どんぐり1号のときどき日記
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月末。ついに今年も半分が終わる。早いものだ。半年後には正月である。
相変わらず会社では行き当たりばったりのバカ連中ばかりで疲れるが、世の中も海外に行ってまで落書きするバカがニュースになったりしていて笑える。そもそも身分がすぐに判明する落書きをするなど、どれだけバカなのだろう。 深く考えずにやったなどとコメントしているアホウもいるが、浅かろうが深かろうが、落書きは落書きだし、しかも歴史的に価値のある記念物になど、何も考えなくとも悪い事だと判るだろう。
ただ、マスコミの取り上げ方も問題だ。 別にこういう落書きは今に始まった事ではない。たまたま落書きを見つけた観光客が学校側へ連絡し、学校側が現地へ謝罪しただけなのだが、これをマスコミが嗅ぎつけ、他にスケープゴートがないかあら捜しを始めた訳である。 だが落書きが悪い事だと初めから考えているなら、以前から報道を続けていなければならないし、今後も途絶える事なく続けなければならない。だが所詮は株式会社の悲しさ、すぐに報道は途絶えるだろう。
良くあるパターンだが、例えば大きな飛行機事故が起こると、とたんにマスコミが世界中の事故を取り上げる。そうすると恐ろしい事に毎日どこかで事故が起こる。だがしばらくすると航空事故の報道は全くなくなる。 航空雑誌を見ていれば判るが、飛行機の事故は、墜落レヴェルでさえ毎日とこかで起きている。マスコミはそれを報道していないだけである。そして身近なところで大きな事故が起きた時だけ、こんなに事故が続いていると報道する。 明らかに方法が間違っているのは、今回の落書き報道とまったく同じだ。
朝、いわさきさんからさくらんぼが届く。嬉しい。 今日は子どんぐりが帰ってくるのだが、さくらんぼを用意しようと思っていただけに、実に良いタイミングであった。 その子どんぐりを迎えに、夕方学校まで行くのだが、その前にあちこち寄り道をする。
その時の雑誌等による情報メモ。 新世紀合金シリーズで、ついに「海底軍艦」が出る。まだ正式な製品の写真はないのでどういうレヴェルのものになるのかは不明だが、10月発売予定で気になるお値段は予価19,800円。しかたがないが買わなければなるまい。 ただ10月には「初代エイリアン」の12インチ・モデルの決定版が出るといわれているのだが、こちらも20,000円近い。本当はこちらも欲しいのだが、両方買う訳にもいかないから、ここは「海底軍艦」を取るしかないだろう。 これで東宝特撮メカの二大傑作(数ある東宝メカの中で実はこれ、突然変異と言われている)である「海底軍艦」と「メーサー殺獣光線車」が揃う訳だ。ただ恐ろしいのは、このシリーズの特徴である「二種類同時発売」がどう出るか、であろう。と送別で来るのか、構造の違いを出すのか、不安はつのるのだった。
NODAYAでモデルガンについて雑談してきた。 GM-7は7月発売予定だったが、今の時点で何のアナウンスもなし。NODAYAにも今のところ情報はないとの事だが、まあ出たら買うと決めているので、そのうち情報は入ってくるだろう。小林氏設計で、オープン・デトネート、使い捨てカート、旧MGCのGM-5とのパーツ互換、等々話題は尽きないのだ。 そのガヴァの傑作といわれる物にエラン製品があるが、ここの社長の本業は不動産屋らしく、仕入先でもなかなか連絡が取れなかったりしているらしい。つまり道楽で150,000円近いガヴァメントを作っている事になるのだが、道楽だからこそあのレヴェルの物がリリースされているともいえる。本当は欲しいけれど価格が…。 あと、無可動実銃というものがあるが、これに電動ユニットを内蔵してオモチャとした銃があった。これだと銃剣部分が可動に出来るのだという。いずれ規制されるような気がするが、ある意味この価格でこういう物が入手できるというのも、面白い。
創元から高城高の文庫全集2冊目が出ていたとの事(全4冊の予定)。あとがきも読みたい事だし、こちらは早いうちに買わなければ。
そして子どんぐりは元気に還ってきたのだった。 でも明日から二日間休みというのもどうかと思うが、明日にでもおじいさんおばあさんのところに旅行報告に行かせよう。お小遣いをもらっているのだし。
今日も粗仕事。 しかし相変わらず仕事が多く忙しいのに、営業はヒマだという。まあヒマでもいいが、こちらもヒマだとは思わないで欲しいものだ。きわめて迷惑である。
それはともかく 竜男さんがネット上で、海外アニメの「キャプテン・ゼロ」を話題にしていた。 残念ながら私はこのアニメを知らない。というか、そもそも海外のアニメは「トムとジェリー」といった有名どころか、「宇宙忍者ゴームズ」や「幽霊城のドホチョン一家」あたりのメジャーな作品くらいしか知らないのである。この辺は、テレビがNHKと民放1社しかないような地区に住んでいたから仕方がないといえる。 そもそもアメコミ系のアニメは好きになれなかったし、レヴェルも低い。もしかしたら「トムとジェリー」というのは例外中の例外の異端児だったのかもしれない。
だから自然とドラマの方が好きだった。「3ばか大将」や「チックタックのフライマン」等のギャグ系は大好きだったし、あるいは子供向けドラマの「ハックルベリーフィンの冒険」や「魔法使いキャットウィーズル」等も大好きだった。 この辺の作品はまた見たいのだが、日本でのソフト化は絶望的だ。なにせ「秘密指令S」ですら日本国内ではソフト化されていないのだ。 見たい作品にカギってソフト化されないというのも、不思議な話だ。もっともっと低レヴェルの作品がソフト化されているというのに…。
そして関係ないが、「攻殻機動隊S.A.C.」を見始める。やはりこれは傑作で、何度でも見られる。そろそろこういうレヴェルの傑作が現れて欲しいものなのだが…。
どんぐり2号に頼んで、「鉄人28号・白昼の残月」のサントラを買ってきてもらう。
アニメ自体も面白かったが、このサントラも意外と良い。特に伊福部昭入門作品としても面白いと思う。どこかで聞いたようなフレーズがあちこちに出てくるので、ありていに言ってしまえば、良いとこ取りのアルバムになっているともいえるのだ。だからこそ、あまり伊福部サウンドを聞いていない人にこそお勧めなのである。
ただ通して聞くと、最後にあの「鉄人の歌」が流れてくるのだが、いくら重厚なコーラスとオーケストラでリテイクしてあっても、所詮は当時のままの歌なので力が抜けるし、そもそも歌詞が「ビルの街に、ガォー」である。やはりこれはもっと大幅なアレンジを加えるか、別の音楽にするべきだったと思う(どうしてもこの歌を使うなら、最期にあの「グリコ、グリコ、グ〜リ〜コ〜」を入れなければ、意味は無かったと思うのだが)。 ノスタルジーという意味なら、伊福部サウンドを取り込む必要などなかったのだし、やはりこの歌を何とかするべきだったのだ。
実際、最初のアニメが放映された当時は小学校低学年だったにも関わらず、この手の能天気なオープニングは好きになれなかった(アトムやウルトラマンなども、同様にオープニングは嫌いだった)。いくらガキであっても「ウルトラQ」レヴェルのオープニングを望んでいたし、明るいものなら「サンダーバード」位の質は保って欲しかったのである。
この辺の考え方は、やはりテレビの「ジャングル大帝」の影響も大きいだろう。オープニングは壮大な名曲だし、エンディングも素晴らしい歌である。その上当時は「交響組曲ジャングル大帝」なるアルバムが出ており、買ってもらって聞いたというのも大きな経験値になったと思っている。つまり「ジャングル大帝」は、音楽が素晴らしいアニメとしてはほとんどは初めての作品なのである。 当時のアニメは純粋に子供向けだったのだから、やはり手塚治虫は素晴らしい仕事の一環として、音楽をも提供してくれたのである。以後、ウルトラマンなどの力の抜けるマヌケな音楽は嫌いになってしまったのだ。
そしてアニメ業界が音楽まで気を使うようになるのは、「ヤマト」まで待たなければならなかったのである。
どうにも会社の連中は頭が悪い、パート2だ。 いや、頭が悪いのもあるが(日本語は判るように使ってほしいものだ)、そもそも筋が一本通っていないのが問題なのだ。その場の状況で正反対の考え方をする。そしてそれが異常だと気づいていない。 判っていてやるのなら、戦略的なものだとこちらも判るが、どうにも頭が悪いだけのようなので、本当に対処に困るし、いらいらしてしまう。
対策がその場限りの思いつきなのだから、いつまでも赤字だというのが良く判る。そしてそういう人間が多いというのが問題なのだ。
そんな今日も今日で、配布した資料がないとわめく馬鹿がいた。 全員の机に上げたのだが、ないという。確かにこいつの机はいつもとんでなく散らばっているのだが、その時の怒り方が素晴らしい。「自分の机は散らかっているのだから、いる時に手渡ししろ。なくなるだろうが」というのだ。散らかっているのは棚において、である。 ちなみにその資料をなくしたのはこいつだけだが、私は判るようにキーボードの上に乗せたのである。これでなくす方がどうかしているし、言っておくがこいつは課長だ。 こういう無能が課長をやっているのだから、いつまでも全体がガキなのである。
どうもむかつく事が多い週だ。
先日の地震に関して、会社でも何らかの対策が必要だという話になった。なんだか4年前に同じ話をしたと思っていたのだが、どうもあれは夢だったようだ。 いずれその対策が、「全員が支店長の携帯へメールを打つ」というものだ。なんというか、アホだとか思えない。 そもそも、たった一人に情報を集中させるという概念が理解できない。彼が死んだり、あるいはケータイが壊れたらそれで終わりだろう。
ちなみに数年前の地震の時は、掲示板などの応用を説いたが、ほぼ全員が「掲示板というものが判らない」だった。年よりも若いのも、である。判らないから拒否するとは、本当にしょうがない連中だ。
そして今回はメールが繋がりやすかったという事で、やはりケータイへメールを入れるという事で終わってしまった。ばかばかしいにも程がある。 そもそもメールが電話より繋がりやすいのはパケット通信だからで、当然の帰結だ。だがそろそろ皆がメールの方が繋がりやすいと気づいてきたので、いずれサーバーがパンクするのは目に見えている。そうなればケータイ各社も事前に手を打つのは当然だ。つまり繋がりにくくなる訳である。 もちろん電話の方も圧縮率を上げて、回線使用率を下げることは可能なはずだが、現状ではそれをやろうという動きはない。
結局現状では、非常時の使用を控えるという方法しかないのだ。例によって言霊思想の国だから、災害に関しては誰も真面目に考えない。常に人が死んでからという対処療法の国なのである、日本は。
もっともうちの会社は、それ以前に頭が悪すぎるのが問題なのだが。
子どんぐりが修学旅行に出発。北海道を回ってくるという。
最近の高校は、結構行く場所を考えているのか、京都方面というのも飽きられているのか。だが、確かに飽きられているから、自費ではまず京都方面になど行かないだろうから、むしろこういう学校行事で行った方が良いような気もする。 実際私の場合、なぜか学年全体が学校側と仲が悪かったため修学旅行が中止となった。こうなると京都や大阪などは自分で行こうなどとまず考えないから、へたをすると一生行く機会はないかもしれない。
ちなみに大学の時に友人と思いついて「修学旅行コース」を回った事がある。試験が終わって突然行く事になり、本当に行き当たりばったりであちこち回って、宿泊場所は案内所や駅なとで確認し、結構楽しかったりする。 今と違ってネットなどない時代だから、よくまああんな回り方が出来たものだと感心するが、当時はそういうのが当たり前の時代でもあったので、逆に現場サイドで何とかなった時代でもある。
いずれそういう平凡な場所には、異常な状況で行くのが正しい旅行なのかもしれないと思ってみたりする。
実は土曜日、アネクドテンの他にもう一枚CDを買っていた。 SHM-CDのサンプラーとでも言うべき「HAVE YOU EVER BEEN EXPERIENCED?」である。 このSHM-CDというのは、リマスターなしのノーマルCDで高音質をウリにしている規格なのだが、同じ曲をSHM-CDとノーマルのCDに収めてあり、聞き比べられるという物だ。サンプルと称しているだけあって、これで1000円なのは意外とお買い得なのである。欲しい曲はオリジナルで持っているが、持っていない曲も多いのでこの価格なら買っても損はないといえる。 少なくとも拡販担当者は良い仕事をしたといえる見本だろう。
しかし聞いてみると「リマスターとどこが違うんだろう」と一瞬思ってしまったが、解説を読む限りリマスターはしていないのだという。もし本当ならこれは素晴らしいものなのだが、リマスターなしでこんな音が出てくるのだろうか。にわかには信じられない。ちなみにビクターやユニバーサル側でも何故音が良くなるかは不明だという。 実際に音が変わっているから、マイナスイオンのようなインチキとは違うのだろうが、もちろん詐欺という可能性もゼロではない。そう考えてしまうほどに不思議なのであった。
ちなみに収録曲は以下の通りで、私くらいの年代なら懐かしい曲も多い。1,000円なら損はないというところだ。
1.日曜の朝 / ヴェルヴェット・アンダーグラウンド 2.マギー・メイ / ロッド・スチュワート 3.ハイダウェイ / ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ 4.ヴィクトリア / ザ・キンクス 5.時の流れを誰が知る / フェアポート・コンヴェンション 6.スウィート・ホーム・アラバマ / レイナード・スキナード 7.オール・ライト・ナウ / フリー 8.ジョン・バーレイコーン / トラフィック 9.ライト・フライト / ペンタングル 10.サテンの夜 / ムーディー・ブルース 11.デトロイト・ロック・シティ / KISS 12.ジョイ・トゥ・ザ・ワールド / スリー・ドッグ・ナイト 13.シンス・ユー・ビーン・ゴーン / レインボー 14.アリソン / エルヴィス・コステロ 15.シャウト・トゥ・ザ・トップ / ザ・スタイル・カウンシル 16.ソーク・アップ・ザ・サン / シェリル・クロウ 17.モア・ザン・ワーズ / エクストリーム
内容と価格のせいで早々になくなりそうだが、ここではタワーレコードにまとめて置いてあった。
2008年06月22日(日) |
「鉄人28号・白昼の残月」 |
昨日買ったアネクドテンの「タイム・オブ・デイ」を聞く。 何故か市内のCDショップで彼らのアルバムを全然見かけず、本当に久々に見かけたのでつい買ってしまったのだった。「暗鬱」がクリムゾンのフォロワーを思わせるサウンドだったが、このアルバムあたりではやはり独自の進化をしているのが判る。 いずれ耳に心地よいサウンドだが、それでもクリムゾンぽいところはまだまだ残っている。なかなか珍しい存在だろう。美狂乱もクリムゾンのフォロワーなのだが、この両者を比べると方向性は全然違う。実に面白いと思う。 アネクドテンは「ライヴ・イン・ジャパン」も欲しいのだが、これまた全然見かけない。困ったものである。
そして昨日チュウジさんから受け取った「鉄人28号・白昼の残月」を見る。 これはかなり良い作品である。本来良質の邦画が持っている雰囲気が見事に醸し出されているし、昔の探偵小説の雰囲気も持っている。そして敗戦後の苦悩がここまでストレートに出ているのも驚きだった。スタッフにそんな年寄りはいないはずなのに、これは見事である。 もっともスタッフが若いと思わせる部分もあって、そのためメインキャラの性格描写に多少のアンバランスさを生んでしまっている。簡単に言えば、行動にブレが出てしまっているのだが、それでもこの作品は見事なまでに人間の物語として出来上がっている。 もちろん「鉄人28号」と謳っているからには、それ相応のメカによる格闘戦も用意されている。少し前に見た実写版はあまりにもひど過ぎて話題にすら出来ないほどだったが、今回のアニメ版はやはり今川監督だけあって、デフォルメも上手に処理している。
ただあの探偵モドキの女はちょっと不釣合いだった。あれをもう少しセーブすれば、全体の雰囲気はもっと上がっただろうにと惜しまれる。あの時代設定で「ショタコン」という言葉は不必要だろう。 それでも見て損はない作品だと断言できる。いや、むしろ見るべき作品だと言える。こういう作品が時々出てくるから、多くのカスに泣かされながらも、アニメ作品から目が離せないのである。
なおこの作品内で使われている「廃墟弾」という設定はなかなか面白い。「ブームである廃墟」と「作品内の破壊」と「時代の郷愁」を一気に表現する大技だ。 そしてこの映像でもそうなのだが、廃墟を表現するのにアップは基本的にダメだと判る。「引き」である程度の画面密度が必要なのであり、廃墟は全体像の描写がないと、廃墟足り得ないのである。 そういう点でもここでの映像はきちんと表現されている。 全体に職人技がちりばめられているといってもいい作品だ。
最期に、この作品は映像としても素晴らしいが、伊福部昭の音楽を使っているところも素晴らしい。終戦後の世界観にこれほどぴったりな音楽を作った人もそう多くない。 近いうちにサントラを入手しなければ。
今日は何故か子どんぐりの試験日最終日である。何故こういう日程にするのか良く判らないが。 ともかくいつも通りに起きて、子どんぐりを送り出した後はネットを見たり、親を病院に送ったり、「映画秘宝」を買いに行って午前中は終わる。
今日は18時から宴会なので、午後は駅前に出で本とCDを漁る。 立ち読みしていたら、今月の「GUN」誌でCMCのP-38を取り上げていたが、銃口を写していない。この理由は私も以前は持っていたから良く判っている。あえてここでは書かない。しかし何故ショートリコイル・モデルを取り上げないのだろう。その辺が物足りない。 CDはアネクドテンの「タイム・オブ・デイ」を買う。ここしばらく、どこに行ってもアネクドテンのCDを置いていなかったので、つい買ってしまった。あとは「ライヴ・イン・ジャパン」が欲しいところだ。 そしてはかせ( SF仲間のハカセではない) が音の違いがはっきり判ると驚いていた「SHM-CDのお試し版」があったので買ってみる。同じ曲がノーマルとSHM-CDで比較できるように2枚組になっているので、これで\1,000ならある意味お買い得といえる。
等とあちこち歩いていたらあっという間に17時を過ぎ、ほどなくKCと丸善で合流して店へ向かう。 今日の宴会はもちろん会社なんかではなく、ほとんど無法地帯のSF仲間と、である。メンバーはチュウジさん、ハカセ、チャウチャウ、KC、いのじさん、Kattaruiさん、AOYさん(AOYさんは残念ながら途中で退席)と、私を入れて総勢8名だ。
ここでいのじさんからSFマガジン2006年9月号を借りる。ダン・シモンズ特集で「カナカレデスとK2に登る」が収録されているのである。これも楽しみな作品だ。そしてチュウジさんからは「鉄人28号・白昼の残月」のDVDを受け取る。これは是非とも見たかった作品なのだ。音楽が伊福部昭というところも興味をそそるところだ。
とりあえず忙しい中、遠くからわざわざ来てもらったいのじさんは、実は昨日が誕生日(44歳!)、しかも昇進したという事で、まずはそのお祝いも兼ねて乾杯する。 そうこうしているうちに全員揃う。この面子が揃えば、もう話題の見当はつくであろう、いや、つかないであろう展開になる事は明白で、実際普段は周囲に理解不能な話ばかりで進行した(と思う)。 実に楽しかったが、予想外だったのは最初の店を2時間半で追い出されてしまった事だ。別に呑み放題をセットした訳でもないのだが、どうやら予約で席を確保した場合はこういうシステムが多いらしい。 別にうるさかったから追い出された訳ではない、と思うのだが…。
仕方がないので次の店にという事になったのだが、なんと「カラオケ」に決定した。この面子では初である。というか、SF仲間でカラオケに行くなど私には経験がない。 とりあえずなんとなくアニメ縛りという事になり、私は「愛はブーメラン」を出したが、「押井ファンだから」の一言で納得してもらえたと思う。皆もそれぞれ得意技を出していた(私のは得意技ではない、そもそもカラオケなど行かない人なのだ)。 ちなみに途中で「愛国戦隊大日本」を合唱する。当然画面に歌詞など出る訳がないが、私はもちろん、皆もちゃんと覚えている。ただ一箇所、ちょっと曖昧だった箇所があったので、ここに記しておく。 「カミカゼ スキヤキ ゲイシャ ハラキリ テンプラ フジヤマ」だ(これを読んでいる良い子は覚えておく事)。 あとは「スターリングラード冬景色」を覚えなければならない。特に二番は難しいのである。さすがに「海底軍艦」や「スター・ウォーズ」は歌詞が一部しかないし、そもそもカラオケにあるはずもない。なにせ元々歌詞がないのだから。 そんな中でKattaruiさんは今回の劇場版エヴァのエンディングを歌ったが、さすがに他のメンバーは知らなかったし、当然私も知らなかった。やはり日本の新しいものはなかなか聞かなくなっているという事か。
ここを出たあとはスナックに行き、続きのバカ話。でも狭い店だと逆に席の問題があって、これはこれで不便だ。 12時を回った時点で解散したが、さらに4次会へと進んだ人たちもいる。皆、若い。私はテクテクと歩いて帰ったのだった。
とにかく今回も集まってくれた皆に感謝、である。特にいのじさんとチャウチャウは、遠いところを来てくれて本当にうれしい。 次はESIFCON、いやその前に企画会議という名のチャウCONであろう。
会社でちょっと前に聾唖者を社員として入れたのだが、今になって突然、支店長が手話の講座に出てこいという。相変わらずの付け焼刃だ。 こちらとしては20日のしかも金曜に、ほぼ一日潰すのは迷惑なのだが、所詮は営業上がりの支店長にそんなことが判るはずもない。もともと営業上がりだけが上にいるというのは、企業としては良くないのでる。
まあそれはともかく、そういう訳で手話講座に参加したのだが、結果として手話や聾唖者に対する考え方が判ったのは収穫だと言えるだろう。 例えば聾学校では手話は教えていないというのには驚いた。口話をメインとするので、手話は先輩等から伝達されるのだという。なんという非科学的かつ非効率的な話であろうか。だから聾唖者のほとんどが手話を使える等と考えてはいけない訳で、むしろ手話を使えるというのは、実は特殊な事であると考えた方が良いのである。 いずれ手話は使えるにこした事はないが、筆談、空字等を併用する事を前提にしなければいけないのである。 あと、文字を漢字で覚えているので、例えば宮城県の「わくやちょう」といってもピンとこないが「涌谷町」と漢字で見せるとすぐに判るという事もある。
しかし緊急時の放送では、音声情報がほとんどで、目で見て判る情報などたかが知れているのだという。 確かに電車やデパートの中だと、放送が一番手っ取り早いし経費もかからない。だが聾唖者にはそれではなにが起こっているのか全く判らないので、最終で気に一人だけ取り残されてしまう可能性もある。今回の講師は実際それで電車に取り残された事があるそうだ。 いずれこういう役に立つ話も聞けたし、無駄ではなかった講義だった。ただほぼ一日というのがきつかったが。
ところで実技で出身地と年齢を手話でやってみるというのを全員がやったのだが、指の動きに熱中するあまり、つい本当の年齢を示したら「ええ〜」という声が周囲から一斉に上がってしまった。どうやらウケたようだ。
どんぐり2号が見つけてきた映像だが、ついつい見てしまう。 http://uk.youtube.com/watch?v=pVKnF26qFFM
やはり大マジメにバカをするというのは、見ていて楽しいしやってみたくなる。あの名作である「トムとジェリー」が何度見ても飽きないのは、同じような理由だからだろう。物理的にありえないばかばかしい描写をひたすらマジメに描いて笑いを誘うというのは、本当に見ていて笑えるのだ。 ちなみに単純な笑いなのに何度見てもこれほど笑える映像というのは、実はあまり多くはない。後々まで笑えるものというのは、かなりきちんと計算されている作品なのである。だから今回のこの映像は、その辺に関してはあまり緻密な計算はされていないが、それでもある程度は計算された映像なので、多分のちのち見ても笑えるだろう(ちなみに以前、職場で似たような事をしたなんて、口が裂けたら言えない…)。
こうしてみると、現在の日本の芸人が面白くないのは、何度見ても笑えるというコンセプトがないからだと判る。瞬間芸ですらない、ただの思いつきに等しいのだ。どうも「笑いのインパクト」が根本的に欠落しているとしか思えない。 まあテレビがそういう人材しか求めていないからだし、結果として自分で自分の首を絞めているだけなのだが。
しかしyoutubeにはこういうおバカで楽しい映像がたくさんあるのだろうが、探すのが厄介だ。 なにせ誰でも簡単にアップできるというのは利点であるのと同時に弱点でもあり、文字通りのカスも多いで、本当の良いおバカ作品にめぐり合うのは、本当に偶然、神頼みとなってしまう。 もちろん様々な人が色々と紹介しているのであるが、やはり自分の感性に近いと判っている人の紹介でないとあまり信用でない。紹介された映像を見ていて時間の無駄になるのでは、本当に意味がない。
実は本当に笑える媒体を探すのは、これでなかなか難しいのである。
2008年06月18日(水) |
ギララガッパはバカボン |
今日は過ごしやすい。確かに日向は暑いのだが日陰はそこそこ涼しく、多分湿度が低いのだろうと思われる。もう夜になったら少し寒いくらいである。 でもこのくらいの方が自分には合っている。しょせんは東北人なのだ。もちろん東北と言ってもかなり北を指すのだが。
ところでどんぐり2号が「熱海に城がある」と驚いていたが、私はすかさず「ガッパが上陸しただろう」と答えて呆れられる。 そもそもこの城は観光用に作られたもので、実際の城とは関係がない。だが観光用なので、映画にも登場させやすいのだろう。一般的な特撮ファンなら「キングコング対ゴジラ」で有名なのだが、私はなぜかガッパの方が記憶に残っている。なにせ海中からユデダコ(足がきれいに丸まっている)をくわえてガッパが登場するのだ。笑ってしまうではないか。 この「大巨獣ガッパ」は1967年公開だが、実は1959年の「怪獣ゴルゴ」の盗作である。とにかくストーリー・ラインは全く同じなのだ。まだ小学生だったのでガッパを先に見てしまったが、後年ゴルゴルを見たときには本当に瓜二つのストーリーに呆れてしまったものだ。 もっともどちらも自分の子供を捜して暴れまわるのだから、つまらなさではどっもどっちではある。個人的にこういう話は好きではないのだ。これならまだギララの方がましだ。
そういえば今年の夏に、電エースでおなじみの河崎監督による「ギララの逆襲」が公開されるというが、仙台エリアの上映スケジュールは未定だとの事。 加藤夏希も出る事だし、一応は見ておきたいのだが…。
先週に引き続いて異様に暑い。こんな状態で夏が来たらどうするのだろうと思ってしまう。 やはり私は東北人なので、とりぱんの中の人も言っているように、気温が25度を越えたらとたんにやる気などなくなってしまうのだ。甲子園で東北勢がなかなか勝てないのも当然だろう。
ところで、仙台市内でついに地震による死者が確認されたようなのだが、なんと本による圧死であった。 なんだか人事ではないと思えるが、やはり傍から見ればバカにしか見えないのも事実なので、これは気をつけなければならない。当人には悲劇でも、他人からすれば喜劇以外の何物でもないという典型だろう。
ちなみに今回の地震に限らずいつもそうなのだが、マスコミというのは派手な映像ばかり流したがる。 確かに大きな被害を受けたエリアを放映したがる心理は判るが、逆に例えば比較的無事なエリアもたくさんあるという映像での報告も必要だろう。 以前の「三陸はるか沖地震」の時は、八戸市内で唯一倒壊による死者が出たパチンコ店ばかり放映していたが、このおかげで友人知人は八戸が壊滅的名状態ではないのかと要らぬ心配をしていたのである。当然だ。そしていらぬ心配をかけるものだから、心配して電話をかけてしまい、ますます電話が繋がりにくくなったりする。マスコミは「正確な情報」を流す義務があるのに、現在はNHKですら怪しいのが実情だ。 このあたりは反省して欲しいのに、全然そんな素振りも見せないどころか開き直っているようだ。いらぬ社会不安を煽ってどうするというのだ。
まさか学生運動の時の憂さを、今になって晴らそうとしているのではないのだろうな。
土曜日に「ヒート」を買う予定だったのだが、地震のため大幅に狂ってしまった。自然災害では仕方がないが、やはり当初の予定が狂うのは悔しい。 まだアマゾンあたりは20%オフくらいで売っているようなので、こちらで頼むしかなさそうだ。
ところで先日、とある人と話していて「攻殻機動隊S.A.C.」のような作品が見たいという話題になった。あれほど面白い作品というのも珍しかったのだが、結局現在のアニメ界は、テレビ放映でこの作品を越える物を作れていないし、映画を含めてもほとんどない。もしかしたらこの作品以後に限定すれば、映画でも存在しないかもしれないのだ。 何故これだけの作品が作れないのかといえば、リスクを恐れているからであり、そして金をかける場所を間違っているからである。これは明白だ。 この辺のノウハウに関して、実は押井監督も神山監督も明快な答えを出しているし、それを公表もしている。だから傑作を作れないのは、まず脚本に金を全然かけていないからだと断言できる。その他にも色々と要因はあるが、傑作やヒット作を作るのは意外と簡単である。問題なのは「売れる傑作を作れるか」である。これだけはノウハウと経験と直感が必要だが、意外とアニメ界にはそういう人材は少ないようだ。 だからプロジェクトが必要なのだが、やはり判っていない人が多いのだろう。
ところでアオシマから今年の夏頃に再販予定の「小松崎画伯パッケージ キャプテンスカーレットZERO-X号」だが、どうもネット上で発売予定が見つからない。安ければ買ってもいいのだが。
ついでにスペース1999の「ホークMk IX」も、例のプロップ・レプリカ・シリーズで出る。プロップ・レプリカ・シリーズという事はお値段も半端ではなく、176,400円である。 こうしてみるとレスキュー・イーグルの140,000円というのは、むしろ安かったのだと思う。もちろん私には買えない値段だが。
なんとか室内を動ける程度には片付けも終了。大きな余震もなく、まずは一安心であろう。 実際問題として物が多すぎるのが問題ではあるのだが、まあそれはそれ、これはこれ。いずれ来ると言われている宮城沖地震はこんなものではないのだろうから、一応それには対処しなければならないだろう。
そしてこれは仕方がないのだが、ヘリがやたらとうるさい。 この辺は霞目駐屯地がヘリの発着場になっており、低空で進入してくるヘリが非常にうるさいのだ。ヘリは基本的に遅いので、やはりうるさい音がしばらく続いてしまう。この部分は戦闘機のうるささと全くの別物だ。 もちろん災害救助で出動しているのだから、我慢するしかないのである。
ところで今回の地震では、予想通り電話がしばらく繋がらなかった。予想通りなので驚きはしないが、やはり困る。こういう時は市内だけで簡単に繋がるようにするべきだろう。県外からの安否確認といっても、実際に何かあったところですぐになんとかできるものではない。むしろ市内の安否確認の方が、その気になれば行けるのだから重要だろう。 ただこれまた予想通りだったのは、ネットは簡単に繋がるという事だ。ただし室内がメチャクチャだとPC自体を立ち上げることが難しいし、そもそも停電していたらまったくお手上げである。 電話だと回線自体に3ボルト程度の電気が流れているので、停電だろうが何だろうが電話線が切れない限り確実に繋がるという、災害時には非常に高いアドバンテージがある。だから固定電話を解約できないのである。
結局、災害時の初期段階では、携帯電話を利用したネット接続が一番利用しやすいという事になりそうだ。 特に今回はmixi網の利用がなかなか便利だった。ほとんどあっという間に安否確認が出来たのである。ただし実際にかなりの被害を被っていたら確認できないが、少なくとも無事の確認はあっという間だった。やはり今後は、災害時のネット活用が最重視されるのだろう。もちろんネット環境にない人の救済策は必要だが、相対的にネット依存が多くなれば、電話が繋がりやすくなる可能性は高くなる。
しかしこういう話は、会社で全く通じない。 災害への緊迫感はないし、ネットというものは出会い系かエロ動画を見るものだという認識程度しかない連中ばかりだからだ。以前も緊急時の対策会議でネットの利用を提案したが、全員が嫌がった。電話で充分だというのである。災害時には絶対に通じないというのに、である。 はっきりいうが、ここまでアタマが悪いとは思ってもいなかったので、これ以後説得は諦めた。どうせ緊急時には家族が優先になるのは当たり前だから、会社には連絡が付かない方が良いだろう。 被害が出た会社に対して個人がどうこうしたところで意味はない。どうでもいい事だ。
2008年06月14日(土) |
平成20年岩手・宮城内陸地震 |
8時半にかなり大きな地震(後で8時43分との発表があった)。久々にかなり揺れた。もしかして「三陸はるか沖地震」以来の揺れかもしれない。
今回は目の前で食器棚の扉3枚が開き、雪崩のように食器が落ちていくさまを見てしまったが、これはある意味感動的だった。もっとも本が崩れていくのは「三陸はるか沖地震」で嫌というほど体験しているので、こちらは一気に脱力してしまったが。
それでも人的被害が皆無だったのは不幸中の幸いといえる。 当然電話が通じないので、実家まで行って安否の確認と思ったら、実家での物的被害はほとんどなかった。結局私の住んでいる所が7階で、揺れの向きが扉と一致したという不幸が重なったために食器の大惨事となっただけなのだろう。 しかし本は、落ちた時に折れたり破れたりしたものもあって、これはちょっと悲しい。 いずれ、とにかく歩くスペースを作るのにほぼ半日かかり、これだけでかなり疲れてしまった。やはりネット上で確認すると、知り合いはほぼ被害なしだったので、うちだけが被害を被ってしまったという事か。
オモチャ類はチェックしている余裕はないので後日となるが、007仕様のロータス・エスプリが、箱に入ったままかなりの飛距離を稼いでいた。これは開けるのがかなり怖い…。
結局無理な姿勢でいろいろと片付けざるをえないので、どうしてもあちこち体が痛くなる。 そして多分、完全に元通りにする事はまず無理だとも思う。疲れてしまうなぁ。
こうして結局「ヒート」を買いに行けなかったのであった。
会社でまたも色々と嫌な事がある。もしかして13日の金曜日だからか?(しまった、私はキリスト教徒ではなかったのに)。 やはりバカはバカなりに、自分はバカだという事を認識してもらわないと困るのだが。 そしてもう少し日本語をきちんと理解するべきだろう。一体小中高と学校でどんな日本語を習ってきたのだろか。もしかしたらサボってばかりいたのかもしれないが、日本語でのコミュニケーションには絶対に必要なのだ。
さて、今日は「ヒート」の発売日だという事をすっかり忘れていた。 公開時に映画館では見ているが、ついついソフトは買わずにいた。面白いには面白いのだが、ストーリーを追いながら全体を見ると、ちょっと甘いのである。そしてラストはどうしてもマックィーンの「ブリット」を連想してしまう。あれではあまりにストレートという感じでちょっと好きになれなかったのである。 それでもあの銃撃戦はなかなか良い。思わずXM177E2が欲しくなるくらいだし、映画史上に残る銃撃戦である事に異を唱える人は少ないだろう。 安いうちに買っておきたいので、明日は町中に行ってみようと考えているのだった。
ようやく「スカイ・クロラ」の前売り券を買う。どうせ見に行くのだから、安い方が良いだろう。 この前売り券には携帯用ストラップが付くのだが、3種類あるというのも困るではないか。別にストラップ欲しさに3枚欲しくなるような出来の物ではないのだが、やはり一種類にして多少立派なものにして欲しいと思う。 ちなみに今回は「サンカの携帯ストラップ」にした。戦闘機の散香であるが、なぜか台紙には「サンカ」と書いてある。デフォルメだからか?
ところでこの映画の公開直前に、「攻殻機動隊 2.0」が公開されるのだという。「攻殻機動隊」をデジタルでリテイクした作品らしいが、要は「劇場版パトレイバー」でやった音と色調のリテイクにくわえて、背景や一部の絵の書き直しをするらしい。 確かに「劇場版パトレイバー」の修正は、かなり手間隙かかった素晴らしいものなのだが、いついもいつも同じような作品を買わされる身にもなって欲しいものだ。関係者はもらえるから気にならないのだろうが、貧乏だが昔から押井作品を無理してでも買って応援してきた身としては、なかなか複雑な思いもある。
ただ今回の公開が、東京、大阪、札幌、名古屋、福岡の5箇所だけだという。これはかなりふざけていると言えるだろう。 元々押井作品は人が入らないと言われてきたのだが、それは公開される劇場が極端に少ないのだから、当然なのである。私などいつも往復250キロの高速道路を利用して観に行っていたが、普通の人はそんな事は絶対にしない。これまた当然の事だ。多分比率で言ったら、意外と地方には押井ファンが多いと思うのだが、さすがに他県まで見に行くほど根性が入ったバカはそう多くないのである。
だから「イノセンス」の題名を「攻殻機動隊2」にしようとした時に鈴木プロデューサーが「12万人しか入らなかった作品の続編では、人が呼べない」と反対したが、これに関しては彼が間違っている。彼はジブリのような全国公開の映画しか知らないのだろうが、あれだけ少ない上映館で12万人なら御の字だ。 この話を読んだ時、私は鈴木プロデューサーに単館系のプロデュースは無理だと判ったし、押井監督作品は単館系の売り方をした方が絶対に良いとも思っていた、そして彼のプロデュースでは予想通り惨敗したのである。 誰も彼も、押井監督作品の正しい売り方が全然判っていない。困ったものである。
2008年06月11日(水) |
最初で最後のプロ野球 |
会社で同じ課の人の勤続20年を祝って、何故かプロ野球観戦になってしまった。 この人は昔MGCに勤めていた事のある人だし、ちまちまとお世話になっているので、行きたくはなかったが付き合ったのである。ちなみに楽天vsヤクルトで、ボックスふたつに10人プラス赤ちゃんである。
ここは宮城球場の時代しか知らなかったが、入場するとやはり立派になっていたので多少は驚いた。驚いたが、グラウンドの大きさというのは何も変わっていない事にも驚いた。あんなに狭かったのだと感動すらしてしまう。やはりテレビ・カメラは広角寄りのレンズを使用しているのだろう。
しかし周囲の応援合戦にはやはり閉口する。延々何時間も全く同じリズムとフレーズで応援するのだ。音楽的にはバカになるのも当然だ。これでは複雑な音楽が聴けなくなるのも当然だろう。本当に困ったものだ。 そしてそんな球場に小さな子供を連れてきている親にも呆れる。一体何時まで起きているのだろう。歌のばかばかしさといい、音量といい、子供には百害あって一利なし、である。
個人的にはあまり来たいとは思えない環境だ。こんなのを見に来るくらいなら、本やCD、DVD等を買った方がはるかにマシだ。どうもプロ野球を見に来ている連中はスポーツを楽しむのではなく、騒ぎたくて来ているとしか思えない。このパターンを見ていると、本当にゲッペルスは正しかったのだと良く判る。 結局個人的には、プロ野球というのは時間の無駄でしかない。少なくともこれを見る事で自分に何か得るものがあるかというと、何もないのである。 経済効果は確かに認めるが、ま、そんなものだ。
会社のサーバーがフィルタリングをしているのだが、最近どんどんきつくなり、ポータルサイトのトップ・ニュースに危険用語が出たというだけで、その日はそのサイトが使えなくなったりする。 さらに今日は、以前は使用できたアマゾンからの返信メールがブロックされていて、結局買う事か出来なかった。
これではネットの意味がない。はっきり言うがネットに関するバカは初めから相手にする必要はない。会社でエロサイトを見て喜ぶようなやつは、ネットを初めから使わせなければ良いだけだ。 こちらは仕事で色々と探す時、ブログなども覗く必要がある。特に病院情報などの地域に密着する事象は、実は主婦のブログが参考になったりするのだ。 だからネットを規制する事は、使うなと言っている事と同義である。根本的に使えないのだから。
結局、企業で使うという事は、バカは無視するしかないのだ。どんなものでも、いざという時にその性能を100%発揮できないのでは、全然意味を成さないし、企業としては損失でしかない。 それが判らないようでは、その企業は伸びないどころか、いずれ消えていくしかない。そういう事だ。
秋葉原で昨日、無差別殺戮が行われて、結局7人の死亡が確定した。 トラックをレンタルして通行人をはねるというところは、仙台で起きた事件と同じ展開だ。レンタルした会社も頭が痛かろう。確実に損害賠償の請求対象になるからだ。
しかしこの犯人、警官が拳銃を向けたところナイフを置いたというが、これが本当ならえらく冷静だ。ピーなどではなく、極めてまともである。裁判で精神障害を主張したらそれは嘘だという事になる。動機は不明だが、単にキレたがすぐに覚めたというところだろう。
あとこうした事件が起こると、ナイフの規制、銃の規制などと騒ぐ、とてつもなくおめでたい奴が出てくるが、それは遅すぎるのだ。サバイバルナイフなど、一作目のランボーが公開されてから爆発的に売れたが、この時点で規制しなかったのだから今更規制したところで意味をなさない。 ここまで市場に拡散している状態で規制しても、所持している人から取り上げる事は事実上不可能だから、それこそ何の意味もない。あるいは禁酒法のように本当に規制したところで、それが有効に働くかといえば歴史が証明している通りだ。結局規制するという行為はすべてが遅すぎるゆえに無駄なのだ。 だいたい、日本は銃器の所持が禁止されているはずなのに、なぜこんなに出回っているというのだろうか。以前から違法で所持している連中は、今更規制したところで気にしない。そして本気で犯罪を考える奴は、規制されれば地下から調達したり違うものを使う。ただそれだけである。 結局こういう考えは、おめでたい政治家等の点数稼ぎにしかならないのだ。
そしてこれも毎回言っているが、拳銃を使えない警官に拳銃は不要だ。 今回も銃器を持っていたのに被害を最小限で防ぐ事は出来なかった。そもそも走行している車両に日本の警官装備で何とかするのは絶対に不可能だし、そして犯人がナイフで暴れていても当てる事が出来ないから意味がない。人目がないところでは使うくせに、マスコミや人の目ばかり気にして結局必要な場面では使いもしない飾りとしての銃を持っているだけだ。 これでは犯人に奪われたら危険なだけで、全く不要だ。イギリスのように警官は警棒のみ、その代わり特殊部隊をきちんと使うというのが日本には一番合っている。 とにかく日本の警官は、ろくに訓練もしていないから、銃器に関してはシロート同然であり、本当に銃器は不要だ。
そもそもアメリカの一部のセクションでは、危険を感じたら犯人の顔面に3連射するという。防弾ベストなどを着用していたら反撃されるから、確実に相手の動きを止める事に主眼を置いているのである。だがこれは日頃訓練しているからこそできるのであり、日本の一般警官では当てる事すら難しいので、跳弾その他でかえって危険だ。 そろそろ警官の銃器不所持は、まじめに考えた方が良い。
ようやく駅前に出る。しかし肝心の「GUN」誌がない。立ち読みしたかったのに。 代わりにロッキンオンを立ち読みする。真っ先に読む渋松対談は相変わらず面白く、今回はちょっと趣向を変えた始まり方でまたまた笑わせてくれる。危なく店内で笑ってしまうところだったではないか。 いずれこれだけのためにこの雑誌を買う気にはなれないので、早いところ第二弾としてまとめて欲しいものだ。待っている読者は意外といると思うのだが…。
結局、ブルーバックス「シンプルに使うパソコン術」と岡田喜一郎「淀川長治の映画人生」を買う。 前者を買ったのは、パソコンとはある事をするための道具なのだが、肝心のソフトに結構複雑で使いにくい物が多いと思っていたからだ。ある事をするのが目的なのだから、ソフト自体はシンプルで使いやすい方が良いに決まっている。その参考としてこの本は便利のである。
その他に買ったのは「スカイ・クロラ オフィシャルガイド」である。 実を言うと情報がオープンになってからというもの、あまりこの新作には期待していなかった。絵がどうとかいう問題ではなく、監督の方向性もそうだが、そもそも何故こんな作品を引き受けたのか、さっぱり判らなかったからだ。 だが今年になっていくつかのインタビューを見ていくと、基本の部分は何も変わっていないし、この作品を引き受けた真意が見えてきたので、とりあえず一安心したのだ。
そんな中で予告編を見たのだが、空中戦のシーンを見て非常に驚いてしまった(原作を読んでいないので、今になって驚いたのである)。主人公が乗るレシプロ戦闘機「散香」が、明らかに第二次世界大戦時の日本海軍試作局地戦闘機「震電」そのままだったからである。 今日買ったオフィシャル・ガイド(この時期に出て満足な内容のはずがないのは、充分承知である)を購入して、この戦闘機「散香」の設定資料を見たら、もうストレートに「震電」だった。大きな違いは「散香」が二重反転プロペラだという事くらいで、その他は小さな違いとしてエア・インテーク周りが無骨になっているのと、主翼の中央あたりから上反角が付いているくらいである。 だが予告編の戦闘映像を見る限り、そんな些細な部分は判らないから、これはもうストレートに「震電」だと言ってもいい。
いずれプッシャー・タイプのいわゆるエンテ型レシプロ機なので、当然ながら現代のジェット戦闘機による空戦とは動きも音も全然違うはずであり、そういう意味で押井監督の演出する「震電」がとても楽しみである。なにせ過去、「震電」が本格的に活躍する映画など見た事がないのだ。もしかしたら世界初の快挙になるかもしれないではないか。 セールス・トークなのだろうが、宮崎駿より空戦に関しては自分のほうが上だとインタビューでも発言しているので、少なくともかなりの自信があるのは確実だ。
ちなみに敵の「スカイリィ」は、フォッケウルフの試作機Ta152Cに似ていると思う。少なくともノーズから胴体までのラインはそっくりで、これにスツーカのようなガルウイングの主翼が付いている。こんな戦闘機が出てくるのだから、やはりこの空戦は楽しみになる。
今日も粗仕事、と書いてからもう一週間である。本当に早いものだ。そして今日も粗仕事である。
ところで現在、会社では楽天メインのプロ野球とサッカーの話題ばかりである。私にはつまらない話なのだが、皆嬉々として話している。 この会社では、娯楽としての本や映画がなんの役に立つのかというアホウが多いが、ではプロ野球はどうなのだ。これこそ人生のプラスになど微塵にもならない、文化として考えたらただのカスでしかない。サブカルチャーにすらならないだろう。 それがニュースで取り上げられるのは、パチンコと同じで金になるからだ。ひとえにプロ野球の存在意義とは、色々な人が金になるからやっているという事だけである。それをわきまえた上で見ているのなら許すが、大概の人は勘違いしている。
しかしこのうちの一人が、野球とサッカーと仕事しか興味がない生活を送ってきたから、例えばロックというものかどういう音楽が判らないという。別にプログレだのヘビメタだのグランジだのの区別を一般人が知る必要はないが、ロックという概念すら判らないというのもどうかと思う。 クラシックにしても演歌にしても、なんとなく判る程度で充分だが、やはりそれなりに知っておくべきだと思うのは、もしかしたら現代では間違っているのかも知れないなぁ…。 今の人間は、何も考えなくて生きていける訳だ。
そんな夜、久々に聞いた「スケバン刑事 ラストメモリアル 〜麻宮サキよ永遠に〜」は音が悪い。さすがは1980年代のCDだ。どうでもいい事だが…。
野田大元帥がついに亡くなった。 74歳だから私の父親より若いのだが、以前から心臓に問題があったとか言う噂を聞いていたから、時間の問題ではあったのだろう。でも74歳とはいえSF界では長期にわたって活躍したおり、その貢献度は実際の年齢ほはるかに越えるものだったといってもいい。亡くなるにあたり、まさに「お疲れ様でした」という事場がぴったりの人だ。色々な意味で、良い人だったのだとつくづく思う。 ちなみに彼の小説では「レモン月夜の宇宙船」と「あけましておめでとう計画」が大好きだった。特に前者は良い小説である。久々に読み返したいが、どこに埋まっているのだろうか。
そんな夜、何故か「トランスフォーマー」を見てしまう。もちろんアニメではなく昨年の映画のだ。 しかしこれ、前半はかなり見るのが辛い。青春部分は全てカットして欲しかったくらいだ。もうこういう展開は、私には耐え難い。映画館で見ていたら、どうしようかと悩んでしまった事だろう。 また金属生命体が人類より進化しているはずなのに、いかにもチンピラのような話し方をするのはどうかと思う。この話し方を聞いていると、いかにもアニメっぽくて一気に冷めてしまう。あまりにも子供を意識しすぎて、ステレオタイプ(しかもかなり古い)にしてしまったのかも知れないが、これは失敗だろう。 それもあって、やはりマイケル・ベイという監督は人物描写か下手だと感じる。その上、本編のテーマとは全然関係ない話を入れるのが好きなのか、どうもテンポが良くない。私はこの人の撮影スタイルは嫌いだ。
しかしCGIによる車輌の走行シーンの描写は素晴らしい。見事なまでに本物の重量感が表現されている。変形しなかったら騙されているかもしれないほどに自然である。もはや日本はこの分野でも完全に立ち遅れてしまっているのが良く判る。テクニックといいセンスといい、とても海外に太刀打ちなど出来ない。 ただF22の変形に関しては、マクロスのバルキリーの方がはるかに素晴らしいと感じる。もしかしたらバルキリーは、世界的に見ても珍しいほど素晴らしい変形メカだったのかも知れない。というか多分そうなのだろう。 問題なのは表現方法が進歩していないというだけなのだ。まあ学習不足と言い換えても良いが。
いずれ「トランスフォーマー」は、映画としては駄作だが(まあ「アルマゲドン」程ではない、と思う)、その表現には見習うべきものが多い。そういう困った映画である。
2008年06月05日(木) |
「殺戮のチェスゲーム」は長い |
夜にいわさきさんから電話。 6月の宴会の件とちょっと雑談。どうも6月21日開催の線が濃厚になる。 でもやはり昔からSF仲間と話していると、飛躍的に思考回路がショートショートして楽しい。多少はアタマの体操になっている、のかもしれない。
夜中にようやく「殺戮のチェスゲーム」読了。長かった。 上中下の全3巻という長さ(1600ページ強だ)は、やはりこの年になると少々きつい。目も気力も悲鳴を上げてしまう。だからこの内容なら1000ページ位でも良いような気がしてしまうのは仕方がないだろう。 ただこの小説においては、各キャラクターの心情の変化を描くには確かに必要な長さなのかも知れない。ハロッドとマリア・チャンの関係など、これはある意味大長編でないと成立しない展開かもしれないだろう。まさか最後でハロッドがこんな行動を取るとは、かなり意外だった。もっともそれに対してのマリア・チャンの言動は、もはや理解しがたいものがあるが…。 ちなみに全然関係ないが、「楽勝!ハイパードール」のナチ関係者の名前の一部は、明らかに「殺戮のチェスゲーム」から引用されている。これはちょっと面白い。
しかし全体像としては「カーリーの歌」とベクトルが正反対だ。「カーリーの歌」では悪に対しててあっても暴力の行使を否定しているし、恐ろしい事に肉親の死という状況ですらこれは貫かれている。これに対して「殺戮のチェスゲーム」では、悪を倒すためには同等の暴力の行使が必要だと、完全に暴力の肯定になっている。同じ作家が時期的にも近い作品で正反対の思想内容を描くというのも、近年珍しいのではないだろうか。
ところでこの作品、文章の仕掛けに気づけば、あるキャラは最後まで死なないのではないかと早々に気づくのが問題点と言えるかもしれない。なにせそのとおりだったのだから。 意外な人物が早々に死に、死ぬだろうと思った人物が最後まで死なない。そういう意味ではすっきりしない部分もあるが、人生なんてそんなものだ。
数年かかって「ハイペリオン」以外のダン・シモンズ作品を読んできのだが、現在のところ一番気に入っているのは「ダーウィンの剃刀」だ。 とにかくご都合主義でアクションがどんどん展開する、これこそ今のハリウッド映画にぴったりな作品だろう。そして後半はバレット対ドラグノフの狙撃戦(しかも狙撃の描写が正しいのがうれしい。1対1の撃ち合いではないのだ)となるあたり、実に燃える。この小説はふつうのアクション作品3本分の面白さを秘めている。どこかで版権を買って、さっさと映画化するべきだろう。
そしていよいよ「ハイペリオン」に着手するのだった。
2008年06月04日(水) |
カメラのメカは面白い |
ペンタックスからデジタル一眼レフの「K20D」が出た。 今回はあまり興味がわかなかったのでスルーしていたのだが、あるブログを読んでいたら、実は連射性能が文字通り桁違いに凄い事が判った。 どの位凄いかというと、通常のデジタル一眼タイプでは秒間3〜5コマというのが多い。6コマなら高性能という感じである。それがこの機種では、高速連射で「約21コマ/秒(1536 x 1024 ピクセル)」にもなるのだという。文字どおり桁が違う。映画のフィルムは24コマ/秒であり、日本のアニメーションは18コマ/秒だといえば、その恐ろしさが少しは伝わるだろうか。連射したものをそのまま再生すれば、これはほとんど映画並だという事だ。もちろん制限はあってJpegオンリーになるらしいが、それでも恐ろしいほどに凄い性能だといえる。 このブログでは実際に連射した内容を続けて再生していたが、本当に映像である。ネットで見るだけなら充分すぎる性能だといえる。これは確かに一度使ってみたいものだ。
ただしバッファがJPEGモードで1.6Mなので、約115コマまでしか連射は出来ないとの事だ。つまり約5秒しかもたない計算になる。これでも実はとんでもない性能なのだが、やはりここは「K20D」に愛情を持って「イングラム」という愛称をささげたい。
カメラついでなので。 最近はあちこちで言われ始めたが、どうもデジタル一眼の大きな問題点としてピントが合い難いケースが想像以上に多いようだ。やはり所詮は電子機器でフィルム時代にはなかった問題である。肝心な時にピントが合っていないのではどうしようもない。 フィルム時代には「合焦しにくい対象」はあったが、デジタルでは「機械側ではピントが合っていると判断している」から、根本的に厄介なのである。これは早急に何とかしてもらいたいものだ。私のように目が悪い人間には、AFとは救いの神なのである。
またキャノンは高感度時のノイズの少なさでは定評があるが、これはデジタルになる前から暗い状態でAFのピントを合わせるための技術を培ってきた結果なのだという。AF合焦時にノイズが多くては精度が悪くなるため、フィルム時代から独自にノイズの除去は行ってきた訳である。 やはり丁寧な製品作りは、決して無駄にはならないのだ。
またも会社で呆れる。本当にこの会社の連中は物を知らないが、それでいてそれを知ろうという意志がない。完全に権威主義なので、偉い人の言う事なら間違っていても信じてしまう。 常識レヴェルですら全然ダメだというのに、本当に呆れるばかりだ…。
会社で呆れて、バカバカしくなったので、帰宅後はyoutubeで遊ぶ。 なんとなく「太田裕美」「渡辺真知子」「水越けい子」「キャンディーズ」などと見ているうちに「八時だよ!全員集合」にまで到達してしまった。まあゲストとして参加している人が多いので、思ったよりは色々ひっかかるものだ。 しかし「八時だよ!全員集合」は、今でも充分笑えるレヴェルのネタが多い。もちろんベタな部分や今ではあまり面白くないと思える部分もあるが、基本的に間の取り方が絶妙なものほど後に残っていると感じる。 あれが全て生放送だったというところに、モンティ・パイソンとは違う、日本の様式美としてのギャグを感じてしまうのは私だけではないだろう。一つの時代を作った傑作だと言ってもいい。おそらくあのフォーマットで毎週やる番組を作るのは、少なくとも今のテレビ界では不可能だろう。
ついでなので「Jeff Wayne's The War Of The Worlds」の2007年のライヴを探して見てしまう。やはり傑作だ。イギリス盤しかないが、是非DVDが欲しいものである。 というか、こんな傑作を国内盤として発売しない日本の音楽界は異常だ。はっきりと無能の集団と断言してもいい。別に今更奇麗事をいう気はないから、儲けるためのカスみたいな音楽があっても全然構わないとは思う。それで儲けた金を傑作へ向けるなら何の問題もない。 だが儲けるばかりで何一つ傑作を出さないのは、もはや犯罪行為だ。カスを出すのは、傑作が出ているからこそ許されるのである。そのところを勘違いしないでもらいたい。
ところで正明さんの家でもちょっと話したが、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」は元歌があると言われている。多分れは正しいのだろうとは思うが、一番影響を受けているのは「荷馬車にゆられて」だと言う人はいないのではないか。 時期、内容、そしてこの歌を歌っている西玲子のバックを太田裕美本人が務めていたという事で、いろいろと想像できるではないか。 近々、少し真面目に検証してみよう。
そして「殺戮のチェスゲーム」もいよいよ佳境である。残りは200ページを切ったのに、それですら展開が全然読めない。この辺はさすがである。もう少しだ。
実は昨日から後部シートベルトの装着が義務化された。 例によっての取締りのための制度だろうが、本当に大きなお世話だ。本気で事故を減らしたいなら、他にやるべき事はいくらでもあるだろうに、本当に無意味な事の好きな連中だ。そもそも守るべきは歩行者の安全であり、何をおいてもそれを最優先にしなければならないのに、最近は歩行者の安全は蔑ろにする教育を行っている。 いくら歩行者からは金を集められないからといって、それでは警察の意味はない。さっさと分割民営化すればいい。
それでもこんなくだらない事で初日からつかまるのもバカバカしいし、そもそもそれで困るのは運転者なので、チャウチャウの車では全員がシートベルトを装着していたのだが、やはり所詮は軽だけあって、微調整がきかない。やはりこういうところで軽と上級者の違いが出てくるのだろう。まあ当然といえば当然だが。
ところで昨日書き忘れたが、正明さんの車がミニパジェロに変わっていた。 前の車は走行中に車軸が折れたとの事だ。でも折れたのであわててディーラーに行ったが、車検や購入者以外に代車は出せないというので、「じゃ、これください」と買ったそうである。 私は思わず「包まなくていいから、と言わなかった?」と聞いてしまったが、車が生活必需品であるこういう場所では、もしかしたらあまり珍しくもない光景なのかもしれない(本当か?)。
それと、うちの支店には福島からの転勤者も多いのだが、その人たちに「栄ちゃん山の家」というと皆懐かしがる。やはり福島市内からだと手軽なロケーションであり、一人でも家族でも良く行ったという人ばかりである。一般人にまでこんなに知られていたとは、今更ながら驚いてしまう。 いずれ1980年代はここでコンヴェンションを開催し続けたのも、今となっては素晴らしい思い出である。ただし記憶はとんでもなく錯綜している。記録された映像を見ても、やはり年代がはっきりしなかったりして、人間の記憶とは曖昧なものだと実感する。 少なくとも全ての人に共通しているのは、楽しかった事だけは間違いがないという事だ。本当に凄い時代だったのだと思う。 参加した全員に感謝である。
今日は板谷の正明さんのところへ行く。メンバーは、チュウジさん、尾崎さん、チャウチャウと計4名である。参加予定だった。Jemさんは都合によりパスとなった。残念也。 ちなみに今日になったのは、正明さんの入院検査の合間という事で決定した。やはり退院してすぐは体力も落ちてなかなか大変なのだ。
さて、今回はチャウチャウの車で移動である。 これは彼がダイハツのタントを購入したので、その実力を確認するためという二次目的もあった。という訳で「軽自動車に大人4人」という少々きつい条件で出かけたのだが、これは車軽自動車なのに中が異様に広い。広すぎると言ってもいいくらいだ。したがって居住性の点ではなんの問題もなく、あとは走行性能の確認だけである。 結果からいえば、昔の1500クラスの車と大差はないといえる。多少坂ではパワー不足な感じはするが、きびきびと良く走るのには驚かされる。恐ろしい時代になったものだ。
そうこうして正明さんちには13時過ぎに到着。今日は体調が良いようで、まずは一安心。 いつものチュウジさんのお土産は「初代ゴジラと国会議事堂」である。実は私も探していて一度も現物を見た事がなかったものだ。いいなぁ。 飲み物とおやつを持参したが、正明さんは「リッツ」と「パタピー」で出来ているというので、次回は忘れないようにしたい。ポカリスエットやアクエリアスのような飲み物は良くないらしいので、これも注意が必要だ。
それはともかく、今回も例によってのバカ話に花が咲く。元々が皆SFファンだが、どうしてSFファン同士のバカ話はこんなにも楽しいのだろう。なんというか「知的なバカ」という表現がぴったりなのだが、やはり全員の守備範囲が広いので縦横無尽に話題が飛び回るのに、皆がそれをきちんとフォローできるから楽しいのだと思う。やはりこれは快感である。 だから最終的にいろいろな話が出たのだった。そんな中でもチャウチャウの鉄っちゃん度には、皆が凄いと感心してしまう。あれは真似できないレヴェルだ。
こうして実に楽しい時を過ごさせてもらった。あまりに楽しくて18時を回った事に誰も気がつかなかったくらいである。本当はもっと話していたかったが、明日は皆会社なので仕方なく退去したのだった。 また遊びに行きたいが、検査入院の都合もあるので早めに連絡して欲しいそうだ。という訳で、次回はなるべく泊まりで遊びに行きたいものだ。
ついでなので、話の中で出た「ダンボ」の件について。 実は映画「1941」の話題が出て、あの中で何故アメリカ人があれほど「ダンボ」で泣くのか良く判らないという話になった。実際我々には、一種のアメリカンドリームの話であり、そこまで泣ける理由が判らないのである。結局その結論は出なかったが、では「ダンボ」の公開年はいつだったのだろうという疑問がチャウチャウから出たのである。 これについては帰宅してから調べてみた。ディズニーのアニメ「ダンボ」は1941年10年23日にアメリカ公開、スピルバーグの映画「1941」は1941年12月13日の設定だそうだ。つまり司令官が「ダンボ」を見て泣くシーンの時代考証は正しかったのである。 勉強になるなぁ。
いずれ正明さんも含めて、全員にお疲れ様&ご苦労様である。精神的に若返る一日だった。 ちょっとだけ気になる発言もあったのだが…。
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