どんぐり1号のときどき日記
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2006年08月31日(木) ウルトラヴァイオレット小説版

 小説版「ウルトラヴァイオレット」読了。

 てにおはの誤字が多く気になる。明らかに変換ミス&校正ミスである。そのほかにも訳がおかしいと思われる個所があったが、まあ気にするほどの事でもないだろう。所詮はその程度の本である。

 ともかく映画がアクション8割だとすると、小説は人物描写8割である。それでいて映画のアシストをするような内容ではないし、残りのアクションもかなり物足りない。映画とは所々異なる展開をするので、そういう意味ではなんとなく読めたが、いずれわざわざ読むような代物ではないだろう。
 例えばブラッド・シノワとの闘いでは、単なるカン・フーの闘いになっていて、GUN=KATAの面影すら感じられない。他のアクションでもやはりGUN=KATAを思わせる描写はない。もともとGUN=KATAを小説で表現する事は、よほど文才のある人間でないと無理だろうから、ある意味それは仕方のない事だろう。

 内容はほぼ映画の流れに沿っているが、あの内容でそれをやられても面白くなるはずもない。なにか驚くような仕掛けがあるかと思えばそれもない。
 そもそもダクサスがファージではないのである。これではオリジナルの人類を殺してしまう病原菌という設定が生きてこないだろう。だが小説のラストでダクサスがファージだったら、ヴァイオレットに勝ち目は絶対ないのだが。

 ところで映画では、ヴァイオレットの胸に弾丸を打ち込んで殺す寸前まで行ったのだが、小説ではなんと至近距離から頭に打ち込んでいるのだ。いくらファージとは言え、これで生きているのは明らかに不自然で、この辺はもう一捻りするべきだったろう。

 最後に統合省へ乗り込む時、映画ではシックスを短時間で救う事のみを考えていたので、邪魔をする者は排除するという考え方だったのに、小説では「全員殺してやる」と事前に宣言しているのだ。これは明らかに方向性がおかしい。
 これではヴァイオレットは、小説の初めで言っているとおり、ただの殺し屋になってしまう。そして予想通りバーサーカーと化して、700人からいる兵士を皆殺しにしてしまう。
 もちろん映画でも同じくバーサーカーと化すが、こちらは映像の強みで優雅さがあるし、そもそもの目的が短時間でのシックスの救出なので、無駄な殺戮ではないのである。

 でも小説版でちょっと感心したのは、最後にヴァイオレットは助からないだろうと予想されるラストにした事だ。
 ファージは感染してから10年しか生きられず、ヴァイオレットはせいぜいもってあと数日の命で、治療薬開発の目処がたったとはいえ、数ヶ月は確実にかかるという状況なのである。そしてヴァイオレットは戦闘でかなりの傷を負っている。つまり彼女に生き延びる術は全くないのである。

 そしてなんと、どちらの手かは判らないが、戦闘で指を二本と手の一部を無くしているのだ。映画では日本刀で手のひらが血だらけになり、その止血のために銃を乱射して熱したバレルを手のひらに当てるのだが、小説では噴出する血を止めるために、なくなった指のところに当てるのである。これはかなり痛そうだ。

 今回この本を読んだのは、例の髪と服の色が変わる理由が知りたかっただけなのだが、結局はただの流行で、感情で色の変化するファッションというのはあんまりであろう。これから戦闘状態に入るという人間がそんな服を着ると、本気で思っているのだろうか。
 多分この作者は、あまり「戦闘の本質」が判っていないのだろうし、恐らくはGUN=KATAも理解できていないのだと思われる。まあ仕方がないといえばそうなのだが、だったらなぜそういう人間にノヴェライズを依頼したのか、理解に苦しむところだ。

 とにかく普通の人がこの小説を読む意味は全くない。映画の「ウルトラヴァイオレット」を見て気にいった人であっても不要な本だろう。この本の存在価値は、写真が多いそのブック・カヴァーだけだ。


2006年08月30日(水) 自由が根付いていない国

 さて、そろそろ総裁選挙である。どうせ安倍君の圧勝で終わるのは目に見えている。というかそうなる事は織り込み済みで、もし違う人が首相になったらそれは政界の大異変であり、日本の議会システムは崩壊するかもしれない程の大事件になる。
 つまり、結論は出ているので面白みが全然ないのだ。
 選挙としては面白みがないが、実は小泉−安倍路線は憲法を変えようとしているのだから、そちらは少なくとも政治としてはかなり面白いものになるかもしれない。

 昭和憲法の核心と言えば「自由と平等」という事になってはいるが、実際に戦後日本を支えてきたのは「平等」の方だけである。とにかく日本人全部が人並みの生活レヴェルになる事を目指していたのだから、これはこれで仕方がないのだが、現在はそれでは通用しなくなってしまったのである。
 誰がどう見ても平等、つまりは公の方に比重がありすぎて、自由というものが置き去りになり、非常にいびつな国家になってしまったのは知ってのとおりである。もともと戦後にここまで日本が巨大な国家になるなど、世界中の誰一人として想像し得なかった事なのだ。

 そういう意味で、誰も予想しなかった日本の発展により現在の憲法は矛盾の塊となってしまい、実情に合っていない状況になったのは明白だ。だからこそ改憲絶対反対などと言わずに、真剣に議論するべきである。そうしないと本当の自由という概念がいつまでも根付かない唯一の先進国のままになってしまう。
 現在の日本において「自由の概念」は、根本からおかしいのだ。それを正すためにもある程度の改憲は必要だと思わなければならない。
 そもそもかなりの国が実情に合わせて憲法を変えているのだし、そうしないと国がおかしくなってしまうのを皆判っているのである。

 ちなみにこれに絡んで例の皇室典範の問題も、当然出てくるだろう。
 一番問題になっているのが「男系男子継承」だが、過去の天皇家がこれを維持してこられたのは、側室制度があったからだという事を忘れてはいけない。
 公認の側室が何人もいてそこから男子が生まれれば天皇の子供と公認されたからこそ、こういう不自然な跡取り制度が継続できたのだ。そしてこの継承方式をとってきた国は、いずれも同じシステムをとってきたのであり、ハーレムが特別なものではないという事だ。
 それがいかに不自然かは誰もが判っている訳で、だからこそ現在のヨーロッパの王家は女性の王位継承権を認めているのである。

 ちなみに日本は、明治天皇までは側室制度で維持してきたのだが、それが廃止された現在は「男系男子継承」など偶然の産物でしかない、きわめて危うい状況なのである。
 だからこそ、改憲の議論をする必要があるのだ。このままでは、本当に日本の将来は危ういのである。


2006年08月29日(火) え、違ってた?

 一般レヴェルで、自分はそれほど日本語に不自由ではないと思っていたのだが、「煮詰まる」の本来の意味を昨日知ってしまった。こんなに単純な言葉の意味を勘違いしていたとは、不覚であるしショックである。

 ちなみに正しい意味は、「長時間煮て水分がなくなる」というものと「充分に議論・相談などをして、結論が出る状態になる」である。後者を完璧に勘違いしていた訳だ。

 例えば「役不足」や「流れに掉さす」のように、間違いが多数を占めているような言葉でも、正しい意味は判っているつもりだった(もちろん、つい間違うという事はあるが)。しかしここまで完全に勘違いしていた日本語と言うのも、なんだか久々である。
 単純なだけに気がつきにくかったという事か。

 ショックである事だよなぁ…。


2006年08月28日(月) 小説版だ

 昨日から「ウルトラヴァイオレット」の小説版を読み始めた。
 これがまた実につまらない。そもそもGUN=KATAが全く出てこないのだ。はたして最後まで読みとおせるのか、それが心配だ。

 しかも服装や髪の色の変化が、最新の流行ファッションで、その人間の気分で変化するのだという。いくらこの小説を書いたのがカート・ウイマー監督ではないのだといっても、もう少しなんとか理由付けをするべきだったろう。もっともこの作者は、あまりSFが得意ではなさそうだし、アクション描写も月並みだ(ブラッド・シノワとの闘いは、なんとカン・フーなのだ)。あのへんが精一杯の描写なのかもしれない。
 今日も帰りは23時を過ぎていたので、ちょっと読む気にならないしが、早いところ読まないと、絶対途中で投げ出すだろう。

 ところで。
 SILKYPIX Developer Studio 3.0のBeta版がリリースされている。
 これはデジタル・カメラで撮ったファイルについて、「RAW現像のパラメータ調整と同じ操作手順で、JPEGやTIFFファイルを処理できる」のだというが、本当にJPEGファイルの処理が綺麗にできるものなのか? 
 ここに来て不勉強な部分が露呈してしまったが、これが出来るなら、一般の中級者以下のレヴェル(つまり私のような者だ)なら、あまりに大容量の記録メディアが必要なRAWでの撮影は不要になるのではないだろうか。
 価格も16,000円なので、他社のRAW現像ソフトとあまり違わない。いずれデジタル一眼を買った時に検討してみよう。


2006年08月27日(日) 飲酒運転は重大犯罪だぞ

 福岡で市西部動物管理センター職員が、飲酒運転で子供3人を殺したというニュースが報道された。相変わらず飲酒運転の被害は甚大で、どうして飲酒運転が死刑にならないのか、不思議である。

 しかしこの犯罪で(これは事件や事故ではなく、れっきとした犯罪である)、職場側がすぐに謝罪声明を出した。公務員としては珍しいと思ったが、ここは近年この手の犯罪が多発し、綱紀粛正が叫ばれていた矢先なのだそうである。
 つまり、少なくともこの職場は日常的に飲酒運転が黙認されていたと容易に想像されるし、若い奴らはそれを見て真似していたという事である。多分簡単に事件の揉み消しが図られていたであろうし、それが出来たという事は、かなりの数の公務員が関係していたという可能性が高くなる。

 どこの公務員もそうだが、総じて飲酒運転には甘い。特に警察が甘いというのが言語道断なのだが、警官が事故を起こしても大概はもみ消しか、悪くて停職である。民間では普通はクビになるものなのだが、いかに公務員の上層部の考えが甘いか良く判る。こうしてみると飲酒運転がなくならないのも当たり前なのだ。
 そもそも飲酒運転など、凶器準備集合罪と殺人罪を同時適用しても良いくらいの犯罪である。それを取り締まれないのでは、警察など不要である。

 以前、何かの報道記事でも書いてあったが、警察を取り締まる警察が必要なのかもしれない。


2006年08月26日(土) 今度はモントレーのライヴ

 ちょっと雑誌(ストレンジ・デイズだ)を立ち読みしたら、マイク・オールドフィールドのライヴDVDがリリースされたばかりだと書いてあった。モントレーでの1981年のライヴである。仕方がないので新☆堂まで行き購入。
 実はこの時期の彼のライヴは意外と面白いのである。いずれついこの間の「Exposed」にも驚いたが、今回のモントレーにはさらに驚かされてしまった事になる。気がつけば結構彼のライブが出ている訳だが、なにか版権が切れたとか事情があるのだろうか。
 いずれ最近は、情報入手が遅れている事だよなぁ。

 彼のライヴは意外と数が出ているが、私としてはネブワースにおけるオマドーンのライヴが最高だと思っている。非常に荒削りだが、オマドーンのアレンジは何度見ても飽きさせないものがある。
 だがこの作品はLD以降、なぜか未だにDVD化されておらず、ファンはイライラしているかも知れない。ただワガママを言わせてもらえば、私はLDで持っているから急ぎはしない、というか出されると買うしかないので、当分出さない方が助かるのである。なにせマイク・オールドフィールドのDVDは、とにかく高いのだ。

 そしてついでに「ウルトラヴァイオレット」の文庫も買う。例の髪や服装の色が変わる理由が書かれていないか確認するためである。これだけのために800円も出して、370ページを読まなければならないのである。
 もしかして現在、日本で一番「ウルトラヴァイオレット」にトチ狂っているのは、私かもしれない。メーカーも、少しは感謝して欲しいものだ。

 ちなみに現在この作品は、YouTubeでPART1〜9に分かれているが、全編見る事が出来る。もちろん日本公開版より7分長いヴァージョンだ。
 なんでもいいが、早いところソフトを出して欲しいぞ。買いたくてウズウズしているのだから。


2006年08月25日(金) 冥王星、降格

 ついに冥王星は、太陽系の一員としての歴史から消える事になった。
 ネット上では「謹んでご冥福をお祈りいたします」という人を喰ったセリフが挙がっていたり、あるいは「銀河鉄道管理局からのおしらせです。冥王星は惑星から降格されたので、特急は止まりません。」「ええっ!?999停まらないの!?」という笑わせるネタまで、とにかく賑やかである。
 いずれにせよ、宇宙という物に少しでも興味を持った者にとっては、良い悪いは別としても大事件なのである。
 しかし冥王星が実際に消えてなくなると思っている人も結構多いようで、小さい子供じゃあるまいし、少しは自分で物事を考えたら良いだろうに。

 ところで。
 会社の私の部署3人と支店長とで、ちょっと外装材のメーカーの営業所に見学に行ってきた。見学自体は支店長に時間がないというのであまりゆっくり出来なかったのが残念である(もっとゆっくり見学させろよ)。
 この時、行き帰りの車中の会話で、支店長が様々なネタを披露していた。タイルの歴史、急須などの話題、雷の知識など歴史文化科学とバラエティに富む内容である。このあたりがなかなかすらすら出てくるところは面白かったし、私の他は私より10歳位若いせいもあるのだろうが、全て初めて聞くという事で感心しながら聞いていた。

 ただ、色々と間違った知識も混ざっていたり、説明不足で誤解を招きそうな部分もあったのだが、私としては話の腰を折ってまで訂正するつもりはない。なぜならここの支店の人は、そういう事を嫌うからだ。本来なら喜んで訂正したり補足をするし、実際八戸にいた頃はそれが私のスタイルだったので、雑学に関してはかなり頼られていた部分もある。
 だが、ついこの間まで私の上司だった人は、自分が聞いている人以外からの意見は絶対に聞く耳を持たなかったし、多かれ少なかれ皆その傾向がある。特に前の上司は、表面上は聞くフリをして、裏で馬鹿にするのである。あれは相手に対して失礼以外の何ものでもなかろう。結局、聞く相手は自分がわざわざ選んだのだから、それが正しいのだと信じているのであり、つまりは思い込みが強過ぎるのだ。まあ彼に関してはどうでもいい。今後の世渡りで恥をかいていけばいいだけだ。

 しかし若い彼らは結果として間違った知識を得た事になる。もちろん彼らに関しては折をみて色々と訂正していくつもりだが、多分無駄になるだろう。そういう社風になってしまっているのだし、雑学を訂正するというのは、はっきり言って難しすぎる。
 訂正するタイミングが再び来る可能性は、冥王星が惑星に復活するよりも低いのである。


2006年08月24日(木) プルートゥ、危うし

 冥王星が太陽系の惑星ではなくなるらしい。
 国際会議で最終的に決まると言うが、ほぼ確定との事だ。いずれ、自分の人生にとっては長年慣れ親しんだ惑星が一つなくなるのは、寂しいと言えば寂しいものがあるし、まあ色々と意見はあるだろうが、科学の進歩に犠牲はツキモノである、等と意味の判らない事を言ってみたりする。

 今日の帰宅は久々に0時を回っていた。
 更なる人員の異動に伴い、本来事務でやるような仕事が回ってきたしわ寄せてあり、これがまだ始まったばかりだと言うのが恐ろしい。


2006年08月23日(水) シャトルの後継機ですか

 スペース・シャトルの後継機として「オリオン」という機体が公表された。
 NASAは「最も明るい星座の一つで、広く知られている『オリオン座』から名付けた」と言っているが、誰もそんな言葉は信じないのではないだろうか。宇宙開発でオリオンといったら「2001年宇宙の旅」に出てくるパンナム仕様のシャトルに決まっているではないか(ちなみに今年、パンナムのタイピンを買ってみたのだった)。

 しかしである。
 公表された機体を見た瞬間「これはアポロの指令船そのままではないか」と思ってしまった。もしかして金型が余っていたので利用しました、なんてプラモみたいな話ではないだろうが、あまりにかっこ悪いぞ。これを新型の「アレス1」というロケットに乗せて月まで飛ばすというが、なんだかなぁ。

 で、結局機体整備があまりに非効率的な上に、耐熱タイル・システムの脆弱性により、今後は使い捨て路線になるらしい。まあ当然と言えば当然の帰結ではある。あまりに沢山の人が死んでしまったのだし、そもそもあの事故は当初から予測されていた、あまりにバカバカしいものなのだ。

 人的損失、余剰機材の確保、地球の環境を考えても、再利用システムは無駄が多すぎるのである。


2006年08月22日(火) 郡部まわり

 会社で営業と同行して、CAD契約をしているお客さん回りをする。
 急遽行く事が決まったので、ちょっと焦る。なにせ古川や栗駒方面なので時間がかかる事は間違いないし、実際たった4件回るのに7時間以上かかったのだった。

 しかし行った甲斐はあった。客の声と言うのは、やはりじかに聞くのと、電話あるいは営業からの伝言とではかなりニュアンスが異なる事も多い。今回も、以前から苦情として聞いていた件が、実はもう少し違う内容だったと気がついたし、軽い感じで言っているが、かなり重大な意味を持っていると思われる話もあった。
 そして後日ソフトメーカーにいくつか確認しなければならない事もあった。こちらはソフトの限界についてであるが、どうも人によるノウハウにおそろしく格差があるようだ。
 いずれ直接会話は参考になった。

 ところで運転している営業に頻繁に携帯が掛かり、停まるのも時間が惜しいので走りながらの電話になった。危険なのは重々承知しているが、これだけの長距離を回るので時間的余裕がなく、それでいて客からは注文だの商品の確認だの、とにかくひっきりなしに電話がかかってくる。一部は会社にいるアシスタントへ確認去らなければならないし、これでは運転中に携帯をかけたくなるという気持ちも判らないではない。とにかく絶対的に時間が足りないのだ。
 もっとも郡部の道路だけあって、30分走ってすれ違った車は一台だけ、などという道路なので事故る可能性はかなり低いが…。

 それでも電話を切る時、運転しながらお辞儀するのは、やめろ〜。見ていて怖いぞっ。

 そして帰社したのは17時を過ぎていたが、それから5時間ほど、朝にやる予定だった仕事を片づける。やはり急な変更は良くない。


2006年08月21日(月) またも予約だ

 昨日町に出たどんぐり2号に頼んで、結局ネクターの7枚目「リサイクルド」も買ってしまった。
 実に久々に聞いたが、この適度な軽さは、現在でこそ受けるかもしれない。いずれ2ndと較べるとまるで別のグループのようで、こうまで違うと、本当に楽しい。
 しかし3枚揃うと、全部欲しくなってしまうが、今のところ2ndがお気に入りである。

 昨日、あかいメガネさんの書き込みで、ゼロエックス号「も」二種類発売されると知り、慌てる。なんでも「サンダーバード劇場版」と「キャプテン・スカーレット第一話版」なのだそうだ。
 夜のうちに悩んでいたが、今日になって近所の模型屋へ行き、劇場版を予約する。やはり私にとってゼロエックス号といったらサンダーバード劇場版なのである。そもそもキャプテン・スカーレットには先端の探検車しか出てこないのだから。

 帰りは閉店間際の本屋に寄って「映画秘宝」を買う。残金1,062円だったので、辛うじて買えたのだった。
 今回はガン・アクション20選との事で、どういう選択になるのか非常に興味がある。多分半分は重なるだろうが、半分は私の考えるものとは全然違っているような気がする。そもそもそうでないと、「映画秘宝」を買う意味がないのだ。

 そして遅い夕食と供に「だだちゃ豆」を食べる。これはmixiのはじめちゃんの所で、ロックの話題そこのけで盛り上がってしまったのだった。
 要は枝豆なのだが、これがほんのりととうもろこしの味と香りがして、なかなかおいしい。茹でている時に子どんぐりが「とうもろこしを茹でているんじゃないのか」といった程である。本来は固めに茹でるらしいが、その辺の感覚はまだ良く判らないのだった。
 かなりおいしいが、値段もそれなりである。残念也。


2006年08月20日(日) ニコンのD80

 今日は特にこれといった外出はせず、近所の本屋にカメラ雑誌を立ち読みに行く。

 とにかく今月発売の写真雑誌は、軒並みニコンのD80の話題でもちきりだ。9月1日発売のニコン製品だから、当然だといえば当然だろう。
 雑誌の記事を信用すると、かなりコストパフォーマンスに優れた高機能カメラという事になる。元々ニコンだけあって基本性能に心配はないのだが、どうもD80はD200の後継機、というより改良版のような扱いらしい。となると本当にお買い得だ。
 ただ問題は、これはキャノンも同じなのだが、メインの映像素子へのゴミ付着対策が疎かなのである。これが解決されればニコンかキャノンのどちらかで買ってしまうのだが。
 ちなみに私はフィルム・カメラのキャノン・ユーザーだが、デジタル一眼になれば、どうしてもレンズは買い換えなければならないのである。過去のレンズはそのまま使えるとどのメーカーも宣伝しているが、実際はレンズへの要求性能が全く違うので、安心して撮りたければ、レンズもデジタル・カメラに対応した物を買わざるをえないのである。
 そしてレンズだけではなく、プリンターも上位機種が必要になってくるし、そもそもカメラのデータ保存用に大容量のメモリー・カードが必要で、これもけっして安くはない。つまり初期投資にとんでもなく金がかかるのである。

 いずれニコンのD80がボディのみで13万程、キャノンの30Dが同じくボディのみで15万程なのだから、本体の性能を考えると恐ろしく安くなったと言える。やはり問題はレンズと防塵対策、そして初期投資額だ。

 立ち読みついでに店内を一周すると、「銀河ヒッチハイク・ガイド」の5巻目「さようなら、いままで魚をありがとう」が置いてあり、完結していたのを知った。そうか、映画を観てからそろそろ1年近く経っていた訳だ。
 解説を読むと、ダグラス・アダムスの42歳の誕生日に、デイヴ・ギルモアがピンク・フロイドのライヴでギターを弾く権利をプレゼントしたそうである。これは生きているうちに是非やって欲しかった。でも実際にやったとしたら、きっと正規のCDや映像媒体には載らず、イギリス盤のみに載ったという可能性はある。イギリスならそれだけで売りのセールス・トークになるのだから。

 そんなこんなで、帰宅してから昨日買ったネクターのCDを聞きながら、Wikipediaで「ダグラス・アダムス」や「銀河ヒッチハイク・ガイド」を調べて読んでいたら、あっという間に夜になってしまった。
 日本では派生文化を引き起こすまでには至らなかったが、当時モンティ・パイソンですらマイナーだった日本では仕方のない事だろう。
 しかし「生命、宇宙、そして万物についての究極の答え」をディープ・ソートが750万年かけて出した答えが「42」というのも、人を喰った答えだ。そもそも意味を求めない、いかにもイギリス的答えだろう。だがそれが魅力なのである。

 そして町に出たどんぐり2号に頼んで、ネクターの7枚目「リサイクルド」も買ってしまった。
 改めて聞くと、この適度な軽さは、現在でこそ受けるかもしれない。アルバムも40分もない短いものだし、意外と聞きやすいかもしれない。いずれ2ndと較べるとまるで別のグループのようで、こうまで違うと、実に楽しい。
 しかし3枚揃うと、全部欲しくなってしまうが、今のところ2ndがお気に入りである。やはり私は、長い曲が好きなのだ。


2006年08月19日(土) 一見、優雅な休日

 今日はネクターの2nd「ア・タブ・イン・ジ・オーシャン」と4th「リメンバー・ザー・フューチャー」の紙ジャケ仕様を買う(あとは資金がなく断念)。
 本当はキンクスの「マックスウェル・ヒルビリーズ」を聞きたくなって買いに行ったのだが、新譜コーナーをつい覗いたら、ネクターの全作品が紙ジャケ、リマスターで出ているではないか。これには正直言って驚いた。

 7枚目の「リサイクルド」も欲しかったが、これは彼らの最高傑作と評されているので、なくなる事はないだろう(とか言っていると、あっという間に市場から消えたりするが…)。4枚目の「リメンバー・ザー・フューチャー」は、1975年頃に○戸さんから教えられ、結構気に入った作品であるから、これは押さえておくしかあるまい。
 ちなみにライナーノーツを読むと、当時この4枚目は日本盤が出ていなかったので、知る人ぞ知る名盤という扱いだったのだそうだ。いろいろと貸してもらっていたので、そんな重要な作品だとは知らなかった。これは○戸さんから「ほら、これ聞いてみ」と、今では名盤と評価が定まっているアルバムを輸入盤で気軽に貸してもらっていたので、意識していなかっただけだが、当時の環境を考えるととんでもなく勉強になったのである。そして、タイフォンやパブロフズ・ドッグ、グリーンスレイドやスターキャッスルなどの今でもお気に入りのアルバムも教えてもらった事になる。まさに趣味の恩師である。

 そして2ndは、1stから早速変化していく様子が判る作品なので、これも買いである。少なくともテクニックは安定しているし、2nd以降の作品はサウンド的にも聞きやすくなっていくので、安心して買える紙ジャケ化である。

 いずれ、つい先日のユーライア・ヒープの全タイトルの紙ジャケ化は、もう勇気ある英断(無謀とも言う)で、売れるかどうかが疑問だが、今回のネクターはほとんどの作品が水準以上の作品なので、日本ではあまりメジャーではないという意味では英断だが、本来はそれなりに売れてもいいアイテムである。素直に販売元に拍手を送りたい。

 そしてもちろん、キンクスの「マックスウェル・ヒルビリーズ」も買ってきたのだった。

 帰宅して紙ジャケ情報をネットで調べていたら、アフロディテス・チャイルドやエイジア、エルトン・ジョンなど、紙ジャケ化のアナウンスが凄まじい勢いでされているが、なんとUKも近々出るとの事である。紙ジャケ化はともかく、リマスターしてあるなら是非欲しいところだ。
 ちなみに9月には、ピンク・フロイドの1枚物の全アルバムが2000円弱で販売されると言う。1ヶ月の期間限定らしいが、世界初の快挙という事だ。確かに彼らの作品は安くならないよなぁ。

 そして夕方、一家揃って紫山の「キャスロン」へ行く。先日竜男さんたちと行ったカフェである。
 子どんぐりはスイカ・ジュースとチーズ・ケーキである。おやつにしては高いぞっ。しかしスイカ・ジュースは予想通り、タネも粉砕されて混ざっていた。これにはちょっと微妙なものがある。
 こちらはフレンチ・コーヒーで、かなり苦味があるのにおいしいコーヒーである。私の好みでは、流石に酸味の強いコーヒーはパスである。
 この店は一番町はフォーラスの近くにもあるのだが、やはり雰囲気は紫山の方が良さそうだ。


2006年08月18日(金) 企業の問題点

 ネットのニュースを見ていたら、アメリカでアポロ計画のデータを記録した磁気テープが大量に行方不明になっているというのがあった。
 しかしその内容を見て驚いたのだが、不明なのは「月から地球へ送信されたデータを記録した磁気テープの原本700箱分」なのだそうだ。どうやったら700箱も行方不明に出来るのだろう。
 そもそも保管や移動を記録した書類がなく、今回の発覚も「アポロ計画の関係者が1年半前、古いテープ1本を見つけたのをきっかけに、同計画のテープを探し始めたら見つからなかった」というのだから呆れてしまう。
 NASAともあろう組織が、こんな事でいいのか。

 そう言えば以前、ロケットの打ち上げに失敗した時の原因が、製造現場でメートルとインチが混同していたためと言うものであったが、やはりNASAも巨大化しすぎてダメになったパターンなのだろうか。
 そもそも製造がメインの組織で、トップに経営や営業のベテランがなる企業はダメになるのが普通だ。製造現場を知っているならマシだが、そういう営業は現在皆無であるし、経営のベテランと言われる人種もほぼ同じだ。まあ営業上がりよりは多少マシではあるが。

 基本的に営業で業績を残した人間がトップになると、まずその会社はダメになるのだが、理由は単純で、営業で図抜けだ成績という事は、他の人とは違うかなり特殊な事をしたという意味であり。それを他の人間に伝える術はないからだ。
 つまり全員がトップ・セールスマンになるというのは、ネズミ講の全員が儲かるといっているのと同じで、妄想でしかない。営業にマニュアルなど存在せず、存在したら全部が横並びになるだけで、意味は全くない。そして営業の問題点は、各々が意識しているいないに係わらず、消費者をなめている事だ。実際そうでないと強烈な売込みなど不可能なのである。

 さらに根本的な問題だが、営業と言うのは製造現場の本当の苦しさと楽しさが理解できないのだ。この断絶は人種が違うと言っても良い。技術的な部分は理解不能なのである。そして困った事に、現場を理解できるタイプの人は絶対に営業のトップにはなれないから、当然発言力のあるトップにはなれない。小さな会社ならともかく、ある程度以上の規模の会社では、これは致命的なのだ。

 現在、日本の経済がなかなか良くならないと言っているが、これは日本の社会は営業がトップにいるからだと断言しても良い。バブル崩壊の時にトップが製造現場を知っている人間ばかりだったら、多分今のような惨状にはなっていなかったはずだ。創業者が製造上がりでも、次の代で営業上がりに変わってしまうと、ほとんどがダメになっている。単に巨大すぎて潰れていないだけという企業も多いのだ。
 ちなみにカスタマー・サービスが悪い会社というのは、まず間違いなく営業上がりのトップで占められている。

 結局日本の社会は、営業上がりでは物を売れない時代になったと言ってもいいのである。


2006年08月17日(木) 親子二代のカンヅメ

 今日から出社だが、やはり面倒である。

 子どんぐりが銀のエンゼルのクチバシを4枚持っていたのだが、昨夜ようやく1枚出て「おもちゃのカンヅメ」を応募できる状態になった。何年かかったのだろう。
 ただ現在は期間限定だがカンヅメに2種類あって、これはこれで悩んでしまうではないか。特に小さい子供だと両方欲しいという状態になりそうだし、実際中身がどういう物か判らないので、選びようがない。私が子供の頃のと妹の頃ですら中身にかなりの隔たりがあったのだから、現在だと想像すら出来ない(もっともネットでそれなりに判る時代ではあるのだが)。
 さて、子どんぐりはどちらを選ぶのだろう。

 今日、会社では帰省のお土産を持ってきた人がいたが、中に「どどんと沖の味」というクッキーがあった。包装紙には「海鮮クッキー」と書いてある。要はえびやこんぶなどが含まれたクッキーなのである。
 嫌な予感はしたが、とりあえず食べてみると確かにえびの味がするクッキーで、これはかなり不気味だ。多分二度と食する事はないだろう。釜石の虎月本舗と言うところが作っているようで、心意気は判るのだが、いかんせん肝心の味と香りに問題がありすぎである。

 なんだか「萩の調」依頼、久々にはずしたお菓子である。もっとも「萩の調」は、大真面目に作ってあの味だからなおさら始末におえない。一体どういう味覚の開発者がいたのだろうか。


2006年08月16日(水) 野菜畑で大ピンチ!

 今日はノンビリと家にいる。本当は欲しい物があるのだが、お金がないのである。
 いよいよ明日から出社だが、行きたくないと思ってしまう。やはり会社に魅力がないからだろう。

 そんな今日は、先日届いたDVDの「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!」を見る。
 流石に映画版、しかもアカデミー長編アニメーション部門を受賞しただけの事はあって、映像としてはクレイ・アニメだと言う事を忘れそうになる程素晴らしい。ストーリーも前作までの世界観をちゃんと踏襲しているし、こういうのを子供から大人まで楽しめる作品と言うのだろう。
 オープニングがもろにサンダーバード2号と3号の発進シーンというのが笑わせる。基本コンセプトは狼男、キングコングも混ざっているというあたり、本当に野菜恐怖映画のノリである。

 ただ見終わった時に、どうもテレビでの第三作「ウォレスとグルミット、危機一髪」のリメイクのように感じてしまった。多分これはあまり見当はずれではないと思うのだが、要所要所でかなりこの作品からイメージを拡大したと思われる部分が見られる。もちろんさらにスケールアップしているので、違和感とまでは行かないが、私としてはちょっと残念だ。
 だがこうして徐々に作品の世界観を変えていく方が、一般の人は馴染めるだろう。こういう作品(ピングーやトムとジェリーのような作品だ)は、急に変化させてはいけないのである。変化は徐々に行い、進化させていかなければならない類の作品なのである。
 という訳で、お勧め度が高い作品だと言う事に変わりはない。少なくとも、見て損はない。

 ちなみに「ウォレスとグルミット」は過去三作があり、「チーズ・ホリディ」「ペンギンに気をつけろ!」「ウォレスとグルミット、危機一髪」と放映されたが、やはり2作目が一番面白い。最後のアクションは不条理一歩手前の、まさに「トムとジェリー」の世界である。やはり必見の作品であろう。


2006年08月15日(火) 雑談が楽しい

 昨日は竜男さん、椿、チャウチャウの三氏と会う。
 15時に紫山のカフェ・キャスロンで合流。全員予定通りに到着と言うのが、流石は勤め人だと変な感心をする(チャウチャウを始めとする仙台時間があったなぁ)。しかしなかなか雰囲気のいい店だ。一番町にもあるというが、やはり郊外であるここの方が良さそうである。

 しばらくダベリングして、チャウチャウの車で町中まで全員移動する事にしたのだが、それに際して、エックス橋を渡るあたりから学生時代モードに突入、CMCがここで、ガンバルニャンがここ、パラマウント模型はあそこだと盛り上がり、結局駅周辺から国分町あたりまでのタイムスリップ・ツアーをしてしまった。
 さすがに4人揃うと記憶の欠落が補完されて楽しい。エックス橋近辺や駅前の記憶は、そうそうなくならない。
 このエックス橋にあった「仙台CMC」がかなり有名な店だったというのは、学生時代東京へ行って初めて知ったのだった。結構事件を起こした店でもあったし、店主が最後には癌でなくなったというのもシャレのようで、こう言ってはなんだが最後まで話題を提供してくれたのだった。

 市電のカーブの感覚などというものもすぐに思い出す。今回、古書店「火星の庭」を竜男さんに教えてもらったのだが、本町1丁目で、「花京院から来た市電が急カーブを描くちょっと先」で全員に話が通じてしまう。
 この店はかなりマニアックな品揃えで、松本あきら名義の漫画も置いてあった(34万円也)。今度ゆっくりと見てみたい

 場所を忘れていた国分町のビーム・ライフルを扱っていた銃砲店(なぜか火薬店である)も椿が教えてくれた。あそこは二日町に当たるのだろうか。いずれ国分町との境目あたりではある。ここはチャウチャウやKCなんかと遊びに行ったところである。

 結局これらはオヤジの昔話だと言われればその通りなのだが、仙台はここ30年でとんでもなく様変わりしてしまった町である。新幹線開通前の仙台駅など、実に貧相だったのだ(現在の中倉近辺から旧丸光が見えていたというのも、SS30が宮城学園の跡地だというのも、そろそろ忘れられているようだ)。  
 多分我々からせいぜい10歳下までが、1970年台の仙台を正確に語れる最後の世代だろうし、特にサブ・カルチャーについては、我々からちょっと下あたりが下限だろう。

 途中で旧学院高校の傍にあった「レオナルド」が移転したと聞き、移転先に行ってみる。ガードをくぐって榴ヶ岡1丁目の角にあった。ちょっとだけ覗くと、さすが面白い物がたくさんある。YB49等安ければ買うところだ。ゴリアテはドラゴンの他にエレールの物があり、こちらはパーツ分割が少なくなかなか良さそうだ。
 今回は食玩のV2を購入しただけだが、お盆で2割引の280円だった。

 居酒屋は中央通の朝日屋だったが、混んでいる割に店員が少なく、ちょっと不便を感じたが、まあこんなものだろう。ここでもバカ話に花が咲いたのだった。

 ここを出た後、雨の中をFedericoさん、TBKと三人でガンダム酒場の「ジオン」に行ったが、軍事に詳しい三人が揃ってしまったので、映像を見ながら突っ込む突っ込む。やはりテレビ・アニメにおいて戦争を描写する限界を感じるのだった。でも最後は見入ってしまうあたり、流石は富野監督作品である。
 しかしスーツを着たどう見ても普通の人達も来ていたが、別にファンという訳でもなさそうだ。一体どういうつもりで来たのか謎である。

 そして出る前に正月の営業時間の確認をしたが休みのようである。もっともお盆に正月のそんな事を確認する客もそうそういないだろう。


2006年08月14日(月) 結局、安比

 どんぐり2号は弘前まで墓参り。今回は一人で日帰りと主張するのでそうなってしまった。
 ところが子どんぐりは安比のプラレール展に行きたいという。結局安比までの往復と言うかなりな出費となる行動をとってしまった訳だが。

 高速はそこそこ混んでいたが、お盆のちょうど中間の日なので、比較的楽に移動できた。それでもこういう大型連休にはありがちな、訳のワカラン行動をとる車や、追い越し車線を延々80キロで走るおバカとか、サンデー・ドライヴァーとかいう以前の、免許の適正で落とすべきだと思われる輩が多くなる。結局、お盆期間に事故がなくなる事は、絶対にないのだろう。

 肝心のプラレール展だが、いくらガキ向けとは言え、一辺が10メートル以上あるベース一杯にプラレールが敷き詰められている光景は、ある種の迫力がある。もう少しセンスのある設置がなされていれば、これは大人でも充分に堪能できる可能性がある。
 もともとプラレールは、私が子供の頃に普及し始めたのだが、やはり大人になっても子供の頃に遊んだ記憶は消えないのかもしれない。実際30分間プラレールで遊べると言うコーナーでは、子供以上に親が夢中になっていたりする。まあ気持ちは判るが少しは自粛しろとも言いたくなる。
 
 帰りは恒例の安比アイスを頼まれたので、保冷バッグと大量の保冷剤を用意したのだが、帰宅するとアイスは溶けかかっていた。やはり発泡スチロール等の断熱効果の高い箱がないとダメなようだ。

 ところで安比高原スキー場は、今年で25周年になるとの事だ。確か初めて安比に来てから今年が20年目なので、結構初期から行っていた事になる。実際行った当初は中央ザイラーと右側の山にしかゲレンデがなく、しかもザイラーは今と違って、初心者の滑走は絶対に無理という難所だったのだ。随分とSF仲間とスキーに行っていたのが懐かしい。この時のSFはスキー・ファンでもあった訳である。
 ちなみにこの頃のSF界では、パイクやスキーがやたらと流行っていた。私は別に流行に乗った訳ではなく、先行していた誇りもあって、なんだかうれしいブームだったのである。

 それはともかく、帰りは早めの帰省客なのか、随分と高速も混んでいた。それでもほぼ予定通りの帰宅になったのだった。


2006年08月13日(日) 意外と見つかるものだ

 午後、フェノメナの4作目にあたる「サイコ・ファンタジー」を探しに出かける。
 多分、HMVとタワーレコードにはないと予想していたが、これは的中。元々マーキーのCDはあまり置いていないのである。で、どうせだからと新星堂へ行ってみると、これが置いてあったりする。現物を見て判ったが、発行がAVALONなので、新星堂なら結構扱っているのだ。
 以前はHMVにもプログレ・コーナーがあって便利だったのだが、やはり売れないのだろう、いつの間にかなくなってしまった。結局仙台の中心街では、新星堂に一番の私の好みのものが置かれている。これが各店の個性であり差別化というものなのだろう。
 ただここは、良く使う駐車場の利用券を発行していないのでその点では非常に不便である。必要なCDがここにしか置いてないのであれば仕方がないが…。

 それはともかく、今回の作品はサウンド的にはメタル寄りだが一作目に近いものがある。日本では大きな話題にならなかったのも、当時を知らない人ばかりのロック・シーンになってしまっているという事もあるが、やはり飛びぬけて目立つ作品ではないのも事実だ。
 もっとも過去の三作も同じようなものだが、そういうものを見つけるのもロックの楽しみというものだ。

 そして今回4作を聞きなおしてみると、その各作品は当時の空気を読んで、ある程度世間に受け入れられるように注意を払っているのが感じられる。特に2作目など一番売れ線狙いだと感じるが、やはり当時を思い返せば正しい戦略だったのである。
 完璧に新しいものを売るのは、70年代後半からはほぼ不可能になったのである。

 ついでにDVDコーナーを覗くと、「戦争は終わった」ワゴンというふざけたネーミングのコーナーが設けられており、過去の戦争映画1,480円シリーズがなんと980円で売られていた。持っていないのがあるかと見ていたら「未知への飛行」があるではないか。そう言えば出るという情報は見ていたが、すっかり忘れていたので、あわてて購入。
 この映画は横浜にいた1982年前後に、結構大きな劇場でリバイバル上映をしてくれたので観る事ができた。当時は幻の映画と言われていたので、これは非常にラッキーだった。
 「博士の異常な愛情」とテーマ、プロットともに同じだが、「未知への飛行」のシリアス度合いは半端ではない。流石は冷戦真っ只中での製作だけの事はある。そして両作品はまったく別の方向性を持つ作品になっている所も面白い。

 夜に竜男さんからメール。15日に会う事になりそうだ。


2006年08月12日(土) 人体の不思議展

 朝に母親を町まで送っていったのだが、10時を過ぎているのに道路がえらく混んでいる。たかが5〜6キロの移動が一苦労だった。明日はお盆だが、関係があるのか?

 そんな日の午後、子どんぐりを連れて自然史博物館へ行く。現在「人体の不思議展」を開催しているのだ。
 これは遺体をプラストミック標本化して、血管レヴェルから内臓、筋肉、骨格、等を見られる上に、CTスキャンのような輪切り状態での展示も出来る。
 ヨーロッパの博物館では比較的ポピュラーなのだが、日本国内から死体の影を消そうという政府の政策により、こういう遺体系の展示、見学はなかなかお目にかかれない。やはり人間の体というのが、物理的にもかなり複雑なものだという事実を認識できるいい機会なのである。

 ただし大人1,400円、中学700円というのは高すぎる。もちろん普通に展示物を見られるなら適当かもしれないが、とんでもなく混んでいる状態ではそれも適わず、ゆっくり見られないのである。そうなるとただお布施を出したのと同じで、支払った方にすれば暴利だとしか感じられない。
 そもそもスタッフの対応も混雑になれていないのであろう、あまりにお粗末だった。これは人が大勢来るという前提になっていないし、会場内の案内もヘタで混雑に拍車をかけていたのである。
 展示物はまあまあだったので、やはり惜しまれる。ついでに、グループで来てバカ笑いしているような連中は、スタッフが注意するべきなのだ。

 博物館等には、展示物を観に行くのであって、行列に参加するために行くのではないのである。


2006年08月11日(金) フェノメナ4

 明日から休みの人が多いので、会社では浮き足立っている人が多い。浮き足立つのはいいが、人の邪魔はしないで欲しいものだ。

 先日、突然だが「フェノメナ」を聴きたくなり、3枚あるはずのCDを探してみた。
 このアルバムは知っての通りトム・ギャレイによるフェノメナ・プロジェクトで、1985年の「フェノメナ」から始まり、1988年「ドリームランナー」、1993年「インナーヴィジョン」と続いた三部作である。意外と好きなので当時全て買ったのだが、今回探しても3作目が見つからない。

 そこで念のためにネットでジャケットを調べようと検索したら、なんと今年の2月にフェノメナの4作目になる「サイコ・ファンタジー」がマーキーより出ていたと判明した。
 しかも相変わらずトム・ギャレイの企画で、最初の作品からすると21年ぶり、最後からでも13年ぶりである。これはちょっと驚いてしまった。確か3部作のはずなのだが…(しかし検索途中で、KENさんのHPが初期段階で引っかかってきたのには笑ってしまった。さすがはKENさんである)。
 そもそもこのシリーズは、プロジェクトと言うだけあって毎回メンバーは異なり、今回も前作とは全然違うらしい。つまり流石にジョン・ウェットンは今回不参加なのである。
 いずれこれは、通販で頼むしかない。

 しかしこうしてみると、仙台支店に異動してからの1年という期間は、本当に人生の無駄だったと思う。これからその期間をリカバリーしていかないと、自分自身で納得ができない。ある程度やれば納得はするだろうから、直観が働いたものは一通りチェックをしていかなければならないだろう。
 この辺は勘が頼りである。

 関係ないが、フェノメナ・シリーズ2作目の「ドリームランナー」は、ESIFCONのオープニング・ビデオ製作時のBGMにも使用していた思い入れのあるアルバムなのである(オープニング・ビデオがあったという部分で驚かないように)。
 この頃はキングのユーロ・ロック・シリーズからも多用していたので、今もし発掘されたら感動モノかもしれない。レコードからの録音、画面とのシンクロなので大変だったが、かなり良い選曲をしていたと記憶している。

 過去の記憶は捏造と美化で進化していくものなのである。


2006年08月10日(木) 怖さも時代で変化する

 昨日会社で誰も「へび女」を知らないと言うので、夜に実家へ行き「まだらの恐怖」を探してくる。
 という訳で、ちょっと読みたがっていた二人に貸してみたのだが、一人は昼休みに読み終わったと言う。なんて早い。
 感想は、「気持ち悪い絵だけれど、あっさりと読み終わってしまう」という、毒にも薬にもならないものであった。まあそんなものなのだろう。

 言われてみれば、連載当時は街燈もほとんどないような時代で、夕方にこんなのを読むとマジで怖かったのも過去の話なのだ。ただ子どんぐりが「こんなのが雑誌の見開きで出てくると怖いかも知れない」と言っていたので、当時は雑誌媒体での怖さ50%増し、当時の社会環境でさらに50%増し、というところかもしれない。

 ちなみにあっさりと読めたという事は、少なくともストーリーが非常にうまいという証拠でもある。近年のマンガは、ストーリー、演出ともメチャクチャなのが非常に多く、もうこういうのは読むのが苦痛なので、だんだんとマンガから離れてしまうのだ。

 そんな夜、毎晩楽しみにしているYouTubeが、突然見られなくなった。
 どのブラウザを使用しても異常終了してしまうのである。おかげで毎晩楽しみにしている「ウルトラヴァイオレット」が見られない…。
 一体どうしたのだろう。


2006年08月09日(水) 怖い話

 会社でふとしたはずみに、楳図の「へび女」シリーズの話をしてしまったのだが、驚いた事に誰も知らないと言う。いつから「へび女」はそんなにマイナーになってしまったのだろう。なんだか信じられない。
 そもそも楳図の名前すら知っている人がほとんどいなかったと言うのは、流石にこの会社の問題点だとは思うが、いずれにせよこうして名作と言うのは徐々に消えていくのかもしれない。

 しかし過去様々な怪奇マンガを読んできたが、今でも読んで純粋に怖いと思うのはこの「へび女」シリーズだけである。これを読んできたおかげで、大概のホラー映画は怖くないし、またいわゆるショッカー系のホラーなど、全く好きになれない。
 そんな中で近年は「女優霊」が人を怖がらせるという意味で良く出来ていると思ったが、いかんせんラストがいただけない。霊なのだからあそこまで物理的な行動を起こしては、一気にしらけてしまう。だがそれを除けばこれは傑作であり、以後亜流が鬼のようにできた事でも納得できるだろう。
 最近のホラー映画について、すべては「女優霊」から始まったのである。

 などと、冷静にホラー映画を観られるようになったのも、多分楳図マンガのおかげなのだろう。

 そして今日もYou Tubeで「ultraviolet」を検索しているのだが、やはり見た事のない映像がチマチマと見つかる。アクション・シーンにも結構カットされたものがあるのだが、どうも殺し方がちょっとエグいと思われるシーンがカットされているようだ。これだとアメリカのR指定を避けるためのカットなのではないかと思ってしまう。
 いずれ早くソフトが欲しいぞ(かなりしつこいな)。

 ちなみにYou Tubeでは現在、四人囃子の「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」も見られる。こういう名作が見られるのが良い点なのである。


2006年08月08日(火) 文化財?

 今日はどんぐり2号が「本当にあった愉快な話」という、本当にしょ〜もない雑誌を買ってきた。
 何故こんなのを買ったかというと、浪花愛氏の連載があって、しかも今回は日本SF大会のレポートなのである。たったこれだけのために無駄な雑誌を買わなければならないというのも、なんだか悔しいぞ。…。
 しかし彼女もデンキネコを見ていたらしい。つまりあの人数だと、顔を知っていればすぐに気づいた可能性が非常に大きかった訳だ。残念。

 今日も一時間ほどYou Tubeを見る。
 最近はultravioletで検索すると、「ウルトラヴァイオレット」の他に「バイオハザード」が良く引っかかってくるようになった。いくら主役が同じだとは言っても、まるで別の作品なのだから、なんだか納得できないものがある。そもそも「バイオハザード」シリーズはゾンビ映画、「ウルトラヴァイオレット」は健全なアクション映画なので、その差は歴然としている。しかしどちらも荒唐無稽な作品なのは同じだが、やはり「ウルトラヴァイオレット」は無駄にかっこいいのである。
 これは荒唐無稽重要文化財だろう(今日の日記は、これが言いたかっただけだったりする…)。


2006年08月07日(月) 大甘の某準国営放送局

 昨夜の某準国営放送で、劣化ウラン弾をテーマにした放送があった。
 何故今ごろ、とは思ったがとりあえず見た訳で、予想通り突っ込みが甘いし中途半端である。私などには「もっと詳しく紹介しろ」とか「その実験の詳しい資料が見たい」とか「劣化ウラン弾の威力はそんなものではない」など、とにかく何故そこを見せないのか判らないのである。実に半端な進行でイライラしてしまう。
 でも逆に、劣化ウラン弾という物の存在を知らなかった人には、説明が不充分なのではないだろうか。なにかミス・リードしようとしているような、ある種の作為を感じてしまう。

 でもこれが広島支局作成という事でなんとなくその理由も見えてくる。要は「被爆」という物を扱いたかっただけなのだ。劣化「ウラン」弾の放射能という部分だけを強調すればそれで良かったのだろう。だから原爆投下の日に放送なのである。あまりにもあざといと思うのだが。

 劣化ウラン弾に関する話は、そんな記念日を待つまでもなく、もっと緊急性の高いものだ。そもそも取り上げるのが10年遅い。我々素人が大丈夫なのかと騒いでいたのが湾岸戦争終了直後からなのに、マスコミとしてはあまりに遅すぎる。
 実戦で初めて大量に使われたのが湾岸戦争の時なのだが、それ以降は歯止めもなく、仮に今から製造中止、使用禁止となっても、拡散してしまった量が多すぎるのである。もう何もかもが手遅れなのだ。
 これはベトナム戦争時の枯葉剤と同じである。あれも当初、軍は枯葉剤と癌の因果関係はないと言っていたのだが、実態は世界中が知ってのとおりである。

 この手の事件は、マスコミが真剣に追いかけて報道していかないと、なかなか日の目を見ないのである。実際に調査するのはマスコミ以外の人間であっても、それを世界中に知らせるのはマスコミの義務である。そういう意味でもこの準国営放送というのは動きが鈍い。しょせんはただのテレビ製作局で、視聴率を気にするようになっては終わりである。しかも巨大になりすぎて小回りは効かず、また政治の圧力にも弱い。もうその存在意義すら怪しい。
 こうなるとなまじ視聴料を取っているだけに悪質だとも言える。一見中立を保っているよう偽装しているが、これではまだ民放の方がましだ。

 いずれ劣化ウラン弾は、その破壊力と価格から、軍が自分から手放す事は考えられない。番組中でも紹介されたように「政治的な中止」以外にはありえないのだ。だからこそマスコミにはこれをなんとかする義務があるのだ。
 そういう本来の活動をまともに行わず、面白くもないバラエティだの特定の企業を応援するプロ野球だの、あるいは無駄金を使う年末の歌合戦などを作っている場合ではないだろう。
 極論すればニュースとドキュメンタリーだけを放映していればいいと思うのだ、某準国営放送局という物は。


2006年08月06日(日) これは見たかった

 今日は子どんぐりが午前中から友達のところへ遊びに行くという。受験生のはずだが、まあいいけど。
 そして安比で開催されているプラレール展にも行きたいなどという。小さいお子様向けの企画なのだが…。ただし来年さいたま市に開設される鉄道博物館の予告のような事もするらしいので、14日にでも連れて行くか。ちと遠いが…。

 そんな今日、ネットで新聞記事を見ていたら、なんと八戸港に先月末から『地球深部探査船「ちきゅう」』が寄航していたのだそうだ。今回の「日本沈没」にも登場した船である。映画協力とかしていたので、もしかしたら内部見学をさせてくれたのかもしれず、これは激しく見たかった。
 子どんぐりが6年生の時、同じ場所に『南極観測船「しらせ」』が寄航して内部見学をさせてくれたが、あれもなかなか面白いものだった。船などは、実際に内部へ入ってみないと、その大きさや内部構造の複雑さはなかなか理解し難い。デッキの広さや操舵室からの視界などは、やはり入って実際に見ないと判らないのである。
 今回の「ちきゅう」はその任務上、巨大なトラス建設物があり、多分下から見るだけでも感動物だろうし、それによって初めて、この船体の巨大さが判ろうというものだ。
 やはり普段簡単には見られない巨大建造物や特殊任務用機械というのは、本当にチャンスがあったら絶対に見ておくべきである。

 ちなみに今回の任務は、下北半島の東方沖約七十キロでマントル物質を採取するのが運用目的の一つなのだそうだ。つまり海底下2200メートルまで掘り進み試料の採取に成功すれば、世界最深部からの試料採取となる訳だ。
 そして10月中旬まで行うという事は、終わればまた寄航する訳で、その時には内部や資料の一部が公開されるかもしれないので、これまた見たいものである。


2006年08月05日(土) 「ガン=カタ」も定着してきた

 今日も粗仕事。やる事は一杯あるのだが、どうも交代制の土曜日出勤と言うのは熱が入らない。まあ土曜日は早く帰れるから別にいいけど。
 そして今日から七夕だが、中心街が鬼のように混むので、早く帰っても見に行かないのだった。

 という訳で、帰宅後、You Tubeで「Gun=Kata」を検索して見ていたら、どこかで聞いたBGMを利用しているクリップがあった。なんとDream Theaterの現時点における最新アルバム「Octavarium」から「Never Enough」を使用している(輸入盤しか持っていないので、邦題は不明)。
 意外とこういう曲も合うようで、それならEL&Pの「ホウダウン」やキング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」なんかも合うのではないだろうか。あるいはストレートなロックならユーライア・ヒープの「対自核」も合いそうだ。誰かやらないかな。

 そして何故か「Gun=Kata」の検索で「デカレンジャー」の第一話も引っかかってきた。これが「Gun=Kataもどき」のシーンがあるという噂のアレか、という事で見たのだが、やはり時間と金の問題、というか一発撮りの問題なのだろう、スピード感が乏しくかなりショボい。やりたい事としては充分すぎる程判るのだが、いかんせん完成画面が甘い。これでは韓国あたりの学生が作ったものとあまり変わらない(あちらはもっとバカだが)。ちょっと残念だ。

 もっともこれは、本家「リベリオン」や「ウルトラヴァイオレット」と比較してしまうからどうしても点が低くならざるをえない訳で、その辺はしかたがない。
 ただし今でもリスペクターがそれなりに出始めているので、そのうち本家を越えるものが出てくる可能性はある。それでもこのアクションは一歩間違うとギャグにしかならないので、ハードルはかなり高いのである。


2006年08月04日(金) 真偽のほどはいかに

 エキサイトのニュースで、『「ハリー・ポッターを殺さないで」 米作家らがローリングにお願い』という見出しがあった。
 こんなふざけた事を言うのは誰なんだと思って見ると、ジョン・アーヴィングとスティーヴン・キングだと書いてある。そんなバカな、と思って記事を読むと、これはマスコミ得意のミス・リードなのではないかと感じる。

 まずジョン・アーヴィングが共同記者会見で「ハリーの無事を祈っているよ」と言ったというが、ジョン・アーヴィングともあろう者が、人の作品に注文をつけるとは思えない。この発言は純粋にファンの立場から「主人公は死なないで欲しいなぁ」と言っているだけなのではないだろうか。というかこの言葉からは普通そういう意味にしか取れないと思うのだが。

 そしてスティーヴン・キングは「探偵シャーロック・ホームズを小説の中で死なせた作家アーサー・コナン・ドイルを例に出し、ハリーにはホームズと同じ道をたどって欲しくないと語った」と言ったようだ。
 これは多分、ホームズのように後から生き返らせるような事はしないで欲しい、と言っているだけだろう。ドイルは結局ファンからの強い要望で後の巻でホームズを復活させているのだが、やはりこういう復活のさせ方は、命をもてあそんでいるようで良くないだろうし、作品としての質を落としかねない。

 つまり私には、二人の作家は「殺さないで」などと言ったとは思えない。結局は話題作りの適当な記事なのではないだろうか。最近、記者の質が著しく落ちているからなぁ。

 ところで。
 相変わらずのYou Tubeからのネタなのだが、ちょっと「リベリオン」の映像を調べていたら、なんだか感じが違う映像にぶち当たった。「GUN=KATA 1」というタイトルなのだが、微妙に音が違うのである。決定的なのは、例の「どうするアイフル・大殺戮編」でのショットガンの効果音で、これが完全に違う音になっている。
 この映像には日本語の字幕が付いているので、日本で発売された物だと思われるが、この音のヴァージョンは見た事がないので非常に気になってしまう。
 もしかしてHD DVDヴァージョンなのか? これは高いし機械もないので買っていないのだが、買うべきなのだろうか。
 わざわざ映画館で観て、DVDも買って個人的普及委員会までやったのに、まだ搾取されるのかい。
 まったく、好きこそものの哀れなりけり、だなぁ。


2006年08月03日(木) どっかーん

 変な夢をみてしまった。
 舞台はなんだか良く分からないが、ESIFCONか、はたまたSF大会か、とにかくその手の数百人単位のコンヴェンションである(数百人規模のESIFCONなどありえない話だが、自分が事務局をやっているし、そもそも夢だし、いずれ先月開催された日本SF大会のイメージなのだろう)。

 特にトラブルもなく進行していたのだが、午前2時頃から事務局に苦情が殺到する。その内容が「写真を撮ると霊が写る」というものばかりである(それが苦情だというのも不思議だが)。
 当然デジカメなので見せてもらうと、確かに霊が写っている。ただし写っているのは複数人物で、とり・みきが描くところの自己主張の強い霊達である。そこからしておかしいのだが、さらにこの一連の写真には大きな特徴があった。「霊の周囲がみな爆発している」のである。
 樋口監督版「日本沈没」のように派手な火柱、煙、水柱など、ありとあらゆる爆発が一緒に写っている。
 これはつまり「自爆霊」だというオチだった訳だ。

 でも霊と一緒に爆発が写っていたら、そりゃ邪魔だよなぁ。そして久々に見た夢がこれだというのものなんだかなぁ。


2006年08月02日(水) イエスとナイス

 梅雨が明けたそうだ。これから暑くなるのかと思うとウンザリする。
 そろそろお盆が近づいてきた。今年は子どんぐりの受験が近いという事もあり、多分遠出はしないと思うが、やはりどこかに行きたくはなるだろう。

 今日は先日買った「ザ・コレクターズ・キング・クリムゾン Vol.10」を聴かずに、イエスとナイスを聴く。
 イエスは「危機」だけを聴いたが、何度聴いても飽きない傑作である。まあそうしょっちゅう聴いている訳ではないが、時々聴きたくなるのである。
 当然、テーマ曲である「危機」は素晴らしいが、このアルバムは「シベリアン・カートゥル」で終わっているところがいいのである。曲もいいが韻を踏んだ歌詞が、へたなバラードで終わるよりもはるかに鎮静効果を促してくれる。つまり「危機」で興奮した頭を「同志」でクールダウンさせ、その後「シベリアン・カートゥル」で適度な興奮と適度なクールダウンに持っていく、この配分が絶妙なのである。
 この構成、特に「シベリアン・カートゥル」で終わる事が、このアルバムを傑作にしていると言える。

 ナイスは、やはりキース・エマーソンという稀代のロック・キーボーディストの存在が大きい。EL&Pは今でも大好きでたまに聴いているし、ソロ以降の彼の作品も意外と好きである。しかしナイスは、そのスタイルをほぼ確率させてしまったという意義は大きいのだが、いかんせんアルバムとしては今ひとつなのである。それが惜しい。
 ただ一曲が10分近い名曲があると、それだけでなんとなくアルバムが優れていたような錯覚に陥る事もある。ナイスの魅力とは、多分それである。だから改めて聴くと、どうも物足りないと思ってしまうのだ。
 まあ発表した時代を考えればあれで充分といえるのかも知れないが。


2006年08月01日(火) 吉村昭氏の訃報

 吉村昭氏が亡くなったそうだ。79歳とは意外と若い。なんだかもっと年を取っていたように思っていたのは勘違いだったようだ。

 彼の作品は、大学の頃に「高熱隧道」「戦艦武蔵」「星への旅」の3冊を読んで非常に感動したものだ。
 特に「高熱隧道」の面白さは、ある意味天下無敵と言えるだろう。内容はいわずと知れた、黒部第三発電所建設のために大量の殉職者を出しながら自然と闘った男たちの物語である(もちろん黒四ダムの話ではない)。
 これはなんとなく新田次郎の「富士山頂」や「八甲田山」と較べたくなるが、事前調査の完璧さだけではなく、純文学の素養とも相まって、信じられない程の完成度となった(少し褒めすぎか?)。

 その純文学方面だが、「星への旅」や「青い骨」を読むと実は本当に純文系の人なのだというのが良く判る。はっきり言って非常に上手い(実はひそかに純文系も好きだったりするのだな)。やはり本来は純文を書きたかったのかも知れないが、黒部第三発電所の取材によって、純文学をしのぐ世界があると気づいたのだろう。もちろん純文学も捨てられなかったと見えて、その後もいろいろと書いている。いずれどちらのジャンルも一流といえるだろう。

 とにかく「高熱隧道」と「戦艦武蔵」は傑作である。これだけ資料満載でありながら物語としても非常に面白いというのは、実はかなり高度なテクニックを要するのであり、こんなのを大量に書いている吉村昭氏は、やはり天才的な作家と言って間違いない。
 いい作品の条件の一つは、文章が上手い事なのである。


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