岸田 子供の頃から鉄道に興味あったんですか?
タモリ オレは博多の生まれで、 西鉄と国鉄の筑肥線が交わるあたりで育ったんですよ。 線路まで行けるような歳になると、 ずっとSLを見ていた。 夜寝ていると汽車の音がジャ、ジャ、ジャ、ジャって 聞こえてくるんだよ。 音が止まると、「あ、駅に着いたのかな」と思ったりしてね。
岸田 それはいつ頃ですか。
タモリ 昭和23年か24年頃かな。 小学校高学年になって筑前高宮という駅まで行動範囲が広がると、 線路の分岐を間近で見るようになる。 昔は手動で動かしていたから、 それをじっと見ていてね。 そこから線路に興味が移っていったんですよ。 線路の上をずっと乗り継いで行けば、 日本中のどこにでも通じているんだ、 というのが不思議な感じでね。
岸田 それ、僕も思いました。 ずっと乗り換えて行けば、鹿児島でも青森でも行けるんやと。
タモリ うん、それで今も線路が好きなんだよね。 岸田君が鉄道好きになったきっかけは何だったの?
タモリ おじいさんによく京都市電に乗せてもらっていたんですよ。 市電の廃止が昭和53年9月で、僕が昭和51年生まれやから2歳の時。 それが僕の最初の記憶なんです。
タモリ なるほど。
岸田 大阪の千里丘陵にはおばあちゃんが住んでいたから、 阪急の特急にもよく乗っていたんですよね。 特急に使われているのは、新型のぴかぴかした車両なんですけど、 一番前で見ていると、各駅停車のぼろい車両とすれ違うんですよ。 逆にそっちがうらやましくなって、 そのうち大阪地下鉄に乗り入れタイプの車両が好きになった。
★子供の頃から◇『TITLE10月号』/タモリ×岸田繁★
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