宿題

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2004年03月31日(水) 宗教が往く/松尾スズキ
一笑にふされた。ふされたけどわたしはこういうばかばかしさの中にこそ

口はばったい言い方をすれば真実に近いものが隠されていると思いたいくちだ。

くだらなくて孤独でどうしようもないものの中にだけ、わたしはいつも宝を見つけてきた。


★宗教が往く/松尾スズキ★

2004年03月30日(火) Rock With You/藤林聖子
誰も信じないキミと歩く


不可能も楽しんでみせる
 
「決定的にキミ」という新しさ
 

ステレオのヴォリュームを上げて

やがて来る夜を 追い返せ

悲しみも感じないフリ

世界でたった1人だけの

理解をキミに示してたい


もっと踊りたい
 
いつだって人生は変わる
 
「徹底的にキミ」という今日からは
 
全く 新しい歴史が始まる


★Rock With You/BoA★

2004年03月29日(月) MOON&SUNRISE/BoA,Natsumi Watanabe
つきがてらす よるがあける たいようがかがやく

そんなふうにわたし わすれてゆく

うそでもねえ ほほえむことはすてきなことね

涙だけが すなおにないている

またあえば わらえるように


★MOON&SUNRISE/BoA★



■どこまでがBoA作詞なのかはわからないけど、
歌詞のほとんどがひらがな。

2004年03月28日(日) エースをねらえ!/山本鈴美香
あたくしたちは もうひろみにはかなわない

けれど精一杯強くなって

その精一杯強くなった自分たちを堂々と打ち負かしてほしかった!


★エースをねらえ!/山本鈴美香★

2004年03月27日(土) エースをねらえ!/山本鈴美香
もうひとつは君にはまだ美しさの意味がわかってないこと

『テニスとバレエのちがいは 前もって振りつけがしてあるかないかだ』

といわれているんだが 知ってるかい?

美の極致であるバレエのポーズと テニスのフォームは同じだっていうんだ

では美とはなにか?

『それはある種の衝撃だ』という

見る者がぼう然とする あるいは度肝をぬかれる

そういう非凡な要素がないと人は美しさを感じない


★エースをねらえ!/山本鈴美香★

2004年03月26日(金) エースをねらえ!/山本鈴美香
いえないことだわ! ほんとうにテニス界を愛してなければいえないことだわ!

たいしたものね 見ならわなければ!

もえてくるわね ひろみ!すばらしい世界だわ!

どんなに必死になったってだいじょうぶよ

どんなに体当たりしたってだいじょうぶよ

鮮烈で豪快で堂々たる世界だわ!

いきましょうね 精一杯の高みへ!


★エースをねらえ!/山本鈴美香★

2004年03月25日(木) エースをねらえ!/山本鈴美香
くるしかった 父をのろいわが身をのろい 母の死に顔が頭を離はなれず

・・・いっそくるえたらと・・・そうしたらどれほどらくかと・・・

その生き地獄から 岡が救ってくれた

おれだからそだてられる おれにしかそだてられない

そう確信したとき じぶんの過去のいっさいが肯定できた


★エースをねらえ!/山本鈴美香★

2004年03月24日(水) エースをねらえ!/山本鈴美香
人間というものは思ったより強いものですわね

いろいろなことがあって とてもたえられないだろうと思ったのに

かわらずこうしています

傷ついた──と思うだけで 人間は傷つかないものなのかもしれません

あれもたえがたい これもたえがたいと

思うだけでこの世にたえられないことなどないのかもしれません


★エースをねらえ!/山本鈴美香★

2004年03月23日(火) エースをねらえ!/山本鈴美香
わかってる 観客は味方じゃない

みごとにプレイしてのち はじめて味方になるものだ


★エースをねらえ!/山本鈴美香★

2004年03月22日(月) エースをねらえ!/山本鈴美香
それからもうひとつ

特訓のつらさから魔球だのなんだのありえない技にあこがれないこと

ありえない技ににげるその精神のよわさが問題だ

小手さきの邪道にはおちるな

めざしたいじょうはどうどうとテニスの王道をいけ!


★エースをねらえ!/山本鈴美香★

2004年03月21日(日) エースをねらえ!/山本鈴美香
おってきなさい ひろみ

あたくしは永遠にあなたのまえをはしる

おってきなさい 力つきてたおれるまで

あたくしはあなたよりさきにたおれたりはしない

どんなに苦しくとも!

それでもまだあなたは救われるのよ

けれどあたくしこそは・・・ あたくしこそは・・・孤独だわ


★エースをねらえ!/山本鈴美香★

2004年03月20日(土) エースをねらえ!/山本鈴美香
だれです

あたくしのパートナーを動揺させるようなことをいうのは!!

ひろみ!

なんなのさっきのプレイは!

負けることをこわがるのはおよしなさい!

たとえ負けてもわたくしはあなたに責任をおしつけたりはしない

それより力をだしきらないプレイをすることこそをおそれなさい!!


★エースをねらえ!/山本鈴美香★

2004年03月19日(金) エースをねらえ!/山本鈴美香
・・・とうぜんだ

勝負がかかっているんだから だれでもこわい

藤堂も尾崎もお蝶も この俺もだ

いいか 岡

だからみんな真剣に練習するんだ

コートでたよれるのはじぶんの力だけだ

力を出すには自信がいる

自信をつけるにはとことん練習することだ


★エースをねらえ!/山本鈴美香★

2004年03月18日(木) 足穂毒舌地図◇ブッキッシュ創刊号/稲垣足穂
武者小路実篤について。

「白樺の武者小路、馬鹿が大きくなって、手がつけられねえ」

石川淳について。

「コワもてしてるけどなにいってるかサッパリわからん」

志賀直哉について。

「麻雀ばっかりやっていていやな奴だな」

川端康成について。

「陰気なキノコ的存在」


★足穂毒舌地図◇ブッキッシュ創刊号/稲垣足穂★



■まだまだいっぱい載ってて、あと言い返された言葉も。

此種の文学は即刻叩き潰す必要がある/菊地寛
ああ、あの、人の悪口ばかり言ってる先生でしょ/武田百合子

とか。

2004年03月17日(水) 古書店主インタビュー1/坂本健一(青空書房)
どんなボロボロの本でもそこに感動できる内容がある限り、大切にしたいと思ってるんです。

骨董品とか今流行のお宝もんだというような考え方は違うと思いますし、

稀覯本という考え方も嫌いなんです。

表紙がなくても中から訴えてくるものがあれば、それでもいいじゃないか、

中身がなくって表紙がいいデザインだったら、それは表紙一枚でも意味があるんじゃないかと、

そんな考えを持っているんです。


本の背表紙に鉛筆で値段を書いてたり、あるいは古本に自分の所の印を打ってるところがあるでしょ。

そういうのを見ると牧場の牛に焼きごてを当ててあるような気がするんですよ。

何も限定本だ、稀覯本だということで大切にするんじゃなくて、

今では見向きもされん、日本文学全集や世界文学全集をもっと大切にした方がいいと思います。


★古書店主インタビュー1/坂本健一(青空書房)★



■ブッキッシュの創刊号から。

2004年03月16日(火) 私の見てきた古本界70年 八木福次郎さん聞き書き/スムース文庫
八木 古今書院の月給は、住み込みで八円でした。時間給じゃないですよ、月給ですよ。

南陀楼 いまの感覚では、いくらくらいになるんですか?

八木 そうですねえ、まあ五十銭あったら日曜日一日遊べましたね。

コーヒー一杯がだいたい十銭だったから。昼飯はトーストなんか食べて、

本屋で五銭の雑誌を買って、喫茶店でコーヒーを飲んでケーキを食べる、映画を観る。

それで夕方までは時間をつぶせました。

松川 じゃあ月給八円というのは、まあまあ良かったんですね。

八木 そうなるかなあ。ともかく、そういうもんだと思っていたから、

給料が安いなんて不満はありませんでしたね。家から仕送りをしてもらったこともないし。

岡島 僕も、戦前に古本屋で働いていた人に聞いたら、

あんまりお金の心配はしなかったっていうんですよね。

八木 昭和三年(一九二八)に、巌松堂がストライキやるんですよ。

その要求には、賃上げよりも、休みを増やしてほしいという項目や、

名前の後ろに「どん」を付けるのを止めてくれという項目があったそうです。

名前呼ぶときに、「○○どん」という。

このあと、巌松堂の向かい側にあった岩波書店でもストライキが起こり、一誠堂にも波及しました。

私の知らない頃のことだけど。

松川 やっぱり「どん」ていわれるのはイヤなんですかね?

南陀楼 しかも、要求の結構前の方に来ている。


★見てきた古本界70年 八木福次郎さん聞き書き/スムース文庫★

2004年03月15日(月) 一読書人の日記/スムース文庫
読書の能率の上らぬのに閉口する。

一日の最大能力を発揮したところで、菊版二百頁位のものか。

それも決して自身のある読方ではないのだか困つた話。

まあ精々通読といった所にすぎぬ。

一生の間に一体何冊読めるかと計算した暇人がいたが、どの様な数字が出てゐたろう。

一日一冊として三百六十冊、一冊はとても無理だらうから、二百五十とまあ減らしてみよう。

己は今二十八、四十になつて、ろくに物も云へぬ淋しさでは情けないから、

四十までと限つて、十二年ある。

計算してみると三千冊、一週間に五冊よんでいつてこの勘定になるわけだ。

三千とまとまると、自分にも、ほのぼのと自信の出てくるのが感ぜられる。


★一読書人の日記/スムース文庫★



■何度も何度も出てくる
「買うばかりで読む方が進まない」
「昔のように読めなくなった」
「本当に欲しいものしか買うのはやめよう」
「読書が好きなわけではなくて、本を買うことが好きなのかも」
「こんなに買うなんておかしいと言われてもしかたない」

という記述が、ここで一先ず決着。
かと思ったけどこの後も同じように悩んでる様子。

2004年03月14日(日) 一読書人の日記/スムース文庫
新賀坡[シンガポール]遂に陥落す。

今朝聞きヽし萬才[万歳]の声は、このためであつた。

中西(左官屋)のヂイさんに聞いて始めて判つたのだ。浮世離れをしてゐるので、苦笑する。

中西さんと話をしているうちに、思はず涙ぐみさうになつた。

戦線にある若い兵士達を思つてか、

今日のこの日をさぞかし喜ばれてゐるであらう天子さまのことを思つてか。

日本は之で第一歩を確実に踏みとつたのだ。

この見事な戦果を歴史家は如何に評することであらうか。

第一歩は既に確実に進みとつた。

次に打たるべき手は如何なる方向を取つて行くことであらうか。私は知らぬ。

私は唯、自己の生活を充実せしめて行くことだけに努力すればいヽのだ。

そして召集のその日、過去の何事も打ち棄てて、

黙々と自分に与えられた仕事をやって行けばいヽのだ。

私にとつては、兵隊となることは、むしろ最も容易な簡単な道だ。

それは死の如く、未解決のまヽ解決してしまう方法だ。


★一読書人の日記/スムース文庫★

2004年03月13日(土) 一読書人の日記/スムース文庫
こんな一種の本狂ひ、(私自身としてハ相当内容のあるもの許り買い入れてゐる積りであるが)

になったのも、頭の軟い時分に、幾分厭世的な、(多分にあるかもしれない)

彼が、こびりついたのであらう。

外に出て、飛び歩くことをしないで、図書を眺めて一日を送る様になったのも、

彼の故かもしれない。

徹底的に馬鹿で暮らしたボート生活で、中和されたとは云え、

まだまだG[ギッシング]の方が大きい。



私の今日のバラバラな性格は多読にあったのだとも云へる。

この弱い性格は確かに、1つのものが、未だ消化し切れない内に、他のものを要求する為だ。



大塚虎男の学界異聞に、ユーモア全集の表紙をつけたので、可也気持ちの好い本になつた。

クロースがふかふか質のよいものだから、しつかりして好い。



女の日記はとてもよかつた。Mによませたい。Mはよんだことがあるかしら。

いはヾ感性の世界。感性の世界に生ききつている女の姿だ。話たし。夜通しでも話たし。

肉体の交渉のない男女の友情と云うものありや。

少なくとも私は、Mとはそんな交渉なしにすませたい。急にMと駄弁りたいという気持ちになる。



矢張り Flau [frau 妻]を貰うこと。俺を落ち着かせるには、それより他に道はない。


★一読書人の日記/スムース文庫★

2004年03月12日(金) 一読書人の日記/スムース文庫
十月十七日

全然結婚なんてしたくない。今はこう思つてゐる。

今迄の私は、あまりに、肉の対象としてのみの女性を考へ過ぎた。

これは猥本を読んだ経験が、而らしむのかも知れない。

霊の対象としての女性も之から研究しやうではないか。

何となれバ、肉としての女性なんて、あまり考へたくないからだ。


★一読書人の日記/スムース文庫★



■作者は不明。
阪神大震災のどさくさで、持ち主の手を離れてしまった
1935年から84年までの「ある本好きな人」の読書日記が、
林哲夫さんの手に渡ったもの。
生きていれば90歳の方。

購入本のリストや値段、感想などに混じって突然こういう記述も。

2004年03月11日(木) おかわり人生/ムーンライダーズ
一パイ飲んで幸せな日 何も欲しくない

夢から覚めて 飛んで行く

眠りに入ると 落ちてゆくのはなぜ(なぜ)逆じゃない

テレビつけても わからない

こんがらがってる ドラマみたいなニュース(ニュース)見たくない 堪忍してよ

屋根に上って 煙草吹かせば

すずめが啼いてくれる いつも チュチュンチュン 元気

麦になったご飯 泡に乗った気分

ジョッキに消えて行く おかわり自由


一パイ飲んで幸せな日 何も欲しくない

すってん転んだ 千鳥足

電信柱 話しかけてみたら 答えた 気をつけなさいよ

大きなお世話 ぼくの身体だ

誰にも渡しはしないよ 道は長い布団

クビになった時も ぼくは寝ていよう

ジョッキに消えて行く おかわり人生

一パイ飲んで幸せな日 何も欲しくない


★おかわり人生/ムーンライダーズ★

2004年03月10日(水) 知床旅情/森繁久彌
知床の岬に はまなすの咲くころ

思い出しておくれ 俺たちの事を

飲んで騒いで 丘にのぼれば

はるかクナシリに 白夜は明ける


旅の情けか 飲むほどにさまよい

浜に出てみれば 月はてる照る波の上

今宵こそ君を 抱きしめんと

岩かげに寄れば ピリカが笑う


別れの日は来た 知床の村にも

君は出てゆく 峠をこえて

忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん

私を泣かすな 白いかもめよ


★知床旅情◇加藤登紀子/森繁久彌★

2004年03月09日(火) 原節子伝説/千葉伸夫
好きなものを順にいえば、まず読書、つぎが泣くこと、

その次がビール、それから怠けること。


★原節子伝説/千葉伸夫★



■1957年11月7日の毎日新聞のインタビューでの原節子さんの言葉。

2004年03月08日(月) 小津映画 秘められた恋
(佐野周二さんが田中絹代さんに、どこでその、売春したかってことをすごく訊く、すっごい…)

今村昌平「しつこい」

(ああいうのが僕、大好きなんですけども)

今村「そう」

(あのわくわくしますよね、ああいうとこが)

今村「そんなわくわくしなかったけどね」

(あ、そうっすか。俺だけか、残念だなぁ)

今村「でも、しつこいなぁと思ったよ。相当しつこい」



数年前、ひっそりと小津家の墓を尋ねた人がいます。

それは出会いから70年以上を経た「小田原の人」でした。

住職「80過ぎてるって仰ってましたけれども、

すごくこうがっしりした大きな人だったんですけれどもね。

まぁあの、老い先が、もう来れるか判らないからということで、

今日はもう決死のっていうかたちで、お参りに来たんだと。

お参りして、しばらく経って、長いこといましたけどね。



今村「観察者としてはちゃんとしてるんじゃないかと思いましたよ」

(小津監督は生涯、観察者でしたかね)

今村「だって、当事者たり得なかったでしょ。

だから観察者でいる他しょうがなかったって事ですね」


★小津映画 秘められた恋★

2004年03月07日(日) 小津が愛した女優たち
「東京日和」に出演できるっていう時に、小津監督の、小津監督には申し訳ないんですけど、

小津監督の映画に出られるってことよりも、原さんとご一緒出来るってことが嬉しくってね。

まず、それが第一だったんですよ(香川京子)



あのねぇ、小津先生ってね、素敵なんですよ。

もうお年はね、私とはもうだいぶ離れてましたけど。

映画監督と俳優なんて、今のディレクターとはあれとはまったく違って、

そうみだりにそばに行ってこうしゃべったり出来ないですからね、

別にして怒られる訳じゃないですけど、どことなく遠くの方から眺めてるっていう。

なんかねぇとにかく毎日ね、真っ白なんですよ、この着てらっしゃるものが、有名ですけどね。

洗いたてのもう、あのこうピキッというのかしら、とにかくパリッとした木綿のもう。

帽子から、もうY シャツから。パンツね、ズボン。靴まで全部真っ白でね(若尾文子)



(原節子さんは)もうとてもきさくな方で。

あの、ビールはお飲みんなる、コーヒーはお飲みんなる、煙草はお吸いになる。

私にしてみれば、全然想像していなかった人物でした。

でもとても優しくて。

あの、コーヒーはあんまり飲むと駄目よ、色黒くなるから、とか

ビールは駄目よ、太っちゃうから、煙草は駄目よ、これは声が悪くなる、

っていろんなことおっしゃって下さって。

本当に優しい方でした、本当に(岡田茉莉子)



モットーは声をかけていただいた仕事は断らないこと。

(役柄とかの設定とかをこう台本で読んでいていらっしゃる時に、

これはちょっと違うような気がする、とか自分がこの女性だったら、

こんなことしないんじゃないかな、とか考えられたことはないですか?)

考えない、私は。

(どうして考えないんですか!?)

だって書いてあるんですもの。こういう女だって。

(これはもう全面信頼、ということですか?)

そうです。だったら自分が書いたらいい、と私は思うの。

だからそのくらい単純なのよ、私の考えは(淡島千景)


★小津が愛した女優たち★

2004年03月06日(土) 小津映画の真髄を見る/有馬稲子×山内静夫
生活するように映画が撮れればいい、と晩年はよく言っていた。



『東京暮色』の山田五十鈴さんは、ドーランも塗っていないノーメイク。

大御所になってからの小津映画初参加だったので「ひとつやってやろう」

という気持ちがあったのでは。



岸恵子さんは小津監督にあまり細かく演出されなかった。



60歳で死んでしまって、どこか折り目だだしいところがある(笑)。

生誕100年。没後40年。実にわかりやすい。



『東京暮色』の有馬稲子さんの役は、本当は岸恵子さんがやる予定だった。

けれどフランスの映画監督と結婚してフランスに行ってしまったのでその話はなしに。

小津さんは「情けない。あんなフランスのハゲチャビンに持ってかれてしまって」

と怒っていた。


★小津映画の真髄を見る/有馬稲子×山内静夫★

2004年03月05日(金) 気まぐれ美術館  セザンヌの塗り残し/洲之内徹
浦安のことを書いて以来、私は中央区、江東区、江戸川区の歴史に関する本を手当たり次第、

読めるだけ読んだが、どの本にも必ず永井荷風のその日記(断腸亭日乗)

からの引用があるのを見て、驚いてしまった。

荷風の歩いていないところはなく、それだけでも大変なことだが、その上に、

それを書き留めているのは荷風以外にはないらしい。

そこで、私はおくればせながら、ゲンロクマメの母親が揃えていた『断腸亭日乗』全七巻を、

これまた手当たり次第に開いて読み、なんていう不思議な本だろうと、唖然としてしまったのであった。

どこそこでいま改正道路が出来かかっている、というようなことが書いてあるかと思うと、

女中を誘って一緒に風呂に入ったという日があり、二日後には、

その女中が買い物に行ったまま帰らないので、紹介所へ別の女中をを頼んだ、

などと書いてあるのだ。

毎日の天気がまた几帳面に書いてあり、聞くところによると、気象のデータとして、

この日記は、その道の人にとっては貴重なものだそうである。

いったいどういうつもりで、何のためにこんな日記を書いたのだろうと私などは思うけれども、

ただひとつ、これだけは言っておきたいのだが、こういう、

何のためにこんなことをしたのかわからないというようなことこそ、

本当の仕事ではないだろうかと、この本を読んでいて私は思った。

絵でもそうだが、こういう仕事は恐ろしい。


★気まぐれ美術館  セザンヌの塗り残し/洲之内徹★

2004年03月04日(木) 気まぐれ美術館  セザンヌの塗り残し/洲之内徹
私は私の画廊へ岑さんに掛かってきた電話の話をした。

「岑さんにね、土方さんの顔を描いといてくれと頼んだんですよ」と、Sさんが言う。

「ところが、死と格闘している顔を描くのは俺はいやだ、

安らかになってから描くよって、岑さん言うんですよ」

「岑のヤロー、ひでえこと言いやがるなあ」

「安らかな土方さんの顔なんて意味ないですよね、格闘していてこそ土方定一でしょう」

土方さんが亡くなったのはそれから二日目の朝である。

それを思えば、私とSさんとの会話は不謹慎極まると言わねばならない。

私たちはそんな冗談めいた口をききあって、おまけに笑いさえしたのだ。

しかし、そんならああいうとき、いったいどんな顔をして、

どういうことを話しあったらいいというのか。


★気まぐれ美術館  セザンヌの塗り残し/洲之内徹★

2004年03月03日(水) 気まぐれ美術館  セザンヌの塗り残し/洲之内徹
セザンヌの画面の塗り残しは、あれはいろいろ理屈をつけてむつかしく考えられているけれども、

ほんとうは、セザンヌが、そこをどうしたらいかわからなくて、

塗らないままで残しておいたのではないか


セザンヌが凡庸な画家だったら、いい加減に辻褄を合わせて、苦もなくそこを塗り潰してしまっただろう。

凡庸な絵かきというものは、批評家も同じだが、辻褄を合わせることだけに気を取られていて、

辻褄を合わせようとして嘘をつく。

それをしなかった、というよりも出来なかったということが、セザンヌの非凡の最小限の証明


私にとって青山二郎とはなんだったか。

桜井さんたちとちがって、私は青山二郎という人に会ったことがない。

私は湯田中へ来るようになった、その前のあたりが、ジーちゃんが志賀高原へ来た最後だったらしい。

それから二年ほどしてジーちゃんは死んでいる。

私はまた、その人の書いたものをひとつも読んでいない。

それでいて、昔からその人に、ある信仰のようなものを持っている。

ひそかに畏れ、憧れている。


★気まぐれ美術館  セザンヌの塗り残し/洲之内徹★

2004年03月02日(火) 気まぐれ美術館 セザンヌの塗り残し/洲之内徹
奥野さんは奥野さんで、「乞食と女」の女が門山家の女たちの感じそのままだ、と言うのだった。

奥野さんの言う門山家の女たちとは、若い頃の、門山さんの姉さんや妹さんたちを指すらしい。

いま『窓ぎわのトットちゃん』で大当たりに当たっている黒柳徹子さんが、

これまた門山家の血筋だそうで、門山さんの従姉妹の朝子(ちょうこ)という人が黒柳家へ嫁ぎ、

生まれた娘が徹子さんなのだが、奥野さんは、テレビなどの黒柳徹子の声だけ聞いていると、

門山さんの女きょうだい、なかでもすぐ下の妹さんとまったく区別がつかないそうである。

ともあれ、奥野さんの話で私はふと思ってみた。

村山塊多が理想像として描く場合の女のイメージは、門山家の女たちだったのではあるまいか…。


★気まぐれ美術館  セザンヌの塗り残し/洲之内徹★

2004年03月01日(月) 気まぐれ美術館 セザンヌの塗り残し/洲之内徹
風が見えることがある、とも言った。

初めてその経験をしたのは秋田の街を歩いていたときで、向こうから吹いてきて、

あたりまえなら躯に当たると躯をよけて行くはずの空気の流れが、

自分の躯を突き抜けて行くのがはっきり目に見えた。

たぶん、そのときの自分は、世間的な余計なことは何も考えず、

ただ踊りのことだけを考えていたのだ。

瞳孔が開いていたかもしれない。その後、東京でも、調子のいいときは風が見えることがある。

すると、その風に向って歩いて行く足取りがだんだんおそくなり、

躯の動きがスローモーションの画面みたいになって行く。

そして、そういうときに、きまっておまわりにつかまる。

「これ、異常なんでしょうかねぇ」

と彼は私に言った。

「そりゃあ異常なんだろうよ、おまわりが捕まえるんだからな」

みんな笑ったが、私自身は考えこんでしまった。


★気まぐれ美術館 セザンヌの塗り残し/洲之内徹★



■ギリヤーク尼崎という、踊りを踊る人の話。

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