部長motoいっぺい
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2003年02月28日(金) 息子の抜歯

ウチの息子は7歳半であるが、これまでに抜けた歯は下の前歯の2本だけである。
その2本も、乳歯の後ろから永久歯が生えてきたため、やむなく歯医者に行って抜歯してもらったものであり、自然に抜けたわけではない。
息子も娘も僕に似て歯が丈夫なようで、今までに虫歯になったこともない。

しかし、さすがに数週間前から上の前歯がグラグラしてきて、横の歯との隙間も広がってきた。
そこで今日、息子と一緒にお風呂に入った時に、「自分で抜いてみな」と言ったところ、彼なりに一生懸命歯を動かして、お風呂を上がる時にはあと一歩!(というか、かろうじて歯茎にぶら下がっている状態)というところまで漕ぎつけた。

しかし息子にとって、自分で歯を抜くと言うのは初めての体験でもあり、最後の一歩が踏み出せない。

そこで、駐在2号。が父親から直伝されたペンチの登場。
息子には以前から、

「お父さんが子供の頃は、おじいちゃんがペンチでお父さんの歯を抜いたものだ」

という話をしていたのだが、自分が息子の歯をペンチで抜くことは、あまり本気で考えていなかった。(何しろ、僕にとっても人の歯をペンチで抜くのは初体験だし・・・)

しかし、あと一歩で抜ける歯をみて放って置くわけにも行かず、ペンチの登場とあいなった。

ペンチで息子の歯を掴み「軽く」引っ張ったところ、あっけなく歯は抜けた。(というか、取れた)
あまりにもあっけなく取れたので、息子も拍子抜けしたようだ。
まあ、これからもペンチのお世話になるかもしれないので、怖い印象を植え付けるよりは良かったのだろう。

僕の中では、「ペンチで歯を抜く=怖い」というイメージだったのだが、意外とこんなものだったのかな?と思った出来事であった。



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2003年02月27日(木) ライブ催眠術

本日は3日連続の会議の中日。
夜は会議の参加者によるディナーが催された。

これまでに何回かディナーにお呼ばれしたことはあるが、余興のあるディナーは初めてである。
その余興とは「催眠術」。

【駐在2号。のワンポイント英語】催眠術=Hypnotism

もちろんこんな単語を知っているわけもなく、

「Hip No Test?」
「Hip Notice?」


とか訳のわからないことを言ってしまった・・・。

催眠術は英語でかけられる為、僕達のような英語を母国語としない人にはかからないのだが、ディナーの参加者の数人がボランティアとして参加して、結局前に出た7人のうち3人が催眠術にかかり、催眠術師の言うがままに踊ったり、暑がったり、寒がったりして会場の笑いを誘っていた。

別の意味で笑えたのは、日本から出張できていたY君が、時差ぼけのためちょうど眠ってしまったことである。もちろん彼は催眠術にかかったわけではないのだが、あたかも催眠術にかかったかのように熟睡していたので、会場からクスクスと笑いが漏れていた。



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2003年02月26日(水) 小切手の仕組み

アメリカで銀行口座を開く場合は、通常Checking Account(当座預金口座)と、Saving Account(普通預金口座)の二つを持つことになる。

Saving Accontの方は預金利息がつくが、Checking Accountにはほとんど利息はつかない。であれば、Saving Accountだけ持てば良いような気がするが、アメリカで一般的な支払い方法である小切手と、Debit Cardを使う場合にはChecking Accountが必要になるのだ。

日本に住んでいる間は、「小切手を使うのは会社とお金持ちだけ」と信じていた僕であるが、前述のようにここアメリカではごくごく一般的に用いられており、スーパーで日々の買い物をするときに、小切手を使っている人も少なくない。

この日記を読んでくださっている方で、小切手の仕組みを知らない人もいらっしゃると思うので(実際ここに来るまで僕は知らなかった)、簡単に説明をしてみたい。


銀行にChecking Account(当座預金口座)を開くと、Check(小切手)を持つことができる。小切手を発行する時には、以下の項目を記入する。

・発行日付
・小切手受取人名
・支払額(アラビア数字)
・支払額(英文)
・支払い目的(購買物品名など)
・発行者署名

支払額をアラビア数字と英文の両方で記入することにより、金額の改ざんを防いでいる。また、小切手受取人名を記入することにより、仮に小切手が盗まれたとしても、記載された小切手受取人でない限り換金することはできない。
また当然ながら、発行者の署名がない小切手は無効である。

小切手のメリットは、仮に盗難や紛失にあっても意図しない人に換金されることがなく、もう一度発行しなおせば良いだけということにある。そのため、ごく普通の郵便で小切手を郵送したりも出来る(実際にわが家の毎月の家賃は、オーナーに小切手を郵送で送っている)

意図しない人に換金される危険性はないが、白紙の小切手が盗まれた場合、それを使って買い物をされる危険性はある。なぜならば小切手には、発行者署名を確認する欄がないからだ。カードであれば裏面に署名がしてあるが、小切手の場合その確認のしようがない(トラベラーズ・チェックは、不正防止のため一枚一枚に発行者が「あらかじめ」サインをしておくことになっているが、普通の小切手にはその仕組みはない)
そういった不正使用の場合、小切手の持ち主ではなく小切手を受け取った側がリスクを負うため(本人の署名がされていない小切手はあくまで無効)、小切手を受け取る店によっては、身分証明書の提示を求めるところも少なくない(小切手には、銀行があらかじめ印字した名前がプリントされている)

小切手は昔ながらの仕組みではあるものの、安全性といった面からはなかなか侮れないシステムであると、ここに来てから知ったのであった。


2003年02月25日(火) フェリーこぼれ話

先日フェリーを使ったときのこと。

フェリーに乗るときは、

・料金所で料金を支払う。
・フェリーを待つ駐車場に車を進める。
・時間になったら係員の指示に従い、車をフェリーへと進める。

という手順に従う。

駐車場ではほとんどの車がエンジンを停止しており、係員の誘導が始まってからエンジンをスタートさせる。(ガソリン節約&環境保護のため)

そろそろ係員が誘導を始めると思われた頃、僕達の左前にあった年代物のピックアップトラックがエンジンをスタートさせようとした・・・が、

バッテリーが弱くエンジンがスタートできない!

このままエンジンがかからなければ、少なくともそのフェリーには乗ることが出来ず、次のフェリーまで1時間半は待たなければならない。

すると、すぐに運転席からおじさんが飛び出してきて、手早くボンネットを開けた。次におじさんは、荷台に積んでいた予備のバッテリーを取り出し、車の前に持っていった。
そして、車の荷台についているカギ付きの箱を開けようと(ブースターケーブルを取り出そうとしていたのだと思う)、キーホルダーに付いているカギを次々と試したが、焦っているためかその箱が開けられない。仕方なくおじさんは、箱を開けるのを断念して車の前に戻った。

10数秒後、おじさんは、さっき持っていった予備のバッテリーとは別のバッテリーを荷台側に戻し、急いで運転席に乗り込むと

ブロロ〜ン!!

と見事エンジン始動。
(つまりは、あの短時間でバッテリーを交換しちゃったっていうことね)

思わずわが夫婦は、自分達の車の中で拍手喝采♪

一連の作業時間、約2分。
おじさんは悠々と車をフェリーへと進めたのであった。



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2003年02月24日(月) 父子雪山対決

2週間前に息子のスキーと僕のスノボのレッスンは終わったのだが、今日はそのスキー&スノボスクール主催のレース大会。

僕は小さな時からスキーをしているが、競技スキーというよりは自己流で楽しんできただけなので、自分が他人よりもどのくらい早く(遅く)スキーを滑ることができるのかを知らなかった。今回、良い機会だと思い初級のスノボ&上級のスキーという二刀流でエントリー。

競技は一種目につき二本滑り、タイムの合計が得点となる。なお、初級者か上級者かということや、年齢でもハンディキャップがつけられるということだった。

まず息子がスキーでチャレンジ。
息子にとって競技コースを滑るのは初めての経験なのだが、コースは青いインクで示されていて分かりやすかった。

念のため、僕は息子に

「青い線にそって、旗を通っていくんだよ」

とアドバイスし、息子のテストランがスタートした。
が、すぐ一つ目の旗門のところで息子は止まり、振り返って僕にこう言った。



「おとうさ〜ん、旗が取れないヨー!」



父は「旗を通れ」とは言ったが、「旗を取れ!」とは言わなかったぞ・・・(汗)。


息子の大ボケでスタートしたレース大会であったが、本番では普通に滑ることができた。(僕は2回とも転んでタイムロスしてしまったが・・・)

今大会において、僕の中での大きな目標は、息子のスキーよりも、僕はスノボで早く滑る!という一点であったが、結果としては


ほとんど同タイムという事実が判明。
(詳細結果&順位は後日発表)

ずい分息子のスキー&僕のスノボは上手になりました。

今シーズンは雪不足で、もうあまり滑ることができないかも知れないけど、また一緒にスキー&スノボに行こうな!>息子へ。



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2003年02月23日(日) ドライブ&フェリー三昧

土曜日は、日本語補習校が午前中で終わりだったため(いつもは1年生は1時半まで)、午後は久しぶりに家族でドライブ。
目的地は、今まで渡ったことのない対岸の島、というわけで、フェリーを使って移動。
フェリーは、この地域の移動手段として欠かせないもので、車1台10ドル前後しかかからない(所要時間も20分〜40分程度がほとんど)


【フェリー着岸前(右手前は娘)】

島に渡って、一つ目の町へ行くと、小さな公園らしきところに、人がうじゃうじゃと集まっている。近寄ってみると、一人の男の人がハンドマイク片手に何やら説明をしており、周りの人はメモをとったりしている。

最近流行の反戦集会にしては、プラカードなどが見当たらないし・・・と思い、一人の女性に「何をやっているの?」と尋ねてみた。
【駐在2号。のワンポイント英語】何をやっているの?=What's going on?

すると、

「ミステリー・ウィークエンド(笑)」

と教えてくれた。
つまり、街中のいたるところに「ミステリーを解く鍵」がちりばめられており、そのヒントを集めて謎を解く、というゲームをしていたのだ。人が集まっていたのは、一つのヒントを聞くためだったのだろう。
それ以外にも、人が倒れた跡をチョークでなぞった線や、その周囲に散乱するトランプ・・・、といった類のミステリー小道具が町の中にあふれていた。

ミステリー・ウィークエンドはその町で19回目の恒例イベントらしく、大人から子供までメモを片手に真剣に謎解きをしているのが微笑ましかった。

その町を後にし、次の目的地は対岸の町を見渡せる公園。
近くには、この島に渡った時に使ったのとは別のフェリー乗り場があるのだが、公園についたところちょうど出航したばかり。


【あ〜、行っちゃった〜】

次の出航は1時間半後ということなので、ゆっくりと公園を散策。
この公園は、19世紀後半には一種の要塞だったらしく、大砲が展示してあった。


【大砲と少年】

この大砲は、射撃をするときにのみせり上がる仕組みになっていて(写真はせり上がった状態)、敵の砲撃を受ける状況下では、要塞の壁の陰に隠れるようになっている。

アメリカらしいなぁ〜と思ったのは、落ちそうな場所でも一切鉄柵などが設置されていないところ。完全な自己責任なのであろう。(とはいっても、落ちたら絶対に裁判起こすヤツもいるだろうが)

この後、さらに2回フェリーを乗り継いで、自宅に帰ったのが午後9時過ぎ。
家族のみんな、ドライブ好きのパパにつきあってくれて、ありがとう!




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2003年02月22日(土) 戦争と平和とアメリカ人(その4)

昨日でひとまず「戦争と平和とアメリカ人」のシリーズを中断しようと思っていたのだが、今日ラジオのニュースで聞いた話を紹介せずにいられなかったので、もう一日だけ追加。


アメリカの、とあるレストランでは、フレンチ・フライ(日本で言うところのフライド・ポテト)の名前を、リバティ(自由の)・フライと変えたそうだ。

これはもちろん、反米姿勢を明らかにしているフランスへの抗議である。


大人気ないというか、なんというか・・・。


2003年02月21日(金) 戦争と平和とアメリカ人(その3)

昨年、イラクとアメリカの緊張が高まって以来、アメリカのメディアはイラク危機について大々的に報道してきたが、僕が見た限りではホワイトハウスの発表を、そのまま垂れ流しているようだった。

昨年末ぐらいから、街中でちらほらと「No Iraq War!」と書いたプラカードやステッカーを見かけるようになったり、小規模な集会を目撃するようになったのだが、それらについて報道された形跡はなかった。
そういった報道がないと、「アメリカ人の多数が、政府のイラクに対する強硬姿勢を支持している」と思い込んでしまい、なんとなくそういった世論形成がされるような気がする。
その意味、アメリカの報道のほうが、日本の報道よりも偏っていて危険なのかもしれない。
(まあ、日本のマスコミの、「ごく少数派のエゴでしかない意見を、さも大多数の意見のように、もっともらしく伝える」という面も、それはそれで問題なのだろうが)

ところが、さすがにここにきて、世界各国の反戦デモの高まりや、アメリカ国内での反戦デモも「少数」と切って捨てるには、あまりにも大きな集まりになってきたため、アメリカのメディアもこぞって報道を始めるようになった。

そうなってくると一般のアメリカ国民も、「世界各国が反対している中、アメリカが何故イラク攻撃をしなければならないのか」といった、至極当然の疑問をもつようになってくる。

また、個人の損得勘定上、次のように戦争反対を唱えるデモ参加者もいた。

「私は大学を卒業したけれども、仕事を手にすることができない。イラクに爆弾を落とすお金があるなら、景気をよくするために使って欲しい。それにイラクを攻撃したら、余計にアメリカの敵を増やすことになって、そのことはまた景気に悪影響をあたえるのだから本当にやめて欲しい」

イラクを攻撃する必要性への疑問に加え、攻撃することによる国民生活へのデメリットについて報道されるようになってくると、ホワイトハウスも「国民の声」を無視することはできなくなり、ブッシュ大統領は国民に向け、次のようなメッセージを送ることになった。

「自由ということはとても素晴らしい。このように政府の立場に反対する意見を表現することができる。しかし、大統領として反戦デモにより立場が変わることはない」


今後、本当にアメリカがイラクを攻撃するのか、それとも何らかの理由によりそれが回避されるのかは、僕には分からない。
しかし、僕にはどう考えても、アメリカが「単独」でイラクを攻撃した時に、ブッシュ大統領の株がアメリカ国内で上がるとは思えないのだ。
仮に国連の合意形成なしでイラクを攻撃した時、ブッシュ大統領の支持率があがるようであれば、僕はこの国の人の論理的思考回路を疑うかもしれない。


2003年02月20日(木) 戦争と平和とアメリカ人(その2)

考えようによっては、先進国の中でアメリカ人ほど純朴な国民はいないかもしれない。

イラク問題に関して言えば、「イラクは悪い国だから、アメリカが世界の安全のために戦わなければならない」と、固く信じている人もいるし、またマスコミで「炭疽菌攻撃を受けたときのために、ダクトテープを用意しておきましょう」と流れると、店からダクトテープが無くなるほど売れる。

ちょっと考えれば、「フセインは悪いヤツかもしれないが、イラク国民は・・・」の先が続けられるだろうし、また「ダクトテープごときで、化学兵器の攻撃から見を守ることができるわけがない」ということに気づくと思う。


加えてアメリカ人は、徹底的に白黒をつけたがる。

ちょっと別の事例だが、以前出張でアメリカに来ていた時に、大きな地震に遭遇したことがある。その時会議中だった僕は、揺れが少しおさまった時に非常口から建物の外に避難したのだが、会議室の中には、パスポートと帰りの航空券が入ったかばんを残したままだった。会議室は非常口から近かったので、ものの10秒もあれば持ち出すことができたのだが、建物の安全が確認できないという理由で、その日はその建物に一歩も入ることができず、結局かばんは翌日になるまで持ち出せなかった。

この時意外だったのが、一緒に会議に出席していたオランダ人のエンジニアが、

「まったくアメリカ人ときたら、なんでもかんでも白黒つけやがって。少しは融通を利かせろっつーの!」

という言葉を発したことだった。

それまで僕の中では、「欧米人」という括りでしか捕らえていなかったのだが、「アメリカ人とヨーロッパ人(少なくともオランダ人)で、考え方がちがう」という、ごく当たり前のことに気づいた出来事であった。


話が少々ずれたが、イラク問題を語るときに、アメリカ人の、この「純朴さ」と「白黒つけたがる国民性」を抜きにはできないと思う。
「フセインは悪いやつだから、やっつけてしまえ」という「純朴な正義感」が、「黒」と認定した悪者を成敗せずにはいられないのだ。


と、ここまで意図的に「石油の利権」とかいった政治的な話を抜きにして書いてきた。それは、実際のところは僕達一般人には計り知れないところであるという理由と、一般のアメリカ国民にとってそんなことは、どうでもいい話だからである。

僕が不思議に感じたのは、「政府がイラクを攻撃する」と宣言した時に、それを支持する国民がなぜこれほど多くいるのかということだった。

しかしここに来て、ようやく反戦デモなるものが活発になってきて、国民の受け止め方も変わってきたように思えるのだが、長くなったのでまた明日。


2003年02月19日(水) 祝!日記一周年

2002年2月19日。
大した気負いもなく、僕のウェブ日記はスタートした。

最初の頃は、海外赴任した頃の思い出話をつづっていたので、「このネタが尽きたら日記も続かなくなるのかな?」なんて思っていたが、あにはらかんや1年もの間日記を書き続けることができた。

これは、熱しやすく冷めやすい僕の性格からすると、極めて特異な事例であり、もちろん1年もの間日記を書き続けたのは、人生において初めてである。(これまで日記の最長は中学校の夏休みの1ヶ月)

複数のエンピツ日記作家の方が書かれているが、ウェブ日記というのは、継続して日記を書くのに適していると思う。
それは、やはり自分のことを他人に知ってもらいたいという欲求を、日記を不特定多数の方に公開すると言うことで、かなえることができるからだと思う。


初めてMy登録された時の感激。

初めて投票された時の感激。

初めてメールで感想を頂いた時の感激。

どれもこれもが、とても新鮮な感激であった。


これからも、しばらくの間は「異文化」の中で生活するので、日々のくらしの中で「ハッ!?」とすることを見つけて、日記にしていきたいと思う。


駐在日誌をいつも読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます。
これからも、よろしくお願いいたします。


2003年02月18日(火) 戦争と平和とアメリカ人(その1)

以下は、一人の海外在住日本人が感じた「イラク問題」に対する思いである。

僕の考えは、あくまでアメリカと日本のメディアという「フィルター」を通して得た情報をベースにしているし、そもそもこのような問題には、正解とか間違いとか無いものだと思うのだが、紛争当事国に在住する日本人の一人がどのように感じているのかについて記してみたい。




今回のイラク問題の論点は、「イラクが大量破壊兵器を隠し持っているか否か」であるが、これに「フセイン大統領の脅威」が加わっている。
すなわち、仮にフセインが日米で言われているような危険な人物だとしても、大量破壊兵器を持っていなければ、軍事的に制裁する程の脅威にはならないのだろうし、仮に大量破壊兵器を持っていたとしても、フセインが「危険な人物」でなければ、これもまた軍事制裁には至らないという論理になる。

後者の組み合わせに関しては、例えばインドとパキスタンは核拡散防止条約批准国ではなく、核兵器を保持しているが、これらの国のトップが「危険な人物ではない」ため、軍事制裁の対象にはなっていないことからも、この論理の正当性が証明できる。

では、前者の組み合わせはどうなのだろう。

イラクのフセイン大統領は独裁者で、クルド人なる民族を虐殺した(している)犯罪人だというのが、日米のフセイン評である。国内には諜報組織が散らばっており、国民が自分の意見を言うこともままならないと言う。

しかし、当のイラク国民はどう感じているのだろうか。
テレビで見るイラク国民は、少なくとも北朝鮮の人々よりは、自由に表現をしていると僕は感じる。仮にその内容が反米感情であったとしても、強制または洗脳されて主張しているようには見受けられない。反米感情を持っているのは、フセインとは関係の無い、別の理由なのではないか。

もちろんフセイン大統領に不満を抱いている国民も少なくないのだろう。しかし、そのフセインを追い出す手段として、「自国に爆弾を落とす」アメリカに対して感謝の念を抱くかというと、僕ははなはだ疑問なのである。



では仮に、フセイン大統領が世界にとって危険な人物で、かつ大量破壊兵器を持っているとして、本当に「今」攻撃する必要があるのだろうか。

今のアメリカは、「闇討ちをくらいそうだから、先に殴り倒してしまえ」という論理で、イラク攻撃の構えを見せている。
9.11の時は、確かにアメリカは「攻撃」され、多くの人命を失った。だからこそ、アフガニスタンへの攻撃は、「自国の防衛」として世界各国の理解を得られたのだろうが、イラクからはまだ具体的な攻撃を受けていない。

もしアメリカが、「自国の国民には指一本触れさせない」という立場をとるのならば、「今」攻撃しなければならないのだろうが、そんなことは現実的ではない。脅威の相手はフセインだけではない。
そして、どんなにアメリカ軍が強力であろうとも、イラクへの攻撃を開始した段階で、少なくとも「自国の国民の一人」である兵士の生命の危機は飛躍的に高まるのだ。

「やられたらやり返すぞ!」という凄みを利かせるだけでは満足できないのが、今のアメリカなのだろう。
そしてそれは、9.11の後遺症なのかもしれない。


(続く)


2003年02月17日(月) マイケル・ブラウン(後編)

(前日の日記より続く)


とにかく、知らないものは知らないので、非情にも電話を切った僕であったが、何となくもう一度電話してくるような気がして、携帯を自分の近くに置いておいた。

最初は単純な間違い電話だと思ったのだが、相手が控えている番号はまぎれもなく僕の携帯電話の番号であることは、すでに確認していた。
僕の携帯電話は前任から引き継いだもので、もう5年くらい使っているものである。もちろん前任の名前はマイケル・ブラウンではない(笑)

電話を切ってから20分後。
もうあきらめて、電話をかけてこないかな?と思いかけたころ、2度目の着信。

結局、1回目の電話と同じ展開になる。
僕は、

「僕は仕事でアメリカに住んでいるだけの日本人で、マイケル・ブラウンなんて名前は聞いたことが無い」

というと、

「でも、このエリアコード(市外局番)は、○○○○だし、間違いない!」

とか言うので、

「同じエリアコードでも、僕は△△△△に住んでるから違うよ」

と指摘すると、

「じゃあ、あなたはお金持ちなの?」

とか訳のわからないことを言ってきた。
注:僕の住んでいる△△△△は、比較的富裕層が住むと言われる地域

ここに来て僕は、相手の声がやや酔っているようにも聞こえたので、

「あんた、Emergencyとか言ってるけど、ふざけてんの?」

と怒ったところ、

「ふざけてんのは、あなたの方でしょ!」

と返された。

「僕はふざけてなんかいない、単にマイケル・ブラウンなる人物を知らないだけだ」

と言うと、

「ふざけてないんなら、嘘をついているんだ!」

とか言ってきた。
僕は益々頭に着たので、

「あんたの電話番号は、こっちに伝わってるんだよ!911(警察)に通報してやるからな!」

と言うと、相手は早口でモゴモゴ言いながらやっと電話を切った。

最初からイタ電をするつもりなら、発信者の電話番号は非通知にしておくだろうし、結局イタズラなのか単なる間違い電話なのか最後までわからずじまいだった。




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2003年02月16日(日) マイケル・ブラウン(前編)

数週間前のこと。

夜、僕の携帯に一本の電話がかかって来た。
その時間帯の携帯電話の着信は、日本からの緊急支援要請のことが多く、「をを!仕事かいな」と思って携帯を手にとって見ると、見知らぬ電話番号からの電話である。

電話の主は、若い女性であった。

「マイケル・ブラウンと話したいんだけど」

とか言う。
無論、間違い電話であるため、

「You have wrong number.」

といって、電話を切ろうとした。
普通はここで、

「Sorry」

と終わるところなのだが、彼女は

「マイケル・ブラウンがそこにいるのは、分かっているんだから、出しなさいよ!」

といって譲らない。
そこにいるも何も、これ携帯電話だし・・・と言ったのだが、頑としてつないでくれとの一点張り。
といっても僕にもどうしようもないため、

「いるもいないも知らないんだから、あなたのお役には立てないよ」

と電話を切ろうとしたところ、

「そんな意地悪言わないで・・・Emergencyなんだから・・・」

と今度は泣き落としにかかってきた。
怒られようが、泣かれようが、緊急事態であろうが、全く手がかりも無い人にはつなぎようも無いので、僕は電話を切った。

(明日に続く)


2003年02月15日(土) Sock Hop Night

2月14日はSt. Valentine's Day.
嫁が日本への土産として買っていたチョコレートが、日本行きの中止とともに余ってしまったため、秘書のスーに「嫁から君へ」と言ってプレゼントする。

ちなみに昨日のことをスーに話したところ、

「あなた達、日本語で話をしてたんでしょ?」

と半分呆れられてしまった。

息子のElementary Schoolでは、プレゼントというよりはカードを配る方が主流らしく、前日まで息子はせっせとカードを書いていた。
カードを貰える子と貰えない子がいると・・・という配慮から、学校からは「配るのならばクラス全員に配りましょう」という指示があったため、息子は20枚以上のカードを書いていた。

夜はこれまたElementary Schoolのジムで「Sock Hop Night」なるイベントがあり、家族で参加してきた。
「Hip Hop」ならぬ「Sock Hop」だったため、学校の造語かと思ったのだが、辞書を引くと「50年代のダンスパーティー」とされていた。
ジムに行くと、大きな音楽でダンスミュージックが流れていて、ステージの周りで子供たちが思い思いに踊っていた。
ステージ横ではポップコーンと綿あめが売っていたりと、小さなお祭りのような感じであった。

息子は友達を見つけては、ちょっかいを出してふざけあったりと、楽しそうにしていた。
友達の一人に、よく息子と一緒にいる背の高いアフリカン・アメリカン(黒人)の子がいたため、帰ってから息子に名前を聞いた。

「今日、一緒に遊んでいた色の黒い子の名前はなんて言うの?」

「え?」

「ほら、黒人の子だよ」

「え?黒人ってなに???」

という会話から、息子は「黒人」という単語を知らないということに気が付いた。
確かに息子の通う学校は、多民族国家のアメリカの中でも、かなりいろいろな地域の子供たちが集まっているため、肌の色や言葉が違うのがあたりまえ、という環境である。そんなことよりも、子供たちにとって重要なのは「気が合うか、気が合わないか」というところなのだろう。

いろいろな民族が、地球には住んでいるということを「肌で感じる」ことができるという面においては、息子を今の学校に行かせて良かったなと思う。


2003年02月14日(金) 誤解 対 誤解

先日誕生日を迎えたウチの嫁は、ちょうど日本の運転免許の更新時期も迎えた。
海外などに住む人は、期限前更新という制度を利用できるのだが、僕も嫁もまだまだ更新は先だと勘違いしていたため、嫁が去年の夏に帰国した時に、免許の更新は行わなかった。

今の制度だと、通常は誕生日から1ヶ月後が免許の更新期日(失効日)となる。
しかし、失効日から6ヶ月以内であれば、「うっかり失効」として、実技・学科試験無しで運転免許の再取得が可能である(僕の理解では、この時点で初心者扱いとなる)。
さらに、海外に住むなどの「やむを得ない理由」がある場合は、失効から3年以内で、かつ「やむを得ない理由が終わってから1ヶ月以内」に申請すれば、実技・学科試験無しで再取得が可能である(この場合も、初心者扱いとなる)

というわけで、「なるべくならば」初心者扱いにならないためにも、誕生日から1ヶ月以内に更新したほうが良いという話を、秋頃に嫁と話していた・・・と、「思っていた」のだが、嫁はどうやら

「どうしても日本に帰って更新しておいたほうが良い」

と理解していたようで、それで明日から2泊4日という強行軍で、「免許更新日本の旅」に出る準備をしていた。

僕は僕で、嫁が「日本に免許の更新に行く」といった時に、「まあ短期間だけれども子供とはなれて、久しぶりに友達と会ったり、日本のテレビを見たり、買い物をしたり、リフレッシュしてくればいい」と思っていたので、特に「行く必要はない」などとは言わなかった。

出発を明日に控えた、今日。
僕が家に帰って、明日からのことを嫁と話していると、

「そういえば、Mさんと免許の更新の話をした時に、アメリカの免許を日本に帰ってから切り替えればいいと、言われたんだけど・・・」

とか、言い出した。
これは、実は昔の話で、今は外国免許の切り替えも、実技と学科が必要だということを嫁に話して、

「まあ、免許の更新だけを理由に日本に帰るっていったら、皆不思議に思うだろうけどね」

と言った。
すると嫁は、

「エッ!それじゃ免許更新しなくても良いの?」

というので、

「初心者扱いになることを除けば、別に特に面倒くさいこともないけど・・・」
「君が日本でリフレッシュしたいと思ってるのかと思ってたんだけど・・・行きたくないの?」


と尋ねたところ、

「ウン、面倒くさいし。」



というわけで、明日からの日本行きは急遽キャンセルとなりました(笑)




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2003年02月13日(木) 家の賃貸の話

家を貸したことがある人ならば分かるかもしれないが、2年や3年の期間のみ家を貸すというのは、なかなか難しい。

わが家の場合、2001年の8月に引越しをしたのだが、翌2002年の3月まで借り手がつかなかった。
期間を限定しない賃貸ならば、割と借り手がつきやすいとの事なのだが、僕は3年から4年後には帰国をする予定なので、そういう契約にするわけにはいかない。

結局、賃貸契約は3年間としたのだが(2年契約ならば、さらに借り手がつきにくい)、仮に僕がきっかり3年の赴任期間で帰国するとなった場合、帰国する2004年の8月から、賃貸契約が満了する2005年の3月までは、わが家に帰る事はできない。

このように、持ち家をもっている海外駐在員・研修生は、多かれ少なかれ皆それぞれ苦労をしているようだ。



そんな一人、2年研修生のTさんの場合。

今年の4月には研修期間を満了し、帰国の途につく予定である。
Tさんの場合、赴任期間が確定していない駐在員とは異なり、2年研修ということは最初から決まっていた。
家の賃貸に関してどういう契約をしたかは聞いていないが、たぶん2年の契約にしたのだろう。

しかし、かなり上手くいったとしても、家を空けてから賃貸契約者の入居までには2〜3ヶ月かかるのが普通である。
となると、普通に考えれば今年の4月に帰国する時には、まだ賃貸人が家に住んでいるという状況になる。

ところが、である。
先日何かの機会に、ウチの嫁がTさんの奥さんに話を聞いたところ、賃貸人はタイミング良く契約を解除して、既に退去済みとのことなのだ。

「良かったですね〜」

と嫁がTさんの奥さんに言ったところ、

「どうやらウチの隣の人が、「Tさん帰ってくるらしいわよ・・・」と言ってくれたらしいのよねぇ〜♪」

と・・・。





それって「グル」なんじゃ・・・
(↑わが夫婦の陰の声)


2003年02月12日(水) 日本のわが家の写真

以前に書いたことがあるが、僕は日本に持ち家がある。
今は、「転勤の間だけ♪」でおなじみの会社を経由して、その家を賃貸している。
(とはいっても、ローン代もでないほどの賃貸収入であるが・・・泣)

先日その会社から、自宅の最近の様子(外側)を撮影した写真が送られてきた。
駐在3号も同じ会社を通じてマンションを賃貸しているが、写真は送られてきたことが無いというので、これは一戸建てを賃貸している家主に対するサービスなのだろう。

写真を見ての感想だが、3年ほど前に玄関近くに植えたコニファー(植えた当時1.5メートルほど)が、もはや2階に届こうかというほど巨大化しているのに驚いた以外は、僕達が家を後にした状態のままのようなので安心した。

僕達が写真を見ていると、息子が寄ってきて、

「あ、僕んちだ、なつかし〜い」

と言った。
そこで試しに、ご近所さんのことを覚えているかどうか尋ねてみたところ、だいたい覚えていた。

ところが、同じことを娘に聞いたところ、お隣のおばさんのことを覚えていただけで(それも名前をいわれて思い出した)、南向かいのMちゃん(1歳上)のことすら忘れてしまっていた。

確かに日本を離れた時には、彼女はまだ3歳。
覚えていろというほうが、無理かもしれない。


大きくなった時に、彼女の一番古い記憶はアメリカでの記憶なのだろうか。
何か不思議な感じではある。




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2003年02月11日(火) 車の鍵紛失事件(追記)

今日、会社から帰ってくると、嫁がおもむろに、

「鍵を無くしたこと、日記に書かれてるわよ」

とか言う。
嫁が僕の日記を読んでいるのは知っているが、書かれてるも何も自分で書いてるのだから、この人は何を言ってるんだろう?と思いながら、

「うん、書いたよ」

と答えたところ、

「違うのよ・・・」



「あなたの息子が(補習校の宿題である)日記に書いてるのよ(笑)」




そんなところで、リアル社会に父の恥をさらしてどうする・・・(激痛)>息子よ



【以下息子の作文】

ぼくと、パパが、スキーをして、ジュースをかったらパパの車のカギをなくしてパパは、「ない、ない、ない、ほんきで、ない。」と、いいました。車をぬすまれたらたいへんですよね。みんなもきをつけてくださいね。


2003年02月10日(月) スノボへの道(レッスン最終回)/車の鍵紛失事件

本日は、6週連続のスノボレッスンの最終日。
(風邪で4週目はお休みしたが)

ここのところの少雨のため、雪は少なくて固かったが、天候にも恵まれ絶好のレッスン日和であった。
最終レッスンということもあり、これまで習ったことを一つ一つ確認するように滑る。最初は「6週程度で滑れるようになるのかな?」と不安だったが、なんとかターンはできるようになった。

レッスンが終わり、午後は息子と二人で「上級コース」にチャレンジ。
息子もレッスンのおかげで、少々急な坂でも滑ることが出来るようになっていた。
スノースポーツ歴の長さのおかげで、まだ僕のスノボのほうが息子のスキーよりも多少は上手だが、抜かされる日もそう遠くないと思う。


ところで、先週シーズンパスをなくした息子であるが、今週はゴーグルを無くしたとか言って騒いでいた。
結局はロープトゥの係員が拾ってくれていて、手元に戻ってきたのだが、また無くし物をしたので、

「お父さんは、無くし物をするのは大嫌いだ!」

といって、今週もきつく叱った。
これがお昼前のこと。


ところが、である。


午後の息子とのスキー&スノボを終えて帰ろうとしたときのことである。


ポケットに入っているはずの車のキーがない!


僕のスノボウェアにはポケットがいっぱいついているので、ひとつひとつ探したのだが、どこを探しても鍵が出てこない。

最初は、「家にあるスペアのキーを使えばいいんじゃない♪」とかお気楽なことを言っていた息子も、事の重大さに気が付いて泣き出してしまった。

「こんなことで、泣くな!」

と息子を叱りながらも、元はといえば自分のせいであるし、かつ「嫁に迎えに来てもらうしかないなぁ・・・」と情けない思いでいたのは僕の方だった。

嫁に救援の電話をする前に、ダメ元でLost & Foundに行ってみた。
【駐在2号。のワンポイント英語】Lost & Found=遺失物預かり所

そこで、

「鍵を落としたんですけど、Lost & Foundに鍵は届いてませんか?」

と尋ねたところ、

「スバルのやつ?(笑)」

と言いながら、係員のお姉さんが僕の鍵束を持ってきてくれた。





「OH,MY GOODNESS!」
【駐在2号。のワンポイント英語】Oh, my goodness!=なんて幸運なんでしょう!

と僕は思わず大きな声を出したので、カウンターの隣にいたおばさんが驚いた顔をしていた。

あとから思うと、リフトに乗る前に、ウェアの中に入った雪を払うときに、どうやらポケットから鍵束が落ちたらしい。

幸運にも鍵はLost & Foundに届けられていたのだが、「なくし物」について息子を叱った後だけに、とてもバツが悪かった。


帰りの車の中、息子とLost & Foundの話になり、

「落し物を落とした人はとても困っているんだから、拾い物をした時はきちんと届けるんだよ」

と言ったところ、

「うん、わかった・・・




ロスト・ランドに届ければ良いんだよね」


と・・・。



そんなに楽しいところじゃないんだけどね>ロスト&ファウンド



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2003年02月09日(日) ホームパーティー

今日は、会社関係の人を招いて、我が家で飲み会ホームパーティーを行った。
参加者は
・駐在3号夫妻
・グループ会社のIさん家族
・1月から研修生として赴任しているS君

Iさんには、おととしの年末、去年の年末、そして嫁が帰国中の昨年の夏と、3回もお食事をお世話になっているのに、なんと今回が初めてのわが家へのご招待。
わが家の中に入るのが初めてというIさんに、大変恐縮してしまう。

僕は基本的にエーカッコCの人間なので、人を我が家に招く時は、家の中がきれいでないと気持ちが悪い。
なのに、子供たちは部屋の中を散らかし放題だし、片付けなさいといっても平行移動のみ・・・。

おもわず朝から大きな声で怒ってしまった。


今日のメンバーは、気の置けないメンバーばかりだったので、珍しく僕も良い気分でビールをいっぱい飲んだ。

明日はスノボレッスンの最終日。
ちゃんと朝起きられるかな?



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2003年02月08日(土) 嫁の誕生日

今日、2月7日は嫁の三十ウン回目の誕生日だった。

たまにはお祝いをしてあげようと、どこか良いレストランでもないかなぁ・・・と考え、とあるレストランを前日に予約した。

そのレストランは、以前に行ったことのあるレストランなのだが、その予約をした時に「何かのお祝いですか?」と聞かれたことのあることを覚えていた。
そのときは特にお祝いというわけではなく、単に日本から来客がありお連れしただけだったのだが、予約の時にお祝いかどうかを聞くということは、何か特別なサービスがあるということだろうと思ってそのレストランにした。

そのレストランは、この街ではそこそこ有名なレストランで、海越しにダウンタウンの夜景が楽しめるため、僕の一番好きなレストランだ。
値段はそう安くは無いが、特別高い!という程でもなく、かつ子供連れも「まあギリギリセーフ」というレストランのため、家族連れにも使い勝手が良い。
(レストランによっては、子供お断りのところもある)

レストランに着き、予約をしている旨を告げると、早速嫁に向って「ハッピーバースデー」と店員が声をかけた。
席に案内されると風船が飾ってあり、何かの記念であることが分かるようになっていて、ウェイターやウェイトレスが次々とハッピーバースデーと嫁に声をかけていた。

実は今日の昼間に、嫁は娘の通うプリスクールから呼び出され、最近の娘の授業態度があまりよろしくない旨指導を受けて落ち込んでいたのだが、とりあえずレストランにいる間は、誕生日の気分を味わえたようで楽しそうにしていた。
(僕に気を遣って、楽しそうにしていただけかもしれないが・・・)

ディナーの最後には、店からバースデー・ショートケーキ(ロウソク一本付き)がサービスされ、子供と一緒にハッピーバースデーの歌を周りの迷惑にならない程度の声で歌った。

まあ、たまには少々贅沢に、バースデー・ディナーも良いでしょう。



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2003年02月07日(金) 英語のテスト@息子

息子は現地のElementary Schoolの1st Gradeである。
いかに息子が英語を母国語としなくても、当然ながら授業は英語で行われ、またテストも行われる。

算数に関して言えば、息子は土曜日の日本語補習校でみっちり教わっているため、Elementary Schoolで出される問題は楽勝で解いてくる。

「英語」の授業は、ウチの息子のように英語を母国語としない子供がいたり、また、英語を母国語とする子供たちの中でもそのレベルに違いがあるため、習熟度別にクラス分けされて授業が行われる。
授業は現在のところ読解力を養うというものではなく、「読み書き」に主眼が置かれている。
今まで息子が持ち帰ってきたテストは、先生が口頭で言う単語を書き取るというもので、先日は満点を取って帰ってきたので、僕達夫婦はとても驚き、そして息子を誉めてあげた。

その翌週、今度は最初の2問以外は正解。
最初の2問はそれほど難しくなかったので、息子の性格からすると、多分「単に聞き漏らした」ものと思われた(笑)

そこで僕は、

「先生の言うことを、きちんと集中して聞いていたら100点取れたんじゃないの?」

と息子に言ったところ、当の息子ではなく嫁が不服そうな反応を示した。
いわく、

「そんなこと言ったって、英語で話されているんだから、全部聞き取れるわけ無いじゃない!」

「これだけ出来たんだから、誉めてあげなきゃ」


と言う。

「そうは言っても、満点がとれるのに取れなかったのなら、もったいないじゃない」

と反論したところ、嫁はキレて、

「じゃあ、あなたは、会議で話されていることが全部わかるの!」

とか、痛いところをついてきた・・・。


奥さん、それは言わない約束でしょ・・・(涙)



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2003年02月05日(水) TOEIC結果発表

先日受験したTOEICの結果が返ってきた。

先日書いたように、今回は「受験すること自体」が目的であり、何点以上とらなければならないというものはない。
しかしながら、やはり試験である以上個人としての目標はあり、それをクリアできるかどうかが、僕の中では一番大きなポイントであった。

今回の目標は

1)日本でとった自己最高点数を上回ること(もっとも消極的な目標)

2)日本でとった自己最高点数+70点(まあ、いけるだろうという目標)

3)日本でとった自己最高点数+120点(うーん、どうかな?という目標)


の3段構えとしていた。


結果、



1)の目標しかクリアできなかった・・・(涙)



日本にいた時に、当時の自分のレベル以上の点数をとったであろうことを差し引いて考えても、この得点の停滞具合は、はっきり言って、

「1年半何してたの?」

と叱責されても仕方の無いものである。

総合点数に関しては正直肩を落としたのだが、今回の結果にはこれまでにない大きな特徴があった。

それは、ListeningとReadingの点数が100点近く違うのだ。
どっちが良いかといえば、Listening。

これには正直ホッとした。
Listeningの点数だけを見れば、確かに日本でとったことのない高得点であった。

で、なぜ総合点があまり良くなっていないかというと、Readingの点数が日本にいた時よりも下がっているから・・・。(原因不明)



海外駐在として、この点数を人事部に提出するのも癪に障るので、期限までに勉強しなおして、再チャレンジをしようかと思う受験結果であった。
(↑この意気込みがいつまで続くかは疑問だが(笑))



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2003年02月04日(火) シーズンパス紛失

この冬、僕と息子はスキーとスノボのレッスンに毎週通っているため、スキー場のシーズンパスを買ってもっている。

この前の日曜日、午前中のレッスンが終わり、昼食を車の中でとった後、さらにひとすべりして帰ろうと車に戻った時、息子のシーズンパスがなくなっていることに気が付いた。
シーズンチケットは、ネックストラップにつけていたので、そう簡単に首から外れるわけは無いのだが、なぜかストラップごと無くなっていた。

息子に
「最後にシーズンパスを見たのはいつか?」
と問いただしたところ、
「トイレに行った後はあった」
という。

トイレに行ったのは昼食の後だから、その後なくしたらしい。
午後、僕と一緒に滑っていた時には、そんなに激しい転び方をしなかったので、ゲレンデで落としたとも考えにくい。
可能性があるとすれば、僕がレンタルスノボを返しに行っている間に、一人で雪山遊んでいた時くらいなのだが、その周りにも落ちてはいなかった。

仕方がないので、スキー場のカスタマー・デスクに行き、シーズンパスを紛失した旨を告げると、今度来る時までに落し物として届出がなければ、20ドル払って再発行してくださいとのこと。

20ドルは安くは無いが、買い直すことを考えればまあ許容範囲である。

とはいうものの、親の立場としては、
「大切なものを無くすということは、とてもいけないことだ」
ということを教えなければならないため、かなり強く息子を怒った指導した。


翌日。

朝、会社に行く時に、息子のジュニアシートを僕の車から嫁の車に移そうとしたところ、ジュニアシートの下に見慣れた赤いストラップが見えた。

そう、シーズンパスは息子のジュニアシートの下になっていたのである。

ということは、
「トイレに行った後はあった」
という息子の証言は、全くの記憶違いであるということである。。。

状況からすると、昼食を車で取った時に、首から外したのだと思われる。


ということは・・・





午後はシーズンパス無しでリフトに乗ったって言うこと???

リフト券はちゃんと確認しようね>スキー場の係りの人




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2003年02月03日(月) 日本語補習校幼稚部入園面接

わが家に1台しかないパソコン(日本語)のキーボードを娘に壊されて、腹のそこから大きな声で娘を叱り飛ばした駐在2号。です。
まあ、ボタンが外れただけだったので、とりあえず自分で直しましたけど。

この地にて入手・修理が難しい日本語パソコンを壊したことも怒りの原因ではあるものの、壊したあと見つかるまで黙っていたことが、怒りのパワーを増幅させたことは言うまでも無い。

モノを壊したら、壊したときに謝りましょうね>良い子のみなさん




キーボードを壊した娘(←根に持ってる)は、今年の4月には日本の学年で幼稚園の年長さんになる。
日本語補習校にも幼稚部(年長組のみ)というものがあり、土曜日は来年度の入園児面接があった。

地域によって運営方法は異なるのだろうが、ここの補習校は当地の商工会が運営母体となっており(校長・教頭は文部省から派遣)、僕の会社は商工会の会員のため、よほどのことが無い限り会員の子女は入園できることになっているのだが、それでも面接はあった。

面接は、子供の日本語能力を確認する目的で行われる。
質問は、

・名前、年齢
・家族の構成
・今日誰と来たか
・乗り物の絵を見て乗り物の名前を言う
・公園の遊具の絵を見て遊具の名前を言う(ブランコ・滑り台など)
・色の名前
・クレヨンで丸や四角を書く
・指示されたとおりの行動を行う(机の下にもぐったり)

などなど、結構みっちり行われた。
ウチの娘に関して言えば、もちろん家の中では日本語で生活しているわけで、特に問題がないと思っていたのだが、意外な言葉を知らなくて親のほうがビックリした。

以下は娘が出来なかったもの。

・横を向く(「横」が分からなかったらしい・・・)
・銀色(金色はOKだったのに・・・)
・お母さんの周りをまわる(お母さんに寄り添っただけだった・・・)
・砂場(「砂」までは分かったのだが・・・)

お子さんの日本語能力の維持、向上に努力しましょう>海外在住日本人の皆様



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2003年02月02日(日) Find the root cause, fix it and move on

土曜の朝起きると、スペースシャトルの事故を速報していた。

【駐在2号。のワンポイント英語】:ニュース速報=Breaking News

テレビでは、チャレンジャーの事故の時と似た青空の中を、白い雲を引きながら飛ぶ(墜落する)コロンビアの映像を繰り返し流していた。
時間がたつにつれ徐々に状況が明らかになってきて、間違いなく爆発・墜落したと報道し始めた。

NASAによる最初の記者会見が午後1時10分頃(EST)。
(↑全国同時中継の場合は、ESTが標準時となるようだ)

この時点では、記者からの質問は受け付けず、墜落したと思われるとのごくごく簡単な事実を伝えるにとどまる。

次の会見は午後3時の予定であったが、始まったのは午後3時30分。
ここで爆発直前に、シャトルの左翼油圧系統や、タイヤ圧に異常値があったことが明らかになる。

左翼に発生した異常は、打ち上げの時に損傷を受けたことが原因である可能性があるとのことだが(現時点では因果関係不明)、もしそうならば「損傷を過小評価」したことが墜落の原因ということになる。
損傷が与える危険性をきちんと評価していれば、例えば乗組員を宇宙ステーションに一時的に避難させ、救援シャトルを打ち上げるという選択肢もあったのではないか。

いずれにしても今後の調査により原因は明らかにされるのだろうが、僕もエンジニアの端くれとして、今後心にとめておくべき判断事例になるような気がする。


もう一つ僕の心に残ったのが、記者との質疑応答の中でNASAのプログラム・マネージャーが言った、

We will find the root cause, fix it....., and move on.

というくだり。

そう、エンジニアたるもの、失敗して諦めるのではなく、失敗の根本原因をつきとめ、それを直し、そして前進していかねばならない。

頑張れNASAのエンジニア。



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2003年02月01日(土) 水難の相あり

一昨日の水漏れ騒動に引き続き、昨日は食器洗い機が不調になった。
食器洗い機は、キッチンに備え付けの大型のもので、故障の内容は中に溜まった水が抜けないというものだった。

フィルターか何かが詰まっているのかな?と思ってみてみたが、どこも詰まっている様子はない。
仕方が無く、食器洗い機のマニュアルを読んでみると、シンクのすぐ横にある「エアー・フィルター」なるものが詰まっていると、水が抜けなくなるとのこと。

早速、エアーフィルターを取り外したところ、確かに少々詰まっている様子。
簡単に水洗いをして、試しに食器洗い機を作動させてみた。

すると、

エアー・フィルターのラインから、それまで溜まっていた水が滝のようにあふれだし、シンクの下の収納が水浸し・・・。

ちゃんと、エアー・フィルターを元に戻してから、試してみればよかった。



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