くりかえし記憶の底からうかびあがる事柄があります。
たとえば、五歳のころの、ある日の夕焼け。
遊びほうけた後、家に帰る道すがら、ふとふりかえると、赤く渦巻きながら、
太陽が地平に落ちるところでした。真横からの光を浴びて景色も私も真っ赤に染まっていた。
真っ赤な世界の中で身動きできない。
しかし、わー、と叫んで駆け出したくもある……そんな風景の記憶です。
たとえばふざけていて花瓶を割ってしまい、瞬間周囲が桃色から灰色に変わり、
お腹がきゅっと痛くなったこと。たとえば息をつめて蝉をつかまえようと狙い、
すんでのところで逃げられた蝉のおしっこで濡れた指。
いやもっと、ごく普通の、たとえば夕食の時間に、父がビールを飲む、
そのごくりごくり動く喉元の記憶など。
くりかえし現れる、こどものころの記憶には、不思議な合図が、ひそんでいるのではなかろうか。
なにもかもが「お初」だった、あのころの自分からの伝言のような。
そしてそれは(喜びの記憶であれ悲しみの記憶であれ)私をどこかで支え、
励ましてくれているようなのです。
(あなたは独りでない。沢山の「こどものあなた」が、いつもそばについているから大丈夫)
とでもいうように。
★「こどもだった自分」からの合図/工藤直子★
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