どんぐり1号のときどき日記
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2009年06月30日(火) |
「メイド・イン・L.A.」が500円 |
ネットで販売元に注文していたDVDが届く。思いの外早かった。 私の分は「メイド・イン・L.A.」「リベンジャー」「ジェシカ 超次元からの侵略」「ボーダーライン」「ヴァージニアの告白 過去のない女」の5枚で、全部500円のDVDだ。特に「メイド・イン・L.A.」がこの価格で買えるとは思ってもいなかったので、非常に嬉しい。なお他の作品は、この価格だから買ったのであって、そうでなければ手は出さないようなものばかりである。
それはともかく、前にも書いたが「メイド・イン・L.A.」は「ヒート」のオリジナルである。よほどこだわりがあったのだろう、マイケル・マン自らリメイクして「ヒート」に仕上げたのだが、リメイクというにはあまりにも恥ずかしいほど同じ映画である(違うのはラストの展開だけだが、これは仕方がないだろう)。 もしかして「メイド・イン・L.A.」を何度も見た人は、「ヒート」を観た時点で笑ってしまったのではないだろうか。それほどに展開も演出も同じなのである。結果として映像まで同じに感じてしまうほどだ。
いずれ今回「メイド・イン・L.A.」を見た事で、「ヒート」を公開当時に観て感じていた違和感の理由が明確になった。要はアル・パチーノとロバート・デ・ニーロという2大スターを起用したためのしがらみと、それによる様々な無駄が映画のテンポを悪くしているのである。もちろん手間暇かけた分、「ヒート」の銃撃戦の方が洗練されているし迫力も違うが、映画としては無駄がなくすっきりまとまった「メイド・イン・L.A.」の方が面白く感じられる。特に若い役者が中心なので、ギラギラした迫力がある。これは年を取ったアル・パチーノとロバート・デ・ニーロには出せない部分である。彼らは渋い演技としては完璧と言っても良いが、若さゆえの緊迫感というのは、やはり若い役者でないと出せないのが良く判る。
だがこの二人を起用して華にしなければリメイクは難しかっただろうというのも、当然だが良く判る。「エル・マリアッチ」そのままでは「デスペラード」というリメイクが難しかったのと同じだ。実際、無名の役者を使ってここまで同じ映画を作る事は、プロデューサー・サイドが許さないだろう事は容易に想像がつく。
いずれ色々な意味で両作品を見比べるのは楽しいし、どちらも銃撃戦は純粋に素晴らしいと思う。
いわさきさんがSF大会の帰りの7月5日、仙台に寄るというので仲間内に声がけしてみる。 今のところ、チュウジさん、チャウチャウの参加表明があり、少人数でゆったり、という感じになりそうで、それだけでも実にありがたい。まあ日曜の夜だからそれほど集まれないのは判っているし、いわさきさん本人もこの日のうちに北上するので、あまり遅くまでは遊べないのだが、とにかく数人が彼のために集まってくれるというのが嬉しい。
ところで。 昨日頼んだ「メイド・イン・LA」を発送したとの案内があったので、これは2〜3日のうちに届くだろう。とにかく本当に楽しみだ。 これとリメイクされた「ヒート」を比較する事で、「ヒート」の欠点と思われる部分が明確になるような気がするし、あるいはマイケル・マンという監督の欠点が判るかも知れない。 実は劇場公開時にどうも「ヒート」のドラマ部分がつまらないと思っていたのである。これが「メイド・イン・LA」のリメイクだと知ってらは、おそらく無駄が多いためなのだろうと漠然と思っているが、いずれオリジナルを見れば判るだろう。 そんな彼の新作が「Public Enemies」で、日本では正月映画の予定になっており、観られるのはまだまだ先である。
そんな夜は実家へ行って、入院に伴う様々な事を確認する。 だが、確認すればするほど色々と懸案事項が出てくる。特に一人残る高齢の父親が色々と問題である。もう少し若ければ特に問題はないのだが…。そろそろ遠くへも出なくなったし、食事の量も減っている。根本的に足腰が弱っているのだ。 さて、母親の退院までの2ヶ月間は、結構長いものになりそうである。
午前中は母親に頼まれた買い物や物の整理、午後は入院時の家の事などをどんぐり2号と確認する。
なんだかんだで15時になり、ここで駅前に出かける。ちょっと買い物を頼まれたのと、今朝になってネットで発売を知ったソフトを捜すためだ。 これはマイケル・マン監督の「メイド・イン・LA」で、なんと500円の廉価版DVDである。ちなみにどういう映画かと言えば、知っている人には有名なのだが「ヒート」の元ネタである。どちらもマイケル・マン監督作品だが、要は「ヒート」が「メイド・イン・LA」のリメイクなのである。これは買わない訳にはいかないとあちこち探したが、結局見つからずに終わってしまった。 仕方がないので、帰宅後にネットで発注してしまった。さて、在庫があるだろうか。
本屋は探している本は見つからなかったが、代わりに雑誌を3冊買う。 まずは「ユリイカ」がメビウス特集を組んでいたので、買う。 5月6日に来日して講演があったのだとは、全然知らなかった。やはり中央と地方の文化的格差は、これからどんどん大きくなっていく一方だろう。不公平である。しかし意外だったのは、フランスでは1980年代前半まで、日本のマンガの存在を知っている人はほとんどいなかったという記述だ。確かにあの頃から爆発的に日本のマンガ、アニメのファンが増えたらしいが、状況はまさに爆発だった訳である。また当時日本にメビウスを紹介したのは、やはり「日本版スターログ」だったとの事で、私もあれで初めて知ったクチだ。 この「日本版スターログ」は、当時としては本当に革新的かつ濃厚な雑誌だったのだと、つくづく思い知ったのだった。あの頃本国版も買っていたが、経路が全然違っていたのを感じていたものである。
次に「Cut」に押井守+渋谷陽一のインタビュー(というよりむしろ対談)が載っていたので買う。 相変わらず渋谷陽一の押井監督に対するツッコミはするどい。どうして他の映画雑誌はこういうまともなインタビューが出来ないのだろうか。そういえば宮崎作品を押井とともに批判していた唯一の雑誌でもある。ちなみに現在の映画関係の記事を載せている雑誌としては「映画秘宝」以外はあまりに不勉強だし、その「映画秘宝」もかなり偏った見方しかしていない。この「Cut」という雑誌は本来映画雑誌ではないのだが、実は現行の映画関係の記事を載せている雑誌の中では、一番まともな記事やインタビューを載せているのである。 少しは他の雑誌に反省してもらいたいものだ。
そして「シネフェックス」12号を買う。 こちらは新・新シリーズのやつだ。さすがにデジタル関係の記事がメインだが、だてにシネフェックスを名乗っている訳ではなく、進歩の様子が非常に良く判る。しかし「007 慰めの報酬」のデジタル処理については、予想以上の事をしているのが判るが、こういう目立たない部分の技術は、勉強を怠っているとあっという間に取り残されてしまうので気をつけないといけない。
暑い。昨日に続いて今日も30度を越える。Jemさん曰く、福島は35.7度で日本一〜、だそうである
ところで来週の金曜には母親の入院である。従って、父親と母親の病院関係や薬の受け取りなどかあって、この暑い中をあちこち走り回る。 父親の通院でほぼ午前中が終わり、母親の薬の受け取り、細々とした買い物、等々で夕方になってしまう。いや、本当にこれだけで終わったのである。病院というのは、何かと待ち時間が長いのは判るが、それなりにシステム化が進み処理は速くなっているはずなのに、やはり高齢化社会の影響がストレートに出ているのだろう。 待っているだけだが、やはり疲れる。
ところで病院の待合室にいた時、タクシーで来た老夫婦が喧嘩しており、なんでも夫の方がタクシーに道を指示しなかったのでタクシーの運転手が曲がる所が判らず苦労したと怒っていたのである。そういうのは小声でやって欲しいものだ。 だがタクシーの運転手がこれだけ有名な病院を知らないというのは、明らかに職務怠慢だろう。道を知らないタクシーの運転手など、存在意義がない。私も何度か経験があるが、タクシーの運転手は地下鉄の駅を知らない。少なくとも官公庁や病院、地下鉄やJRの駅は知っているのが当然なのに、仙台の運転手は知らない事を恥だと思っていないのである。これは異常である。 知らないなら知らないでナビをセットするなら、センターに無線で確認すれば良い。それをせずに知らないと堂々と言っている運転手の、なんとアホウな事か。
午後は会社を休んで、父母を連れて病院。 母親の手術の最終検査と医師による最終確認なので、親族の同行が求められていたのである。 しかし13時に受け付けて、最終的に会計が終わったのが17時を完全に過ぎていた。ここの病院は、どうも待ち時間が長すぎるし、どれだけ待つのかの見当がつかないので、結構くたびれる。そして会計や雑務の事務員が少ないのか、妙に時間がかかるのも問題だろう。 あと驚いたのは、診察医療の看護婦が、入院病棟の事は全然判らないのだという。まう院内感染やらなんやらで、仕事の受け持ちが違うのかも知れないが、診察室のすぐそばにリハビリ室があるし、そもそも看護婦が入院室にノータッチと言う事はないと思うのだが。医者のレヴェルではなんの新倍もないが、結局入院の部分が不安になってしまう。
ところでマイケル・ジャクソンがお亡くなりになった。 近年は醜態をさらし続けてきたが、これでようやく伝説になる訳だ。やはり彼のピークは1980年代であり、最近の彼を見ていれば、スーパースターとしては決して早すぎる死ではなく、むしろ遅すぎたくらいだ。 ただ言っておくが、これは彼の才能を認めた上での発言だ。少なくとも1980年代の彼は希代のスーパースターであり、間違いなく世界のトップに君臨していた。だが同時に彼は弱い人間だというのは、周囲の発言から判っていたので、きちんとアドヴァイス出来る人が周囲にいなければ、自滅するのは時間の問題だったのである。つまり非常にかわいそうな人でもあったのだ。 私にとっての彼は、やはりジョン・ランディスが監督した「スリラー」だ。この一作だけをとっても、マイケルは歴史に残る奇跡的な映像を作ったのだと思っている。
等と書いていたら、ファラ・フォーセットが25日にガンで亡くなっていたそうである。 こちらも驚いたが、私の場合はついついファラ・フォーセット・メジャーズと言ってしまう。やはり「チャーリーズ・エンジェル」の時代になじんでいるから、思わずそう言ってしまうのだ。 ただ当時は、彼女の後釜のシェリル・ラッドの方が好きだったし、実はさらにジャクリーン・スミスの方が好きだった。とか書きつつ、実はケイト・ジャクソンが一番好きだったのである。なんだかんだ言いながらではあるが、この緩い番組も好きだったのである。
2009年06月25日(木) |
「大正野球娘。」の2巻目 |
午後、どんぐり2号から「大正野球娘。」の2巻が出ているというメールが来た。 雑誌には近日発売としか書いていなかったのだが、雑誌発売から1週間もしないうちに出てしまったのである。大手出版社のはずなのに、何だか珍しいパターンだ。
しかし買ってきてもらった2巻目の内容は、1巻以上に面白いのではないだろうか。本当に若者を置き去りにした、いかにもの伊藤新平節が実に楽しいので、この調子でしばらく続けば「楽勝!ハイパードール」と並ぶ代表作になるかも知れないと思ってしまう(原作物だと難しいか…)。 ただ、若者を完全に無視しているのかと言えばそうでもないらしく、1巻目は増刷の運びになったのだという。なんだか不思議な気もするが、やはりこれはアニメ化の影響なのかもしれない。だとしたら知らずに買った若者は呆然とするかもしれないなぁ。 ちなみに増刷というのは、もしかしたら伊藤新平作品としては初の快挙ではないだろうか。
なお今回はなかなか面白い手法の話があって、現在のドキュメンタリー番組で当時が語られるという、きわめて珍しい演出になっている。 しかもその中に出てくる「あのUボートの心臓」と「現在の青山墓地にバラの献花」は、もしかしたらとんでもない展開が出来るという事を意味しているかも知れない。これによって大正の話が現代につながる可能性を残したのである(まあ編集が許すかどうかという問題はあるが…)。 だがそれを暗示する話の絵が表紙に描かれているというのに、コミックの腰巻きが邪魔してその部分が完全に隠れてしまっているのはいかがなものか。この部分には旧ソ連軍の戦車T-34が描かれているのだが、腰巻きで完璧に隠されている。意図的なのではないかと疑ってしまう程だ。とにかくこの戦車から始まる話が非常に面白いし、実は重要なのである。 なにせ一つだけ書いておくが、川島乃枝は第二次大戦中にドイツに協力した疑いがあるとして戦犯扱いされていたというのだが、さすがにこの展開は予想がつかなかった。さすがは伊藤新平だ。
問題は原作との乖離がどの程度進んで、どの程度まで許されているのかだが、我々のようなロートルならともかく、若者がとれだけ彼を支持するのか、全くの未知数だ。だがこれで人気が出てくれれば、もしかしたら「楽勝!ハイパードール 6.0」が復刻されるかも知れないので、是非ともがんばって欲しいものである。
今日、会社で会長と雑談。もちろんふろヰ道(現在のふろヰ堂ではない)の会長だ。 元々は印刷関係の見積もりで来てもらったのだが、雑談50分お仕事10分で会長には申し訳なかったかも知れないが、久々の雑談はかなり楽しかった。やはりこういう人との会話が楽しいのは、単に同じ趣味というよりは、思考回路が似ているからなのではないだろうか。また新しい物への純粋な興味という部分も会話を楽しいものにしていると思う。 しかし彼のあの名刺はなかなか楽しい逸品だ。私もこういう名刺を作りたいが、そもそもベースの部分を一から作るセンスがないのである。また自分のどの部分を載せたら良いのかも悩んでしまう部分だ。 仕事にかこつけて、時々来てもらいたいなぁ。
この時の会話について後からふと思ったのだが、私の情報源はネットだけではない。紙媒体、詳細をある程度知っている人、実地試験といった情報を元にネットで検証して、自分なりに咀嚼しているからそれなりに自信のある結論を持っている。もちろん最終的には自分の経験と勘も必要だが、そこは年の功である。たぶん会長も、SFファンの友人たちも、相手のそういった確実性を嗅ぎ取って、また自分たちもある程度のベースを持っているから会話の理解度も高くなるし、会話の自由度も大きくなるのだと思う。 だから会話が楽しくなるのであり、逆に会社の連中との会話がつまらない理由も判るような気がする。
ところで。 あのとんでもない映画「ウォッチメン」のDVDが9月11日に出るとのアナウンスがあった。 なんというか、あまりに露骨な販売戦略である。まあ日本での配給成績を考えればこの程度の事は必要だし、実際かなり毛色は変わっているが一見の価値のある作品である。そのためにはこういった販売戦略も必要になるのである。逆に言えば、昨年の「タークナイト」同様にこうした映画がヒットしない日本の知性はあまりに歪である。映画は何も考えないだけではいけない。そういう映画はマイケル・ベイに任せておけば良いが、やはり問題意識のある監督の作品からは何かをくみ取らなければならない。それが映画の発展の一部として必要なのである。
昼にタワーレコードへ電話したら、明日発売のドリーム・シアターの新譜はすでに入荷していると言う。まあ店頭への配置の関係で、前日入荷は当然だ。 と言う訳で、夜になって車を飛ばし、ドリーム・シアターの「ブラック・クラウズ&シルヴァー・ライニングス」を買ってきた。実はデビュー・アルバムからずっと買っている数少ないグループなので、ほとんど惰性で買っている部分もあるが、彼らの2枚目のアルバムである「Images & Words」のような大化けを期待してもいる。メタル系が停滞していた時期に登場したこのアルバムは、結構な衝撃波を発生したのである。
今回のアルバムもスタンダード盤とスペシャル・エディションの2種類が出る。いつもはスタンダード盤を買っているのだが、昨日も書いたとおり、今回はちょっとした葛藤があった。スペシャル・エディションにカヴァー集が付くのだというのだが、問題はその内容なのに何を見てもなかなか判らないし、ネットも同様だった。最終的に「スターゲイザー」と「太陽と戦慄パート2」のカヴァーが入っていると判ったので、今日は仕方なくスペシャル・エディションを買ってしまった。我ながらバカである。 聞くと「太陽と戦慄パート2」なんてのは、今の彼らの性格からして判るとおり、単なる完コピだったが(ジョーダン・ルーデスがいるから、キーボードが入ってしまう)、やはりこの曲が好きなので、ついつい騙されて満足してしまうのだった。 ちなみに「ブラック・クラウズ&シルヴァー・ライニングス」本編のラストが鳥の声で終わるのは、やはりイエスの「危機」を意識しているのだろうと思ってしまう。意図は不明だが…。
さらに今日は、ついでに見つけた「チューブラー・ベルズ・デラックス・エディション」まで買ってしまった。 こちらは「2009年ステレオ・ミックス・ヴァージョン」などという非常にふざけた物が入っているので、騙されて買ってしまったのである。ただしこれ、普通の人にはオリジナルとの違いが判らないだろう。いや、判らないと断言する。あきらかにマニア対象の作品なのだ。 まあマイク・オールドフィールドの作品もすべて買っているから、騙されるのも仕方がないのだが、本当は「オマドーン」の方で色々とやって欲しいし、かねがね噂には上って消えるパート2を、是非作って欲しいと思っている。なにせネブワースでの「オマドーン」は見事にロック仕様になっているし、またドラム・セクションのうまさもあって、本当に感動的なのだ。こういうオリジナルを越えたライヴもあるのだから、やはり今の解釈の「オマドーン」も聞いてみたい。
しかしこうして一体何枚目になるのか判らない「チューブラー・ベルズ」を買っていると、マイミクのはかせ、津のさん、大将軍などが尋常ではないサウンドを突き詰めているというのに、こんな事で良いのだろうかとも思ってしまう。あまり進歩がない奴だと言われても仕方がないが、やはり好きなものは好きなのだ。それが歴史に残る名盤であれば、なおさらだ。
会社で井上ひさしの講演の話をしたら、井上ひさしを知っている人がほとんどいなかったし、若者に至っては誰も知らなかったのである。認知度は低いだろうと思っていたが、ここまで凄まじいとは思わなかったので、かなり驚いた。まあこの現象はウチの会社だから、という特異データの可能性もあるし、またそうであると信じたい。
さて、今週の水曜にはドリーム・シアターの新譜が出る。 限定盤と通常盤が出るのは知っていたが、つい先日までの情報では3枚組限定盤のうち、カヴァー曲の内容が不明だった。しかも1枚は今回のアルバムのインストであり、この部分については欲しいと思えなかったので、なおさらどうするか悩んでいたのである。 だがストレンジ・デイズにカヴァーの内容が記されており、その中に「スターゲイザー」と「太陽と戦慄パート2」が入っているのだと書かれていたので、こうなると限定盤も視野に入れなければならない。ただしいずれも彼らの事だから、完コピにしかならないのは明白だし、特に「太陽と戦慄パート2」はあまりいじる余地がなさそうな曲なので、ドリーム・シアターが行うコピーとしてはただの完コピにならざるを得ないだろう。 それでも多分聞きたくなるとは思うが、問題は価格が少々高いという点だなぁ。
このカヴァー曲を検索している途中で、なかなかとんでもないニュースを見た。 例の「THE TAKING OF PHLHAM 123」のリメイク版が9月に公開されるのだが、邦題は「サブウェイ・パニック」ではなく、「サブウェイ123 激突」に変更されたそうである。どうせ変えるなら、もう少し気の利いた題名にするべきだろうが、多分現在の配給会社には、過去の蓄積を持った人間が、若者はもちろん、年寄りにもいないような気がする。 この場合の蓄積とは、ただの映画データの事ではない。その時代の空気を理解し、その映画の立ち位置やヒットの有無などを知っているかどうか、である。特にリメイク映画の宣伝には、この知識が重要になるのだ。 まともな配給会社の人間なら、少なくとも「サブウェイ123 激突」等という、いかにも頭が腐ったような題名は作らないだろう。これでは宣伝活動を投げてしまっているとしか思えないではないか。
朝一で床屋に行く。調べたら4ヶ月ぶりである。さすがに髪も伸びた訳だ。 その後、母親の用事のために三越まで連れて行くが、10時の開店直後ですら結構混んでいる。とりあえずお中元や様々な雑用をすませて、昼頃に帰宅。
うちに戻ると、いわさきさんからさくらんぽが届いていた。集中したが、これで思い切り食べられるなぁ。なにせどうしても高いというイメージがあるからすこしずつ食べるのだが、やはりある程度はゆっくりと量も食べてみたいではないか。
そして午後は駅前に出る。 まずは本屋に行き、ちまちまと立ち読み。どうしようか悩んでいた菅野よう子特集の「ミュージック・マガジン」は、結局買わすに立ち読みで済ませてしまう。思ったより内容の絶対量が少なかったためだ。 この時偶然「シネフェックス」を見かけたが、なんと出版社が3年前にボーンデジタルに変わって新しく1号から出版されていたとは知らなかった。バンダイ、トイズプレスと続いていたが、今の日本の出版界で「シネフェックス」が出続けているという事に、とにかく非常に驚いた。まだまだ世の中、捨てたものではないと心底思う。でも高いので、今日は立ち読みしてしまったがいずれ買う事になるだろう。
結局、今日買ったのは「映画秘宝」と「ストレンジ・デイズ」だけである。あとはDVDで「スローターハウス5」を買う。そういえば、そろそろ「大正野球娘。」が出るらしいが、日程は不明だ。
夜にいわさきさんから電話。 SF大会に出たあと、仙台に寄るというので、7月5日に駅前で会う事にした。時間的には最終の新幹線で北上すると言うので、会っている時間も2〜3時間程度がせいぜいか。しかも日曜の夜なので、他に声をかけてもどれだけの人が来れるだろうか。みんな何かと忙しいし、日曜の夜だと出にくいのもあるだろう。とりあえずmixiには挙げておこう。
山形へ出かける。 仙台は曇りで寒いし、川崎のあたりからは雨模様となるが、笹谷のトンネルを抜けると、なんと晴天の夏である。トンネルを抜けるだけでこうも違うのかと感心する。川端康成の「雪国」の冒頭が実感できるのはこういう時だ。ただしトンネルはそれほど長くはないのだが…。ちなみに後で合流した623ちゃんも同じ事を言っていた。そして山道の一般道は、走っていてやはり楽しい。
今回は「本多猪四郎監督特集」が開催されるので、半分まで観る予定である。内容は以下の通り。 10:30〜『空の大怪獣 ラドン』 12:30〜『妖星ゴラス』 14:30〜『井上ひさし講演 「ゴジラと僕と山形と」』
あとの2本は「マタンゴ」と「ガス人間第一号」なのだが、こちらは結構映画館で観ているし、一日座りっぱなしと言うのも、もうきつい歳なのである(椅子はまあまあ立派ではあったが、一日自由座っていられるようなタイプではない)。そもそもスクリーンで見るなら怪獣物の方が絶対に楽しい。
だいぶ早く着いたので、斜め向かいの観光物産館を覗いてみる。だがお土産として買うような物がないのには驚いた。特にお菓子類が全滅だ。自分で食べてみたいというレヴェルの物がない。仕方がないのでシベールの工場でラスクを買う。ここには簡易包装の少し安い袋の物があったので、うちと実家の両方に買ってお土産は終了。 しばらくすると、会場のシベール・アリーナ(あのラスクを作っている工場だ)にチャウチャウ、キョーノさん、まさいちさん、さたけさんが集合し、5人組となる。623ちゃんは井上ひさしの講演のみ参加だそうだ。
会場に入ると、予想はしていたがスクリーンの大きさは映画館ほどに大きくはない。それでもこのサイズで古い怪獣映画を見ることなど滅多にないから充分だ。 最初の「ラドン」が始まるとやはりわくわくする。観るのは久々だが、やはり冒頭からのめり込める程まじめに作られている。思ったよりメガヌロンのシークエンスが長いので、人物描写の部分もかなり丁寧だ。しかし後半出てくるラドンの、羽ばたくシーンは全てダメだ。もともとプテラノドンは翼竜であって、基本的には羽ばたかないのであるが、とにかく操演に無理がありすぎる。ミニチュア・ワークが素晴らしいだけに、この部分はかなり惜しまれる。 ちなみに映画の途中で、なんとフィルムが切れた。しかも2回である。驚いたが懐かしいというか、こんなトラブルはこの先二度と見る事はないかもしれないので、むしろ嬉しいトラブルかも知れない。 しかしこの映画、意外とカメラワークが下手だ。もしかしたらフィックスがメインで、パンが苦手なカメラマンなのだろうか。もしそうだとしても暗所の露出はうまいので、それはそれで納得出来る。 いずれ見終わって満足である。
終わって次の映画まで30分あるので、みんなで軽い昼食。私はキョーノさんやチャウチャウから分けてもらった。なんだかんだと雑談が楽しい。この辺はSFファンの集まりだからだろう。
続いて「妖星ゴラス」を観る。ワイド・サイズになるので「ラドン」より画面がかなり大きくなる。しかもフィルムがリマスター版らしく、自分が持っているLDソフトよりクリアで綺麗である。なんだか悔しい…。 だがゴラスの衝突を避けるために地球を動かすという、とんでもなく荒唐無稽なホラ話をきわめてまじめに演出してあるので、これまた楽しい映画だ。雰囲気は日本沈没に通じるものがある。 ただあの「おいら、宇宙のパイロット」は腰が砕ける歌で、あのシーンはカットした方がテンポが良くなるからこの映画には不要だし、そもそも私は好きになれない歌だ。トラック野郎じゃないんだから。 いずれラストは結構感動する。こんな荒唐無稽な話なのに感動するのはひとえにまじめに作ってあるからだ。なぜゴジラ映画はコミカルな方向へ走ってしまったのか、こういうまじめな演出路線を続けていれば、もっとまともなゴジラ映画を生めたかも知れないのに、残念である。もっともゴジラではないからまじめな空想特撮映画を作れたのかも知れない。 しかし、「ラドン」と「ゴラス」のどちらも主人公が記憶喪失にかかるのだが、それを続けて観るとちょっと笑える。
終わって休憩。しばらくして623ちゃん登場。いつもながら明るい。ちょっと話をしてから会場へ入る。 さすがに「井上ひさし」の講演だけあって満員で、みんなで最後尾に座る。内容はやはり山形にちなんだ物で、こういうのはあまり中央では聞けない内容だろう。だが当然普遍的な事も話す。映画と小説との違いの部分で、小説は読者による主張の理解のぶれが少ないが、映画は正反対の意見も普通で、だから映画評論家という職が成り立つという話は、なんとなく判っていた事を明確な言葉にしてくれた。やはり小説と映画を比較するという事が判りやすい内容につながったのである。
また井上ひさしは小説家だけあって、映画の物語性を重視している。だから小津監督の作品がおもしろいとは思えないのだという。これは一つの真理だ。結局、必要以上に権威主義に陥っては、単純に面白いかどうかの判断が出来なくなるのである、その例えでイーストウッドの最新作である「グラン・トリノ」はつまらないと明言した(ここで623ちゃんが拍手。数を見ているから即座に反応できるのであり、この辺はさすがだ)。最近のイーストウッドは確かに巨匠のような雰囲気になってきたが、巨匠だから面白いかというと、そんな事はない。そのへんをきちんと説明するのが映画評論家の役割だ。 だが彼は、公開当時の「ゴジラ」を全うに評価した評論家が皆無だったので、評論家の意見は信用しないのだそうだ。まあそれは良く判る。 ちなみに物語性を重視していると言うことは、「2001年宇宙の旅」をどう評価するのか、聞いてみたいものである。
あと本多監督と対談した時に、小学校の頃の村祭り(暗い祭りというのは照明が少ない物理的な暗さだと強調していた)で見たほのかな明かりに浮かぶ少女の美しさの事を話したら、自身で是非映画にすれば良いと言われたそうだ。だが井上ひさしという人は物語性を重視するから、このシーンのためだけに映画は撮れない。これについては、押井監督に作らせたら良いだろう。そのイメージだけを伝えて、あとは自由に作らせるのである。良い方法だと思うのだが…(623ちゃんは同意したぞ)。
これが終わって、アリーナ内の喫茶店に入ってみんなでダベリング。例によって楽しい。 まさいちさんとさたけさんは残りの2本も観るとの事で、途中の休憩時に戻ってくる。私は翌日の事もあるので、18時過ぎに退散する事にしたが、この時まさいちさんからサクランボをもらう。不揃いのアメリカン・チェリーだそうで、商品にならないとの事。しかし皮が柔らかい。スーパーで売っているあれは何なんだ。あ、アメリカンか…。
帰路も笹谷峠以外は一般道を通ったが、やはり山道は楽しい。こうして楽しい一日も終わったのだった。
2009年06月19日(金) |
プルートとファントム |
日中、チャウチャウに電話して、明日の時間確認をする。10時に山形のシベール工場に集合である。山形市内からそこまでかかる時間が良く判らないが、早く行く分には別に構わない。
帰宅途中に何気なくツタヤに寄ったら、なんと「プルート」の8巻が出ていた。なんとなく来月だと思っていたので驚いたが、こちらの判で買い続けているので迷わず購入する。いずれ今回で最後のはずだ。 早速読んでみると、予想はしていたがその予想以上にあっさりと終わってしまっている。やはりこの作者は引きのうまさは天下一品だが、物語を収束する能力は、どうも今ひとつのようだ。ここまで引っ張っておきながら「憎しみからは何も生まれない」という、ノーテンキなマスコミのような結論では、SFとしてはあまりに物足りない。普通の人相手ならこれで良いかも知れないが、アトムというまがりなりにもSFジャンルの作品のリメイクなのだから、やはりテーマはもう少し掘り下げるべきだったろう。 そもそもそういう作者の新解釈や深掘りが出来るという点がリメイクを行う利点なのだが、どうもそれを実践している、あるいは出来ている作家は少ない。いや、ほとんど存在していないと言った方が良さそうだ。出来ないのなら名作などリメイクせず、過去の駄作をリメイクした方が良い。それならオリジナルを超える作品を作る事が可能になる。 もちろん駄作ではネーム・バリューの問題も出てくるだろうが、少なくとも簡単に玉砕する心配はないだろう。余程の無能でもなければ、だが。
ちなみに内容とはあまり関係ないが、今回のおまけの別冊は、まじめに不要である。素直に一冊にまとめるべき内容であり、どうしてわざわざ別冊付録にしてまで分冊にしなければならないのか。まったく理解できない。昔の別冊付録の再現だというなら、はっきり言って無駄な努力だ。現在では何の意味もないのが判っていない事になる。 そして豪華本だからこの装丁だが、ノーマルの単行本ではどうなるのだろうか。まさか別冊部分が載らない、等と言う事はないだろうが、もし一冊にまとまっているならそちらも買わなければならなくなる。まったく困ったものだ。
そんな夜、帰宅したらチャウチャウからサクランボが届いていた。いつもありがたい事だ。
で、いつものようにyoutubeで戦闘機を見ていて、ふと気がついたのだが、F2はF16ベースでアメリカから開発を押しつけられた機体なので、F16より少しだけ大きいのは判っている。ここで突然気がついたが、F4の方がもっと大きいのである。確かにライトウェイトな戦闘機というのがF16の開発コンセプトだから小型だという認識はあったが、実際に三沢で見たりしているとどうもF4より大きく感じてしまう。やはりこれはひとえにアメリカ軍の機動のためだろう。 いずれF4の全長は19.2m、F2は15.52mと4m近い差がある。実際に飛んでいる時にはこの差を感じる事はないが、並べればかなりサイズが違うのが判るので、もし模型を持っていれば試してみるのも面白いだろう。 しかしF16よりF4が大きいと言う事実は20年以上前から実感していなければならない事で、それに気づいていなかった自分がなんだか意外である事だよなぁ。
突然だが床屋に行きたくなった。突然行きたくなるのは、いつもの事だが。 ちなみに前回床屋に行ったのは、日記を見ると2月15日で、その前は10月25日と、ほとんど4ヶ月ペースだった。まあいいけど。 しかし現在は床屋の値段も高くなったので、もっと安い店がないかと探してみたが、これという良い店がない。10分で1,000円という店はあったが、10分と時間を切っているところが気になる。時間はもう少しかかっても良いから、純粋に安い店が欲しいのだ。 ただし八戸にいた時に使った事のある、寿司屋のようなかけ声で、仕事も分業制の店はダメだ。技術云々ではなく、うるさいし、いちいち席を移動するのが非常に面倒なのである。 そういう意味で破現在利用している店は、相場より安い事は安いので、これで我慢するしかないのかも知れない。
ところで、ミュージックマガジンが菅野よう子全仕事と称する特集を掲載するらしい。 これは実際に立ち読みして内容を確認した上で、買うかどうかを決めたい。自分が納得できる内容に仕上がっているかどうかは、ある程度読んでみないと判らないからだ。 しかし最近は菅野よう子が急激にメジャー化してきたようで、様々な雑誌でも取り上げられるようになった。最近はCDで担当したCM集が2枚も出ているし、メディアへの露出も増えている。まあ才能はあるし、実際にかなりユニークな曲を多く作るので、いずれ人気が出てもおかしくはない人だと納得はしている。そもそもこの人自身がかなりユニークな存在だから、面白い事は確かだ。 実際、インタビューや経歴を見る限り、彼女は天才的な才能に恵まれている、かなり珍しい人だ。この辺が努力とひらめきの川井憲次との一番の違いだろう。どちらも現在の映像音楽分野の第一人者(二人いるのに第一人者とは、これいかに)として君臨しているが、両者の方法論は全く異なっているし、出来る音楽の独自性も、ベクトルが違う。だから今の映画音楽は多彩な物になっていると言えるのだが、問題は映画の内容自体があまり良くないものが多いのである。いくら音楽が素晴らしくても、映画自体の出来か今ひとつでは、どうしようもない。
ちなみに私が初めて菅野よう子の存在を意識したのは、冨野監督の「ブレンパワード」で聞いた音楽からだった。この時にはサントラも買ったが、当時のアニメ音楽の中でもかなりユニークだと感じたものだし、実際この音楽も独特なサウンドに仕上がっている。以後も次々とオリジナリティあふれる仕事をしているが、やはり「ブレンパワード」以上の感動は「攻殻機動隊」までなかったと言っても良いほどだ。世間一般では「カウボーイ・ビバップ」の評価が高く、確かに素晴らしいサウンドだと思うが、やはりインパクトという点では「ブレンパワード」を越えられなかった。 そして川井憲次は、もちろん「紅い眼鏡」からだから、ほとんど初期から追い続けている事になる。特に、押井監督と組んだ時の独特のサウンドは実に心地良いのである。
なんだかんだ言っても、川井憲次と菅野よう子のサウンドはこれからもずっと追い続ける事になるだろう。
実家のカギ交換はあっさりと終了。 これでまずは一安心としても、実際問題としてハイ・テクニックの泥棒相手では多少時間をかけられたらいずれ開けられてはしまうだろうが、少なくとも以前のMIWAよりは比較にならないほど開けにくいのは間違いない。いずれ防犯に多少は気を遣っているというのが犯罪者側に伝われば、それで良いのである。
それはともかくとして、なんとなくネットを見ていたら、KOTOKOのライヴがフォーラスB2で行われるとの情報を見つけた。 現在のKOTOKOのライヴはどういった曲で構成されているのか非常に興味はあるのだが、彼女のライヴなら基本的には9割が20代で、男女比はせいぜいが8:2というところだろうか。そういうライヴに行くのは、少々つらいものがある。やはり完全な若者向けのライヴと、例えばローリング・ストーンズのようなライヴを比べれば、観客の平均年齢は全然違ってくるので、自ずとそのセット・リストや観客の反応も変わってくる。もちろんキング・クリムゾンのように、観客のほとんどかロートルだというのは比較の対象にならないが、いずれ20代前半を意識したライヴは、いくらロック好きとは言え我々高齢者にはかなりきついものがある。 しかもフォーラスB2はオール・スタンディングなので、やはりそれだけで疲れてしまう。興味はあるのだが…。
そんなKOTOKOも携帯に入れて聞いているのだが、最近出力がおかしくなった。 ヘッドホンの異常ではないので、プラグ変換コネクターの内部か、あるいは携帯自体の接続部分がおかしいのだろう。だが多少動かしても急におかしくなる事はなく、聞いていると突然音がおかしくなり、コネクターや携帯本体を触っていると治るが、しばらくするとまたおかしくなるという、再現性の低いやっかいな状態なのである。 とりあえずコネクターだけを買ってきて交換しても良いのだが、あと2週間程で携帯を買い換える予定なので、そうなるとこのコネクターの規格も違うから無駄になってしまうのだ。だから多少我慢するのは構わないが、どうしてこんなに高い商品なのにこうあっさりと作動不良を起こすのだろうか。やはりメーカーも適当な仕事しかしていないのがミエミエである。
まあ一部の経済評論家によれば、携帯事業はもはや儲からないので、日本の携帯メーカーは撤退する方向で動いているらしい。確かに東芝はソフトバンクからほぼ撤退したし、そもそも国内の工場を凄い勢いで縮小している。この辺はあまりニュースで取り上げていないようだが、とにかくほとんどのメーカーが撤退または海外への工場移転を行っているのが実情なのである。 まあ意味もなく高機能の携帯を出し、しかも単価が高いというのであれば、いずれは消費者からそっぽを向かれるのは明白だ。少なくとも高齢者のほとんどは現状の携帯事情を歓迎はしていないが、それも当然だ。欲しくもなく使いもしない機能を満載した高い機械を押しつけられて喜ぶようなバカなど、そう多くはないのだ。 私自身も、携帯で利用するのは電話と音楽だけだ。メールなど、あんなチマチマしたテンキーで入力などやりたくない。カメラもあんな米粒のような撮像素子でキレイな写真など撮れると考える方がどうかしているし、そもそも写真を撮るような形をしていないからほとんどの人の携帯写真はボケている。 結局、すべての機能が「帯に短し、襷に長し」なのである。はっきり言えば、現在の携帯電話は開発途上の、文字通りに中途半端な機械なのである。これだけは間違いがない。
昨日行った店に実家のカギの下見をしてもらい、3万円以内で交換出来ると判ったので、交換を決定する。 予定を確認すると、明日の昼前で良ければすぐ出来る、と言うのでそれで依頼する。こういう防犯関係の商品は素早い動きをしてくれる店でないと困るので、これは非常に助かる。
ところで、佐々木氏の情報によれば、年度内に「海の王子」が出るのだという。 これは「藤子・F・不二雄大全集」の第1期全33巻に「海の王子」が全3冊で含まれているというもので、12月、2月、5月に各一冊ずつという、下手をすると自分は死んでいるかも知れないかもという先の話ではあるが、まずは喜ばしい。「海の王子」と「シルバークロス」は当時好きな作品だった。「オバケのQ太郎」よりも先に親しんだ藤子作品なのである。 その「オバケのQ太郎」も、今回は全掲載作品が収録される予定だとか。今までほぼ絶版状態だったのが、ここに来ていきなり出版されるというのも、結局のところは過去に色々と噂されていた原因がほぼ外れてたという証拠なのかも知れない。まあそんな事情はもうどうでも良いだろう。要は望んだ読者が読める環境が出来れば、それで良いのである。
とにかくこの辺は古本でも入手が困難だった作品なだけに、純粋に嬉しい事である。こういった作品群が数人の理不尽なクレームでお蔵入りにするようでは、出版社も映像会社も、存在する意味がないのだから、関係者はそのあたりをきちんと理解しておいて欲しいものだ。
2009年06月15日(月) |
またも食玩サンダーバード |
徐々に涼しくなっている。思わずもうすぐ秋だなぁ、等と思ってしまうくらいだ。
昼に会社の近所にあるカギ屋に行き、実家の玄関のカギ交換について相談に行く。 玄関のカギをディンプル・タイプの物に交換したいのである。なにせ今のカギはMIWAの安くて古い物だから、プロなら1分もかからずに開ける事が出来るというシロモノなので、はっきり言って、防犯上は何の訳にも立たないと言っても良い。特に某国の犯罪共同体はこの手の犯罪技術習得には非常に熱心で、狙われたらアウトである。 少なくともディンプル・タイプならカギの複製も桁違いに難しいし、そもそも解錠自体が難しくなる。やはり最低限、玄関のカギはこのレヴェルにしておく必要があるのだ。もっとも窓が破られたら意味はないが…。
で。 ネット情報によれば、F-toysからサンダーバードの食玩が出るらしい。東日本先行で8月発売予定との事だ。 鮮明な写真を探してあちこち周り、ようやく見つけたのだがどうも出来が悪い。あの大傑作であるコナミの食玩と比べてしまうと、造形が今ひとつどころの騒ぎではないのである。これを見比べると、あの価格でいかにコナミが素晴らしい商品を出したのか、良く判る。とにかく完成度のレヴェルが桁違いなのである。これで1箱当たりの価格が500円になるらしく、それを考えるといくら私でも慎重にならざるを得ない。 そしてラインナップはオーソドックスというか、ひねりも何もない極々ストレートな物で、何故今時この出来でこのセレクトなのか、むしろ不思議に思うくらいだ。その内容は「1/350 サンダーバード1号」「1/700 サンダーバード2号」「1/2000 サンダーバード3号&5号」「1/144 サンダーバード4号」「1/700 コンテナ・セット」である。
繰り返すが、コナミは「サンダーバード」と「謎の円盤UFO」では本当に素晴らしい仕事をしたと思う。あの価格であの素晴らしい造形の再現性は、今となっては信じられない程だ。サンダーバードのように、名作であり現在でもファンが多い作品の立体化は、それなりにきちんとしてもらわなければ困るのである。 と言う訳で、今回は買わない事になるだろうなぁ…。
実家に行き、買い物の手伝い。 その後、母親が手術で入院する時に時々父親を預かってもらう予定でショートステイが出来る施設をチェックしているのだが、とりあえず第一候補の建物を見に行く。関係ないが、菅田の実家の近くだ。 昨年完成した建物と言うだけあって、外観は非常にきれいだし中もかなりきれいな感じである。 入るとホールで数人のグループが演歌を聞いており、年寄りだから演歌なのかもしれないが、私はこういう情景は嫌いだ。なにせ演歌が嫌いなのである。つまり年寄りだからと演歌をかけているのでは、少数派の扱いが少し気になってしまうのだ。まあこの辺は上辺だけでは判らないのだが。 ちなみに自動ドアの内側は、中からは自動で開かない。職員のカードで開くようになっている。なるほどなぁ。徘徊する人もいるだろうから、必要な処置ではある訳だ。いずれそう悪くはなさそうではある。
午後は、実家の寝室にあるキャビネットに地震対策のガラス・シートを貼る。 本来は寝室にこういう物を置く方が間違ってはいるのだが、やはり置く場所の問題もあるので仕方がない。一応転倒防止グッズは使っているのでそう簡単には外れないが、まあ物がガラスだけに試しに貼ってみたのだった。実際にどの程度の効果があるのかは、もちろん不明である。 ここで貼るのに石けん水を使うというのも珍しいと思うが、これが意外とやっかいで、外に持ち出して行わないと石けん水で変な汚れ方をしてしまうのである。基本的には二人かがりでやった方が良さそうで、シートが捲れて結構手こずってしまう。あとは乾かすのに少し時間がかかるのも難点だ。 多分、シールの接着剤だけで貼るタイプだとシロートにはきれいに貼れないのは容易に想像がつくので石けん水を使うタイプなのだろうが、やはりこういった貼る面積が大きい物は、基本的にはかなり面倒な物である。
しかし地震対策用品という物は、それなりに効果のある物も存在するが、ほとんど詐欺といった商品も数多く存在する。また発想は良いのだが、品質の問題ですぐに壊れてしまう物も多い。 例えば手動発電の懐中電灯などにこの手の物が多い。しばらく発電動作を繰り返していると、簡単に壊れてしまうのだ。非常事態用なのだから、品質がきちんとしており、なおかつ長期の使用に耐えないと、文字通り役に立たない詐欺グッズとなってしまう。 結局のところ、今の日本には長期にわたって使用に耐える商品など、一般大衆が買えるレヴェルでは存在しない。常に消費活動をしてもらわないと、企業自体が存続できなくなるからだ。
最近の例でそれが露骨に出たのはブルーレイ・システムだろう。あれは本当に消費活動のための消費活動でしかない。あるいは液晶の大型テレビもそうだ。あんな中途半端な商品を喜んで買う奴の気が知れない。少し前に実家のテレビが壊れた時は、当然ながら迷わずプラズマにしたのだが、この判断は正しかった。液晶だと目が疲れるだけである。 今の日本の社会で物が売れないと騒ぐ前に、何故買わないのかをきちんと検証して欲しいものである。、
今日も祖仕事。結構忙しい。全土曜日に店を開けるなどと言うバカな事をするから、結局は仕事の効率も良くないのだ。
そんな今日は、夜になってから泉の本屋へ行く。 とりあえず「あずまんが大王 一年生」を買い、あとはちまちまと立ち読みする。やはり本屋をあまりのぞいていないせいもあって、ドリーム・シアターの新譜「ブラック・クラウズ・アンド・シルヴァー・ライニングズ」が出る事を全然知らなかった。いや、この辺はネットでも判るのだが、やはりこういう情報はきっかけが必要なのだ。私の場合、何らかのきっかけがあって初めてネットでの情報検索が生きてくるケースが多い。もちろんそのきっかけが本であったりネットであったり、あるいは友人との会話であったりと色々あるが、やはりネットで熱心に調べるのは、ネット以外の媒体であるケースが多い。 しかしドリーム・シアターの新譜はもうすぐ発売だというのに、限定盤に入っているカヴァー曲が不明というのはいかがなものか。即時性を持っているはずのネットですら、どれこれも皆同じく不明だという記述なのは、ネットの弱さを露呈しているし、それ以前に販売側に問題があるというのを明確に語っている。
まあ調べるのは個人のスキルで何とかなるから別にかまわないが、この課程で、4月に出ていたキース・エマーソンの「ライヴ・フロム・カリフォルニア」も買っていない事に気がついた。なんてこった…。
帰宅後、「あずまんが大王 一年生」を読んでみる。 オリジナルから絵柄を変えたのは、やはり失敗だろう。現在の「よつばと!」の絵柄に近くなったのだが、この「あずまんが大王」は基本が4コマ・マンガであり、実は現在の絵柄は似合わないのである。少し等身を落としたままのキャラで充分なのだ。なぜ現実の人間に近い等身に書き換えなければならないのか、その意図が判らない。内容が非日常なのだから、今更リアルな絵は必要ないのである。 内容も色々と書き換えてあるが、オリジナルより良くなっているのはごく一部だ。結局作者は考えすぎているように見える。
結局のところ、今回のようなリイシュー版が企画できたのは、オリジナルの出来がそこそこ良いからに他ならない。それなのにあえて改悪していく意図が判らない。リイシューするにしても、こまで書き換える必然性が全く判らないのである。 確かに書き換えたおかげで「あすまきよひこの絵柄」だと認識しやすくなっただろう。だが慣れ親しんだ「あずまんが大王」の絵柄ではなくなってしまったので、ある意味別のマンガになってしまったのである。 はっきり言うが、現在の絵柄での「あずまんが大王」は不気味で、どうにも落ち着かないマンガになってしまった。こう考えるのは私だけかも知れないが、違和感を持った読者は多いはずだ。
マンガ家「あずまきひこ」がどこへ行こうとしているのか、とても不安になってきたのは私だけだろうか。
ナショナル・ジオグラフィックのニュースを見ていたら、「台風が地震エネルギーを消費する」というタイトルがあった。
これは「スロー地震」と呼ばれる、地殻変動でもたらされた断層のひずみによるエネルギーが数分から数日かけてゆっくりと解放された場合に発生する地震の事で、低気圧である台風が海上にある場合は、海面水位が局地的に変化することで海底にかかる圧力のバランスが保たれているが、台風が陸上にある場合はそのようなバランス保持が行われないため、陸にかかる圧力がわずかに低下する事になり、このようなバランスの崩れが最後の一押しとなり、ひずみを起こす寸前の状態にあった断層が実際に動き出すという仕組みだ。 この現象の検証は、ワシントンD.C.にあるカーネギー研究所のアラン・リンディ氏率いる研究チームが、台湾の東海岸に高感度の地震計を設置し、微弱なスロー地震の記録を行ったのだが、5年という研究期間でスロー地震は台湾の台風シーズンにしか発生せず、台風と同時に発生したスロー地震が11回あったのだという。 ただし台風は最終的な引き金となるだけであり、その前の時点で断層運動の準備が整っていなければスロー地震は起こらない。
だがこの記事を読んで真っ先に思ったのは、地震国日本で、関西より東北の方が圧倒的に地震が多いのは、これも関係しているのではないか、というものだった。もちろん東北地方の太平洋側プレートが特殊だというのはあるが、それにしても東北と関西以南では台風の上陸頻度が桁違いなので、ついその関連性を考えてしまうのである。もしかして、東北地方が頻繁に台風の上陸するエリアだったら、もう少し地震の被害は少なくなっているのかも知れない。 もっとも台風自体による被害も、当然ながら半端な物ではないだろう事も容易に想像できるが、事前に来るのが判っている災害と、いつ来るか全く判らない災害では、対応の仕方が違うし、被害も異なるのは当然だ。
いずれにせよなかなか面白い内容だと思う。実際の関連性は不明ではあるが、少なくとも東北地方に比べて圧倒的に関西エリアの地震が少ない事は、何となくこれで納得できてしまうではないか。 昔から地震のエネルギーを緩やかに解放できれば、被害はもっと少なくなると言われ続けてきたが、現状では地震の余予知がまだまた難しいのだから、エネルギーの拡散だけでも出来れば被害は格段に少なくできる。こういう研究がそのきっかけを作ってくれれば、東北地方はもう少し暮らしやすくなるのは間違いない。
今日は休みを取って、母親を多賀城の総合病院へ連れて行く。膝の手術の最終決定をするためである。 しかしさすがに総合病院だけあって、実に混んでいる。8時頃に着いて、終わったのは14時を過ぎていたのである。ただしレントゲン撮影がすべての課をカヴァーしているため、効率の悪い部分はあるようだし、撮影の部位が皆異なるため、純粋に時間がかかっているのも事実だ。 また実際に医師と話をすると、かなり丁寧に対応しているため、純粋に時間を取られているのが判る。特に整形外科となると年寄りが多いために、説明にも時間がかかるのである。これはある意味仕方がないだろう。
しかし手術は仙台の大学病院だと1年待ち、仙台市内でも3ヶ月待ちが普通なのだが、ここでは1ヶ月待ちで出来るのが助かる。聞けば以前は麻酔技師が足りないために一日一件しかできなかったのだが、最近は1日で3件までは何とかなるようになったのだという。話には聞いていたが、やはり麻酔技師の不足は深刻である。 それはともかく、話をした限りでは、技術的には何の心配もなさそうだ。もちろん100%完璧に安全を保証する手術など存在しないが、ほぼ安心して良さそうだ。 ちなみに関節の軟骨部分は年とともにすり減るのは当然なのだが、平均寿命が短かった頃は、関節がダメになる前に寿命が来て死ぬケースがほとんどだったので、関節の病気というのはそう多くなかったらしい。また関節の軟骨部分の減少を飲んで補強する薬という物は存在しないと明言していた。これは前の病院でも言われていた事だがもう少し詳しく説明してくれた。 それによればまだ関節が成長過程の10代までは飲んで補う事も可能だが、成長が止まる20代からは、軟骨を補う事は不可能になるのだという。つまり新聞などに良くあるデータは10代でしか通用しない、トンデモなデータという事で言ってみれば誇大広告以前の詐欺なのである。まあ判ってはいたが、これで科学的なバックアップも得られたという事になる。
いずれ手術直前に最終精密検査を行い、実際に手術出来るかを決定するのだというから、それも含めて色々と準備が必要になるし、入院している1ヶ月前後の間、父親のショートステイなども考えないといけないので、なかなか大変だ。
そして夕方から会社へ行き、たまっている書類などを片付けたが、結局16時から20時までかかってしまう。変な会社である。
おなじみyoutubeでいろいろな戦闘機の映像を見る。 現在の第4世代や第5世代の戦闘機の機動は、F4の時代から考えれば常識を覆すようなものであり、こんな事が普通にできるというのが実に素晴らしい。 やはりロシアのSu-27から始まったフランカー・ファミリーがそのとんでもない機動を見せつけたのがきっかけで、以後アメリカが必死になってそれを真似しようとしていたのだが、それをあざ笑うかのように、コブラ、フック、クルビットとスホーイ局とプガチョフをはじめとするテスト・パイロットは技を進化させていったのである。このあたりは見ていて実に楽しかった。 コプラは確かに衝撃的だったが、さすがにクルビットを初めて見た時は、まじめに「戦闘妖精雪風」が実写でできると思ったものだ。
だがこれらの機動を見せつけたのがフランカーだというのが、さらに衝撃度をアップさせたのは間違いない。あの機体は実に美しいのである。F4やF16等は個性的だがF15あたりになるとパワーのみですべてを解決しようとする実にアメリカンな機体であり、面白さという点ではかなり劣るし、そもそも機体のデザインにこれといった特徴が見られないのである。だからF22もデザインの点ではまるで面白味がないが、ブラックボックスの固まりと言われるだけあって、使われているテクノロジーの面白さは半端ではない。だがそれだけのテクノロジーを注いでようやくフランカーの機動が再現できたというのもなんだか不思議だが、それほどにフランカーというのは機体の安定性と制御性能が素晴らしいのである。
しかしジェット戦闘機というのは、パワーに頼っただけのF15が美しくないのは判るとしても、一般的には魅力的な形をしているのがほとんどで、あのA10ですら無骨な美しさを持っている。だからF/A-18ホーネットがどうにもダサい形に見えるのが不思議である。本来個性的な形をしているはずなのだが、どうにもかっこ悪いのである。これはストレーキのあたりのラインが美しくないからであり、やはりエア・インテークからエリアルールを応用した胴体のラインが美しくないと、どうも魅力的なデザインに見えにくいのかも知れない。 こうして考えると、基本的にF4が一番個性的で美しい機体だと思うのだが、Su-27はもはや芸術であると言えるだろう。
ちなみにKOTOKOの曲は、Su-27以降のスホーイ・ファミリーの映像が実に合う。理由は多分、フランカーの機動が常識では考えられないものだからなのだろう。普通ならアニメでしか誰も映像化しないような機動を平気で行うのだ。ただし誤解のないように言っておくが、昨今のアニメはこのフランカーの機動を見てトレースしているだけで、アニメも現実に先を超されているのが実情なのである。 さらにKOTOKOの曲は間奏が意外と長いので、映像がマッチしやすい。特に戦闘機の映像は、機動の瞬間だけを見せるのでは不足で、機動直前のタメの部分を見せる必要があり、そういう意味では間奏が長い方が良いのである。
とにかく戦闘機の機動は、見ていて単純に楽しい。
普通の日本人ならまず知らないと言って良い「バン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で、日本人の辻井伸行氏が優勝したと各メディアでは大騒ぎしている。 彼は全盲であり、優勝自体は努力の賜なのだから、その部分では賞賛に値するが、メディアは全盲で優勝という部分に飛びついているのかも知れない。だからインタビューもワイドショー並みであり、インタビュアーの知能の低さが露呈されるものばかりである(あいつらはピアノというものを知っているのだろうか)。
だがこの扱いも、辻井伸行氏の所属を知れば納得できる部分もある。 彼はエイベックスが5年程前に立ち上げたクラシック部門avex-CLASSICSの専属であり、すでにCDを2枚出している。つまりエイベックスにしてみれば、所属演奏家が国際コンクールで優勝し、しかもすぐに売り出せるCDが2枚もあるというのは、商売として実においしいのだ。やはりコンクールに優勝してからCDデビューというケースの方が圧倒的に多い中、会社としてみればこんな楽な商売はない。あとは各メディアにプッシュするよう依頼すれば良いだけである。 現在エイベックスの依頼を断るようなメディアは、まず存在しないだろうし、大物を多数抱えるエイベックスの機嫌を取っておいて損はないと考えれば、「辻井をよろしく」「はい承知しました」という「あうんの呼吸」があったと考える方が自然だ。
つまり今回の優勝報道は、彼を讃えるためではなく、単なる商売のネタとして利用しているに過ぎない可能性が高い。ここでも現在の日本のメディアは、音楽に対してあまりにも知性がないという証拠になっている。 そう考えるほどに今回の報道は不可思議なのである。
先日買った「頑丈人間スパルタカス」を読んでいて、ピンポンとテーブル・テニスという二つの言葉に引っかけたギャグがあったのだが、ここでふと疑問に思ってしまった。「ピンポン」というのは一体どういう単語なのだろうか、と。 このマンガの中でも、登場人物たちが悩んでいるのだが、多分描いている途中で作者も疑問に思ったのではないだろうか。まさにそんな感じのギャグなのである。
英語だと「テーブル・テニス」で、それを訳して日本では「卓球」なのだが、では元々の「ピンポン」とは何語なのだろうか。そもそも英語圏で「テーブル・テニス」と「ピンポン」の二つの言葉が今でも使われているのは何故なのだろうか。この年でまさかこんな疑問を持つとは思わなかったが、思った時が運の尽きである。
そういう訳でセオリー通り、とりあえずネットで調べてみる。 すると、どうも「ピンポン」とは固有名詞か登録商標らしいのである。もしそうなら、「ホチキス」と「ステープラー」のように納得できる話だ。 どこまで正確なのかは例によって判らないが、ネットでの情報をまとめると、イギリス人のジェームス・ギブ(あるいはジェイクス)という人物が、当時発明されたセルロイドの球にラケットがあたり、テーブルにあたる擬声語「ピン・ポン」から、「ピンポン」と命名したのだという。それ以前は、球はコルクかゴムであり、ラケットも、まさしくテニスと同じラケットのミニチュア版であったため、そんな音はしなかったのである。そしてこれを彼は登録商標にしたため、れっきとした商品名となったのだという。
つまりそれ以前にもこういう遊びはあったが、それをあえて登録商標にしてしまったため、名詞と固有名詞の二つが使われてしまうようになった訳で(まるでコナミ商法のようだ)、こういう例は数多くあるから、言われれば納得できる話である。 では実際に「ピン・ポン」というのは経済効果を派生させるほどになっているのだろうか。その辺が謎ではあるが…。
しかしこのマンガ、この時期の安永航一朗作品としては絵のバランスが良く、破格の面白さである。
今日は一日会社である。 完全に老朽したエアコンをなんとかしなければならないのだが、4階まですべて新調すると定価レヴェルで2億近くかかる。当然赤字の会社にそんな事はできないので、とりあえず営業がいる1階を修理する事になった。 もっともこの発想は間違いで、2階の管理部門の方が一日中使うし来客も多いのだ。どうも営業という文字に弱い人種が多いので勘違いも多くなる。 まあそれはともかく、これから屋上の機械の交換と各フロアの配管等の小さな修理を行い、日曜を4回使って1回の天井部分の大がかりな修理を行うので、当然付き添いの人間が必要になるのだった。実際、小さなトラブルが2件発生したのだが…。
それはともかく、昨日まとりさん用にイーグルス・マガジンの5〜6号を入手していたので、本日発送する。これは本当に球場でしか買えないので不便だ。つまり誰かが金を払って入場しなければ入手できないのである。せめて公認グッズを売っている店で扱えば楽なのだが、こういう限定はちょっと困ってしまう。
限定と言えば、白松がモナカ本舗で今、日本酒をしみ込ませたカステラを売っている。いつまでなのかは判らないが、親が食べてみたいというので買ってみたのだった。アルコール度数は2.5%なので、量を食べなければ酔う心配はない。そもそも酔うほど食べるのは大変だし、1本が1,050なので懐にも良くない。 まあ食べた感じは、ほのかに日本酒の香りのするカステラである。不味くはないが少し高いと思ってしまうのは、基本的に酒を飲まないからなのかも知れない。
ところで、ところで。 先日KOTOKOのCDを買ったのだが、やはり「Asura」を越える曲はなく、かろうじて「羽」がなんとか聞ける程度だった。「Lament」も入っているが、これは他のアルバムで持っているので実質2曲である。もっともこれでお気に入りだった6曲、「Suppuration-core-」「Re-sublimity」「Face of Fact」「Asura」「Lament」「I pray to stop my cry」がすべて揃ったからよしとしよう。 しかしKOTOKOが曲を提供する先は、ゲームやアニメその他のタイアップというものが多いので、実は気に入った曲を買おうとすると結構大変である。KOTOKOのオリジナルアルバム自体が少ないし、提供した曲はそれらには入っていない事が多いので、何に入っているのかを調べる事から始めなければならない。 先日もyoutubeで戦闘機の映像を見ていたらバックの曲が気に入ったのだが、まずその曲名が判らない。声からKOTOKOだとすぐに判ったが(最近戦闘機にKOTOKOの歌を合わせた映像が多い)、意外と題名を確定させるのは面倒なのだ。ようやく「決断のentrance 」と判明したが、今度はそれが入っているCDが判らない。これまた格闘する事10分、ようやくアルバム・タイトルが「PRISM ARK Vocal Collection 2」だと判明したのだった。 判明したのはいいのだが、これが予想通りアニメの曲を集めたアルバムで、しかもジャケットが自分の好みではなく(というか、ロリは嫌いなのだ)、鬼のように恥ずかしいものだった。これは店頭では絶対に買えない。そもそも定価で買うようなシロモノではないのだ。さて、どうしたものだろうか。
そんな夜。 うちの目の前に飲み屋の一角があるのだが、19時30分頃から10台前後の消防車が集まってきた。もちろんサイレンを鳴らして、である。この辺は良く消防車がくるのだが、特に何事もなく状況終了することが多いのだが、いつも来る数が多いので、それなりに緊迫した状況なのだろう。 今回も10台以上集まったのだが、特に何事もなく解散していった。どういう状況だったのか、さっぱり判らないのもいつもと同じだ。
そんな日曜である。
かなりの雨である。 盛岡へ帰る妹と、毎週土曜に半日授業のある子どんぐりを仙台駅まで送った後、父親を病院へ連れて行くため母親と3人で出かける。この時点で8時10分。雨になると何故かバイパスは混むのだが、病院も異様に混んでいた。 ほぼ予想はしていたが、父親は特に異常なし、という診断結果だった。なんとなく不安ではあるが、後は点滴をして終了。結局完全に半日仕事である。 帰宅した時点で13時近く、いくつか用事を済ませるともう14時を完全に回ってしまった。今日は623ちゃんとJemさんがスタートレックを観た後お茶をすると言っており、できれば合流したかったのだが…。
これだけで一日が終わるのも癪なので、先日万代書店で「頑丈人間スパルタカス」を買った時に見つけていたCDを買う事にする。 物はKOTOKOの「羽−hane−」で、別に必要ではないがDVD付きの初回限定盤が1,000円だったのだ。これならCDシングルを買ったと思えば安い買い物だと言える。目当ては「ASURA」だけなのだが、フル・アルバムなので他にも1〜2曲はまあまあの作品があるかもしれない。 ちなみにKOTOKOの曲というのは短くても4分30秒はあり、7〜8分という曲も多い。この長さも気に入っている理由の一つなのかもしれない。長くても退屈させない曲というのは、単純に楽しい曲である事が多いのである。しかしKOTOKOもMELLも、I'veのヴォーカリストだというのも不思議なつながりだが、曲の構成がある程度似ているという事なのかもしれない。
そんな話とは全然関係ないが、 米予算に強い権限を持つダニエル・イノウエ米上院歳出委員長(民主)が藤崎一郎駐米大使に送った書簡で伝えたところによれば、F22の輸出仕様を作った場合の価格は2億5000万ドル(約247億円)になる見通しらしい。 単純に戦闘機一機の価格が250億円に近いというのは異常だし、この価格では必要数をそろえる事はできなくなる。いくら高性能であっても、兵器は数を揃える事が必要なのである。数と兵站で満足に稼働させられなければ、戦闘などしても後が続かないのは常識だ。 そしてこれが重要なのだが、F22の輸出仕様は最新技術の保護のために、機能を限定している。つまりオリジナルのF22とはかなりの差があり、そんな戦闘機に一機あたり250億円も払うのは意味がないのである。これならユーロ・タイフーンを買った方が遙かにましだし、高性能でありながらもっと安いフランカーという手もある。ただし後者は部品の供給が不安ではあるが、少なくとも対費用効果を考えた場合のF22輸出仕様は、あまりにも高すぎる買い物だ。いかにアメリカ議会が日本をなめているかが良く判る。
ちなみに、日本をなめているのは議会であって、政府ではない。そこを勘違いしてもらっては困る。それが判らないとアメリカ政府の動きを理解できなくなるのだ。
午前中は休みをって、母親を整形外科に連れて行く。 朝早く出かけでも結局午前中いっぱいかかってしまう。高齢化社会という事は、関節に異常をきたす人が多くなるという事だ。機械でもベアリング部分は摩耗していくのだから、それよりも弱い人間の関節は、変形していくのも当たり前と言えば当たり前なのだ。 しかし母親の場合、膝の手術が必要なのだが、市内の病院はどこも3ヶ月まち、大学病院に至っては1年待ちだそうである。仕方がないので1ヶ月待ちと言われている多賀城の病院に紹介状を書いてもらう事にした。レントゲンを見せてもらった限りでは、3ヶ月も待ってはいられない。来週の木曜に行って正式に決めてもらう予定だ。
夜になって「攻殻機動隊S.A.C.」シリーズを見る。 見るというか、最近このシリーズを見直しているのである。やはり何度見ても面白い。これは映画の「攻殻機動隊」とはまったく別の面白さであり、そもそも押井監督の「攻殻機動隊」は、押井守というブランドで見ると意外と平凡なのである。少なくとも公開当時はそう感じたのだ。 それはともかく「攻殻機動隊S.A.C.」を最初に見た時、まるで未来の「ワイルド7」だと思ったものだ。これは当時、誰も指摘していなかったが、現在もそうなのだろうか。夏目房之介あたりが指摘していても良さそうなものだが…。 特に少年キング連載時の最後の話である「魔像の十字路」など、その構造がまったく同じである。いくら戦いのエキスパートの集団であっても、しょせん数にはかなわないというあたりの展開も同じだし、最終的には頭脳戦が必要だという部分も同じだ。そもそもワイルド7という集団が攻性の特殊部隊であり、これこそが攻殻機動隊の公安9課の存在意義と根本的に一致する部分である。どちらのメンバー構成も、草波隊長と荒巻課長という頭脳をトップとしてそのほかは実働部隊が数名いるというのも同じだ。ちなみに「攻殻機動隊S.A.C.」では実働部員は7名である。 少しまじめに比較するのも、もしかしたら面白いかもしれない。
2009年06月04日(木) |
今月の「クレイモア」 |
今日発売のジャンプSQを立ち読み。もちろん目当ては「クレイモア」、だけである(この雑誌には、他に見るような漫画はない)。 今回はいきなり死んだはずのジーンが出てきて驚いたが、ここでマトリックス・ネタはないだろう。これではどんな逃げ方も可能になってしまうではないか。極端に言えば、夢オチも可能だ。もちろん複合技でくるという可能性もある。いずれにしても、ますます作者の力量が問われる展開になってきた。 ともかくついに融合体が目覚めた、というところで終わったのだが、この融合体の立ち位置をどこに持ってくるのか、それによって革新的な終わり方に持って行けるか、平凡なまま終わるか、とにかく今後が楽しみになってきたマンガである。
ところで日本コカコーラで、「コカ・コーラ プラス カテキン」なる物を出すようだ。 これは単純に言えば、カテキン入り&緑茶風味のコカ・コーラなのだそうである。元々コーラ自体が好きではないし、ペットボトルの緑茶も好きではない。だからどんな物なのか、今ひとつピンとこない。爽健美茶は好きなのだが…。 一般的には好きな物と好きな物を掛け合わせると嫌いな物になる可能性が高いのだが、嫌いな物と嫌いな物を掛け合わせたら、実は味の想像ができなくなる。現状では飲んでみたいとは思えないのは確かだが、それでもいったいどういう味になっているのか、想像ができないので味の確認はしてみたいとは思う。ただしわざわざ自分で買ってまで、とは思わない。少なくとも自分の混みでない事だけは想像できるからだ。端的に言えば、お金がもったいないのである。 味の確認をする前に消え去らなければ良いが…。いや、別に消え去っても別にかまわないか。
2009年06月03日(水) |
「戦場からの脱出」ゲット |
今日は「戦場からの脱出」の発売日だが、PCの不調にかまけて予約をしていなかった。というか忘れていたのもあったのだが、いずれ何とかなるだろうという感じはしていたのだ。
だが今日になってアマゾンを見ると、とっくに品切れである。当日で品切れという事は、先週あたりに予約した人は入荷待ちだろう。私にも経験があるが、これが結構イライラする。そもそも入荷するのかどうかが判らないのだから困ってしまうのだ。元の入荷数をある程度越えたら、さっさと予約を打ち切るべきである。 なにせ今回の映画は、ヘルツォーク監督作品なのだ。品切れから増刷される可能性が低いので、入手できないと判れば他の手を打たなければならない。 そんな危うい作品を予約しなかったというのも困ったものだが、とりあえずあちこち電話したらHMVに1枚あって、特に安くはなかったが確保できた。市内で最後の1枚か元々1枚だけの入荷か判らないが、とりあえず閉店間際の21時30分に取りに行ったのだった。ふぅ。
なお店頭で見た人なら判るが、ケースに「ターミネーター4」のシールが貼ってある。つまり一種のタイアップだ。今の日本では、クリスチャン・ベールなら5,000枚以上は作れるだろう。だが彼目当てで買ったほとんどの人は、一度見たら売ってしまう可能性もある。もしそうなら近いうちに中古市場にあふれるのだが、よく考えればこんな作品をわざわざ買う人なら、そう簡単に売り払うというものでもあるまい。そういえばヘルツォークの中古ソフトを見た事がないのだが、 売り払うような普通の人は、レンタルで済ませるのだろうから当然だ。 いずれ今回はタイアップだろうが何だろうが許せる。おかげでヘルツォーク監督の最新作が発売されたのだから、こんな喜ばしい事はない。現在の日本ではヘルツォーク監督というだけでは発売されなかったかも知れないし、彼のネームバリューでは、出してもせいぜい3,000枚がいいところだろう。
そして帰宅してから早速見てしまった。まあそんなものだろう。買ったならさっさと見て、明日の事など考えないのだ。 今回の作品は、多分クリスチャン・ベールの起用が成功している。今までの彼の演技を見れば判るが、内包する狂気の表現はなかなか素晴らしいものがある。もちろんただ狂うという意味ではない。今回の作品では、生きるために何でもするという部分の狂気だ。 例えば、食べ物がなくなり虫を食べるシーンがあるのだが(多分あれ、本物だ…)、生きるためには喜んで食べなければならないと静かに笑いながら食べており、これが本来ならば気持ち悪いはずなのに、それ以上に怖いのである。多分ヘルツォーク監督の演出だろうが、その意図をきちんと理解した上での演技なのではないだろうか。多分これは、誰にでもできるような簡単な演技ではないだろう。とにかく凄い。
なお音楽は、「リベリオン」や「ウルトラヴァイオレット」の中の人、クラウス・バデルトだった。
朝に母親を病院へ送って行く。 膝の手術をどうするかの打ち合わせなので一緒に聞きたいところなのだが…。いずれ現状では、少なくとも市内では3ヶ月待ちなのだそうだ。患者をそんなに待たせてどうする…。 夜になって確認したところ、とりあえず5日に家族と来てくれとの事なので、その時に最終決定という事になるだろう。今回は父親の具合もあるので、妹も様子を見に盛岡から駆けつけてきた。みんなが何かと大変である。
ちなみに大変なのはうちのパソコンも同じだ。 私は会社なので、どんぐり2号にすべてまかせ、昨日バックアップを行い、今日は再インストールである。だが次々と訳が判らない現象が起き、解決のためにネットで調べる事が必要になるという、実に矛盾に満ちた事をやらざるをえないのだった。なんだかんだでとりあえずネットにはつながったが、まだまだ不都合が出ている。特に漢字変換が以前とは全然違ってめちゃくちゃになって使えない。本当にプログラムとはいい加減なものだ。
しかし結局はLANボードのプログラムが壊れただけという事になる訳なのだが、こんなに脆弱でいいのだろうか。ソフト業界は何があっても責任を取らないという、商取引上は異常な事を平気でやっているが、それにあぐらをかいて、壊れてもかまわないという姿勢はどうかと思う。この業界はやはり考え方が異常である。
いずれこれからもこういう状況が起きる可能性があるが、少なくともメーカー製の物に比べれば、余計な物があまり入っていない分、再インストールは簡単だろう。だから、こういうショップ・オリジナルを買ってしまうとメーカー製の重いPCは買いたいとは思えなくなる。 いずれ完全復帰はまだ少し先になりそうだが、まずはなんとか使えるのでよしとしよう。
2009年06月01日(月) |
アンプラグドは永遠に |
とりあえず父親は退院。特に問題はないというが、食欲がないという。結局症状がどうなのか良く判らないという、実に訳が判らない中途半端な状態になっている。2〜3日この状態なら、週末にせき内科へ連れて行った方が良さそうだ。
会社でも健康管理を怠った健康管理責任者のおかげで、なんだかんだとバタバタする。こちらは不養生から来ているので、ただのバカのおかげで我々が振り回されているだけという構図だ。 疲れた一日だった…。
そんな夜に「音楽寅さん」を見た。今回はほとんど桑田のライヴだけなのだが、それに絡めて殺人事件ネタを持ってきていた。この手があったか、とちょっと感心する。 しかしこのネタ、結構おおっぴらにアンプラグドのライヴを批判しているように感じる。私は基本的にアンプラグドのライヴは好きではないからそう感じてしまうのかも知れないが、元々がそういう曲ならともかく、普通に作った曲をわざわざアンプラグドにする理由が判らない。そんなライヴをあえてやるというのは、元の曲の出来がそれほど悪いという事なのだろうか。 それともこの番組で指摘したように、経費の節約なのか? もちろん番組では電気代の節約というお笑いネタにしているが、バックのメンバーその他にかかる費用が不要だという点から考えると、本質を突いているのかもしれない。 もしそうなら、桑田というのはたいした奴だという事になる。
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