新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2004年07月29日(木) 古武術と太鼓操法(急)の巻

僕のホームページにも掲載しましたが、先日行われた宮本太鼓館での公開ミニ講座の案内チラシです。

















このあと僕は甲野先生にガクウンと崩されました。
 各骨格を割って力を一点に集中すると傍から見ていただけでは解りませんが、思わず崩れるのです。



後方左より甲野先生のアシスタントの岸さん、彼はパントマイムや大道芸をされています、そして僕の弟子の片岡亮太、そして人間考学研究所が発売するこうの先生のビデオに出ている筑波大学院生高橋佳三さん下左より私、甲野善紀氏、太鼓館長越智恵さんそしてアシスタントの方。
 今後は古武術と太鼓操法研究会とい事で続けていきます、今僕は多摩川の河原に出て棒術と抜刀術の稽古に勤しんでおります。





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2004年07月21日(水) 甲野先生の随感録

甲野善紀先生の随感録に僕の事が出てくるので喜んでいる訳ではなく、
7月20日に書かれた内容に驚いたから、ここを訪れる方々に是非読んでいただきたいと思います。

生きること死ぬこと−日本の自壊(抄)(引用)
一 薄気味悪い笑い
 喩えようもない<薄気味悪さ>に、日本の近代知は到達した。薄気味悪いものに直面しているという意味ではない。歳月をかけて磨かれていった近代知が、その暁に露呈したものは得体の知れぬ<薄気味悪さ>であったというのである。
 昨年の暮に、或る大学病院が告発されるという報道を見た。心臓手術に過誤があったとする遺族側は、その証拠として手術中のビデオテープを入手して居り、その一部が放映されたのである。密室での執刀場面が教材以外で公表されること自体稀であるが、異例なのはこの映像に音声が伴っていたことである。鋭利なメスが身体を切裂き、普段目にすることのない内臓界が大きく映し出される。思いの外乱雑なメスの動きが内臓を抉っていく、どこに過誤があったのか、この際どうでも良いことである。問題はこの手術中の医師団の会話なのだ。<オイ、オイ、そんなことすると出ちゃうぞ><大丈夫、大丈夫イヒッヒッヒッ><いけねえ、出ちゃった、イッヒッヒッ>。僅か数十秒の映像の中で、この<ヒッヒッヒッ>という息を吸い込むような得体の知れぬ不気味な笑いが頻繁に聞えてくるのである。
 もし私に強い嫌悪感が生じたなら、それは単に、人格低劣な医師が、その責を負えばいいと思ったに過ぎぬだろう。そしてこうした劣悪な医師が二度とメスを持たぬように医の倫理を強化すべきであると紋切型の感想を抱くだけである。
 だが、私はその瞬間身が縮み、何一つ言葉が出なくなった。そしてその後重い疲労感と共に、あの薄気味悪い笑いが我が身に纏いついてきたのである。その笑いは画面の向こうから聞えてくるようであって、その実我が身から発しているようにも思えた。それが私に無縁のものであるなどと到底思えなかった。あの薄気味悪い笑いは、確かに私の中にもあり、この国に蔓延しているものであると感じたのである。

(中略)

五 死の風景

 一つの文化を端的に象徴するものとして、誕生と死の風景がある。
 近代国家機構の最大の特色は、市民の凡ゆる自由を認めるということであろう。信仰の自由、表現の自由、しかしいづれの近代国家に於いても決して認められない自由が存在する。それは治療選択の自由なのである。近代実証医学に掛からない病死は、基本的に自殺乃至変死であり、死んだ当人の信念による医療拒絶は裁きようがないとしても、それを看護した家族は自殺幇助の罪に問われる。一体死とは自己の人生の終焉であり、最後の息は子孫に伝える最大の教育である。この最後の息に接して、どれだけ多くの人間が、自らの人生観・生命観・身体観を変革したのか。これこそ文化の伝承の最も重要な瞬間であった。かくも厳粛なる人間的瞬間を、近代国家と近代医学はやすやすと奪い、死を数値に置き換え、遺族に機械の故障箇処を告げ、産業廃棄物のレッテルを貼り、この死を無駄にしない為の部品のリサイクルを奨励するのである。
 周知の通り末期の姿は十本ものカテーテルが差し込まれている。このカテーテルを眠っている時に反射的に取り外さぬ為に、手足をベルトで縛りつけられている老人もいる。医師はこの末期の姿を余儀なくした患者を称して、スパゲッティー症候群と呼ぶのである。
 身体と人生を切り離し、人間の物質化を図り、身体の国家管理を推進する近代国家に於ける死とは、このようなものである。あの<イッヒッヒッ>という不気味な笑いと共に迎える死の光景を、文化と呼ぶものがあるとしたら、その鈍感は嘲笑されるべきであろう。
 文化を自らの手で崩壊せしめ、富と利便を選んだ我国の末路は、この死の風景の中に確かに刻印されているのである。

(引用終)


甲野先生の松聲館へ





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2004年07月20日(火) スーパーバレエ「古事記上つ巻」


多胡寿伯子振りつけ演出の「古事記上つ巻」が終わりました。昼夜公演で全て売りきれでした。
 メロディーメーカーの古城大納言殿!素晴らしい!雪さおりさんのお姉さん安田祥子さんが歌う「やまとはまほろば」は今でも耳から離れません、そして今回急に思い立って呼んだ太鼓グループ【GONNA】僕の二人の教え子を含み、多摩川の拙宅で合宿(雑魚寝)して練習本番を迎えました。彼等の音楽に向かう真摯な姿勢には僕も学びました。
 バレエダンサーと演奏家が向き合って呼吸を合わせるというオーケストラには出来ない試みにもチャレンジしました、これは多胡先生の発案です。

 実力のあるプロが団結したとき、どうなるか?愚痴など出るはずがない。あの猿之助のスーパー歌舞伎のスタッフの気持ちの良い事、でロックバレエというよりスーパーバレエと言いたい。





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2004年07月12日(月) 古武術と太鼓奏法(破)の巻

 とうとうお会い出来て、その古武術を時下に受け止めることができました。
甲野善紀
1949年、東京に生まれる。1978年、武術稽古研究会松聲館(しょうせいかん)を設立。以来、他流儀や異分野との交流を通して、現在では失われた精妙な古伝の術理を探求しつつ、武術の研究を行っている。2003年10月31日同会を解散。


 宮本太鼓館館長越智さんの協力によって宮本スタジオで甲野先生と屈強なアシスタント
人間考学研究所のビデオにも登場している筑波大学院で体育科学研究科に在籍している高橋さんそして大道芸やパントマイムをやっているキシタカさんに来ていただきました。
 僕のアシスタントは筑波大学附属盲学校出身で現在上智大学社会福祉学科を専攻している盲目の片岡君です。

 甲野先生の足さばきや身体の移動のしかたは能や狂言に通じるものがあり、足裏の垂直離陸や井桁崩しなども時下に接して見て、又実際に竹刀で打ち合ってみてその力の一点集中を自分の身体で実感しました。

 そしてなによりも甲野先生に太鼓を打ってもらったとき、それは芯のあるいい音がしました、全くよそうのつかない奏法で、振りかぶらなくても身体の関節を抜いたり浮かしたりすることで、撥に体重が集中するのが解りました。
 甲野先生は今度手裏剣術をやりましょうとおっしゃってました。そして最近「哲子の部屋」に出演された事や多くの原稿を抱えておられて超多忙にもかかわらず、こうやって御出でいただき気さくに話しをしてもらいました、心より感謝します。





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2004年07月11日(日) TANオープンハウス2004

 第一生命ホール主催の今回のテーマは「踊れ!世界の音楽」
僕達は日本音楽集団として日舞の演奏とレクチャーをしました。

 露払いに当る千歳の舞に、翁の五穀豊穣・天下泰平の祝言舞を含め、それに続いての三番叟の踊りに持っていく大きな意味合いは、その前半部『揉ノ段』で烏飛びで表される足拍子高く踏みしめる大地の存在、地霊への鎮めの祷り、そしてまた、稲穂を揉んで実りを頂く所作に現われ、後半部『鈴ノ段』で稲穂をかたどった鈴を手にして、穀物を田畑に撒くしぐさ、全て我々農耕民族である日本人を象徴している辺りです。

 この三番叟を子供達にレクチャーしました、腰を落としての足踏みの姿は大変可愛くNHKの日本語で遊ぼうなどの影響か、楽しんでいたようです。
 猛暑の中でしたが、素晴らしい試みだと思います。


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Shinchandazo [MAIL] [HOMEPAGE]

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