どんぐり1号のときどき日記
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GUN誌を立ち読みする。 海外では本物の銃器の見本市があるのだが、そこに今回「スマート・ガン・システム」という物が展示されていたという。どういう物かと言えば、要はリストバンドの発信情報を銃自体が読み取り、例え奪われても本人以外は撃てないというものだ。 これはなかなか面白い発想である。まあ昔からSFには登場しているのだが、実際にこういう物が完成しているのには感心する。
もっともこれだとアンチ・スマート・ガン・システムというものがそのうち登場しそうな気はする。情報の伝達を電波に頼っているからで、電波という媒体を利用している限り、妨害技術はいずれ出来るだろう。つまり銃を向けられても発射できないというシステムだ。 ただそんなものができればさらに対抗手段が出来て、またその対抗手段が…、という技術戦争にまでなるかどうかは不明だが、いずれ本
人の情報がなければ発射できない銃器、というシステムが必要な世の中になってきているのは確かだ。
やはり武器の進化というのは、技術的な面からするとなかなか面白い。
J.Rさんに教えてもらった貴重な情報。 昔は赤い火薬の鬼印平玉火薬という物があった。これをモデルガンに積めて遊んだのだが、実は現在この火薬は市場から消えてしまっている。製造する会社がないためで、だから平玉火薬を使っていた昔のモデルガンは、発火して遊ぶ事ができないのである。 そう思っていたら、なんとエバニュー・ミニ雷管が鬼印平玉火薬と同じ0.01gなのだという。これは全然知らなかった。そもそもミニ雷管自体の存在を知らなかったのである。エバニューのスタート用雷管は0.1gなので火薬取締法に則った取り扱いが必要になり、当然資格が必要となるため簡単にこれで遊ぶという訳にはいかないし、そもそもこれだとカートが簡単にふくらんでしまい、使えなくなるのである。ゆえにミニ雷管の存在は貴重になる。こちらは火薬取締法は適用されないので、普通に購入して遊べるし、カートも銃本体も破損する危険性はなくなる。
つまり今所持しているMGCの金属製M16を復活させて遊べるのである。なに、三挺あるから一挺くらいは壊すまで遊べるのだ。これは楽しみが増えたというものである。
そしてオートアート製「TOYOTA 2000GT」を購入。 今回は金型を改修したとのアナウンスだったが、店の話では金型を売却したので、過去のデータを元に改修して金型を新造したのではないかとの事だ。そして買う人買う人、みんなホワイトばかりだとの事である。まあ私だってこれに関してはホワイトを買うよなぁ。
朝から雨がぱらついていたが、14時くらいから風も強くなる。会社から帰る頃には土砂降りになってしまった。
そんな今日、ムーンバスが2個到着する。 楽天で頼んだら青島文化社から届いたので驚いたが、とにかく40年近く待ったプラモデルなので、感無量だ。 もちろんさんざん情報は得ているから内容は良く判っているが、実際に中を見ると意外と大きく感じるし、作ればかなり楽しめる内容なのは確かだ。このレヴェルのプラモが1969年に出ていたというのだから、本当に驚いてしまうではないか。
このオーロラというメーカーがもし倒産していなかったら、その後どういうプラモを出していたのだろうか。イタレリやモノグラムとは全然違うメーカーになっていただろうし、今のハセガワやバンダイとも違ったテイストを持っていたかも知れない。
いずれ現在は、キューブリックの遺言で新規のアイテムを出す事は不可能になっているので、こういう復刻は大歓迎である。ただの金儲けだけでは、こんな凄い荒技は出来ない。まずはメーカーのメビウスに拍手、である。
久々にアパートに泊まってmixiを見ると、やはり未読の量がとんでもないため、全てを読めなくなっている。 ざっと読んでも、内容をきちんと把握できていないように感じるのだ。当然メールやニュースも同じだし、その他に色々とやる事があるから、ますます時間がなくなってしまう。 ネットにおいて私の場合、どうでも良いような内容の物は少ない。mixi等での戯れ言ですら、色々と刺激になるような友人ばかりなので、むしろ必要である。現在はなかなか書き込みできないのが残念だが、本当に楽しいのである。
だがうちの会社のように、会社関係しか付き合いがない人間には、こういう知的興奮は理解できないだろうし、実際話してみても全く判らないという。やはり酒の席が大事だというような連中ではどうしようもない。いや、酒の席というのもある程度は大事だが、彼らは酒を飲む事が大事なのであって、そこでの会話は重要視していない。だから話す内容のレヴェルが異様に低いのである。 そんな席での宴会は、本当に疲れるだけだし自分にとって何もプラスにはならないので、ひたすら退屈なだけだ。
この会社も長くはないだろうなぁ。
民主党もいよいよ末期だ。 こうなる事は選挙前から判っていた事だから、いまさら政治遂行能力がないという事には驚かないが、とにかく心配なのは、このままでは日本の経済は破綻するという事だ。財源がないのにばら撒き選挙対策政治しかできず、赤字を増やすための国債を発行するなど狂気の沙汰だ。政治遂行能力ゼロの鳩山と選挙で勝つ事しか考えていない小沢、この二人は日本を滅ぼそうとしているのである、冗談抜きで。 しかも意見が異なる社民などと連合しているから、なおさら政治をマトモに運営する事は不可能になっている。
かといって現状の自民党が復帰すれば良いかというと、そう単純な話ではない。現在の政党は、どれも政治遂行能力がない、烏合の衆に成り下がっているからだ。 もうここまで日本の政治が酷くなるとは、10年前には想像がつかなかった。今のままでは政治的に世界から孤立するか、北朝鮮のように相手にされなくなるか、どちらかだ。まあアメリカとしては、アジア大陸の防波堤として日本を利用したいから簡単に見捨てる事はないが、いいように使われるのは明白だ。なにせ民主党や社民党は、軍事関係の知識はゼロなので、政治的な駆け引きなど出来るはずもない。何故アメリカが普天間にあれだけこだわるのかは、海兵隊という軍の組織の性格が判っていれば簡単に理解できるのだが、そういう頭はない。以前某評論家が鳩山に説明したが、理解できたとは思えないと言っていた。理想主義者としては現実を理解したくはないのだろう。
今後日本の政治的評価はどん底まで下がるだろうが、そうなると中国等の軍事的圧力が防げなくなるだろう。世界が日本に味方する理由がなくなるからだ。民主党はそう言う事が全く理解できないのだ。なにせ次の選挙の事しか考えていないし、選挙に勝つためにはバラマキ政策しかないと思っているから、それこそガキの集団だ…。 とにかく日本政府は、未来の展望が完璧に欠落しているバカの集団に成り下がってしまった。これでは10年後ですら日本がどうなっているのか、想像するだに恐ろしい。
とりあえず毎週日曜の行事という事で、母親の病院へ父親を連れて行く。病院が遠いから、1人で行くのはもう無理なのである。
昼過ぎに帰宅して、天気が良いのでタイヤ交換をする。連休中は遠出が出来ないと判明したから、もう雪道に遭う可能性はなくなったからだ。 いつものように40分ほどで終わったが、最近は市内や多賀城の病院の往復という短距離ばかり走っているせいか、前輪の減りが目立つ。これは次回交換する時は簡単に前後の区別がつく程である。今まではこんな事がなかっただけに驚いたが、いかに短距離走行が偏った減り方をするかが良く判ったのだった。
ところで。 ニュースで歩行者が一方的に車にひき殺される事件があった時に、「交通戦争」という言い方をする記事がある。いつも思うのだが、これは間違いだろう。戦争というのは、火力に差があったとしても、とりあえずは両者が攻撃手段を持って交戦可能な状態である事をいうのであって、一方的に歩行者を殺すのはむしろ「交通テロ」という言い方が正しい。 この辺の表現は、メディアも少し考えるべきだろう。戦争などと言うから、タクシーやトラックは歩行者を弱者とは考えないのだ。自分たちはテロリストだという認識を持つべきだろうし、また酒酔い運転は最悪の無差別殺戮テロリストであろう。だから死刑が相応しいのである。 現在は金にならない歩行者の保護など、警察も真面目には取り合ってくれない(免許の更新などで金をもらっているのは警察のOBだ)。表だっては言わないが、あちこちからそういう意見は漏れ伝わってくる。もう警察ですら弱者の保護などしてはくれないのである。 世も末である。
朝一で駅前に出て、タワー・レコードへ行く。 エイジアの新譜「オメガ」を買うためだが、ついでにユーライア・ヒープの「対自核」を買う。 エイジアはオリジナル・メンバーでの新譜だという事で、どんなサウンドに仕上がっているのか興味があったのだ。「対自核」は単に久々に聞きたくなっただけで、LPは持っているのだが、簡単に聞けないのでつい買ってしまっただけである。いずれ彼らの最高傑作が「ソールズベリー」だという認識は変わらないと思うが。
昼前に一旦帰宅して、母親の病院へ頼まれ物を持っていく。 しかし昼に突然のドシャ降りになり、一分ほどだがあられも降ったのには驚いた。天気予報では確かに雨の確率は10%ほどだと言っていたが、この雨の量は半端ではなかった。そもそもこの時期にあられというのは、これはもうそうとうにかなりとんでもなく珍しい。 その後実家へ移動する。最近は実家とアパートでの泊まりが交互にあって、なかなか面倒である。
ところで実家にボーズのCDプレイヤーWave Music Systemがある。渋谷陽一が宣伝で勧めている、あれだ。実はだいぶ前からあるのだが、実際に聞いた事はなかったので、今日買ったCDをかけてみた。最初に「対自核」をかけたのだが、思ったよりも高音が軽い感じがする。これがCDに由来するのか、このプレイヤーに由来するのかは不明だが、昔LPで聞き込んだアルバムをCDで聞き直すと大概違和感を感じるのも不思議なものだ。 そしてこのアルバムを最後まで聞いてみたが、今聞いてもアルバムとしてはあまり面白くない。多分当時は「ソールズベリー」が傑作だったから「対自核」が売れたのではないのかと思う。もちろん「対自核」というシングル・ヒットもあったし、ジャケットや宣伝の上手さがあったのも確かだろうが、少なくともアルバムとしては「ソールズベリー」の方がみごとにまとまっているし、曲の出来も良いと思う(個人的にはジャケットも「ソールズベリー」の方が好きだ)。多分今後もユーライア・ヒープのアルバムで聞き続けるのは「ソールズベリー」だけだろう。
そしてエイジアの「オメガ」だが、やはりジョン・ウェットンとジェフ・ダウンズによるアイコンの延長線上にあるアルバムだとしか思えなかった。なんというか、エイジアならもっとマイナー調の曲になっていても良いと思うし、そもそもアイコン以上の新しさがまるで感じられないのである。 もっとも、オリジナル・メンバーのエイジアだというから見方が厳しくなるのかも知れない。これが何も知らずに聞けば、もしかしたらもう少し評価は甘くなるのかも知れないのだ(あまり私好みのアルバムにはなっていないが…)。例えて言えば、1986年に発売されてすぐ聞いたGTRは、友人のテープだったので事前情報がないまま聞き「なんだこのプログレっぽい雰囲気は!」と驚いたが、メンバーとプロデューサーを見て納得し、すぐにLPを買ったのだった。もしサウンドを聞く前にメンバーなどの情報があったら、どう思っただろうか。
まあ今のエイジアがそれほど面白くはないという部分は変わらないか…。
メール・チェックしたら「フライング・コップ」入荷の案内が来たので、夜になってからコンビニまで引き取りに行くのだった。
ついに「ムーンバス」のプラモが入荷したと連絡が来た。大変だ。金がない。 ムックでは発売中とのアナウンスがあったのに、なかなか連絡が来ないため不安になっていたのだが、まあ発売情報に関しては、製作記事を書かなければならなかったムック側のフライングなのだろう。
いずれこのプラモデルは、自分にとって欲しくても手が出なかった最後の品だった。1969年にオーロラ社から発売され高い評価を得たのだが、翌年そのオーロラ社が倒産したため夢のプラモデルとなってしまったからだ。中古市場では製品の出来もあって常に高価であり、日本のバブル期には数十万円という価格になった事もある。欧米のオークションでは常に7〜8万円で推移していたので、やはりオークションは欧米が良心的だと判ったのもこのプラモのお陰だ。
一時期コナミが食玩の企画をキューブリックの遺族へ打診したのだが、キューブリック本人の遺言で新規のキャラクター・グッズは認められないという事で却下されたのは悲しい記憶である。あの当時のコナミなら、とんでもない出来の食玩を出してくれただろうに、非常に残念である。
それでもようやく念願のプラモが手に入るから、とりあえず1個はそのままで素組みをしてみたい。それによってこのプラモの実際の精度が判るからだし、多分1970年に入手していたら、パテ埋めも塗装も極少ししか行わなかっただろうからだ。要は発売当時に作っていたらどういう感じだったかを体験したいのである。
なお雑誌では40年待ったと書かれているが、私は存在を知ってから39年しか待っていない。
昨日買った映画秘宝を読む。 今月はなんだかあまり面白くない。というか、最近これはという記事が少なくなっていると感じる。やはり月刊化の弊害が出ている部分だろう。もちろん隔月などではネット社会の現在、雑誌で勝負するのは難しくなるから、どうしても月刊化は必要な要素だと判ってはいるが、やはり中身の薄い月にはガッカリしてしまうのである。以前の密度の濃い内容を月刊で継続して続けるのは無理だと判ってはいるが、読者としては過去の良い記憶を覚えているのだから、それもある程度は仕方がないだろう。
密度が大事とはいっても、ムックという形態ではどうしても不定期になってしまうし、もっと重要な価格の問題もある。ムックとはいえ2,000円を超えるとかなりの抵抗感がある。そういう事も含めて、やはり紙媒体の雑誌では将来的に存在は難しくなっていくのは容易に想像できる。
そもそも書籍の業界自体でも、紙媒体では限界があるという認識があるようだが、だからといってすべてネット等のデジタル・デヴァイスに移行させてしまうというのもどうかと思う。ディスプレイや携帯できる端末では、まだまだ長い文章を読むのに向いていないという現状を何とかしてくれないと、目が悪くなりつつある世代にはきついのだ。 別にデジタルだから良くないというのではない。楽に文章が読める媒体なら何でも構わないのである。そしてそれが簡単に消えなければ良いだけだ(フラッシュ・メモリーでの配布など、問題外である)。とにかく楽に読めるという事が最重要課題なのであり、これが出来ないと、多分出版という業態は衰退するだけだ。本に馴染んでいる年寄り世代が離れてしまう、というよりも物理的に読めないという事情から、強制的に排斥されてしまうのだ。それはつまり活字文化の絶滅を意味するのである。 特に日本は極端な方向へ一気に走るからに、非常に怖いのである。
会社で朝に行われているリーダーの打ち合わせで、支店長が新聞の読み方を教えていた。40歳前後のリーダーに今更新聞の読み方とは呆れるが、それに感動している方もどうかしている。どれだけレヴェルが低いんだか。だから商品の情報が全然理解されないし、それは単なる不勉強になるのだ。 最近は会社でもLEDライトの販売を進めているが、はっきり言って1年以上動きが遅いし、現時点でもきちんと理解している人は少ない。これだけ市場に展開している今の時点で全然情報を得ていないとは、本当に不勉強なバカである。そんな事で物が売れるはずもないだろうに。 そもそも情報は自前で積極的に入手するものだ。マス・メディアの情報に頼った情報は、基本的には古くなっているので役には立たないと認識するべきだ。 まあ経費対策で新聞を止めるような会社では、そんな事も判らないだろうから仕方がないか。
そんなバカは放っておいて。 今日入荷したコミック・リュウの「大正野球娘。」を立ち読みする。 いよいよ練習試合なのだが、これがなかなか原作の雰囲気をうまく表現しているのは良い。アニメ版はどうしてこういう描写が出来なかったのだろうか。明らかに製作意図が見当違いの方向へ行ってしまっている。少なくとも伊藤伸平が独自に努力しているのは明白だ。 上に書いた情報力の差はこういった所に現れてくるものなのだ。
しかしお雪の腹黒さをメンバーの半数が理解しているという状況はすごい。ただし静への対応でなんとなく判るが、あれで思いやりはあるのだ。単に庶民との感覚が違っているだけなのである。そう言う意味で、何人かは原作を越えた面白いキャラクターに成長しているからますますこれからが楽しみなのである。 きちんと完結させて欲しいものだ。
あの「小惑星探査機 はやぶさ」の帰還が6月13日になると、正式なアナウンスがあった。
惑星イトカワの組成物質の直接採取、数々のメカニカル・ピンチを事前準備と知恵で乗り切った見せ場の数々、本当に日本の科学技術の底力を見せつけられたプロジェクトだ。 願わくば、何とか地球へ帰り着き、地表へ帰還して欲しいものだ。例えイトカワの組成物質が採取されていなかったとしても、直接着陸して地球まで帰ってくるなど、他の国ではまったくできない事だ。科学技術においてここまで感動したのは、アポロ計画以来なのではないだろうか。 とにかくなんとかオーストラリアへのランディングまで完遂させてあげたいと、メカに対して久々に感情移入出来るプロジェクトである。
そしてアオシマからは、「はやぶさ」の1/32スケールのプラモが6月に発売される予定だ。税込み2,100円なので、みんなで買ってあげても良いのではないだろうか。
安永航一郎の本がようやく、かつ久々に出た。 今回は「青空にとおく酒浸り」で、連載当初から読んでいたが、当初の題名が「MMリトルモーニング」だったのにいきなり第二話から題名が変更になったという曰く付きの作品だ。
ただ当初はあまり面白いとは思わなかったのだが、最近は俄然面白くなってきており、あの「頑丈人間スパルタカス」と同じような展開なのである。多分この人は、長編でノリが良くなると後半どんどんはじけていくタイプなのだろう。そしてそういう作品の方が圧倒的に面白い。
ちなみに彼のメジャー・デビュー作である「県立地球防衛軍」はリアル・タイムで読んでファンになったのだが、「海底人類アンチョビー」や「火星人刑事」はどうも今ひとつだと感じていた。だが後日読んだ「頑丈人間スパルタカス」でのはじけ方で納得し、結局は編集部との組み方ひとつでいくらでも化ける作家なのだと思ったので、この「青空にとおく酒浸り」の展開の仕方には大いに期待しているのだった。続きを無事に出して欲しいものだ。
あ、伊藤伸平や板橋しゅうほうも同じような作家だと、今気がついた。
2010年04月18日(日) |
記憶と記録とノスタルジー |
昨日に引き続き、一日中病院を行ったり来たりである。まあ仕方がないが…。
ところで。 まもなく完成する仙台トラストタワーがある一番町一丁目には、かつて東北学院中学・高校があった。2005年に移転して取り壊されたのだが、現在ここに記念碑を建てようという計画があると新聞に載っていた。
向かいのSS30は宮城学園の跡地なのだが、もう人々の記憶から薄れている事から、東北学院の関係者は危機感を持ったのだろう。ただこの気持ちは理解できるが、例えば育英高校の記念碑が錦町公園にある事を知っている人がどれだけいるだろうか。つまり青春期の思い出を残すためには、記念碑だけを建てても意味はないのだ。
学校の思い出というのは、校舎単体で成立しているものではない。一番大きいのは友人や教師との人間関係で、それなくして学校というものは存在し得ないし、それだけでも充分思い出にはなるが、高校ともなればその他に周囲の町並みや良く利用した店等の思い出が複雑に交差して、初めて青春の思い出として成立するのではないだろうか。
だがここ20年で仙台の中心街はとんでもなく変貌した。書店、映画館、名画座、模型屋、電気のパーツ屋、MGCやCMC、古本屋など、高校時代に活用した場所がことごとくなくなってしまったのだ。私にとっては、これらの渾然一体とした妖しげな雰囲気が仙台の魅力だったので、これらが消えていくと共に青春期の思い出を励起するキーは消えていったのである。 あの頃の仙台は、少しばかり意味合いは違うかも知れないが、昔の秋葉原の雰囲気に近いものがあったと思う。私が今のメイドが闊歩する秋葉原を見ても懐かしさを全く感じないのは、多分同じ理由だろう。あまりに変わってしまったのだ。
結局のところ、仙台の青春時期から残ったのは、友人という貴重な存在だけかもしれない。もちろんそれだけでも充分なのだが、やはり当時の街並みがある程度は残っていて欲しかったとも思う。人間とは、わがままな生き物なのである。 まあ元学院高校生だから、そのくらいの事を言うのは許してもらおう。
2010年04月17日(土) |
この時期に雪が降るか |
6時頃はまだ雨だったのだが、7時頃には雪になり、気がつくと積もっている。 今日は父親を泉方面の医者に連れて行くため、かなり焦る。もちろん今年の冬は何かと異常で予測がつかないため、タイヤはまだ換えていない。例年より異常なのだから当然で、変えてしまってパニくっているのはバカだ。
だが換えてしまった奴が多いのか、8時に出かけたというのにバイパスの車の量は思ったより少ない。むしろ少ないくらいだが、流れか少し遅いのもあって、結局はいつもとほとんど変わらず30分ほどで着いてしまった。しかも待っている患者も少ない。やはり天気が悪いとみな出てこないのだろう。 おまけに看護婦が軒並み遅れて、ドアを開けたのは院長だったりする。 こうして今日は、天気が悪いと病院はそれほど混まない、というのは事実だと実感する。いつもの土曜日に比べて格段に人が少ないのである。やはり病院には健康でないと来られないのだろう。矛盾しているが…。
午後は母親の入院先へ行く。 この頃には雪もほぼ溶けてしまっていたので、産業道路も普通に混んでいた。まあこの時期ならこんなものだろう。
ところで先日、村上春樹の「1Q84」の3巻目が出たと騒ぎになっていた。 しかし夜中に並んでまで買うか? ハッキリ言ってバカ騒ぎでしかないだろう。本は落ち着いてゆっくり読むもので、メディアに踊らされて徹夜して行列など、どこかが狂っているとしか思えない。 元々この作品は、出版当時から4巻になるだろうと言われていたので、3巻だけというのは意外だったが、紙媒体における最後のベストセラーになるかも知れないと言われているだけあり、出版社も色々と考えているのだろう。 まあ頑張ってくれ。
一昨年あたりから、youtubeで偶然見つけた曲が気に入ると、探しまくって結局CDを買ってしまうようになった。そしてiPodに入れて通勤時に聞いているのだ。
買う時の基準は、純粋に曲が気に入ったかどうかなのだが、このような評価基準は、自分が中学の頃にラジオだけを聞いて曲を評価していた頃と同じ感覚である(私はヴォーカルを楽器の一部と考えるので、歌詞の内容は気にしない)。もっともあの頃は高かったのでなかなかレコードは買えなかったが、曲に対するスタンスは全く同じで、これは中学の頃から何も変わっていないという事になりそうだ。
ただ現状が問題なのは、その曲が何かのサントラであっても元ネタを全然知らないので、いざ買うと恥ずかしかったりするのである。 そしてそういうのに当たる事が多いように思うのだが、それはその手の作品では曲作りが結構自由に出来る環境にあるためかもしれない。つまりクリエイター側がヒット曲を作るのではなく、ある程度自分が納得出来る曲を作れるのかもしれないという事だ。だからそれなりに面白い曲が見つかるのである。
ちなみにどういう曲を買っているかは秘密にしておこう。恥ずかしいのもあるから…。
夜になって、先日はかせから教えてもらいあわてて録画した「デュエリスト」を見る。 この映画はリドリー・スコットの商業メジャー・デビュー作だ。さすがに脚本や演出にはまだまだ未熟な物を感じるが、その不満を一掃するのが、まるで絵画をそのまま立体化したような美しい映像である。この美しさにはかなり驚いた。 そしてこの映画を見ると、続く「エイリアン」と「ブレードランナー」が一見異質に感じるが、実は映像にこだわっているという部分では一本筋が通っていると判る。本当に映像への拘りは凄いと、ひたすら感心する。
航空雑誌を立ち読みして気がついたが、トーネードF3もいよいよ引退が近づいている。
ちょっと古いところでは1991年の湾岸戦争に参加し、2003年のイラク侵攻にも参加したが、現在はユーロファイター・タイフーンの部隊配備に伴い、2011年にRAFの軍務から引退するとの事だ。つまりF14が完全に退役した現在、トーネードがなくなると実用戦闘機から可変翼タイプはなくなってしまうのである。旧ソ連の機体は実戦部隊にはないし、そもそも現状で使える戦闘機ではないから、トーネードの引退により、文字通り消え失せてしまうのだ。 もちろん引退するのは、兵器として時代遅れになったというのと、根本的に機体寿命が来たというのがあるから仕方がないが、やはり可変翼という時代の寵児が消え失せるのは少しばかり寂しい。F14程の美しさはないが、やはり存在感はあったのである。なにより機動中に主翼が動くというのは、やはり見ていて面白いものだ。 だが現在の航空技術レヴェルでは可変翼の優位性はなくなってしまったので、今後可変翼の戦闘機が復活する可能性は限りなく低い。製造やメンテナンスにかかるコストを考えると、固定翼の方が圧倒的に有利だし、故障等における稼働率を考えても可変翼は不利だ。そもそも機動性能だけを考えても、ラプターやフランカーの単純性能は恐らく可変翼の性能を遙かに凌駕しているだろう。もうそういう時代になってしまったのである。
ちなみに「うる星やつら」における面堂家私設軍隊の戦闘機はこの、トーネードだったのである。関係ないが。
ある方のおかげで「狙撃」を見る事ができた(こう書けば、一部の人にはそれが誰かすぐ判るだろう)。ようやく見る事ができたので、とても嬉しい。
これを見て最初に感じたのは、高校の頃に熱中した大藪春彦を読んだ時と同じ物だった。もしもこの映画をリアルタイムで観ていたら、どれだけ邦画に熱中する事になっただろうか。残念ながら私が映画を凄いと感じたのは「ゴッドファーザー」からだったのだ。そうなると洋画へと向かってしまうのは仕方がないだろう。
だが「狙撃」には人を引きつけるだけの魅力がある。想像以上に観念的な部分が多いし、アクションは殺し屋同士の戦いに、今の映画にはない味がある。そう、まさに決闘なのだ。戦う双方に魅力がある配役なので、戦い方が実に納得出来る展開になっている。 加山雄三がかなり渋い演技をしているし、岸田森も良い雰囲気を醸し出している。この2人が社会のアウトローというのを的確に表現しているのだ。また森雅之もキザだが凄みのある殺し屋を上手く演じている。 この映画はこれらのキャラクター配置が絶妙だし、なによりマニアックな描写が多いので、見ていて楽しくなるのだ。
もちろん今の目で見てしまえばおかしいと思う部分もあるが、この時代なら、明らかにそこそこのマニアでも納得出来るだけの内容だったはずだ。日本では銃の情報まだまだ乏しい時代だったのにAK47が出てくるというのに驚くし、なによりブローバックするモーゼル・ミリタリーには感動する。さらにトヨタ2000GTも走るし、これらだけでも見る価値がある、という言い方は変か…。
この映画は、もっと若い頃に観たかったと思う。これはある意味で青春映画でもあるのだ。モラトリアムを表現していると言っても良い。加山雄三の役どころにはそういう部分があるように思う。つまり映画的には「裏若大将」であり、この映画に加山雄三を置いた真意はそこにある、というのは考えすぎだろうか。 だがそういう事を考えたくなるほど、この映画は色々な物を含んでいる。少なくとも大藪春彦の作品を楽しく読めた人なら、見ておいて損はない。そういう映画である。
朝はまだ雨が降っていて寒い。 それでも日中はかなり暖かくなり過ごしやすかったが、夜になると今度はかなり強い風が吹いた。本当に厄介な天候が続く。
母親が入院してから実家に泊まり込む事も多いので、ネットもゆっくりとのぞけない。こうしてみると、今の社会は情報を得るのにネットが必需品となっていると判るが、これはこれで結構不便だ。
そんな中、日曜に本屋で知ったのだが、「七瀬ふたたび」の映画が6月に公開されるらしい。という事はポストプロダクションもすでに終わっているのだろうが、これは全然知らなかっただけに驚いた。今回の映画化は、もっと早くからSFファンには強くアピールしておくべきだったとおもうのだが、前回のNHKのドラマが酷すぎたから、期待を裏切るよりは知らしめない方が良いとでも判断したのだろうか。いずれSFサイドの人間に知れ渡っていないというのは、やはりおかしい状況だろう。
この作品は何度か映像化されているが、今まで見た中では少年ドラマシリーズの作品が一番ハードで良く出来ていたと思う。 少なくともこれを越えてくれなければ映画としての存在意義はないが、脚本が伊藤和典という時点で、結構期待してしまう。ただし原作をかなり忠実にトレースするらしいので、そうなると小中和哉という監督の腕が問われる事にもなる。 「七瀬」のファンとしては、色々な意味で楽しみだ。
今日から新入社員が来た。 ただし得意先の社長の息子なので二年間の期間限定社員である。なんでも先代の社長も仙台支店で2年間働いたのだそうな。だが社長の頃とは社会情勢が全然違うのに、不思議な事をするものだ。時間と金の無駄であろうに。
無駄になりそうなのは政治も同じで「たちあがれ日本」なる新党が立ち上げられた。 基本的なコンセプトは民主党の悪政を正す、というものでこれは大いに納得出来るものだ。今のままでは確実に日本の財政は破滅するからだ。だがそれをどう実施するかという部分ではかなり不安であろう。というか、改革できるだけの人材集団とは思えない。結局今の日本には、まともな政治能力のある政治家が皆無だと言う事だ。
それでも、基本的には共産主義寄りの社会主義を理想としている鳩山や、政治には興味が無くひたすら選挙に勝つ事だけしか考えていない小沢のような輩が上にいるよりは、遙かにましではあるのだが。
なんだかんだと忙しく、午前10時の映画祭での「ブリット」は行けそうもない。多分この映画を大きなスクリーンで観るチャンスなど二度とないと思うので、これは残念である。
そんな今日は、井上ひさし死去のニュースを知る。昨年の山形における公演では元気そうだったので、かなり意外だった。肺ガンらしいが、やはり肺だと進行は早いし転移もしやすいから、当然死ぬ確立も高くなる。まああれだけタバコを吸っていては、ある意味仕方がないかもしれないが、いずれまだ活躍できるだけの才能がある人だったから、やはり惜しい人である。 しかしタバコに関しては、小松左京という化け物のような例もあるか…。
父親を連れて、母親の入院先へ行く。 一旦帰宅してから町中に出る。とりあえず羅針盤に寄って、アリプロのCDを買う。「コッペリアの棺」は持っているが、「赤と黒」が欲しかったのだ。 タワーレコードにも寄ったが、特に収穫がない。ここで病院の母親から本を買ってきて欲しいと携帯に連絡が入ったので、丸善へ行く。どうせなのでこの時目についた「スペースシャトルの落日」と「百億の昼と千億の夜」も買う。後者は持っているが、光瀬龍のファンであると公言している押井守が解説を書いていると聞いていたのだ。ただそれだけである。 とりあえずこれだけで退去し、病院へ向かう。
病院に届けた後はノダヤへ行ってみる。 今回はマルシンが、タニオ・コバのナイロン・カート対応ガヴァメントを出すというので情報収集だ。なにせ撃って遊ぶための必要条件である低価格を実現するのだから欲しくなるではないか(マルシン製としては高いが)。ちなみに今月下旬発売らしいが、すでにコマンダーのアナウンスも出ているという(アナウンスの前に、本体出せよ)。 ここではナイロン・カートの話題から、GM2の話で盛り上がる。あれは遊んだ人でないと判らないだろう。そしてシュマイザーやステンをスタート用雷管で撃った話をしたら、やはり何人かかやっていて、皆カートは同じ状況になっていたのには笑った。 古い話である。
そう言えば今日が誕生日だった。いくつになったんだ? 年は取りたくないが…。
2010年04月10日(土) |
やはり所詮は地方都市 |
母親の入院先へ行く。 途中で昨日書いたお菓子を買ってみる。価格はやはりそれなりだ。ただ残念なのは、混雑しているためなのかどうかは判らないのだが、レジが非常に不親切だ。どこにどう並んでいるのかサッパリ判らない上に、店員の説明がまったくない。今回は待っている客が「こちらが先ですよ」と言ってくれたが、それでも決して丁寧な対応はしてくれなかった。 残念だが所詮は田舎のお菓子屋だという事だ。いくら商品が良くても、これでは仙台レヴェルが限界だ。少なくとも私は再び買いに行きたいとは思わない。物を買うというのはそういう事だ。今のままではデパートですら通用しない。私は整然としていないレジが嫌いである。
帰宅して、午後は父親のデイサービスから連絡がある可能性があるので、スタンバイ状態が続く。これがなかなか厄介なのだ。
しかし病院に行く途中で気がついたが、苦竹の自衛隊では桜まつりをしており、一般開放という事で市民を中に入れていた。夜になってから知ったが、今回は高速機動車の試乗があり、それなりに賑わったそうである。 いつもいつも思うが、どうしてこういうイヴェントの告知を近隣住民に知らせないのか。ヘリやトラックの騒音を我慢してやっているのだから、こういうのは地域へのサービスとして教えるのが義務だろうに。いつも終わってから新聞に載っているのだから不思議だ。やはり田舎の地方都市だからなのだろうか。 どこでもそうだが、田舎ほどアナウンスはヘタになるものなのだ。近隣の結びつきが強いから「自分が知っているから、他の人も知っているはずだ」という思い込みが強くなるためである。だが自衛隊は仮にも軍組織である。軍が情報に関していい加減では、全体の考え方がそういう方向にシフトしてしまい、いざというときに全く機能しなくなるのは明白だ。 軍が平和ボケでは困るのだから、少しは情報というものの考え方を学習するべきだろう。税金を使っているのだから。
2010年04月09日(金) |
こんな所にお菓子屋が |
信じられない事に、というと失礼かもしれないが、多賀城にもマトモなお菓子屋があった。 以前は資生堂と名乗っていたらしいが、二代目になってからKazunori Murataというブランド名でかなり売れているようだ。実は以前、ここの「多賀城サブレ」なるお菓子をもらって食べた事がある。正直なところ形はかなり平凡なのだが、見た目に反して味はかなり良く、これなら仙台レヴェルの地方都市でも充分通用するだろう。 ここは二代目がフランスで修行したらしく、それによってかなり垢抜けた訳だ。まあ実際問題として、これなら人気があって売れているというのも納得できる。
母親が入院している病院の近くなので、いずれは行ってみるつもりだ。
またも寒い。三寒四温ではなく、単純なシーソーだ。
ニュースを見ていると、車内のライター遊びで子供が死んだというのがあった。 はっきり言うが、これは親がバカだ。車内に子供を残し、そこにライターがあり、しかも車内には燃えやすいゴミが散乱していたというのだから、これはもう殺したいと思っていたのだとしか思えない。それくらいバカである。 私は車の中はきれいにしている。最大の理由は運転の邪魔だからだが、子供がいるならなおさらきれいにしておくべきだろう。特に小さい子供は何をするか判らないのだから、子供の事を考えたら車内にやたらと物は置けない。それが出来ないのなら、子供を乗せる資格はない。車を部屋の延長と考えるのは、ただの愚か者である。
その車について、車を持たない世帯が増えているというニュースもあった。 原因として不景気のためだとか書いてあるが、これは東京中心の視野狭窄者の考えたニュースだとしか思えない。 地方には電車どころかバスも満足に走っていない地域がまだまだたくさんある。しかもそういうエリアは減るどころかむしろ増えているのが現状だ。そんなエリアでは、貧乏でも車がなければ何も出来ないのである。もう病院やスーパーにさえ行けないという状況を中央の人間は認識しているだろうか。いや、認識などまったく出来ていないだろう。 つまり車を買わないという選択肢があるのは大都市周辺の人間だけであり、地方は貧乏でも嫌でも買わなければならないのである。そうしなければ、生活が出来ないのだ。
したがって大都市圏で売れないというのは、単純に魅力のある車がないという、ただそれだけの理由なのである。実際、今自分で買い換えようと思った時、心底欲しくなる車が存在しない。唯一レガシーが実用と走りのバランスが取れているが、それとて高くなったのでおいそれとは買えないし、そもそも今のデザインは非常に悪い。我慢できたのはせいぜい三代目までだ。 まあ、そういう事で、景気以前の問題なのである。
今日は暖かい。 しかし急激な温度の変化には困ったもので、もう天候はメチャクチャだ。今年はいわゆる春というものが来ないのかもしれない。
千葉君から子供が生まれたとのハガキが届いた。これは喜ばしい。女の子なので多分親ばかになるだろう。だが多少は親ばかにならないと、育児とは大変なのでやっていけないのである。
どんぐり2号に「空想科学画報」の2巻目を買ってきてもらう。先日3巻を買ったのだが、実は2巻がなかなか入手できなかったのである。最近は模型のムックでさえ入手が難しくなっているようだ。 それとコミック版の「攻殻機動隊」も買ってきてもらう。これはテレビ・シリーズのS.A.C.をコミカライズしたもので、テレビとストーリーは全く同じだ。まあ結論からいえば、独自の味付けがある訳ではなく、また絵が特別上手い訳でもない。テレビのファンとしてはかなり物足りないシロモノだ。何故今になってこんものをコミカライズしたのか、意味が全く判らない。 やはり伊藤伸平の「大正野球娘。」は原作を越えた部分が非常に面白く、こういうのこそ参考にするべきなのである。
そう言えば「大正野球娘。」は原作がラノベである。 このラノベというのは、妙にスラスラ読めてしまう。普通の小説と何処が違うのだろうかと思えるほどに簡単に読めてしまうのだ。 そもそもラノベは、構成や描写などが妙に変だと感じてしまう事が多い。部分部分は普通に感じるが、それが次へとうまく繋がっていないので、読み進むと変だと感じてしまう。この統制の取れていない感じが、普通の小説との決定的な差なのだとは思うが、それでもこれはスラスラ読めてしまう理由ではないだろう。とに中身がないというわけではないから、やはり文章自体が簡単すぎるのだろうか。 あの軽さは、小説が読めなくなったときのリハビリにはぴったりである。
会社に行くのが面倒だ。 やはり将来の展望がない会社というのは、存在意味がないように思うのだが。それが将来的に存続の危機を抱えているとなるとなおさらだろう。やはり目先の事ばかり考えて、長期的なせんりゅくを建てられなくなっているので、このままでは会社が潰れるのも時間の問題なのではないだろうか。 そもそも会計システムというのは、右肩上がりの世界情勢を前提として存在しているのだ。そうでなければ、今年度のみしか考えないというやり方は破綻する。つまり会社は存続できななるのだ。 ま、いいか。
今月号のジャンプSQの「クレイモア」を、もう一度立ち読みする。 パワーインフレをこういう方法で解決したか、とは思う。つまり本人たちではなく周囲のパワーをインフレにしてしまうのだ。確かにこれなら、主役たちのキャラクターとしてはあまり不自然にはならない。それを上手くまとめられる力量さえあれば、だが。 いずれこの作品がどういう方向にむかっているのか、それが楽しみではある。
実家に帰宅すると、テレビやストーブなどのコンセントがすべて抜かれていた。 多分、父親が電源が切れずにコンセントを抜いたのだろうが危険極まりない。最近はリモコンの区別が付きにくくなっているのかも知れないが、確かに何でもかんでもリモコンな上に、ボタンの数が多すぎるのだ。これは年寄やメカオンチには辛いだろう。
そもそも時計や設定温度の部分は電気が消えないのだから、どうしようもないのに、年寄りなのでなんとかして消したいと思うらしい。つまり、今の世の中は年寄には使いにくい装置ばかりなのだ。もともとの「もったいない」という感覚を完全に無視して便利さを追求したのが今の世の中なのである。多分今の若い設計者等はこういう感覚は全く理解できないだろう。 おそらくこういう感覚と便利さの恩恵の両方を感覚として理解できるのは、我々の年代が限界なのかもしれない。
つまり今後、年寄が使いやすい家電というものは存在しなくなるという事だ。自分が歳を取った時点で気がついても遅いのだがな。
2010年04月04日(日) |
雑誌とコミックばっかりだ |
母親の入院先へ父親を連れて行く。 色々と必要なものがあったので、結局一日で2往復する事になったが。
ようやく「キャラクターエイジ」Vol.4と「空想科学画報」Vol.3を買う。 後者は書店でなかなかみかけないのだが、会社の近くの模型屋にはそこそこあったりする。灯台下暗しだが、最近は模型や戦闘機関係の本は模型屋の方が充実しているのが実情だ。というか、最近はマニアックな本をあまり書店では見かけなくなっている。仙台ですらこうなのだから呆れてしまうではないか。 まあ買う方としては、どういった本がどういう場所で売っているか大体把握していればなんとかなるが、そういうのはフットワークか、年の功が必要なのだ。 しかし久々に出たエヴァンゲリオンのコミックだが、12巻って一体いつから連載してたんだ。そもそも連載が始まってから何年経つんだ。いや、そもそもテレビ放映から何年経っているというのだ。ガイナックスはこれだけでずっと食っていく気なのだろうな。
今日は、義母の七回忌で弘前まで往復である。 朝6時に、どんぐり2号、子どんぐりとともに出発する。正月にETCを着けて、初めての高速なのだが、とりあえず今回で元は取れてしまうのでよしとしよう。ちなみに行きの高速は特に渋滞もなく10時には高速を降りる事が出来た。 あとは弘前市内へ向かうだけだが、いつも高速を下りてから弘前市内までの時間がかかってしまう。ここで驚いたのたが、なんと片側2車線化の工事が進んでいたのである。弘前は来る度に変わっていて、良くなっていく部分もあるが、どちらかといえば衰退している部分の方が大きいように感じる…。
それはともかく、法事自体はつつがなく終了。まあお寺も経営が大変なのではないかと心配になってしまうが、我々だとて余裕がある訳ではない。今の日本ではお寺でさえ存亡の危機なのである。
昼に向こうの実家を出て、食事をしてお土産を買う。 その中で、太宰の津軽を模したクッキーがあるが、以前買ったときはハートカヴァーだったのに今回は文庫サイズがあり思わず買ってしまう。その他にもいくつか買ったが、子どんぐりはアオレンのりんごジュースが欲しいというので1箱買う。これは毎回の事である。
その後、高速へ行く途中で万代書店のような店に寄る。 ここは万代書店のような、と言うよりデッドコピーである。多分視察して真似しているのだろう。どちらかといえば価格設定は高めだが、人口の少ない地方都市の宿命か。趣味系の店は、田舎では難しいのである。もっとも潰れずにやっているところを見ると、それなりに需要と供給のバランスが保たれているのだろう。
15時に高速へ乗り、帰路に着く。 やはり八幡平付近では雪が降り、一時的に吹雪になった。これだから遠出の時にはタイヤを換えられないのである。20分程だが、かなり吹雪かれた。 そこを過ぎると天候はまずまずだったが、車の量が増えた。しかし追い越しながら走ると、プリウスが異様に多いと感じる。なんだか5台に1台はプリウスなのではないかと思う程だ。そして面白いのは、その増えた車のかなりの数が、きちんと100キロで走っているのである。こちらとしては走るのが楽だったが、これは結構異様な光景である。少なくとも八戸〜仙台を往復していた頃には絶対に見られなかった光景だ。 そのおかげで19時には無事に家へ着く事が出来た。こうして12時間700キロの旅はなんとか無事に終わったのであった。ふぅ。
2010年04月02日(金) |
「クレイモア」も佳境か |
なんだか妙に忙しい。年度が変わったからか? しかし相変わらず矛盾した事を平気でいうリーダーには困る。どう行動して良いのか、さっぱり判らん。だから若い連中が居着かないのだが、多分それに気づく事は一生ないだろう。なにせ教えてあげようとすると、突然キレるのだから、だれも相手にしていないのだ。
さて、ジャンプSQの「クレイモア」を立ち読みする。 パワー・インフレではないが、ストーリーがインフレ状態になってきている。プリシラが出てきた時点でこうでもしなければならないのは判っていたが、あんまりではないか。 多分編集部からの引き延ばし要請もあるのだろうから、作者としては悩むところかも知れない。もっともそのおかげが、早くに殺さなかったユマがここまでキャラが立った存在になるとは思わなかったから、引き延ばしも悪い事ばかりではなさそうだ。 あの「ここで死んだらシンシアが気に病むから、死にたくはないんだが」のくだりはかなり感心する。良いキャラクターになったものである。ただその代わり、このキャラを殺すのは大変になってしまっただろう。
しかしかなり初めの頃から主役が誰だか判らなくなってき手、現在はもう群衆劇としてうまく描かれていると思う。これは作者の力量がかなりアップしたためだろう。いずれ今後が楽しみである。
気温もようやく例年並みに戻ってきたようだ。ただしまだまだ予断は許さないらしい。 しかしこうなると、コートなどで着る物に悩んでしまう。厚手のコートだと邪魔になりそうだが、朝晩と日中の気温の差もあるので事は簡単ではない。
さて、4月1日と言えば海外ではエイプリル・フールだが、やはり日本ではあまり盛んではない。 やはり本場はBBCあたりのはじけ方が最高なのだが、今年はどういうネタを出すのだろうか。去年の「飛行するペンギン」は、ネタでは騙されないが、壮大な遊びとしては楽しい映像だった。ああいうのなら、騙される人もあまりいないだろうから、日本でも何とかできるのではないだろうか。 まあ、クレームを恐れる日本のマス・メディアでは、それでも所詮はムリな話か? あの朝日新聞が軽くジョークを入れただけでクレームの嵐だったというのは有名な話で、これ以降は真似するマス・メディアはなくなったと言える。
しかしこのBBCが初めてエイプリル・フールのニュースで「スパゲティのなる木」というのを放映したのは、1957年である。つまり私の生まれた10日前の出来事なのだ。そう考えるとなんとなくBBCに愛着を持ってしまうではないか(普通の人は、ならないか)。
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