宿題

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2007年01月31日(水) Garden City Life/直枝政太郎
こわもてな落書きには
ぼくらはなんにも感じない

甘くてからい毎日
猫背のままで寝すごした
どうすれば大人になれるんだろう
もうちょっと愛がたりないのかな


おなかかかえて笑いあえればいいのさ
雨が河になるまえにぼくら逃げよう


★Garden City Life/直枝政太郎★

2007年01月30日(火) 日が暮れても彼女と歩いてた/The ピーズ
みんなどんな顔してたっけ
ひとりずついなくなったんだ
ほんで最後は二人で
飽きるまでずっといたのさ
みていたい まだみていたい
何もみあたらねーや
オラ夢ん中なんだ

あー どこの誰が
本当に しあわせなんだろーか
つめたいヤな奴も
体だけはあったかいだろーや
一体あれは何だったんだろーか
いつまでも おぼえてる
クサリながらおぼえてる

何もいらない
ほかにはいらない
彼女がまだそこにいればいーや

日が暮れても彼女と歩いてた


★日が暮れても彼女と歩いてた/The ピーズ★

2007年01月29日(月) こんにゃく問答/五木寛之×武田泰淳
武田
だから一番いけないのは、自分は舞踏をやっているんだと言いながら、
そのくせ歩行の利益を獲得することですよね。
そうすると非常に醜くなる。
伊藤整さんは歩く人は美しい、とおっしゃってますけども、
高見さんの場合でも最後は歩行になろうと努めたわけですね。
けどやはり踊りがでちゃうわけなんですよ。
それがアナーキズムと結びついたり、左翼と結びついたりしておりますけども、
当人は一生懸命歩いて行こうとしたのに踊りが出た。
そして、その時に、とてもいい踊りが踊れたんじゃないでしょうか。
最初から踊りだと思ったら、とても見ちゃいられない、
ということになりますよね。
だから、そこはむずかしいんですよ。
生きていくことは歩くことなんだ、という点があって、
それでもやむを得ず踊ったりすると、とても美しいし、望むような形になる。
踊りがないと美しくない、と言ってしまってはダメなんですよね。
歩いた結果が、踊りの形になっていればいいんですよ。


★こんにゃく問答/五木寛之×武田泰淳★

2007年01月28日(日) 4325.blog/清水ミチコ
たくさんの感想メールをいただいています。
本当にうれしい。ありがとね〜。

いいのはもちろん、
「悪い清水ミチコを初めて見た、ショック」というものから、
「ネタがマイルドになった」という感想まで。
とにかく納得です。
来てくれてホントにありがと〜。

いつも正直で鋭いコメントの光浦靖子さんは
どう言うのかな、と思ってたら、
「こんなにお客さんがいるのに驚いた」
とのこと。
言われてから振り向いたんだけど、
3000人って、凄い数ですよね。
さすが光浦さんです。

ウチのコに聞いたら、
「あのね、私のナナメ前の列にベッキーさんが
いらっしゃったんだけど、本当にかわいかった。
振り向かれた時なんか、めっちゃきれいでびっくりした。
なのに、ステージに出てきたママの方が、
なぜか超かわいかった!あれが私の母なのか、
かわいいなあー!って思ったよ」。
そんなわけないじゃーん!バカね〜!と
言いつつはしゃいだ。
おまえが数千倍かわいいよ〜。
「コンバースのスニーカーが欲しいっつってたね。
明日、買ってやろう。」
甘やかしすぎな二人。


★4325.blog/清水ミチコ★

2007年01月27日(土) ドブロクの唄/松尾スズキ
気になる方が亡くなられ続けているせいか非常に調子が悪い。
「死の棘」のモデルの島尾みほさんが亡くなったと知った。
もちろん、面識はないが、
自分にも「死の棘」的な暮らしをしていた時期があり、
そして、息子さんの島尾伸三さん、お孫さんのしまおまほさんと、
なぜか去年から立て続けにあったばかりであったから、
なんだか不思議な気がした。
カート・ヴォネガットが死んだのにも驚いた。
もちろん植木等さんも驚いた。
若い人が亡くなるとびっくりするが、
おじいさんになってからの印象が長い人が亡くなるのもびっくりする。
そういえば、久世さんも実相寺さんも死んでしまった。
実相寺さんは俺があげたシーサーのTシャツを
一回くらいは着てくれただろうか。
俺は実相寺さんからいただいた丸尾末広のTシャツはよく着ています。

人間は記憶でできている。
死んでも記憶として他者に所有される。
自分はだから自分だけのものじゃない。
ゲッツ板谷さんがスパに俺のことをよく書いてくれた。
俺の記憶はゲッツさんの中で、よく育っているらしい。
よかった。


★ドブロクの唄/松尾スズキ★

2007年01月26日(金) 憎めない”演技の人”太宰治/井伏鱒二×伊馬春部 
伊馬 (笑いながら)しかし太宰をめぐる女性、美人はいなかったですね。

井伏 モテなかったなあ。

伊馬 あんなに親切なのに。


★憎めない”演技の人”太宰治/井伏鱒二×伊馬春部★

2007年01月25日(木) hon-nin/土屋アンナ
告白とかできないもん、嫌われるのが怖いの。
付き合うって別れるっていうことだから、
だったら付き合わずにずっと一緒にいたいなって思っちゃう。


★hon-nin/土屋アンナ★

2007年01月24日(水) みずうみ/いしいしんじ
慎二さん、と園子が声をかける。結局それ、何語だったの?
慎二は何をいわれているのかわからない。
いま、うたっていたでしょう、エントロピー、エントロピー、って。
ほんとうに?慎二は自覚がない。
園子のハミングに合わせ、唄っていたのだろうか?
エントロピー、エントロピー。
熱力学上の量の定義。閉じられた系のなかで、エントロピーは常に増大し、
熱量は平衡へ、構造は無秩序へ、必然は偶然へと、ばらばらに解けていく。
エントロピー、エントロピー。慎二は口のなかでいってみる。
エン、で流れ、トロ、で少し跳ね、ピーの余韻に消えてしまう、
冷えていく金属のような音の響き。
慎二は歩きだしながら、もともとは、ギリシャ語だったようだよ、
と、黄色い光を受けている園子にいう。
その語の意味を、わかっている範囲で話そうとするが、うまくいかない。
じゃあ、と園子は光のなかでいう。
もっとギリシャ語っぽくいってみて。もともと、
それが話されていたときの人みたいな、そんな声に出していってみて。
慎二はうまくできる気がする。
立ち止まり、息を吸い込んで、ありったけの熱量を胸にはらませる。
そして川面に向かい、

イエーン、トーロップ、フィー

絶え間ない川音の隙間へ、その音は入りこみ、えんえんと伸びていく。
やがて遠のき、消えつつある音に耳をすませ、うなずいて振り向くと、
園子は光を浴びたまま立ちつくしている。
驚いたあ、と語尾にアクセントをつけた発音で園子はいう。
声と一緒に、もっていかれそうになっちゃった。
慎二はうなずき、そして川下へ、歩き出そうとする。
ねえ、慎二さん、と園子は光のなかからつぶやく。
いまの言葉を逆さにいうと、どういう音になるの?
逆さ?慎二は驚いた顔で振り向く。そんなの、できるもんか。
やってみて、と園子はいう。
エントロピーの逆を、私に聴かせて。
慎二ははっとする。園子に照りつけている黄色い光のなかに、
慎二はとりわけまばゆい、白く沸騰する一点を見たと思った。
園子のちょうど腹のあたりだった。
目の前にいるのは園子だったが、その白光は、園子だけではなかった。
その小さな一点に、自分や園子につながる、
ありとあらゆる人がいるような気がした。


★みずうみ/いしいしんじ★

2007年01月23日(火) みずうみ/いしいしんじ
私は、はっとする。なめくじがどんどん縮みはじめる。
反比例のように、巨大な悲しみが私のなかにあふれる。
口に出してみれば変わるかもしれないと思い、悲しい、
と私は声を出そうとするのだが、声は出てこない。
私のなかに溜まるばかりだ。
なめくじはどんどん縮んでいく。せっかく友達になれたのに!
花火はまだ上がっているのに!
なめくじはやがて、光る粒のようになり、そして消えてしまう。
花火はいつの間にか静まっていて、あたりに見えるものはもうなにもない。
目が覚めたあと、いつものように夢のノートに書きつけをしていて、
これは自分のために記録するだけでなく、お前にも、
手紙で知らせなくてはと思ったのだ。


★みずうみ/いしいしんじ★

2007年01月22日(月) まほちゃんの家/しまおまほ
ふたりでするのは恋か髪型の話。
恋の話をするのは友達の中では珍しいほうです。
世界が違うのがいいのかもしれない。
お互いの友達もよく知らないし、職業についても詳しくない。
いちいち話しに出てくる人の顔が浮かんだりしたらなんだかやりにくいし、
ややこしい。
みうらじゅんさんや杉作J太郎さんの話をしたって、
アンチにとってはチンプンカンプン。
そのたびに「それでこそアンチ!」と嬉しくなります。

投げかけた言葉や気持ちに対しての返球が、
たとえ期待通りのものでなくてもそれがアンチらしければそれで楽しい。
それがアンチと友達になった意味だと思います。


★まほちゃんの家/しまおまほ★

2007年01月21日(日) 男子のための人生のルール/玉袋筋太郎
みんな、自分のことをちゃんと笑ってくれる人を、見つけろよ。


★男子のための人生のルール/玉袋筋太郎★

2007年01月20日(土) 男子のための人生のルール/玉袋筋太郎
いま生きることがうまくいかなくて
家でひきこもっているような子どももさ、
ちゃんと休んで力を蓄えたら、セルフ我慢の活動をしてみたらいいよ。
たとえばこもるとしても自分の「部屋」にこもるのを我慢してみて、
あえて山にこもるとかしてみろよ。
ハイキングに来た女の子からモテるかもしれないじゃないか。
部屋にいたって親が心配してくるだけなんだもん、
お母さんにモテてもしょうがないだろ。
親じゃない、兄弟でもない、キミを魅力的だと思ってくれる誰かは必ずいて、
その人に出会うためにも、外の世界へ出て行けよ。
だいじょうぶ、
最低限、挨拶のことばさえいつも懐から取り出すことができれば、
世の中なんて、怖いことはないんだからさ。


★男子のための人生のルール/玉袋筋太郎★

2007年01月19日(金) 男子のための人生のルール/玉袋筋太郎
百三十円持って、いまいるところから、外へ出てみろ!


★男子のための人生のルール/玉袋筋太郎★

2007年01月18日(木) 男子のための人生のルール/玉袋筋太郎
世の中の決まりや縛りなんかには、ガチンコで反発なんかするな。
「世の中の決まりや縛り」なんてのも、
どうせ人間がつくってるんだもん、
ほっといても百年もたてば廃れたり、中身が変わったりするんだ。
そんなものにバカ正直に振り回されないで、
どうしたらキミが笑ってそれをやりすごせるのかに知恵をしぼれ。
「こんなのはアリじゃねえか?」
「こうすればこっちのやりたいことが通るんじゃないかな?」
っていうのを発見しろよな。


★男子のための人生のルール/玉袋筋太郎★

2007年01月17日(水) 男子のための人生のルール/玉袋筋太郎
子どもって、まだちょっとしか生きてないんだもん。
経験だって積めてない、足りてないから、
体力だってないのが当たり前なんだもん。
真っ正面から来たものを、真っ正面から返していくなんて、
できるわけないし、する必要もない。
そんなことしたら、死ぬよ。
「こんな重いもの、正面から受けきれないよ」
って思ったら、半身になってかわすとか、
とりあえず負けたふりして相手には勝ったつもりにさせておくとか、
なんか、受け止めきれないダメージの逃し方ってあると思うし、
「正面からぶつかる」よりも「横向いてかわす」っていうほうが、
絶対に、大事だと思うんだ。


★男子のための人生のルール/玉袋筋太郎★

2007年01月16日(火) 客船と映画と暴走族(3月6日)/友部正人
このところめずらしく時間があるので、周防正行監督の
「それでもぼくはやっていない」のレイトショーをみなとみらいに見に行きました。
周防監督の今までの映画は、ぼくが見たものはみんな喜劇だったのですが、
この映画はとてもまじめでした。
主人公の男性は無実なのに、有罪になっていく過程を見ていて、
ぼくはとてもイライラさせられました。
こんなんじゃ、日本の警察も裁判も信用できないなあ、
と思いながら映画館から出ると、いまどきめずらしい暴走族の大群にでくわしました。
とても整然としていて、統率のとれた集団でした。
おかげで、映画でイライラしたことはしばらく忘れられました。
そして、この映画は笑えない喜劇なのかもしれないな、とふと思ったのです。


★客船と映画と暴走族(3月6日)/友部正人★

2007年01月15日(月) 徹子の部屋/淀川長治×黒柳徹子
黒柳
私が生まれたとき…母がいいますのに、
「あなた、よくそんなに丸くなったわね」というくらいに
こんなに長くて、紫色になってて、まるで七福神の福禄寿みたい。
そして全然息してなかったんですって。
で、お医者さまが振り回してたたいたらネ、
ゲェ!!といって。
全然オギャア!なんていう産声じゃなかったんですって(笑)。

淀川
すごいのね。あなたみたいなさ、健康の爆弾みたいなかたが、
生まれたとき、そんなだったの?はあー。


★徹子の部屋/淀川長治×黒柳徹子★

2007年01月14日(日) 徹子の部屋/淀川長治×黒柳徹子
淀川
あのね、この間、わたし東宝で映画観て表へ出たら、
「淀川さぁーん!」というから、
誰かなとびっくりしたらさ、「あなた、どっから来た?」といったら、
「今、そこでご飯食べてたら、あのガラスの大きいところから
淀川さんが見えたから、飛んで出てきた」って、
ゴー・ストップのところで二人、キャーと会いましたね。
で、二人でいつか、ゆっくりしゃべりましょう、いいましたね。
みんな見てましたねェ、わたしたちを(笑)。

徹子
ええ、そうでしたね。

淀川
わたしあれで考えたんですけどねえ、
わたしそのあとでしたかあのレストランで食べてますと表見えるのね。
そしたら永六輔さんが見えたのね。
で、僕「永さぁーん」といって手振ったのね。
そしたら永六輔さんが「はい」といって向こうからはいられたのね。
黒柳さんは表へ出てきて僕を抱いたのに、僕は立たなかった。
あんたのほうがエネルギーがあるわ。
やっぱりあなたは非常にヒューマンな人ですね。

徹子
ハハハハ。
いえ、だってそのときはね、通りの向こうの方、
歩いてらしたから、いっくら手振っても、
わたし走って行かなきゃ行っておしまいになるから。

淀川
びっくりしたけど、偉いねぇ。
そういうところがごりっぱだと思うね。


★徹子の部屋/淀川長治×黒柳徹子★

2007年01月13日(土) 徹子の部屋/淀川長治×黒柳徹子
淀川
わたしはネ、恥ずかしいけど、汽車でも電車でもバスでも
本読んでいられないの。
人、見てるほうがおもしろいのね。
「あら、あのおばさんのハンドバッグいいな、帯もいいな」
いやらしいけど、そんなこと考えるのね。

黒柳
フフフフ。

淀川
まあ、「あの兄(あん)ちゃん、いやらしいなあ。
ペンダントもいやらしいし、頭もいやらしいし、全部いやらしい。
オールいやらしい、いいな」と思うのね。

徹子
ハハハハ、オールいやらしい、いいな、とお思いになるの(笑)。

淀川
ええ、オールいやらしいセンスが、全部合ってるから。
間違ってないのね。だからいいなァと(笑)。
映画で観るよりずっとナチュラルなのね、すべてが。
それでいいなァと思うのね。


★徹子の部屋/淀川長治×黒柳徹子★

2007年01月12日(金) 「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」インタビュー/スポーツ報知
文筆家の鴨志田穣さん(42)の新作「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」
(スターツ出版、1365円)は極めつきの“私小説”となった。
アルコール依存症で精神病院に強制入院、
患者同士の珍妙な騒動に巻き込まれながら、
依存症を克服していくストーリーは、
ほとんどが鴨志田さんの実体験に基づいたもの。
最後は衝撃の結末が待っているが、
壮絶さの中にも明るさと温かさがにじむ一冊だ。

「素潜りして深いところまで行って、10年近く気絶しそうにまで我慢して、
海面に上がってぱっと息をしたような状態です」
アルコールから離れた鴨志田さんは背筋をぴんと伸ばし、
穏やかな表情になっていた。

描かれているのは、どうしようもなく酒におぼれていく依存症の苦しみ壮絶な闘病、
切なくて、でもなんだか笑えるアルコール病棟の風景、
元妻や子どもたちとの温かな交流―。鴨志田さんが経験したことだ。

最初に依存症と診断されたのは4年前。食道静脈りゅう破裂で吐血。
医者から「次、飲んだら死にますよ」と警告されても、
朝から酒をあおっていた。しかし10回目の大量吐血で今年ついに強制入院。
この間、漫画家の西原理恵子さんと離婚している。

なぜそこまでして飲むのか? 
「焦燥感と自信のなさ。人の書いたものを読んだり自分の欠点見るたび、
布団の中にもぐって隠れていたいような思いがいつもありました」
特に30代、仕事への焦りが心の澱となった。

元戦場カメラマン。カンボジアやボスニア・ヘルツェゴビナなど
銃弾の中をカメラを担いで走り回った。
ポルポト派からのホールドアップ。
目の前で兵士のロシアンルーレットがビンゴだったこともある。
死が常に眼前にあった体験も依存症の「引き金になったかも」という。

結局、鴨志田さんの心を救ったのは家族の存在だった。
入院中、依存症とは別の病気が発覚し、今は西原さんの元に身を寄せ、
子どもと一緒に生活している。
今は自助グループに顔を出し、たまに起こる飲酒欲求を抑え通院、
執筆や取材をこなす毎日だ。

病状によっては、命はそう長くないと伝えられている。
「どうってことないですよ。何度も命なくしたと思ってるから。
逆に良かったと思ってるんですよ。
リミットがはっきりした。焦燥感を持たなくていい」

そんな鴨志田さんが、一瞬だけ照れたような表情を見せた。
「お守りみたいなもん。彼女は右手に。分かりません、女の子の気持ちは」
鴨志田さんの左手薬指には、元妻との結婚指輪が今も光っている。


★「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」インタビュー/スポーツ報知★

2007年01月11日(木) 邂逅/鴨志田穣
妻はマンガ家だった。
彼女と初めて出会ったのはタイのバンコクであった。
その頃の自分は、ベトナム戦争を北側から取材していたという経験を持ち、
その後もいくつものスクープ映像を全世界に配信し続けた歴戦の
フリージャーナリストを師匠に持ち、
もう一人、やはり記者志望の同世代の男と共に、
テレビカメラマンとしてバンコクに拠点を置き生きていた。
フリービデオジャーナリストの世界に身をあずけ始めていた、
まだまだ坊やなのだった。
取材対象となりえる事件がそうそうある訳でもなく、
またフリーという立場では誰も行き着けない危険極まりない、
リスキーな状態に陥っている現場か、
中身の濃い情報の中心をピンで刺すような映像を記録できなければ、
誰もふり向きすらしない。
事件を聞き、現場へ向かうタイミングを見極め、慎重に情報をよりわけて、
何が取材できるか、どこまで入りこめるか、三人で膝をかかえ、
じっと吟味する。
いかに、事件の中心に向かってより正確な入り口を捉えられるか、
現れては消える情報に身をゆだね、冷徹に息を殺して待ち続ける。
時によって気が遠くなる程長い時間を費やすことも度々だった。
なかなかに体力のいる待機時間だ。
それでも日々食って行かなくてはならない。
アクションを起こすのは引き出しに収めつつ、
日本からやってくる情報番組からワイドショー、
お笑い番組に雑誌の取材にと、枠を無視し、スタッフの通訳からロケハン、
移動手段の手配などのコーディネイトをし、
そのギャラを日々の生活や取材費に当てるのだ。
タイの隣国、ミャンマー国内が何やらうごめき始め、
アウン・サン・スーチーの自宅軟禁が国際問題化し、
軍事政権が尖鋭的に軍事行動を起こすのではないかと騒ぎ出されてきた頃。
時期を狙い定め、いつでも出発する準備が整いつつあるその頃に、
彼女が取材でやってくるという知らせを受けた。
師匠は情報をより鋭く研ぎにかかっていて、
相方はただひたすら得られる情報をかたっぱしから寄せ集めている中で、
妻たちの取材陣の手伝いは自分が担当することに決まった。
取材陣に入っていた同行する記者は以前から懇意にしてもらっていた人物で、
取材プランは彼によって練られていた。
タイの正月に当たる“水かけ祭り”を中心にパタヤ、
バンコクを歩くというものだった。
その年でタイ生活は四年目になっていた。
“水かけ祭り”は一年目に経験しただけで、もう充分であった。
見ず知らずの他人からざぶざぶと水を浴びせかけられて愉快な訳がない。
それにその時はバンコクに二カ月ぶりに帰ってきて
まだ三日が過ぎたばかりだった。
ミャンマーに二カ月滞在していたのだ。
彼の国は国内で何か起こるとすぐに外国人ジャーナリストを
入国させなくしてしまう。何かが起こってからでは遅い。
ビザが取得できる平時のうちに、その足でミャンマーに入っていようと
数カ月前から計画を練っていたのだった。
こちらは大新聞のように軍資金がたんまりとある訳ではない。
二カ月近く滞在するとなるといくら安ホテルに泊まっていようと、
何事もなければただホテルにいて宿泊代だけはきっちりと払わされるのだ。
それは最初からできない相談だった。
ならば、どうするか。
強風が吹き抜けたようにザアッとひらめいた。
「坊主になります」
その言葉に師匠と相方は手をたたいて賛成した。
ミャンマーで坊主になれば衣・食・住に困ることは決してない。
下世話な言葉を使えば全てタダである。それにお布施までもらえ、
タバコ銭くらいにはなる。
最大のメリットは滞在一カ月間のビザが、
坊主であれば何度でも延長できるということだ。
仏教国であるあの国をもっとよく理解しようと思うのなら、
身をもって体験するのが何よりもの近道だし、それに自分の場合、
酒で壊れ始めた体のためにも、長い断酒期間となって、
全くいい事づくめであった。
大事件が起こった時には小さなビデオカメラ片手に袈裟はためかし
スーチー女史の元へかけつければよいのだから。
ミャンマー人の仲間と連絡を取り合い、すんなりと坊主用ビザは発行され、
機材以外はズボンのポケットに二十ドル紙幣三枚だけつっこんで
首都ヤンゴンに何事もなく辿り着いた。
得度式を明日に控えた日曜日の午後、スーチー女史の自宅へと向かう。
背の高い鉄格子の上に半身を乗り出し、
門の外に女史を取り囲むようにして支持派市民が身をよせ合い、
発言に耳を傾けている。
思っていた通り外国人記者の姿は全くといってよいほど見かけなかった。
「やったな、一人占めだよ」
ミャンマー人の友人につぶやくと、
「でも明日から貴方はお坊さんになるのです。人ではなくなるのです。
お坊さんのままでビデオカメラは持てません」
話は通じていないまま、ある真面目な日本人が仏教心に目覚め
我々の国に修行にきてくれた。こうなっていたのだった。
得度式は腰が抜ける程の人々が集まり、
頭を剃られピカピカな民族衣装を着せられ、
寺の中を馬に乗せられ連れまわされた。
そして何十皿というおかずの並べられたテーブルの前に座らされた。
百人以上のミャンマー人が手を合わせながら
こちらが一人食事を摂る姿を見つめ続け、中には涙する老婆まで現れた。
お布施も十万円近くあった。
とてもじゃないが、これ全て取材のためよ、
などと本心を語れる状態ではない。
もうとにかく自分が坊主の間はスーチーさん、
お願いだから静かにしててねと心の底から願った。
こうなったらこの瞑想寺で仏教を学んでしまえ。
具体的には、欧米ジャーナリストの指摘する国民への強制労働と、
根本的な宗教心からくる現世で徳を積むための仏舎利などでの報酬を
一切求めない勤労への捉え方という温度差の違いを実感してやろう。
そう考えることにした。
妻たちがパタヤで水かけ祭りを体験して、バンコク入りしたその夕方、
ホテルのロビーで一同と初めて顔を合わせた。こちらは当然坊主頭だ。
妻と挨拶する。自然と視線はこちらの青剃りの頭を向いている。
「いやぁ、実は」
とミャンマーでの出来事を話した。聞いているそばから大笑いを始めた。
美しい笑顔を持った人だなと見つめ続けた。



ホテルのロビーで一同と会したのは偶然で、
皆はホテル周辺に広がる市場をひやかしてきたところに、
丁度かち合わせたのであった。
顔ぶれが不思議で、妻を合わせると女性が三人もいて
知り合いの記者だけが男性だった。
聞くと一人の女性が妻の連載する雑誌の担当編集者で、
もう一人はアシスタントだということだった。
知り合い記者は担当なのではなく
今回はコーディネイトと写真撮影の役目で同行したのだった。
妻の名前すら知らず、ましてや作風や上梓した本の名など
聞いたこともなかった。彼女についての情報は皆無だった。
とにかく今回何を、どのように取材したいのかを聞いておかねば
仕事にならない。夕食を摂りながら打ち合わせをすることとなった。
観光地メシに飽きていて庶民の味が恋しいと言うので、
丁度ホテルから歩いて五分ほどの空き地が、
夜になるといくつもの屋台が軒を並べて商売を始めると話すと、
是非そこで食って飲みたいと喜んだ。
ちょっと名の知れた人物になると、やれ衛生的にとか、
化学調味料がだめだとか、日本食でなければ口に合わないとほざいてみたり、
浅い知識をひけらかし香辛料の名をいくつか連呼したりするのが常なのだが、
妻は逆に、きったない、くっさい、えげつない、
市井の人々が日常口にするものをと、何度も口にした。
食事はある意味その国を象徴するものだし、
私は観光にきたのではなくて取材にやってきたのだから、とも付け加えた。
その発言一つ聞いただけで、この女性の取材がきっと成功するように
できるかぎり手伝おうという気にさせられた。
外出して帰ってきたばかりなのでシャワーを浴びてから
すぐに改めて集合しようとなった。
もうアル中気味になっていて、
人間世界に戻ってまだ数日しかたっていないのも手伝って
皆が部屋に上って行くと、ロビーで一人ビールを飲み始めた。
二、三十分はかかるだろうとゆっくりビールを味わっていると
五分もしないうちに、一人妻が先に部屋から降りてやってきた。
顔を洗っただけなのだろう。髪をアップにして
真紅のルージュを引いてポトポトと近付いてきた。
ビールを一緒に飲むと言うのでウェイトレスにグラスを持ってこさせ、
彼女のグラスに注いだ。
クイッとグラスの半分くらいを喉を一つ鳴らしながら飲み、
タイのビールは軽くて飲みやすいわと微笑んだ。
飲みっぷりもはっきりとしていて、
何故か隙のない強い女だなという印象を持った。
酒が強そうだと伝えると、高知の産だとはっきり大きな声で答え、
“いごっそう”ですねと話すと、ええ“八金”です。そう返した。
水かけ祭りとパタヤの印象を尋ねると、両方とも最低だと切って捨てた。
その毒気に満ちた声色につい大きくふき出すと、
こちらが笑ったのがそんなに嬉しかったのか、
パタヤでの出来事を、まるで台所でゴキブリを見つけたかのように
悪意に満ち、嫌気たっぷりに、
しかし細い記憶は微細についほうと関心する表現方法で早口にまくし立てた。
彼女の放つ悪口雑言は何故か常に柔らかさにつつまれていて、
いつの間にか彼女に愛しさを募らせていた。
何の偶然か、妻もこちらを話しやすい人間と感じたのか、
屋台村に向かう道中もしきりに話しかけてきて、
二人の会話が休むことはなかった。
席につくと彼女の「まずはビール。冷えた所じゃんじゃん持ってきて」
の一声で宴は開かれた。
ここで一番好まれ食べられている品を選んでください。
彼女はこちらに向かって叫んだ。
他の同行者は一瞬困った顔をしたが、
それに気づいていても自分と妻は一切無視して九品料理を選んだ。
特別な食材は敢えて選ばず、地元の人たちが一番注文するものだけにした。
強いて特別な食材と言えば、よく太った蛙の太股とバナナの花、
ガチョウの水掻きに塩辛い大カマスの輪切りを強烈な刺激臭に
仕上げ発酵させたものだろうか。
何度もタイに足を運んでいる旧知の記者と女性二人は、
見たことのない色の料理や、脂が表面を被う品の
えも言われぬ発酵臭におじけづき、ほとんど箸が動くことのない中、
妻は両手の指を脂と調味料まみれに汚しながら料理にむさぼりついている。
「旨いよ全部。ほら食べなよ」
時々どうでもよさそうに皆に声をかけるが、すぐに料理にむしゃぶりつき、
汚れた指をなめてビールのグラスをつかみガブガブと飲む、
そして思いついたままにこちらに向かって速射砲のように、
ありとあらゆる切り口から質問を投げかけてくる。
答えるたびに腹をかかえて大笑いしたり、答えに満足できるまで深くさぐり、
理解すると大きく頷き、必要と思えばメモを取り出し、文字を走り書きする。
有能な記者でもあった。
満足できたのか、皆の困惑ぶりを見て取って「帰ろう」、
そう一声発して席を立つと大きく背伸びをした。
明日はどうするか。聞くと、
「観光入っちゃってるのよ。そんなの行きたくない。
貴方の話聞きながら思いつくままに歩き回りたいのだけど」
笑いながらも旅をコーディネイトした記者を気くばって
小さな声でささやいた。
明晩また食事をしながら質問するので総括してくれと言われ、別れた。
初めて会って食事をしただけなのに
彼女に会う次の日を待ち遠しく思ってならない気持ちになり、
自分の心に戸惑った。
翌日の晩餐は皆のことも考え地元の者が通うシーフードレストランを選んだ。
最終日ということもあり、さすがの妻もテンションは下がっていたが、
質問は辛辣そのものであった。
食事も終わり皆席を立った頃、彼女はそっと近づき
小さなメモ用紙を渡してよこした。
「滅多にないことなの」そう言い残し女性の輪に加わりに走っていった。 
メモには彼女の私用の電話番号が書かれてあった。
でも、それから一度も彼女に電話を掛けることはしなかった。
恋心が戦場での足をにぶらせると思ったのだった。

ただ、神様をこの目で確かに見た。
丁度一年後。僕たちはアマゾンで一緒に仕事をしたのだ。
取材も終わり、一人ビジネスクラスにいた彼女が
「一人じゃ寂しいの」そう言って自分の横に座った。
「いろいろ考え過ぎるんだよ」
僕はささやきながら彼女の手を強く握りしめた。
それから二人はずっと手を離すことはなかった。


★邂逅/鴨志田穣★

2007年01月10日(水) ファイトソング/嵐
どんないくつもの言葉よりも
たった一つの言葉がいい
まずは自分で踏み出してみて
「頑張れ!」そんな安いヤツでいい

いつも通りの君でいい
なんて言わない方がいい
そこからまた始まりだろう?
君に届け 僕らの言葉

今は悩むこともあるでしょう
ヘコむ事だってあるでしょう
でも未来のどこかで君と
笑い合えれば道は作られる


★ファイトソング/嵐★

2007年01月09日(火) 小さな恋のメロディ/大槻ケンヂ
この激しい メロディを叫ぶほどの怒りなど
今は もう ないからねぇ

17の 幼い君を 抱きしめる 何かあるかい?

「あたし今日ね 昔の映画を見たの 『小さな恋のメロディ』よ
ねぇ 二人はさぁ トロッコに乗って 逃げてくの ラストシーン」

メロディ メロディ メロディ 「あの二人が」
メロディ メロディ メロディ 「どこへ行ったか」
メロディ メロディ メロディ 「あなた わかる?」
メロディ メロディ メロディ 「きっと地獄なんだわ」

この世界を 憎しむだけの想いは
忘れたよ 今はもう 静かにさあ
17の冷めた瞳に 問いかける 何がコワイ?

メロディ メロディ メロディ 「恋も人も」
メロディ メロディ メロディ 「ね 消えるでしょ?」
メロディ メロディ メロディ 「だから あたし」
メロディ メロディ メロディ 「早く死んで消えるの」

メロディ メロディ メロディ 聞いてくれよ
メロディ メロディ メロディ そう 夢のように
メロディ メロディ メロディ 何もかもが
メロディ メロディ メロディ そう 消えていく
メロディ メロディ メロディ 消えることは
メロディ メロディ メロディ でも コワク無い
メロディ メロディ メロディ 聞いてくれよ
メロディ メロディ メロディ ただ消えるだけなのさ

メロディ メロディ メロディ 「あの二人が」
メロディ メロディ メロディ 「どこへ行ったか」
メロディ メロディ メロディ 「あなた わかる?」
メロディ メロディ メロディ 「きっと地獄なんだわ」

いや、ちがう
我々が思うほど
この世界は
哀しくプログラムされちゃいない
何より もうこれ以上
君の周りに 不幸の存在を
俺は認めない。


★小さな恋のメロディ/大槻ケンヂ★

2007年01月08日(月) Be My Baby/直枝政太郎
One Two どうなっても
Three Four 笑えるはずだけど
No Dancing もう何年もその時をぼくは待ちつづけてる

Be My Baby Be My Baby
きみを忘れやしない
Be My Baby

何かをきみに伝えたい
夜明けにけむるこの町で

One More Weekend すてきな
One More Weekend すばらしい
One More Weekend


★Be My Baby/直枝政太郎★

2007年01月07日(日) EDO RIVER/直枝政太郎
反省するほど気楽じゃないけど
やっぱり長年シラフで生きてた
もすこし愛する力が欲しい
もすこし愛する力が欲しい


★EDO RIVER/直枝政太郎★

2007年01月06日(土) Message from Utada Hikaru(3月3日)/宇多田ヒカル 紀里谷和明
昨日、3月2日に、私、宇多田ヒカルと、紀里谷和明は、
正式に離婚しました。
今まで私たち夫婦を応援してくれた皆さん、本当にありがとうございました。
突然の知らせで驚かせてごめんなさい。
4年半の結婚生活から、二人とも多くを学び、成長したと思います。
互いに変化する中で、思い描く未来図や夫婦像の方向性に、
徐々にズレが生じました。国際的な活動をしながらのすれ違い生活の中で、
コミュニケーションが不足してしまったのも大きな理由です。
「離婚は残念なことだけれど、出会えてよかったね」と二人で話しました。
同じクリエイターとして、大切な友人として、
これからもお互いの成長を見守っていけたらいいなと思います。
今後の紀里谷くんの活躍を楽しみにしています。

2007年3月3日 宇多田ヒカル


昨日、私、紀里谷和明と宇多田光が離婚した事をみなさまにお伝えいたします。
これまで、光とは沢山のものを共有し、様々なものを創って来ました。
それらはとても素晴らしい思い出で、かけがえのないものです。
しかし、その創作の厳しさや苦しさ、そして孤独をお互い抱えたまま、
相手に甘えるという事が最後までできなかったように思います。
このような結論に達したものの、光と巡り会えた事、
そして、とても幸せな時間を一緒に過ごせた事を心から感謝しています。
私はこれからも光の幸せを願ってやみません。
これまで私たちを支えてくださった方々、本当にありがとうございました。
これからも変わらず、光と彼女の音楽を応援していただければ幸いです。

紀里谷和明  2007年3月3日


★Message from Utada Hikaru(3月3日)/宇多田ヒカル 紀里谷和明★

2007年01月05日(金) Flavor Of Life/宇多田ヒカル
ありがとう、と君に言われると
なんだかせつない
さようならの後も解けぬ魔法
淡くほろ苦い
The flavor of life

友達でも恋人でもない中間地点で
収穫の日を夢見てる 青いフルーツ

あと一歩が踏み出せないせいで
じれったいのなんのってbaby

甘いだけの誘い文句
味っけの無いトーク
そんなものには興味をそそられない

思い通りにいかない時だって
人生捨てたもんじゃないって

どうしたの?と急に聞かれると
ううん、なんでもない
さようならの後に消える笑顔
私らしくない

信じたいと願えば願うほど
なんだかせつない
「愛してるよ」よりも「大好き」の方が
君らしいんじゃない?
The flavor of life

忘れかけていた人の香りを 突然思い出す頃
降りつもる雪の白さをもっと 素直に喜びたいよ

ダイアモンドよりもやわらかくて
あたたかな未来 手にしたいよ
限りある時間を 君と過ごしたい


★Flavor Of Life/宇多田ヒカル★

2007年01月04日(木) This Is Love/宇多田ヒカル
閉ざされてた扉開ける呪文
今度こそあなたに聞こえるといいな

悪い予感がするとわくわくしちゃうな
痛めつけなくてもこの身は
いつか減びるものだから甘えてなんぼ


★This Is Love/宇多田ヒカル★

2007年01月03日(水) 日曜の朝/宇多田ヒカル
彼氏だとか彼女だとか
呼び合わない方が僕は好きだ
なぞなぞは解けないまま
ずっとずっと魅力的だった

大好き Sunday morning
時間なんて気にしないで
君といつもよりも長く過ごせるんだもん

Sunday morning, sunshine dreaming
All night dancing
Christmas morning, candles burning
All night dancing

幸せとか不幸だとか
基本的に間違ったコンセプト
お祝いだ、お葬式だ
ゆっくり過ごす日曜の朝だ

早起き Monday morning
仕事なんてやめちゃって
君と平日午後水族館に行きたいなあ

Cloudy morning, ice cream toppings
Music's playing
High street shopping, chocolate cravings
Baby's crying

彼氏だとか彼女だとか
呼び合わないけれど君が好きだ
なぞなぞは解けないまま
ずっとずっと魅力的だった

デートだとかおしゃれだとか
する気分じゃないから部屋でいいじゃん
カーテンは開かないまま
ゆっくり過ごす日曜の朝

締め切りとか打ち合わせとか
やることがある方が僕は好きだ
愛情に疲れたなら
ひっそり眠るのもいいもんだ


★日曜の朝/宇多田ヒカル★

2007年01月02日(火) 今日の家元(2007年2月)/立川談志
2月1日 もっと楽しくなれる状況なのに・・・。
2日 ガイドブックは当てにならない。
3日 志の輔はいい師匠を持って幸せである。
4日 今回の外務省の対応は酷い。
5日 最後に行ったインド料理は当りだった。
6日 云っておくが外務省なんざぁ何にも出来ゃしない。航空券の変更すら出来ない。
7日 マレーシアで落語なんか演らなきゃよかった。
8日 自分の体調を人に聞くようになったらもうオシマイ。
9日 ぶっ潰れるものはぶっ潰れろ。
10日 謙遜するほど家元は傲慢ぢゃない。
11日 八百長やって何で悪いのか。
12日 マレーシアの観光だけは止したほうがいい。外は暑いし、室内は寒いし、食い物は不味いし、海も汚い。
13日 今度維新号の肉まん持ってこい。
14日 経済が上手く行っていれば政治家は要らない。
15日 温暖化ネェ、寒いより暖かい方がいい。
16日 しょせん無意味・・・。
17日 映画に興味がなくなった。
18日 勘三郎と久し振りに飲む。
19日 よくマレーシアなんかに老後マンション借りて住む奴がいると思う。
20日 弟子は家元の処にさえいられりゃそれでいいのです。
21日 食い物を美味く感じなくなってきた。歳のせいか・・・。
22日 加害者の保護はあっても被害者に保護はない。
23日 ビールを飲んでも喉の渇きは変わらない。
24日 何もニュースがない。
25日 不機嫌也。
26日 寝すぎで元気がないのか。
27日 一杯客が来たからと高座で礼を云うべきなのか。
28日 展望台なんざぁ上るもんぢゃナイ。


★今日の家元(2007年2月)/立川談志★

2007年01月01日(月) この門をくぐるものは一切の高望みを捨てよ(2月20日)/森見登美彦
京都ひきこもり作家森見登美彦氏は、ぶらりと東京へ出かけた。
東京は雨であった。
登美彦氏は傘を持っていなかったので、
目黒駅から編集者の小囃子氏と相合い傘で歩いた。
道々、登美彦氏の顔色はどんどん悪くなり、足どりは鈍くなった。
「もうだめだ。絶対にだめだ」と氏は言った。
「とてもお会いできない。お会いしても、
なにをどうすればいいか分からない。
いったいこのワタクシになにを喋れと!」

「まあまあ、森見さん。落ち着いて」

「だいたいこれを目標にがんばってきたのに、ここで願いが叶ってしまえば、
私は今後いったい何を目標に生きていけばいいのだ。
いや、願いが叶ったとたんに死ぬかもしれない。
座敷に血反吐をはいて死ぬかもしれない。
目の前で死んだりしては本上さんに申し訳ない。
だからここで帰ろう。もう帰ろう」

「まあまあ、森見さん。死にはしませんって。
ほかにも人生の目標はいろいろありますよ」

小囃子氏は対談へ向かう登美彦氏の写真を撮った。
そして「ドキュメントです」と言った。
撮影は古いお屋敷で行われるという。
登美彦氏は冷え冷えとする台所で煙草を灰にした。
椅子に腰掛け、ヒーターにあたりながら登美彦氏はぶつぶつ言う。

「廊下ですれ違うぐらいが私の器にちょうど良かったのだ。
野性時代の特集企画も、
『森見登美彦氏、本上まなみさんとそこらへんの廊下ですれ違ったっぽい』
でよかったのだ」

「そんなものをどうやって企画にするのですか」と編集者の華猫氏が言った。

「だいたいまだ用意ができていないのだ。もっと器を大きくしてからだ。
そうとも!」

「どのぐらい大きければいいんです」

「少なくとも十年は必要だ。十年たてば私も少しは」

「そんなに待てますか!」

怖じ気づいた登美彦氏は、初対面の編集者の人に
「なにを喋ればいいんですかね?」と相談をもちかけたりした。
その惑乱ぶりは目に余るものがあったという。
そして登美彦氏はその後も、
ことあるごとに対談場所の座敷と便所と台所を行き来し、
落ち着きがないことこの上なかった。
あまつさえ「お腹がすいた」と言って食事に行こうとさえした。
やがて支度ができてしまったというので、登美彦氏は座敷へ行った。
登美彦氏はてっきり先に行って相手の登場を待つものだと思っていたらしく、
座敷をのぞいたら目の前に本上まなみさんが座っていたので、びっくりした。
本上氏は登美彦氏を見て「あ!」と言った。登美彦氏も「あ!」と言った。
そしてそのまま後ずさりしたが、しかし逃げ場所もないので、
「どうもどうもはじめまして森見です」と言った。
本上氏は「本上です」と言って笑った。

登美彦氏がこっそり外堀を埋めていたということは、
すでに某機関の調査によって明らかになっている。
文庫本の解説を依頼した後、
さらに著書を献呈していたという手口はかなり悪質なものだ。
しかしこれらの事実を登美彦氏は頑強に否定している。

「末娘が活躍しているからといって、
登美彦氏は少々イイ気になっているのではないですか。
親のあなたがしゃしゃり出て、
青春時代の総決算をする権利はないのではないですか」
という意見をつきつける人もあった。
「誌面はあなただけのものではないのだ。そんな風にニヤニヤして!
職権乱用もいいところだ!売れっ子気取りもたいがいにしろ!」

「ごもっとも、ごもっともです!」
登美彦氏は叫んだ。
「しかし、もう、こればっかりは・・・今回だけは大目に見てくれ!
一生のお願いだ!」

まるで座敷妖怪のように座敷の隅にならぶ関係者に見守られ、
登美彦氏は本上氏と対談した。
対談なのに登美彦氏が黙しがちだったのは嘆かわしいことであるうえに、
本上氏にも失礼である。
少し時間がたって舌が動くようになってからも、
登美彦氏は言わねばならぬことを言い落とし、
言わんでいいことばかり言ってのけた
(この点については登美彦氏もいろいろと後悔していると述べている)。

編集者の人たちは妙に面白がっている風があり、
登美彦氏は「けしからん!」と呟いた。
「ありがたいことだが、けしからん!」
さらに登美彦氏は本上氏と一つの写真におさまった。
登美彦氏は自分の写真は無用ではないかと思ったけれども、
しかし喋った証拠が残らないので、
やはり写真には写らねばならないと考え直したという。

対談における登美彦氏はぐにゃぐにゃであり、
本上氏に「女の子も本当はいろいろ考えているんですよ。
妄想もするし、人には見せられない格好でぐだぐだしたりもするんですよ」
と優しくダメだしされても、
ダメだしされているという状況にすでに喜んでいるという、
人間としてもう救いようがない状態に陥っていたという。
見るに見かねた編集者の人たちは、
「まあこれはこれでいいか」と思ったという。

登美彦氏は本上氏の『太陽の塔』にサインをし、
そして自分の手帳を広げて本上氏に黄金のサインをしてもらった。
「サイン一画は金一粒!」と登美彦氏はわけの分からないことを言っている。
登美彦氏は自宅にあった数匹のもちぐまのうち、
一匹を本上氏のお宅へ里子に出すことにした。
そして絵本『ラ・タ・タ・タム』を贈った。
贈った意図について、「本上さんが24時間営業の母親業を営むにあたり、
有効活用して頂ければ幸いである」と登美彦氏は述べている。
対談を終えて、登美彦氏は以下のように述べた。

「プレゼントを贈ることもでき、文庫本解説のお礼を述べることもでき、
私としてはたいへんよくできた。
私の寡黙ぶりが発揮され、対談として成立させるのは難しいかもしれないが、
そこは編集者の人が工夫してくれることであろうと思う。
多少、嘘でもいい。ほとんど嘘でもいい。
しかし対談の席で言えなかったことを言っておく。
とにかく、大学時代の四年間を通して、本上さんは憧れの人であった。
子ども時代に染みついた記憶は特別であるように、
あの四畳半時代に染みついた記憶もまた特別である。
それはもはや自分の意志で書き換えることができるものではないし、
書き換えるつもりもない。
現在の私は本上さんの活躍を逐一追っているという人間ではないけれども、
本上さんがどこかで活躍されていることを嬉しく思い、そして深く満足する。
職権を乱用して本上さんとお会いすることは、
作家になった瞬間、あるいは作家になれるよりも以前から、
絶えず私が目指してきた目標であった。
向かうところを失った私はもはや自由自在であり、どこへなりとも行ける。
ふらふらと気まぐれに駆けていった先で、
またばったり本上さんとお会いできることを祈るものである」

かくして登美彦氏はこっそり作成している年表に、次の一文を書き加えた。
「二○○七年二月二十日 本上まなみさんと対談」

後世の登美彦氏研究家は
「この日を境に目標を見失った森見登美彦氏の迷走が始まった」と書くだろう。
「ただしかし、迷走するその顔は妙に嬉しげであった」と。


★この門をくぐるものは一切の高望みを捨てよ(2月20日)/森見登美彦★

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