どんぐり1号のときどき日記
DiaryINDEX|past|will
2006年09月30日(土) |
もしかして久々の床屋 |
会社で一日中仕事である。忙しくて困ったものだ。
そんな中でも、事務の女性がプログとHPとSNSの違いが全然判らないので、ちょっと教えてくれと言うので、ざっと説明する。そもそもネット系は全然判っていないので、とりあえずmixiの説明をしたが、なんだかやってみたそうな口ぶりであった。 ただし本人も認めているが、趣味があまりないので、入っても続けていく自信がないそうだ。でもまだ自覚があるだけ、マシである。趣味がなくても人とのつながりを築くきっかけになる可能性はあるのだから、試してみるのもいいと思うのだが。
そして久々に床屋に行く。今日を逃したら、また3週間は行けないような気がするのだ。 今回は家の近くの床屋に初めて行ったのだが(高いので今まで使わなかったのである)、店頭で名前を書かなければならないとは知らなかった。実は父親がずっと使っている店なので、名字から親子とばれてしまった。 でも親の年齢を知っていたので、最初は孫かと思ったそうだ。実際の年齢を教えたらちょっと驚かれた。まあ良くある事だ。
今日で9月も終わりである。そろそろ朝晩が涼しくなってきた。多分気がつくと雪が降っているのだろう。
やはり眠い。 でも仕事が忙しいので、あっという間に一日が終わってしまう。しかも午後はパース関係の研修、夕方からは会社のイヴェントの後片付けと、本来の仕事をする時間があまりない。なんだかなぁ。
ところで。 会社のOSがあと数年でOS/2からウィンドウズ系に換わるらしい。でもまだしばらく先かい。 そして前の上司が、「エクセルを教えてくれれば、私が全員に講義する」等とほざいている。はっきり言うが、この人に講習などで物を教える才能は全然ない。この発言も、とにかく自分だけは先にマスターしたいという一人よがりの発想なのだ。自分が使えればいいとしか考えていないのである。 そもそも女性には親切に教えるが(私にはセクハラをしているとしか思えないのだが)、男には適当なのである。こんなのに講習をやららせたら、業務に支障が出るのは、現在の状態が明確に物語っているではないか。 本当にこの保身の発想しかしないバカには付き合いきれない。
えりたさんちの長男が、ちょっとだけだかライヴハウスで演奏するそうだ。 一体どういう音を出すのか、ちょっと興味がある。一応、ハード・ロック系列だと言うが、現在の10代の連中がいうロックが本当にロックかどうかは、実際に確認するまで判らないのが実情だ。 これは彼らの責任ではなく、もっとも音に敏感な世代に本来勧めるべき音を、肝心の音楽業界が提供していないからだ。 何か売れる曲があると、あとは同じような曲を量産して、オリジナリティのあるものを排除した上で提供しているのだ。これが結局は業界自体の首を絞めているのだが、多分「販売」という事しか考えていないのだから、当然の流れだろう。
ところで、人間椅子がライヴで「太陽と戦慄 PART 2」を演っている映像が、例によってのyoutubeで見られる。 ほとんどただのコピーではあるが、たった3人でホイッスルまで演っているのである。曲が好きなせいもあるが、なかなか感心してしまうのだった。
そして帰宅は26時である。寝る時間がないぞ。困ったものだ。
かなりの雨である。 予想通り、通勤途中の横断歩道は、水没している。何故横断歩道のあたりはあんなに水はけが悪いのだろう。溢れると判りきっているのに何の対策もとらないだけに、不思議である。 当然車は派手に水しぶきを上げて走る。人に迷惑をかけていると認識できないバカが、相変わらず多い事だよなぁ。
そして会社に着くと、朝から本来の仕事ではない部分で忙しい。やる事はたくさんあるのに、本当に何を考えているんだか。それでいて本来の仕事は後に回せないのである。困ったもんだよ、まったく。
夜になって、いわさきさんから大沢温泉の宿確保の連絡あり(その時間でまだ会社なのだな)。 これでESIFCONの日程が確定するので、すぐにJaneさんちにも電話する。結局連休中の開催は無理で、11月18日〜19日と言う事になった。いずれ今年はなんとしても開催しなければならないので、日程的なものは仕方のない事だ。
ついに丹波哲郎氏が亡くなった。84歳での大霊界入りである。 私は「キーハンター」や「砂の器」あたりをリアルタイムで知っているので、良く動くしセリフが多い丹波氏を見ている。後年にはとても考えられない事だ。 でもこの頃の年齢が、現在の自分の年齢とほぼ同じだと知って、愕然としてしまう。
しかし今日、会社の若い奴らの会話を聞いていたら、丹波氏が「007は二度死ぬ」に出ていたのを知らなかったと言う人が多かった。あんなに有名な作品だったのに、もう過去の遺物扱いか。 しかしこの映画、日本人の目からするとかなり素っ頓狂な映画だが、脚本はロアルド・ダールだったりする。しかも特撮はサンダーバード等のデレク・メディングスだ。なんだか密かに凄かったりするのだな。
ところで。 「青い三角定規」の元メンバーが飛び降り自殺をしたというニュースが載っていた。例の、ミニバイクで酒気帯び運転をして女性をはね道交法違反などの現行犯で逮捕されたため、「青い三角定規」の再結成が流れてしまった事件の、当の本人である。 リュックから知人宛の遺書が見つかったので、自殺と見られるとの事だ。
ただ、やはりこれはちょっと引っかかるものがある。 今年の再結成に向けて動いていたというから、当然プロモーターが動いていただろう。つまりこの件では、裏で怖い連中が動いていた可能性もある。なにせ再結成がこんな形で壊れると、多分損害は数億単位になるだろうからだ。数億といえば、裏の稼業では人が一人殺されるには充分な理由になる。 過去、そういう事件は非常に多いのであるが、それが表になかなか出ないのは、殺す側が事前の根回しを充分にやっているからに他ならない。大物の場合、政治家経由で警察にまで根回しが行っているのだから、殺人が自殺になるのは簡単である。 遺書が知人向けと言うのも怪しい。親が他界してしまったならともかく、そうでなければ脅迫されて書いた遺書かどうか、親が見ればばれる可能性が高いのである。
もし事前の根回しが終わっていれば、事件はこれで終わりである。以後、ニュースになる事はない。まあいずれ飲酒運転という事をしてしまったのだから、仕方のない結末なのかもしれない。芸能界とはそういうものなのだ。
静岡県の石川嘉延知事が、公務員の飲酒運転について「酒を飲んだらすべて免職というのは、日本の雇用慣行からすると死刑判決に等しい」と各地で相次ぐ厳罰化の動きに疑問を示したそうである。
これが一般的な公務員の考え方である。なにせトップがこういう発言をするのだから、始末に終えない。彼らには建前という物すら存在しないのだ。 この発言が何故おかしいのか、多分公務員の半数以上は理解できないだろう。理解しようとしないのではなく、実際に理解できないのだ。これは閉鎖社会の弊害だが、それが公務員だというのが問題なのである。理解できない連中は、税金をもらっているという自覚すらないのだ。
飲酒運転は、はっきり言うが、死刑に等しいではなく、死刑そのものにしてもいい位だ。いや、死刑にするべきだと思っている。なにせ事前にかなりの高確率で人を殺すと判っているのだから、これは立派な殺人なのである。 それが判らない、こういうアホウが日本を支配しているのだから、なんだかテロリストの考え方が、良く判るなぁ。
ただし実際問題として、現在の日本における刑法の運用では、いくら人を殺そうが、刑法上の必要条件が満たされなければ罪には問われないのも事実である。そうしないと法律の有効性が揺らいでしまうからだが、だからこそ法整備はハイ・スピードで行わなければいけないのである。
今日は午前中に義父からリンゴが届いた。 続いて、いわさきさんからサンマが届く。実にありがたい事である。
午後はちょっと遠くにあるブック・オフに行ってみる。 しかし欲しい物を探すも、全然置いていない。安ければ買ってもいいと思う物は、結構高い。結局、全然役に立たないではないか。いつからブックオフはこんな半端な物になったんだろう。
帰宅後、「立喰師列伝」のメイキングを見る。 今回は対談が今一つだったが、3DCGの解説がかなり凝っていて、なかなか面白かったし、とにかく判りやすかった。こういう説明の仕方もあるのだと感心するが、多分費用と時間の問題があるから、他のパッケージングではあまり用いられる事はないと思われる。非常に残念だが。
そして見終わった頃からどうも胃の具合がおかしくなり、夕飯もほとんど食べずに横になる。従っていわさきさんから送ってもらったさんまを食するのは、明日になってしまった。 困ったものだ。
午後に萬葉堂鉤取店へ行く。 昔チャウチャウと行った事があるので大体の場所は判っていたのだが、どうもイオンが出来てからこの道は異様に交通量が多くなったらしい。狭いせいもあって、かなりの時間がかかってしまった。次回からは286を素直に行った方が早く着けるだろう。
そして肝心の古本だが、どうも昔より設定価格が高いような気がする。というか、一律に価格が決められているので、あまりお買い得と言う感じがしないのだ。それでも何冊が欲しい本があり、次回着た時にあれば買うだろう。 しかし早川の銀背が箱に大量に入って置いてあった。多分これから整理するのだろうが軽く300冊はあっただろうか。どんな人がどんな事情で売ったんだろうなぁ。
今日は「BLOOD+」が最終回なので、しばらく見ていなかったが見る事にした。 しかししょうもない終わり方だ。やはりIGには神山氏以上の才能は出てこないのかもしれない。この人は、SFだけではなく文学にも造詣が深いし、社会情勢もそれなりに勉強しているようだったが、それと較べると藤咲と言う人は、どうも想像していたより視野が狭いと感じてしまう。 それとも、これが土曜18時という枠の限界なのだろうか。だったら、IGはこんな枠は捨てるべきだ。もし仮にこの時間帯だったがゆえにこの程度の作品しか作れなかったのだとしたら、才能を発揮できないと言う意味で、この時間帯の存在意義はないという事になる。 主題歌も本当にしょうがないものばかりだし。少なくとも音楽に関しては、情操教育上、絶対に良くないと感じてしまった。こんな音を聞いて育つ子供が哀れだ。
さとうまさんからの情報によると、チャウチャウがNHKのテレビに今日だけで2度も登場したそうである。一体何があった? なんでも昭和30年代博覧会とかの会場でインタヴューを受けていたのと、ローカルニュースでボンネットバスを前に「残ってたんですねぇ。素晴らしい!」等と言っていたとか。 似合いすぎる。
そしてBoz Burrell が9/22に亡くなっていたそうだ。合唱。
まこさんが昨日の朝日新聞に、エセ科学について書いていたので驚いた。 ただ、文章自体はかなり柔らかめだ。題材が題材だけに、もう少し硬めに書くという訳にはいかなかったのは充分理解できるが、なんだか物足りなかった。 でもこれでまこさんもかなり有名になる、のかな? しかしあの写真、いまいち写りが悪いと思ったのは私だけではないだろう。本人はもっとかっこいいのになぁ。
そんな今日、「立喰師列伝」のDVDが届く。もちろんコレクターズセットの方である。 特典の絵コンテはともかく、「異聞・立喰師列伝」はちょっと面白い。この映画のベースになったと言われる「最後の立喰い」の企画書と絵コンテが載っているのだ。この「最後の立喰い」は、核戦争後に唯一残った立喰いソバ屋における「店内での戦闘」を描いたものである。絵コンテを見る限り、本当に店内での戦闘なのである。 多分押井監督としては、ほとんどギャグ映画という考えで描いたのだとは思うが、実は現在ならこれをシリアスに描く方法が確立してしまったのである。あの「GUN-KATA」である。押井監督がこれを利用すれば、ラストの店内での大戦闘シーンが、充分実写で可能になると思われるのである。 これはなんとか作ってもらいたいが、「立喰師列伝」を作ってしまった現在、ほぼ絶望的だろう。こんな映画は一般に受けるとはとても思えないのだ。
ただ、夜に「立喰師列伝」を見ていたら、子どんぐりがやってきて一緒に見始めたのだが、意味が良く判らないなりに引き付けられるものがあるのか、結局最後まで見ていた。 もしかして押井監督の作る映像は、我々が想像している以上に人を引き付けるものがあるのかも知れない。実際そうでなければ、かなりの数にのぼる海外の押井シンパの存在を説明できない。
これは「立喰師列伝」が、判らないなりに海外でも評判になる可能性があるという事だ。映像で引き付けられるだけでも映画としては成功なのである。実際そういう映画も多いのだし。 そしてこれが大事だが、普通の人は同じ映画など1回しか見ないものなのである。映画ファンですら2〜3回見れば多い方だ。つまり記憶に残る映像があれば、評判だけが独り立ちしていわゆる「名作、傑作あるいは佳作」になる可能性があるという事だ。 繰り返すが、何度も同じ映画を見る人は少ない。それがセールスを伸ばす一つの手段に活かせるはずである。
ようやく「ウルトラヴァイオレット」のDVD発売日が告知された。2007年1月1日である。劇場公開終了から半年かかっていないのだから、早いものである。 ただ最近このパターンが多いが、どうにかして欲しいと思ってしまう。1月1日にやっている店はある程度限定されるし、実際は前日に入手できるが、大晦日は終わる時間が早い。かといって本当に1月1日に届くとなると、うかつにアマゾンに頼む訳にも行かない。本当に困ったものだ。 DVDの発売自体は期待しているのだが、こういう変な時期に発売されると、どこで買えばいいのか迷ってしまう。
そして昨日はなかった「映画秘宝」も買う。 しかし最近のクイズは妙に簡単になった。先月分は正解者が6人もいたと書いてあったが、私はてっきり100人単位で正解者が出るかと思っていた。先月応募しなかったのは、あまりに簡単すぎて何か引っかけでもあるのだろうか、なんて思ってしまったからだ。 そして今月も簡単だ。
さて。 予定通り、安倍晋三官房長官が首相になった。当面は小泉政権を引き継いだ形になるのだろうが、彼が小泉の時のように独断で動けるのか、はなはだ疑問ではある。 そして全然関係ないが、この安倍と言う人、竜男さんに似ていると思ったのは私だけではあるまい。
2006年09月20日(水) |
オフィシャルのヨーヨー |
最近毎日帰宅が遅くなっている。良くない傾向だ。本来の仕事ではなく、事務処理を任されているためだ。 これも今までは一つの部署が担当していたものを、人が少なくなったためにあちこち分散し、私の所で最終処理となるのだが、そんな物がまともに機能する訳がない。まともに完成した書類がないのは当然で、書類がない物すらある。それをなんとかまとめろと言っても、営業の見積書の内容など判る訳がない。 支店長も最近おかしい。転勤が近いのか?
ところで11月にバンダイから、1980年代のスケバン刑事のヨーヨーがオフィシャル販売される。これは今回のあやや主演の映画が公開されるからだろう。当時は危険だと言う理由からオフィシャルでは発売されなかったので、ようやくである。ただし6,000円と高めの価格になっている。
当時は「スケバン刑事の小道具」のファンクラブに所属していたので、実際にプロップを担当した人が実物のコピーを配布したのを買っていた(遊ぶ時はチェーンを蛸糸と換装する旨の注意書きもある)。 これは、テレビのプロップと同じチェーンをつけてヨーヨーをすると、テレビの効果音と全く同じ音で遊べ、あの音で犬の散歩とかブランコ等ができた。ただしいつ切れるか判らないので非常に危険ではある。実際に切れてヨーヨーが飛んで怪我をしたという事例も、当時は実際にあったのだ。
なお今回は、菊の紋章がついたヴァージョンも出るが、これはオリジナル・プロップとは形が違う。なぜならテレビではこのシーンだけコンパクトを改造した物を利用しているからだ。 いずれ仮面は不要なので、もっと安く出して欲しかったものである。
Comicリュウを買う。 もちろんオマケのDVDが目当てで、「女立喰師列伝 −ケツネコロッケのお銀/パレスチナ死闘篇−」が付いているのだ。
押井監督のこの世界に関しては、かなり理解していると自負しているのだが、何故ケツネコロッケのお銀にそこまでこだわるのか、その辺が今ひとつ理解できない。兵藤まこが大好きだから、というのは公然の秘密でも何でもないが、純粋に立喰師として考えると、意外とケツネコロッケのお銀のスタンスは、中途半端なのである。 あれではいくら虚構の世界とは言え、プロとしてやっていけるのかいささか心許ない。
パレスチナでの活躍と言うのは、かの重信房子をベースにしているとみられるが(というか、それ以外に該当するキャラが考えられない)、いくら監督が学生運動の尻尾に噛み付いたままだとしても、彼女は海外に逃亡した時点で、学生運動とは次元の違う世界にいったと考えるべきだろうし、戦後の高度成長期の日本とは別の世界に入ってしまっているのだから、何をしてそこまでこだわるのか、どうも良く判らない。
つまりこの作品は明らかに「立喰師列伝」の世界からは乖離しているのだ。テロリストと立喰師では、あまりに思想が違いすぎる。 そもそも立喰師は、平和な世界でなければ成立しないものなのだ。もちろん戦後の闇市と言う非常に危険な世界から始まった話だが、闇市ですら、パレスチナに較べればはるかに平和なのである。そもそも建前上は法律が社会を支配しているのだから。 もしかして押井監督のネタの一つに「重信房子の別の世界」があったのかもしれない。
しかし丸背の週刊誌タイプにDVDとは、随分といい加減だ。DVDの表面は傷だらけだ。コストを抑えるというのは判るが、これではあんまりだろう。一度表面をきれいに磨きたくなってしまう程に、凄まじい傷だらけなのである。
酒気帯び運転で死亡事故を起こし業務上過失致死と道交法違反の罪に問われた大阪府内の内装業の男に対して、大阪高裁が、懲役1年とした1審を破棄して懲役1年6月を言い渡したそうである。司法の世界としては、なかなかすごい事をしたものだ。
しかしこれに対して弁護人は、「世論に左右されるのはおかしい。こういう時期でなければ執行猶予がついた事案だろう」と発言したとの事で、つまり人を殺しても、法律上は実質罪に問われないと明言している事になる。そもそも法律上この手の事案で執行猶予とは、無罪に等しいのである。 あるいは他の飲酒運転でバイクの人を死なせた事件でも、弁護人は「危険運転致死傷罪での起訴は疑問。公判で事案の解明に努力したい」などとふざけた事をいっている。 つまり彼らは多くの事例を通して、飲酒運転で人を殺す事は犯罪でもなんでもなく、ただの事故でしかないから罪はないと言っているのである。
法律は過去の事例を重視する。それから外れた判決を出そうとすると、多大なる時間と労力が必要になるため、なかなか変わる事はない。つまり飲酒運転の判決では、執行猶予がつくか無罪になるのが通例なのである。それに対して弁護士はなんの疑問も持っていないし、余程の事がなければ、検察側も考え方は同じなのである。 だから法改正が望まれているが、改正されるまでの期間は被害者がバカを見るだけだし、実際に改正されても今度は現場の運用がしっかりしないと、何の役にも立たない(ストーカー防止法が現場レヴェルでほとんど役に立っていないのを見れば判るだろう)。 現に飲酒運転時の危険運転致死傷罪は、その立証手続きが面倒で、なかなかうまく機能していない。だから検察が「逃げる際に事故を起こさなかったから、正常運転が無理だったとは言えない」という素晴らしい論理を展開する事にもなるのだ。ここにあるのは飲酒運転に対する著しい誤認だ。
これでは飲酒運転をなくするための法整備にもかなりの時間がかかり、また実際の現場での運用までには更なる時間が必要だと判る。根本的に考え方が皆おかしいからだ。 こうなると飲酒運転に対してもっと思い罪で償わせるために有効な手段としては、我々には「陪審員制度」くらいしかないのだが、それが判っていない人のなんと多い事か。未だに陪審員制度が始まっても参加したくないと言う人が非常に多いのだ。 飲酒運転のように、世の中の常識と実際の法律、運用が乖離して、かつ法律の整備が全く追いついていない現状では、唯一の武器が陪審員制度なのである。
一般的国民は、何故それが判らないのだろう。時間を取られて嫌だという気持ちは判らないでもないが、我々一般国民の生命、財産を守るためには、法律の整備を待っていられない事例も多いのだ。法律は、恒常的に犠牲者が発生する事例でなければ変えられないが、陪審員制度ならすぐに対応が可能なのである。 そして陪審員制度で常に同じ判例が出せれば、法改正の前に法解釈を変える事も可能である。
結局どんな事項であっても、社会という物がある以上は単独で動いている物などない。飲酒運転が重大犯罪なのは当の本人以外は誰にでも判っている事なのだが、それを法律の見解にまで持っていくためには、様々な行動が必要なのである。
2006年09月17日(日) |
デジタル・カメラの現状 |
今日はうちの親が子どんぐりと食事をしたいというので、昼にホテル仙台プラザに行く。 子どんぐりは以前からステーキを食べたいと言っていたので、ここのメープルへ行くためだ。目の前で焼いて出すのがなかなか楽しいし、肉も柔らかくておいしいのだが、金額もなかなかである。もちろん子どんぐりは満足していたが。 やはりたまには本当に良い物を食べる必要はある。そうしないと、例えば「おいしいカップラーメン」という言葉の本当の意味は判らなくなってしまう。
その後、親がデジカメが見たいというのでヤ×ダ電器へ行く。 やはりコンパクト・タイプで安心して使えるのはキャノンかパナソニックになってしまう(意外とニコンは、コンパクト・タイプに弱い)。他のメーカーは画像処理エンジンがどうなっているのか今ひとつ判らないので、ちょっと信用できない。 店員は画素数の多さも売りにするが、キャノンとパナソニック以外のコンパクト・タイプでは、画素数が多くなった時に発生する画素の影の処理をどうしているのか私には判らないのである。これがいい加減だと偽色やモアレが発生する。というか元々デジタル・カメラの性質上必ず発生してしまう欠点の一つなので、この処理はかなり重要なのである。
偽色やモアレを防ぐためのローパス・フィルターは、簡単に言ってしまえば影をぼかすために画質を落としているようなものである。従ってこれをカヴァーするための画像処理エンジンの性能が、非常に重要になる訳だ。 だから一眼タイプのデジタル・カメラを買う時は、写真を撮るという事に対する様々な蓄積が多いカメラ・メーカーの物を買った方が安心なのである。
そしてコンパクト・カメラについてはキャノンのIXY DIDITAL 800ISが良さそうだと思ったのだが、なんと10月上旬に900ISが出ると判明。こちらは、あまりカメラに詳しくない人が撮影する時に必要な機能がいろいろと付いているし、使い方によっては中級カメラマンでも欲しがる機能が付いている。800ISより実勢価格で10,000円程高くなるが、こちらの方が良さそうだ。 でも親の使い方(要は記念写真だ)からすると、800ISで充分なのではあるが。
しかし相変わらず店員の商品知識のレヴェルは低い。これは、興味がない事を仕事として覚えているだけだからなのだろう。もちろん仕事ではあってもきちんと勉強している人も僅かだが存在するのだが、そういう人に当たる確率は、もしかしたら日本にいて隕石に当たる確率よりも低いのかも知れない。
関係ないが、最近の一眼タイプのデジタル・カメラは、ローパス・フィルターに付いたホコリをふるい落とすために表面を超音波振動させるモデルが出ているが、これを応用すれば、A.C.クラークが「グランド・バンクスの幻影」で書いていた自動車の超音波ワイパーも可能になるのではないだろうか。まだまだ難しいのは充分判っているが、日本の技術陣なら近いうちに開発できそうな気がしてしまう。
2006年09月16日(土) |
コンヴェンションの未来 |
そろそろESIFCONを稼動するなら動いた方が良いという声が聞こえてきたので、実は14日にJane家と連絡を取っていた。最初はJaneと話をしていたが、実行委員長の件になったら「では娘と換わります」という事で、娘さんと話をする。 この時「私も来年20歳だから、今年開催しないと10代の実行委員長は出来ないよ」という非常に心強いお言葉を頂けたのだった。
そうなると昨年いきなり盛り上がってしまった「第22回ESIFCON FINAL 特別篇 ESIFCON FINAL 40」という、本当に訳の判らない事をやる事になる。という事は、第22回用の実行委員長も稼動してもらった方が良さそうだ。徹っちゃんと弥生さんだ。つまり実現すれば、ESIFCON史上初のダブル・スタッフである(なんだかキング・クリムゾンみたいになってきたなぁ)。
日程としては、実行委員長が11月3〜5日のうちの2日間に花巻での開催を希望しているので、今年はその方向で実施したいが、まだ関係各位との調整はしていない。そもそも一体何人参加するのか、最近は予想がつかないのである。かつての栄ちゃんや大鰐のきしもとのように、借り切る事が可能な施設ならともかく、通常は事前の人数確認がかなり重要なのである。
しかしこの歳で10代の女の子とコンヴェンションの打ち合わせをするとは、想像すら出来なかった(ほとんどタメグチである)。皆それなりに成長している訳で、これで日本も安心だぁ。 これはまじめに「ESIFCON継承権」をJaneさんちの1号さんにあげるという方向で動いてもいいかもしれない。なにせ以前から、本当の「ESFICON FINAL 40」(順当にいけば2024年である)の時に実行委員長をやってもいいと発言していたくらいである。 Janeさんは実に素晴らしい教育をしているなぁ。
そして今日は粗仕事。 夕方KCから電話があって、夜に交流する事になった。場所は竜男さんに教えてもらった紫山のキャスロンである。ここは22時まで営業しているのだという。 例によっていろいろと話をする。って、当たり前か。 この時KCに指摘されたが、自分のネット上での日記が断定口調なのだが、これは知らない人にはきつめのイメージをもたれる可能性がある訳だ。 言われてみれば、SF大会でてつこさんと話をした時、実際に会うと当初のイメージとはかなり違うと言われたし、まこさんの紹介でようやくお会いできた巽・小谷夫妻からも同様の事を言われた。 あまり意識した事はないが、やはり曖昧な時とハッキリしているときはきちんと書き分けるという、大学時代における論文の書き方の名残が変な方向で出ているのかもしれない。
最近の飲酒運転の悪質化に伴って、日産では飲酒したら走らなくなる車を開発すると言う。 しかし飲酒したら走らない車など、冗談ではない。そもそも車は凶器と紙一重なのである。現在のようにどんなバカでも比較的簡単に免許が取れて、その上誰でも簡単に車が買える方がおかしいのだ。
ドライヴァーもパイロットと同じで、もっと厳格な免許制度が必要なのであり、特に学科試験より、適正と技術が必要なのだ。したがって飲酒運転などは、車に安全策を期待するのではなく、人間の方を厳格に選択するべきなのである。 そもそも機械に安全対策を期待しても、機械と言うのは100%確実に作動する物ではないのだし、誤動作もありうる。というか完璧な機械と言うのは絶対にありえない。つまり誤動作する可能性があるからこそ、人間がパックアップできなければならないのだし、バックアップができないようなら、車を運転すべきではない。
ちなみに私は、飲酒運転には殺人罪を適用すべきであると考えている。これは自分で免許を取った時点からそう考えているのだ。なにせ飲酒運転をする人間は、何度でも繰り返すのである。 そして飲酒運転とスピード違反の違いは、とっさの時に回避運動が出来るかどうかである。スピード違反の時は、動作が遅れれば確かに大事故になるが、少なくとも目の前に何かがあれば、回避行動を起こせる。しかし飲酒運転ではそれすらも出来ないのだ。
よく警察では「飲酒運転とスピード違反の撲滅」などと、次元の違う事を同列に扱うというふざけた事をしているが、だから飲酒運転はなくならないのだ。誰もが、警察の基準であるスピード違反では事故にならないのを知っているので、ちょっと飛躍するが結果として多少の酒も大丈夫という錯覚を起こすのである。
現在の警察のやり方では、交通事故は増える事はあっても減る事は絶対にないと断言できる。
2006年09月14日(木) |
ナイト・オブ・ザ・スカイ |
勢い余って「ナイト・オブ・ザ・スカイ」を見てしまう。 さすがフランス映画、ほとんど「ミラージュ2000」と「アルファ・ジェット」しか出てこないような映画である。 基本的にミラージュ2000も悪い戦闘機ではないのだが、やはりF-16のような軽快な動きを見てしまうと(私は実際に三沢でサンダーバーズの曲技を見ているのだ)、どうにも物足りなさが残ってしまう。
それでも流石はフランス映画、勧善懲悪では終わらないところが良い。しかもB級映画独特の訳のわからない展開もあって、ちょっと先が読めないところもある。ただし色々な事件があるのだが、何もかもが中途半端な感じで終わってしまうのが難点でもある。
でも、例のF-16が出てこない「F-16 vs ミラージュ2000」のキャノンボールは、ある程度見せて欲しかった。 これはどういう設定かと言うと、各々が地球を半周するのだが、事前に通過国への告知はせず、また敵対国の上空も通過して早く着いた方の勝ち、というものだ。車のキャノンボールとは違って、本気で命がかかっているゲームなのである。それでも勝った方の戦闘機を武器商人が買うという設定だから、国を挙げてのバックアップとなる、極めて危険なゲームなのである。
その危険なゲームのキーとなるあの女性が出てきた時、事件も何も起こっていないのに、訳も判らず「こいつが犯人だ」と思ってしまった。別にまだ何も起こっていなかったのだが、結果としてその直感は正しかったりする。不思議だ。
しかしヨーロッパの山並みや田園地帯を飛ぶ戦闘機は美しいなぁ。
先日の三沢航空祭では、12万人の人手だったそうである。最近はコンスタントにこの人数だ。もちろんピーク時の半分以下だが、まあ丁度いい人数なのだろう。 しかし遠くなったので、なかなか行けなくなってしまった。来年はとりあえず松島基地に行ってみたい。
ところでネット上である人が、ウルトラヴァイオレットの衣装の色の変化について、面白いヒントを出していた。 つまり、原理はともかく、舞台劇における衣装の早変わりのようなものだというのである。なるほど。だとすれば、例の司書室での闘いの意味が見えてくる。 映像では、群がる敵を倒したヴァイオレットが決めポーズをとると「上から盛大に紙吹雪が舞う」のであるが、つまりあれはカート・ウイマー監督が演出した「歌舞伎」なのだ。 いやあ、本当にこの映画は深読みのし甲斐があるなぁ。
そしてブートすら発売が絶望視されているサントラであるが、本家Klaus Badeltの所属するレーベル会社のHPで、メインタイトルのみ聞く事ができると判った。
http://www.hans-zimmer.com/fr/search.php 右のsearch欄にKlaus Badeltを入れて検索すると、彼のディスコグラフィーが現われ、74番目の「ultraviolet」をクリックすると聞く事が出来る。 ちなみにこの映画のオープニングもかなりの優れもので、アメコミに連載されているという設定で(実際には原作などない完全なオリジナルである)、色々なイラストレイターの特徴をとらえた表紙が次々に出てくる。 これを見てヴァンピレラを思い出すのは私だけではないだろう。 なんだか「GUN=KATA in ヴァンピレラ」なんてのを考えてしまったではないか。
2006年09月12日(火) |
飲酒運転は殺人だってば |
最近のニュースで盛んに公務員の飲酒運転のニュースが流れる。もちろん突然増えた訳ではなく、今まで恒常的に行われてきたからメディアが取り上げているだけだ。 元々公務員は、民間よりも権力があるからと飲酒運転を隠し続けてきた訳だが、それを拡大解釈して「公務員とは、飲酒運転をしてもかばってもらえる組織」にしてしまったために、いつまでも殺人者を出し続ける事になった訳だ。 そもそもこれを取り締まるべき警察からして飲酒運転の温床で、身内は完全にかばっているのだから、なくなる事など金輪際ありえないのである。
そして厳罰化が進んでいるとか言うが、犯罪だという認識がない組織でそんなのが定着する訳もない。以前厳罰を条例化した自治体もあったが、労組のバカどもが猛反対して取り消させていたのである。
子供三人を殺した飲酒運転のバカが懲戒免職は当たり前だが、飲酒運転で夫婦をはね重軽傷を負わせたバカについて、姫路市は賞罰審査委員会を開き、懲戒免職とする事などを決めたと言うが、わざわざ賞罰審査委員会を開くというのが認識の甘さを示している。 民間なら即刻クビのケースだし、この委員会で免職の必要がないという意見が多ければクビにはならず、本人の依願退職により、大量の退職金や年金の支払いと、殺人未遂者に税金を搾取される事になるのである。 基本的に考え方がおかしいのだ。
近いうちに、飲酒運転の犯人がその場で殺される事件が起きるのではないだろうか。なぜなら警察が役に立たないからだし、飲酒運転するような奴は反省しないからだ。 かくして無法国家になっていく、というのは考えすぎだろうか。
昨日DVDプレイヤーを買う時に、出たばかりの「EOS KISS X」を触ってきた。 やはり相変わらず小さい。それ自体は凄い事なのだが、実はこのシリーズ、私の手には小さすぎて、かえって使いにくい。完全に女性向を意識したサイズなのである。
だがこのサイズでダスト・リダクションが装備されているのだが、どこにそれだけのスペースを作っているのだろう。実に不思議である。こういうところがキャノンの恐ろしいところだ。 一説によると、超音波振動を利用したノイズ・リダクション・システムは、やはり超音波を長く扱ってきたキャノンに一日の長があるらしく、しかも後発の利点もあって、他のメーカーより綺麗に落とせるらしい。 噂では、ソニーのα100に搭載されている「アンチダスト駆動」では、あまりきれいにホコリが落ちないとか。本当だとすれば、やはりソニーとキャノンの違いが明確に出ていると言う事になる。
いずれにせよ、これでデジタル一眼タイプもようやくゴミ対策の点で安心して使えるレヴェルの機械が増えてきたという事になる。
ただ、デジカメはCMOSセンサーのサイズゆえに、ズーム・レンズでは広角側が28ミリで使える安くて良い物が少ない。やはりズームなら最低でも28-200というレンズが欲しいのだが、望遠側はなんとかなるが、28ミリの敷居は高い。 この辺は早いところ解決してもらいたいが、そうなるとフルサイズのセンサーが必要という事になり、それはまた価格にもろ反映してしまい、高嶺の花で終わるのである。
デジカメって、中途半端だ…。
2006年09月10日(日) |
DVDプレイヤー買い換え |
ついにDVDプレイヤーを買い換える。 最近のDVDレコーダーで録画した物がうまく再生できないためだ。とりあえず確認すると、完全に再生するので、これで一安心である。
今回も当然ながら金がないので、パイオニアのDV-290で我慢する(9,980円也)。今まで使用していたプレイヤーはきわめて初期の物だったが、当時は安くても5万円ほどしたものだ。それがこれだけの高性能でありながら1万とは…。 しかしLDプレイヤーの頃は、安くても10万以上したのに、同じような映像を扱って1万円以下…。時代とは言え不自然なものを感じる。さらにソフトが500円とか言われると、もう何かおかしいのではないかとすら思ってしまうではないか(嫉妬だな)。 ハードについては量産効果で安くなるのは納得できるが、ソフトがここまで安いというのは、やはり納得しがたいものがあるのだ。
そして「ステルス」を見る。 これは昨年、映画館に行くべきが迷ったのだが、時間がなかったのと異様に酷評が多かったので、行かなかったのである。 だがこれは見事なまでにハリウッド・スタンダード映画なので、さんざんあった酷評は的外れだと言って良い。所詮一般大衆受けを狙ってしかも海軍全面協力のハリウッド映画、ツッコミどころは満載だが、批判するような映画ではなく、そういう映画でしかないのだ。
ただこれは映画館で観ておけば良かったと思ったのが、空母の離着陸シーンである。 CGIによるステルス機を空母に合成してあるのだが、実に見事な仕事だ。本物を見ているのと寸分違わないのである。 流石の私でさえ感心してしまったくらいだから、戦闘機を全く知らない人が見たら、普通に戦闘機が離着陸しているようにしか見えず、結局特撮としては何が凄いのか全然判らないだろう。それほどに自然だったのだ。
そして戦闘シーンもそれなりにうまく作られている。見ていて「戦闘妖精雪風」の戦闘シーンを連想したくらいである。という事は、このスタッフと適度に練られた脚本があれば「戦闘妖精雪風」の実写化は難しくないという事だ。少なくともアニメ版の100倍はまともな映画になる事は間違いない。 これでストーリーがもう少ししっかりしていれば、名作とまでは言わないが、B級映画の傑作として名が残ったかも知れないのだが。
しかし迂闊にもサム・シェパードが出ていたのを知らなかった。空母の離着陸と彼を見るだけでも、映画館で観るべきだったと反省する。
2006年09月09日(土) |
CDプレイヤーで聞く |
今日も粗仕事。 午前中は引越しで不要になったパーテーションや椅子などの大物を倉庫へ移動するというフロアの大掃除で、完璧な肉体労働である。非常に疲れた…。
さて、エヴァネッセンスの「フォーリン」を、うちのマトモなCDプレイヤーで聞いてみる。流石にPCだと、現在でもそれほど悪い音ではないのだが、どうしても再現性に限界がある。専用のCDプレイヤーだと、7万という安い価格帯のモデルでもPCの比ではない。 実際かけてみると、バックのかすかな音にかなり驚いてしまった。これがクリアに聞こえるだけで、だいぶイメージが変わってしまうのである。 しかしあまりにyoutubeで見すぎたためか、彼らの「ターニケット」を聞くと「ウルトラヴァイオレット」の映像が浮かんでしまう。これはちとまずいかもしれない。
そして意外だったのは、バックの音がクリアになると、とたんにドリーム・シアターの影響下にあるのが露骨に判るのである。もちろんドリーム・シアターのようなトータル・アルバムという部分では足元にも及ばないが、そのサウンドは明らかにフォロワーである。
ところで日本盤には、現在は当たり前のボーナス・トラックが入っている。 だが一般的に新譜のボーナス・トラックというのは、正規のフル・アルバムには入れられない出来の良くない曲だというのは常識である。過去の名盤等の再発では、埋もれた名曲や貴重なライヴなどを聞く事が出来たりして、それはそれでいいのだが、やはり新譜の場合は邪魔である。だから新譜で輸入盤を買うのは、安いという他にアーティストの意図をきちんと感じるためでもあるのだ。 従って、初期のドリーム・シアターのように、ボーナス・トラックではなく8センチCDをつけるというような対策をしてもらわなければ、アルバムのイメージも変わってしまう。メーカーは考えるべし。
そしてJEMの「ファイナリー・ウォークン」だが、意外とミニマル系に近いものがある。最近のサウンドなのだが、それでいてどこか古さを感じてしまう不思議なアルバムだ。 だが繰り返しが多いという点で、今ひとつメジャーになりきれない部分があるのも事実だ。時代が時代なら、フォーク・ロックに走った連中なのかもしれない。いや、ポップスかもしれないな。
今回、エヴァネッセンスの件ではせっかく調べてもらったのだから、まとりさんに「ほにゃらら」した物を送った方が良いかもしれない。色々な意味で勉強になるかもしれないからだ。でも、とあるDVDの方は数が全然足りなくてまだ送っていないのだが…。
昼に新☆堂へ電話して、エヴァネッセンスとJEMの在庫を確認する。 どうせ再確認されると思って、普通の速さで「エヴァネッセンスのフォーリンとJEMのファイナリー・ウォークンの在庫がありますか」と聞くと、「エヴァネッセンスとJEMですね、少々お待ちください」と言われ、待つ事10秒、「エヴァネッセンスは国内盤と輸入盤、JEMは輸入盤があります」との返答だった。 なんだか久々にプロの返答を聞いた気がする。ヘタするとミュージシャン名を何度も聞かれたりすることが多い昨今、まだまだ新星堂も捨てたものではないようだ。
ただし特に取り置きは頼まなかった。いけなくなる事もありうるからだ。実際夜になると仕事がおして(本来の仕事ではない部分だ)、店に着いたのは20時30分近くなっていた(ちなみに閉店は21時である)。だが明日から定禅寺ストリート・ジャズ・フェスティバルが始まり、夕方会社が終わってから行くのも大変だと思われたので、行けるのなら無理にでも今日買ってしまいたかったのである。
そしてこの二枚をレジに持っていくと、「お待ちしてました」と言われた。なんだか久々にプロの店員に会った気がする。そしてちょっとエヴァネッセンスの輸入盤が見つからなかったので国内盤を持っていったのだが、すかさず「輸入盤もありますがどうしますか」と言う。1200円も安いのだから、当然そちらにする。 しかし本当に久々のプロの対応だったと思う。このように客を見て随時対応を変えられるのが本当の接客業なのである。昔はどの新☆堂にも沢山いたものなのだが、やはりPOSシステム導入が音楽産業をダメにしたきっかけなのは間違いなさそうだ。
ところで新譜コーナーにはナザレスやGTRの紙ジャケ、ドリーム・シアターのオーケストラとのライヴが出ていて、ちょっと焦る。ネクターの残りも欲しいところだし、金がいくらあっても足りないではないか。 何か稼ぐ方法がないかなぁ。
健診なので朝から医療機関へ行く。 相変わらずバリウムは嫌なものだが、検査台の上で2回転するだけで疲れてしまった。そうとう体力か落ちている証拠である。 終わってから簡単な結果を聞かせてくれたが、やはりここ一年半の無理が祟っているようで、ちょっとヤバめの結果が出ているようだ。初めての再検査かも知れない。
そして夜は歓送迎会である。ひちすら酒を飲むだけの宴会なので、あまり面白くない。 しかしこの時期に何故というほど、今年の仙台は人事異動が多い。しかもそれかうまく作動していないので、混乱が続くばかりである。そして福島からもどんどん人が来ているが、このままでは福島がなくなるのではないだろうか。別にいいけど。
そして店を出ると土砂降りの雨。みんな呆然としていたが、私は歩いて30秒の距離なので、さっさと逃げ出す。それでもかなり濡れたのだから、相当な雨だ。 会社の連中は同じ居酒屋で二次会をしたそうだが、逃げて正解だな。
ツノさんからCDが届く。 とりあえず今日は聞く時間がないので、明日にでもゆっくりと拝聴しよう。
しかし今日のニュースは、皇室の男児出産で持ちきりなのだろう。テレビ程度のレヴェルでは何の役にも立たないので、あえて見る気もない。実際現段階では、男の子が生まれたという事以外に対してネタもないのだから。
ただ今回に関しては女児が生まれるべきだったと思っている。何故ならこれで皇室典範の改訂がさらに先送りになってしまうだろうからだ。 前にも書いたが現在の皇室の跡取り問題では、側室の存在なしでは成立しない。「男系男子継承」を維持するためには絶対に必要な条件なのであり、どこの国でも例外なくやってきた事である。それが不自然かつ大変だからこそ、女帝を認めたのである。 大正天皇以来その制度がなくなった現在、早く手を打たないと、何らかのトラブルが発生した時に重大な事態になるのは目に見えているではないか。
相変わらず先送りの好きな国だ。
会社を出たのは25時であった。この時間だと、月があまりにきれいで、まぶしいくらいである。 セクションが変わったが、人が減っているので、かなり余計な仕事が回ってきているのである。本来の仕事を覚えるヒマすらないというのは、異常じゃないのか?
そしてちょっとネットを覗いたら、むつで海上自衛隊の「ミサイル艇3号」(なんとセンスのカケラもないネーミングだろう)が機関砲を10発、陸上へ誤射したというニュースがあった。内訳は実弾4発、模擬弾4発、そして曳光弾2発だとの事だ(模擬弾って、飛ぶのか?)。 つい「午後の曳光」などというダジャレを思いついてしまう。
それはともかく、この誤射はかなり恐ろしいが、ニュースに載った市民の話というのは不謹慎だがなかなか笑えてしまう。つまり「ババババンと機関銃が発射されたような大きな音がし驚いた」とか「機関銃のような音にびっくりし、家の窓を開けて外を見たが、何もなかった」等という物で、仮にも機関砲がババババなんて音を出すのだろうか。いくら450発/分ととんでもなく回転速度が遅いとはいえ、バルカン砲である。 多分この中では、「自宅にいたらジェット機が飛んできたような音がして驚いた」というのが的確な表現だろう。
しかし良く考えると、1分間にたった450発しか発射できないとは、なんの役に立つのだろう。対艦用ならオーヴァー・スペックだが使えるとしても、対空兵器としてはかなり心許ない武器である。というか多分役には立たないと言って良い。無用の長物とは、良く言ったものだ しかしむつ市は、熊が民家の部屋を横切り、北限の猿には手を焼き、そして今度は機関砲の銃撃である。難儀な町である事だよなぁ。
2006年09月04日(月) |
リメイクには理由がある |
会社でちょっと映画の話をした時に、「マイアミバイス」がリメイクだという事を知らない人がいた。 「チャーリーズ・エンジェル」もリメイクだと知らなかったらしい。当然「SWAT」も「アベンジャーズ」も「スパイ大作戦」も、その他モロモロのリメイク作品は新作と認知されてしまっているのだ(こうして見ると、「ハービー」は一作目から40年経ってまだ続いている新作というところが凄い)。
この事実を知って、映画産業がリメイクに走る理由が見えてきた。観客がオリジナルを全く知らないのであれば、それはもう新作を公開するのと同じだという事なのだ。観客が比較する知識なしに見るのだから、まさに新作なのである。それでいて往年のファンにもアピールする。非常に効率の良い宣伝が出来るという訳だ。 なまじ昔のドラマを知っているだけに、「それを知らない」という事には考えが及ばなかった。まさに盲点である。
しかし純粋に映画として見られるのは利点ではあろう。私などはどうしてもオリジナルと比較して批判するという事になってしまうのだ。 いずれ、こんな安易な手法を延々続けているハリウッドのプロデューサーの安易さには、心底呆れてしまうが。
ところであややの「スケバン刑事」だが、やはりミニスカートのスケバンって、違和感がありすぎる。やはりあれは一つのフォーマットなのであり、その中でいかに良いデザインに仕上げるかが映画の美術と監督の責任だろう。そもそも一体誰が「スケバン刑事」に必要以上の色気を求めるというのだ。 しかもあややのドラマのほとんどは、評判が良くないらしいから、まあ期待しない方が良いという事だろう。
さて、当面は「太陽」と「日本以外全部沈没」が楽しみである事だよなぁ。
今日は子どんぐりが回転寿司の××音頭(伏字になってない)へ行きたいというので連れて行く。 結論から言うと、子供達に人気のあるのが良く判るが、とにかく味付けが子供向けなのだ。BGMも童謡が流れていたし、寿司は全品が105円という判りやすいシステムを取っているのも、とにかくかなり小さい子供から相手にしているのだ。 ただし私にとって致命的だったのは「ネタが不味い」事で、以後あまり行きたい店ではない。平録××(これも伏字になってない)も寿司としてそれほどおいしい訳ではないが、××音頭よりはましである。 世の中、上には上があるが、下にも下があるのだと実感した昼時だった。とりあえず安心して食べられるのは、うまい×勘だろう。
そんながっかりな日だったが、とんでもなくうれしい事もあった。 夜毎youtubeで「ultraviolet」の映像を見て喜んでいるのだが(ここまで来ると、変態と言われても仕方がないかも)、そんな中で色々な映像に自分の選んだ曲を付けてプロモ風にした物がかなり挙がっている。当然の事ながらセンスのカケラもないカスも多いが、時には拾い物もある。 今回、曲が気に入ったものがあったのだが、いかんせん曲名もアーティスト名も不明である。どうしたものかと悩んでいたのだが、試しにmixiで日記に書いてみた。
もちろんこの曲を知っている人がいれば教えてくれるかもしれないという儚い望みだったのだか、なんとまとりさんがわざわざ調べてくれたのである。この場合、教えてもらったという事よりも、わざわざ調べてもらったという事が嬉しい。やはり持つべきものは友人だと、つくづく思う。 そのアーティストは「Evanescence」(国内ではエヴァネッセンスと表記)、アルバム「Fallen」(同、フォールン)に入っている、Tourniquet(同、ターニケット)である。なお、まとりさんが貼り付けてくれたアルバムは、ライヴ盤だった。
ちなみにどうやったのかというと、曲から調べるのは難しいので歌詞から検索するという、私にはちょっと出来ない芸当であった。比較的歌い方がゆっくりだったからできたというが、私は歌詞を示されるまでさっぱり判らなかった。やはり英語は勉強しておくものだと実感する。
しかし調べていくうちに、エヴァネッセンスは映画「デアデビル」の挿入歌を担当して、このアルバムは1400万枚のヒット(アビーロードと同じだぁ)、日本でもゴールドディスクを獲得しているのだそうだ。そんなメジャーなアルバムだとは全然知らなかった。
まあ女性ヴォーカルのメタル系といわれるものは、元祖スージー・クアトロや二昔前のハート、そしてラナ・レーンを例に挙げるまでもなく、ハイ・レヴェルのアルバムが続かない。だからなのか女性ヴォーカルのグループで長続きするところがないのだ(ルネッサンスは稀有な例かも知れないが、プログレだしね)。 エヴァネッセンスは9月下旬にセカンドアルバムが出るそうだが、問題は3枚目以降である。セカンドまではなんとかなるのだが、本当の勝負はそれ以後だ。
今回の元になった映像は↓だが、意外といいまとめ方をしている。 http://www.youtube.com/watch?v=SYt_Rg7b6hI
今日も出社。天気が良いのにもったいない。
最近はmixiで、自分の参加しているコミュを中心に色々な人の日記を読んでみたりしている。 ただし当然の事ながら自分の持ち時間は短いので、基本的に文章が上手いか、センスが良さそうな人だけを見ている。現実にほぼ9割はどうしようもないものだが、もはや500万人を突破したといわれるmixiだけあって、かなり若い人でもセンス抜群の人や、文章のまとめ方が非常に上手い人も意外と見つかる。
だが若い人の文章を読んで面白がっているという事は、自分の若い頃を重ねて補完しながら読んでいるような気がする。この場合の補完とは「自分自身への補完」である。
例えば青春真っ只中の20代の人の文章だと、当然ながら社会への不満というネタも多いが、ある事に対してきちんと考えた上での主張を出している人の文章は、総じて面白く賛同できる話が多い(少し読めば思いつきだけかそうでないかはすぐに判る)。 そして社会への不満というのは永遠の命題であって、読んでいて「うんうん、それは良く判るよ」と同意している自分がいる。良くも悪くも年の功、社会の裏も色々と見えてくる年なので、その不満に対しては「現状ではどうしようもない事だ」とか「それを解決するために、色々な人が現在動いている」とか「その件の決定システムはこうなっている」とか、いろいろと説明したくなる事もある。もちろん現在はそこまでやってはいないが。 いずれ若い人の真剣な不満には、頷けるものが多い。社会の矛盾、限界を感じるとテロに走りたくなるという考えも、賛同はともかく理解は出来る。やはり爺だけが支配している社会というのは、確実に腐敗するものなのだ。 そういう不満に対して、現在も同じ思いをもち続けている自分に呆れたり感心したり…。結局、自分の社会に対する考え方は基本的に何も変わっていないと実感するのだった。
さて、そんな事を考えつつも、自分の日記はほとんどが思いつきに近いという事に気づいてしまう。ただしここは年の功でごまかしが効いてしまうのだろうし、基本的に書くのが楽しいから、いいのだろう。そもそも嫌ならさっさと止めればいいのだから。 という訳で、当分この日記も続くのだろうなぁ。
ここまで書いて読み直したら、どうも主旨の一貫性が欠落しているような気がする。直すのも面倒なので、これについては後日また考えよう。
2006年09月01日(金) |
早くソフトを出してくれ〜 |
結局「ウルトラヴァイオレット」の興業成績はどの位まで行ったのだろう。 確か7月の下旬で、動員25万人、興行収益3億円だったはずだ。まあヒットとは言えないが、あれだけの酷評を考えれば善戦したというところだろう。
今日はたまたまこの作品を褒めている文章を見かけたが、ここである事に気がついた。 根本的に荒唐無稽でつまらないと書かれた文章は、当然過ぎるので参考にならない。むしろ「バイオハザード」と較べて「ウルトラヴァイオレット」がつまらないという意見がかなりの数に昇っているという事が問題なのではないだろうか。 私は「バイオハザード」はまったく評価しない。B級SFもゾンビ物も大好きなのだが、これは全然面白いとは思わなかったのだ。だから「バイオハザード」と比較されても、比較の対象が違いすぎるから議論にはならないと考えている。 つまり「ウルトラヴァイオレット」と「バイオハザード」は、監督の狙ったものが違いすぎるので自ずと観客層も著しく異なってしまい、これが酷評の嵐のきっかけとなってしまったのではないのだろうか。
ちなみに「ウルトラヴァイオレット」を見た人の文章で、「『バイオハザード』シリーズを見ていなかったせいか、ミラ・ジョヴォヴィッチが美人だって知りませんでした。『フィフス・エレメント』ではがっかりした記憶があります」というのがあった。 これはかなり鋭い指摘で、ミラ本人は美人ではないのである。嘘だと思うなら「バイオハザード」を見れば判るし、「ウルトラヴァイオレット」でも手術後の顔をみれば判る。彼女が美人に見えるのは、ひとえに監督のセンスのおかげなのである。 私はミラ本人の下世話な人柄が大キライだし(DVDの「バイオハザード」オーディオ・コメンタリーを聞けば、一目瞭然である。見えてないけど)、美人だと思った事は一度もなかったのだが、元々がモデルでもあり、映画における仕草やプロポーションは抜群である。それを100%出し切った監督の手腕はなかなかのものである。
おかげで完全に虚構の世界に入り込んで、今回のヴァイオレットには完璧に惚れこんでしまった。どうしてくれる。
|