いきなり泣きのTELが入った。
長電話しているうちに、腹が減り「じゃハンバーガー作ってるからきて」
久しぶりに行った、部屋は何も変わってなかった、僕が連れてきた鼓太郎というチンチラペルシャが死に、猫缶もトイレもそのまま。
彼女は彼が出来たと言ったから別れた、その人を「農民!」と嘲けている。
僕も別れの手紙を書いた・・・食欲が満たされた、本当に美味しかった、あとは・・・ 懐かしい体に手、指、愛撫が能囃子のように鳴る、そして・・・やはり変わっていた、女はそれを判っているのか?したたかに精を放つ
しかし覆水は盆には帰らない!
2010年03月03日(水) |
能囃子「次第〜中之舞」 |
筑波大学附属視覚特別支援学校での授業。
T君が卒業演奏で能囃子「次第〜中之舞」をやる。
又Nさんが今、T君と同じ曲をやっている、彼女には私の愛する小鼓をゆずった経緯もある。
結論としては二人とも素晴らしい演奏をしている、又弟子の片岡亮太の助けもあり彼等は成長している。
その亮太も留学試験に合格してアメリカ留学が決まった、師匠としてこのような喜びはない!
生徒の進路も決まり、緩やかな時ではあるが、この時期だからこそ、なんとか将来への志を伝えたい。
論語を引用して話をした。 一、好きなことで生きていかれることへの感謝
二、そのことが生活の糧へとついて来る確信
三、そのいき方が他者社会に貢献できること。
盲人として不安な要素は沢山あります、オリンピックのフィギアのことを話しても、リカちゃん人形を使って触らして説明しないと解らない!
ここの学校では過去パラリンピックコ゜ルードメダリストは何人も輩出しているほどバンカラだ、しかし音楽科の生徒は親が体育を避けさせてきた経緯が見られ、肉体的発達が遅れている。
盲聾のA君は厳しく突き放されたような(そうではないのだけれども)教育でへレンケラーや東大の福島先生(爆笑問題の大田君が感動してた)以上の重度にもかかわらず、天才的才能を開花させようとしている。
僕はこの学校の卒業生とも連携して海外留学やコンサート支援をしていきたいと思う、そのためにスポンサーも募っています。
人を切り落とし、勝組負組けを決めた小泉政権時代の悪しき風習を打破して、経営や教育に慈悲の心を再び蘇らせなければこの国は戦時中以上の不幸に見舞われるだろう。
さー助け合って生きていこうよ!な!
天気予報では暖かくなると言っていたが、寒さが続く、今日先月末、二月末、振り込めなかったTの代金や家賃を振り込む。
雨が降っている。
バンクーバーオリンピックも終わり、何だか寂しい気持ち、何時か又バンクーバーに行きたいと思うがはたして可能なりや! カナダ五大湖からナイヤガラの大瀑布にいきたし、今度はカナダ側から眺めたし、又ボートにも乗りたし。
毛筆と墨絵で手紙を認める、慶応年間江戸時代製の墨をする、これまた嬉しからずや。
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