正月も帰れず、何も出来ず、50を過ぎた男が母にTELし、励まされ、一人泣く夜。
大寒の日とはいえ、東京はポカポカ陽気、沖縄では夏日だそうで、皆半そででアイスクリンを食しという。
これ温暖化の影響か?
2010年01月04日(月) |
北川詩子ちゃんが逝きました。 |
詩子ちゃん、去年の三月一緒に演奏できて嬉しかったよ、熊本での練習、そしてリハとあなたの澄んだ心と音に癒されました、ありがとう
その音は今も耳に残ってます。 大変な手術を何度して・・・ あなたの作曲した筝の作品素晴らしかったよ 又いつの世かで会おうね、そして音楽しようね
以下は昨年の1月に書いたもの 今回のワークショップで筑波大学附属視覚特別支援学校卒業生飯島リン君には会えませんでしたが、北川詩子ちゃんのことを紹介します。 今から10数年前日本音楽集団の若手として頑張って筝を弾いてました・・・テニスが好きで真っ黒に日焼けしたイメージが強く、その後病に倒れ、長い年月が過ぎ・・・今日このように僕と合奏していることが奇跡のようです。
脳腫瘍の手術により失明し、その後骨髄に癌細胞が転移し、その手術のため歩行困難で車椅子生活を余技されなくなりました。 その後懸命の努力と筝での作曲活動により画像にあるように元気に演奏しています、今は腎臓に腫瘍が転移してますが、癌と共存することを提唱する医師との出会いにより、素晴らしい活動をしています、りん君とも友達です、尺八の坂田梁山君が彼女に委嘱してまだ完成していない曲を聞かせてもらいました、もう・・・たまらなく涙が零れました、画像では左で弾いているのが詩子ちゃんです。
ご冥福を祈ってます。
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