新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2002年10月31日(木) 森永ヒ素ミルク



「Shinchan、二郎ちゃんが遊ボーって言ってるよー」と隣のおばさんが、お庭から声をかけました。
 Shinchanちのお庭は四角形で4軒のお家の共同のお庭でした。ちっちゃな木馬さんが置いてあります。
 二郎ちゃんは何故か何時もウーウー言っています、そしてよだれが垂れています、お手ても両方、曲がっています、Shinchanのように絵筆を持つ事も出来ません、お目めもどこを見ているのか解りません。二郎ちゃんは縁側に赤ちゃんの座る椅子に座ってウーイウーイと言ってます。
 Shinchanは大きな画用紙を二郎ちゃんの縁側に持っていって、白髪先生からもらった絵の具で足で絵を描くことにしました。


「・・・じろたん・・・描く?」
Shinchanはまず縁側に大きな紙を置いて赤青黄色白色を板切れにだします、そして試しに足に塗って紙の上をピチャピチャしました。
・・・ウィーン・・・ウイーン・・・
 Shinchanには二郎ちゃんが何を言っているのか解るのです。
「・・・次ぎ・・・じろたん・・・」
二郎ちゃんの椅子から出てる足に絵の具を塗って、紙をくっ付けてあげました。
「・・・ウー・キャ・キャ・」
 「あーじろちゃん!!笑ってる」二郎ちゃんのお母さんが編物をしながら言いました。
 「Shinchanおおきに、足で描くの?じゃ、じろちゃん椅子から降ろしてあげよ」
でも二郎ちゃんは立てません、ハイハイしながら絵の具手をにも足にもつけて、顔にもつきました。
「じろたん・・・しらが・・・おっちゃん・・より・・じょうじゅ!!」
「ウーン・ウーン」Shinchanにはおもちろい・・おもちろいと聞こえます。
縁側の廊下に絵の具が飛び散って、Shinchanは二郎ちゃんのお母さんに叱られるかなーと思いました。
「Shinchanおおきにね、二郎ちゃんはShinchanと遊ぶと笑うんよ、又遊んだってネ、今度沢山絵の具と紙買ってくるから」
「ウィーン・ウイ―ン」
「もう晩御飯やからShinchanもお家にもどらなあかんやろー、なーじろちゃん」

Shinchanがバイバイすると・・・二郎ちゃんは・・・泣いていました・・・。









 「Shinchan、二郎ちゃんのお母さんがありがとう、って沢山絵の具くれはったよ、よかったなー」
「・・・うん・・・」
「あのな・・・二郎ちゃんはなミルク飲んであーなったんよ、森永砒素ミルク言うねん」「・・・ひしょ?・・・」
「Shinchanはおっぱい飲んで大きなったけど、二郎ちゃんはヒ素の入ったミルクのんであーなりはってん、ほんま可愛そうや、Shinchanと同じ歳なのにな、酷いことするわ」とお母さんは又泣きました。

・・・二郎ちゃんは12歳まで精一杯生きたそうです。
・・・じろたんのあの笑い顔と泣き顔は、今でも夢の中でShinchanと遊んでいます・・・しろたん・・・じろたん・・・Shinchan・・・Shinchan・・・じろたんは今、絵描きさんに・・・生まれてきたよ・・・そのうち会えるよ・・・。


Gaia and Uranus


森永砒素ミルク中毒事件
http://www4.inforyoma.or.jp/~matuken/morinagahisomiruku.htm



2002年10月26日(土) 月光ソナタ



 
Shinchanは幼稚園に行かなくなって、しばらく経ちました、お母さんは困ってしまって、担任の先生に相談しました。
 「すみません、Shinchanが幼稚園のピアノを叩いて凄い音を出すので、ちょっとしかったのです、そしたら泣いてしまって・・・。」
 「あの子この前はピアノ教室でも同じ事をして、もう来ないで下さいと言われたのです」
「ある時私、ピアノの発表会のため、幼稚園のピアノで月光ソナタを練習していたのです、そしたらShinchan・・・残る・・・と言ってずーと聞いていたのですよ、あーこの子興味があるんだと思って楽譜を見せてあげたのです、そしたら、#の印を指さすので、ソの音の隣の黒い所といってあげたら、ギシュと言うのです、又この子何を言っているのかと思ってソのシャープて言ったら、チャウって言うて楽譜を投げたのですよ。」
 「本当に申し訳ありません、あの子、少し病気なので小学校の普通科に入れるか心配で心配で・・・」
「でもお母さん、私のピアノの先生がドイツ語の音符の言い方を教えてくれたので解ったのですが、ソの♯はギィスて言うんです、私、驚きました、Shinchanはお父さんにでもドイツ語で楽譜の読み方習っているのですか?」
「いやー、主人は忙しくてあの子と遊んでもくれませんのよ」

 お母さんはやはり小学校の特殊学級に入れないといけないと思って、お家に帰ってきました。

「Shinchan!それ月光やないの!どこで覚えたん?」
「・・・・・」









石川賢治 月光写真

http://fullmoonlight.net/exhibision/exhibision.html


「Shinchanな、お月さんに雲がかかって見えたり見えなかったりするやろ」
「・・・んん・・・」
「それを見てドイツのベートーベンいう人がこの曲作ったんや、そしてナー、これが楽譜ちゅうねん」
「じいちゃん・・・ヴァイリン・・ドイチュのんひくよ」
「そうかおじいちゃんにいきなりドイツ読みを教わったんや、凄いなー、おじさんなーShinchanの歳の頃はそんなん全然知らんかったよ」

 ピアノのレッスンに通って来てくれているお兄さんは、そのまんまドイツ語読みでShinchanに楽譜の読み方を教えていました。そこにお買い物から帰ってきたお母さんは初めてShinchanが楽譜を見てピアノを弾いている姿を見ました。
「あのー吉さん、ひょっとしてあなたドイツ語で教えているの?」
「あのねー、Shinchanは耳で聞いただけでベート―ベンの月光弾けるんですよ、勿論手が小さいから、所々の音を飛ばして弾いているんですが、それは専門的に言うと、理に合っているのです、だからひよっとして凄い才能を秘めているかもしれませんよ」
「だから、Shinchanには子供のためのピアノの教え方はしない事にしました、例えば、ルノアールの絵を見てShinchanが思った事をそのまま弾くのです、そして僕発見したんです、友達の白髪さんの絵、Shinchan好きでしょう?そしたらShinchanピアノに乗って足で弾くんです、やー吃驚しました、それが又良いんですわ」
「あんまり変な事教えんといてねー」
「ハハハ―、まー見ててください」

でもお母さんは嬉しくって、嬉しくって又泣いてしまいました。

■白髪一雄画伯

お母さんは幼稚園の先生と相談しました、「Shinchan、月光の音楽なー幼稚園の先生が一緒に弾こう言うてはるよ」

 Shinchanは幼稚園に行くのが楽しくなりました。
「・・・ゲッキョウ・・・ゲッキョウ」





2002年10月23日(水) ピアノ教室事件



Shinchanはお絵かきに飽きてきました、そして幼稚園の先生が弾いていたピアノの音を覚えてしまって、家に帰ってきてそっくりそのまま弾いていました。
 それを聞いたお母さんは、お父さんと相談してちっちゃい子が集まるピアノ教室に行く事になりました。


 Shinchanのおじいちゃんが、ドはツェー、レはデー、とヴァイオリンで教えてくれていたので、Shinchanはドレミは忘れてしまっても、ツェー、デー、エーはこの音と言って覚えていました。
 髪の毛の長い目がねをかけた女の先生が大きなおたまじゃくしが書いてある絵を皆に見せました。

Shinchanはそのことがさっぱり解りませんでした。
「Shinchanここにおたまじゃくしがあったら何の音?」
「・・・・・」
「じゃー皆さんで、せーのドー」「チェー」
「何がチェなのよ、もーShinchan!はいもう一度」
「・・・チェー・・・」
「なん言うてるのShinchan」
隣の女の子が「先生Shinchanは月光、弾けるんよー」と言いました。
「ドも解らん子が弾ける訳ないでしょ・・・じゃShinchanここに来て弾いて!!」

Shinchanはなんだか怖くなりました、そしてピアノの所に行って、両手でギャーンと弾いて肘でギャンギャン叩きました。
「キャー、やめてー!!」
 そしてお母さんが呼ばれました、「もう二度とよこさないで下さい。」
「ご迷惑をかけてすみませんでした。」
・・・またShinchanはお母さんを悲しませてしまいました。
 その話を聞いたお父さんは「そんな中途半端な先生につかすからや!わかった俺がええ先生さがしたる」

 そしてShinchanのお家にへんな帽子をかぶったお兄さんが来ました。
「Shinchanは絵が好きやって、白髪先生の絵が徳に好きなんやって?」
「・・・んん・・・」
「そうかそうか、そしたらな、この絵見てピアノ弾いてみー」
 それは綺麗な女の人がピアノを弾いている絵でした。

Jeunes filles au Piano 1892年パリ/オランジェリ美術館








「Shinchan!どこで覚えたん、それヴェート―ベンやんか・・・ふーん、こりゃ・・・」
「・・・・・」



2002年10月19日(土) 伊勢湾台風②

Shinchanは溝に落ちてブクブクしているうちに、訳が解らなくなりました。お母さんは荷物も放り投げて、川のように流れる道を走ってShinchanをしっかり捕まえました。
「Shinchan! Shinchan!どうしよう、どうしよう」
そしたらペスも心配して泳いで戻ってきました、さっきリヤカーに荷物と子供を乗っけて引っ張っていた人も今は見えません。
 Shinchanの顔を叩いたり、口で息を吹き込んでも、目覚めません。お母さんは走りました、こけそうにになりながら、ペスも必死で泳いでついてきます。

 


車名ダイハツ ミゼット モデル名DKA 会社名 ダイハツ工業株式会社









 するとバタバタバシャバシャ、後ろから水を両側に飛ばしながら、ミゼットに乗った酒屋のおじさんがやって来ました。
「奥さんはよー乗りなはれ、病院まで行きまひョ、ワン公は旦那はんの学校に届けますワ」
「すみません、お願いします」








・・・あれーここは?・・・Shinchanはどういう訳か解りませんが、白い服を着た病院の先生が太い注射をShinchanに刺しているのを見ています、看護婦さんはShinchanに管のあるマスクを被せています。
 「奥さん、呼吸は戻りましたので大丈夫ですが、急性肺炎を併発しています、全ての処置はしました、後は息子さんの体力、気力です、今晩がヤマです。」

 外は益々風と雨が強くなり、病院の蛍光灯も点いたり消えたりしました。お母さんはずーと側にいます、Shinchanは・・・大丈夫ここ・・・と言いたいのですが、フワフワしていてお母さんの側になかなか行けません。

「Shinchan、Shinchan、あんたは絶対大丈夫、死んだりせーへんよ、お母さんはねー知ってるの」と手を取って話しかけています。
「・・・・」
 すると又綺麗な光の玉がやってきました、そして目が眩み、眠たくなりました。




「・・・ペシュ・・・ペシュ・・・」
お母さんはボタンを押して看護婦さんに連絡しました。
「よかったわねー僕、熱も引いてきたよ」

 Shinどん・・・Shinどん、よかよか、そいでんよか・・・又会いもうそ・・・



2002年10月17日(木) INTERMEZZO.No3

それは、それは暑い日です、Shinchanのお家の周りから蝉の音が聞こえています、Shinchanのお父さんは朝からうろちょろ、バタバタしています、襖の向こうからはお母さんが沢山汗をかいて、ウーンウーンと唸っている声が聞こえます。
 「しっかりしゃんせ、おまはん」
「今度はうまいこと生まれてくれるやろか?」
 Shinchanのお母さんのお母さん、お祖母さんが鹿児島から、お産を手伝うためにShinchanのお家にいるのです。
「心配なかとよ、こんどん子はお天道様の授かりでごはんど。」


胎蔵界曼荼羅 天鼓雷音如来

 Shinchanには本当はお兄さんがいたのです、でも生まれてすぐ死んでしまいました。なのでお父さんもお母さんも心配で心配でしかたありませんでした、お母さんは大きなお寺や神社に何度も行って・・・神様、仏様、今度生まれてくる子も命が儚かったらウチを身代わりにして生かしてやって下さいませ・・・とお祈りしました。
 お父さんは色々な本を買ってきて、お産について勉強しました、でも大きな病院が遠っかったので、知り合いの助産婦のお婆さんにお願いしました。

Shinchanは空を飛ぶ卵から見ました、それは大好きなお父さんとお母さんが裸かんぼーになって一緒に寝ているのです、・・・はやくお家に帰えろー・・・急に細いトンネルにおっこちました、スーと落ちていきました。

 お星様がたくさん輝いています、お母さんは子供の時阿蘇山に遊びに行きました、今にも落ちてきそうなお星様を手を伸ばして取ろうとしました、すると金色の光の玉が現れて、目が眩みました。
・・・あー今度の子が来た・・・
 お母さんは夢を見ていたのです。


「まー玉のような男の子」「んまーこげな可愛いかことー」
お父さんは赤ちゃんの泣き声を聞いて涙がポロポロ出ました。

 Shinchanはその時、雷さんの音を聞いていました・・・そして・・・「Shinどん・・・Shinどん・・・」という懐かしい声がしました。



2002年10月14日(月) INTERMEZZO.No2

Shinchanは大おじいちゃんに手を繋がれて歩いたことは覚えてました、・・・Shinどん・・・Shinどん・・・と言って大おじいちゃんは光に包まれたお船に乗って帰っていったような気がします・・・すると白いもやもやした綿菓子のような階段が見えてきました、そこには大勢のShinchanのようなちっちゃい子が並んでいます、女の子もいます、Shinchanがとぼとぼ歩いていくと、白い柔らかそうな服を着た綺麗なお姉さんが手招きしています。
 そしてちっちゃい子の列に着きました、Shinchanは女の子の次ぎでした、よく見ると違う列には、色の黒い子やお城のような金色の髪の毛をした子もいます、前にいる女の子は黒いおかっぱの子です・・・皆何も喋りません。


Gaia and Uranus


前にいるおかっぱの女の子は振りかえってShinchanを見てニコっとしました、Shinchanもニッコリしました。 大きな卵が沢山並んでいます、そしてちっちゃな子達は又違うお姉さんに卵の蓋を開けてもらって順番に乗っています。
 おかっぱの女の子が手でバイバイして乗りましたShinchanもその後に乗りました。Shinchanはその女の子と一緒に乗りたかったのです。

なんだか凄い早さで、お花畑や河、山、海が過ぎていきました。

そしたら沢山のお家が見えてきました、Shinchanのお家も見えました、鳥さんのように空を飛んでるみたいです。
 するとShinchanのお母さんとお父さんが一緒に寝ている様子が見えました、Shinchanは声をだそうとしますが出ません・・・。
 

Shinchanは又水の中でブクブクしているような気がしました。



2002年10月12日(土) INTERMEZZO.No1

Shinどん・・Shinどん・・・
「・・・ん?ブクブクしてたのに・・・ここ何所?・・・髭のおじいちゃん?」
そこは大きな大きな河のそばでした、Shinchanが目を覚ますと、立派なお髭で優しい目をしたおじいさんがShinchanを抱えていました。
 「Shinどん、目が覚めたかのー」
「・・・・・・」
Shinchanが好きな白髪先生が描く絵のような色々な色の雲が浮かび、金色の光の帯びが空から何本もさしていました。そして回りにはお花畑があり、いい臭いがしてちょうちょが飛んでいました。
「お母ちゃんは・・・」
「んーもうじき会えもうそ」
「おじいちゃんだれ?」
「Shinどんのおじいちゃんのおじいちゃんでごわんど・・・」
「・・・・・」
「台風は?・・・どうしてShinchan、ここにいるの?」
Shinchanは何故か言葉がスムーズに出ました。
「そいはな、Shinどんがここに来るんにゃ、まだ早いんでのー、こうしてこん爺が母どんの元に送っていく事になったのじゃよ、Shinどんは未だ言葉が喋れんのが都合よかったのじゃなー、こげん稚児には早すぎる、母どんがどけん悲しむこつかー」
「向こうに見える大きなお城があるじゃろ、あそこに行くとShinどんはもう母どんの元には戻れんのじゃ、じゃどん戻るんには順番があってのーShinどんはまだなんじゃ、そいでんこの爺様がShinどんに話ばーするとよ」
 おじいちゃんは山高帽に黒いコートを着ていて、凄く立派に見えます。

「Shinchanのおじいちゃんはヴァイオリン弾くよ、でおじいちゃんは?」
「あれはのーオイの孫じゃ、Shinどんはまたその孫ということじゃ、まー解からんでよかよ」
するとワンちゃんを連れた太ったおじさんがノッシノッシとやって来ました。

「おーShinどんね、こん子ね、かわゆか稚児でごわすなー、こんりゃはよー帰さんとな、Shinどんな!こん新太郎爺様の話をよく聞きやんせ、オイと爺様とは夢ん中で、いつんでも会えるでごはんど、そんち又会いもうそナー、可愛いかね、はよー帰りゃんせ」
と言って太ったおじさんはニコニコ笑いながら、ワンちゃんと一緒に小さなお船に乗ってバイバイしました。
「あん人はせごドンちゅうてのう、オイを仏蘭西国ちゅう国に留学させたせんせ、なんじゃ、こん話はShinどんの爺様も知らんとよ」
「じゃ大爺ちゃんもヴァイオリン弾いくの?」
「大爺ちゃん!よかよかそいでよか、そんちShinどんも行く仏蘭西国にのー、軍楽隊の勉強に行ったのじゃよ、指揮もドラムも勉強したとよ、オイはな、Shinどんのような頃から鹿児馬で太鼓ば叩いていたんじゃ、そんでニセさーが皆戦争に行っている時にさっきのせごドンに言われて留学ばしたと」
「ふーん、太鼓叩いたの?」
「Shinどんもな太鼓叩くようになるとよ、そん前に音楽の勉強をせんにゃな」

 すると遠くのお城の方から音楽が聞こえてきました、お母さんが弾く筝の音と沢山の人達の歌とヴァイオリンやラッパ、太鼓の音でした。そして音楽と色々な光がShinchanを包み、眠たくなりました。
・・・・Shinどん・・・Shinどん・・・元気でのー・・・また・・・会いもうそ・・・







2002年10月11日(金) 伊勢湾台風その①


昨日から雨が降りつづけています、Shinchanはお外に出られないので、お絵描きをして遊んでいました。
「台風15号は大型で・・・」
とラジオが喋ってました。「Shinchan鉄砲水が来たらどうしよ、Shinchanが生まれる前、芦屋では鉄砲水が出て沢山のお家が流されたんよ、そして死んだ人もいはったんや、なーShinchanどうしよ、お父さん未だ学校やし・・・」
「・・・・?」
「9月26日14時発表 紀伊水道の南200kmに迫る近畿地方、東海地方の海岸20m/sec以上の強い東風・・・」
とラジオが喋っています。
「・・・ペシュ?・・・」
「そうねーそろそろお家に上げてあげよか、買い物もせなあかんしねーどうしよーShinchan」

突然お父さんが自転車で帰ってきました。
「あかん、この台風めちゃくちゃ大きいは、県の教育委員会から早めに避難するよう電話があってん、母さんもShin坊もすぐ学校へ行くんや、大事な物だけ持って、んーもー後は置いとこ」
「・・・ペシュ?・・・」
「ペスはなーたばこ屋のおじさんに預かってもらお」
「・・・イヤヤ・・・」
「あほなこと言うたらあかん、鉄砲水が出たら皆死んでまうねで、お父ちゃんがあんじょう言うたるから」
「17:00 暴風雨警報発令、早めの避難を勧告します・・・」
「Shin坊、立ちなさい」
「・・・・」
「あんた、ペスは用務員さんとこの子やから、一緒に行ってもええんやないの?」
「あのな、沢山の人が避難してくるねぞ、そんな我侭許されへんのや、さーShin坊行くで・・・・そうか体育道具の倉庫にでもほりこんどこか、Shin坊合羽着てな、ペスは籠に入れてな」
「・・ピ・・ヤノ?」
「もしなー水に浸かってもかわりのピアノ学校から持って来たるからShin坊は心配せんでええのや」
 それでレオポン君とキリンさんをお母さんのリュックサックに入れました。
「Shin坊とお前紐で繋いで行けよ、後は俺がやっとくさかい」

 風と雨が強くてShinchanは歩けませんでした、木がお化けのように踊っています、ピュ―ピュー音がします、ペスはクンクン泣いています。お父さんは家の玄関や窓を板で打ちつけるので、お母さんとShinchanとペスだけで歩いています。お母さんはShinchanをワンちゃんのように身体に紐を巻いて自分と繋いでます。
「Shinchan絶対この紐はずしたらあかんでー、頑張りや」
 でも風が強くてなかなか歩けません、道も川のように水が流れています、他にもリヤカーで荷物やら子供を載せて運んでいる人達がいました。
 ペスがいきなり籠から飛び降りました、Shinchanは追っかけて行こうとして、小さな溝に落ちました。「Shinchan!」お母さんは紐をたぐりよせてShinchanを引っ張りました、ペスがどんどん離れていくのでShinchanも追っかけます、でも水が首のあたりまで来たので、ブクブクして、わけが解らなくなりました。










昭和34年9月26日東海地方を襲った伊勢湾台風は、我が国災害史上まれにみるもので、最大風速45.7メートル、最高潮位3.98メートルに達した。そのため海岸堤防、河川堤防の決壊及び高潮による被害は著しく、特に名古屋市南区、港区、中川区、熱田区方面を初め、海部郡十四山村、飛島村、蟹江町、津島市方面、さらに半田市、碧南市、西尾市方面の被害は甚大であった。県下の死者3,035人、全壊家屋28,300世帯、床上浸水56,180世帯、1か月以上の浸水家屋14,390世帯に達し、海部郡南部では3か月間も浸水すると言う悲惨な状況であった。
[日本赤十字社の災害救護活動より]







2002年10月10日(木) おじいちゃんのヴァイオリン




Shinchanの事を一番心配していたのは、お父さんのお父さん、おじいちゃんでした。「お前が仕事ばかりにかまけるからShin坊の口が遅れてるんや」とお父さんを叱っていました。
 Shinchanはおじいちゃんのお家に行くのが大好きです、それは阪神電車という電車に乗れるからです。
阪神電車はかっこよかったのです、一番前が流線型でおもちゃの飛行機のようでした。お父さんを引っ張って、もちろんShinchanは一番前に乗ります、そして梅田駅で降りて、地下鉄に乗りかえるのも好きでした。
 「Shin坊よう来たなー、そうかヴァイオリンか、よしよし弾くからな」と言っておじいちゃんは演奏をはじめます、
「・・・・」

「未だShin坊にはこれ大きすぎるんや、この曲はなドボルジャークの新世界ちゅうんや・・・」

元満州映画会社、現在は毛沢東の像が立つ長春電影宮


「おじいちゃんはなー、満州というところで映画を作る仕事してたんや、オーケストラちゅうてたくさんのヴァイオリンやラッパや太鼓でな、大勢の人で楽器弾いて、映画に音楽をくっつけるんや、Shin坊は映画見たことあるか?」
「・・・・・?」
「そうか、今度一緒に行こか、それでな、おじいちゃんはその時、仲間の国やったドイツのベルリンという所へ音楽家を呼びに行った事も何回かあったんやで、あんな素晴らしい音楽を作った国やのになあ、日本と一緒に戦争負けたんや、戦争はあかん」

「満州はひろーい国でな、おっきな真っ赤な太陽が建物も何にもないひろーい畑の向こうにしずんでいくんや、寂しゅうて寂しゅうてな、こうやって、新世界の曲を、よーヴァイオリンで弾いてたんや」







「・・・・・」
「Shin坊がヴァイオリン弾くんやったらなー、おじいちゃんがドイツの音楽学校に行かしたる、そやから、よーピアノで音符読めるようにしとき」

「この音はラやけど、ドイツ語ではアー、ちゅうんや」
「・・アー・・」
「ほら言えるやんか、そしてレはデー、ソはゲー、そやここを押さえるんや」
 
おじいちやんは寒いのに顔に汗かいてました。
「ツェツェゲゲアアゲ、きらきら星やな・・・そやそや、弾ける弾ける!」
「・・・チェ・チェゲゲアアゲ・・・」
「Shin坊、歌えるのか、そうかそうか、Shin坊はおじいちゃんの血を一番引いてるなー、よし決まりや、Shin坊はヴァイオリン弾いてドイツに勉強しに行って、帰ってきたらな、おじいちゃんが朝比奈君に言うたるさかいオーケストラに入るんや、んにゃ、世界中に演奏旅行するんや」
「・・・おふね?」
「ちゃうちゃう、飛行機や、沢山飛行機乗って外国に行くんや、Shin坊が大人になったら、いろんな国の人と一緒に音楽作るんや、覚えときや」

 おじいちゃんの目は遠いお空を見ているようでした。そして又新世界の音楽を弾いてくれました。




2002年10月07日(月) ロバのパン




♪ロバのおじさん チンカラリン チンカラリンロン やって来る ジャムパン ロールパンできたて やきたて いかがです チョコレートパンも あんパンも
なんでもあります チンカラリン

遠くからだんだんと、チンカラリンの歌が聞こえてきました。ペスが玄関でワンワン吠えます。
 ある日お母さんがわざわざロバ君のパンをShinchanのために買ってきたのですが、蒸しパンよりもジャムパンのほうが好きなShinchanはペスにパンを上げました。
 ペスはそのパンをロバ君が運んでくるのをよく知ってました。「ク―ン、クンクンワン!」「・・・・」しかたないのでペスを連れて表に出ました、するとペスは歌が聞こえる方へグングン引っ張って行きます。
「これ三つちょうだい」と知らない子供が言っています、「赤ちゃんが食べてもえーような柔らかいパンある?」と又知らないおばさんが言っています。
 「まだまだぎょうさんあるよって、どれでも選んで下さい」とロバのおじさんが言っています。


[・・・おかあちゃんが買ってくれたパンはこんなに可愛いロバさんが持ってきてくれるんや・・・]とShinchanは嬉しくなってロバ君とペスと一緒に何時までも歩きました。

「パン売りのロバさん」の音楽 矢野 亮作詞 豊田 稔作曲
キングレコード 近藤圭子 歌
http://www.at.sakura.ne.jp/~hoka-pan/roba/robamidi.htm







空には雲が赤くなりShinchanの足絵のようになりました。
「僕、もう遅いから帰りやー、おかあちゃん心配してはるよ」
「・・・」
「どこからついて来たんや?」
「ワン、ワン」
「困ったナー、僕、迷子になったんや、ほな交番さんに行かなあかんナー、でもこのへん何所にあるかナー」

ペスがなんやらロバ君とお話をしています、「クンクン」「ブルブルヒヒ―ン」
「そうか、今来た道をもどるんか」
 そしてShinchanはおじさんの隣に乗っけてもらいました、「僕、おっちゃんと一緒にロバ君の歌うたおかー」「何度も歌うとロバ君も、じょうずヤーと言うて首ふるよ」「♪ロバのおじしゃん チンチャラリン・・・」と少しだけ歌う事が出来ました。ペスも歌いました。
 ペスがワンワン吠えたら、そこにお母さんが立っていました。又お母さんは泣いていました。
「本当にすみませんでした、ご迷惑をかけました。」
「お礼はな、このロバ君とワンちゃんに言うて」
そしてお母さんは残っていたパンを全部買いました。

ペスとロバ君はまだお話が続いています・・・。 






2002年10月03日(木) 番外編ベルリンその2

それでJazzコンサートですが、市庁舎から近い所でした、クラブですが音響と照明のスタッフはプロの仕事でしたねー、21:00~25:00ぐらいまで、3ステージでした。

 終演後、品の良い爺様がShinchanにも解る英語で「君はHIDEO SHIRAKIの生徒か?」と聞いてきたのです。今から32年前ヴェルリンJazz祭で琴とのコラボレーションを加えた演奏で当時話題になったそうです。
白木秀雄さんは芸大出のJazzドラマーで石原裕次郎の「おいらはドラマー~」の影ドラムを叩いた人、今の水谷八重子さんと結婚してたしか39で自殺した人です、 Shinchanは小学生の時神戸で彼の演奏を聞いて(当時まだピアノをやってました)父と一緒にに楽屋を尋ね、「ドラムがやりたい」と言った所、「だったらまずクラッシックの打ち方を習いなさい]と言われました、そのやりとりは新聞に載ったそうです。
 
Shinchanの鼓のお師匠はんは中学の時、先代の所に鼓の稽古に通っていた白木秀雄さんに、お願いしてドラムを習ったそうです。なんか縁があるようですね。
 今でも覚えている白木さんの凄いドラムソロは3拍子でB.DrとHiihatで一定のリズムを刻みながら、S.Drumで右2つ左2つをゆっくりから速くしてロールまで持っていきそして元にもどるのです、B.D.とHiihatはずーと一定のリズムで静かに鳴っているというものでした。
 
 この爺様ギュンターヘロンツさん、旧独逸の軍楽隊の学校でドラムを専攻していて終戦を迎えたと言っていました、戦後の話は日本と様子が良く似ていて、米軍のキャンプ地にタンゴバンドのドラマーとして稼いだそうです、結婚をして新聞社に勤めてドラムは諦めたと言っていました、独逸にはゲルマン騎士団の伝統があり、そのドラム奏法はオスマントルコの軍楽とは違った独自の発展をしているのだ、とも言ってました。

♪オイラ太鼓打ち・ヤクザな太鼓打ち・オイラが叩けば、女がさーわぐ・・さーわぐ・さーわぐ♪キャー



おまけ企画

ShinchanのCDが聞けるよ!


[Orchestra ASIA] "Samurunori Concerto"
With Kim Duk-Soo group

♪GO ON



2002年10月01日(火) 番外編ベルリンの壁今昔


Shinchanは巴里のJazzmenと一緒にライブに出演するためにベルリンにやって来ました。ユトレヒトからBMW5シリーズでアウトバーンをかっ飛ばし、ベルリンで下りましたが、一つ気が付いた事は独逸がエコロジーの国だと言う事で、信号待ちの時もほとんどの車はエンジンを切ります、まー今の車がエンストすることはありませんが、ちょっぴり不安でした。










巴里のJazzmenピエール達とライブ,ベルリンシンフォニーホール

1972年、Shinchanは巴里国立高等音楽院に席を置いていたのですが、カラヤン率いるベルリンフィルの練習が見たいのと、師匠の先生がベルリンフィルの職人ティンパニストと言われたテーリヘン先生のレッスンを見てみたいなという理由からここベルリンにやって来ました。
 Shinchanにとって、当時東独逸の中に西ベルリンがあるというなんとも地理的にも理解出来ない場所でした。


チェックポイントチャーリー

今はカラヤンアカデミーといわれてカラヤン財団が運営しています、当時はカラヤン塾という感じで、ベルリンフィルの練習を通じて勉強し、ある時は団員の変わりにに演奏したり指揮者はカラヤンの見てる中で棒を振らされると言う、正に実地訓練の場所でした。
 テレビなのでは目を瞑って指揮をするカラヤンの映像をよく見てましたが、実際は非常に細かく、繊細で又目をカッと開いて大きなアクションをしていました、あの映像は自己演出だったのですね。
 Shinchanの感想としてテーリヘン先生の演奏は弟子には受け継げない、宮本武蔵のような感じを受けました、トレモロ奏法(連打)の時はマレットの上方向は頭を軽く超える位置です、凄まじいffトレモロです、そしてppの一音でも、マレットは頭上からゆっくり落ちるのです。

見物台から東側を眺める、画像提供「かぜのように」http://www2.ocn.ne.jp/~khongo/berlin.htm
霧雨のベルリン、過って来た時には壁がありました、僕はここにも青春の尻尾を起き忘れているのだと・・・もう二度ともどれないあの時、戻ってこない刹那の音、雨はなんだか感傷的にしますね。19才の僕がキョロキョロして見るもの聞くもの全てに驚いて、迷っている切ないShinchanに声をかけてやりたくなりました。

おまけ企画

ShinchanのCDが聞けるよ!


[Marimba Spiritual] by Minoru Miki, Marimba solo by Keiko Abe

♪GO ON


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