部長motoいっぺい
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今度の日曜日は月例のゴルフ大会。先月の大会前後から、「シャンク」という、打った瞬間から右方向にボールが飛んでいく現象が多発している僕は、ここ数週間、完全にゴルフの練習をしなかった。
普通に考えれば、ヘタクソが上手になるためには練習が必要なのだが、どんなに練習してもシャンクが直らない。頭には、悪いイメージが残っており、どうにも矯正しようがなかったのだ。
そこで、逆に練習を完全に休み、頭の中を一回リセットすることにした。
今日は、大会2日前ということで、久しぶりに練習再開。練習と言っても、仕事のあと、午後5時から実際のコースを回る練習だ。
9ホール回れれば御の字と思って始めたのだが、9ホール終了時でも、まだ日差しがあったので、引き続き後半へ突入。結局15ホールを終えたところで、日没により終了。この時点で午後8時半。本当に日が長くなった。
肝心のスコアの方はというと、最初の2ホールはあまりよくなかったが、その後は持ち直して、日曜日に期待がもてる内容だった。シャンクもほとんど出なかったので、どうやら「練習しない」という療法は、僕にとっては正しかったらしい。
ウチの嫁は、今月の上旬からずっと風邪気味で、ようやく直ったかなと思った頃、また微熱がぶり返し、かつ今度はのどの痛みがひどくなったとのこと。
さすがの病院&薬嫌いの嫁も、そろそろ病院に行かなければと思ったらしく、今日病院に行ってきたらしい。診断の結果、医師から告げられた病名は、
「溶連菌(ようれんきん)に感染」
溶連菌というのは、比較的子供が感染しやすい病原菌ということで、推測するに先日までの演劇の手伝いで、子供たちが大勢いるところにいたことが、原因ではないかと思われる。幸いなことに、ムダに丈夫なウチの子供たちには、まだ感染していないようだ。
治療法としては、10日間程度抗生物質を飲み続ければ良いだけとのことで、とりあえず大きな病気でなくて一安心。
ところで、溶連菌という語感であるが、どうしても
ヨーロレイヒー♪(ヨーデル)
をイメージしてしまい、あまり真剣にとらえられないとは、僕だけだろうか。。。
BBSに、ななしさんが書き込みをしてくださった。
その書き込みには、「3/04/02(の日記)を読んで・・・」という表記があったのだが、これを見て何年何月何日のことを指しているのかを考えてしまった。
日本では例えば2002年3月4日のことは、 ・02/03/04 or 02/3/4 (すなわち、YY/MM/DD) と表記するのが普通だと思うのだが、ここアメリカでは、 ・03/04/02 or 3/4/02 (すなわち、MM/DD/YY) と表記するのが一般的である。 ただし、例外もあり、入国審査書類などは、 ・04/03/02 (すなわち、DD/MM/YY) と表記する。
これに対し、多くのヨーロッパ諸国では、 ・04/03/02 or 4/3/02 (すなわち、DD/MM/YY) と表記するところが多いと思う。
以前に、駐在室秘書Aに、この違いを説明し、「日本は年・月・日と単位が大きい方から表記し、ヨーロッパは日・月・年と小さいほうから表記するのに、どうしてアメリカだけ、月・日・年と順番が規則的でないのか?」と尋ねたところ、
「だって、年は当たり前に分かるじゃない」 と、分かったような分からないような説明をされた。。。
まことにもって「常識」とは、斯様にに恐ろしいものである。
今月上旬、駐在3号の奥さんは、日本に一時帰国していた。
奥さんは日本の美容院で髪を切ってきたという。よく聞く話では、アメリカ人の美容師はアジア人の髪質をよく理解していないので、あまり上手く切ってくれないという。
そこで日本に帰国しているときに、美容院に行って思い切って髪をショートにしてみたらしいのだが、駐在3号いわく「おばさんヘア」になって帰ってきたという。。。
駐在3号は、その話を駐在室アシスタントのAにしたのだが、「おばさん」の英訳に困っていた。確かに、「Aunt」だと親族の叔母になってしまって、訳としては意味をなさない。
良く使うWeb辞書で調べたところ、もっとも近いのは「Housewife Style」だったが、これもちょっとニュアンスが違うような気がするし、そもそもあまり聞かない表現だ。
英語圏では、(女性に限らず)人物の年齢にあまりこだわらない、ということが言えるのかも知れない。
いろいろな意味で、個人的には歴史的な一日。別に今日明日どうこうというわけではないが、数年後に今日の日を思い返すかもしれない。
と、日記には書いておこう。 ↑このフレーズ、わっかるかな〜♪
昨日までの演劇の疲れが出たのか、今日は嫁がダウン。まあ、もともと風邪気味ではあったのだが。子供たちも昨日はさすがに疲れた顔をしていたが、今朝になったらすっかり回復。さすがに若い。
お昼頃に、息子は先週買ったばかりの自転車に乗りたいというので、娘と僕と3人で、近くの公園に行く。近くと言っても、車で5分程度はかかるところなので、自転車をステーションワゴンのトランクに積んでいく。息子の自転車が大きくなったので、娘の自転車と合わせて2台乗るかどうか心配だったのだが、ぎりぎりなんとか積むことができた。
公園に向かう途中、ウチのごく近くの交差点を通ったとき、近くのスーパー跡地の駐車場に、移動式の遊園地があることを発見。移動式といっても、回転系の大型遊具などもあり、規模は小さいもののかなり本格的な遊園地だ。案の定、娘が「遊園地行こうよ〜♪」と言い出すが、とりあえず無視して(笑)公園に向かう。
公園で1時間ほど自転車や遊具で遊んだ後に、仕方なく遊園地に向かう。確かに遊園地らしきものは、この近辺にはダウンタウンに1箇所しかなく、子供たちにとっては、久しぶりの遊園地だ。
実はこの移動式の遊園地は、去年も来ていたのだが、去年は「しばらく居るだろうから、次の週末に行こう」と思っていたら、あっさりその土日だけで移動してしまったため、行くことができず、子供たちに文句を言われた苦い経験がある。
遊園地では、昨日演劇を見に来てくれたSさん一家と遭遇。子供たちは、一緒に遊具に乗ったりして楽しそうだった。息子は初めて「宙返り」をする遊具に勇気を振り絞って(笑)乗ることができ、なんだか満足そうだった。
3日間続いた子供たちの劇の公演も、今日がフィナーレ。
僕は木曜・金曜と仕事がらみで見に行くことができなかったので、今日が今回初めての観劇。
最終日は1時と7時からの2回公演で、今日はわが家の知人がたくさん見に来てくれた。 お昼の公演には駐在3号夫婦、夜の部には子供たちが日本語補習校で同学年のSさん親子、そして息子の現地校の先生であるミセス・O。
みんな口々に「良かったよ〜」と言ってくれたが、本音のところを聞いてみたいところではある(笑)。ちなみに、僕が初めてこの団体の劇を見たときは、「結構本格的なんだね」という感想を持ったのだが。
ウチの子供たちの台詞は、短いのが3回ぐらいあるだけなのだが、それでも演劇のメンバーとして一つの劇を作り上げ、カーテンコールで挨拶をするのを見ると、バカ親親ばか駐在2号。としては、ジーンとするものがある。
こういう時に必ず思い浮かぶのは、彼らが英語もなにも分からない状態で、初めてアメリカの学校に通ったときのこと。
あれからもうすぐ3年。子供たちは、たくましく育ちました。
2004年04月23日(金) |
中国からの緊急支援依頼 |
今日は7時から、子供たちの劇を見にいくつもりだったので、会社からの帰りに早めの夕食を食べる。
が、その時、中国から緊急支援を求める電話が入り、会社に逆戻り。
現在、中国からの連絡待ち状態で、日記なんぞを書いている。 いまちょうど7時を回ったところなので、今日は劇を見にいけそうもない。
とか書いてたら、ファックスが入った。
さて、仕事するか。
2004年04月22日(木) |
訴状を受け取る(続報) |
本日から子供たちは演劇の本番。
しかしながら、今日は仕事上のつきあいにより、某団体の年次総会に出席しなければならず、劇を観に行くことはできなかった。
年次総会には、元駐日大使などのオエライさんがゲストとして参加しており、基調講演を行った。が、はっきり言って、難しくてよく分からなかった・・・(汗)
ところでその会合で、偶然に同じコミュニティーに住む日本人のKさんにお会いした。Kさんとはお話をしたことがあったが、奥さんとは初めてだった。
ちょうど良い機会だったので、先日コミュニティーの各戸に送られてきた「訴状」について質問をした。 (実際は訴状ではなく、優先債権取立て書のようなものだったことは、つい先日知った)
すると、どうやら、屋根の張替え業者の作業ミスなどがきちんと処置されていないらしく、それが完了するまで、コミュニティーとしては残金を払わない、という立場をとったらしいとのこと。
この先、どういう展開になるか予想もつかないが、まあコミュニティーの責任者がお金を使い込んだとかではないらしいので、とりあえず一安心。
子供たちが参加している市民劇団は、明日から3日間公演を行う。 今回の演目は「リトル・マーメイド」
今日は、練習・本番を通じて唯一ビデオ撮影が認められるファイナル・リハーサルだったので、ビデオカメラを持って会場へ向かう。
劇を見ての感想としては、前回の「It's a Wonderful Life」よりは、テンポが良く、安心してみることができた。また、「かたつむり」役のウチの子供たちも、無難に演技?をこなしていて安心した。
途中の休憩時間に、息子のKindergartenの担任だったミス・アンジェラあらためミス・Kに声をかけられる。彼女は
「ここに来て、もう3年だったかしら?あなたの子供たちは、最初は全然英語が話せなかったのに、劇に出て台詞をしゃべったり、友達を作ったり大したもんだわ!誇りに思っていいわよ。で、いつ日本に帰るの?来年、それとも今年?」
と相変わらずの早口で、ほとんど一方的にしゃべって去っていった(笑)
でも、ホントにたいしたもんだよ>ウチの子供たち
2004年04月20日(火) |
今シーズン初のMLB観戦 |
今日の午前中に、取引先のSから、「今日の夜のMLBのチケットが余っている」とのEメールが入った。彼女の部署では、お客さん用に年間シートを確保しており、今日は観に行く人が居なかったようだ。
というわけで、チケットをありがたく頂く。
どうせ僕の嫁と子供は、今週末に本番を迎える市民劇団の練習で9時過ぎまで帰ってこないことは分かっていたので、僕と研修生のTくん、そして偶然出張に来ていた一年先輩のSさんと一緒に球場に足を運ぶ。
この時期はまだ寒いと思い、かなり厚着をしていったつもりだったが、結果的にはちょうど良いくらいだった。
試合のほうも、かなりお寒い感じで(笑)、投手戦というよりは貧打戦という感じだったが、9回の裏にサヨナラホームランが出て劇的な勝利。
本シーズン初の観戦としては、幸先の良いゲームだった。
日曜日は、息子の自転車を買いに行った。
これまで乗っていたのは、確か息子が4歳か5歳の頃に買った、16インチの幼児用自転車で、8歳になった息子には既に小さくなっていた。
去年の段階で、既に小さくなっていたのだが、息子は「超保守的」な人間なので、「自分の古い自転車を捨てるぐらいなら、新しいものはいらない!」と言っていたので、去年は買わなかった。
ところが、昨日何かの話の流れで、自転車の話になったときに、息子の自転車はスタンドが壊れており、かつタイヤがパンクしているという。今日になって自転車を見てみると、スタンドは直すことができたが、タイヤの方は「ムシゴム」が壊れているようで、空気が漏れっ放しになっていた。
ちょうど良い機会だったので、息子に「新しい自転車買う?」と聞いたところ、さすがに今年になって少しは「大人」になったのか、それとも壊れた自転車を見限ったのか、「買いに行く」という。
というわけで、息子の気が変わらないうちに(笑)、自転車を買いに行くことにした。
アメリカで自転車を買うと、日本に持って帰ったときの修理に若干の不安が残るものの、何しろ激安なのが魅力だ。多分、日本で買えば2〜3万はするであろう、子供用のマウンテンバイク(6段変速)が、なんと68ドルで売られていた。思わず嫁と「僕たちのも買おうか?」という気になったほどだ。
TARGETというスーパーと、日本でもおなじみのCOSTCOを回り、結局TARGETで買うことにした。一旦、嫁と娘を家でおろし、息子と二人でTARGETに向かう。自転車を陳列棚からおろし、そのままレジまで引っ張っていき、レジでお会計。なんだか不思議な自転車の購入風景。 買った自転車は、ワゴン車の後部座席を倒して、フラットになった荷台に乗せて家に持ち帰った。
家に帰って、自転車の試乗会。もちろん息子は新車、娘は自分の自転車、そして僕はキックボードでお出かけ。初めてキックボードに乗ったが、軸足とした右足がパンパンに張ってしまった。
とりあえず、息子は新しい自転車を気に入ったようなので、良かった。
朝から子供たちは、日本語補習学校。
僕と嫁は子供を学校に送った後、ダウンタウンの喫茶店で朝食を取る。その後、日本の書店にて立ち読みをし、昼食は郊外にあるお茶屋さんで、鶏雑炊をいただく。美味。
鶏雑炊は、オーダーしてから20分しないと出てこなかったので、予定よりも少々遅くなってしまった。食べ終わったあとすぐに店を飛び出して、1時35分終業の娘のお迎えに行く。が、2分遅刻。。。
その後、家に戻り僕はソファーで昼寝。その間、嫁が3時15分終業の息子を迎えに行っており、起きたときには息子は家に帰ってきていた。
夕方になって、公園に遊びに行く。息子は昨年末に「サンタさん」がくれたスケボーを練習。以前に嫁と練習をしたときには、うまくいかずにフクれた顔をしていたらしいのだが、今日やらせてみたら、結構上手にできたので驚いた。
寒くなってきたので家に帰り、野球を見ながらビール&餃子を食べる。
そんな、フツーの土曜日。
先日の日記で、コミュニティーの美観を保つため、半強制的に屋根の葺き替えや、壁の塗り替えを行っていることを書いた。
この費用は、コミュニティーの共益費から出されるのだが、屋根の葺き替えをした会社から、数日前に各戸へ手紙が届いた。それは、「コミュニティーから工事料金を受け取っていないため、コミュニティーを訴えた」という内容の訴状であった。
どういった理由で、コミュニティー(の代表)が代金を支払っていないのか全く分からないが、とりあえずオーナーにその訴状を送ることにした。
面倒なことに巻き込まれなければ良いが。
おととい、夜遊びから帰ってこない嫁を待って、午前1時過ぎまで起きていたら、風邪を引いてしまった駐在2号。です。。。
なかなかやるのぉ〜>嫁
今朝、出勤途中の車で聞いていたラジオのニュースで、日本人3名解放の知らせを聞く。もしや聞き間違いでは?と思い(まだ自分のヒアリングに自信をもてない(笑))、事務所についてすぐにウェブニュースをチェックすると、やはり解放とのこと。
無事の解放を確認しホッとするとともに、これを美談とせず教訓にしなければ、と思う。というわけで、本日再びイラク人質問題について日記に記す。
あ、別に、先日の日記がReiko Katoさんに文中リンクされたおかげでアクセスが伸びて、調子に乗ってる・・・なんてわけじゃないはず(笑)
各誌のニュースを見ると、人質が解放された理由として、
・政府が自衛隊撤退の方針をブレさせなかったこと ・政府が適切な聖職者を通じて交渉にあたったこと ・日本国内で、自衛隊撤退に向けた世論が湧きあがったこと ・人質の活動(目的)が理解されたこと ・現地テレビを通じた家族の訴えが功を奏したこと
といったものがあげられている。 実際、誘拐グループが、どのような理由により解放したのかは、想像するよりしかたないが、僕は「(いろいろな意味で)ラッキーだった」という理由を忘れてはいけないと思う。
仮に、同じメンバーに対して同じことが再び起こった場合、今度は解放されない可能性のほうが高いという気がする。
だからこそ、「人質の活動(目的)が理解されたので解放された」などと言う美談に仕立て上げて、無謀なイラク入りを美化するようなことがあってはならないと思う。
イラクで人質となった3名についてであるが、「志が高い目的を持ってイラクに渡った」というところを擁護する向きもあるようだが、僕はやはり間違っていると思う。
小さい頃、人間として誰しもが親に教わるであろうであろうことに、「人に迷惑をかけない」「人に親切にする」というものがあると思う。では、「人に迷惑をかけてまで、人に親切にする(崇高な目的を達成する)」ということが認められるか、というと、少なくても僕の中では認められない。
今回の3名は、それぞれどんな目的があったにしろ、「人に迷惑をかけた」という紛れもない事実において、人の手助けをする者として失格だと思う。
今回、最も大きな批判が浴びせられた人質の家族の対応についてだが(郡山カメラマンの母の対応は除く)、「人質にとられた家族の悲痛な気持ち」を考慮する必要は、確かにあると思う。
しかしながら、自分の子供・兄弟の解放に向けて努力をしている政府に対して批判の言葉ばかりで、感謝の言葉がないというのは、やはり非常識と感じざるを得ない。また、自己責任で事件に巻き込まれたのに、その家族が総理大臣に会わせろなどという、全く持って筋の通らない要求をしているのにも、ただただ呆れるのみであった。
加えて、今回の家族の対応により、リスク回避に努めている常識的なNGOやボランティア団体までが、彼らと同類であるとうがった見方をされる可能性があることについても、彼らの対応(主張)のまずさによるものと言わざるをえない。 (これについて、怒っているNGO・ボランティア団体の人は少なくないと思う)
最後に、マスコミの反応についてだが、アメリカに住んでいるので全体の論調についてはよく分からない。ただ、Reiko Katoさんの日記に、
>印象として野党や大手マスコミは、全体として >・こうした事件を引き起こしたのは小泉内閣の責任 >・拉致された邦人の家族に同情的 >・三人の命を救うためなら自衛隊の撤退もあり >といった姿勢でいるように思う。
と書かれており、他の情報ソースも、大方そのようなことを示唆しているので、こういった雰囲気であるという前提で続ける。
実は、上記のReikoさんの日記は、嫁と二人で一緒に読んでいたのだが、ほぼ同時に「エッ、そうなの?」と声を上げるほど意外だった。
このことから僕が受けた印象は、お涙頂戴のニュースを流すことに熱心な、日本のマスコミの未成熟さ(アメリカのマスコミが進んでいるとも言わないが)に対する失望であり、加えて、これもReikoさんが書いているが、マスコミが主張・誘導する世論と、実際の世論の差が明らかになる、ウェブ世界(世論)の出現に対する驚きであった。
末筆: 人質の家族の対応に対して、僕はかなり批判的であるが、よからぬ輩が悪質なファックスなどを人質家族に送りつける「犯罪行為」については、断固として否定する。
残る二人についても、無事解放されることを心から願っています。
2004年04月13日(火) |
嫁の夜遊び/追記あり |
「気がつけば、財布の中は2ドルだけ」
横丁の若様、駐在2号。です ↑われながら古い
ここでの生活においては、あまり現金を使わないので、こんなこともたまには起きるっていうことで。
昨日の夜に、娘の同級生のお母さんからウチの嫁に電話がかかってきて、急遽今日の夜遊び(飲み&お食事会)が決定。まあ、火遊びでないからヨシとするか。。。
たまには奥様軍団も、旦那・子供から解放される息抜きが必要でしょう。 と、理解のある旦那を演じてみたりする(笑)
【追記】 まもなく午後11時。僕の「読み」は10時半頃帰宅だったのだが、どうやら嫁をなめていたらしい。
先に寝るとするか。。。
2004年04月12日(月) |
コミュニティーの美観維持 |
僕の家は、とあるコミュニティーの一角にあたる。コミュニティーと言っても、一般的な意味での「コミュニティー」というわけではなく、住宅を分譲したときの不動産会社が、そのエリアの住環境を保障するために立ち上げたものだ(と思われる)。
僕は支払っていないが、オーナーがコミュニティーに共益費のようなものを払っているはずで、集まったお金を使って、前庭の芝生刈りや、秋の落ち葉掃除などを業者に委託している。
まあ、この程度ならば「町内会」的な感覚なのだが、昨年の初秋に、コミュニティー全戸(60戸以上)の屋根の葺き替えを行ったのには驚いた。その結論はコミュニティー会議で決まったことらしく、お金が無いから、もしくは自分の屋根は傷んでいないから、といった理由で、これを拒むことはできないようだ。
加えて、この春から、全戸の壁の塗り替えが始まった。塗り替えに先立ち、壁の高圧洗浄が行われたのだが、この段階で業者が壁板の損耗状況をチェックし、各戸ごとに見積もりを出していった。さすがに壁板の交換については、各自の負担らしい。先日、わが家の郵便受けにも見積もりが届いていたので、オーナーに連絡をしておいた。
コミュニティーの美観を保つための努力に、大変感心させられた。
土曜日に、駐在3号、2年研修生Nくん、6ヶ月研修生Tくんの「独身」3人組を家にご招待。駐在3号は現在奥さんが一時帰国中、研修生Nくんは独身、研修生Tくんは単身赴任中ということで、いわゆる「独身」3人組だ。
加えて、いつもお世話になっているグループ会社のIさん家族もご招待。
「いつもお世話になっている」ということでご招待したのだが、逆にたくさん差し入れを作ってきてもらい、大変恐縮。
アメリカ生活の話、仕事の話などがはずみ、夜9時くらいまで楽しく過ごした。家の近いIさんは、さらに「独身3人組」が帰ったあとも、11時くらいまで世間話をして過ごす。
大変楽しい一日だったが、どうやら風邪をひいてしまったらしく、日曜日は微熱のため一日家で過ごす。
風呂に入って早めに寝るとするか。
2004年04月09日(金) |
Discrimination |
アメリカで最も忌み嫌われる言葉の一つが、Discrimination:ディスクリミネーション(差別)。息子が学校からもって帰ってきたキング牧師や、リンカーン大統領の伝記などにも、アメリカがこれまでに人種差別をどうやって排除してきたかが、細かく書かれている。
僕の子供たちが通う学校は、この辺でも比較的多民族が集まる学校で、学校全体では子供たちの母国語は、30以上にもなるという。当然、ヒスパニック系やアフリカ系(いわゆる黒人)も少なからずおり、子供たちはそういう環境で育ったため、アジア人だと差別をされることこそあれ、差別することはないと思っていた。
ところが、先日嫁と娘が一緒にお風呂に入ったときのこと。娘が最近クラスに転校してきた子(黒人)のことを話したのだそうだ。娘は、
「私は、その子と遊ばないの。だって私は、スキン(肌)の色が私のような子と遊ぶほうがいいんだもの」
と、平然と言い放ったのだそうだ。とても驚いた嫁は二の句が継げず、お風呂を上がってから僕にその話をしてきた。その時点では、娘はもうベッドに入っていたため、翌朝僕が注意することになった。
翌朝すぐに僕は娘を呼び、 「日本人の肌の色も白人の子からしたら違う色なんだよ」 「その事で遊ばないと言われたら、悲しいでしょ」 「だから、肌の色で遊ぶ・遊ばないを決めてはいけないんだよ」 ということを、諭すように娘に説明した。娘は「いけないことをした」と理解したのか(そう思いたい)、涙を流していた。
娘には、「学校に行ったら、すぐその子に謝りなさい」と言い、念のために嫁を学校に行かせて、娘がそういう発言をしたので、様子を見てくださいと先生にお願いをした。
今回のことで、僕がなにより驚いたのは、「人種差別」ということを知らない娘が、ごく普通に肌の色が違う子を拒絶したことだった。改めて、人種差別の「根」というのは、本当に深いものだと気づかされた。
呆れて物が言えないとは、まさにこのことだ。
外務省の退避勧告を無視してイラクに入国した挙句、反米勢力に拘束され、日本国が恐喝されるとは。
この3人、あまりに能天気すぎる。「話せばわかる」なんて、甘っちょろいことを思っていたのだろうか。もし生きて帰ってきたら、是非コメントを聞いてみたいものだ。
また、この人質の家族も、相当非常識なコメントをしているようだ。
「自衛隊を撤退させて欲しい」
どの口から、そんな身勝手な言葉が出てくるのか。「ご迷惑をおかけして申し訳ない」が最初に来るべきであり、せいぜい最後に「何とか命を救ってほしい」と付け加える程度が、常識的な人間が口に出来る言葉であり、自分の家族のために国の方針を変えさせようなどというのは、呆れを通り越して怒りさえ覚える。
このニュースに対する、ネット掲示板やエンピツの日記を読み、どうやら多数は「自己責任」を問う声が多いようで安心したが、意外にも3人の命を守るために、自衛隊の撤退を主張する声が少なくないのに驚いた。
僕が驚いたのは「自衛隊の撤退」を主張する人が少なくないことではなく、自衛隊の撤退を「自己責任でイラク入国した3人の命」と関連付けて主張していることだ。
なぜ「この3人のために」、日本国が方針を変えねばならないのか。自衛隊を派遣するのに反対の人がいることに理解は示すが、少なくとも撤退の主張と、この3人を救出する議論は、完全に分けるべきだと思う。
自衛隊の派遣に関しては、確かに賛否両論あろう。僕自身は「イラク戦争には大義はない」と思っているが、「自衛隊を派遣してのイラク復興」には賛成である。イラクの旧政権を破壊した国と、それに間接的にではあれ協力した国には、イラク国民が選択する新政権に移行するまで、治安を維持し、破壊されたインフラを整備する義務があると思う。
肝要なことは、一つ一つ論点を整理することであり、全てをごちゃまぜにした議論は、説得力を欠くどころか、マイナスの効果しか生まないと思う。
今回の事件でダメージを受けるのは、政府よりは、意外と左派勢力かもしれない。
2004年04月07日(水) |
クレジットヒストリーの確認 |
先日、研修生のYくんの口座から不正引き落としがあったことは日記に書いたが、それに加えて駐在室アシスタントAのクレジットヒストリーにも、不正アクセスがあったことが判明した。
クレジットヒストリーとは、米国内での借入金(クレジットカードなどを含む)に対する支払い状況の記録であり、滞納などをするとクレジットヒストリーに傷がつくことになる。いわば日本で言うブラックリストを「ブラック」だけの記録ではなく「ブラック以外」にも展開し、かつ公的に行っているものと言える。
アシスタントAは、結婚を機に家を新築することにしたらしく、家のローン(モーゲージ)を申し込むときに、自分のクレジットヒストリーを確認したところ、自分の知らないところからクレジットヒストリーを照会された記録が残っていたそうだ。
Aに強くすすめられた僕は、自分のクレジットヒストリーを確認することにした。クレジットヒストリーの確認には、いくつかの機関を通じて行うことになり、それぞれ1年契約や1回につき何ドルといった契約形態を選ぶことができる。また不正アクセスを監視するため、自分のヒストリーが他者から照会されたときに、自分に連絡がくるようなプランを選ぶこともできる。
僕はとりあえず1回だけ確認できれば良いと思い、1回(1ヶ月)だけの利用プランのある会社を通じて、自分のクレジットヒストリーをオンラインで確認した。
幸い、不正なアクセスは見当たらなかったが、1年に1回ぐらいは確認したほうが良いかもしれないと思った。
2004年04月06日(火) |
娘のPrincipal Award |
3月2日の日記に、娘がPrincipal Awardを欲しがっていると書いたが、今日ようやく彼女もPrincipal Awardをもらうことができた。
理由は「読み書きをよく頑張ったから」という一般的なものだったが、かなり嬉しかったようだ。
嫁によると、一回の全校集会でPrincipal Awardをもらう生徒の数は、そこそこいるようなので、多分もしかしたら、1年のうちに少なくとも1回は、何がしかのAwardをもらうように仕組まれているのかもしれないが、まあ、自分の子が頑張ったからPrincipal Awardをもらうことが出来たと信じてあげたい。
2004年04月05日(月) |
プロジェクト完了パーティー(本年度初回) |
本日は、プロジェクト完了記念パーティー。
ご多分に漏れず、先方も予算を切り詰めているため、今回のパーティーは高級レストランでのお食事なんぞではなく、なんと「カートレース場」での立食パーティー。
実はこのカートレースであるが、2年前のプロジェクト完了パーティーで一回使ったことがある。その時に日記に書いたかなと思って、先程以前の日記を読み返してみたが、カートレースには触れていなかった。
このカートレースは、予選として6週のレースを3セッション行い、各自のベストラップを比較して、決勝進出者を決定する。決勝戦は12周のレースで、一番先にゴールした人が優勝となる。
僕の予選のラップタイムは社内2番手で、決勝のポジションは、名誉トップとして駐在1号、2番手が予選1位のOくん、そして3番手が僕の順番で、合計6人で争った。
最初のラップは駐在1号が後続をブロックする形となり、2番手のOくん、3番手の僕がイライラする展開となったが、2周目に駐在1号が自爆(笑)、すかさずOくんが1番手、僕が2番手となる。
この時、ギャラリーからは
「フツー、あそこじゃ(駐在1号を)抜かないよな(笑)」
という笑い声が上がったらしいが、レースをしている当人は当然ながらそんなことにお構い無しに、真剣勝負続行。
その後、Oくんと僕との1位争いになったのだが、どうやらカートのトップスピードに若干ながら違いがあったようで、4周目に僕がOくんをコーナーで抜き、トップに踊り出る。そしてそのまま独走状態でゴールイン!
久しぶりに、負けず嫌いの真骨頂を見せてしまった感じだった(笑)
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