新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2002年09月30日(月) 番外編飲む打つ買う?紀行

Shinchanがオランダで勉強した'70年代後半は現代音楽の実験場と化していました。この写真はアムステルダムコンセルトヘボー、まーコンサートホールという意味です。ここだけは重厚なオーケストラが聞ける唯一の殿堂Amusterdam Concert-Cebouw

でした。ブルックナーの交響曲第七番を聞いて感動で身が震えたのもこのホールでした。

 この国では徹底した自己確立が求められます、国家公認の飲む・打つ・買うがあるからです、[酒を飲む]は一部のアラブの国を除いてまー普通ですが、この[打つ]に関しては、どこよりも先進国に思えます。Shinchanはコーヒーショップって看板があったのでフラッと入りました、すると凄い臭いの煙が充満していて、それだけで頭がクラクラしました。メニューにはステーキの焼き方のように、ソフト・ミィデアム・ハードと書いてあるのです、まー今だからいいですよね、はい吸いました、頭がジーンとなりましたね、もっと驚いたのはコケインを売っているのです、さすがにこれだけは手を出しませんでした、ほんまですよ。最近ではお店に注射器の自動販売機があるようです。ほんとようやるワ!
 いわゆる「薬」は法律で全面的に禁止すると、闇社会で値段が高騰して結局凶悪犯罪が増えるのです、それで国家が管理しているのです、それと凄いのは、麻薬患者救済施設が完備されているというのです。
 
 1960頃Jazzトランペッターとして活躍した米国のチェット・ベイカーさん(ボーカルも上手かった、そして男前)は、ここアムステルダムの中央駅の近くのホテルから飛び下りたか、落ちたか今でも不明ですが、要するにラリッて死んだのです。
Jazzでいうところの飲む・打つ・買うを全て実践した人ですね。



 あと残るは[買う]何を買うかって?古代からずーと続いている商売、売春ですね、これも国家が管理しています、いわゆる飾り窓という地帯で、ここも中央駅の近くです、Shinchanは?正直言いますとあの時はおっかなくて近寄れませんでした。日本舞踊に吉原雀という江戸時代の曲がありますが、遊女が飾られているところをピーチクパーチクあーでもない、こうでもないと言ってふらふら物色する様子が描かれています、まーそれと同じですね、それはそれは色々なコースがあって何も殿方だけのためではないのです、ここには書けません。国家が管理していますので、性病、エイズの検査は厳しいそうです。日本がこのような制度を施行したらはたして僕達は自己コントロールできるでしょうか?難しいでしょうね。


アムスの吉原、飾り窓
 自閉症だったShinchanは人・ワン・ニャン・その他???のおかげでこのようになりました、なんて困ったものですね、この番外編も次回独逸はヴェルリンの事を書いておしまいにする予定です。

おまけ企画
ShinchanのCDが聞けるよ!

[WAVE 2]

♪GO ON



2002年09月29日(日) 番外編アムステルダムの柔道と太鼓





 Shinchanはここアムステルダムには多くの想い出があります、サークルパーカッションと言って、プロの和太鼓のチームと練習に励んだのもここアムステルダムです、日本には鼓童という素晴らしいチームが世界各国で絶賛を浴びています。その鼓童に負けないぐらいの硬派でもあり、又現代音楽シーンにも欠かせない団体です、ここでの練習にはなんとチャンコ番があり、相撲の世界のように若手が料理して、文字通り同じ釜の飯を食うのです、面白いでしょう?


彼等はアムステルダム王立音楽院でクラッシック打楽器科やユトレヒト、ライデンの音楽院を卒業していますので、基礎はガッチリしています。では何故オランダ人でありながら和太鼓の修行をして、しかもそれを職業とするのでしょうか?
 それはオランダが格闘技王国でもあるからです、東京オリンピックの柔道金メダリストヘーシンク、そしてアントニオ猪木と異種格闘技戦を闘ったルスカ、現在ではK1ですよね、実はShinchanも此アムステルダムで空手を習ったのです。師範はイランの方でした。

神永を破ったヘーシンク
 
日本は江戸時代に長崎の出島からオランダを通して世界を見ていました、蘭学を通して医学、語学、建築等長い間日本との交流のあった国なのですね。

 Shinchanは小さい時しょっちゅう虐められてました、「ピアノなんか弾いて女の子と一緒やー」とか「女男やー」とか言われて、裸んぼーにされた時もありました。ある時町のガキ大将雄太君がShinchanを警察署の柔道教室に連れていってくれたのです。ピアノの先生は大変怒りましたが、小学校の高学年になる頃には誰も喧嘩をしようとはしなくなりました。
 
 各民族が音楽を持っていて又相撲や唐手(空手)のように亜細亜、露西亜、ユーラシア大陸にはそれぞれ種類は違うのだけれども格闘技を持っているという、その共通点と相違点が民族音楽にも当てはまるという事を身を持って体験学習させてくれたのがオランダでした。

おまけ企画

ShinchanのCDが聞けるよ!


[TENJIN]

♪GO ON

 



2002年09月27日(金) 番外編学問の町ユトレヒト



日本へレンケラー財団より

皆さん、もし見えない、聞こえない、喋れないという境遇に生まれたらどうします。Shinchanはちょっとした自閉症だったけど、だんだん喋れるようになりました、もちろんワンニャン人のおかげです。
 触覚と嗅覚、味覚、光を感じる人もいれば全く感じない人もいる、あと第六感、
この人達は僕達よりも空気の密度、流れ、風を感じる事ができるのです。今回の研究会はアフリカの太鼓、ジョンべ、サバール、トーキングドラムとShinchanが持ってきた小鼓とパリから輸送した和太鼓セットで、共に太鼓を叩いて喜怒哀楽を表現するのです。大きな声で笑い、怒り、泣いて音に伝えるのです、傍から見ていたらきっと気が狂ったと思われるでしょう。

ユトレヒト大学構内




Shinchanはサリバン先生のようにはなれませんが、ケラーさん達と呼びます、ケラーさん達が直接又は撥を持って太鼓を叩くとどう感じるか?
専門的には先天性で視聴覚の細胞そのものが全く育たないで生まれてきた子と後天的にウイルスによる高い熱で情報を伝達する基幹がなくなってしまった子で、お母さんの腹水に居る時の記憶があるかないかで大きく変わってきます、でも本人が聞こえたい、喋りたい、見たいという本然的な希望がある限り他の細胞が成り代わって成長する可能性があるのです。

日本へレンケラー財団より

今回は0歳時からのケラーさん達に、太鼓を叩くという行為が有効かという課題でした、もちろんShinchanは医学の専門家ではないのですが、これからケラーさん達と触れ合って行く事になるのです。
 これもShinchanの運命かも知れませんね。

社会福祉法人日本ヘレンケラー財団
http://www.helenkeller.or.jp/


おまけ企画

ShinchanのCDが聞けるよ!





2002年09月26日(木) 番外編、蝿トイレ?




突然、現代の生のそのままのShinchan日記です。
2002年9月21日、20日に日本音楽集団の定期演奏会に出演して、朝まで飲んで歌って・・・ヘロへロ状態で成田に行く。ほとんど寝てまへん。
 そして9:00発のアムステルダム行きのKLMに乗る、まーミネラルウォーター飲んでただひたすら寝てました。
なんかドカンとしたら着いてました・・・\(゚ロ\)ココハドコ? (/ロ゚)/アタシハダアレ?
 
 皆さんこのオランダちゅう国は平均身長が183やったけなー?男子トイレが高いとこにあるんです。Shinchanは背伸びをしておしっこするのです。そしてチューリップの男子トイレには蝿の絵があるのです・・・なんでやねん???



そのココロは・・・小便が飛び散るのを防いで、それを清掃する経費を節約するためですって・・・でもナーもしShinchanより背の低い人やったら、ニュートンの落下方程式に従い放物線を描いて、地球に向かってそのまんま直接タイルの床に落ちるヨ、ええの?

スキポール空港で予約していたBMW、5シリーズの車をレンタルして、ユトレヒトに向かう、解ってるんだけど、ここでは追い越し車線は左です、まー煽られる煽られる、こういう時Shinchanは関西弁ドライバーになるのです。
「プァープァーじゃかましい!どこの独逸や?あー?ベンツかいなー、このネオナチめ!でもなー今度は三国同盟イタ抜きでやろな!・・・ちゃうか、ここはオランダか・・・蘭学事始やんかー」「博多ドンタクとか半ドンって休日ちゅう意味で阿蘭陀語やってねー」って一人漫才して運転するのです。
 そしてベンツは事もなくスーと追い越して行ったのです。


途中一度だけ休憩してユトレヒト総合大学に到着。何しに来たって?それはヘレンケラーのような聾唖の人にアフリカや日本の太鼓が療育に有効ということで、研究学会に参加するためなのです。

おまけ企画

ShinchanのCDが聞けるよ!


[Shinchan & B.B.Moufrn Zaire Perecussion Group]

♪GO ON



2002年09月18日(水) ぽんぽん菓子





ボーン!! わーとShinchanと犬のペスは他の子供達の中から耳を塞いで走って逃げ出します。
 近所の白いお髭をはやしたお爺さんは「戦争の大砲の音はあんなもんやないで、お腹がぶるぶる震えるんやから」と言います。
 ある日Shinchanはお母さんからお金とお米を持って近くの小さな公園に行きました。大勢子供達が集まり、ガヤガヤ言って並んでいます。
 Shinchanの番が来ました、でもある子がShinchanを後ろに無理やり押し戻しました。
 なんやら煙の出ている機械の前で前掛けしたおじさんが「はい、ここまで、あとの子は待っててや」
 Shinchanはこういう時に喋れなくなってしまうのです。何時も早く並んでも、最後の方になります。ペスがワンワン言ってくれるのですが、誰にも解りません。 すると時々見る、怖そうな身体の大きいガキ大将が「Shinchanお金とお米変わりに渡したるわ」と言って自分より前にShinchanを押し出しておじさんにお話をしてくれました。
 
 Shinchanはこんなに近く機械の前に立ったことがありません。
「さーそろそろやでー」と言って、おじさんは網で出来た大きな筒を機械につけました。「そら、いくでー」ドカーン!!!
 Shinchanはお腹がぶるぶる震えました、そしてペスと一緒に走って逃げました、そしてお家に帰って又お絵描きを始めました。
 現代のポンポン菓子屋







 
 お買い物からお母さんが帰ってきました。「Shinchan!ポンポン一人で食べたん?」「・・・」「どっかに落としたん?」
そして訳を話せないShinchanはお母さんに叱られました、お父さんが帰ってきてからもう一度叱られました。
「お金をそまつにしたらあかん!」
「・・・」
 
晩ご飯もShinchanは食べる事が出来ませんでした、レオポン君とキリンさんと一緒にすぐ寝ました。
 
 近所の子供達が美味しそうにポンポン菓子を食べています、皆んな笑っています

「Shinchanはポンポンにすぐ絵の具塗るからあかん!」
「お手てがいつも色ついてて汚いねん」
「そいで何時も犬に吠えさせてんねん」
「○○のShinchan喋られへん、喋られへん、わーい」
気がつくと何時もShinchanとペスは二人きりでした、そして一緒に泣きました。

クーンクーン・クンクン
・・・なんやまだペス泣いてんのー・・・Shinchanはもう泣いてへんのに・・・
 お客さんが来たようです。「Shinchan起きなさい、雄太君がポンポン持ってきてくれたよー」
「Shinchanの家凄く探したんやから・・・そいでたばこ屋のおっちゃんに聞いたら○○のShinchanちはって言いよったからShinchanは○○やないでー僕には喋ってるんやからなーって言うたってん」
 「あーとうウー太君」
「ほら!やっぱり言えるやん、おじさんおばさんい!じめる奴がおったら僕が助けたるよってなーShinchan」
「おーきに雄ぼう」「又遊んだってヤー」「気をつけて帰ってネー」

その時ずーとペスはクンクン鳴き続けていました。



2002年09月16日(月) 蝶々になったんや





Shinchanは幼稚園に1年遅れて入園しました、お父さんが色々考えたり、相談した結果お父さんの勤める小学校から近い所の[健康幼稚園]に決まりました。
 でもShinchanの足では1時間ぐらいかかります、引率の太ったおばさんが5人の幼稚園児を連れてチーチーパッパと通うのです。
 
その通い道には田んぼや畑があり、季節には菜の花、向日葵、蓮華、タンポポが咲きます。おばさんを困らせたのはShinchanが蝶々を追っかけていって、何所に行ったか解らなくなるのです。他の友達はそのたびに「ほっといてはよ行こ!」
と言うのです、だからずーと仲間外れでした。
 「Shinchan!おばさんと縄跳びしながら行こうか」「・・・・」
本当はワンちゃんみたいに首輪に紐をつけてShinchanを引っ張って行きたかったのです。そして夏が近づくと田んぼにおたまじゃくしを取りに靴を履いたままドブン!ピシャピシャと入っていくのです。
 「Shinchanおたまじゃくしさんは沢山友達と一緒に泳いでるねー、そやからShinchanも真似っこしたら?」とおばさんも田んぼに入って言うのです。

この「健康幼稚園」は真冬でもランニングにパンツ、教室の中は裸足と決まっていましたShinchanは好きでしたが、嫌いなものがありました、それは朝幼稚園に着くと青汁を飲まなくてはいけないのです、「Shinchanまたペッペしたんやって?Shinchanが好きな紋白蝶は子供のときから青汁のんで羽がはえるんヨ」







「そんならShinc・・も蝶々しゃん・・・飛べ・?」
おばさんはShinchanの言うことがよく解りました、「Shinchanはね今に遠い遠い外国まで飛んでいくよ、きっと・・ね」

 
 ある時の朝、おばさんのかわりにどっかで見たことのあるお爺さんが来ました。
「あのなー、おばちゃんなー、遠い高い高いお空へ飛んでいかはったんや・・・」
「蝶々になったんやー」
「おーShin坊、ちゃんと言えたやないか・・・そーや蝶々になりはったんや・・・」「そやからな・・・かってにな・・・蝶々、捕まえに行ったら・・あかんのや・・・」そのお爺さんは園長先生だったのです。

 園長せんせは何故か泣いていました、でもShinchanはすごく嬉しかったのです。

 空に雲一つない暖かい季節にお花に止まっている蝶々さんがいました。近づいても逃げません・・・「おばちゃん元気?」・・・「又縄跳びしょー」
すると蝶々はShinchanの頭に飛んできて止まりました。



2002年09月15日(日) レオポン君




 Shinchanの自閉症は、ご飯やおしっこも忘れて、ずっと一つの事をやり続けるという病気でした。
 お父さんお母さんの話は解るのですが、自分では言葉にしてしゃべれないのです。玩具のライオンさんキリンさんに夢中になっている時「ご飯ですよ」と言われてもShinchanには聞こえないのです。
 阪神パークという動物園にはよく連れていってもらいました、その動物園にはライオンさんのお母さん、ヒョウさんのお父さんから生まれたレオポンという動物がいました。レオポン君は顔がライオンさんなのに身体にはヒョウさんの丸い斑点がありました、だからShinchanは玩具のキリンさんはレオポン君もお友達なのだと思いました、玩具のライオンさんに絵の具で斑点を描いてレオポン君になってもらいました。
・・・いつかレオポン君も首がながーくなってキリンさんと遊ぼね・・・
 寝る時もお布団にはレオポン君とキリンさんと一緒でした。


武弘自然生態博物館より
http://www.chowchow.gr.jp/inova/seitai/seitai.html








 お父さんはそんなShinchanを見ていて、大学の偉い先生の進めもあって、ワンちゃんを飼うことにしました。
 ある時お家でShinchanが一人でお絵描きしてた時、お父さんの勤める小学校の用務員のおじさんが、白い子犬を持ってきてくれました、おじさんは「名前はペスちゅうんや、Shin坊より赤ちゃんやからカワイカワイせなあかんよ」と言って帰っていきました。ペスはピチャピチャ牛乳を舐めていました。
 
Shinchanはペスをレオポン君とキリンさんのお友達になってもらおうと思い、ペスの身体に絵の具で丸い斑点を描きました。ペスがお家に来た時お母さんは留守をしていたので「変わった犬やねー、変な色、どこか病気やないの?」お父さんも知らなかったので「皮膚病かな?」って言っていました。
・・・犬やないねんレオポンちゃんのペスや・・・
「Shinchanこの犬の名前はなんちゅうの?」
・・・「ペシュ」・・・
「え!もう一ぺん言うて」・・・「ペシュ」・・・
「お父さん!お父さん!この子・・・しゃべった」
お父さんもお母さんも泣いていました、Shinchanも何故だか嬉しい気持ちになりました。


 



2002年09月14日(土) 白髪画伯



自閉症のShinchanは5才になっても言葉がでませんでした、困ったお父さんとお母さんは病院を訪ねたり、大学の偉い先生に相談しました。
 ピアノを弾くとよい、犬と一緒に暮らすとよい、などアドバイスを受けました。
「ボン!ピアノ買うたろか?」「・・・・」
狭いおうちでしたが、Shinchanのところにアップライトピアノが、運ばれました、お兄さん達がうんしょ、うんしょと声を出して重そうにピアノを抱えていましたが、Shinchanには、ピアノが声を出して、象さんのように歩いてきたように見えたのです。
 ピアノって音を出すけどかわいそう、だって白と黒しかないもん。
 ある日お父さんは白髪さんというへんな絵書きのおじさんと一緒に酔っ払って帰ってきました
「ボン、すごいなー、これどないしたんや?」
お父さんは「な・なんやこれ!」
その時のピアノは赤青黄色、弾くところも同じで、お父さんの油絵の具を塗りたくっていたのです。
 「ボン大変やったナー、そーか足で描いたんか、偉いぞー」
Shinchanは白髪のおじさんが大好きです、やっと歩けるようになった頃、お父さんの勤める小学校の体育館で、ターザンになった白髪おじさんが、大きな大きな白い紙に絵を足で描いてました。
「ボン、はだかなってでんぐり返りしーや」
ゴロン、ペチャペェチャ、コロンコロン
その時Shinchanは初めて声に出して笑ったそうです。でもお母さんは、お庭で水道の水をホースでShinchanにかけて洗おうとするのですが、油絵の具とペンキがついたShinchanはたくさんの日にちがたっても、なかなか元のようには戻りませんでした。

「ボン、この音は何色?」「あーか」「これは?」「あーかとしーろのいっしょ」
そのうちShinchanはピアノの弾くところに絵の具をつけて、同じ音の色を探して、よく似た音にはしーろを混ぜて塗りました」
Shinchanはあいかわらず足でピアノを弾くのでした。



■白髪一雄
画家。床に広げたキャンバスの上に立ち、天井からつるしたロープにつかまりながら縦横無尽に足で描く「フットペインティング」など、独自の手法を編み出し、国際的に高い評価を得ている。尼崎市民芸術賞、兵庫県文化賞、文部大臣文化功労者表彰ほか受賞多数。元尼崎市教育委員。尼崎市宮内町在住。


白髪先生



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