部長motoいっぺい
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2002年12月31日(火) 年末餅つき大会

昨日のスノボ体験の後、午後2時くらいからヤマモトさん宅にて、年末餅つき大会が催されたため、家族全員で参加してきた。

ヤマモトさんというのは、日本人のご主人とアメリカ人の奥さん、それとハーフのお嬢さん二人の家族で、下の娘さんがKindergartenの時息子と同じクラスだった家族である。

僕は午前中のスノボ体験でお疲れだったのだが、子供たちはヤマモトさんの家に行きたがっている様子だったので、重い腰を上げて行くことにした。


ずい分前に嫁から聞いた話しだが、山本さんのご主人は、九州で消防署勤務(消防団?)の時に、英会話学校で当時先生をしていた奥さんと知り合い、そのまま結婚。二人の娘をもうけた後、2年ほど前に奥さんの母国であるアメリカに移住したという一風変わった経歴を持つ人だ。

アメリカに来てからは、家具をつくる学校に通い、家具職人としての腕を磨いているようで、家の中にはなかなか立派な本格和風家具がさりげなく置かれていた。


で、餅つきのほうなのだが、

これもなかなか本格的な餅つきで、日本でもこんなにきちんとした餅つきをする家は少ないだろうというものだった。

蒸篭(←セイロってこんな漢字なのね)でおこわを作り、立派な石臼の中に入れて杵であらかたすり潰し、その後餅つきが始まる。

僕も数分の間餅つきを手伝ったのだが、普段使わない筋肉を使ったため、腕が途中でだるくなるほどだった。

こうしてつきあがった餅は、ふっくらとしてとても美味しかった。



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2002年12月30日(月) スノボへの道(地獄の初体験編)

本日、不肖駐在2号。、初めてスノボなるものを足に致しました。

今日のスノボは息子と二人連れ(息子はスキー)。
息子は先日のスキーで雪山を滑る感覚をつかんだようで、朝から張り切っていた。

とりあえず、インターネットにて申し込んでいた、スノボのシーズンレンタル手続き(99ドル)を行い、スノボを借り出す。

レンタルオフィスの外に出て、平地にてスノボを履いてみる。

とりあえず、平らなところなら大丈夫そうだ。
↑あたりまえ。


他の人の姿を見て、とりあえず平地での足の運びを練習してみる。

うん、これならなんとかリフトに乗れそうだ
↑自信過剰。


息子とともに、リフトに向う。
リフトに乗り込むハードルはなんなくクリア!
問題は、リフトを降りるところだ。
息子の面倒などそっちのけで、自分が滑り降りることに専念する。

結果、

とりあえず、リフトは止めなかった!
↑リフトの下でコケたけど。


で、地獄はここからだった。

僕の乗ったリフトは、いちばん簡単な初心者向けコースに設置されたものだったのだが、何しろ、




立てない!

正確に言うと、立てるのだが、すぐにあらぬ方向に滑り出し、しりもちをついてしまうのだ。

そうこうしているうちに、息子は覚えたてのボーゲンで、「スイスイと」下に降りていく。。。


「ちょっと待っててぇ〜!」

立場逆転の瞬間である。


立っては転び、転んでは立ちの繰り返しで、ちっとも下に降りられない。
なんとかコースの真ん中の方に滑っていこうとするが、気持ちとは裏腹にどんどんコースの外れの方に滑っていってしまう。

息子はどんどん滑っていって見えなくなってしまった。


北の大地生まれの駐在2号。
物心つく前からスキーをたしなみ、気が付いた時にはスキーが出来るようになっていた。

その僕が、である。

初めて「スキー初心者」の気持ちを理解した瞬間であった。


息子が見えなくなってしまったため、早く下に降りたい気持ちはあるものの、どうにもならない。

「まさかあいつ勝手にリフトに乗ったりしないだろうな」

と不安を感じ始めた時、はるか下のほうに息子らしき子供の姿が見えた。

「あ、いた。待っていてくれてるのかな?」

と思ったら、その人影はどんどん近づいてくる。
それはなんと、







息子がオヤジを心配して、スキーを担いで雪山を登ってきていたのだ!
↑エー話しや・・・(涙)


その後、スロープが徐々になだらかになってきたのもあり、最後の1/5ぐらいは、息子と一緒に

一応、スノボらしいスタイル

で、下まで降りることができた。



所要約1時間。






その後、レンタルスノボを返し、スキーに履き替えたことは言うまでもない。




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2002年12月29日(日) スノボへの道(その2)

昨日、ヘルメットを二つ買いに行った。

1月から始まるスキースクール(息子)と、スノボスクール(僕)のためである。
日本のスキー場でヘルメットをかぶっている人はあまり見かけないが(最近はそうでもないのかな?)、こちらではごく普通にヘルメットを着用している。
(自転車に乗っている人などは、ヘルメット(競輪選手がするようなやつ)をかぶっていない人の方が少ない)

まして僕はスノボ初体験なので、どこをどう打つかわかったモノではない。
安全のためにヘルメットを買うことにした。


ウィンタースポーツ用ヘルメットの値段は意外と高く、セール品でも僕の買ったのは80ドル、息子用のは50ドルだった。

息子のヘルメットは、(安いやつとしては)40ドルのブラック・50ドルのブルーの2種類あったのだが、息子に

「どっちがいい?」

と聞いたところ、すかさず

「ブルーがいい!」

と答えられた。
僕は、

「ブルーの方はちょっと高いんだよなァ・・・」

と言ったところ、息子は

「じゃあ、ブラックのほうでいいや」

と殊勝なことを言った。
さすがに少し可哀想だったので、

「ちゃんと、お母さんの言うことを聞くか?」

「ちゃんと、勉強するか?」

と聞いたところ、

「ウン!」

と返事をしたため、50ドルのブルーのヘルメットを買うことにした。



息子はその10ドルが高くつくことを知らない・・・(笑)



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2002年12月28日(土) 大学教授からのクリスマスカード

25日の日記に書いた内容のメールを、クリスマス&年賀状メールとして、友人・知人に送ったのだが、さすがに恩師や親戚には別途クリスマスカードを送った。

その中の一人に、僕の大学時代の担当教授であるS教授がいるのだが、一昨日そのS教授からクリスマスカードが送られてきた。

S教授に宛てたカードには

息子と娘の「国語」教育(日本語・英語)に苦労しております・・・

と書き添えたのだが、それに対するS教授からのコメントがあった。


人間の言語学習はほんとうに興味津々ですね。
知人で脳内での言語処理をPET、fMRIなどで研究している人がいます。



うーむ。




わからん・・・(汗)



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2002年12月27日(金) アフタークリスマスセール

昨日のクリスマス当日は、ほとんどのお店がクローズになるため、一歩も外に出ずに過ごす。

さすがに2日間も家に引きこもっているのも何なので、今日は25マイルほど郊外のアウトレットモールに行ってきた。

サンクスギビングデーの後、クリスマスまでの間の約1ヶ月の間だけで、アメリカの年間消費の3割ぐらいを稼ぎ出すと聞いたことがある。
そのセール期間の締めくくりとなるのが、アフタークリスマスセールである。

あれば買おうかと思っていたのは、

・息子と僕のスキー、スノボ用ヘルメット
・娘の外出用コート


なのであるが、結局は購買意欲をそそる物がなく、嫁のキッチン雑貨をいくつか購入しただけで帰宅。

オランダからアメリカのSalt Lake Cityを訪問した、陽花さんの日記にも以前に書かれていたが、アメリカは雑貨天国だと思う。

もともとウチの嫁は雑貨好きだったが、その嫁の購買意欲をくすぐる雑貨がそこいら中に溢れている。

今日購入したのも

・ワインたて
・ハンドソープ入れ(サンタバージョン+クリスマスツリーバージョン)
・ペーパータオルホルダー
・テーブルランプ
・その他よくわからんもの複数・・・


これらを在庫投売り価格の1ドル台でゲットして、ホクホク顔の嫁であった。




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2002年12月26日(木) 今年度初のスキー

23日は、今年度初の家族スキーに行ってきた。

一番近くのスキー場は、雪不足のためまだオープンしておらず、車で1時間40分の距離にあるスキー場まで出かけてきた。

そのスキー場の良いところは、もちろん雪質もあるのだが、なんと、


大人が同伴の子どもは無料!

というところにある。

また、12時半からクローズまでの半日券もあり、駐在2号。家は、やおら朝8時頃起きて10時過ぎにようやく出発、12時頃にスキー場について、昼食をとったあとにスキーを始めるという、お殿様スキーをエンジョイしてきた。

大人2人(嫁はスキー初級と中級の間ぐらい)で子ども二人の面倒を見るのは、毎回大変なのだが、今回は先日のウィスラー特訓の成果もあり、


息子は自分ひとりでスイスイ滑っていました。


お父さんは、この日をどれだけ待ちわびたことか!

思わず感動のあまり、むせび泣きそうになりました<大げさ

ともあれ、今年からはスキーを本格的にエンジョイできそうだ。
(スノボは修行になりそうだが・・・(笑))




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2002年12月25日(水) 友人へのクリスマス・メッセージ

みなさま、ご無沙汰いたしております。
アメリカで2回目の冬を迎える駐在2号。でございます。

ぼくの住む街は、例年であれば10月ぐらいから雨が多くなり、11月から翌4月ぐらいまでは雨の日のほうが多いのですが、今の初冬は雨があまり降っていません。
そのせいで、スキー場のオープンが遅れており、まだオープンしていないところもあるようです。

さて、日頃ご無沙汰しております皆様に、年末のご挨拶として本メールを差し上げております。
とはいうものの、とりたてて書くほどの出来事もないので、最近の家族の様子についてお伝えしようと思います。

駐在2号。:
日本にいる時には、「アメリカに1年も住めば、英語がペラペラになるんだろう」と、今にして思えば、「おまえ、アホちゃうか?」と思うような妄想を抱いて渡米して早1年と4ヶ月。
思うように上達しない英語に、いらだちを覚える日々が続く。
会社からの指示により、来年早々には英語の試験を受けねばならないが、「日本にいた時と点数が変わっていなかったらどうしよう・・・」と、一人ブルーになっている今日この頃。
この冬は、一念発起してスノーボードに挑戦してみようかと密かに野望を抱いている。


嫁:
不安でいっぱいだった渡米から早1年と4ヶ月。
さすがに最近は「諦めモード」も板につき、「ちょっとは英語も勉強してみようかな?」と、コミュニティー・カレッジなるところで週2回、本格的に英語の授業を取り始めた。
夫婦出席のパーティーに出るのが憂鬱な彼女だが、去年に比べると各段の進歩を遂げている。ちょっと気を抜くと、僕が聞き取らなかった言葉を聞いてそうで怖い。
子どもの学校を通じて知り合った、キャサリンさんという素晴らしい友人を得て、アメリカの文化を急速に吸収中。
子どもの学校でのボランティアや、趣味で始めたトールペイントなどで、実は家中で一番忙しいスケジュールを持つ。


息子(7歳):
「幼稚園のお友達と離れたくない!」と、泣いて騒いでから早1年と4ヶ月。
言葉が全くわからないまま、現地の学校に放り込まれ、実は家中で一番「英語を浴びている時間」が長いのが彼。親が見ていて感心するのは、決して「学校に行きたくない!」と泣き言を言わないこと。
「Excuse Me」を「どけ!」と訳すなど、語学のセンスにやや難があるが、Readingのクラスは既にネイティブの子の下のレベルに追いついている努力家。
好きになる女の子は、いつも色白・金髪の、大人から見てもとても可愛い女の子。


娘(5歳):
「みんなでいくんだから、おにいちゃんもいっしょにあめりかにいこうよぉ〜」と、訳もわからないまま、お兄ちゃんを誘って渡米してから早1年と4ヶ月。
はっきりいって彼女は英語の達人です。ええ、親ばか入ってます。でも、彼女がアメリカの子と話しをしているのを聞くと、とても自分の子どもとは思えません。彼女が発音できて、僕達が発音できない言葉が、すでに山のようにあります。
「彼女はいつもハッピーね!」と、現地の幼稚園(プリスクール)の先生方にいつも言われるほど、笑かしてくれることが多い彼女ですが、家に帰るとワガママ全開。恐るべし、ソトヅラのよさ。
将来は英語のしゃべれる「お笑い芸人」を目指して育てたいと思います。


と、こんなアメリカ駐在2号。家ですが、来年もよろしくお願いいたします。
皆様も、機会があれば是非こちらにお越しくださいませ。


メリー・クリスマス!



注:一部の実名・街の名前等は駐在日誌用に編集しております。



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2002年12月24日(火) サンタパパの買出し

明日24日からクリスマス休暇で、会社は1月1日までお休み。
明日は晴れそうなので、家族でスキーに行くことにした(スノボデビューは、もうちょっと先(笑))

となると、24日の夜(25日の早朝)のため、サンタパパとしては、今日のうちに買出しに行かねばならない。

娘がサンタさんにおねだりしたものは、

「マイク!」

これで、唄って踊るらしい。
ラスベガスのダンサーへの道、まっしぐらである。

で、買ったのはこれ↓







で、息子はというと、これ・・・(汗)↓






















いわゆるブロックの一種なのだが、なにしろ大きすぎる!
(子どもが中にすっぽり入ってしまう・・・)
また、ブロックというものは、何回も作り直して別の形にしたりすることが重要だと思うのだが、これではその目的を果たすことができない。

実はこのブロックの小さいやつを、誕生日プレゼントとして9月に友達にもらい、このシリーズをえらく気に入ってしまったのだ。
さすがにこれ↑を買うわけにも行かず、もらったブロックよりもピースの多いセット↓を購入。



二人ともこれで納得してくれればいいんだけど。
ってか、納得しなかったら「取り上げるっ!」って脅すんだけどね(笑)



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2002年12月23日(月) スノボへの道(その1)

昨日の日記にかいたように、今年の冬は息子をスキースクールに行かせることにした。
(1月頭から、6週連続の日曜日)
日本のわが家からは、スキー場が日帰り圏内にはないのだが、ここならば最も近いスキー場が片道40分ほどの場所にあるため、ここに住んでいるうちに息子にスキーの基本をマスターさせようという考えからである。

息子がスキースクールに行っている間、僕はスキーを楽しんでいても良いのだが、せっかくの機会なので、スノーボードにチャレンジをすることにした。
といっても、独力でスノボをマスターできる年齢でもないため、息子と同じスクールのスノボクラスに申し込みをした。

来年以降もスノボを続けるかどうかは、今年次第なので、とりあえずスノボはレンタルすることとして(シーズンで99ドル)、ウェアを買うことにした。
今持っているスキーウェアは、10年前のものなので、いかんせんサイズがキツイ古臭い。

スノボウェアならば、スキーにもスノボにも使えるであろうことから、日曜日はウェアを買いに行った。

スポーツ用品屋で、とりあえずどういった形の物が流行なのか、また値段のレンジはどのくらいなのかをチェックし、その後、有名デパートのアウトレットストアに行った。
すると、なかなかよさげなウェアが99ドルで売っている。
経験上、そのアウトレットで売られている物は、なかなか品物がよろしく、かつ値段も正価の半額以下であることが多い。

とはいうものの、すぐに決断することは出来ず、隣の大手スーパーへ。
そこも割とよい物をリーズナブルな値段で売る店なのだが、残念ながらスノボウェアは売られていなかった。

もともと、アウトレットで売られていた物を買うつもりだったので、早速アウトレットに引き返し購入しようとすると・・・



















既に誰かが購入済み・・・(涙)

在庫も当たってもらったが、あいにく僕のサイズ(アメリカのM)で気に入った色はなかったので、仕方なくその店を後にした。


が、やっぱりそのウェアが欲しくなり、そのまま20マイルほど離れた同系列のお店に車を走らせる。


そこで無事、目的のウェアを購入!




スノボへの道、第1関門突破!(違)


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2002年12月22日(日) スタッドレスタイヤ購入

今年の冬は、息子をスキースクールに連れて行くため、冬山に登る回数が多くなる。
そこで安全のため、スタッドレスタイヤを購入することにした。


「I would like to buy Snow Tire」
(スノータイヤが欲しいんですけれど)

「Studs or No studs?」
(スパイク付き?スパイクなし?)

注:僕の住む州では、スパイクタイヤの装着が認められている。


僕はスタッドレスタイヤが欲しかったのだが、思わず
「I wanna buy WITHOUT STUDLESS Tire」
(スタッドレスが付いていないタイヤ)

と言ってしまい、店員に

「You wanna buy Studs, right?」
(スパイクタイヤが欲しいんだよね?)

と勘違いされてしまった。。

否定を否定するこの手の間違いは、割と誰もがやってしまう間違いだと思う。
(日本語でもやることありますよね)


ともあれ、本日無事スタッドレスタイヤを装着。

クリスマス休暇はもうすぐそこ。



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2002年12月21日(土) 英語スランプ

「アメリカに1年も住めば、「ある程度」は英語がペラペラとしゃべれるようになるんだろう」

と思っている日本人は、意外と少なくないと思う。
かく言う僕も、そう思っている一人だった。

しかし、間もなく赴任から1年半になろうとしている今、「ペラペラ」という言葉を自分の英語力に当てはめることはできないと思う。

もちろん、日頃英語を用いて仕事をしているわけではあり、自分の業務上必要な英語力は向上しているのだと思う。

が、である。

自分が赴任前に(勝手に)思い描いた「英語力上昇カーブ」は、自分の現在の能力のはるか彼方にあり、そこに到達していない自分にいらだちを感じる今日この頃なのだ。

最近は、そういう意味で「英語鬱」であり、そうなると英語の会話に苦痛を感じるようになる。当然集中力も散漫になり、本来聞けるはずの会話でさえ聞き漏らすようになり、どんどん悪い方に転がっていく。

この感覚を例えるならば、「TOEICの試験の後半に集中力が散漫になってきた感じ」とでも言えようか。


この精神的な壁を越えられれば、一段階ステップアップできるような気もするのだが、壁の向こうはまだ見えない。


2002年12月20日(金) クリスマス・ディナーパーティー

今夜は、今年最後のクリスマス・パーティー(取引先主催)に夫婦で出席してきた。

座席の指定がなかったのもあり、駐在3号夫婦と同じテーブルで終始過ごす。
駐在3号夫婦は、割とよく「喧嘩」をするらしいのだが、ウチの夫婦ほとんど喧嘩をしたことがない。

どちらが良いとか、悪いとかいう訳ではなく、いろいろな夫婦のあり方があるのだなァ・・と、あらためて考えさせられた。

今年のクリスマスパーティーはこれで終わり。
どうもありがとう>嫁

来年もお願いね(笑)


2002年12月19日(木) 仕事を頼まれること、頼むこと/10000ヒット御礼

ちょうど10ヶ月で、10000ヒットを記録することができました。
これもひとえに、日頃僕の日記を読んでくださっている皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。




【本日の日記】

仕事をする上で、人に仕事を頼むことと、頼まれることと、どちらが楽なのだろう。
僕にとっては、圧倒的に「頼まれる」方が楽だ。

しかしながら、今の僕の仕事は、日本から仕事を頼まれることは多いものの、それを「自分だけの力」でこなして、回答を出すというものは少なく、「いかに取引先相手に仕事をさせるか」が、僕の仕事の腕の見せ所であることが多い。


面倒な仕事の調整を相手に依頼し、その回答を待っている間のストレス。

回答がノーであった時に、相手の言うことを理解したうえで、再度こちらの立場を伝えて再考を促すストレス。

相当に無茶な依頼であっても、こちらの立場を主張するストレス。


ここんところ、珍しくストレスを溜めている。



僕は、自分で動き回る仕事の方が好きだし、僕にとって楽だ。

てな青っちょろいこと言っているようじゃ、良い管理職にはなれないんだろうな。



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2002年12月18日(水) 感謝をこめて

【2月19日】
駐在日誌スタート!

【3月3日】
ゆみなさんにより、初めてMy登録される(相互ではあるが)

【3月11日】
Allyさんにより、初めて文中リンクされる

【3月12日】
初めて他人により投票されたことを確認する

【3月16日】
むちゃ!さんにより、初めてホームページにリンクされる

【5月18日】
むちゃ!さんにより、1000ヒットのキリ番報告あり

【6月26日】
きゃたつさんにより、掲示板設置を薦められる

【7月4日】
掲示板「駐在室へようこそ!」設置
まきこさんが、記念すべき最初のゲスト

【9月23日】
初の写真入り日記

【10月20日】
ホームページ開設

【11月18日】
しばこあ夫妻と、初のプチオフ


そして、
【12月18日】

265回目/303日間(更新率87%)の日記にて

10000ヒット達成!!!(のはず)

本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

駐在2号。



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2002年12月17日(火) メールイン・リベート

MSN8の導入以来、パソコンのスピードが遅くなったように感じたので、メモリーを増設することにした。

僕のパソコンは、一世代前のパソコンになるので、メモリーは256MBまでしか搭載することができないらしい。

会社帰りに、Circuit Cityに寄り、128MBのメモリーを購入。これでMaxの256MBになる。
帰宅して、嫁が夕食を用意している間に、メモリーの増設作業を行おうとしたところ、





買ってきたメモリーが規格違い!

であることが判明・・・。
食事を大急ぎでかき込み、メモリーを交換に行く。
僕のパソコンにあったメモリーを手に入れ、無事交換作業を完了。

で、効果の程はというと・・・

















あまり変わらん・・・(涙)

まあ、それほど高い買い物でもなかったので、フリーズする回数がきっと減るに違いないと自分に言い聞かせて自己満足する。

で、メモリーの値段なのだが、
128MBで、29.99ドル(3600円程度)である。

おや?そんなに安くないのでは?と、お気づきの方もいらっしゃると思うが、実はメールイン・リベートという制度により、実際はこの価格よりも安いのだ。

メールイン・リベートとは、購入の時にもらう「メールイン・リベート・フォーム」に必要事項を記入し、商品のバーコードとともに、所定の場所に郵送すると、値引き額が小切手で郵送されてくる仕組みである。

僕の買ったメモリーのリベート額は、17ドル。

というわけで、実質12.99ドル(1560円)程度で、128MBのメモリーを購入したことになる。

はたして、このメールイン・リベート制度。
なぜ、買う段階で値引きをしてくれないのかについては、僕にとってはいまだ謎のままである。


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2002年12月16日(月) 疲れたときは寝るに限る

土曜日の仕事&一杯を終えて午後8時頃家に帰ったら、息子の友人兄妹が遊びに来ていた。遊びに来ていたというよりは、そのお家の両親が会社のパーティーのため、わが家にこどもを預けていったというのが正解である。

僕はとても疲れていたので、子どもの相手もそこそこに、2階に行ってベッドで横になる。とはいうものの、ご両親がお迎えに来た時に、グースカ寝ているのも悪いので、呼び鈴がなったらすぐに下りていける体制での休憩。

午後10時すぎ、ご両親がお迎えに来る。
呼び鈴には気がついたので、階段を下りていってご挨拶。寝起きのボケた顔をしていたであろうから、もしかしたら「子どもを預かって不機嫌な顔」に見えたかもしれないと、後で少々反省する。

夜も遅かったので、お風呂に入らずにそのまま家族で就寝。

疲れていたので、すぐに眠りにはつけたが、最近は夜に一回は目が覚めてしまう。この日も、午前3時、午前5時、午前7時と目が覚め、結局10時までダラダラベッドで寝ていた。

起きて、土曜日の夜に書かなかった日記を更新。

午後は、とある掲示板を通じて知り合った方のお子さんが誕生日パーティーということで、そのお家にお邪魔する。あいかわらずキャラが濃い(笑)楽しい方で、初対面のわが嫁も圧倒される感じだった。
アメリカ人のご主人も、日本に8年半住んでいたということで、僕の英語よりもよほど上手な日本語を話されるので、ほとんで日本語で会話をする。

小一時間おしゃべりをした後、子供たちをそのお家に預けたまま、僕達夫婦は近くのお茶屋さんでデート。
ここは日本人のマスターがいるお茶処で、ランチタイムメニューの鳥雑炊をお願いする。鳥雑炊の煮込みに20分ほどかかるということだったので、僕は煎茶、嫁はチャイ(インドのお茶)をお願いして鳥雑炊を待つ。

待つこと20分強。鳥雑炊がやってきた。

これが、めちゃめちゃウマイ!
日本にいたときも、こんなに旨い鳥雑炊を食べたことがない!っていうくらい美味しかった。
量もたくさんあったので、嫁は半分くらい残してお持ち帰り。

午後3時過ぎに子供たちを迎えに行き、午後4時に帰宅。

再度睡魔が襲ってきたので、ソファーで横になり、気が付くと午後6時。

日曜日の定番、ナースのお仕事4、Hey!Hey!Hey!、ドラゴンボールGTを見た後、子供たちとお風呂に入り今にいたる。

さて、今日はうまく眠ることができるかな?
(昼間いいだけ寝てるから、やっぱり無理か・・・)



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2002年12月15日(日) 遠い日の記憶

土曜日は早朝休日出勤であった。
金曜日に行うはずの検査が、先方の都合で土曜日にスライドしたためだ。

とりあえず検査を午後5時ぐらいまでに何とか終え、夕方は検査員とお疲れ様ということで、韓国料理屋で一杯やる。

そこに、こちらで2年間の研修をしているTさんも合流。
Tさんは、来年の4月で2年の研修期間を満了し、帰国の予定だ。

駐在員には約束された赴任期間というものはないが、仮に2年の赴任だったとすると、僕の赴任期間も間もなく終わることになる。
そう考えると、2年の研修期間って短いよなァ・・と考えさせられた。

そんなことを思ったときに、ふと自分が子どもの頃のことを思い出した。

僕は大学に入るまでの19年間(一浪含む)、基本的にはずっと北の大地で過ごしたのだが、実は小学校3年生の夏から5年生の夏までの2年間、オヤジの転勤のため、東京で過ごしたことがある。
2年間の赴任期間というのは、当時定まった物らしく、両親は

「東京にいる2年の間にしかできないこと(主に近場への旅行)」

を、毎週のように計画していたような気がする。
(日光・箱根・小田原・城ヶ崎・鴨川・京都・奈良・・・)

わが身を振り返ってみると、3年か4年の赴任期間に、

「なるべくこちらでしか経験できないことをやってみよう」

と考えている僕がいる。


歴史はくり返す。
僕の子どもはどこに赴任して、どんな思いで子供たちに接するのだろうか。


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2002年12月14日(土) 知ってるようで知らないこと

行間が開いていて読みづらいが、面白くて一気に読み通してしまうと、巷で評判の駐在日誌です(笑)
玉露さん、文中リンクありがとうございました。
(メアドがなかったので、こちらにて御礼をば)

あらためて昔の日記を読み返すと、確かに無駄な改行が多いですね。
面倒くさいのでいまさら編集しませんけど。
↑開き直り

当時よく読んでいたテキストサイト(複数)の影響を受けまくってますが、内容のレベルが追いついていない、ときたもんだ。イテ。

意図してはいないのですが、最近は改行するケースが減ってきたように自分でも思います。書いているうちに、だんだん自分のスタイルが固まってきたというような感じですか。

一日50アクセスぐらいの小所帯ですが、これからもよろしくお願いします。

あ、10000ヒット(このペースだと、5日後くらい)の、キリ番報告もお待ちいたしておりますので、皆様よろしくお願いいたします。
なお、重複カウントはできない設定になっていますので、9999番をとった方がリロードしても無駄です。
違う端末からアクセスしなおして踏んでください(笑)
↑そこまでする人はいないって?

で、前置きが長くなりましたが、今日の日記をば。




会社の帰りに自動車ショップに行って、ワイパーの替えゴムを買ってきた。
僕の車のワイパーのふき取りが悪くなってきたためだ。

ショップに行くと、若い店員がどの車の何年式に乗っているのかを尋ねてきた。
僕は2002年型のスバル・フォレスターに乗っていることを告げると、彼は日本の車のメーカーについて、僕にいろいろ尋ねてきた。


「スバルは乗っててどう?」

「結構いいよ、燃費も悪くないし」

「スバルは日本で一番大きいメーカーなの?」

「ウーン、4WDでは有名だけど、一番大きくはないね」

「じゃあ、日産? それともホンダ?」

「いや、何と言ってもトヨタが一番大きいメーカーだよ」

「エー!?トヨタが一番なの!?」

そう、彼はトヨタが日本で一番大きい自動車メーカーであることを、知らなかったのだ。

僕達にとっては常識でも、アメリカ人の彼にとっては、トヨタ・ホンダ・日産は「日本の大きな自動車メーカー」ということは知っていても、どういう順番かは知らないのだ。

言われてみれば僕だって、GM・フォード・ダイムラークライスラーの序列を知らない。

あらためて、日米の「常識」の違いを感じた出来事だった。


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2002年12月13日(金) 一時帰国のときに感じたこと

本日も、日記にするに値するネタが起こらなかったため、ネタ帳の中から一つ。

先日の一時帰国のときに感じたこと。


・日本の空港はきれい。

・でも、成田のB滑走路は、危険なほど短い。

・↑あ、あんなところに民家が。

・↑公共の利益と人権とのバランスの取り方がわかってないのかなぁ、日本人。

・↑最初にボタンを掛け違ったっていうけど、30年以上も掛け違ったままってどういうこと??

・通勤時間にスーツを着ていないと、疎外感を感じる。

・銀座を歩いている日本の女性は皆きれい。

・何で和食屋にボジョレー・ヌーボーが置いてあるの?

・↑ってか、アメリカでボジョレーの話しを聞いたことがない。

・品川プ○ンスの本館は、カプセルみたいに狭い。

・ラーメンは世界最高の料理に違いない。(行った店:縁や & 麻ほろ

・やっぱり日本語は楽だ!


てなとこかな。


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2002年12月12日(木) ウィスラーで見た夢

今日は、ネタになるような出来事が起こらなかったため、先日のウィスラーで見た夢の話。


夢の中で、僕は大学生。
スキー場に来ている。(←ここは現実と重なっている)

ふと、

「俺、こんなに遊んでいていいのかなぁ?」
と思う。

「あれ?そう言えば単位足りないんじゃなかったっけ・・・(汗)」

「え、ちょっと待って・・・必修科目があといくつだったっけ・・・、あれ?まだ取っていない必修科目にエントリーしてなきゃ、卒業できないんじゃない??・・・(汗)」




















「え?え?、あれ、俺、今何年生だったっけ??・・・(滝汗)」



















「あれ?俺、今、社会人じゃなかったっけ・・・???」






















「じゃあ、単位関係ないじゃん!」

というところで、目が覚めた。

心臓がバクバク言っていた。

あんまり驚いたので、思わず嫁を起こしてしまった。




誰にでも、繰りかえし見る夢という物があると思う。

僕の場合は、この「卒業できない!」という夢。
↑理由は、みなさんがご想像する通り(笑)

皆さんは、どんな夢を繰り返し見ますか?




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2002年12月11日(水) 危険な言葉

この方の日記を読んで、先日僕の身近にも起こった出来事を思い出した。

ところはガソリンスタンド。
駐在2号のワンポイント英語:ガソリンスタンド=Gas Station(ギャス・ステイション)

こちらのガソリンのスタンドの9割はセルフのため、僕もセルフのスタンド(ノズル)を利用している(日本にいたときから、セルフ派だったが)。

注:フルサービスは、一つのガソリンスタンドに混在している「セルフ」と「フルサービス」のポンプの中から、フルサービスのポンプの前に車を停車させることにより、受けられる。

僕がセルフポンプの前に車を止め、車を降りて給油口に向け歩き出した時のこと。
若い女性の甲高い声が聞こえてきた。

最初は、はしゃいでいるのかと思ったのだが、どうやら彼女は他の車の男性に向って怒号を浴びせているのだった。
ひとしきり文句をいった挙句に、


「F○○K You!」

と、彼女は吐き捨て、
相手の男性も負けじ?と、

「S○○K You!」

と、返す。




「ヲイヲイ、映画以外ではじめて聞いちゃったよ・・(汗)」

と思うと同時に、










銃でも出てきたらどうしよう・・・(半泣)

と緊張が走る。

どっちかがポケットに手にいれるような妙な動きをしたら、すぐに車の陰に隠れる体制をとったが、幸いそのまま女性の方の車が走り去ったので、事なきを得た。


ホンマ、洒落にならんわ、この国で喧嘩されると。


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2002年12月10日(火) トレーシング・ペーパー

先日、日本に住む友人からトレーシングペーパーを購入するよう依頼が入った。
わざわざ僕に頼んだ理由というのは、彼が必要としているものが、インチサイズの罫線が入ったトレーシングペーパーであるからだ。

こちらには、大型の文房具ショップがいくつかある。
有名どころでは

・Office Depot
・Office Max
・Staples


といったところだ。

友人の依頼を受け、これらの文房具屋を回ったのだが、罫線の入ったトレーシングペーパーを置いてある店が一つもない。

仕方がないので、"Tracing Paper"でインターネットを検索したのだが、出てくるのは無地のトレーシングペーパーばかり・・・。

いろいろ検索方法を模索しているうちに、なんとか一件罫線入りのトレーシングペーパーを売っているサイトを見つけたが、そこでわかった事は、僕が探している製品は、

Tracing Paper
ではなく

Vellum Paper(模造皮紙・上質皮紙)
という名前で呼ばれるらしいということ。

製品をまだ手にとって見ていないのでなんともいえないが、Vellumとは、どうやら洋書の表紙のすぐ裏に挟まっている、白い薄っぺらい紙を指すようだ。
確かにあれでもトレーシング・ペーパーに使えそうではある。

ちなみに、製造元はこちら


一つ勉強になりました。



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2002年12月09日(月) 何かと多忙な日曜日

昨日の予告どおり、朝からクリスマスツリーの飾り付けを行う。
思っていたより木が大きく、電飾・オーナメントが少々足りなかったが、見える側だけ装飾を施して「完了」とする。

昼からはクリスマスカードを書く。
こちらに来てから、基本的に年末年始のご挨拶はE-mailで行っているのだが、親戚や恩師などには一応カードを書くことにした。
クリスマスカードだけだと少々寂しかったので、わが家のクリスマスツリーをデジカメで撮影し、プリントアウトしたものをカードに挟むことにする。

午後2時に、息子を友達のバースデーパーティーに連れて行く。
午後4時のピックアップまでの間、娘を連れてトイザラスへ。先日の誕生日プレゼントをまだ買っていなかったので、娘の選んだおもちゃを買ってプレゼントする。

午後4時に息子をピックアップ。
すぐに買い物に行き(ツリー・トップを購入)、そのまま夕食へ。

夕食は娘の誕生日祝いとして、鉄板焼きに行く。
鉄板焼きといっても、日本のイメージの鉄板焼きではなく、鉄板の前でコックがパフォーマンスを見せてくれるスタイル。
火を噴いたり、卵がくるくる回ったり・・・。息子と娘は大喜び。

帰ってきて引き続きクリスマスカードの作成。


あ゛〜、づがれだ。


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2002年12月08日(日) リアル・クリスマスツリー

サンクスギビングデーも終わると、本格的にクリスマスの雰囲気が街中に溢れ出す。

クリスマスツリーは、こちらでは日本よりもかなり安く売っていて、僕の身長(174CM)くらいある大きなツリーを去年購入したのだが、たしか20ドル前後だったと思う。

日本で言うクリスマスツリーは、ほとんどの場合人工のツリーだと思うのだが、こちらでは、「本物」のツリーを家の中に飾る家も多いようだ。ツリーを立てる専用スタンドも、色々なところに売っている。

去年は「人工」のツリーを飾った我が家も、今年は「リアル・クリスマスツリー」に挑戦してみようということで、今日、近くの臨時販売所でツリーを購入してきた(費用40ドル也)

高さは約180CM。

とりあえず本日はツリーの設置まで実施。
明日の日曜日には、飾り付けをしようと思う。


2002年12月07日(土) クリスマス・ディナー

金曜日は、取引先の一つである商社主催のディナーに夫婦で出席。

息子と娘は、駐在3号と僕達の共通の友人にベビーシッターをお願いする。
ちなみに娘は金曜日が5歳の誕生日。友達のバースデーパーティーにはお呼ばれしたが、自分のパーティーはお預け。本当に申し訳なく思う。
この埋め合わせはするからね>娘へ

水曜日のディナーを駐在3号夫妻に代理出席してもらったため、これが僕達にとって今年初めてのクリスマスディナーになる。

この商社主催のディナーは、ゲームありビンゴありで、去年は景品をもらって帰ったのだが、今年は残念ながら収穫ゼロ。

でも僕にとっての何よりの収穫は、嫁の「成長」ぶり。

本当に英語が上手になった。
特にヒアリング。
ちょっと気を抜いていると、僕が聞き取れない言葉まで聞きとっていそうで、ある意味怖い(笑)
(愛想笑いを適当にしていたら、「今なんていったの?」と聞かれ、困ってしまった・・・(汗))

座った席は、取引先会社の契約担当者とそのご夫人の隣。
以前のディナーでもご一緒していることもあり、子どもの話しやスキーの話しなどで充分会話が弾んでいた。


Thanks。
今年はあと1回。よろぴく。


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2002年12月06日(金) オープンハウス(2連荘)

木曜日は、関連会社のオープンハウスだった。

会社のオープンハウスとは、いつもお世話になっている(している)関係者、取引先を事務所に招待し、食べ物などを振舞う行事である。

午後3時半から午後7時までのオープンハウスのところ、午後5時過ぎに先方に到着。すでに食べ物はないのかと思っていたら、意外にもお寿司がたくさん余っていて(というよりは、かなりの数を準備されていたよう)、とりあえずお寿司をパクつく。

午後7時からは、息子の学校のオープンハウス(ポートフォリオ・ナイト)があったため、そちらに移動。
ポートフォリオ・ナイトとは、夕方から夜にかけて学校を開放し、子供たちが日頃行っている授業の成果を保護者に見せるものである。

久しぶりに、息子の担任であるミセス・オガワ(コテコテの日本人おばちゃん顔)と話すと、息子は来週からリーディング・クラスが1段階あがるとのこと。まだまだネイティブの子には追いつかないが、徐々に差は縮まっているようで安心する。

小一時間学校にいたところで、病み上がりの僕は調子が悪くなってきたので、帰ろうと息子に提案すると、もう一つ僕達を連れて行きたいクラスがあるという。
息子いわく、

「先生が僕達に「来てください」って言ってたよ」
(↑よく通訳してくれたね、ありがとう)

とのこと。
調子の悪い僕は、あまり気乗りがしなかったが、息子に連れられ別棟にあるクラスへ。

そこへ行くと、そこはESL(English as a Second Language:英語を母国語としない子供たちのクラス)であった。

担当の先生いわく、子供たちは毎日40分くらいずつESLの授業を受け(その間、レギュラーのクラスからは抜け出す)、どんどん英語を覚えていっているという。
先生に日頃の感謝の言葉を述べて、クラスを後にする。

クラスを出たあと、息子は嫁にこう言ったそうだ。







「小さいけれど、いいクラスでしょ!」

息子がESLの授業を楽しんでくれているようで、とても安心。



学校から家に帰った時点で、僕は再度ダウン。
風呂にも入らず、日記も書かずに就寝。
翌朝までたっぷり11時間睡眠をとり、とりあえず復活。


2002年12月05日(木) Principal Award

昨日息子が学校から、Principal Awardなるものを持って帰ってきた。

これはいわゆる「学校長表彰」というもので、毎週行われる全校集会の場で、表彰されるものらしい。

で、息子の受賞理由は、

「先生の指示をよく守ることができたから」

というもの。



まあ、他の子がどのような理由で受賞しているのか分からないが、とりあえずめでたい。

息子に

「どうしてPrincipal Awardをもらうことが出来たの?」

と聞いたところ、



「全校集会のときに名前を呼ばれて、



















ハイッ!

って返事すれば、もらえるんだよ」



とのこと。。。



うーむ。日本語もまた難しい。


2002年12月04日(水) 社会復帰

本日より、会社に復帰。

朝起きた段階では、熱っぽい感じは残っているものの熱はなく、嫁の


「会社は休んじゃいけない!」

という哲学に従い、出社を決意する。


とはいうものの、咳・鼻水はとまらず、駐在1号に、

「もう一日休んでも良かったのに・・・」

という温かいお言葉を頂き、嫁のことを一瞬恨む。

が、会社にいると何やかんや忙しく過ごすわけで、しり上がりに調子は良くなる。
とはいうものの、12月にも入った今週の夜の予定は

火曜日=人事部長との会食
水曜日=取引先パーティー(夫婦同伴)
木曜日=関連会社パーティー
金曜日=取引先パーティー(夫婦同伴)


と、目白押し。

さすがにこの体調では、全てを制覇することは不可能と思われたため、水曜日のパーティーの代理出席を、駐在3号夫妻にお願いする。
駐在3号夫人は、それほどパーティーの出席が苦ではないようなので、こちらとしてもお願いしやすかった。

と、帰ってきてからわが嫁に報告すると、若干ご機嫌斜め。

彼女いわく、

「パーティーへは出席したくないけど、頼まれたことぐらいはきちんとやるわよ!」

とのこと。

別に嫁が行きたくないと言ったから、断わったわけではないんだけど・・・


女心は難しい。。。


2002年12月03日(火) 初のダウーン

渡米してから初の病欠。
駐在2号。のワンポイント英会話:病欠=Sick Leave

朝から病院に行き、一日中寝て過ごす。

明日からは夜のスケジュールも満載なのだが、このままで乗り切ることができるのだろうか??

とりあえず夕飯を食って寝ることにしよう。


2002年12月02日(月) ウィスラー最終日

ウィスラー最終日も朝から晴天。
この晴天のせいで、雪が少ないと思うと気持ちも複雑。

朝8時に子供用のスキースクールに息子と娘を連れて行く。
レッスン自体は午前9時頃から始まると聞かされ、軽く脱力するが、早く行ったおかげで、娘のスキーがスムーズに借りることができた。

息子は昨日に引き続きのスキーレッスンだったが、娘はまだ4歳のため、雪遊び+お遊び程度のスキーレッスンコースとなり、開始前からご不満の様子。

一抹の不安を覚えながらも、僕達はスキースクールを後にしてゴンドラにのりこみ、子どものいないスキーを楽しむことにした。

嫁と二人で楽しむスキーは息子が産まれた冬に、僕の実家に息子を預けてスキーに行って以来だから、7年ぶりになる。
久しぶりに嫁とスキーが出来て僕は単純に嬉しかったが、嫁は自分のせいで僕がたくさん滑れなかったと申し訳なく感じているようだった。
もう部活のようにバリバリ滑る体力は残ってないんだけどね(笑)

午後3時のピックアップの30分ほど前に、スキースクールに戻り息子の上達具合をビデオに収める。やはり専門のスタッフに教えてもらうと、短時間で上達することを実感。今シーズンは何回かレッスンに行かせようかと思う。

娘はというと、やはり一日ご機嫌斜めだったようで、僕達が行った時にはもうスキーはしておらず、お得意の「ワガママ攻撃」を嫁に開始してくるありさまだった。。。

グズる娘をなだめながら、ウィスラーを後にする。
娘はものの5分で眠りについてしまった。


実はウィスラーに行く前から僕は風邪気味だったのだが、ウィスラーにいる間は気合でカバーしていた。
帰りの車にて、体調がどんどん悪くなってくるのを実感するが、嫁は暗闇の運転に慣れていないため、僕が運転を継続する。
なるべく早く家に帰り着きたかったため、夕食もマックのドライブスルーで済ませて家路を急ぐ。

夜半に家に着き、そのままベッドに倒れこむ。

翌、日曜日は終日ベッド。
明日は会社に行けるのだろうか・・・。
↑って言いながら、日記は更新してるけど(笑)


2002年12月01日(日) ウィスラーより(その2)

ウィスラー2日目。

午前7時半ころ起床。
ウィスラー・ヴィレッジに朝食を食べに行く。

朝食後、ゲレンデの様子を聞きにチケット売り場まで行くと、ゲストサポートの女性が二人ほど立っていたので、子どもがすべる事が出来るゲレンデがあるかどうか聞いた。

すると今年は雪が少なく、今日現在ではAdvance(中・上級者のことを指すと思われる)にのみゲレンデを推奨しているとのこと。
子どもはスキースクールに行くことをお勧めするとのことだったので、子供向けのスキースクールの受付に行く。

すると、そのスクールの開始時間は既に過ぎてしまったため、ウィスラーではなく隣のブラッコム・ベースにある子供向けスクールに行くように指示される。(この時点で午前10時前)

大急ぎでホテルに戻り、子どもを着替えさせた後、ブラッコム・ベースに向う。

スクールの受付に行くと、息子のレッスンはできるが、娘のレベルのクラスはすでに満杯で、今日のレッスンはできないという。

仕方がないので、息子は今日と明日の二日間のレッスンに申し込み、娘は明日のレッスンにのみ申し込む。

レッスンの開始時刻を聞くと、なんと午前8時。。。
レッスンの終了時刻は、午後3時。

つまり、明日は午前8時から午後3時まで




















夫婦水入らず!


というわけで、今日のところは息子をレッスンに預けて、嫁・娘と3人でゲレンデに向う。

案内所では、子どもに対してリフト券を売ることはあまりお勧めしないとのことだったが、そこは北の大地出身の駐在2号。わが身を犠牲にして、娘と共にスキーを滑ることを決意し、3人分のチケットを購入し、一路ゴンドラへ。

ゴンドラに乗ると、行けども行けども雪は見えてこない。
やっと終点付近になり雪と、スキーヤー&ボーダーが見えてきた。

スキー場のコンディションは、まあ、日本の本州のスキー場なら、このレベルのスキー場もありかな?という程度で、案内所で言われたほどひどいものではなかった。

久しぶりに子どもを抱えてスキーをしたので(それも長いコースを)、一本目は息を切らせながら、休み休み下まで降りた。
二本目はようやく子どもを挟んでスキーをすべるこつを思い出し、それほど苦労せずに下まで降りる。

と・・・







いつまでたっても嫁が降りてこない!

あまりにも降りてこないので、これは途中で別のコースに迷い込んだと判断し、娘と二人でリフトに乗る。
上にあがったところ、やはり嫁はコースを間違ったようで、別のリフトを使ってレストハウスにちょうど到着したところだった。

そこで昼食をとり、娘がまだ昼食をとっているすきに、僕だけ3本目にトライ。
自分なりの分析としては、テクニックは衰えていないものの、体力が圧倒的に衰えている・・(涙)

スキーを抑えようとする足の筋肉が、プルプル悲鳴をあげているのがよくわかった(笑)

上にあがったところで、嫁・娘と合流。
一本だけ滑ってからゴンドラで下に降りる(雪の少ない今は、ゴンドラを使わないと下まで降りられない)

降りた時点で、ちょうど息子のピックアップの午後3時。
僕のスキーを嫁に託し、大急ぎで息子のもとへダッシュ。

スクールに行くと、息子が雪遊びをしており、レッスンも楽しかったようで、とてもご機嫌だった。



明日は久々の夫婦水入らず。
どうやって過ごそうかな。