部長motoいっぺい
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僕の後任駐在のKさんが4月で帰任し、交代で1年後輩(ただしスキルは僕と違う)のHくんが赴任する内示が発表された。
Hくんは企画部門を経験したことがなく、駐在候補としてはダークホースだったとも言えるが、明るい性格と的確な仕事ぶりから駐在として適任で、良い人事だと思う。
ここのところ、大阪日帰り出張が多い。今日も正午の便で行き、午後5時の便で帰ってきた。
飛行機の中で寝ることもできるが、やはり移動による疲れはたまる。 来週もおそらく1回は日帰り出張、再来週は泊まりの出張も含めて行ったりきたり。。。飛行機から見る富士山だけが楽しみ。
土曜日は仕事仲間と久々のゴルフ。
スコアは前半49後半51の100点満点。 久々であることおよびその間一回もクラブを触っていないことを考えれば、満足できるスコア。
練習せずにこのスコアが出せれば、ますます練習しなくなっちゃうよなあ(笑)
2007年後半 チャレンジ校・実力相応校・滑り止め校・現在通っている学校の付属中の4校受験を決定。
2008年1月中旬 息子の精神的プレッシャーのため、チャレンジ校の受験を断念。(嫁、1回目の予定外)
2008年1月20日〜22日 チャレンジ校を除く、3校を受験
2008年1月22日 実力相応校不合格通知。滑り止め校合格通知。
2008年1月23日 付属中補欠通知。(嫁、2回目かつ最大の予定外) 息子との協議の結果、付属中の繰上げ合格がなければ、滑り止め校への進学を決定
2008年1月27日 諦めきれない嫁が、息子に2月から始まる東京地区の私立中高一貫校の受験を提案。日曜日にもかかわらず、学校を下見に行き、「受かれば儲けもの」の感覚で受験を決定。
2008年1月28日 嫁が受験書類を受け取りに行き、Y校から非常に丁寧な扱いを受けて感激。その時点での(嫁の)進学先第一志望に。
2008年2月1日 午前中にI校、午後にY校を受験。 同日夕刻に、I校の合格通知。 同日夜に、Y校の合格通知。 この時点で、息子はI校への進学を希望。(嫁、3回目の予定外)。 付属中から繰り上げ合格の連絡があったとしても、I校に進学したいとの意思表明。(嫁、4回目の予定外)
2008年2月7日 補欠扱いだった付属中学から繰り上げ合格通知。 当初の第一希望だった学校(かつレベルも一番高い)からの合格通知に、嫁の心が揺れ、実家の母親を使って息子の翻意を画策するも失敗(笑) 泣く泣く付属中学への進学を断念。(嫁、5回目の予定外)
2008年2月16日 進学する中学校の制服採寸・・・と、入学手続きは続く。
というわけで、ことごとく嫁の思い通りに行かない息子の中学受験でした。
2月8日 朝イチの飛行機で大阪に出張。昼過ぎの飛行機でとんぼ返りして出社。 推定移動距離1000キロ
2月9日 3連休を利用して、嫁の実家@名古屋へ 推定移動距離400キロ(大雪のため9時間程度)
2月10日 息子、娘とスキー&スノボ@岐阜へ 推定移動距離300キロ(渋滞のため往復7時間程度) ※息子に初めてスノボをやらせてみたが、意外にも上手に出来てびっくり。娘のスキーも、ずいぶんと上手になっていて、僕のスノボではもう追いつけないほど。やっぱり若いって素晴らしい。
2月11日 帰京 推定移動距離400キロ(6時間半程度)
2008年02月07日(木) |
最終確定@嫁の誕生日 |
補欠をもらっていた中学校から、繰り上げ合格の通知があった。
「嫁」の第一希望はその中学校(受験校の中で一番レベルが高い)だったが、「息子」の心はすでに入学手続き済みの都内の私立中高一貫校に移っていた。嫁はなんとか息子を翻意させようとあの手この手を使ったようだが、息子の決心は固く泣く泣く断念。 ちなみに僕は息子の判断を尊重したかったことに加え、今回の息子の判断はいろいろな意味で正しいと思ったため、息子には「お母さんにキミの気持ちをきちんと説明しなさい」と言ったのみ。
というわけで最終確定。
そんな嫁の誕生日。
遅ればせながら、息子が入学を希望している中学に夫婦で出向いて、学校の説明を受けてきた。
2校合格したうちの別の中学校への進学を「希望」していた嫁も、学校側(それも校長)の1時間以上にわたる丁寧な説明に、多少は納得した(諦めた)ようだった。
というわけで、お金に羽が生えて飛んでいった〜(笑)
千葉県の中学入試で思ったような結果を残せず、急遽都内の中学を受験することになった息子。
本日午前と午後に受験した、2校の都内私立中高一貫校はいずれも 合格〜!!
昨日までとは一転して、「どこに行こう・・・」と贅沢な悩み。
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