宿題

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2005年01月31日(月) 針がとぶ/吉田篤弘
これから書こうと思っているテーマ

=SPレコード、圏外、床屋、風神・雷神、映画館と犬。


★針がとぶ◇巻末のプロフィール欄から/吉田篤弘★

2005年01月30日(日) 芸術新潮「ロシア絵本のすばらしき世界」/沼辺信一
展覧会名は「幻のロシア絵本」としましたが、

これを機に「幻の」が外れてくれることを願っています。

そしてひとりでも多くの人が「こんなずばらしいものがあったのか」

と感じてくれるとうれしい。でもコレクターとしてはおしまいだね。

これだけ情報公開しちゃったら、もう掘り出し物もなくなるよ。


★芸術新潮「ロシア絵本のすばらしき世界」/沼辺信一★

2005年01月29日(土) 芸術新潮「ロシア絵本のすばらしき世界」/沼辺信一
ロシア絵本は、20世紀という時代におとなが自信をもってこどもに差し出すことができた

最高の贈り物だったんじゃないか。

われわれ21世紀のおとなは、こどもに向かって

「君たちの目の前にはすばらしい未来が開けている」

なんて口が裂けても言えない。

だからこそロシア絵本から学べるものがあるのではないか、そんなふうにも思ったり。

とはいえ、時空を越えて人を動かすこれらの絵本の輝きは、

いまの時代にはまぶしずぎるよ、というのがぼくの正直な感想なんですが。


★芸術新潮「ロシア絵本のすばらしき世界」/沼辺信一★

2005年01月28日(金) 芸術新潮「ロシア絵本のすばらしき世界」/沼辺信一
代表作は何かって?もちろんどの国のどの時代にも代表的な絵本というものはあるけれど、

1920〜30年代のロシア絵本は集合体としての運動なんですよ。

さまざまな種類の絵本が同時期に大量に、ふだんは絵本と無縁の人まで巻きこんで、

うわーっと出た。百花繚乱の多様性を持ちながら、しかも全体としては共通の未来像を

指向しているために、ひとつもまとまりとして迫ってくる。

それがロシア絵本の最大の魅力なんであって、

代表的な数冊を挙げてことたりるというものじゃないんです。

何百冊も蒐めたうえで、こんなすごいものなのが星の数ほどきらめいていたのかと、

たじろぎながらため息をつく。それこそが正しい鑑賞法。


★芸術新潮「ロシア絵本のすばらしき世界」/沼辺信一★

2005年01月27日(木) 芸術新潮「ロシア絵本のすばらしき世界」/沼辺信一
20世紀的な新しい表現を模索していた人たちにとって、

ロシア絵本は本当に衝撃だったでしょう。

こんなすばらしいものが後進国のロシアから出てくるんだと、

悔しがったにちがいない。

これは美術全体に言えることで、キュピズムやフォービズムのはるか先まで

ロシア・アバンギャルドが駆け抜けてしまった。


★芸術新潮「ロシア絵本のすばらしき世界」/沼辺信一★

2005年01月26日(水) タモリ先生の午後 第10回/タモリ×糸井重里
糸井 「ところで、高田純次とタモリの違いっていうのは、どこにあるんですかね? 」

タモリ 「なんだかんだいってても、俺は、薄さが徹底してないんでしょうね」

糸井 「あ、高田純次は、モノホンであると」

タモリ 「モノホンなんですかね……。あれ、厚みをなくそうとか、

目指してないように見えるんだよね。だからすごいんですよ。

こっちは多少、目指してるところあるから、ダメなんでしょうね」


★タモリ先生の午後 第10回/タモリ×糸井重里★

2005年01月25日(火) タモリ先生の午後 第7回/タモリ×糸井重里
タモリ 「嫌いでないけども、できない。そういう体質なんですよね。

でも、こんなね、生き方でありながら、かすかに不安というか……

この人はおかしいんじゃないかと俺でさえ不安を覚える人物が、

いることはいるんですね。高田純次ですね。

俺がかすかに不安を抱くっていうのは、やっぱりすごい人だと思うんですよ、あの人は。

何を考えてんだろうな? でもね、なんかね、誰か、「演劇に関しては熱い」という人が出てきて。

ほんとか? と思うんだけどね」

糸井 「それも、言うだけだと思うんですよ。ぼくは、あの、高田純次が、あの、

小人の格好をして洗剤のコマーシャルに出てくるでしょう。

あれ観てると、もう、腹の底からおかしいんですよ」

タモリ 「あれ、おかしいよね。大したことを言ってないけども」

糸井 「タモリさんより歳は?」

タモリ 「年下ですよ、3つぐらい下ぐらいですけどね。

大したこと言ってないんだけど、笑っちゃうんですよ。それは、ほんとにスゴイよ。

あの、ティッシュペーパーみたいな人間だからさ。何ら世界に厚みがないんだよね(笑)。

俺はね、世界に厚みを持たせるのをやめようとしてるんだけども、

高田純次の場合は……『ない』ね、あの人」

糸井 「出身は、美術系の人ですよね?」

タモリ 「あ、そうかも。そうそうそう」

糸井 「建築とか、なんか」

タモリ 「うん、そうそう。珍しいですよねぇ」


★タモリ先生の午後 第7回/タモリ×糸井重里★

2005年01月24日(月) Y字路談義。第17回/横尾忠則×タモリ
横尾 「ぼくの生理と感情とはまったく分離されています。

宝塚に行って二回目ぐらいのとき、ある人がそれで宝塚をやめる、という楽日だったんです。

ぼくはまだ宝塚のことをぜんぜん知らなかったし、トップがやめるかどうかなんて、

もともと『やめようと思うならやめればいいじゃない』ぐらいに思っていたんだけど。

ただ、やめるというその人が、袴を着て花を持って、挨拶をすると、

劇場中が、もう嗚咽なんです」

タモリ 「ええ」

横尾 「そうするともう、ぼくは別にかなしくも何ともないのに、涙がボロボロ流れてきて」



横尾 「別に、泣いたとしても、それで情を感じてるわけでもないの。

前にも、なんだったかな、『ぴあ』で素人の人が映画を作って、

それの審査やったとき、受賞式で表彰状を渡さないといけなかったんですよ。

ぼくが読まなきゃいけない。

で、読んでるあいだじゅう、涙がポロポロ流れてさ、最後まで読めないわけ…」

タモリ 「あはははは!」

横尾 「だけど、ぼく自身は、うれしくもかなしくもないわけで。

だけど涙が止まらなくて、最後まで読めなかった」

タモリ 「それ、すごい!横尾さん、すごい…」

糸井 「ぼくは今まで、賞状を読む側の人が泣いてるのは、見たことがない! 」

タモリ 「見たことねぇ!」

タモリ 「横尾さんのような、クールに『感情はどうだっていい』って人が泣くのがすごい」

横尾 「そう矛盾しているでしょう?大賞を受賞したのは夫婦だったんです。

彼らの感情がうつったんです」

タモリ 「先に向こうが泣いたんですか? 」

横尾 「いや、向こうはニコニコしてる」

タモリ 「(笑)うつってない」

横尾 「夫婦で合作で作ったものが受賞して、もう大よろこびなんですよ。

その大よろこびの姿を見たとたんに、涙が流れてきてさ…もう声が詰まってしまって、

最後まで読めない」

糸井 「つまり、それは、『よかったね』っていう思いぐらいは、

あったんじゃないですか? 」

横尾 「いや、大した思いはないんですよ!

そりゃ誰もが『よかったね』と思う程度ですね」


★Y字路談義。第17回/横尾忠則×タモリ★

2005年01月23日(日) Y字路談義。第16回/横尾忠則
横尾 「前に、立川談志と対談したんです。対談する前は、普通の話をしているんです。

恥ずかしそうに下向いてボソボソって言ってるわけ。

だけど彼は、ステージに上がったとたんに、もう芸人になっちゃうわけ。

彼にとって、言葉は芸なんですよね。

芸だから、いくら辛辣な批判的を言っても、大して影響ないんですよ。

笑われて一巻の終わりですね。

あれが芸じゃなければ、そうとう命も危ないだろうというようなことを

平気で言っちゃうわけでしょう?あれを芸にしちゃうっていうところが、

彼の創造なんだろうけれども。


★Y字路談義。第16回/横尾忠則★

2005年01月22日(土) Y字路談義。第14回/横尾忠則×タモリ
横尾 「ぼくのY字路に関しての評論を書いた人がいて、その人は、

『Y字にぶつかると、どっちに行くべきか迷う』って言ってるんですよ」

タモリ 「あ、それはそんなことないですよ」

横尾 「そんなことないですよね?そんなバカな、と思って」

タモリ 「途中までは一緒でこっちは祐天寺で、こっちは目黒方面だもん。

Y字路にまで来てからわざわざ決める人はいないんだから」


★Y字路談義。第14回/横尾忠則×タモリ★

2005年01月21日(金) Y字路談義。第13回/横尾忠則×タモリ
横尾 「情の問題を解決しておかないと、『内面の表現』とか言い出すんだよね。

あれもおかしいよね。だって、絵なんて外面しかない。内面なんかないわけ。

生半可な情が出てきて、変なことを言ったり、したりするんですよね」

タモリ 「内面なんて、どうだっていいわけですよね」

横尾 「うん。どうだっていいわけです。

だから、ぼくは『Y字路はフォルムだ』っていうんです。

絵はイメージよりもフォルムが優先なんですよね。人はイメージを優先したがるけど。

フォルムがきちんと描けていな絵はついイメージについて語られてしまうから。

Y字路については、

『夜の風景は、子どものころ懐かしい感じだ』とか、『電気が暗かった時代を思い出す』とか。

谷崎潤一郎の『陰影礼賛』をひきあいに出す人もいれば、

『人生の岐路に立たされている』とか。ほとんど同じことばかり言われるんです。

『消失点が2つある』とかおっしゃる人もいっぱいいるんだけど、

現実のY字路に出会ったときは、そんなふうにはとらえませんよね? 」

タモリ 「みんな、何も言わないっていうことがイヤなんじゃないのかな?」


★Y字路談義。第13回/横尾忠則×タモリ★

2005年01月20日(木) Y字路談義。第12回/横尾忠則×タモリ
横尾 「やっぱり、見られるとかいうことは自意識の問題だよね。

自分の自意識に対して、素直になって、自意識をどんどんどんどん

徹底的に拡張していくのか。あるいは自意識をコントロールして、

なるべくそういう意識を静めるとか。

どちらかというと、自意識を出しきらないとモノをつくれないんですよね。

だからできるだけ出しきるべきで、自意識は欲望じゃなく、本能だと思っています」


★Y字路談義。第12回/横尾忠則×タモリ★

2005年01月19日(水) Y字路談義。第8回、9回/横尾忠則
タモリ 「Y字路って、どうできるんだろうなぁと考えちゃうんです。

東京の郊外のY字路なんて、ほんとに自然な成り立ちでできたと思うんですよ。

直行する道路とY字路の違いは…『ある一定のところまでは、目的は同じだ』

ということですよね? それから、少し別れるんですよ。

たとえば、目黒不動に行くのか、祐天寺に行くのか、と。

途中までは一緒で、あるところから別れる──

『おたく、目黒ですか?』『あぁ、祐天寺です』『途中まで一緒ですね』

と、おたがいにコミュニケーションを取ったりしながら

『やっぱり目黒不動に行くほうがいいのかなぁ』

と思ったりするわけでしょう? Y字路にさしかかるまでは一緒に進む。

そして、いよいよ祐天寺と目黒不動に別れるときに、ふたりは最終決定して、

『それじゃ』ってそれぞれの道を行くんだけど、Y字路ですから、

急には距離感は広がっていかないんだよね。 まだ、なんか、余韻を残しつつ。

余韻を残して別れてくっつうのがね、またよくて……。

直行する道路っつうのは、お互いに何の影響も及ぼさないでしょ?

わたしはこっち、あなたはそっち、と。おたがい、何のコミュニケーションもとらないし、

もう、ああ、これはまったく違う人だというような……。

でも、Y字路を見てると、なんか、今言ったようなことを思うんです。

そのへんの曖昧さとか、影響しあうところが、なんか想像するとおもしろい。

江戸時代からある道を調べると、Y字路も『右 大山/左 なんとか』

と書いてあったりする。道が別れるところまで一緒にきて、

いよいよここであんたとお別れ、ということになるんだけど……」


★Y字路談義。第8回、9回/横尾忠則★

2005年01月18日(火) Y字路談義。第4回、5回/横尾忠則×タモリ
タモリ 「横尾さんの絵を見て、自分でもY字路に行ってみるわけです。

それで、写真撮ったりなんかすると……やっぱり、昼間はだめなんです」

横尾 「昼間、だめですよね」

タモリ 「ええ。やっぱり夜のほうがいいです」


タモリ 「実際に自分でY字路を撮ってきた写真が何枚かありますけど……

(持ってきた写真を見せる) この写真は、中目黒の飲み屋なんですけど、

おそらく3人か4人しか人が入らないと思うんですよ。

横にトイレがあるらしいんですけど、トイレは内側から入れないで、

いったん外に出るお客がいるの(笑)。どう見ても、4人ぐらいしか入れない空間に、

トイレと客席と炊事場があるんですよね」

糸井 「不動産としての価値は最悪だ。こういう土地があって

『おまえにやる』って言われても、なんかイヤですもんね。

引き受けたとたんに、不幸になりそうな気がするから」

タモリ 「これはイヤですよ。客として入るのがイヤですもんね。

風水的にも良くない。なんか、どうやってもすごいよね」

横尾 「あ、これ……写真としてはいいと思うけど、ぼくだったら、こんな撮り方はしない。

もっとセクシーに撮るためには、『Y字路』を左右対称にしたほうが、

股を広げたみたいな感じになるじゃない?

タモリ 「なるほど。こっちの写真は、目黒のラーメン屋です。

(※ここでタモリさんはもう1枚、写真を見せました)実際に食ってみたんだけど、

味はまあまあです。ギョウザは、ちょっとニンニクが強すぎた」


★Y字路談義。第4回、5回/横尾忠則×タモリ★

2005年01月17日(月) Y字路談義。第1回/横尾忠則
森ビルの人 「この高さでものを見ることって、あまりないじゃないですか。
      
ですから、自分の感覚が、けっこう狂うんです」

横尾 「狂っているのは自分じゃなく、ビルじゃない?」


★Y字路談義。第1回/横尾忠則★

2005年01月16日(日) あこがれの地へ/どんと
地獄でもない 天国でもない 旅の途中の人よ


とんでいけあこがれの地へ 呼んでいるお前を

山を越え嵐をぬけ みんなずっと待っている

もうひとりお前がいる 会わせよう2人を

ひとりではないんだよ 同じようなやつばかり


あこがれの あこがれの あこがれの あの地へ

あこがれの あこがれの あこがれの 夢に見たとこへ


歩き出せあこがれの地へ 呼んでいるおまえを

空を飛ぶ雲のように 軽くなってやってこい

ボロボロで倒れそうな時 呼んでいる ああ

フラフラで倒れても ヨレヨレでやってこい


あこがれの あこがれの あこがれの あの地へ

あこがれの あこがれの あこがれの 夢に見たとこへ

あこがれの あこがれの あこがれの あの地へ

あこがれの あこがれの あこがれの 夢に見たとこへ


★あこがれの地へ/どんと★

2005年01月15日(土) トライ・ア・リトル・テンダネス/(訳詩)どんと
あぁ 彼女は少し疲れているかもしれない

若い少女たちは疲れない

昔からの毛むくじゃらの服を着ている

でも彼女が疲れていたら

ほんの少しやさしくしてあげよう

彼女は待ってる とても楽しみにして

決して手に入れることのできない物を待っている

だけど彼女が待っている間

ほんの少しやさしくしてあげよう

それはただのセンチメンタルではない

彼女には悲しみや心配がある

だけど柔らかい言葉をやさしくかけてあげると

それは楽になる 楽に待っていられる

おまえは後悔しない

少女はおまえの優しさを忘れない

愛だけが彼女たちの幸せだから

全てが楽になった時

おまえがやることはただひとつ

少しやさしくしてあげる

おぉ神よ おまえのやることは

彼女の愛し方を知ることだ

抱いて!

しぼって!

泣かせないで!

撫でて!

さわって!

少しやさしくして!

おぉ神よ!おれの言うことを聞け

抱いて!

しぼって!

彼女を一人にするな!

いつもさわって!

少しやさしくして!

おぉ神よ!おれの言うことを聞け

抱いて!

しぼって!

離れるな!

もっともっともっともっとしなければ!!

少しやさしくして!

おぉ神よ!おれの言うことを聞け

抱いて!

しぼって!

離れるな!

そうだ そうだ そうだ

少しやさしくして

おぉ神よ!おれの言うことを聞け

抱いて!しぼって!離れるな!

少しやさしくして

おぉ神よ おれの言うことを聞け

抱いて!しぼって!離れるな!

いつもさわって!

少しやさしくして

おぉ神よ おれの言うことを聞け

抱いて!しぼって!離れるな!

もっともっともっともっと しなければ!!

少しやさしくして


★トライ・ア・リトル・テンダネス/(訳詩)どんと★

2005年01月14日(金) 今度会う時は/大塚久夫
自転車の鍵を外してどこまでもずっと走っていこうよ

人気もないし車もないしとてもいい空だよ

おー どこへ行こう

おー 線路の向こうまで

何もないのはつまらないよ

とにかく何かしよう


余裕がないのに余裕ぶったりしない

のんきぶるのはもっと後にしよう

キリがなくてもがっかりしても

また会う時は期待しよう

おうおうおう おうおうおう


一日朝から夜まで家に閉じこもることもあるよ

もういない人の歌をずっと聴いている時もあるのさ

おー 嘘じゃないよ

おー 約束したいよ

続きがあるならかまわないよ

とにかく何とかしよう

希望の無いふりをするのはよそう

その気になったのならどこかへ行こう

大変そうでも難しそうでも

また会う時は期待しよう

おうおうおう おうおうおう


★今度会う時は/大塚久夫★

2005年01月13日(木) ニコニコ堂通信をもらえるかもしれない人(つづき)/長嶋康郎
たとえばある時何か自然のデキゴトに

トキメイたりして、でもそれにひたっているだけで、

およそ誰か(他人に)その感動を伝えようなんて思いつかない人。


★ニコニコ堂通信をもらえるかもしれない人(つづき)/長嶋康郎★

2005年01月12日(水) 本よみうり堂(6月24日)/長嶋康郎さんのインタビュー
なぜか、この人のこと、前から聞いていた。

絵本作家の佐野洋子さんのエッセーでは、

〈世間も浮世も無いらしく、役に立たない事だけを云う〉、

白髪のゴッホみたいな顔をした古道具屋さんとあった。

ピカーッと目を光らせる息子がいて、それが芥川賞作家の長嶋有とのことだった。

つげ義春の漫画「無能の人」のモデルといううわさもあり、

「ニコニコ通信」という面白い手書き新聞を出しているとの便りも聞いた。



開業して四半世紀たつお店には、人形、古時計、ブリキのオモチャから

用途のよくわからないものまで所狭しと並んでいた。

「わりとかわいそうな見てくれの、バカっぽいものを集めるのが好きですね。

徹底して追求しているわけではありませんが……」

値段は、「体内価格」で決めるという。

「コーヒー1杯ならいくらという感じがあるでしょう。

でも自分の『体内価格』と世間の相場はズレているみたいで……。

もうけ損ない、悔しくて眠れなくなることもある」

と語るが、とても商売熱心には見えない。

物を書き始めたのは10年ぐらい前からで、

「愚痴やら、これだけは言いたいこと、といっても大したことはありませんが、

それを書いて、勝手にお客さんや友人に送りつけてきた」そうだ。

どうにもつかみ所がないが、時間や世の常識をあまり意に介さないところは、

文章の感じそのまま。

一度だけ明言したのは、「無能の人」のモデルではないとのこと。

ただ、つげさんとは知り合いで、なんとなく牛乳瓶のフタを売っていたら、

買ってくれたのがつげさんだった。長嶋さんは「こんなものを買う人がいるのか」と思い、

つげさんは「売る人も売る人」と思ったそうだ。

なんか、こーっ、ユニークな人なのであった。


★本よみうり堂(6月24日)/長嶋康郎さんのインタビュー★

2005年01月11日(火) 古道具ニコニコ堂です/長嶋康郎
ニコニコ通信は不定期刊行

読者は当方にて恣意的に選ば

せていただきます。えらばれるには、

イジメられっ子だった人。ネコ耳の人。

これをやらせたら右に出るものはいないと

いうような特技のない人。つい物に

ぶつかる人。金もちでない人。東国の人。

体臭のある人。

あとで云いたいことが分かる人。

まゆげもじゃもじゃの人。いろいろ

オンチの人。つい「何んかコーーッ」と

云ってしまう人。…続く、


★古道具ニコニコ堂です/長嶋康郎★

2005年01月10日(月) 正夢/草野正宗
あの キラキラの方へ登っていく


★正夢/草野正宗★

2005年01月09日(日) テイタム・オニール/草野正宗
感情持って行くんだ もう絶対邪魔させない

汗が噴出す どうなってんだ? この心

孤独という言葉に 怯えてる


小鳥が逃げる 黒い雲も立ち込める

名もない変化球 意地でも打ち返そう

「余り」としての誇りを この胸に


強気な鐘が 旅立ちの時

今でも君は 僕の憧れ

まだ間に合う


LOVELY LOVELY MY HONEY 眩しそうな その瞳

爽やかぶっても どうせお見通しだろう

汚れた手で 高みによじ登り

臆病な声で 始まりを叫ぶ

懲りずに君は 僕の憧れ

まだ間に合う


Yes 「余り」としての誇りを この胸に

強気な鐘が 旅立ちの時

今でも君は 僕の憧れ

まだ間に合う


★テイタム・オニール/草野正宗★

2005年01月08日(土) ロコローション/オレンジレンジ
刺激が欲しけりゃバカニナレ 


★ロコローション/オレンジレンジ★

2005年01月07日(金) 水面に映る風景 洲之内徹の東京/関川夏央
その高見さんがいつだったか上京して泊めてもらっていたとき、

大森の(洲之内さんの)アパートに空巣が入ったことがある。

扉の錠が壊され、部屋の中が荒らされていた。

しかし、押入れに箱に入れて無造作に並べてあった中村彜や林武をはじめ、

相当な根がつくはずの絵には泥棒は気づかなかったのか見向きもせず、

また雑然とした机上に置いてあった円空仏もそのままだった。

洲之内徹によると千七百円だか盗られたそうだが、

結局そのあとも新しい数字合わせの錠をつけただけで、盗難保険も火災保険も最後までかけず、

蠣殻町に移ってもその収納場所やはり押入れだった。


★水面に映る風景 洲之内徹の東京/関川夏央★

2005年01月06日(木) 守りは固し神山隊/洲之内徹
だが、その芸術なるものも私とは縁がない。

私はただ、何かに溺れるだけなのである。

あるときは革命に溺れ、女に溺れ、絵に溺れ、いままたモダンジャスに溺れかかっている。


★守りは固し神山隊/洲之内徹★

2005年01月05日(水) 守りは固し神山隊/洲之内徹
長い間、私は芸術を口にしながら、芸術を本当に信じてはいなかった気がする。

本当の実在は芸術の世界ではなく、現実的な日常の世界だという気持ちが絶えずあった。

やっとこの頃、芸術の世界が実在で、

日常的な現実は一向あてにならない陰のようなものだという気になってきた。


★守りは固し神山隊/洲之内徹★

2005年01月04日(火) 守りは固し神山隊/洲之内徹
私は酒を飲む必要がある。ということにこの頃私は気が付いた。

骨の髄からの俗物である私は、酒を飲まなければ日常的な思考の枠の外に出られないのだ。


★守りは固し神山隊/洲之内徹★

2005年01月03日(月) 山崎省三さんへの葉書/洲之内徹
メインタイトルほとほと思案に余ります。

どれもこれも一向にぴんと来ませんが、

こんな気持ちのものでなにかないでしょうかという意味で…

「気まぐれ美術館」

読んで字の如し。

「絵のない美術館」

あまり絵そのものに即さず、時には直接絵と関係ないことも書きますよという含みあり。

ないと断ってしまうのが気になりますが…。

「画廊の灰皿」

画廊での煙草をのみながらの雑談の意。ちょっと随筆風すぎるでしょうか。

「芸林彷徨」「芸林無宿」

何れも芸がないですね。


★山崎省三さんへの葉書◇芸術新潮1994年11月号/洲之内徹★



■気まぐれ美術館の連載が始まる前に、当時の芸術新潮の編集長に送った葉書。
これで全文。

2005年01月02日(日) 松山東高等学校の校歌/洲之内徹
眉きよらかに 頬はあつく

いのちまた 燃えたり

かかる日の かかる朝なり

青雲の思ひ 流れやまず

流れやまず

茜明けゆく 空のはたて


学舎の庭 春たけたり

千筋なす 青柳

風吹かば 掛けしたて琴

弦のひびき 鳴りわたりぬ

鳴りわたりぬ

いのち秘めにし 若き調


誇はたかく 夢はふかく

われらここに集ふ

ここにして 唇に歌あり

ここにありて 日は美はし

日は美はし

光もとめて 生くる月日


★松山東高等学校の校歌/洲之内徹★ 

2005年01月01日(土) 8歳の時、カメラを買ってもらうことになって/ジャック・アンリ・ラルティーグ
パパは神様そのもの。僕に本物のカメラを買ってくれると言ったんだ。

これですべてを写真に撮ることができる。すべて。すべてを!


★8歳の時、カメラを買ってもらうことになって/ジャック・アンリ・ラルティーグ★

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