会社に行っていないので、息子の家庭教師 なんかもやってます。中学受験に関する雑誌なんかも 読んでみた。
今年の春合格の難関有名私立中学校の父親の平均年収 は1231万!。 自分は休職を繰り返す身なので、年収はかなり低い。 ので、二人の子供を私立中学へ入れるとなると、 生活はかなり厳しくなる。一戸建て購入などは夢の夢。
金持ちの頭のいい親から生まれた子は、良い学校に 入れて、良い先生から良い教育を受け、学生生活 からの人脈もそれなりのものとなる。 そうでない家庭はその逆となり、格差が固定される。
また、勝組のπは少なくなっており、勝者でいるためには 私生活(家族・友人・地域コミュニティ・趣味)の犠牲が 大きい。
となるとこのニューエコノミーの中で本当に幸せになるのは 誰なのだろう? というのが「勝者の代償」と言う本の 中身でした。(著者は、クリントン政権時の労働長官で 家族との時間を取り戻すため、突然辞任したお方)
私たちは消費者として、かつて無いほどの便利さと選択肢 を獲得しているが、それは低賃金単純労働者にささえられ ている。もっと早く、安くを追求した結果だ。
だが私たちは同時に生産者であり多くが労働者でもあるのだ。
企業業績が伸びても賃金が上がることはもうない。 一部の本当に才能と運のあるものだけが多くの富を手にする。
と、考えても仕方ないので、とりあえず2つのことを はじめようかと思います。それについては後日。
「格差」とか「下流」という名のつく 本が、本屋に行けばたくさんある。
ヒマなので、全部読んで見た。 特に「希望格差社会」(山田昌弘著)を読んだ あとには暗澹たる気分になった。
職場・教育・家庭でおきている問題が ニューエコノミーの到来によって もたらされたリスクである、ということ。
教育崩壊は教師の質が落ちたためにおきたのではなく、 晩婚・非婚・少子化からフリーターの増加に至るまで 社会が産業革命以来の根本的転換期にあることを認識 するべきだ。
つまり、自己責任や能力主義は後戻りできないもの だが、それに伴うリスク認識や対策ができていない 状況である。
ニューエコノミーについては「勝者の代償」(ロバート・B・ライシュ著) を再読して研究してみることとしよう。
あと、ワタミ社長の渡邉美樹・・なんであの人が「教育」を語るのかな? 「夢」とか「大学入試全廃」とか・・
そういえば、フリーターとか「下流」の 人ほど「夢」をもっているらしい・・・
休職中なので、長女の卒園式・入学式に参加した。 今や父親が参加するのが全く珍しくないことに 時代が変わったなぁと思う。
ついでに、小学4年の長男の家庭教師もやっている。 (休職ってのは本当に暇なのだ)
学年ではベスト3に入る成績の長男も 大手進学塾の入塾テストでは6クラスの 最下位クラスに振り分けられた。
驚いたのは、学校の教科書の薄さと 塾の教科書の詳細さの差の大きさだ。
それでも、中学入試に関しては漠然としている 時期なので、勉強時にはなるべく「実感」を 伴うように心がけている。
漢字は辞書を引き、理科では図鑑をみるだけでなく 実物を見せる。どうしてもわからないことはネット で調べる・・・・
こうなると、小学生レベルのことがらでも、大人が その由来を知らないことが非常に多いことに気づく。 息子は「何故?」がわからないと先に進まない思考過程 の持ち主なので、教えるほうも片手間ではできないのだ。
ところで、渡辺淳一の「鈍感力」は絶対に買わないと 決めている。経済紙の朝刊にエロ小説を載せるだけで 十分に「鈍感力」を思い知らされているからだ。
男女のエロを、芸術文学にまで高められたのは 川端康成とか立原正秋を見てからの話である。
どうせ、「情報過多」の時代に敏感な人間は 「弱い」。むしろ他人の批判を受け入れない鈍感な 人間のほうが、成功するとかいう内容だろう。
鈍感に「力」という文字をつける感性に 甚だ不快感も感じる。「話題の本」ほどあてにならぬものはない。
2007年04月08日(日) |
東京ディズニーランド |
久しぶりに行ってきた。
朝6時30分に家を出た。7:00着。 開園8:00まで並んだ。(既にかなり並んで いたが、彼らは何時に家を出たんだろう?)。
開園、入場と同時に妻と事前に入念に打ち合わせ をしていた通り、ダッシュで私は昼食ショーの予約へ、 妻は子供と一緒に、バズライトイヤーのファストパス を入手。その後プーさんのハニーハントで集合。
この間、30分。開園を制するものがアトラクションを 制する。次のファストパスを取る事のできる時間がその後 一日間有利になるからだ。
結局、全部で15アトラクションを回り、堪能しきった。 帰りにディズニーを出たのは21時でした。
休職中にこんなことでよいのか、とも思ったが 自分は復帰の意志があり、主治医の復帰許可の診断書 を提出しても、会社が休めというのだから仕方ない。
・・・躁転してるかも。
小四の息子は塾の春期講習へ行っている。 昨日は、その後近所の公園へ花見に行った。
案の定、駐車場は満車で少しはなれた臨時駐車場 へ誘導された。
それでも、満開の桜の真下に座る事ができ、 ハラハラ散る花びらのもとで、家族四人で昼食を取った。
私が妻に頼んで、おにぎりを作ってもらったのだ。 昔、ニュースステーションで「最後の晩餐」という コーナーがあって、明日死ぬとしたら何が食べたいですか? よいう質問を著名人にしていた。
さすがに、高級フランス料理、のような陳腐な回答はなく なかなか各自、人生観がでるような食べ物を挙げていた 気がする。
ふとそのことを思い出し、自分だったら子供のときに 家族でハイキングに出かけたときの母親のおにぎり、、かなと思ったのだ。
普段はコンビニのおにぎりやパンを買っていくのだが、そういう訳で 妻の手作りおにぎりをもっていったのだ。
こどもの第一声は、「やっぱりお母さんのつくるおにぎりのほうが おいしい!」。もちろん子供達には何も話さずにいたのに。
自分もさんざんバカ高い金を払って、旨い鮨やらイタリアンやら 酒やらを食ってきたが、そんのものは全然粋でないなぁと感じるので ありました。
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