笑う角に光りあれ...オレステス・デストラーデ

 

 

ババンババンバンバン - 2020年03月30日(月)

志村けん死去の報に触れ、とてつもなく深く重い感情に包まれる。
それは、優れた医療技術を受けられるだろう人間だったとしても、呆気なく亡くなってしまうこの病の恐ろしさ、またそれに対する無力感と言うのがほとんどであるけれど、今まで陽としか考えたことのなかったものが簡単に陰に飲み込まれる様を見て、何だか天地が引っ繰り返ったような、そんな感覚でもある。

思えば、関西淡路の震災でも、リーマンショックでも、東日本の震災でも、自分の人生にダイレクトに跳ね返るような体験はしてこなくて、どこか遠くの出来事のように感じていた。
しかし、今回のコロナに際しては、すでに仕事への影響も出ているし、自分や家族への感染も決して非現実的ではないように感じている。

思い起こせば数か月前、たまたま点けたテレビに映ったバカ殿を目にするや、無意識にチャンネルを変えている自分がいた。

子どもの時分に見たこの番組は、現代では絶滅済の奔放さで、家族団欒の場にはなかなかハードな内容であった(思えば、そう思っていたのも、自分が子どもだったからかもしれない)。
であるから、親の視線を厳重に気にしながら、チラチラと画面を盗み見ていたものだ。

その自分が大人になって、今度はなぜか、子供に見せまいと無意識に動いていた。
何だか馬鹿みたいだったなと、今振り返るとそう思う。

でも、彼が亡くなって、こうしてゴールデンタイムにこんなハラハラするような体験をする機会もまたグッと減るのだろう。
そういう意味でも、彼の死はコロナの一言では片づけられない、親と子を繋ぐ一つのタスキを失うような、とても象徴的な出来事だったんじゃないかなと思う。


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Aporia - 2020年03月27日(金)

コロナの影響を受け、1週間の在宅勤務が始まる。
が、始まって早々、いくつかのアプリがいつも通りに使えなくなり、萎え続ける。

これは最近気付いた自分の性質であるが、プライオリティが高いものが上手くいかなくなると、途端にCPUが低下し、思考停止のような状態になってしまう。
ほとぼりが冷めるまで別のことでもやっていればいいはずなのに、頭の片隅にこびりついて、そこから離れられない。

そんなこんなで結局大した成果もないまま、でも消耗するだけ消耗して、一日が終わってしまった。
これが一週間も続いたら、どうなってしまうのだろうか。




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get back - 2020年03月24日(火)

コロナの影響を受けて、自分の労働環境においても少なからず変化が生まれている。
在宅勤務が推奨されたり、新たな仕事が増えたり。
このまま世界の経済状況が悪化し続ければ、きっと給料にも跳ね返ってくることだろう。

株価の急落を受けて、これはチャンスと思い、自分の給料にも匹敵するぐらいの資本を投入する。
が、そうは簡単もいかないもので、すでに所有しているものの下落も含めて、笑ってしまうぐらいの損失を抱える。

まだ、対岸の火事のような感覚。
いずれもっとシリアスな状況が訪れて、慌てふためくのだろうか。
随分前から、私の奥底には決して拭い取れないような諦念が巣食っていて。もうなすがままを受け入れる準備はできている、気がしている。


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機械仕掛乃宇宙 - 2020年03月22日(日)

もう春何番目かわからないほど、強風が吹きすさぶ一日。

休日の場合、昼から飲むことをルーティンとして久しいが、ここ最近は昼食後の食材買い出し(これままた一つのルーティンであるが)の合間に公園で一杯やるのが、新たなルーティンになりつつある。
買い求めるのは安価なチューハイ、そして昼食後で腹が膨れているので、簡単な乾き物を少し。

春先の公園には、真摯に子供と向き合う家族連れが多く、あまり彼ら彼女らの視線に入らないような場所を見つけ、ただふやけてしまいそうな陽気の中で、さらに酔いを深めることに喜びを感じる。

なぜ酒を飲み続けるのか。
直視したくない現実がいっぱいあるからかもしれない。
酔っ払った頭でふわふわと、着地点の見えない空中遊泳を楽しんで、何も生まない、何も失わない、そんな時間を過ごしている。


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Strangers - 2020年03月18日(水)

長男の卒園式を迎える。
折からのコロナ渦で保護者の参加は一人に限定され、私のセレモニーは式の終わりに園に駆けつけるだけで終わってしまった。

夕食後、家人が撮影したビデオ動画を見ながら、こうやって入学や卒業のような、まるで句読点を打つようなイベントを定期的に迎えられる子供たちの世界に少しだけ憧れを抱く。

もはや30云歳になった自分には、そんな刺激的なイベントなぞ待っていないのだ。
ただひたすら、昨日と変わりなく。





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妖精の手招き - 2020年03月08日(日)

前から名前を知っていたものの、あまり深く聴き込んでいなかった青葉市子を改めて聴き、はまる。
良曲は数多あるが、とりわけ「妖精の手招き」と言う楽曲のAメロからBメロに移り変わる進行が背筋がゾッとするほど美しい。
まるでNick Drakeのようだ。

気が付くと、Amazonや楽天などの通販サイトを毎日のようにチェックしている自分が恐ろしい。
特に欲しいものなど無いはずなのに、欲しいものを探して貪り食うように眺めている。

この人生を静かに生きていくためのものは、もうすべて揃っている。
あとは、僅かに残った虚栄心を満たすための、ほぼほぼおまじないのような、そんなものばかりだろう。





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Lotus Plaza - 2020年03月03日(火)

以前にも書いたような記憶があるが、転職し東京に戻ってきてから、記憶にないぐらい早く帰宅できるようになり、時間を持て余して毎日酒を飲むようになってしまった。
しかし、それではさすがに身体に悪いと思い、毎週月曜と木曜は休肝日とするようにして早何年。
今では休肝日翌日の昼頃になると、今日は酒が飲める、今日は酒が飲める、とほぼアル中のような気構えで仕事をやり過ごすほどになっている。

酒を飲んだからと言って、何も解決されないことは分かっている。
しかし、弛緩した脳味噌で部屋で蹲りながら、ただリコメンドされる音楽を聴き続けたり、堆く積まれた古本を読みながら過ごす一時は、何にも代えられない喜びに満ち溢れている。


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