新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2005年02月21日(月) 春琴物語

CSの時代劇チャンネルで谷崎潤一郎原作の春琴抄、映画の代は春琴物語を見た。
1954年だから僕の生まれる前
京マチ子 キョウマチコ (春琴)
花柳喜章 ハナヤギヨシアキ (佐助)
監督: 伊藤大輔 イトウダイスケ
音楽がコジラの伊福部昭 イフクベアキラ先生

モクノロだから妙に色っぽい、あの感じ、子供の頃たしか西宮の甲子園あたりだったと思う、綺麗な着物を着たお姉さんがサングラスをした盲目の男性の手を引いて歩いてたのを見たことがある、手には三味線のケースを持っていた、それとだぶってあー時々聞こえていた筝や三味線の音は眼の見えない人が弾いているのだと思いなんだか哀しくなったっけ。
 
 大阪船場の大店の人たちは芦屋に住んでいた人が多い、これは記憶が確かではないのだけれども、今でいうサロンコンサートが開かれ、弦楽四重奏や能の謡、文楽、地唄の会などをやっていた、子供の頃何度か聞いた、いや道すがらだったのかも知れない・・・。

 西洋音楽から今邦楽の演奏家になったのはやはりあの頃の影響だと思う、街で聞こえた筝はけっこう楽しかった、あれは地唄の掛け合いだったんだなーと今は思う。

 原作を読んだ時には実在の話かと思った、二人の間にはいつの間にか子供が出来て、里子に出される、映画ではその子供を訪ねるところで終わる。

 三木稔先生の作曲したオペラ「春琴抄」も素晴らしい

三木稔作曲<春琴抄>第二幕より 1990年 二期会公演

 オーケストラをバックに箏曲「みだれ」が流れる、原曲「みだれ」だけでも凄い情念が感じられるのにオペラとなると凄まじい。




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2005年02月14日(月) 江田島滞在記Ⅱ

 旧海軍の兵学校、あの山本五十六連合艦隊司令長官が書き残した五省、ある時企業に売り込みに行った時、額に飾られていた、勿論仕事成立、僕は本当に兵学校出身者に助けられている・・・感謝。


今、一度、五章を、その言葉の意味も込めまして、申します。
一、至誠に悖る  なかりしか
  偽りのない心に、背き惑うことはないか、真心に反する点はなかったか
一、言行に恥ずる なかりしか
  言葉と行いに、見苦しさ、恥ずかしさを覚えないか、言行不一致な点はなかったか
一、気力に欠くる なかりしか
  行動に耐える力、根気が不足していないか、精神力は十分であったか
一、努力に憾み  なかりしか
  努め励むべき事に、心残り、物足りなさを、覚えないか、精一杯努力をしたか
一、不精に亘る  なかりしか
  面倒くさがって、怠け心が、広がっていないか、最後まで真剣に取り組んだか


実際の五十六長官は冗談好きで今で言うと宴会長官みたいなところのあった人のようだ・・・今現実に陸海空自衛隊はインド洋イラクに派遣されている訳だから、どうか無事に任務を全うされたいと願うのは僕だけではないと思う。

 そして江田島では今も【同期の桜】で歌われた桜がある、生徒館には勝海舟、竜馬、西郷従道・・・東郷元帥、秋山真之、山本五十六、井上成美、岡田啓介、鈴木貫太郎等、歴史を動かした人物・・・。

 同期の桜遺書、公式な遺書のためか20代の青年にしては毛筆で達筆だ、共通しているのは両親への感謝と、国家のために命を散らすという潔い文面、しかし涙が滂沱として流れる、陸軍航空隊の知覧には食堂のおばさんに本心を託した遺書が展示されている。

僕もリンクさせていただいている神風のサイト若い彼等が残した思いを是非一度読んで下さい。
 遺書

 そして島を後にした、夕日が海に映え、素晴らしく清清しい一日となった、又こよう。




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2005年02月10日(木) ヴァイオリニスト和波先生を迎えての特別授業

 筑波大学附属盲学校の生徒達は贅沢だ、先週は甲野善紀先生を迎えての古武術の実践講座、今週は盲目のヴァイオリニスト和波先生、僕より10才上かな、4月1日には60歳バースディーコンサートをサントリーホールで開かれる予定だから、たぶんそうだ。
 此処筑波大学附属盲学校出身であり、桐朋学園の先輩でもある、前々から一度お会いして色々お話がしたいと思っていた。
 「おしかけて来ました」とおっしゃってました、そう後輩に対する愛情に溢れている方だ。
 奥様のピアニスト土屋美寧子さんとご一緒に演奏された、最後のサンサーンス作曲序奏とロンド・カプリチオーソはブラボーであった。

 演奏後和波さんの盲学校時代の話や生徒との質疑応答に移っていった、生徒の一人から「私、全盲なのですが指揮者になれるでしょうか」という質問があった、先生はたぶんプロ事を思われたんだと思う「指揮者の世界はまだまだ男性社会で女性は少ない、でもあなたがどうしても表現したいと望むならやればいいと思う」とおっしゃった、僕もそう思う、指揮の勉強は楽譜を読み込むという盲人には大変なハンディーがあるし肉体的な事も大事だ、でも木金管楽器、打楽器、弦楽器等、好奇心を持って"どうなってるのかなー?"
と取り組むだけでもずーと世界が開けてくると思う。

 和波さんは盲学校時代から体育が嫌いだったと言われました、それはそういう教師との出会いがその科目の好き嫌いになり、それがその後ずっと付き纏うぐらい精神的にも苦手意識が消えないのだということらしい、僕にも似た経験がある同感だ。
 そこでもし甲野先生の古武術を和波先生が知ったら、たぶんもっと身体が軽くなり、何か発見されるのではないかなーと思った。





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2005年02月08日(火) 江田島滞在記Ⅰ

GONNAの広島公演が終わり、予てから行きたかった江田島旧海軍兵学校、現幹部学校技術学校へ向かった。
 何故、予てということは僕のホームページに書いている。

 朝とある所に電話して「兵学校」に行く旨を伝えた、丁重にも迎えを遣すという誘いを自分で行きたいと断り、GONNAのメンバーと別れて市電の人となった。
 宇品内港から見た風景

高速艇に乗り約20分、この日は小春日和でマフラーでさえ捨てたくなった、波静かで心晴朗なり・・・隣には大学の講師かな?と思われる白髪混じりの紳士がコーラを飲んでいる。
 小用という江田島の港に着き、丁度海上自衛隊第一術科学校方面大垣高校行きのバスまで10分、おー仕官候補生らしき青年も同乗してきた、やはり黒靴はピカピカだった。
 そうとうな山の上にある、戦前戦中の生徒は勿論歩いたのだろう。着いてみると土曜ということもあってかのんびりしている、警備の隊員・・・というよりは未だ学生に見える、そして来校の旨を伝えた。
生徒館

海自とは言え軍隊であるからして、徹底的な階級制度には変わりない、世界の海軍では共通の儀礼、旗様式、旗、光通信手段があり、そういう意味で海軍文明と言われるのだろう、作家の海兵68期豊田譲さんが「なぐりなぐられの海兵生活」というエッセーを書かれていたかと思う、現代の海自では特訓しごきはあっても鉄拳制裁はない???との事である。

此処が正門なのだ、海外からの貴客や校長の赴任も此処から上陸して行われる、これも世界共通の事例だ。
古鷹山が見える、今も昔も生徒は駆け上がる、いきあがる


スポーツをしている生徒達は今の学生となんら変わらない、違うのは国から給料が支払われている事だ、高校生で税金もかからないで経費を抜いて手取り15万円ぐらいだそうな、防大もそうだものな。
 案内してくれている退役士官は「いやー昨日はカレーでした、何十年毎金曜日に食べてますが、美味いですよ海軍カレーは」
 そして面白い話を聞いた「自分が若い頃ルッキング(海軍用語でお見合い)のため住民票が必要となり役所へ行きました、自分の住所は護衛艦だったのです、居住区の狭いベッドが、自分の世帯、で、自分はそこの世帯主、日本一小さい世帯かもしれない、と思ったのであります。」






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2005年02月06日(日) GONNAコンサートでの古武術の気づき

僕が顧問をしているGONNAコンサート【春だJOY】広島アステールプラザであった。
 当初チケットが売れない!と危機感を持って現地での宣伝、企業えの働きかけ等頑張った成果か、当日券もかなり売れて満杯となった。今回は音響装置も使用したので、勿論乾燥対策も万全に行って、凄い重低音が鳴った、初めて明確なアンサンブルが聴けた、彼等、本当に良くなってきている、11日の知立コンサートはソウルドアウトだそうだ、頑張ってるネ!
 
僕はGPの時間に着いた、そしてステージ脇でチャイナシンバルとドラを鳴らす曲でシンバルの音をわざと止めているのかと思って見てみると、喩えは悪いけれども、お猿さんの玩具がキーと泣きながらシンバルを叩くのって・・・あーいう感じで叩いていた。
 そこで本来のシンバルの叩き方を教えている時にハタ!!と気がついた、オーケストラでのシンバルの奏法は何種類かあるが、僕の洋楽打楽器の先生元NHK交響楽団の小林義隆先生はあのカラヤンが引き抜こうとしたティンパニーの名人であり後年はシンバル奏者としてその名を轟かせていた。

 奏法としては手首を柔らかくして左は上に放り上げるように動かし、右はニュートンの法則通りに落とすのである、そしてほとんどの人は知らないと思うが、シンバルを叩き合わせる という表現より、響かせるという方があっている、実は瞬間に二つ鳴らしているのだ。

 GONNAの凛ちゃんに上に書いたようなことを言っている時に正に古武術の足裏の垂直離陸と肩の溶かし込みをやっていることに気がついた!!そして凛ちゃんが練習をしだしたら、おー鳴る鳴る音が伸びる伸びる・・・本人も吃驚!本番も勿論音が伸びてシャープな響きがした。

 そうなんだ、この理屈が身体の骨格で行われて今までにない力が発揮されるのだ、 米国ハーバード大学医学部のイングバー博士は、生物の構造を生み出す基本原理は「テンセグリティー」という理論を発表されている、そー「テンセグリティー」理論で説明できそうな気がする。





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2005年02月04日(金) 甲野先生を迎えて古武術の特別授業そのⅡ

 甲野先生と助手の岸さん、岡田さん、入江さんが盲目の生徒一人一人の手を取り、「~だよ」と言いながら技の説明をされているのを見て実は心底感動していました、涙が溢れた。
 僕が関わっている伝統音楽の世界、分裂を繰り返す武道の世界、良く似ている、名人の下に集った弟子達は必ず~流という組織を作りそれが生活の糧にもなる、そのうち組織論としての人間性不在、組織悪に覆われ原点を忘れ去ってしまう。宗教もそうだ、鎌倉時代の革命的宗教家の弟子達は長い年月に分裂を繰り返してきている。

 甲野先生は地方の稽古会によく出かけておられます、しかし支部長や甲野流という組織は作られない、たぶん経営コンサルティグの専門家は悔しがると思う。

懇親会でも術の講習が行われた。



 剣豪の修行という死語があるが、人格陶冶という武道家も使う言葉と相似関係にあると思う。
 筑波大学附属盲学校では大変な反響だったそうだ、実は僕の願いは先生達に感じて欲しかったのです、勿論一回だけでは解るはずはなく、この小さな波紋が長い時間に渡ってそれぞれの分野に疑問と解決を見出してもらえればそれで嬉しいと思う。

 今僕たちの周りは濁悪が満ちている、人の命をなんとも思わぬ輩も増えている、金を奪うためには何だってやる、こういう時代だからこそ、古の武人の生き方を学ばなければならないと思う、武将ではない、武人として・・・悪に対しては奪命の如く、人にやさしく。

 盲目の生徒達が巣立つ世界はあまりにも厳しい、どうか甲野先生の著書やVTRも出ているし、稽古会もある、触れる機会を作って欲しい、あのなんだか暖かい、楽しい甲野先生と囲む人たち、忘れないで欲しい。




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2005年02月01日(火) 甲野先生を迎えて古武術の特別授業

 昨日鹿児島で日本音楽集団の公演があった、本当はは終了後現地の方と交流会があるはずだったけれど、大雪が降るという予想だったので中止になった・・・明日飛行機飛ぶかな?で仲間と大好きな芋焼酎を強かに飲んで・・・でも明日は筑波大学附属盲学校に甲野善紀先生を迎えての特別授業がある、部屋飲みを断って、進行表の確認と追筆をする、外はかなり激しい風雨・・・大丈夫かな?
 朝6:30起床、朝食をとりに階下に降りる、な・なんと晴れてるではないか・・・でホテルを出るころから激しい吹雪道中かなり積もってきた、あの西郷さんが死んだ城山付近も真っ白勿論桜島も真っ白。
 空港に着いたらまた晴れてきた、そして定時き機上の人となった。

 やっと実現できた甲野先生の特別授業、今回は大きなテーマとしては【古武術がどのように音楽に応用されているか】という事と盲目の生徒達が普段の生活で危険からの身の処し方、例えばなんかのきっかけで転んだ時、一番安全な路上での受身の取り方。
 そして音楽科の授業であるわけだから、古武術を応用されている白川真理さんのお話とフルート演奏、そして僕と松尾慧さのによる能囃子、弟子の片岡くんの太鼓と笛瀬戸君の演奏。
 生徒以外に甲野先生の関係の方、僕の音楽関係の方でかなりの人数になった、初めて目の当たりにした人、術を受けた人、皆一往に驚いていたようだ。

 そして懇親会、でも技のやり取り、ピアノでの技のやり取り






甲野先生、白川さん、岸さん、岡田さん、入江さんありがとうございました。又実現に骨を折った音楽科の先生、吉澤先生ありがとうございました。





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