乗換駅まであと何駅 - 2004年09月29日(水) 部屋の整理をする。 とりあえずまず、CDをAからV.Aまで寸分の入れ違いもないように並び替える。快感。 プラケースのCDとCDの間に紙ジャケのCDEPが挟まっていること多々。 TIALAやher pianoの音源を久々に発見する。 その後、なかなか捨てられなかったフリーペーパー類をごっそり捨てる。 主にbounce。Rooftopは捨てない。 また、普段あまり開けない棚も開け、携帯を購入した際に付いてくる様々な説明書、付属品類も一気に廃棄。爽快。 来春、もしからしたら引越しをするかもしれない。 今の家は、狭い以外はほぼパーフェクトの物件なのだが、この狭さがやはり肥大化する僕の収集物に追いついていかない気がする。 高く積み上げることで必死に誤魔化しているが、何だか高層ビル群に囲まれて寝ているようで、妙な圧迫感がある。 新しい住居候補は、家賃も今よりも安く、部屋も広く、隣りも上も知人が住んでいる。 ほとんど最高の環境の部屋なんだが、場所が微妙にひっかかる。 近いうちに、自分の行動範囲&所要時間を綿密にチェックしてみよう。 - 冬の匂いを引き裂いて - 2004年09月26日(日) 月日が流れるのは早いもので、今日で夏休みは終了。 明日から「いつもの」毎日が始まる。 おそらく、自分の人生の中でやりたいことを何個も並列してできる本当に大切な時期なんだろうな。 今しかできないことは、何から何まで全部やってみたい。 夕方、久しぶりに四条に出かける。 帰郷した際に、僕の哀れなスニーカーを見ながら5000円を渡してくれたお婆ちゃんの期待に応えるべく、いろいろと靴屋さんを見て周ったが、あんまり自分の欲しい靴はなかった。 また、来たるべく厳寒の京都の冬を越冬する暖かい服も探してみたが、こちらもあまりいいものがない。 ってか、京都に来てからどこに行ったら安くてかっこいい服が売っているのかわからず、非常に困る。 もし東京にいたならば、迷わず高円寺に足を運ぶのだけれども。 明日はサークルの定期演奏会。 etwas neuesの新曲を2曲披露する予定。 ギターを片手に一人で歌うのは、さぞかし緊張するんだろうな。 - 鼻高 - 2004年09月22日(水) 昨晩、帰京。 今日は、前期の成績を取りに大学へ。 Bが2つで、あとはAとA+。上出来すぎ。 が、一番力を入れていた応用倫理がA+だったのは非常に嬉しい。 出したレポートを読み返してみると、あまりのしょぼさに愕然とするが、まぁこれはどんどん進歩していることを証明しているはずだから、めげずに書き続けるしかない。 明日は十三でenvy。 - いくら一番 - 2004年09月19日(日) 昼、家をなんとか這い出し、近くのデパートの中にある楽器屋へ。 いつの間にかピアノ類が売り場の半分を占め、全体的に閑散模様。 せっかく小学校から大学までたくさんの学校がある町なのに、こういった店がどんどん規模を縮小していくのは残念。 夜、ばあちゃんの計らいで寿司。 やたらにネタがでかく、エビがエビ臭くてちょっと参った。 深夜、久しぶりにレビューを書く。 あいかわらず、書くのには苦労と疲労が伴うが、脱稿した後の開放感はなんとも言えない。 もっともっと上手く書けるようになりたい。 - ただそこにある - 2004年09月18日(土) 昨晩は午前6時ごろまで騒ぐ。 何度も繰り返されてきたくだらない笑い話と、脳味噌がキュルキュルするようなコンセプチュアル・アートの話を交互にしながら、お酒を呑んだり、花火をしたり、ゲームをしたり。 なんだか、みんなと会うたびに「ここだよ、こいつらなんだよ」という得体の知れない確信が大きくなって、すごく満ち溢れた気分になる。 家族なんかとは全く別次元の距離感で結ばれた世界。 きっと自分が死ぬまで続くんだろうな。 そんなこんなで、今日は終日家に閉じこもる。 CDからMP3に変換するソフトをダウンロードしたり、友だちから借りたInDesignをインストールしたり、ほとんどパソコンの前。 - 体再建中 - 2004年09月16日(木) ここ数日ちゃんと栄養バランスが取れた食事をしているせいか、頭が澄んでいる。 長い間、体内に巣食っていた妙な倦怠感も全く感じない。 食事とリズムによって、こうも世界の感じ方が変わるのかと、しばし呆然とする。 夕方、自転車に乗って、ちょっとだけ南下。 もちろん頭部に野球帽を装着して。 何軒かお店が潰れていたり、畑が分譲地になっていたり。 もはや熱風を運ぶことがなくなった軽やかな秋風。 明日は久しぶりにみんなで呑む。 全部で15人ぐらいか。 これだけ人が集まっても、一人一人に思い出があるっていうのは、ほんと素晴らしいことだ。 いつかの飲み会のような、苦し紛れの半笑いは全くもって必要なし。 - 思い出したのは進歩の証 - 2004年09月15日(水) 自分の体内時計が2時間ほど正常値へ近づいてきた気がする。 静まり返った広い自宅内からは、先の見えない暗闇と、何かが動いている音が押し寄せてくる。 肉体性の伴った恐怖。 夜は久しぶりにイースタン。 詳細はレビューであげるが、全くそつのない素晴らしいライブだったと思う。 専門学校時代の友人に偶然遭遇したりして、あの頃、そういえばイースタンとファウルを足して2で割ったバンド(完全に割り切れる)をやっていたことを思い出した。 そうだ、あの頃よりは確実に成長している。 そんな確信。 - 白獅子 - 2004年09月14日(火) 朝、10時半に目が覚める。 久しぶりの朝刊と林檎。 昼、明日のイースタンライブのチケットを取りに近くのデパートへ。 そんでもって、ふらっとゲーセンに入る。 どのゲームも最初のステージで惨敗。 夜、西武ドームへ野球観戦に。 内野席は3分の1程度の入りだったが、外野席はなかなかの濃密度。 人工芝のスタンドに座りながら、近くで鳴っている太鼓に合わせて手を叩きまくる。 試合はカブレラ、和田の連続ホームラン、松坂の調整登板、上田の地味な活躍などに盛り立てられ、西武の快勝。 3回毎にビールを買い、秋風に吹かれながらの非常に爽快な野球観戦だった。 観戦終了後は、売店で念願の野球帽を購入。 即、頭部に着装し、周囲の冷たい視線を浴びながら、電車を乗り継ぎ家路に着く。 - 雑踏と回想 - 2004年09月13日(月) 昼前、京都駅から高速バスに乗り込み、サラリーマンがうなだれて吊り革にぶら下がる頃、実家に着く。 緩やかに陽が放物線を描くのを見た一日。 久しぶりの実家は、特に変わったこともなく、また過剰な開放感を与えるわけでもなく、どっしりと構えたまま。 夕飯後、ベランダで煙草を吸いながら、もしこの京都に行ってからの1年半あまりの時間をここですごしていたなら、今とはまったく違った価値観を得ていたんだな、としみじみ回想する。 もちろん、あんな大きな分岐点以外にも、小さな分岐点は何回も通り抜けてきたのだが。 明日は西武ドームに野球を見に行こう。 その前に、ちょっとだけ育った町も走ってみよう。 - 空間の開放感に比例する空腹の虚無感 - 2004年09月05日(日) いよいよ冷蔵庫が尽きてくる。 今晩は、キャベツと天かすのみが入ったお好み焼。 辛うじてうまい。 - 肺にビニール袋 - 2004年09月03日(金) 午後、何となしに家を飛び出し、何となしに伏見稲荷に向かう。 堀川通りを南下して、油小路九条で左折して。 が、東福寺あたりまで来たところで道を失う。 伏見稲荷のある方向への道は、なぜか行き止まりか一方通行。 しょうがなしに進路を北にとり、久しぶりに一澤帆布に入る。 ごった返す観光客。 何個かグッとくるかばんはあったが、どれも値段が1万後半以上。 まぁ大きな収入がない限りここで買うことはないんだろうな。 結局何となしの昼下がりは1時間半ほどで終了。 今晩は長崎皿うどん。 こう、野菜をナチョラルに食べられる食べ物は一人暮らしには欠かせない。 夜、友人に誘われて、上賀茂MKで今年2度目のフットサル。 今回は、周りが肉付きのいい人ばかりで、とことん疲れる。 2戦目で早くも呼吸困難状態。 まぁ、これは今に始まったことではなく、中学高校と学校の周辺を走る体育の授業になると極端なコースカットを毎回繰り返して何とかしていた自分だから、当然か。 ストレッチはいつもの数倍念入りにやったが、確実に明日の朝には悲劇が起こっているのだろうから、今晩ぐらいは幸せな夢を見たい。 - 結び目のない直線 - 2004年09月02日(木) 9月らしい無遠慮な冷たい雨。 丹波のマンガン鉱山行きはあきらめ、ちょっとだけ郊外を走る。 堀川通りを北上し、上賀茂御薗橋で右折、いつの間にか山奥に忽然と現れる京産大を通り越し、どこかで右折したならばそこに現れるは京都精華大。 どちらもずいぶんと辺鄙な場所にあるもんで、周囲とのギャップにしばし呆然。 どうやら、岩倉、宝ヶ池、国際会館辺りを走っていたようだ。 その後、いつの間にか北山通りにもどり、どこかの角にあったのがノートルダム女子大学。 気付けば、ちょっとした大学めぐりになっていた。 - 点から線へ - 2004年09月01日(水) 最近、抜け毛と汗の量がやばい。 風呂に入るたびに、手に絡みつく抜け毛に呆然とし、ちょっと動くたびに、あまり現れることがなかった汗の粒を頬の辺りで感じる。 悪性の脂肪でも溜まっているのかもしれん。 月末を迎え、財布の中もかなりピンチ。 とりあえず米が尽きた。 あと10日ほどで実家に帰るもんだから、それまでご飯は我慢し、うどんやお好み焼などで代用することにしたが、こういう時に限って納豆ご飯が食べたくなるものだ。 明日は、京都の北の方にある丹波のマンガン鉱山にでも行こうかと考える。 前から興味はあったが、ネットサーフィンをしていたらより興味が増した。 ここは、明治から昭和にかけて採掘が行われていた日本有数のマンガン鉱山であり、同時に在日韓国人が多数強制的に働かされていた場所でもある。 現在は大した採掘は行われていないみたいだが、その跡地にその在日韓国人の方が記念館を作っているらしい。 奇しくも、バイト先で在日韓国人の友人と接する機会があり、多くの日本人が得体の知れない距離感を持っている「在日」という存在を、身近に体感できている今だからこそ、行く意義が増している気がする。 また、東九条という場所には京都最大の在日コミュニティもあるらしく、この際思いっきり突っ込んでみるのもいいかもしれない。 -
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