部長motoいっぺい
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2002年02月28日(木) |
赴任準備(嫁の最後の休息) |
引越し準備をあらかた終え、嫁は子供とともに実家に一週間ほど帰省した。
僕は、昼はと言えば業務申し送りや諸手続き、夜はと言えば歓送会が続き、とても休める状態ではなかったので、東京に残っていた。
買って二年目の車は、ちょうど車の更新時期がきていた嫁の実家に買い取ってもらうことになっていたため、土曜日に車で嫁の実家まで車を走らせた(所要約5時間)。 僕も少しは休みたかったのだが、次の日も予定が入っていたため、嫁の実家に着いてすぐに嫁と子供とともに新幹線で帰京するというハードスケジュールだった。
嫁の実家は嫁の祖母と両親が3人で住んでいる。 出発の日は3人とも感傷的になっていたようで、
「旦那さんが来ると、すぐにいっちゃうのね(半泣)
という状態だったらしい。
そうとは知らない僕は、帰りの新幹線の混雑状態ばかりが気になり、嫁の実家滞在時間30分という最短記録を樹立して娘と孫を連れ去る
「大悪人」
になってしまったようだ。
新幹線のホームへは、おばあさんとお母さんが見送りに着てくれた。 お母さんは僕にだけそっとこうささやいた。
「あの娘は頑張りすぎるから、頑張りすぎた時にはちょっと止めてあげてくださいね。」
お母さん、婿はしかとその言葉受け止めました。
2002年02月27日(水) |
赴任準備(諸手続き) |
僕たち夫婦は結婚してから2回引越し(もちろん国内)を経験している。
1回目は結婚直後に入居したアパートから、社宅への引越し(息子が生まれてアパートが手狭になったため) 2回目は持ち家を購入したことによる引越し
うちの嫁は結婚まで一度も引越しをしたことがなかったが、結婚後に今回を含めて3回も引越しを経験することになった(結婚時の引越しを含めると4回!)
国内での引越しも結構面倒くさいものだが、海外へとなるとまた違った面倒な手続きが発生する。
思いつくままに列挙すると ・ビザの発給 ・海外送金が可能な銀行口座の開設 ・各種住所変更手続き(海外の住所登録不可のものって結構あるんですよ) ・自動車の売却 ・自動車保険の解約(割引率保留可) ・電話加入権の保留(電話番号保留不可) ・電気、ガス、水道の解約 ・住民票の削除(日本在住者じゃなくなるのね(涙))
その他、国内異動でもあり得るものとしては、 ・持ち家の貸し出し ・幼稚園退園手続き ・定期券払い戻し
あれ?思ったよりも少ないぞ・・いざ書こうとすると。 まあ、後日思い出したら書き足しておきます。
買って二年目の車は、嫁の実家に買い取ってもらうことで落着。 家の貸し出しは「転勤の間だけ家を貸したい♪」の会社に委託。 (結局半年後に入居者決定!)
ここで気づいたこと。
持ち主が期待するほど家や車の価値は高くない。
ローン代も出やしない(溜息)
2002年02月26日(火) |
赴任準備(住居手配) |
会社や赴任地域によって、駐在員の住居手配方法は様々であるが、我が社のアメリカ赴任の場合、住居は自己手配が基本である。
といっても土地勘がなく、かつ賃貸契約についても全くの素人にとって、外国での住居探しは非常に困難を極める。
私の場合はといえば、業務申し受けと家探しを兼ねた一週間の出張をし、その間に賃貸契約まで行うというスケジュールだった。
ちなみに同業他社に聞くと、赴任後は当面の間ホテル暮らしをし、しかるべき間に契約を行うという方法らしい。赴任前に決めるのとどちらが良いかと尋ねられると、どちらも一長一短だなあと今になれば思えるが、当時は「確実な締め切り日」がある当社の方法に対して、キツさを感じていた。
家の候補についてはボス(駐在1号)が、不動産会社をはじめ、インターネットや地元新聞などで情報収集し、その情報をもとに一軒一軒ボスとともに回っていく作業を2日間みっちり行った。
時差ぼけの中、土地勘の無い場所を、ひたすら車で2日間回るというのは・・・
はっきり言って地獄です(血涙)
途中でゲロ吐きそうになりました
1日目は家の外観および周囲環境チェック、2日目はその中で気に入った家を回るという作戦をとりました。
住居については、やはり家族の同意を得ないといけないと思い、家探し出張の直前に購入したデジカメで写真を撮りまくり、その夜はこれまた赴任用に新規購入したノートパソコン(今、この日記を書いているもの)を使い、E-mailで日本にいる嫁に送るという方法をとりました。
嫁は最初の1回しかメールチェックしなかったらしいけど(涙)
僕の赴任先地域は(もしかしたらアメリカ全土かもしれんが)、借家といえば築ン十年の家がほとんどで、中には大きな蜘蛛が台所に鎮座しているような家もありました。
そんな中、現在の家となる物件に決めることができました。
この家で僕が気に入ったところ
・築浅(15年) ・トイレが独立している ・コミュニティが整備されている(家の前の芝生がきれい)
・三面鏡張りのバスタブ
嫁いわく、やせるモチベーションは上がるらしい。
2002年02月25日(月) |
駐在発令!(ご近所の反応) |
内示から約一週間後には、帯同家族(配偶者)のための説明会が二回開かれた。
どちらの説明会も子供を連れて行くことは出来なかったため、息子の幼稚園の友達宅に預かってもらうことになった。
どの家にお願いしようか家内も迷ったようだが、いろいろ考えた結果Fさん宅にお世話になることになった。
この時点ではご近所の誰にも海外赴任の話はしていなかった。すなわちご近所ではFさんが初めて赴任のことを知ることになった。
子供を預けるお願いをしたあくる日。
幼稚園仲間だけでなく、駅前のスーパーのレジのおばちゃんまで赴任のことを知っていたらしい。
恐るべしFさん
ちなみに、私や家内が
英語ペラペラ
というデマを流したのもFさんです(笑)
2002年02月24日(日) |
駐在発令!(親の反応) |
僕の両親と嫁の両親は、非常に対照的である。
嫁の両親はあまり旅行などもせず、ずーっと地元で暮らしている。 海外旅行はもとより国内旅行でさえ、ほとんどしない。
僕と嫁が結婚して東京に住むことになって、孫が出来て、家を建てて・・・ こちらに来るまで8年が過ぎたが、 その間、彼女の両親が東京に来たのは片手程度ではないか。
どうも、旅行は本心から好きではないようだ。
それにくらべ、僕の両親はというと
生来の極楽トンボ
土日に実家に電話をしても、つかまるケースの方が少ない
そんな両親なので、以前から
「あなたが海外赴任したら、友達と旅行に行くって約束してるんだから、早く赴任して頂戴!」
なんて、無茶なことを以前から言っていた。
子供を寝かしつけた後、僕は実家に電話をした。
「転勤になったよ」
「おや、まあ!」
「で、どこに?」
「アメリカ」
「・・・・、そう、おめでとう」
母は冷静な口ぶりだったが、 頭の中は、
旅行計画のことで一杯
なのは、電話線を通じてもみえみえだった(笑)
嫁は僕のいる前では、実家に電話をしなかった。
次の日に実家に電話をして愚痴をこぼしたところ、お母さんに
「あんた、旦那さんに「偉くなってね!」って言っとったでしょう?」
「まあ、しょうがないと思うしかないわねえ・・」
というようなことを言われたらしい。
お母さん、ナイスです。
2002年02月23日(土) |
駐在発令!(子供の反応) |
嫁の落ち込みようは、僕の想像をはるかに越えていた。
「あー、この人本当に外国に行きたくないんだなあ」
としみじみ思った。
内示の出た日の夜は、僕と嫁と娘の3人だけで過ごす初めての夜だった。 息子は幼稚園の「お泊り保育」で先生・友達と夜を過ごしていた。
その日は夫婦で何を話し合ったかあまり覚えていない。 覚えているのは嫁の落ち込みぶりと、それでも僕の希望が叶ったことに対して 「よろこんであげなくちゃ」 と僕に気を使ってくれている嫁の姿だ。
翌日は仕事を定時にあがり、まっすぐ帰宅した。
珍しく夕食を子供と共にしながら、息子に「お泊り保育」のことなどを尋ねた。 友達と一緒に一晩過ごしたことがとても楽しかったようで、皆でスイカを食べたことや、夜に花火をしたことなどいろいろと話してくれた。
夕食が終わり、僕はいよいよ息子に転勤の話を切り出した。
「今度おとうさんの仕事の関係で、みんなでアメリカに引っ越すことにしたよ」
話し方としては可能な限り明るく、かつみんなで一緒に行くことを強調したつもりだった。 彼は一瞬混乱した顔を見せたが、すぐに状況を正確に把握した。 引っ越すことの本当の意味を理解できないのでは、と思っているのは親だけだった。
「じゃあ、幼稚園かわっちゃうの?」
「お友達とはなれちゃうの?(半べそ)」
「いやだー、アメリカ行かない!(大泣)」
「また、ここに帰ってくるからさあ」
「おまえだけ一人で残すわけいかないだろ」
息子に何を言ったか正確には覚えていないが、こんなことを言ったような気がする。 妹(当時3歳半)は、やはり幼いため、引越しの意味を理解していない。
「おにいちゃん、みんなでいくんだからいこうよー」
と、分かったようなことを言っていた。
息子が意外なほど引越しに抵抗を示したため、僕は息子が可哀想になり、不覚にも嗚咽をもらしてしまった。 子供の前で泣いたのはこれが初めてだと思う。
すると横にいた嫁が、
「もうみんなで行くって決めたんだから!」
と強い口調で息子に言った。 自分に言い聞かせているようだった。
「じゃあ、何回泊まったらここに戻ってくるの?」
と息子が尋ねたので、僕は明るく
「1000回くらいかな?」
と答えた。
「1000回いやだー!1回がいい!(絶叫)」
「1回じゃ行って帰ってくるしかできないよ(泣笑)」
こんな会話を繰り返し、その夜は結局
「20回泊まってみて、帰るかどうか考える」
というところまで譲歩を引き出した。
次の日は普通に幼稚園がある日だった。 前夜に衝撃的なことがあったので、幼稚園に行くのをいやがるかなあと若干心配していたのだが、引越しに対してぶつぶつ文句を言いながらも普通に幼稚園に通ったようだ。
でも友達にはボソッと言っていたらしい。
「おれ、今度アメリカに引っ越すことになったんだ」
内々示から内示までは一ヶ月から二ヶ月あるものと考えていた。 ところが、内々示の二日後のことであった。
僕はいつものように会社で仕事をしていた。午後3時頃自分の机を離れて、別の人の机の付近で打ち合わせを行っていたところ、近くにいた女性社員が
「B課長が部長に呼ばれたみたいよ。もしかしたら内示じゃないかしら?」
と言った。
僕はその時、まさか自分の内示がこんなに早くでるとは信じられなかったのだが、「もしや」という胸騒ぎは感じていた。
席に戻ったところ、その予感は的中した。 僕に内々示を伝えた上司が、
「じゃあ、A君ちょっと・・」
と、先日と同じように僕を呼んだ。
目の前に座っていた同期のCが、驚いた目で僕を見つめていた。 僕は驚いた顔をすべきかどうか一瞬迷ったが、そのまま席を立ち、二日前と同じように打ち合わせ用ブースに入った。
「A君に正式に内示がでました。赴任先はアメリカ、辞令は1ヵ月後です」
「アメリカということは、E君の後任という事ですか?」
と僕は尋ねた。
というのも、その時の駐在の編成は筆頭駐在(駐在1号)と、年次で行くと5年先輩のDさん、そして2年後輩のE君の3人であった。Dさんは管理職であったため、交代要員も管理職または管理職に間もなくなる年次の社員であると予想していた。後輩ではあるがE君と交替と考えるのはそれほど不自然ではなかったし、なにしろ、E君が今年帰任するという噂を以前に聞いたことがあった。
「いいえ、違います」
と上司は言った。
「ということは、増員ですか?」
駐在室の業務が今後増えることが予想されていたため、増員もありうるかなとの考えからだった。
「いいえ、君はD君の後任になります」
「ええっっ!!(驚)」
管理職の後任に平社員の僕。かつDさんは将来を有望視されている先輩社員であったため、僕はとても驚いた。
「D君の後任だから、うちもエースを出さないとね(微笑)」
僕は、このありがたい言葉をずっと忘れないだろう。 余談ではあるが、この時の上司は、僕の会社生活の中で最も尊敬する上司の一人であり、いつも温かい言葉をかけてもらっている人であった。もしかしたら、次の筆頭駐在の可能性も大いにある人である。
「E君が帰任するっていう噂を聞いたことがあるんですが」
と僕は単刀直入に聞いた。
「うん、E君も駐在3号君(E君と同期、すなわち僕の2年次後輩)と交代します」
「ということは、駐在3人のうち、ボスを除いて2人が交代なんですね(驚)」
「そういうことです」
これは大変なことになったと一瞬思ったが、正式に内示が出た喜びがすぐにその不安をおおいかぶした。
座席に戻ったところ、近くにいた先輩社員が
「どこになったんや」
と尋ねて来た。 僕はこの先輩社員が、下馬評では次の駐在候補筆頭であったのでやや複雑な心中であったが、正直に
「アメリカ駐在です」
と答えた。 その答えを聞いた先輩社員の表情から、僕は何も読み取ることができなかった。
同じ課の人に内示の内容を伝え終わり、一息ついたところで僕は嫁に電話をした。
「正式に内示がでたよ」
2002年02月21日(木) |
駐在発令!(嫁の反応) |
内々示を受けた日いつもより早く家路に着いたが、子供たちは既に寝ていた。 嫁は子供を寝かしつけた後、そのまま二階の寝室にいたため、僕は二階に行ってこう切り出した。
「ちょっと大切な話があるんだけど」
僕からこういった形で話を切り出すときは、結構重要なことだと知っている嫁は、
「え、なになに? ちょっと待って」
といって、心の整理をしているようだった。
僕はそのままズバリ
「今日、海外赴任の内々示があったんだよ」
と嫁に伝えた。
「えーーーー!(悲鳴&絶句)」
しばらく間があった後、
「で、どこに行くの?」
と聞かれたので、
「まだ聞いていない」
と僕は答えた。
事実、どこに赴任するかはこの時点では聞いていない。 ただ、「駐在の話」ということは聞いていたので、私の業務内容かつ「駐在」という役職からすると米国のとある都市であろうことは、うすうす感づいていた。
「私、東南アジアや中国だったら、真剣に行かないかもしれない」 (そちらの方面の方ごめんなさい)
「まあ、多分アメリカだよ」
と僕は言うしかなかった。事実結局アメリカに赴任することになった。
「私の人生設計の中には、海外で生活することは入っていないんだけど・・」
と嫁が言うので、
「前から希望してるって言ってたでしょ」
と返したところ、
「言ってるだけだと思ってた」
と失礼なことを彼女は言ってのけた。
「子供には、正式に内示があった段階で話そうかと思う」
と僕は続けた。 というのもその2日後には、幼稚園年長組にいた長男がずっと楽しみにしていた「お泊り保育」が予定されていたからだ。 幼稚園年少・年中の二年間を経て初めて親元を離れて一泊する、幼稚園児にとっての一大イベントである。 楽しみにしているイベントの前に、彼に転勤の話を伝えるのはちょっと酷なような気がしていた。
そして、この時点では僕も内示がそんなに早く出るものとは知る由もなかった。
2002年02月20日(水) |
駐在発令!(内々示) |
海外駐在の発令を受けた人は、いったいどのくらいいるのだろう。 日本の会社員のうち、何%の人が発令を受けるものなのだろうか。
海外駐在発令というと、会社によっては半年くらい前からそれとなく匂わすところもあるらしい。 しかし、我が社は違っていた。
その日は突然やってきた。
ある日の午後、いつものようにデスクで仕事をしていた私を、当時の上司がミーティングブースに呼んだ。
「A君、ちょっと」
ブースに座るや否や、上司は小声で
「君に海外駐在の話がきているんだけど、何か海外赴任に関して問題ある?」
「まったくありません!(嬉)」
この間、約0.25秒(体内時計記録)。
レスポンスが遅いと、何か問題があると思われてしまうかもしれないと恐れたための、超速回答であった。 しかしながら、この0.25秒の間に、私は以下のようなことを考えていた。
「嫁は海外赴任嫌がっていたなあ・・」
「一応、嫁に相談してから回答しようかなあ・・」
「でも嫁の話をして、万が一このチャンスを逃がしたらなあ・・」
という訳で、嫁には相談せずに即答してしまいました。嫁スマン。
あまりの即答に、上司も苦笑していたのを覚えている。 この日の午後は、仕事が手につかなかったなあ。
私は2001年の夏頃から米国に駐在している会社員です。 妻と子供二人と共に渡米しました。
これまで海外で生活したことなどはなく、 英語も駐在員レベルには程遠い私ですが(血涙) 赴任からもう半年も過ぎてしまいました。
海外にいると日本の情報はWeb経由が多くなり、自然とネットサーフィンの時間も長くなります。 そんな中、とある掲示板でエンピツのことを知りました。
大腸菌とデート日記 by きゃたつさん
抗議などは受け付けません by 観音さん
などに影響を受け、自分も何かしら発信してみようと一念発起してみました。 家族の記録としても使えればなあと思っています。
毎日とは言わず、気が向いた時に更新しようと思っています。
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