

今日から10月。
子供たちは例年通りスカウトで赤い羽根の共同募金の街頭活動です。
駅頭に立って募金のお願い。
でも昨夜から隆之介はちょっと発熱傾向。
今朝も37.5℃ほどあったし大事を取って1日自宅待機です。
光太朗は隆之介の分も頑張らなくちゃって張り切ってお出かけ。
別の団のスカウトご一行と同じ縄張りで募金活動を展開したけど光太朗の声がダントツ。
おばあちゃんなんか「うちにもこんな孫がいてねぇ」って言いながら募金してくれるし
募金なんか目じゃないぜってタイプの青年も「おぉ、頑張ってな」なんて言いながら協力してくれる。
やっぱり際立ってるってのは良くも悪くもいいことらしい。
もちろんそんな張り切りが長続きする光太朗じゃなく間もなく飽きてリタイヤ。
でも十分な活躍に別の団からお誘いの声も。
隆之介のお休みもしっかりカバーした光太朗でした。

さて、10月1日と言えば5年に1度の国勢調査。
地元の国勢調査員が配布してくれた調査用紙への記入作業です。
実家の父が国勢調査員となってるから調査員の苦労は承知してるつもり。
手間をかけないってことが基本中の基本だから素早く記入してお渡しすることが何よりです。
んで6人1世帯の我が家には調査記入用紙が2枚。
義母の提案で私たちが4人分記入して義父母が2人分記入することに。
私たち親子の分を記入しながら自分の立場を実感です。
世帯分離の手続きさえすれば旦那が世帯主となることもできるのに未だに世帯主は義父のまま。
だから就学のお知らせも予防接種のお知らせも世帯主である義父宛に届くんだよね。
そして本来ならば調査用紙は世帯主から順序良く欄を埋めていくべきなのに
義母の提案で世帯主の書かれた用紙はなんだか半端な状態になっちゃうね。
旦那は世帯主の子だし、私は子の配偶者って状態はいつまで続くのかなぁ。
と思いつつ自分たちの用紙は難なく記入終了。
義父母の分は知らん顔しておこうと思ったけど恩着せがましく記入して差し上げました。
でも義父母から何の挨拶もなし。
やっぱりやるのが当然って思ってるのかしら?
子の配偶者って立場は辛いものがあるわねー。