安美ちゃん通信
恋乃



 大人と子ども

毎日新聞の記事で、「なれ合い型」学級でいじめが発生しやすい、と出ていました。
数ヶ月前には同じく毎日新聞で同じく「なれ合い型」学級では学級崩壊すると手がつけられない、と読んだ記憶があります。
"「なれ合い型」学級"ねぇ……
娘、体格がよく発達も早いことで、「ダイエットしろ」の「キモイ」のと言われることもあるようです(発達が早いと言うのは大人に近いと言うことだけど、なら大人は全部デブ? と聞くと娘は納得して、以降気にしなくなったようです)。幸い「キモイ私に声をかける貴方はかわいそうね」と切り返す才覚があるようなので深刻な事態にはなっていませんが、担任が現在教職3年目で保護者より若いくらいなので、そんな記事を読んでしまうと正直、そこはかとなく不安を感じないではない、ビミョーな感じです(汗)
(新学期になって間もなく娘がちょっとした怪我をしたのですが、対応に手違いがあったことがありまして……)

要するに、先生が「親しみやすい」ではなく、完全に児童生徒とオトモダチになってしまうんですね。大人と子ども、という規範が崩れてきたのかなぁと。
児童館の先生が、先生自身愛称で呼ばせるように言っているので一番ビミョーなんですが、児童館での出来事を私たちに話すときには「○ちゃん先生が」、と「先生」をつけさせて、友だちではなく指導監督してくれている人たちなんだ、と言うことを忘れさせないようにしています。
これは心当たりがあります。
先月のPTA便りで校長の挨拶欄で

 (前略)地域に住んでいる方から学校に大変厳しいお叱りの電話をいただきました。内容は、傍若無人な振る舞いをする子がいるので指導をしてほしいとの事でした。その方からお話をうかがったところでは、空き缶やごみを児童館や周りに平気で捨てる子がいたので注意したところ、「うるせーくそばばー、くそじじー」「捨てるところを見ていたのか、俺たちがやったという証拠があるのか」などという悪態をついたということです。(中略)
 なんともさびしい話ですが、このような大人と子どもの関係は、当の子どもたちにとっても不幸なことです。大人は、子どもたちの前では大人として尊敬されるべきであり、ましてや、大人の中でも大先輩である高齢者の方々に対する接し方にはそれなりの節度や礼儀などがあってしかるべきです。(後略)

とあったんです。やっぱり大人含めて年長者は一般的に、自分の知らないことを知っている先駆者・経験者なのだから、教えを請わなくてはならない、教えを請うには礼節を弁えないといけない対象ですよね。その「教える」「教えを請う」最前線の学校で、大人と子どもの関係が崩れているのは、やはり好ましくない事態ではないでしょうか。

うちでは、親にに対し口ごたえとか、あんまりな口のきき方をすると厳しく叱る事にしています。正直、体罰も厭いません。度々なので本人どれくらい分かっているのか、まだこちらも不満いっぱいなんですけど(苦笑)
とりあえず自分が尊敬されようとかはあまり強く思っていませんが、他所の大人に対しては、きちんと分を弁え、接してほしいなと希望しています。

2006年11月24日(金)



 死ぬな

私は学校でいじめを受けたこともあれば、会社でパワハラを受けたこともある。
心身症っぽくなりもした。
でも今、ここにいる。

いじめをする側は、いじめていると言う自覚はない。
パワハラなら、上司は心底その人のためと思って疑っていない場合がある。
だから、あなたが死んだとしても、誰も何も思わない可能性の方が高い。
復讐になんかならない。
死ぬ勇気を、ベクトルを変えろ。歯を食いしばれ。
石にかじりついても、貴方が其処に居ることこそ、最大の復讐だ。

人は誰でも死ぬ。いつかは死ぬ。生まれた瞬間死に向かっている。
遅いか早いかだけだ。
極端な話、いじめの加害者だって明日にも死ぬ可能性はある。
なのに自分から死期を早めるのは馬鹿らし過ぎる。

死ぬな。生きろ


↑↑↑↑↑

えーっと、これを原文のままNACK AFTER5に投稿したところ、ケイザブローさんに読まれました(ラジオで読まれたの、初めてかも・汗)
ちょっと強い調子だったかな、力入ってるな(汗)
書いてる時に当時実際に食いしばった力が思い出されたと言うか、パワハラなんかつい半年くらい前の話ですし(汗)
でも、あんまりカウントの上がらないこの場で書いてるより、ちょっとは多くの人に届くかと、今死のうとしてる誰かの耳に心に、届けばと思った。
ケイザブローさん、ありがとうございましたm(__)m

2006年11月13日(月)



 必修漏れで考えたこと

最初にこのニュースに触れた時には、真っ先に『本末転倒』と言う四字熟語が頭に浮かびました。でも軽々しくこの言葉を使って皮肉に笑うには、かなりオオゴトだった。

当事者の学生がインタビューに答える中で、省かれてしまった教科を『余計な』『無駄な』としきりに言うのが気になった。高校は受験に必要な科目だけを教えるところとして期待された、期待に応えた。
でもそれじゃあ塾、予備校となんら変わらない。大検とって、受験科目だけ勉強してればいいじゃん。
何のために高校に入ったの? 何故高校を選んだの? 高校って、何?
人間的にも、一般的に高校生活を過ごす15〜18歳と言う超多感な時期に、それも受験科目しかない、と言うのは勿体無いと言うか、損害じゃないかな。
ラジオで、文化祭の思い出と言うお題についての投稿で
「何か大きいことをしようと、花火屋さんを何件も回った。
ある花火屋さんが、その心意気に応じてくれて、しかも直前になって更にナイアガラをサービスするから校長先生に許可とって来い、と言ってくれた」(要旨)
とあったのに、司会者さんが『これが高校生活です』みたいなことを言っていた。
私も本当によい話を聞いたと思う。

確かに地方では予備校が少なくて中央(と言う言い方は気になるけど)との落差格差があると言う現実はある。私も地方で過ごしたことがあるから、それは分かる。でも、1日朝日新聞の声欄の投稿の中にあった昔の高校生の台詞に、真実があるんじゃないかな
「受験は個人的なこと。自分でやります。授業は先生方のお考え通りやって下さい。その方が面白いし、この学校に入った甲斐があります」

すごいよ。この台詞を言った時点でこの高校生は完成してると思う。脱帽。大学なんて、未成年のうちに入らなくてもいいじゃん。
実際、大学の多い地域に住んでいるけど、最寄り駅付近ではマナーの悪さが目立って、「所詮○○大だから」とか、勉強より人間性をどうにかして欲しい、と言う声をよく聞きます。
今は社会人枠だの生涯教育だので大学も多様化しています。前出を言える人間を育てることこそ目標とすべきですよね。



私は私立の短大卒です。創立2年目で、当時は高校の教科書をちゃんとやっていれば合格できるレベルでした。

2006年11月04日(土)
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