○プラシーヴォ○
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2001年04月23日(月) 電波よ届け

携帯電話の着信履歴を眺めていて
不思議なことに気付いた。

4月の18日と20日に、ハム男から着信が入ってる。

めちゃめちゃバリ滞在中なのに。

いや、携帯は日本に置いていったから、
別に着信が入ってても物理的にはおかしく無いんだけど・・・。

あんだけ口酸っぱくバリに行くぞって言ってたのに、
忘れたのかしら

夜、電話がかかってきた時に聞いてみた。

「ああ、バリに行ってること分かってたけど、
もしかして、バリに携帯持っていってて、
つながるかな〜と思って!」

ありえへん


でもなんか嬉しかったよ


2001年04月22日(日) 金縛り

バリから戻って、朝の9時ころ家についた。

そして、すぐ写真を現像に出して
youちゃんとお昼にマクドナルドで合流した。

写真を見て、涙をごうごう流して笑った。

エステで撮った花風呂に入っている二人は、
笑い死にさせる武器になるほどおかしかった。

シャワーキャップをかぶって、おやじのように赤い顔をして
耳には一応花をさしているノーメイクの二人。
パンフレットの外人と全然違うや〜ん!

4時ごろになり、youちゃんと別れて家に戻ろうとすると
ハム男から電話が鳴った。
「今、サッカー終わった〜。迎えにいくからウチに来る?」
おお〜、行く行く!

ハム男の家で、『グラディエーター』を寝転んで見ていると、
いつの間にかエッチモードに・・・

裸になったところで、ハム男が恐る恐る私に言った
「中に出したら・・・まずい?」

ピルを飲んでもう1年だし、大丈夫!
どっちみち、ピルを飲み始めてからコンドームを使ってないんだし、
中で出しても同じことだもんね!

…って言おうと思った。
思ったけど、声が出なかった。
口がパクパクして、瞬きも多くなって、体が硬直した。

頭では、許可してあげたかったのに
心が許さなかった
『もう2度と、望まない妊娠はしたくない』
『私の苦しみを一番近くで見ておいて、よくそんなことが言えるなこの男』

本当のコトバが喉をついて出そうになる。
口を開けない。返事ができない。

「あ・・・嘘だよ。ゴメン」

あやまりながら、ハム男はキスをする。
恐怖と悲しさでカチコチに固まった私の四肢を、割るように押し入ってくる。

普段、セックスの最中は無言のハム男なのに
私の様子が変わってしまったのが不安だったのか、
「俺とガチャ子は、体がピッタリやね」
「気持ちいい?」
などと、私に話しかけつづけた。

私はそれに対し口の端を上げて笑うだけで、終始無言だった。

コトが終わり、二人並んで寝転んだ時、
ハム男がぎゅうぎゅうと頬を私の頬に押しつけてきた。

「がちゃ子、俺、考えが浅くて・・・ゴメン、ゴメン」
「いいよ。もういいから」
ああ、私はこいつに弱いなあと思いつつ

今度言ったら、別れるからね。

と心の中でつけ加えた。


2001年04月21日(土) バリ島ラブ

最終日。

キンタマーニという魅惑的な名前の観光地へ行く。
山の上の方で、景色が綺麗なんだそうだ。

今までずっとガイドしてくれてたスパ君が
息子が急病だとかで今日はお休み。

変わりに、スパ君の友達のスラ君が来てくれた。
スパはすっごい真面目で、
ずっと敬語で私達のことも苗字で呼んでたのに
スラは会うなり
「おおー、がちゃちゃん、youちゃん!
今から僕の親に会いに行こうよ!
結婚したらずっとバリにいれるよ〜!帰さないよ〜!」
か・・・軽いわ。スラ。

車に乗っていると景色がどんどん田舎になる。
日本のように水田がいっぱい。そばにはヤシの木が生えてるけどね。
心が落ち着く。

すごいシンプル。
寝て、起きて、田んぼを耕したり果物を売ったり
そして夜は暗くなったら寝る。

リストラとか社内のイジメとか
なにそれ〜って感じ。
生きてるぞー、ただそれだけでいいんだぞーって
風にのってそういう声が聞こえてくる。

初めての海外なのに
ただいま〜って言いたくなる風景。

キンタマーニは、バリで初めて「涼しい」と感じた場所。
湖が見下ろせて、肺の奥から綺麗になるような空気。
しあわせだよ〜!

いよいよバリともお別れ。
ピンクのようなオレンジのような夕焼け空を見てると
頭がしびれてきた。

ずっと心のどこかで
「楽しいけれど日本に早く帰りたい」
って思ってたのに、それが今溶けてなくなっちゃった。

ここでいいよ。
私、バリにいていい。

スラが
「さよならじゃないよ。ちょっと日本に行くだけでしょ?
さみしいよ。僕は日本に行けないから。待ってるよ」

皆に言っている言葉なんだろうけど、もうたまらなく心に染みて
バリで最後にして初めて泣いた。

飛行機に乗って飛び立つ瞬間、
バリの湿った大地から私の体がひきはがされるようだった。
痛い。痛いよ。私の皮膚を置いていっちゃうよ。

衝撃に目をさますと、そこは乾いた関空だった。


2001年04月20日(金) バリっ子

バリに来るにあたり、私達には二つ目的があった。

その1、バロンダンスを見る。これは1日目で終了した。
その2、バリの民族衣装を着て写真を撮る!

これこれ、これを本日行うのだ!
衣装を着て写真を撮ってから、エステが受けられるというコースを発見。
行くっきゃないっしょ!

午前中は、ホテルのプライベートビーチでのんびり(最高!)

お昼から、エステに行った。
一件の大きな家のような造り

「じゃ、着替えて下さい」
と2階に案内される

田舎のさびれた美容室みたいな部屋で
すごいいいかげんな衣装を着せられた(首飾り等が紙でできている)

完成すると、
な・・・なんと外へ連れ出された!!(やめてえええええ!)
このエステの建物をバックに写真をとるらしい。

裸足なので足の裏が熱い。
カメラマンと着付けをしてくれた女性が、ポーズの仕方を
なんやかんやと言ってくるがさっぱりわからん。

ジュディオングのような中途半端なポーズで5枚ほど撮られた。

次にエステ。
裸になり、紙(水に溶けない)パンツと、
シャワーキャップを装着。

今、地震が起こってもとても
逃げられない姿になる

産まれて初めて全身マッサージをしてもらった私は
バキバキに堅かったらしく
痛くて痛くてうめきっぱなしだった

そして花風呂。

パンフレットに、
お花が一杯に浮かんだお風呂に入る金髪美人の
写真があって、まさに私達は今それだった。

…そうなっているはずだ!!

エステが終了し、受付にいくと
さっき衣装を着て撮った写真ができていた。

おっかしいなあ、バリの熱さで写真が膨張したのかなあ。
バリのダンサーというよりは、
オカマショーのお笑い担当のデブ。

しかも、日差しがきつすぎて、
顔が真っ白に飛んでいる
化粧の意味なし。
目と、鼻の穴しか写ってない。

デブで鈴木その子でポーズはバラモンで熱すぎて目はうつろ。

ネガももらったので、よく見てみると、
私の分で一枚、現像されていない分があった。

なんでこれだけ現像してくれてないのかな?と思い
日本に帰ってから現像すると、目が半開きで白目になってた。
しかも口は笑ってる。

怖かったのかしら?
失礼しちゃう


2001年04月18日(水) バリ島にて

今日は、バリの市内観光。
ガイドのスパと一緒に車で(ワゴン車)巡る。

銀細工と、染物の芸術村にいく。
暑い。店のなかだってクーラーなんてものは無い。

一番見たかったモノが見れた。
バロンダンス。
一番聞きたかったものも聞けた。
ガムラン。

死んでもいい、と思った。
体の中が浄化される感じ。
このまま緑の森の奥で土になってしまおうかと思った。

汗をだらだらかきながら、昼食。
初のインドネシア料理。

初めて気付いた。
臭くて、だめだ。腐ってるんじゃなくて、独特の香り。
youちゃんは、わりと平気そうにバクバク食べてる。
焼き鳥も、魚もだめだ・・・くすん。
ナシゴレン(焼き飯)とミーゴレン(焼きソバ)のみ食べれた。

夜にホテルに戻る。
なぜか日本のNHKがテレビでうつる。
それを見ながら寝てしまった。


2001年04月17日(火) いざバリ島

産まれて初めての海外旅行。
しかもバリ。

私的には、日本語が余裕で通じるハワイあたりから
ジワジワ攻める気だったんだけどにゃ。
まあいっか。

海外旅行経験者のyouちゃんにあれこれ聞きながら
どうにかこうにか出国!

バリについたら、すっかり夜だった。
飛行機を降りると、一気に湿気が体中を包んだ。不快ではない。
なんか、夏休みの匂いがする。

私が最も気合をいれていたのが
『ポーターに荷物を運ばせない』ということ。

荷物をほんの数メートル運んでアホみたいに高いチップをねだる
ポーターが常時いるらしい。
・・・なのに
「○○ツアーの方〜、どうぞ〜」
と日本語でにこやかに荷物を運んでくれるバリ人。
頼んでおいたガイドの人かな???と思いきや・・・
悪徳ポーターだった・・・。
「シェンエン、シェンエン(1000円)」
と言う彼らをギラリと睨んで、
「この国の相場でそれは高い!こちとら分かってんだよ!」
と、つたない英語で一喝し、100円を渡した。(たぶんこれでも高い)

空港を出たとこで、本物のガイドさんと合流。
ポーターの件でバリ人恐怖症になってしまった私達。(繊細でしょ?)
でも、とっても素敵な笑顔のスパ(ガイドさんの名前)
に癒され、車に乗りこむ。(単純でしょ?)

大阪の西成(ニシナリ)にホームステイしていたという
スパくんは、日本語お上手。
白い歯がまぶしいわっ!

ホテルに到着。
東南アジアは初めてということで、よく事情がわからない私達は
最高級ホテルを予約していた。
日本語通じるだろうし、
不便がないだろうと思って。

キーーーレーーーーイーーー!!!

ホテルっていうか宮殿やーーーん!
ロビーはお寺のようで天井は果てしなく高くて
夜だから余り見えないけど庭は莫大に広い。
すごいぞ、バリ。

お部屋もプリティ。韓国とハワイに行ったことのあるyouちゃんが

「今までの海外・・・ううん国内も含めて、こんないいホテル
泊まったことない・・・」
なにいいい!
じゃあ私は,初の海外にして最高のホテルを知ってしまったのね・・・。
後が怖い・・・
まあそんなこたあ、どおでもいいわ!
あ〜、明日から楽しみだぞ〜!


2001年04月16日(月) しゅん太郎

「明日っから、がちゃ子はバリ島かぁ〜、いいなあ」

「あ、22日の12時に関空に帰ってくるから」

「日曜日は、俺サッカーの試合に行くから迎えにいけないも〜ん」

「…じゃあね」

すごく嫌な電話の切り方をしてしまった。

付き合いはじめたころは私が千葉へ出張に行っただけでも
死ぬほど淋しがってくれたのに・・・。

平気なのね。
付き合って1年たつとこんなもんなのか。

スーツケースにぎゅうぎゅうと荷物を詰めこみながら
頭がボウッとしてきた。

楽しもう。


2001年04月08日(日) てれぱすぃ

「2.3時間もあれば
 仕事終わると思うから」

そう言い残してハム男は出ていった

すぐさま私も着替えをして
外に出る

天気もいいし、
ここからだと電車1本で行ける

お寺にいこう、と思った。

そこに私の子が眠っているわけではないけれど…

そこは関西でも有名な安産のお寺で
もちろん、水子供養の場所もある。


お寺につくと、久しぶりに天気が良くなったせいか、
妊婦さんや、子供を連れた人でごったがえしていた。

その人達の目線を気にしつつも
『水子供養』と看板がかかっている一画へと入る。

100円を箱にいれ、お線香を取る。

お線香がいっぱいたてられているところ
(なんていう名前なのかしら?)
に、立てようとしたら、
強く押しこまなかったせいか、倒れてしまった。

あわてて直そうとするが、周囲の線香が手にあたり、
火傷をしてしまい、どうしても拾えない。

仕方なく、そのままにしておいて、
小さなお堂にお金をいれ、手を合わせた・・・瞬間!

携帯が鳴った。ハム男。

「どこにいるの?」
「あ・・・の・・・、ちょっと散歩・・・」
「俺、今仕事終わったから、がちゃ子も帰っておいで」
「うん」

こういうのをムシの知らせだと言ってもいいのだろうか。

本当に驚いた。

お寺に行くことは彼には内緒。
私が気にしているということを
彼には気にしてほしくないから。


2001年04月02日(月) 中絶サイト

そうだ・・・どうして思いつかなかったんだろう。

検索サイトで「中絶」と入力してみた。

予想よりはるかに多い情報が目に飛び込んでくる。

私が中絶した時は、会社を辞めた直後だったこともあって
パソコンと全く縁のない生活を送っていた。(家にパソコン無いからね)

だから、情報を欲しいと思ったら
本屋に行き、避妊に関する本の
「避妊に失敗した場合」という項目のところを立ち読みするしかなかった。

手術の半年後・・・12月に派遣社員となり、事務職についた。

そして、またインターネットを見れるようになったので
検索をしてみたのだ。

涙がとまらない。

前向きな人も、少し落ち込んでしまった人もいるけれど、
同じ「中絶/命の尊さ」という一つのビジョンを持った人達が
優しく言葉をかけあっている。
そんなホームページが沢山ある。

まさに私があの時言って欲しかった、言いたかったことが
あふれそうに書かれている。

一番衝撃だったのが、
「春名寺」さんのホームページ。

『天国へ行った赤ちゃんは、
どうしたってお母さんを愛することしか
できないのだから、自分を責めるのはやめなさい』

最近急に襲ってきたとてつもない罪悪感に絶えられず、
いっそのこと狂えたら・・・と思っていた。
そんな脳ミソに、さらさらの冷たい水を流してもらった気分だった。

愛してくれているの?
私のことを?

そして、インターネットでご供養をお願いした。

本当に嬉しかった。
形式が大事なわけじゃないけれど、
これでちゃんと春名寺さんからのお経と一緒に、
天国の子に私の声が届くような気がして。

今度、私のところにきてくれたなら
私が死んででもあなたを産むから。

私も、愛してる。
本当よ。
愛してるわ。

誓えるもの全てに誓います


2001年04月01日(日) 今ごろの罪悪感

中絶した瞬間やその前後、
私は「無」といっていいほど
何も感じていなかった。

ただただ
「早く手術しなくちゃ、まだ形になっていないうちに
出してしまわなきゃ」
と焦っていた。

「命」として考えていなかった。

確かに泣いたし、反省もしたけれど本当にあっという間に
全てが終了してしまった。

なのに

最近になって、
聞こえない音楽を聞かされているように
突然、罪悪感で心が勝手にしぼんでいくようになった。

道を歩いている高校生や若い人たちを見て
「本当はこうなるために、スタート地点に立った子を
私は無理矢理、遠いところへ追いやってしまったんだ」
と考えたり、

ハム男にあまり意見を聞かずに、1人でつっ走って処置してしまったが、
ハム男は本当は産んで欲しかったんじゃないのか?

だったら、どうしてそう言わない?
やっぱり産んで欲しくなかったんだ。

と、もう支離滅裂というか、

とにかく誰かにあやまりたいような
とにかく誰かに許してほしいような
とにかく誰かを責めたいような

去年の夏に感じるべきだった感情が、
利子をつけて今襲ってきたという感じだった。

来月、本当は産まれるはずだったから?
もっと反省しろって言ってるの?
もっと重い十字架を背負えって言ってるの?

私は、一生、謝りながら生きていくの?

ごめんね ごめんね
私は弱すぎて
あなたの命と真正面に向き合うと
とてもじゃないけど普通でいられなかった

いいよ。もういいよ。
私の心を壊してしまっていいよ。
一緒に落ちていこうね。


がちゃ子 |偽写bbs

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