どんぐり1号のときどき日記
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という訳で今日はほとんど寝ていたのだった。そして腰が痛くなる。
それでも午後にはほぼ治ったようなので、ネットを覗く。丸二日ネットから外れていると、たまった情報が多すぎて、処理できない。読む事はできるが、自分の中で咀嚼する余裕がないのである。定期的に覗いているという事は、何かあると一気に情報収集が難しくなるという事だ。
途中でチャウチャウと30分ほど電話。ブツの引渡しなど。
夕方、どんぐり2号が「ゲバラちえ子の革命的日常」を見つけてくる。これは出ているのを知らなかったので、ネットでいつ出たのかチェックしたら、当然のように4月発売と書いてあったが、同時に「地球防衛家のヒトビト(3)」と「ここ7年くらいの女のヒトを描いたマンガ」も出ていたと判明する。 特に後者は連載自体知らなかった作品だ。連休中に見つからなかったら、ネットで発注してしまおう。
さて、今日の夜は、いよいよ「怪奇大作戦セカンド・ファイル」がBSで放映となる。はっきり言って現在のNHKなので、完成度には全然期待していない。素晴らしい作品が作れるはずなどないと判っているのだ。 それでも見たいと思うのは、やはり「怪奇大作戦」が大好きだからだ。つまりこれを見る事で、現在のNHKのレヴェルがはっきりと判るのである。
帰宅である。 お土産を買うために久々に旧ビブレ、現さくら野に行った ここで台湾のかき氷というかアイスというか、まあ凍らせたバニラ・アイスをかき氷のように削ったものを食べる。不安だったので三人で一つにしたが(一皿500円である)、これは正解だったようだ。やはり日本のお菓子メーカーというのは優秀である、という結論が出たのだった。
同じエリアにあったワーナー・マイカルの映画館は本当になくなっており、代わりにパチンコ屋になっていた。実に哀しい。 八戸から時々に観に行っていたのだが、結局10年ちょっとしか持たなかったという事だ。「マトリックス」や「スター・ウォーズ」など、映像的に大画面で見たい時はここに来ていたので、なんだか哀しいものがある。これで弘前市内の映画館は全滅である。
あとは中古屋に寄ったりしたが、特に収獲はなし。昨日見た金属モーゼル(11,000円也)は欲しかったなぁ。
高速に乗ってしばらくしたら、具合が悪くなる。何度か吐いたがなんとか仙台へ到着。 しかし高速の路肩で停まって吐いた時にたまたまロード・サービスの人が声をかけてきたが、発車する時は、充分加速した上で合流してくれと言われる。そうか、そういう事をしないアホウが事故を起こす訳だ。やはり物理法則はきちんと教育するべきだと判る事例だ。 それでも連休にしてはかなり空いてたのが幸運だった。運転に関してはあまり苦労せずに走れたのだし、気分が悪くなった時、脇に寄せる事も簡単に出来たのだから。 帰宅して、あとは寝てしまうのだった。
墓参りで弘前へ行く。 高速は意外なほどにすいており、北上を過ぎたあたりからは、平日の高速程度の流れになっていたため、結局4時間ほどで着いてしまった。結局行きの道路で一番混んでいたのは仙台のバイパスである。
着いて早々に墓参りをして、帰りに弘前公園へ寄る。 桜祭りの期間だが、3月に寒かったせいもあり満開少し手前で、花見としては丁度良い感じである。人出もそこそこで程よく混んでいた。この位がいかにも花見の公園という感じで、実に良い。出店も混んではいたが、ゆったりと見られたし、子どんぐりは射的を楽しんだりもした。 子供の頃の桜祭りはこんな感じだったので、実にいい感じある。
しかし、お化け屋敷とバイク・ショーを今でもやっていたのは意外だった。特にバイクの方は昔事故があって死者が出たため中止になったと聞いていたのだが、いつの間にか復活していた訳だ(やはりちょっと見たかった気もする)。一体いつから復活していたのか知りたいものだ。
ところで西側には貸しボートの営業をしている堀がある(私はここで、サンダーバード2号を沈めてしまった事もある)。今回はフルに貸し出していたようで、実に祭りらしい雰囲気だ。「しらかば」としうボートも健在である(右舷の記述は、当然反対読みになる)。 その堀の向こうに、昔は小さな水族館があったのだが、意外と皆知らないようで、一体いつまで営業していたのか、ちょっと気になる。確かアシカもいていつもボールで遊んでいたはずなのだが…。
帰りは歩いて土手町を下っていく。そう言えば中三の下にあった防空壕はいつ埋めたのだろう。これも気になってしまう。 途中にあった中古ゲーム屋もだいぶ縮小していたが、金属モーゼル(11,000円也)はちょっと欲しかったなぁ。
夕飯は皆で寿司。その後アオレンのリンゴ・ジュースを一箱買いに行く。子どんぐりが好きだし、仙台ではあまり見かけないのもあるし、ここなら安く買えるのもいいのだ。確かにこのジュースになれると、他のリンゴ・ジュースはイマイチなのが多いと思ってしまう。
今日は天気も良く、なかなかのんびりとしていい雰囲気の一日だった。
明日は弘前である。どうせ行くなら混んでいる時でない方が良いのだが、仕方がない。
会社で最近思うのだが、現在の社会は幹部のほとんどが営業出身であり、売った業績を元に上に行く。 だが他の人より売ったと言う事は、独自の方法論が独特で、実はそういう独自のスタイルは伝授できないのだ。伝授できるような程度のものでは役に立たないからである。つまり営業で優秀だった人間は、優秀な教育者にはなれないのである。
それほど優秀ではなくとも、やはり現在上にいる人間は教育に関しては素人と変わらない。 最近よく問題になっているのは、まず仕事をあてがってから効率を考える点だ。当然考えついた頃には社員は疲弊しているので、効率の問題はなおざりになる。これは営業系の考える最大の問題だ。 例えば工学系は、まず効率を良くしてから仕事をあてがうと考える。つまり現状でスペースを作ってから空いた部分に作業を入れるのである。これなら時間は多少かかっても効率は良い。 だが現在の営業系の考えだと、まず作業をあてがってからスペースを作ろうとさせるため、時間もかかるし、そもそもやる気が起きなくなる。
ひたすら根性論では太平洋戦争でなぜ日本が負けたのか、全然判っていない事になる。さぞや死んだ人たちも浮かばれまい。 つまり現在の異常な労働条件の一因は、営業出身のろくに物を知らない連中がトップになったからである。いや一因というより、かなりの部分がそうだと言えるのだが。
そろそろ連休の予定を確定させないといけない。とりあえず前半は弘前へ墓参りを兼ねていく予定だ。
ところで先日、mixi内で「冒険者たち」をネタに取り上げて、結構盛り上がったのだが、会社で40歳くらいの女性に聞いたら、もうアラン・ドロンを知らない世代なのである。 もちろんこの会社は、仕事の事意外は何も知らなくて良いという人ばかりなのであまり基準にはならないが、それでも私より10歳くらい下になるとそろそろ人気も翳り始めた頃なので、ファンというのも少なくなっているのは想像できる。 まあ映画スターというのは水物だから仕方がないが、やはり昔のソフトが安く手に入るのにあまり売れていないというのは、なんだか哀しいものがある。
しかし「冒険者たち」でのアラン・ドロンはルガーP-08を実に自然に扱っているし、射撃時にも目をつぶらない。やはり銃を知り尽くしている人間だ。 そしてP-08というのは、ステージ・ガンとしては実に難しい銃だという事もmixi内で知った。あの独特のトグル・ジョイントが、空砲だと上手く動かないので、ちょっとした工夫が必要なのだという。
ここで思ったのだが、「チャーリーズ・エンジェル」でP-08の乱射シーンがあるのだが、あれはデジタル・ファイアリング・エフェクトの可能性があるという事だ。あれだけ激しいアクションでの射撃である。不発に終わるロスを考えたらデジタル処理を、となるのが普通だ。 つまり、意外とP-08の活躍する映画は少ないのだ。
先日子どんぐりを撮ったフィルムを現像に出す。
出来た写真を見たら、なんと貞子が写っているではないか。これは現像した店の人も焦ったのではないだろうか。 実は大沢温泉でのESIFCONで、菅野嬢を撮ったものだが、確かに怖い。そして池端1号嬢と共に撮った「ツイン貞子」の写真もあった。これは二人揃って左右にふすまを開けている。怖いぞ〜。 会社でちょっと女の子に見せたら、「マジ怖いんですけど」と言われる。やったね。
しかしそんな昔の写真をまだ現像に出していなかった訳で、これはこれで困ったものである。多分まだ一本あったはずだ。
いずれこれは、早いところ菅野さんに送ってあげなければ。
ロシアのエリツィン氏が亡くなったそうだ。やはり酒か? と思ったのは私だけではあるまい。 でも「旧ソ連解体を主導、新生ロシアの改革を推進した」という記述にはなんだか違和感がある。これはゴルバチョフがきっかけだったと思うのだが。そういう意味では、旧ソ連という体制の中で、そんなとんでもない事に手をつけた彼の方が偉いと思ってしまう。
ところで、大阪のJR線内での強姦事件だが、犯人は何度も犯行に及んでおり、今回の犯行時も公判中だったという。こういう性犯罪者が同じ事を今後も繰り返すのは、アメリカでも犯罪調査で証明されているのに、日本の警察は加害者の人権を守る事しかしない。無能である。 しかも公判中なのに簡単に犯罪を犯している訳で、こうなると本当に警察はあてにならない。
もちろんJRも東日本以外は旧国鉄の体質が抜けておらず、乗客を守る事など期待できない。通報者の身元など、簡単にJRまたは警察から漏れてしまうご時世だ。特に関西の警察は情報収集の関係上、暴力団組織との繋がりが強く、警察のメンツさえつぶさなければ大概の事はなんとかなる。
警察ですらそういう地区である。まして国鉄体質が抜けていないJRは保身に走るトップばかり、うっかり通報などしようものなら後々加害者に付きまとわれる事になるのは明白だろう。 だから誰も通報できなかったというのも情けないが、だからと言って警察があてにならないこの社会で、乗客ばかりを責めるのも酷だ。うっかり通報して殺されても、結局は泣き寝入りしか出来ない国なのだ、今の日本は。
本当に今の警察は役に立たないどころか、市民の敵にすらなりかねないのである。真面目に警察の改革が必要だが、、そんな勇気のある政治家など、いる訳もない。酷い国である。
ちょっと珍しいルートで、押井監督が現在製作中の映画の情報が入ってきた。 内容からして短篇も短篇、またも雑誌の付録なのかもしれないが、今度は「真・女立喰師列伝」なのだそうな。 これだけでもかなり意外なのだが、さらに驚いた事にその主人公は、ひし美「アンヌ」ゆり子氏なのだという。彼女の役は「鼈甲飴の有理」と言って、背中に金魚の刺青をした伝説の女立喰師なのだとか。
この情報が確かだとすると、押井監督は好き勝手にやっているなぁ、と思ってしまう。確か別の長編アニメを手がけているはずだが、と心配になるが、以前もパラレル進行をやってるから、別にいいのかもしれない。特にこれはお遊びだろうし。
ただ「立喰師列伝」のテーマから次第にずれているのは間違いない。前作の「女立喰師列伝」からしてテーマがずれていたのに、これでは完全にスピンアウト作品になってしまう。 そもそも「立喰師列伝」は、その原作が非常に素晴らしい出来だった。偽の昭和史でありながら、実際の昭和史の裏を鋭くえぐり、失ったもの、というよりあえて切り捨てたものを浮かび上がらせた手腕は大したものである。私はこの作品をして彼は小説家の仲間入りをしたと断言する。それほどに素晴らしい作品だったのである。
だがその映像化にあたり、やはり予算という大きな壁は崩せず、戦略としてああいう映画にならざるを得なかった訳である。それはそれで面白かったが、どうしても小説のダークさは出てこなかった訳で、それが非常に不満でもあった。 多分それは監督本人が一番判っているのだろうが、どうしようもないというのも一番判っている立場である。だからこそ「女立喰師列伝」を作って鬱憤を晴らしている、というところなのだろう。雑誌連載のマンガとの兼ね合いもあろうが、多分押井監督は、雑誌社を手玉にとって良いように操っていると思うのだ。 そういう意味では、完成作品が楽しみでもある。
ブルー・エンジェルスが、久々の墜落事故を起こしたようだ。ただし今回は1機の墜落である。以前のような編隊全機の墜落ではない。 もちろん海外では航空ショーに危険はつきもので、現場で被害にあってもそれは自己責任の部分もあると認識されているから、少なくとも観客はその覚悟で見に行く必要がある。問題は周辺住民が被害にあった場合で、今回は住宅に被害があったらしく、少し揉めそうだ。
戦闘機といえば、数々の延命策にも限界が来たF4EJ改の後継機が、F22AとF15FXに絞られたようだ。 しかし時期が悪い。あまりにも悪すぎる。現在F22はまだアメリカ議会の輸出許可が出ていないが、それに代わる高性能の戦闘機がアメリカに存在しない。そもそもF22は250億、F15FXですら100億はするという代物である。もちろん一機の価格だ。
ここで防衛省には、F15FXを先行取得し、解禁を待ってF22Aを導入、2機種の組み合わせで「質と量」を兼ねるという案が浮上したらしい。 これはHi-Low-Mixという考え方だが、これが出たのはF15導入時のアメリカで「F15が高すぎて量でカヴァーできないからF16で補う」必要があったからだ。それが今度はF22が高すぎるからF15でカヴァーとは、日本も金持ちになったものである。 だが確かに他の候補であるF/A-18はただの当て馬だし、フランカー・ファミリー、ユーロ・ファイター、グリペンなども全て同じ扱いだ。そうなると、国産F-3の開発という手もあるが、あまりにも時間がない。機体のモックアップはあるが、まだF-3としての性能確保までは行っていないのが現状である。
結局今回は、選択肢があまりないのである。なんだかアメリカの軍需産業に、いいように扱われそうだ。
午前中は会社。あ〜、面倒。
午後、子どんぐりの要望で万代書店へ行く。 私は「サブマリン707R」の「707」「ジュニア1」「ジュニア2」、「初代707号」、「マイクロ水中モーター」をそれぞれ300円で入手できた。これはちょっとラッキーだったかな。あとはなんとか707の2世が欲しいところだ。
帰りに「映画秘宝」を買ったが、これはどんどんつまらなくなっていく。マニアックの度合いが低くなっているのだ。最近は邦画寄りの記事の比重が高くなっているが、そうなると内容的に批判じみた事が書けなくなっていくのではないだろうか。それが心配だ。
そして以前から復刻ネタで盛り上がっていた旧イマイのゼロエックス号復刻計画だが、結局価格は19,800円という、とんでもないもので予約が始まった。限定3,000個らしい。 だがこの価格では、はっきり言って私は絶対に買わない。ミラクルハウスが決定版という物を出した現在、復刻プラモデルにこの金額は出せない。なぜゼンマイをオミットしなかったのだろう。これだけでも価格は全然違ってくるのだ。少なくとも胴体延長ユニットを加え、ゼンマイの穴を塞ぐパーツをつけてディプレイ・モデルで出すべきだったろうし、そもそもバンダイ側はそれを提案していたのだ。 もう初めからネットでの値上がりを見込んだヴァカ者たちの餌食になるのは目に見えているが、昔のファンがこんな価格に手を出すとは思えない。
多分この企画は失敗だ。製作側と消費者側の求める物にあまりも大きな溝が存在するようだ。
全然関係ないが、WA2000の検索をしていたら、なんとスナイパー・レンズにレフレックス・レンズを装着しているモデルの写真があった。スナイパー用としてこの手のレンズを使う事もある訳だ。ちょっと意外ではあった。
2007年04月20日(金) |
「冒険者たち」を見る |
久々に「冒険者たち」を見る。公開年を調べたら、丁度40年前の映画である。
これは男女3人の友情を扱った、年を取ってはいるが青春映画なのである(これは見れば判る)。男女3人の友情というところがミソで、意外とこういうパターンの映画は見当たらない。大概は後半愛情問題にこじれていくからだが、この映画ではそこがたくみに回避されている。フランス映画だからこそ、と言える。 いずれこの作品は、青春映画ジャンルの傑作の一本である。少なくとも映画好きなら見て損はない。この部分については世の評価が定まっている映画なので、その辺の映画評を見てもらえば内容は判るだろう。
ここから先は一般的な映画評ではあまり出てこない部分だが、アラン・ドロンは拳銃の扱いが上手いというのが良く判る映画でもある。 私は昔から、ガヴァメントを持たせたらアラン・ドロンとスティーヴ・マックィーンの二人が最高だと思っていたが、今回改めてこの映画を見て、二人の違いに気がついた。
マックィーンは動きが自然ではあるが、映画的に見栄えのいい見せ方を心がけている。だから実際に止まっている訳ではないが、一瞬の留めが感じられる。 アラン・ドロンは自然そのもの、体で覚えているそのままに銃を扱っている。だから動きに無駄がなくかなり素早い。
こんな感じの違いだろうか。 どちらもメカの扱いには慣れているのだが、若い頃はその表現の違いがまだ映画から感じ取れるのだ。後年はアラン・ドロンも留めが感じられる演技になったが、まだこの頃はストレートである。これは無駄な動きは避け、短時間で実戦体勢に入るという軍隊の記憶があるのかもしれない。
そしてアラン・ドロンは、射撃時に目を閉じていない。彼は極々自然に撃って目を閉じていないのであり、俳優としては意外と珍しいのではないだろうか。今でこそ必要なら、CGで閉じた目を開いているように加工するケースもあるが、この当時はそんな事をする映画はなかったので、俳優の素質がそのまま見られた時代でもあった訳である。 俳優になる前はかなりケンカっ早く(人を殺したという噂もある)、また軍隊の経験もあるだけに、この頃の演技としては、見栄えより本物志向だったのかもしれない。
いずれ当初の日本では二枚目俳優として人気が会ったが、本人はかなり殺伐とした雰囲気の演技が出来る人だったのである。もちろん私も当時からそういう目で見ていたが、それもこれも銃の扱い方を見て判ったのである。 趣味で人柄を見られるという事もある訳だ。
しかしあの軍艦島が最終的な安息の地だったと思われるが、今の廃墟ブームを先取りしていたように感じてしまう。
ネット発注していた「スター・ウォーズ スカルプティング・ア・ギャラクシー ミニチュアモデル完全ガイド」が届く(題名が無駄に長いぞ。これだったら原題の方がよほど判りやすい)。
これはスター・ウォーズ・シリーズで使用されたミニチュア・モデルの本で、5,985円もする。だが高いだけあって、こんな物もミニチュアが作られていたのかと驚く物も載っている。特に新シリーズはほとんどがCGIだったので、ミニチュアを作る意味があったのか、疑問だったのだ。 だが映像を作るのは人間なのである。色々な参考用にミニチュアがあった方が良いケースもあるし、そもそも費用対効果の問題で、CGIの方が良い場合もあれば、ミニチュアの方が効果的で安く上がるケースもある。文字通りのケース・バイ・ケースなのである。
しかしこれだけの資料になると、洋書の方も欲しくなる。多分洋書の方が写真は綺麗だからだ。 以前買った『未来映画術「2001年宇宙の旅」』は洋書も翻訳本も持っているが、写真の綺麗さでは洋書が圧倒的に勝っているし、微妙に写真の数も違うのだ。 これは映像ソフトと同じだが、原版から直接作る訳ではないからその分写真は甘くなるのであり、実際に並べてみるとその差は歴然で、かなり驚くだろう。 写真の数については、多分レイアウトの問題、日本人の好みの問題などがあるのだろうが、増やすならともかく減らすようなマネはして欲しくない。
こういう資料保管という考え方の面では、日本は欧米に50年は遅れている。もしかしたらこの差が縮まる事は今後ありえないかもしれない。
今日は石巻の某工場の見学。 やはり大きな機械が動いて物を作っている様子は、実にサンダーバーディである。
そんな平和な日常とは相変わって、アメリカで乱射事件が起きた。 まあ州によって法律は異なるが、少なくとも自宅に置く分には誰でも自由に銃を所持できる国なので、こんな事件が起きても別に不思議ではない。被害者の数が多いとニュースになるが、実際のところこんな事件は文字通り日常茶飯事な国なのである。
それよりも、長崎市長の射殺事件の方が問題である。なにせ日本は、建前上だが一般人は銃を持っていないはずなのに、いとも簡単に銃撃事件が起こる。そして例によって警察は無能だ。ここまで銃が拡散するのを指をくわえて見ていたのか。もちろんいくつか事情はあるのだろうが、それを打破できなかったのだから、やはり警察は無能だとしかいえない。
特に、ヤクザばかりが当然のように銃を持っている社会というのは絶対におかしい。一般人も自衛のために持っているというアメリカのような社会ならともかく、一番危険な連中が銃を持ち、一般人は丸腰、そして本来頼りにするべき警察は無能で役に立たないときている。 つい最近でも警察の目の前でヤクザに連れ去られて殺された事件があったが、警官がヤクザの犯罪に対して見て見ぬふりをしているのが日本の実情なのである。
こうなると根本的に警察官に拳銃は不要だろう。特殊部隊を作って彼等だけが持てばいいのだ。実際に凶悪犯罪の時、一般の警察官は何の役にも立っていないし、ここ数年では警官の自殺に使われる例が一番多いのではないだろうか。あるいは暴発事故あたりだろう。
もっとも暴発事故というのは絶対にウソだ。あれは確実に引き金を引いている。つまり拳銃の扱いという基本事項に対する教育が全然なっていないという、ただそれだけの事である。 日本の拳銃事情に関しては、マニアの方がよほどしっかりしていて、警官が一番危険な存在だろう。
そもそも戦後から今まで、拳銃ルートが解明された例が1件でもあったのだろうか。多分ないはずだ。今回もなんの収獲がないまま幕引きというところか。たいした法治国家である。銃に関しては放置国家か…。
結局、ニュー・トロルスに行くなんて言うのは夢のまた夢になってしまった(フォルムラ・トレに「夢のまた夢」というアルバムがあるなぁ)。 今回は「コンチェルト・グロッソ」をパート1〜3まで、3時間に渡って演奏したそうだ。やはり見たかったが、なかなか面白いネタも披露したらしい。
途中でヴィットリオが間違って別の曲を歌い始めてしまったため演奏が止まってしまったのだが、ここでギターのアンドレーアが「Smoke on the Water」のイントロを弾き始めたのだそうだ。このあたりは生で見てみたかったものだ。 多分ライヴ・アルバムが発売されてもカットされるのは目に見えているので、こういうのはブートが一番なのだが、今回は3時間を越えるというから、仮にブートが出ても、かなりいいお値段になるだろう。それでも出れば売れるのだし、私も金に少し余裕があれば欲しいところだ。
言っておくが、ブートというのはこういう楽しみ方をするための物だ。一般で発売されない内容を聞きたいがためにブートを買うのである。市販の音源をブートで買うのは、ただのバカ以外の何ものでもない。
音楽業界も、本気でブートをなくしたいなら、全ての音源を出すくらいの覚悟が必要だろう。少なくとも一度出したソフトは、いつまでも市場に供給する義務がある。それもせずにブートを取り締まれなど、片腹痛い。
最近、バカ親が子供を殺してしまう事件が多い。もちろん単に殺すと言うのではなく、表面上は事故なのだが、誰がどう見ても防げた事故なので、私はあえて殺したと言いたいのだ。しかも新聞やテレビでの扱いでは、どうも論点がずれた批判をしている。 例えば交差点でUターンをしたところドアが開いて子供が落ち死亡したという事件では、チャイルド・シートがどうのドアの構造がどうのと、実にふざけた事ばかり言っている。
まず言っておくが「交差点内でUターンするのは自殺行為」なのであり、子供を同乗させた車がやる事ではない。つまりUターンしたバカな母親が全て悪い。 チャイルド・シートに座らせていなくとも、ドア・ロックがなくとも、少なくとも交差点での急なハンドリングをしなければ死ぬような事にはならなかったのだ。まずは母親の無謀運転を責めてしかるべき事例だろう。
警察も集団暴走している奴等は怖いものだから、一般国民のスピード違反取り締まりに血眼になり、このような実に危険な行為を野放しにしている。 今の教習所を出た連中は、スピード違反でさえ捕まらなければ、あとはどんな違反をしても捕まらないとでも思っているのだろうし、捕まらないのも事実だ。 現状の警察組織のままでは、事故は永遠になくならないし、それで殺されていくのは交通弱者の子供たちなのである。そういう意味では、警察は税金泥棒の集団だと言える。交通事故も犯罪も、減るどころか増え続けているし、さらに悪い事には、警官地震による犯罪が非常に多くなり、しかも悪質になっている。 そのうち複数の警官が共謀して、銃器を使用した銀行強盗をする、なんて事が起こりそうだ。
真面目な警官も多い、なんて戯言を言われても、不真面目な警官が実際に多いのだから、意味がないだろう。強調するが、警官はただのペーパー試験を通っただけの公務員なのに、合法的に人を殺せる。それを国や国民はきちんと認識しておいてもらいたいものだ。
ま、それはともかく。子供の死亡事故の9割は親の不注意である。死ななくて良い命が無駄に散っているのである。
今日は天気も悪く、午後になると肌寒い感じになった。
そんな中、子どんぐりの要望で久々に名取の万代書店へ行く。 しかし何なのだあの渋滞は。たかが10キロに50分もかかってしまったではないか。なんとアホらしい。
着いて子どんぐりがゲームをやっている間に、「20世紀少年」を読んでみる。実はこの作品は読んだ事がなかったのである。ただし時間もあまりなかったので、5巻まで斜め読みである。 ここまで読んだ感じでは、やはり「PLUTO」と構成が似ていると思う。別の作品なのだが、明らかに同一作家の物だと断定できるのだ。同じ時期のマンガだから絵が同じなのは当然だが、まとめて読むと絵のせいではなく構成の仕方で同じだと感じるのである。 だから「PLUTO」が手塚治虫文化賞を受賞したのは、「PLUTO」だからなのだと納得してしまう。この作品は「20世紀少年」と何ら違いはないのであり、浦沢直樹氏が「MONSTER」で手塚治虫文化賞を一度受賞したにもかかわらず、「PLUTO」が二度目の受賞となり、「20世紀少年」が受賞しないと言うのは、やはり主催者側の意図を感じてしまうのだ。
ところで冒頭、本当にT.REXの「20th Century Boy」が出ているのだとは思わなかった。確かに当時のヒット曲ではあるが、この曲から20世紀や21世紀の事を考えた人間などいるとは思いもしなかっただけに驚いた。この曲自体にそれほど深い意味など含まれていないからである。 やはり少々強引なこじ付けにしか感じないのだが、まあ小説だろうがマンガだろうが、導入部には必要な処置なのだろう。
なんだか全巻揃えたくなってしまったなぁ。
いずれ出てくる固有名詞やらなにやら、本当に我々の世代がよく知っているものばかりだ。一昔前ならマイナー受けを狙っている、と糾弾されかねないものなのだが、多分現在の編集者にはピンとこないのだろうし、ましてや読者にも判っている人間がそれほど多かったとは思えない。 もちろん後付けの知識として理解は可能だが、やはりこういうのは同時代性という物の影が見え隠れしているからこそ成立する話なのだ。それが判っていないと、作者の意図の一部は届かないだろう。
関係ないが、この作品の事をWikopediaでちょっと読んでみたら、最後の方に『連載最終話における「2007年新春、最終章登場!!(※早口言葉です。3回言ってみましょう!)」のアオリが物議を呼んだ。』と書いてあった。 いくらWikopediaが誰でも書き込みできる形式ではあっても、作品自体の説明が不充分なのに、これだけが書かれてあっても困ってしまう。やはり仮にもネット版百科事典なのだから、まともな部分とウケを狙う部分は分けて欲しいものだ。 つまり核となる必要な部分と、それにまつわるエピソードのようなものは分けておくべきだという事だ。そうしないと調べる方が大変なのである。
最近、日記の足あとを見るとトラックバックで来ている人をチマチマと見るようになった。つまり私のこの拙い戯言が、他の人の日記の中で紹介されているのである。知り合いならともかく、まったく見も知らない人が引用しているのだから、ちょっと驚いてしまう。 もちろん引用された部分だけなら参考意見になるかもしれないが、私の日記はその前後の話題の落差が凄まじい事が多いので、せっかく飛んできたのにそれ以外は役に立たなくてガッカリした人も多いだろう。まあ「日記」だから仕方がないのだ。
ところで、昨日の歓迎会で写真を取るのが好きだという新入社員がいたが、会社でネット上に載せた写真を一枚だけ見せてみた(何を見せたのかは秘密だ)。感心していたが、あの反応ではまだまだ初心者だと言うのが判る。 それでも撮るのが好きだというのだから、これからどんどん伸びていくのに期待したい。写真は経験値に負うところも大きいのだが、いずれ趣味はなんでも同じで、好きで続けるのが一番である。
ちなみに見せたのがちょっと変わった写真だったためか、年がいくつか聞かれてしまったので、mixiを開いてプロフィールを見せたところ、非常に驚かれてしまった。そもそもネットの写真を見せて、mixiにも入っていて、と言う段階でそんな年のはずがないと思ったそうである。 昭和30年代の年寄りを、なめるんじゃあないっ(なんてね)。
例によって会社の若い連中は、13日の金曜日の由来を「全然」知らなかったりする。もうこれも常識ではないのだろうが、ではどうして13日の金曜日が不吉だと言うのだろう。根拠もなしに怖がってどうする。
そんな今日は新入社員歓迎会である。要は体のいい宴会だ。私は急ぎの仕事があったのだが、仕方なく切り上げる。明日、午前中で何とかなるようにはしておいたが…。 しかし人によっては一昨日から宴会が続いている。昨日はメーカー主催のはずだから呼ばれた営業は外せなかったようだし、忙しい事で。
さて、今年は珍しく大学の後輩が入る。もっとも彼は湘南校舎なので、私とは関係がないようなものだ。そもそも学部再編どころか校舎再編などで、もう私には訳が判らない状況ではある。マンモス校の悪いところである。
ところで新入社員の女の子が、「写真を撮るのが好きだ」というので少し話をする。 まだ28mmというのがどういうレンズかピンと来ない程度だが、兄が個展を開いた事もあるというから素質はあるかもしれない。「キャノン派かニコン派か」と試しに聞いたら「よく判らない」と言う答えだったが、じっくり話を聞くとどうもニコン派である。デジタルのD80とD70Sではどちらがいいか悩んでいるという。 当然私はD70Sにしろとアドヴァイスしておいたが、すると「兄と同じ意見ですね」と言われる。カメラの事が多少判っていれば、この選択なら当然の答えなのだ。ちなみに私はキャノン派であるが、そんな私でも判る程に違いが大きいのである。
ちなみにニコンとキャノンの一番大きな違いは、キャノンはどういうカメラを開発しても、基本的な色使いはほとんど変わらないという点だ。ニコンはデジタル一眼でも機種によって色使いに大きな差があるし、ましてやシステムが違うと色もまったく違ってくるのだ。 だからニコン製品を買う時はカメラ雑誌を読んでおく必要があるが、キャノンの場合は使い勝手だけ注目していてもほぼ大丈夫である。
そういう話をしている間も、他の連中は延々酒を飲み続けている。歓迎会なのに、遠慮という事を知らない連中だ。典型的な酒好き、酔っ払い連中である。そんなこんなで、一次会で退散するのだった。
今度は、カート・ボネガット・ジュニアが亡くなったそうだ。 一時期大好きで、当時出ていたほとんどの小説は読んでいたのだが、「タイムクェイク」以後、新作は買っていなかった。読めば面白いのは判っているのだが、ハードカヴァーはあまり買えないし、八戸にいた頃は文庫が出ても気づかない事が多かったのである。つまり本屋が本屋としてあまり機能していないと言える。
これに限った事ではなく、本屋には売れそうな本しか並ばなくなって久しい。そして「売れそうな本=ロクでもない本」という図式が成り立っているのも事実である。困ったものだ。
ところでニュースを見ると「ジュニア」の表記がないのだが、いつからなくなっていたのだろう。そもそも正式にはどうなのだろう。この名前で人気があったのだから、別に途中でなくさなくとも良さそうなものなのだが。
そんなニュースに混じってひっそりと、テッド・アライ氏が亡くなったというニュースも流れていた。ただし正式には確認できていない。この位マイナーになると、扱うソースがないのだ。 ちなみにこちらは部下をかばって頭部に被弾した結果だと言う。もうかなりの年のはずだが、まだ第一線で活躍していたとは意外だった。 もっともソースが確認できていないので、ガセだという可能性も捨てきれない。こういう時、意外とネットというのは調べにくいのである。
誕生日である。なんと50歳だ。 1957年と言うと、戦艦大和が沈んでからまだ12年、そして10月にはスプートニク・ショックがあった、そんな年である。まだまだ戦後を引きずっていた時代である。
しかし「2001年宇宙の旅」という名作のおかげで、「2001年には44歳だ」というのはずっと意識していた。意識していたが、実感としては理解できなかったし、実際にそこまで年を取った時にはまだまだ色々楽しい事をしていたので、あまり意識せずとも済んだ。 しかしいよいよ50である。実は自分の頭では50歳というものがどういう存在なのか、うまく認識できないのだ。50歳の人間がこんなに軽薄であってはいけない、というのが一番大きいのかもしれない。
いずれまだやりたい事がいっぱいあるのに、体にそろそろガタが来始めている。気力と体力の乖離というのが、はっきりと認識されているのだ。 体力だけならキープする手立てはいくらでもあるが、目の衰えとなると、そう事は簡単ではない。辛いなぁ。
昨日から今日にかけて、ネットを介して色々な人がお祝いの言葉を掛けてくれた。いくつになっても、これはこれで嬉しいものである。 でも会社では特に言わなかったし、聞かれた人にも「年は秘密だ」と言ってしまった。全体が若いから、あまり言いたくはないし、そもそも現在の職場は全体的にそういう事をフランクに言う雰囲気ではない。なんだか窮屈ではあるのだった。 そんな50の春だった。
今日から新入社員が4名来た。 なかなか賢そうな顔つきである。本当に賢いとしたら…、半年後まで残っているかな。
ところで、アレクサンドル・ペトロフの新作「春のめざめ」が公開された。 彼はガラスに油絵を描くのだが、それが膨大な枚数で、普通のアニメーションと同じように撮影して作品を作るのである。そしてヘミングウェイ原作の「老人と海」を作った訳で、これはかなり凄い映像である。 その彼の新作なので、これは映画館で観たいものだ。
だがこういう作品は、なかなか地方では見られない。集客が望めないのは判っているから、経営者としてなかなか上映に踏み切れないのは判る。だがこれは「文化」である。時には損得抜きで上映する必要もあると思うのだが…。
そんな事を考えつつ、さて明日はいよいよ誕生日だ…。
ニュースによると『石原都知事が、3選を果たした直後の記者会見で、阪神大震災(95年)について「(自衛隊に派遣要請する)首長の判断が遅くて2000人が死んだ」と発言したことに対し、兵庫県の井戸敏三知事は「いいかげんな議論はしていただきたくない。誠に失礼だ」と不快感を示した。 井戸知事は「阪神大震災の問題は、不意打ちだったということ。犠牲になられた方はほとんどが圧死だった」と指摘。「自衛隊派遣の有無と犠牲者の数は脈絡のないこと。関東大震災に対する備えとして、一番の防災責任者となる知事がそのような認識を持たれているのだとすると、いささか心配」と話した。』のだそうだ。
別に、災害訓練の時にAH-1Sを飛ばすような石原都知事を支持するつもりはないが、この件に関しては、井戸知事の愚かさが感じられる。とても住民の命を守る自治体のトップの発言とは思えない。 大体、当時の貝原知事が震災発生後4時間以上経っても支援要請しなかったため、参事が独断で支援要請を出したのだから、放っておいたら、もっと死者が増えていたのは明白だ。 地方自治体に、あれだけの広範囲、大規模な災害時に救援活動をする能力などないのだが、それを知らなかったのであれば無能な知事だし、知っていて要請しなかったのなら、犯罪者だ。
そもそも自衛隊は、自治体の要請がなければ法律上動けないシステムなのだから、それでも要請を渋っていたのでは、緊急時という言葉を知らなかったとしか思えない。それ以前に地震国に住んでいながら何も対策を立てていない愚かな知事だったと断言する。 あまり他地区では報道されないが、静岡や東京は、昔から地震に対する対策は着々と整備していて、水や食糧の確保、緊急時の自衛隊との連絡体制の構築のための定期的会合など、地道に行っているのである。 多分この兵庫の知事はそういった事を知らないだろうし、そもそも何もそういう努力をしていないのだろう。
知事の要請が遅かったから、ようやく要請があって自衛隊が動き出した時点でかなりの命が無駄に消えていたはずだ。自衛隊も当時は要請がなければ、準備も出来なかったのだから、初動が遅ければ、それだけ死人が増えるのは当然だ。 圧死と言っても、全員が即死だった訳ではないだろう。自衛隊の出動で一人でも多く助かれば、という発想が皆無なのだ。 どれだけ自衛隊が嫌いなのか知らないが、どこの国でも災害時には軍が出動するのは常識で、彼らは人を助けるために働くのである。
ちなみに現在の自衛隊は、阪神大震災での教訓から、大地震などの災害が起こると同時に出動準備を始め、要請があったら即座に出動できるようにしている。兵庫のマヌケな知事よりよほど現実に即しているではないか。
実家の父母と子どんぐりとともに、昼食。 一番町の三越近くにある「鮨勘」に行ったのだが、どうも形が小さくなっていたし、卵焼きの味もなんだか前より良くない。冷蔵保存が長すぎたような味だ。しかも前と言ってもたかだか2〜3ヶ月前だ。さらに小さな虫も数匹飛んでいたし、忙しいのか店員の態度もあまり良くない。
さらに昼食時なのに、隣でひたすらタバコを吸うバカもいた。そもそも寿司やそばなら、昼食時は禁煙が当たり前だろう。たかが30分くらいの間ですら頻繁にタバコを吸うようなヤツに、寿司の味など判る訳がない。
それほど安い物を頼んだ訳ではないのだから、もう少し気配りが必要なのではないだろうか。次回も同じようだったら、この店にはもう行かない。寿司屋で不快になって、どうする。少なくとも口コミ・レヴェルでは、この店の評判は悪くなるだけという気がする。 そもそも私がこの店の事を聞かれたら、きわめてネガティヴな事しか言えないではないか。
その後、はかせに頼まれた高城高の「X橋付近」を買ってくる。 しかし前回買ったのと同じジュンク堂だったのだが、いざ探すと地方コーナーにも作家別コーナーにも、ましてや話題の新刊コーナーにも見当たらず、少し焦って店員に聞くと、何故かあっさりと持って来る。一体どこに隠してあったのだろう。不思議だ。
ついでに、桑田次郎の「アダルト短編集」も買う。 だがこれはハズレだった。あまり面白くないのだ。アダルトと言っても、単にベッド・シーンがあるというだけで、テーマは何度も描かれたSF、しかも焼きなおしである。 端的に言えば、アダルト・タッチにする必然性が乏しいのだ。これなら少年マンガのスペックで充分と言う作品が多いのである。 結局この人は、原作付きの方がうまく昇華されるようだ。したがって思ったより短編が上手くない。多分元々短編には向いていないのだろう。
ますます「リュウの道」が面白く感じてしまうのだった。
今日は子どんぐりの高校入学式。会社を半日休んで出席する。 校長先生の挨拶は予想以上に現実に即したもので、やはりすべり止めという側面を持っているだけに、後はいかにやる気をキープさせるかに気を配っている。これが私立学校の第一番目の仕事なのだろう。 これなら本人がやる気を出しさえすれば、それなりの高校生活を送れそうだとは思う。あとは、長く付き合えるような友人と出会えると良いのだが…。
ここしばらく日記の検索結果を見ると、何故かスリングショットで来る人が多い。だが「ガンスリンガー・ガール」の8巻を見て、氷解とまでは行かないが、なんとなく納得してしまった。つまりこの中にスリングショットを使うシーンがあったのだが、検索で来るのが増えたのは、たぶんこれ以後だ。 だがマンガにあるように、銃弾ではダメだがスリングショットならフロントの防弾ガラスを細かいヒビ割れ状態に出来る、というのは、ちょっとおかしいと思う。弾頭の形状次第で、スリングショットと同じ効果は期待できるのだが。
さらにこのシーンでは、「パンツァーファウスト3」が出て来るのだが、少し調べたら、カウンターマスのおかげで後方へのブラストが減衰され、室内からの発射も可能なのだそうだ。これは知らなかった。昔は閉鎖空間から撃ってはいけない、というのが常識だったのに。 ちなみにこの武器は、陸上自衛隊でも110mm個人携帯対戦車弾(LAM)として配備が進められているのだが、なんとライセンス生産はIHI エアロスペースである。そうだったのか。これまた知らなかった。
そして夜、はかせより文庫版「リュウの道」が届く。ついつい読んでしまい、返事のメールが遅れてしまった。 やはりこの作品は、石森SFの集大成だ。初めて読んだ時に、これだけのパワーがありながら何故009の天使篇が描けなかったのか、と少し不思議だったが、これは多分009で書きたかった事の答えのひとつだったのだろう。009で同じ事はできないし、だからと言って今更テーマを変える訳にもいかない、そんなところなのではないだろうか。 いずれ読んでいない人は一読の価値はある。私があえて「石ノ森」という表記を避けているのは、こういう作品が「石森」作品の本質だからだ。石森の1970年代前半までのSFは、現在でも充分通用する作品が多いのである。
改めて今これが読めたのも、はかせのおかげである。
明日は子どんぐりの入学式だ。 高校くらいになると、本人はあまり親に来て欲しくはないのだろうが、入学式くらいは見に行ってやろう。
メールを開いたら、初めて見る人からメールが届いていた。 どう見ても普通のメールだったので、開いてみたところ、なんとギーガー・バーに関する情報だった。詳しい事はまだここには書けないが、色々と驚く内容だった。それも道理で、当時の関係者なのだそうだ。これは近いうちにまとめて、友人にだけは教える予定である。
しかし全然知らない私のためにこんなメールを送ってもらえるとは、本当に嬉しい。こういう時ネットを続けていて良かったと思ってしまう。やはりネットは人とのつながりなのだと実感した出来事である。
4月に入ってパタパタと慌しい日々を送っているが、気がつけばあと一週間で誕生日である。恐ろしい…。
今日は会社の車のタイヤ交換をする。別にもう少し先でも良いと思うのだが、今週中に交換しろとの指示なのだ。あとは知らんよ…。 しかし金属ホイールがベース部分にくっついて、なかなか外れないのには驚いた。考えてみれば、自分の車はアルミばかりだったので、金属同士が密着する現象を体験した事がない(社有車ほどの走行距離はないのもあるが)。実際、車載ジャッキだけでは、ケリをいれてタイヤを外すのすら危険だから、密着していたらかなりやっかいなのである。
それに自分の車は、高速を走ればすぐに下回り洗浄をして極力塩を落としていたので、それほど錆びたりもしていないのだが、会社の車は凄い。下回りどころか、車輪を止めるボルトとナットが完全に錆ていたのだ。それもナットを緩めると、隠れていた部分でさえ錆びているのだ。これはそのうち折れるな。
いかに会社の車が安くていい加減かは、こういうタイヤ交換の時、如実に現われる。まあ社有車というのは、まともな会社でもない限り、こんなものなのだろう。
なかなか聞く事が出来ない「ケルベロス 鋼鉄の猟犬」だが、4月から全国のラジオで放送開始というニュースが流れていた。早速調べてみると、肝心の仙台地区での放送がないのである。これはどういう訳なのだろう。岩手や山形はもちろん、青森ですら放送するというのに…。仙台の謎な部分だ。 もっとも青森あたりは、突然打ち切る事も多いので、それはそれで嫌なものだが。いずれソフト化を待つしかないのだろう。
それとは関係ないが、会社で何人かが「ピアニカ」と「メロディオン」のどちらが正しいのかという事で議論をしていた。まあどちらもいわゆる「鍵盤ハーモニカ」の登録商標なのだが、ムキになって自分が正しいと主張しているのを見ると、実に可笑しくなってしまう。 雑煮の餅の形で夫婦喧嘩が起こるというのを聞いてそんなバカな、と思ったが、こういうのを見るとそれは簡単にケンカになもなろうというものだと変に納得してしまった。
だが会社でこういう話になったのなら、さっさとネットで調べれば良いのだ。こんなもの、2〜3分あれば簡単に調べはついてしまうだろうに。 せっかくこんな便利な設備があるのに、全然使いもしない。まさにこれこそが「もったいない」だと思うのだがなぁ…。
各県の知事が、失言・陳謝のパターンを繰り返している。まあ失言とはいいつつ、本人がそう言っているだけで、大概は本心なのだが。 しかしこういう知事は、政治家としてはバカだとしか言いようがない。一般人が酒の席で言ったというならともかく、仮にも公人による公の場での発言だ。普通は気をつけるのが当たり前だろう。それが出来ないようでは、知事としての資質があるとは絶対に思えない。
まあ最近はこういう政治家ばかりだから、選ぶ方も選択の余地がないのも確かだ。議員などが問題を起こしたときに、「選んだ選挙民にも問題がある」と発言する輩もいるが、どうしようもない立候補者しかいない現状ではどうやって選べというのだろう。
やはり投票には反対票も必要なのかもしれないが、現在の日本人による選挙では悪い方向にしか働かないだろうから、意味がなさそうだ。 結局、本当の政治家というのは、現在では絶滅危惧種なのだろう。いや、とっくに絶滅しているのかも知れない。そしてまともな有権者というのも、絶命の危機に瀕しているのだろう。
ついに新世紀合金シリーズ「1/48 66式メーサー殺獣光線車」の予約がネット上で始まった。 いずれ安い方が良いので、さっさと予約した方が良いのだろうか。
しかし意外な事に、今回も2種類発売なのだそうだ。一体何が違うモデルなのだろうと思って調べたら、なんとこれが「70式」なのだそうな。つまりガイガンの時に出てきた、完璧やられメカである。 こんな物を誰が買うのだろう。やはりメーサーといったら「サンダ対ガイラ」ヴァージョンの66式であり、その後の新造タイプは許せるとしても、70式は許せないのである。 何故ならこの時のスタッフにはメーサー車に対する愛情が微塵もないからで、メカとしての魅力がゼロだったからだ。
あのダサいデザインのスーパーX2(初代はやはりダメなメカだ)も、監督の演出で、非常に魅力的な映像に仕上がったのだ。それがあれだけ魅力のあるメカを、単に破壊されるためだけに使用したのは許しがたい。 結局、何をどうやってもつまらないゴジラ・シリーズにかけているのは、こういう部分なのである。
2007年04月01日(日) |
石森、ではなく石ノ森萬画館 |
清水で31.8度を記録したとか。今年初の真夏日だとは、まるでエイプリル・フールだ。もちろん冗談ではないのだが、確かにこちらも20度近くあり暑かった。本当に今年の気象はおかしい。それでも黄砂は例年の如く降ってくるのだった…。
そんな今日、石巻の「石ノ森萬画館」へ一家揃って車で行く。さすがに石巻だと、列車で行くより高速を利用してでも車の方が安いのだ。もちろんここは初めてで、地図を片手に向かったのだった。 着いたのが12時5分前で、正午丁度に入り口の上にある突起が開いて人形が下りてきた。まあ警備員がわざわざ入館者に教えているのは親切と言えば親切なのだろう。
今回は水木しげる展もやっていたので、少しだけお得感もあったが、これは以前盛岡で見た時のミニスケール版という趣で、それほど大きな違いはない。ただ水木しげるの作品の方が、色々な物への商品展開がしやすいというのは良く判った。
石森関係の本来の展示物は、それほど珍しいものがあった訳ではないが、あまり期待しすぎなければ1時間くらいは充分楽しめる。ただし800円という料金は微妙、というより私としては高いのではないか思う。 例えばブラックゴーストの像があって後ろには3つの脳が飾ってあるのだが、これを見て「良く作ったなぁ」と思いつつ「だから何」とも思ってしまう。仮面ライダーや009の立像があっても、だからどうした、という感じでしかないのである。
むしろ芳賀一洋氏による「1/15スケール・トキワ荘」のような物の方が、よほど当時がしのばれて面白いのではないだろうか。特にこれは内部も再現されており、かなり良く出来た作品だ。これで当時の石森氏がどういう生活をしていたのかを見せてくれた方が面白いのである。 ただしこの模型ブースは照明がかなり暗く、細部が良く見えないのが残念であった。自分も含めて年寄りも多いのだから、ここはもっと明るくしておくべきだろう。 結局、ここは数人で来てワイワイ言いながら見て回るのが合っているようだ。
しかし女性スタッフが全員サイボーグの戦闘服を着ていた。つまり003のコスプレが制服なのである。だったらロング・ヘアのウィッグも制服に入れるべきだろう。ムーンベースは紫のウィッグも制服の一部なのだから(関係ないか)。
帰りにはパンフレット(800円だ)と鬼太郎缶ジュース(5缶で600円は、ヴィレッジ・ヴァンガードより安いのだ)、そして実家へ鬼太郎クッキー(これまた800円)を買う。結構散財したものだ。
なお何度も書いているが、私の好きなのは「石森」名義時代の作品である。「石ノ森」名義時代には、愛着のある作品は全然ない。だから「石ノ森萬画館」というのは、違和感があるネーミングである。彼の作品は熱中して読んでいただけに、死ぬまで変わらない感覚だろう。
そして実家へ寄ってお土産を渡す。この時、子どんぐりには入学祝いをもらったが、予想外の大金であった。いいなぁ。
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