ここにきてシスアドの勉強がペースダウン。あぁ…。 しっかりしろ、わたし。あと19日。
仕事でなぜかVisualBasicを使うことに。 自分のことは機械設計屋だと思っていたら、 いつの間にかプログラム屋に…。 まぁ、いいや。広く浅く。
派遣でオフィスワークがしていたいので パソコン使えなきゃ生き残っていけないだけで、 PCはけっして得意じゃないしどちらかというと嫌いだ。
よく求人条件やアピールポイントで 「PCが得意」とか「このソフトが使える」とかいう 言い方があるけれど、あれはちょっと変な感じで。
PCや特定のソフトが使えることは 目的ではなく手段にしか過ぎないんだよね。ただの道具。
自分が目指すものを完成させるのにそれが必要であれば、 触ったことがなくても使うしかないのだ。
大きな一つの仕事をする中で いろんな道具を使うのはあたりまえで。
「カナヅチは使えるから釘打ちはやりますが コテは持ったことがないのでパテ塗りはしません」 とか言ってたら家は建たないわけで。
釘の打ち方ばかりいくら追求して完璧になっても 永遠に家は建たないし。
そう思うとPCとの付き合いは広く浅くから始めるしかない。
より理想通りの家を建てるためには広く深く。
で、こういうふうに話をもっていくと 大きく“仕事”という概念で、話はPCの域を出て 「じゃあ、営業もできなきゃいけないじゃん」 「経理もできなきゃいけないじゃん」 と、なっていくわけですが。
そこまではしませんが。いや、したいんですけどね。 自分で一から十までできる小さな会社を設立するのは夢。 まぁ、そんな話は置いといて。
どの程度分業するか、どの程度自分で抱えるか っていうのはけっこう難しいところじゃないですか?
逃げようと思えばいくらでも逃げることができるし、 手を伸ばそうと思えばいくらでも抱え込むことができるし。
まぁ、そんな感じで。 私はやりたがりなほうなので、つい、やっちまいますが。
だけど、器用貧乏にはならないの。器用富豪になるの。
理想論で強気に書いてみましたが 「なにこれぇ…カタカナばっかりで、や〜ん(;_;)」だし、 いくら仕事で必要だからって Englishの勉強なんかは遅々として進んでなかったりします。
でも、がんばるの。自分に念押し。
2003年09月29日(月) |
「そんなん、人それぞれやん」 |
私が19のときお世話になっていた派遣先にいた 当時29の同じく派遣のお姉さんが、何かの折にふと
「平等とか公平なんてありえないのよ…」
と漏らしたのであって、私はそれがいつまでも忘れられない。
当時の私はといえば、まだ学生に近い歳だったわけで 学校というのはまだ正義がまかり通る社会であって、 まぁ家庭やバイト先ではそれなりに理不尽な思いもしてきたが
「本当に正しいことをきちんと伝えればなんとかなるはず…!」
という思いでもって心の中でお姉さんに反発したわけです。 そう反発しながらも、お姉さんはこれまでの社会人経験の中で いろいろな出来事を通してそれを悟ってしまったのであろう ということは感じていたわけで、感じながらそれを無視したわけで。
26になった今の私はというと
「どうせキレイゴトなら言わなきゃいいのに」
と口にしてしまうほど世の中にどっぷりで。
19当時同じ職場にいたT氏が今、言うには
「楓菜さん、あなたは最近すっかり丸くなって あの頃いちばん嫌っていた大人に近づいているようだけれど、 例えキレイゴトだとわかっていても理想論でも 言葉や行動にしなければ世の中は変わっていかないんじゃないかなぁ。 例えば『男女平等』なんてキレイゴトだと割り切って 誰も何も主張していなければ、きっと今でも女性には参政権なんて なかったかもしれないし…。ゆっくりでも変えていかなくちゃ」
とのことで。私は時々こうやって心を引き戻される。
今の私しか知らない人にはちっとも丸くは見えてないだろうけどね。 かなり表立って主張しているほうの人種だと思うし。
少し話はズレるが、最近の私は
「そんなん、人それぞれやん」
という言葉をよく口にするらしく、
「世の中にはいろんな立場の人・いろんな考え方の人がいるから ある一つのコトに対してどういう意見を持つのが正しいとは 一概には言えない」
という意味なのだけれど。それはけっして
「だから主張することには意味がない」 「だから主張に耳を傾けることには意味がない」
ということではなく、
「だからこそ自分の意見は主張しなくちゃ伝わらない」 「だからこそ想像力を駆使して様々な思いを推し量ろう」
というつもりなのだ。自戒を込めて。
生きやすい世の中って何だろう…?大人って何だろう…? そういうことを考えるのは青臭いことでも恥ずかしいことでもない。
今日書いたことは、うちの日記を流れる大きなテーマなのかも。
今、moveのプロモを流してるんだけど カッコイイよーっ! o(>_<)o Favorite Blueを捨てやがって、木村め〜! とか少しばかり思いながらね、見てますが。 はぁ…やっぱイイっすよmove〜♪ 誰かカラオケでラップやってくれる男性は いませんかねー? globeぐらいならできても、moveはキツイよ。
The gardensが聴きたいんだけど、 所持してるはずのアルバムが見つからない…(;_;) もう活動してないよね?もう手に入らないかなぁ?
音楽の話題でこんなこというのもあれですが、 おじさまにプロデュースされる若い女性 という関係は何やらセクシャルで好きですよ。
男性が風俗店に行ったときの話題などを聞いてしまった女性は普通、
「やだ!わたしの彼氏もやっぱりそういう所へ行くのかしら!?」
という方向へ心配を募らせるのであろが、今のわたしのとっちゃあ そんなことはわりかしどうでもいいことで。どちらかというと、
夜は女を金で買うのが当たり前だという連中を相手に、 昼間社内で女性社員の正当な扱いを求めるというのは可能なものか?
という心配の方が先立つ。
2003年09月26日(金) |
同情も愛情も大差ないよ |
英語と中国語の勉強をしようと思って入手した ポータブルCDプレーヤーで、早速音楽聴きまくりです。
いつだって道具は何も悪くない。使う人間が悪いのさ。
自分の耳の穴が小さいのか形が悪いのかして イヤホンが引っ掛からないということをすっかり忘れていましたよ。
メルマガに組み込まれてた星占いを見てしまった。
来週の獅子座:同情から恋が始まることも…
あたしゃ来週いっぱい同情引きまくるよ。 力一杯メソメソするよ(うっとーしいなぁ!)
どうでもいいけど、こないだの休みに母の病院へ行って。
母「あんた、まだ前に言うてた彼氏とつきあってんの?」
私「うん。なんで?」
母「あんた、コロコロ変えるから(笑)」
…そぅ?もう六年目なんすけどね。コロコロって言われてもね。 その前の人も三年ぐらいはつきあってたけどね。
二人や三人や四人遍歴が発覚したぐらいで “恋多き女”レッテルが貼られるなんて、あたしゃ芸能人かよ。 女優よ、女優っ!顔はぶたないでっ!…もういい。
恋愛なんて長けりゃイイってもんでもないしね。 耐えて耐えて騙して騙して熟年離婚してたんじゃ世話ねぇよバーカ。
あー…ちょっとスッキリした。
わー。やってもやっても、仕事、終わんねーぇ。
トランスだよ、トランス。恍惚って…あぶねー。
自分の価値観が確立していると、生きていくのに甲斐がある。
情報を持ちすぎて振り回されるバカよりは、
情報を何も持っていないバカのほうがいい。
それでもわたしは、いろんなことを知りたいけれど。
大丈夫、今のわたしなら。
自分のことすらわからない人が安心するためにある王道のレール。
逆らうこともなく、しがみつくこともなく。
“自由”に比例する、“孤独”や”責任”も抱えていける。
少し、何かが見えてきたのです。
季節の変わり目だから、とりあえず風邪だよね。 こういうとこ、予想を裏切らない私の身体っす。
こういう雨の日に限って外に出る仕事が多かったり。 っていっても、敷地内の建家を移動するだけだから 折りたたみ傘広げるの面倒さに全力疾走して足首を ヒネったりしてます。ヒネてるのは性格だけでいい。
2003年09月23日(火) |
読書の秋(あんた、年中やん!) |
乳液をつけた状態でフと思い立って『ALONE』(岡本真夜)などを 歌いだしてしまい、ファンデをつける頃にはすっかり顔が乾いて しまっていたりする今日です。
秋物の服を着ただけで物悲しくなるという、単純一直線ぶりを発揮。
ちと、最近触れたものでも並べてみませう。
いつも読んだ本とか聴いたCDをここに書いていて、 かといってたいして感想は書かないのですが。
別に汐が触れたものを知ったからといって何の得にもなりゃしませんが、 生活範囲が同じなあなたは「それ持ってるんなら、貸して」ぐらいの ことは言えるので、やや得かもしれません。
− 本 −
『絵のない絵本』(アンデルセン)
んー…今のわたしにはさっぱりわかりませんでした。 また、人生のどこかで読み直す機会があるかも。
『これからはあるくのだ』(角田光代)
エッセイ集ですね。彼女の小説で何か読みたいのがあったような… あぁ、そうだ。文庫化を待っているのだった。
単純に笑えるエッセイもたくさんあったのだけど、中には 実際にそれを経験したときは悲しかったりムカついたりしたけれど 時間を置いて、笑い話として書かれているものもあって。 すいません。その手の話はあまり笑えませんでした。 読んでるわたしのほうが、たぶん本人以上に腹が立ったりしてしまった。 表題作とか、けっこうキツイです。感情移入しすぎなんだろうか、私。
『わたくし的読書』(大田垣晴子)
大阪について考察しているページがあって、 「やっぱ私、大阪向いてないかも…」と改めて思ってしまった。 そんな今日の晩ご飯は、たこ焼きでしたが(え〜?)。
この人、ぜったい下ネタ書いてるときのほうがイキイキしてるような…。 内容の深さと、どう見てもヤラシク見えない絵のタッチが良いバランス。
『げんきですか?』(田村みえ)
「新しく本棚を買ったのでお祝いに何か寄越せやコラ」的なことを言って 人から貰った(巻き上げた)小さな絵本。ラブリーにもほどがあります。
− CD −
『ILLUMINATE the very best songs』(UA)
買ったけど、まだ聴いてません。楽しみです。 『情熱』に出逢ったときは、衝撃的だったなぁ…。
『HALCALI BACON』(HALCALI)
買ったけど、まだ聴いてません。やや楽しみです。 ケースの向きが普通のヤツと逆向きなので気持ち悪いです。勘弁して。
『逆手に取る』
言葉にすると 少しウソになるでしょう
簡単に口にすると 重みがなくなるでしょう
だから どうしようもなくなるほど成長する前に
あなたに伝えて 壊してしまおうと
「好き 好き」
ほら こんなに容易く言えちゃうくらいだから
たいした想いではないでしょう?
*** *** ***
…なんだろうなぁ。 ときどき無性にこういうのが書きたくなるのは。
私の中の、毒を出している感覚。
乙女な思考回路というのは、汐の中に確実に在って。 だけど、それは汐にとっては必要ないわけで。
私の中に在ってはならないものが血管を流れている感じで、 ものすごい異物感。気持ち悪さを抱えるから。
体内の毒素を、吐き出す感じ。なのだけれど。
早く解毒剤をみつけないと、分裂してしまう。
さーて、さて。 そんなこんなで、ちょい前の即ゴル。
これ、たぶん誰も気付いてくれてないけど 汐程度のやつが言葉遊びに気を取られると こういう結果になるという見本ですなー…。
タイトル提供は、かむらさま。
*** *** ***
『朝のこない団地』
朝のこない団地で 浅子の旦那市
井戸はないけど 井戸端会議
旦那 けなす 息子 ほめる
旦那 けなす 息子 ほめる
所詮 血の濃さ愛なんだ
打算な愛の故地 朝の来ない団地
今日は映画『ロボコン』と、 舞台『グルービーデイズ・マリオ!!』のハシゴ。
念のために言っておくと、 ロボコンはあの赤い彼が出てくるやつじゃないよ。
汐的にはどっちも大当たりで良き一日でした。 良質エンタ堪能。頭がめいっぱい遊んだ感じ。 お時間があれば、ぜひぜひっ!
ロボコン↓ http://www.robocon-movie.com/index.html グルービーデイズ・マリオ!!↓ http://www.peacepit.com/
なんかね。 いろんなことひっくるめて楽しい一日だったのです。
時間の流れ方が。しあわせだったのです。やばいくらいに。
2003年09月20日(土) |
セミが鳴くような名の店で(丸わかり) |
昨日は数名で中華を食べに行ってました。 あぁ、中華と言ってもグルングルン回るようなところじゃありません。 よくあるチェーン店です(ちなみに王将ではない)。
また、よくあることに ナス味噌炒めに小さな虫が入っていたんですね。
フロア担当の若い女性店員に報告するじゃないですか。普通に。
「あの〜、虫が入ってるんですけど」
「あ」(とつぶやいて、皿を引き下げる)
本当にそれだけだったんですよ。彼女のしたことは。謝るでもなく。 そして、少しあとで調理場の男性が謝りに出てきたのです。
おい、女、謝れよ!
と、まず至極普通にムカついたわけです。
いっしょにいた友達がものすごく怖い顔をしてフツフツと怒りを 抑えていたのが怖くて怒りそびれたようなところがありますが。
で、そこから。いろいろ思ったのですが。
まず、彼女は悪気があって謝らなかったのか? たぶんそんなことはないと思う。そういう感じではないと。
確かに彼女は接客に向いてない。 そういう時はとっさに無条件にちょっと大げさなくらい謝っておけば 事態は丸く収まるのだ、ということをわかっていない彼女は向いてない。
ただ、“悪いことをしたら謝る”という感覚そのものが あまり染み付いていないだけなのではないだろうか。 それは店の教育云々ではなく、もっと子供時代に遡って 親の教育であったり、友達との係わり合いであったり…。
ん?悪いことをしたら謝るって、 そもそも彼女は悪いことをしたのか?
虫は上に乗っかっていたという感じではなく、 明らかに調理中に紛れ込んだように入っていた。
彼女が調理したのではない。 既に虫が入ったものを、そうと知らずに渡されて運んだだけだ。
そして調理中にミスをおかした調理師は、ちゃんと謝りに出てきた。
…それでいいじゃないか。どこに問題があるんだ。
“フロア担当は、客に接する位置にいる者なので店の顔である。 だから、店の中の他のあらゆる分担をしている人を代表して 振舞わなければならない”
というような感覚が私たちには染み付いているけれど、 果たしてそれは正しいのか?
店や会社というものは、そういう連帯責任のものとして あたりまえのように存在してきたけれど。
私にもいちおう接客経験はあるので、 理不尽なことで謝らなければならない気持ちもわかる。 自分の努力や心がけで防ぎようの無い事態を 代表して謝らなければならないどうしようもない気持ち。
もともと個人主義の強いタイプであるし。
彼女の仕事は、なんなのだ? 彼女の時給に含まれている、最低限の仕事は。
オーダーを取り、調理場から客席へ運び、会計をする。
そこまでか?
自分以外の店員がしたミスを謝るということは業務内容に入っているのか? 自己判断にゆだねられるグレーゾーンになるのか?
そもそも、飲食店の役割というのは、なんなのだ? 雰囲気重視の高級料亭でもない町の飯屋の、最低限の役割は。
注文された料理と、食べるスペースを提供する。
そこまでか?
客が気分良く過ごせるように配慮するということは役割に入っていないのか? 店の方針にゆだねられるグレーゾーンになるのか?
あぁ、なんか、そういうようなことをキュルキュルっと考えたり。
まぁ、私は明日からも普通の社会人として 誰かの代わりに謝ったり謝られたりしていくんだけれど。
とりあえず今は、それで、いい。
ふと思ったんですけどね。
なんだかんだ言って汐は、
普通だと12時間ぐらい会社にいるわけです。
で、往復に2時間。睡眠が6時間。
そうするとですよ。
12+2+6=20
“家と会社の往復で一日が終わる”
っていうのは、こういうことなのか。と。
仕事好きだからいいようなものの
愚痴りながらやってたら、人生は地獄だ。
「仕事は、生活と趣味の金のために割り切ってやるものだ」
って言う人もいるけどさ、
仕事は楽しいに越したことはないと改めて思った。
一日の半分も自分を殺してたんじゃあ
死んでる自分と生きてる自分と
どっちがほんとの自分だか、あやしいもんだしね。
「“渋々こなしてる”感が大人っぽくてカッコイイ」
とか、しょうもない気取り方してる間に
ほんとにつまらない毎日になってくんだよね。
定時で切り上げても一日の三分の一なんだし。
まぁ…時間の長さで計れることばかりじゃないけど。
そんなことより。
毎日地道に会社帰りの道で手なずけている猫。
昨日、見かけたので呼んだら「にゃっ」って走ってきて
その後ろから子猫が3匹、テテテテ…ってついてきたのです!
親はすぐ擦り寄って甘えてくるのですが
子供たちはギリギリ手の届かないところで少し遠巻きに
「みゅ?(おかあさぁん、この人間はこわくないのー?)」
と言いながら見ておりました。
あまりの愛らしさに悶絶死するかと思いました。
自分の前で誰かの悪口を言っていた人は 他の所で自分の悪口を言っているだろうから信用できない。
って、よく言うけど。
じゃあ、事勿れ主義の人だって 自分と喋ってるときの笑みも大方愛想笑いなんだろうから 信用できないってことだよなー…と思いました。ふと。
いや、私もするんですよ。愛想笑い。頬が筋肉痛になるくらい。
みんなが本音で意思表明しながら生きてちゃあ 世の中回らないだろうし。自殺者も更に増えるだろうし。
ん〜…だからなんなんだ。兎角この世は生きにくいってことだ。
ここんとこ何故、何を書こうとしても思考回路がダークな方へ 行くのかと思ったら、そういう時期だから仕方がないんだった。
ここ二ヶ月ほど漢方薬が効いているおかげで安定剤を飲まずに 済んでいるんだけど、漢方薬もこれまた中途半端な効き方なので ワッと泣くほど鬱大爆発にもなれず薄ぼんやりモヤモヤとダークだ。
この時期に書くものも、それはそれでウソじゃない。
朝、出かける間際にクモを見つけてしまい、殺生にあたふた。 彼氏は寝起きだからボーっとしてるし。
無事、仕留めたのですが 家を出る時間が少し遅くなってしまい、駅までのチャリは激走。
「ちくしょう…これで事故って死んでもクモの糸は垂れてこないな」
などと無駄に芥川に思いを馳せながら漕いでおりましたとさ。
阪神は優勝したらしいけど、ダイブしたキッタナイ体で 電車に乗って座席に座んなよ?と思っていたら、 近辺の風呂屋もダイブした人の入浴お断りの張り紙したらしい。
やだ…もう電車乗りたくない。
根っから大阪人の汐でさえ、連日テレビ等で 阪神&吉本の強力タッグを見せられ続けて辟易してるぐらいだから 他地方出身者のツラサたるや察するに余りあると思われますが…。
何が嬉しくてこんな“下品・汚い・無神経”しかウリのない 大阪にわざわざ来てるのかなぁ…わたしゃ未だに馴染めません。
かといって、けっして汐が御上品なわけではないですけどね。
2003年09月15日(月) |
仕切り板がイッパーイ |
最近はアンデルセンの『絵のない絵本』を読んでいたのですが、 さっぱり理解できませんでした(*_*)
今日は通販で買った本棚が到着。今から組立っす。 本を並べていく作業は、結構、快感。
ちょっと前の即興ゴルコンダ↓お題はムーリンさま。
*** *** ***
『ぴくるす』
いつつ:おおきなくちのぴえろがこわくてないた
あまい けちゃっぷは だいすき からい ますたーどは がまん すっぱい ぴくるすは だいきらい
12歳:“pickles”は「胡瓜の酢漬け」と訳すように教えられた
甘い ケチャップは 大好き 辛い マスタードは 苦手 酸っぱい ピクルスは 大嫌い
19歳:色彩心理学によると赤と黄色は食欲をそそる色だと習った
甘い ケチャップは 相変わらず大好き 辛い マスタードは 少しわかってきた 酸っぱい ピクルスは やっぱり大嫌い
2003年09月14日(日) |
近くで見たら肌は確実に… |
最近どうも「学生さんですか?」と言われたり 年齢確認されたりすることがちょくちょくある。
やばいです。汐、26歳。 私の中で何やら逆行しているらしい。
小四にして「短大生ですか?」と言われ老け人生を歩んできたのに、 “若いときに老けて見られていた人は、歳をとってから若く見られる” という定説はまんざら嘘でもないらしいです。
っていうか、化粧しろってことか。
クロノスの塔
クロノス ギリシャ神話に登場する 時間の神 後に 農耕の神となって 人々に 多くの農壌と幸福 を もたらした
河合隆三
…神様って転職できるんだぁ。へぇ〜…(-_-;)ノ"Ω (そんなことより“を”から改行してるのが気持ち悪いです)
さてさて、そんな今日ですが。
ノッポさん@できるかな こと 高見 映(たかみ えい)さんの 講演会があったのです。in エスパスフェリシモホール。
というわけで、ちょっくら神戸のほうへ行ってまいりました。
例によってやたら早く最寄り駅に到着してしまった挙句 飲食店も見つからず、公園で時間潰し。気持ちの良い気候で良かった。
駅の売店で菓子パンとアイスの実を購入し、 大きな噴水近くのベンチで一時間ほど過ごす。
ベンチにこんなオブジェのあるあたりが、神戸というかなんというか…。
会場の入り口では大きな猫が、触られ放題でノタ〜ッと寝ていました。
高見さんはもうノッポさんを終了されてだいぶ経っているし 今は俳優や絵本作家やいろいろな活動をされているそうなので、
「ノッポさんがすべてじゃない。高見映として見てくれ」
的なジレンマがあるんだろうな〜…と思っていたら。
思いっきりノッポさんとして登場!
あの帽子!あの動き!客席後ろの扉から楽しそうにタップを踏みながら たくさんのお客さんと握手を交わしつつ前へ前へ。
す、すごぃ。プロのエンターテイナーだよ。 一瞬にして空気が変わったもの!みんな「きゃーっ!o(>_<)o」状態で。
客層は、私と同じようなできるかな世代の人たちが多くて。
高見さんは、芸能界に入って、何度か挫折して… やっと見つけたノッポさんという自分にピッタリの仕事を大切にするあまり できるかなを始めてから長い間、他の仕事を一切請けなかったそうです。
そして40歳前。
「自分にはノッポさん以外に何があるのか?何も無いじゃないか」 「いや、それで充分じゃないか」 「いやいや、そんなことはないだろう。良くないだろう」
という葛藤を自分の中で二年ほど繰り返し、 他のことにもチャレンジしていく決心をされたそうです。
守りに入っている間は「傷付くのが嫌で闘わなかった」とか 「“一生懸命やらない”という逃げ道を残していた」と言われたのですが、 その気持ちは痛いほどわかるなー!…と思いました。 汐もその種類の変なプライドの高さや引っ込み思案を持っていると思う。
そして活動の幅を広げることによって出逢いが広がって世界が広がって そこから学んだことを話してくださいました。
「本当に賢い人は… ダメなものはダメと突き返すけれど、良いものは良いとちゃんと認める。 上には上がいることを知っていて、一生懸命な人を馬鹿にしない。」
って。本当に大事なことだ。きっと歳をとるほどに、難しいことだ。
高見さんは、40を過ぎて活動の幅を広げられて それから自分の才能をいくつか見つけられました。
やはり「もっと若いうちからいろいろやっていれば…」 という後悔があって。
今の若い人たちにいろんなことを一生懸命やってみて 自分の才能を見つけ出すように、としきりに勧められます。
でも、同時に「始めるのに遅すぎることなんかない」とも。
50歳。
お腹が出てきたのが気になった高見さんは、 少し引き締めようと水泳を開始。 当初カナヅチだったのに、隠れていた平泳ぎの才能が見る見る間に開花。 著名な水泳のコーチたちから 「もっと若ければオリンピックで金だったのに…」とマジで言われ、 実際に開始からなんと半年で全日本大会の二位という成績。
…う〜ん。そんなことが、あるのね。
目指しているわけでもなんでもない方向へ、 思わぬところで思わぬ才能が見つかることも。
ちなみに25mは四掻きで行ってしまうそうです。
読書も大変好きだそうで。「始めは乱読する期間が必要で、 そこから好みを見つけ出していく」のだと。
それは、「若いうちはいろいろチャレンジして、 そこから自分に合った道を見つけ出していく」 という話と重なっているように思えました。
ちなみに汐は、そういう意味で義務教育期間は必要だと思っています。
「たくさん本を読むことは、世の中にはいろんな考えを持った いろんな生き方をしている人がいることを知る上で大切」と言われていて。
でも、あまりに“読書”を神聖化しすぎているように見えて 本をろくに読まない人をちょっと馬鹿にしてる(?)ような感じを 受けてしまったので、そこのところはちょっと閉口だったかも、です。 汐は読書は好きだけどね。
質問コーナーで「いちばん楽しいことはなんですか?」 というシンプルな質問に対して悩みに悩み、 「生きることは…つらいし苦しいことだと思います」という フォローのしようもないぐらいストレートな答えを出されたことに驚き。
「○○をしているときがいちばん楽しいですよ」 と、明るく言ってしまうことは容易かったと思います。
だけど正直、誰もがそんな楽しいことを持っているわけではないし、 楽しさは一瞬で過ぎてすぐ日常の不安に戻ってしまうことも…。
そういうことも込みで、芸能人っぽくない心からの答えだと思いました。
「『好きなことは仕事にせずに趣味に取っておけ』というのは どう思いますか?」という質問に対しては、 「仕事にしてしまうと確かに仕事ゆえの苦しさがある。 それによってそのこと自体を嫌いになってしまうのを恐れて そう言うのだろうけど、そんなことで嫌いになるくらいなら 最初から大して好きじゃなかったんだろう。 本当に好きなことなら、仕事ゆえの苦しみもひっくるめて 楽しめるはずだから」と。
それは正解かどうか、今の私にはわからないけれど。 私もやっぱり好きなことを仕事にしていたいな、と思いました。
とにかく今回は
「何もやらなければ、何もめぐり会えない」
という、シンプルなこと。
日々忘れずに生きているつもりだけれど、やっぱり時々こうやって 人から話を聴くことで背筋が伸びます。有意義な時間でした。
工作の時間もあったし。できるかなの裏話もあったし。ふふっ。
そうそう。ノッポさんはあのポンキッキの台本を 初回から十数年書かれていたそうですよ。へぇ〜っ!( ≧▽)ノ"Ω
2003年09月12日(金) |
潰れるまで「無理じゃん」と開き直らない |
いろんな立場のいろんな姿勢の人たちが、
同じ場所で一つのものに取り組んでいる。
“職場”というのは、本当に不思議で難しくて楽しい。
明らかな間違いは正していけば良いけれど。
たいていは“異なる”というだけで“間違い”ではない。
構成員は個人であって、それぞれがそれぞれで
役職や性別や雇用形態や扶養の有無だけではくくれない。
“傾向”というものは確かにあるが、それだけではない。
そんなこともわからない(わからないフリをしている)
自分の評価のためだけに部下を動かそうとする上司に
当たってしまうと、大変だろうなー。
例えば恋人同士でも、
「どうせ男は女のことなんか理解できるわけがないんだ」
と言い放って、最初から相手の心を引き出そうとする姿勢さえ
見せないとしたら、どうだろう。
「女なんてみんな似たようなもんだろ」
と言って、今までの彼女と同じ扱いをするなら、どうだろう。
仕事ができるだけでは、人の上には立てない。
役職に就いていなくても、
仕事というものは少なからず人を動かすことで成り立っている。
自分の考えと違うあの人は、“間違っている”わけではないのだ。
自分の思い通りにならないあの人は、自分と“異なる”だけなのだ。
今の自分の中には存在しないが故に理解することの出来ない
“別の考え方”を知っている人なのだ。
…まぁ、そんなことは職場に限った話ではないけれど。
そんな単純なことを、テンパってたびたび忘れてしまう。
それでも、そういうことも含めて
やっぱり仕事が好きなんだと思う。
2003年09月11日(木) |
所詮、剣には勝てないペン |
日々、思うところはいっぱいあるのですが。 どうもここ最近、何を書いても気に入らなくて。 大量の文章を何度も消している次第です。
昨日の午後から風邪のようです。
*** *** ***
即ゴル。ひさしぶりに票をいただけて、嬉しかったのでした。
あなたは、ピクルス、好きですか?
タイトル提供は、ムーリンさまです。では、どうぞー。
*** *** ***
『ぴくるす』
窓際の席で ダブルチーズバーガーをほおばりながら
「ハンバーグが嫌いなら
ハンバーガーを食べようとはしないだろう
だけど
ピクルスが嫌いなだけなら
ピクルスを抜くか 我慢するかして
ハンバーガーを食べればいい
つまり
人間関係ってそういうことだよね」
と 言った
あなたのピクルスは ちょっと理屈っぽいところ
わたしは抜くのも面倒だし 我慢するのもイヤだから
チキンタツタを食べるの
さようなら
昨夜、月の右下に寄り添っていたのは火星ですよね?
あれぐらい慎ましやかで明るい女性なら さぞや愛されることだろう…などと思っておりました。
そんな月と火星の下。
好きってわけじゃないけどメチャタイプの人 (↑そういうのって、あるよねぇ? (^^ゞ ) と、帰り道がいっしょになり、ラッキー♪
今まであまり仕事以外で話す機会はなかったんだけど、 家のこととか趣味のこととかいろいろ話してくれました。
とてもやさしい口調と少しの毒が好きだなぁ… と思いながら、相槌を打ちつつ歩くのでした。
少し遅いバースデープレゼントに添えられた手紙を見て、感動したり。
寝る前に交わしたメールがうれしくて、泣いたり。
派遣も一ヶ所に長くいると、大切な人たちもできてきてしまう。 泣かずに辞められるうちに次の職場へ移るのが理想なんだけど、もう遅い。
*** *** ***
ライコスがインフォシークになってアドレスが変わったので、 サイト内リンクを貼り直しました。 地味〜ぃに動いてるのに、何も増えたわけじゃないのが悲しい。
リンクしてくださってるサイト管理者様、 お手数ですが気の向いた時にでもリンク修正おねがいします。 しばらくは自動ジャンプしてくれるので大丈夫です。
…って、トップページに書くの忘れちゃったな。
今月は欲しいCDがたくさんあるなぁ。
うちは、彼氏と私で同じCDが欲しいと思った場合
それぞれに一枚ずつ買うあたりが
将来的に別れる気満々で、ちょっとどうかと思う。
同棲とか結婚とかしてる人たちって、
そういう時どうしてるんだろ〜?
あまり趣味が被っていないので、
なんとなく無駄が少なくて良かったと思う。
気持ちや時間を共有するのに比べれば
CDの共有ぐらいどうってことないだろうに。
今日は朝からとても楽しい日で
上がってしまう口角を押さえながら
ハイテンションに過ごしていたのだけれど、
19:30を過ぎると急にせつなくなって泣けてきた。
昨日あんな日記を書いたせいか、今日は コバルト文庫でも通用しないような チープで爽やかな恋愛劇の夢を見てしまい、 照れながら昼寝から目覚める。
勝手に夢に引っ張り出して 相手役をさせてしまった男性には 非常に申し訳ないことを… 事故だと思って諦めるが良いね(…身勝手さに絶句)
っていうか、すいません。 コバルト文庫はほとんど読んだ記憶がないです。 う〜ん…確か小学校半ば頃、 学級文庫にあったのを三冊ぐらいは読んだかも?
小学生ぐらいって、 冒険物と探偵物ばかり読んでたなぁ。
王道では、ガリバー・ホームズ・赤川次郎・ケストナー あたりを読み倒したような(作品名と作家名が混ざってるし)
で、三年生ぐらいまでは自分でも「冒険、探検♪」って言いながら 知らない町へずんずん行ってしまうような危険なコでしたね。
漫画はほとんど読まなかったし、テレビゲームもしなかったな〜。
そんな本を読んで、知らない町を探検して、 ハンダゴテ片手に前髪を焦がしながらロボットを作って、 男子とサッカーをしたり、将棋を指したりするような毎日でした。
2003年09月06日(土) |
“して”じゃなくて“してて”なのが、いい |
『ゆっくり片思いしてていいですか。』
雑誌『ダ・ヴィンチ』は毎月買っているけれど、 こういう柔らかい特集は久しぶりなのでは。
表紙の写真・フォント・色など いろんな質感が気持ちよくマッチして。
(っていうか、この表紙写真じゃ せっかく選ばれた本が何なのかわからなくて 宣伝にならないねー…という余計なお世話)
さて、片思い。
素敵です。
個人的には、両思いになる寸前ぐらいのところが いちばん好きです。
もう、お互いに好きなんだろうけど それをまだ言葉で確認していない段階。
なんか、その辺のところを。
答えを出そうとせずに、先を見ようとせずに 余裕を持って漂っていられればいいな〜…と思います。
「ずるい」とか「ぬるい」とか 「そんな恋は偽物だ」とか、言われてもね。
どうせ恋なんてどこまで行っても独りよがりな夢でしかないのだから。
2003年09月05日(金) |
へいほー♪ってちょっと楽しそう(…違う) |
いろんな人がいろんなことを教えてくれるから面白い。
今日は『孫氏の兵法』について教えてもらいました。
汐は戦物は嫌いだし、歴史物は苦手なので その存在は知らなかったのだけれど…(^^;
今度、書店で立ち読みして気に入ったら買ってみよう。 ビジネス書として面白いらしい。
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藤原力丸さんの掲示板でうちの日記が
「辛辣」
と書かれていましたが、あれは誉め言葉に違いない(断言)。
どんなにやわらかいペンネームを付けてみても 所詮、私の書く文章は私しか表せないということですじゃ。
などと言いつつ、即ゴルで書く詩なんかは さっぱり私のことを表していませんなぁ…おとーめとめとめ♪ (おかめ納豆CMのリズムで↑)
というわけで、今日もいってみよ〜ぅ。 タイトル提供は、セッカヤナギさまです。
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『てのひらこびと』
わたしのてのひらこびとと
あなたのてのひらこびとが
ぎゅっ
ぎゅっ
ぎゅっ
ぎゅっ
ぎゅっ
こいびとたちの hand in hand
こびとたちの hug
2003年09月04日(木) |
『ジーキル博士とハイド氏』(スティーヴンソン・著) |
『ジキルとハイド』を今更ながら初めて読みました。
「ジキルとハイドのように」という言葉はよく使う(?)けれど、 そういえば読んだことないなぁ…と思って。
ん〜…
人はそんなに悪を秘めていないと思う。
最近の少年犯罪などに関する意見で、よく
「近頃の子供は、幼いうちに 虫の羽根をちぎるとか蛙に空気を送り込んで破裂させるとか そういう遊びをちゃんとやってきてないから、 いい歳になっても“命を奪う”というのがどういうことなのか という感覚が掴めずに、安易に人を殺したりするんだ」
というようなものを見かけるのですが。
何言ってんだ、ばか。
虫やら蛙に対してそんな残虐なことをできるやつこそ、 いい歳になったら平気で人間を殺せるようになるんじゃないのか。
(↑統計はそんなこと示してやいないだろうが)
上記で言うところの虫や蛙というのは、 殺人の疑似体験としての扱いでしょう。
小さな疑似体験によって大きな殺人を食い止めることが できるというのなら、ゲームはどうなんだ。
「簡単に人を殺せるゲームが悪影響」
というのも、よく出た意見ですが。どっちなんだ。
そのゲームの死ぬ場面がとてもリアルに残虐なスプラッタなら、 疑似体験として機能するので、殺人には至らないということか?
…はぁ?何言ってんだ、私。
てな感じでわけがわからなくなってきたのですが、 何が言いたいのかというと。
“人間は底に残虐性を秘めているものなんだ”
ということが正当化されて書かれているように読めて、 この本からは嫌な感じを受けた。ということです。
“みんな本当はメチャクチャに壊したり汚したりしてしまいたい 欲望を持っているけれど、それを理性で押さえて生きているのだ”
なんてことにされちゃうと、困るわけです。
もし、仮に。
人間がみんなそういう欲望を底に持っているのだとしたら。
・小さな疑似体験をすることで命を奪うことの嫌悪感を体感し、 大きな殺人に至るのを防ぐ
・小さな疑似体験を積み重ねることで命を奪うことの快感を得、 欲望は徐々に大きくなり、やがて小動物、そして殺人に至る
・小さな疑似体験を積み重ねることで欲望を小分けに発散し、 大きな殺人に至るのを防ぐ
・小さな疑似体験を全く犯さず、欲望を根本から断ち切る
・小さな疑似体験を全く犯さず、 ある日欲望を大爆発させて突然大きな殺人に至る
といった、いろんな可能性を孕んでいるわけです。
人はそんなに悪を秘めていないと思う。
…というようなことが、この本を読んで汐が思いめぐらせたことでした。
ちっとも書評になってないし。支離滅裂で申し訳ない。
今日は何を書いても暗黒の文章になるので簡潔に。
彼氏とは今日から六年目に突入だー。長ぇ。
会社のクーラーがこの夏ずっと壊れている。暑ぃ。
エステ券、五万円分。
さっぱり縁も興味もないものが当選してしまい、 途方に暮れる汐です。
やだ!どうしよう! きれいになっちゃったら、どうしよう!
…マッサージ券のほうが良かった。
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男性にとって職場というのは本当に戦場だなぁ… と思うことが、ときどきあって。
傷付いた戦士を抱きしめる女性が家に待っている ということは、必要なんじゃないだろうか。
な〜んて思ったり。キレイに表現しすぎだけど。
実際は
「やだ!ちょっと!この人ってば会社の愚痴なんて。 なんでもいいから生活費だけはちゃんと持って帰ってよ!?」
という態度で待っているだけだったりするのだろうけど。
どーでもいいんだけどさ。
私自身がまだまだ戦場にいたいからなぁ…。
「守ってあげたい」と言われると 大抵は馬鹿にされてるようで腹が立ったりするんだけど。
素直に嬉しいと思える日が来るのだろうか。
土日明けの会社。
何故か散髪をしている人、多数。
うちの彼氏もこの土曜に散髪していましたが、 男性のみ割引とかあったのか?
男性の長髪は好きじゃないけど、 やたら短髪も好きじゃないので、密かにガックリ(x_x)
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殺人罪に於ける精神鑑定の是非。
非。
そんなもの、被害者にとって関係ない。 みんなみんな、ちゃんと罰しやがれ!
という側の人だったのですが、 いざ自分の身内があっち側の人になると。
正直、いかんともしがたい気持ちです。
精神病院に入って「殺してやる」などと言う母が 実際に何かコトを起こした場合
「母は精神異常で…」
と言って許しを乞わない自信がない。
けれど、四六時中傍にいて抱きしめてあげるほどの 大した愛もないのだから、ちゃんと突き放そう。
今の母が正常なのか異常なのかさえ、私にはわからない。
10年前。
私と一緒に暮らしていた頃の母は 母という役割を演じていた母だったのか 彼女という人間そのものだったのか。
26年前。
私の体は生まれたけれど、心は生まれなかったのだと思う。
あらゆる愛は、オアズケだ。
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