遠距離M女ですが、何か?
井原りり



 歪んだカラダ

通夜だ。


左右対称についている喪服の家紋が、着てみると、てんでちぐはぐな位置にある。


喪服以外の格子柄なんかを着た時も左右対称が崩れるので、あたしの着付けのくせなんだ、と思っていた。


黒地の中にたった二か所だけ白い前身頃の家紋の位置がこんなにちぐはぐじゃあ、みっともなくていけないやい。


子どもに確認させるが、背中心は合っている。


なぜに?


カラダが歪んでんじゃない?

と子どもがいう。


案外、それが結論かもしれん。




2004年01月23日(金)



 不謹慎な悦楽

最近の葬儀屋は結婚式場の業者がやってるせいもあるが、居心地抜群。

病院まで寝台車が迎えに来て、自宅には寄らずに葬儀屋に直行。

そのまま遺族室で寝泊まりして、とむらいの始まる1時間前にチェックアウトする。


ま、7年前に父親のとむらいをやってるから学習ずみ。


明日が友引だから、あさってまで一人っきりでお泊まりさ。

近所に住んでる読者に、お酒持って遊びに来てほしいくらいだ。


昨日は夫がワインを2本持って泊まりに来た。


正月のヒメ始め以来の、えっちをベッドルームで堪能した。


バスルームが一流ホテル並みに豪華なのはいいが、シングルベッド2つのツインルーム。


狭いベッドに二人かさなって眠った。







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2004年01月22日(木)



 逝って

昨日の夜、毎度のことだが、もう病院の入り口は閉まっていて、警備員とインターホンで会話して母の病室にいったわけだ。


普通、病室には患者の名札がかかってるわな。


患者のそれぞれの名前の上に 1.5cm 四方くらいの小さなアクリル板が貼ってあって色が黄色だったり、赤だったりするんだ。

名前の上にもビニールテープの色でなんか区別してんだな。


うちのおかんは、黄緑色のビニールテープのかけらが張り付けられてて、アクリル板のほうはずっと黄色だった。


隣室のふさばあちゃんはずっと赤のまま。


これってまさか、死にそうな患者は赤いわけ? とか思ってたけど、誰にも聞けない。


で、いきなり昨夜は赤いアクリル板になってんじゃん。


をいをい、いよいよかよ。


てなわけで、いよいよだったさ。


あたしが見てる前で息が止まった。


ずっとそばについててやってよかった。







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2004年01月21日(水)



 壊れたカラダ

病院の近くにはなんと、ヴィレッジ・ヴァンガードがあるので、内心あたしはうれしい。


職場から直接、病院に泊まりに帰る晩など、つい寄ってしまう。


三浦悦子なんていう人形作家は知らなかった。


四谷シモンはもう旧世代だよな。


ぞっとするほど美しい人形は、どこか歪んでいたり、壊れている。


その壊れ方が、ドキドキする。








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2004年01月20日(火)



 膿を出す

朝一番で歯医者の予約を取る。


最近は急な電話でもOKだったりする。

開業当時より、客が減ったのか?


この歯医者も同じ高校の同じ学年だったやつだ。

子どもがまた同じ中学に行ってたりするんだがな。やだな。


歯茎がぱんぱんに化膿している。

「麻酔を打って、膿を出しましょう」


痛みはないが、聴覚は敏感になる。

しゃ、ぐにゅ、ぶちゅ〜っという音。


もう仕事なんてできないや、と思うほどだったが、膿って出せばすっきりするんだな。

固いものさえ、噛まなければ、もうOKだ。


K谷くん、腕上げた?





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2004年01月19日(月)



 雪のまたの日


野分のまたの日、ならぬ、雪のまたの日。


終日、病院の駐車場で凍えていたあたしのクルマ。







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2004年01月18日(日)



 雪の日


3年前の1月第3土曜も、こんな雪だった。


たまたまデジカメ持って外出し、たくさん画像を撮ったのでよく覚えている。


今日は一日中、病院の中にいた。

奥歯のまわりが腫れ、うずいてつらい。


寝不足が続くとてきめんに、雑菌が暴れだす。


週末があけるのは、いやだが、月曜日この病院の歯科にかかろうか。





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2004年01月17日(土)



 ゆっくりと



ゆっくりと


ゆっくり、ゆっくり


うっすらと


うっすら、うっすら


ほこりがつもる


誰もいない家に



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2004年01月16日(金)



 着信ナシ

病院から出勤している。


勤務中は携帯の音は鳴らない。


帰宅する時、クルマの中で携帯を見る。

親の病院からはもとより、どこからも着信はない。


「まだ、生きてんのか」


と思う。


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2004年01月15日(木)



 屋上



病院の屋上に洗濯室があって、コインランドリーになっている。


洗濯物は屋上に干してもよい。


今まで何度も、同じ病院に入院しながら、洗濯は全部、自宅に持ち帰ってすませていたから、一度も屋上には上がったことがなかった。


行ってみるものだ。


高い場所から自分の町をみると、気持ちがかわる。



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2004年01月14日(水)



 喪服は妄想服

肺炎で入院中の親の容態が悪い。

一時は意識不明だったが、今は輸血と点滴でなんとかぜいぜいと、息はしている。

依然として、虫の息ではある。

危険域は脱したものの、おそらく治癒して退院することはない、と思われ……。


7年前に父が死んだ時、母はずっと枕元に付き添い、葬儀屋の用意した宿泊施設からは出棺まで一歩も出なかった。


妊娠中だったわたしは、呆然としたままの母にかわって葬儀の一切を仕切り、気楽な洋装で弔いをすませた。


今度という今度はきちんと喪服を着なければ、な。

自分で帯もしめねば、な。


母親はその後何度も入退院を繰り返したが、一度、神妙な顔付きで、もしもの時は、父の弔いの時のようにばたばたと準備に駆けずり回ったりせず、片時も亡骸のそばを離れないでくれ、と言われた。

薄情で親不孝な自分であるから、最低限、この願いに背くわけにはいかない。


さて、喪服をどうやって準備したらよかろうか。

看護婦(あえて、看護婦、な)からすぐに来いという電話が来たとき、最初に思ったのはそのこと。


でもまあ、その後、容態はもちなおしたから、自宅に洗濯しに戻ったついでに準備。


実家の鍵さえあれば夫でもわかる場所に、たとう紙に包んだ喪服と小物、草履。

その近くにそれらを全部入れるデパートの大きな袋。



嫁入り支度をこしらえてくれた親のために着るのが、初めて着る時になる。


しかし、年寄りって寒い時期によく死ぬ。

絽の喪服は一生、着ないかも……。


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2004年01月13日(火)



 あたしは鳩




いはらの選んだ指輪は少し変わっている。

左手の薬指にはめるには……?!


むしろ、鳩の脚にこそふさわしい。


由緒正しきレースに出る鳩の所有者を証明する、あの脚環。


りりの所有者は、いはらである。



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ばーちゃる本屋


2004年01月11日(日)
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