Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2005年07月31日(日) ノジマとソフマップ

ノジマは家電量販店の名前で、ソフマップはPC専門店の名前である。PCマニアの人なら、そもそもノジマなんて店は考えもしないことだろう。ただ、僕はノジマの方が雰囲気が落ち着いていて気に入っている。

ソフマップに行ったことはあるだろうか。常に同じ音楽が流れ続け、所狭しとPCが並べられ、購買意欲をあおるチラシのたぐいがそこら中に張られている。要するに、落ち着かないのだ。一方ノジマの方は、店員がダラダラしていると言ってもいいほどゆったりしている。その分、客の数も少なく、こんな状況で成立するのかと心配してしまうほどだったが。

ダラダラしているのを嫌う人は多いのかも知れない。しかし僕は、買い物というプライベートな時間だからこそ、のんびりしたいと思う。プライベートな時間まで、どうしてギスギスしなければならないのかと思ってしまうのだ。店員だって、確かに仕事ではある。しかし、客商売である以上、客の事情は考えてほしいと思う。別にPCに限った話ではないが、客というのは基本的に急ぐことを好まない。店側の手続きは速いに越したことはないが、例えば、早口でまくし立てられたりするのを好む人はあまりいない。そこは、あくまでもゆったりとした時間を提供してほしいのだ。

つまり、こういうことだ。テキパキとしていても、客にあくせくした印象を与えてしまっては意味がない。それならダラダラしている方がマシだということだ。

昨日は調子がよかったが、今日はあまり日記を書く手がはかどらない。日によって違うのはなぜなのだろうか。



2005年07月30日(土) 継続は難しい

木曜日に休んでしまったら、金曜日も休んでしまった。やれやれだ。ちなみに木曜日は、紙のノートに1時間以上かけて延々と書いていた。面倒なのでこちらには書き写さないことにする。

それにしても、継続するというのはなんと難しいことだろう。3年くらい前は、当たり前のように毎日書いていたのだが。

3年前と今との決定的な差は、何よりもネタがないということだろう。日記に書くようなことを特に考えないし、事件も何も起こらない。だから書くことがなくて書けないということだ。もっとも、昔だってPCのディスプレイの前で延々ジーッとして何を書くかと考えていたものだが。

今は、ネタがないときに備えて、思いついたときに自分宛にメールを送るようにしている。そのネタがあと21個ほどあったはずだ。とにかく思いついたことを送っているだけなので、そのうちの半分くらいはとても使えなかったりするのだが。

一番古いものは、2004年の9月のものだ。なんと、10ヶ月も前のものだ。ネタは新しいものから使っていたが、それでは古いものがいつまでたってもなくならない。ここは、古いものから使っていくことにしよう。

ネタがないときに備えてメモとしてメールで送るのはいいのだが、そうやってPHSを取り出してメールを書いたりしていると、そのまま思考が止まってしまうことが多い。わざわざネタをメールで送ろうなんてときは、大抵考え事がはかどっているわけで、そういうときに考えを止めてしまうのはなんだか惜しいような気がしてしまう。

このネタに限ったことではないが、メールとして送ったそのときはおもしろいと思って送っていても、あとから見直してみたり、こうやって日記として書いてみたりすると、一体何が楽しくて書いたのかよく分からないことがある。まあ、2004年の9月13日には、そういう風に思っていたということで…。

それにしても、火曜や水曜も思ったが、ちょっと前まで日記を書こうと思っても、なかなか手が進まなかった。それが今は、書き始めるまでは少しおっくうでも、書き始めてみるとなんだか楽しくて仕方がない。このままやめたくないとまで思ってしまう。やっぱり、文章なんてのは書きすぎると飽きるし、書いていないとまた書きたくなるものなのだろうか。まあ、できる限りはこうやって続けてみるとしよう。



2005年07月27日(水) 休憩

明日はPC自体から離れることにする。と決めたのはいいが、それではこの日記が書けないことに気付いた。まあ、毎日更新と言っても、PC自体に触れないことにしたのなら仕方あるまい。自己満足のためにやっているのだから、紙のノートにでも書いておけばいいだろう。

また、ふと思ったことを列挙しておく。思い出そうとすれば、思い出せるものなのかも知れない。

東京駅を歩いているときに常々思うことがある。にもかかわらず、日記を書くときには思い出せていなかったことなのだが。それは、東京駅や新宿駅だからと言って、急ぐ人などそれほどいないということだ。よく都会の人は急いで歩くと言うが、控えめに見ても急いでいるようには感じない。友達同士しゃべりながらダラダラ歩くのと比べれば速いが、それでもせいぜい時速4キロと言ったところだろう。

自分の目で見てみると、このようなステレオタイプがあてにならないと思うことは多い。都会の人間は忙しいからあくせくする、ということで、駅で見かける人は急いで歩いているという思いこみが生まれたのだろうか。そもそも、都会の駅で見かける人は急いでいる、なんてどこで聞いたのだろう。一般的なことなのだろうか。思い出せない。

帰りの自転車でも、ちょっと思いついたことがあった。それは、電車で座っていたときよりも立っていたときの方が、自転車の調子がいいのではないかということだ。立っていたときの方がそれだけ足の筋肉を使っていたわけで、その分足の筋肉に力が入りやすい状態なのではないだろうか。これは正しいのではないかとかなり確信を持ってみて、両者を比べてみた。

その結果は、よく分からなかった。そもそも電車で座れたときというのは、気分自体がかなり落ち着いているので、自転車でスピードを出そうという気分にならない。急ごうと思えば急げるのかも知れないが、落ち着いた気分のときにわざわざ焦ってスピードを出すなんて、もったいないと思ってしまうのだ。まあ、自転車に乗ることはこれからも多いし、気が向いたときに考えてみればいいだろう。分からなくたって問題はないのだ。

話は変わって、また帰路で思いついたことがある。こうやっていろいろ挙げてみると、帰りの電車の中でゲームなんてするものではないと思う。行きと帰りと、合わせて4時間近くの時間があるのだから、じっくり考え事をしたいと思う。

それはともかく、現代はネットゲームにおける問題が叫ばれるようになって久しい。その中には偏見の混じったものもあるが、妥当な意見も多いことだろう。しかし、プレイヤーでなければ分からない視点というのがあるはずだ。その一つとして、ゲームの完成度を挙げてみたいと思う。

一概に言えないが、一般には、完成度の高いゲームの方がユーザの評価は高いだろう。バグが多数混じっていても、「だが、それがいい」と言う人もいることはいる。しかし、多数派ではないのではないだろうか。そのような視点でネットゲームを見た場合、ある程度の優劣はあるものの、どれも管理体制の点で見た場合に完成度がかなり低い。ユーザが多くの不満を抱えているにもかかわらず、対処されていない問題がかなり多いのだ。これは、ゲーム自体に問題に対処する機構が備わっていないため、人海戦術に頼らざるを得ないゲーム設計に起因している。ネットゲームと言ってもビジネスなので、そこまで人を投入できないのだろう。

そこで思う。もし、この問題点が解決されたらネットゲームはどうなるのだろうかと。現在、管理体制に対しては非常に多くの人が不満を持っており、それが原因で、かなりゲームにのめり込んでいた人も次々とやめていっている。そのような問題点がなくなれば、ネットゲームにはまり現実が疎かになる人は増えていくのではないだろうか。逆に、ネットゲームのサービスがその程度の低レベルなものだからこそ、問題が現状程度で収まっているのかも知れない。

ただし、ネットゲームにはまる問題を考える場合、それを本人のみの責任に帰結するのは乱暴すぎるように感じる。ネットゲームは、長期間プレイできるように設計されてはいる。しかし、同じゲームをずっと続ければ、人間なのだから誰しも飽きてくるだろう。はっきり言って、ネットゲームにそれほどの魅力はないはずだ。にもかかわらず、ある程度の人がネットゲームにはまる。それは、ネットゲームが魅力的と言うよりも、彼らを取り巻く現実社会の魅力があまりに乏しいからではないだろうか。ネットゲームの問題を指摘するよりも、社会をより魅力的にする方策を探る方が建設的ではないだろうか。



2005年07月26日(火) 習慣

やっぱり、時間をとって1日を振り返るべきだということで、日記をなるべく毎日更新することにした。

今日は、台風が直撃していたので大学を休むことにした。行くのはいいが、京葉線はちょっとしたことですぐ止まるので、帰れなくなるのではないかと思ったのだ。

さて、それはいいのだが、家で全然作業をしなかった。まったく気が乗らなかったのだが、さすがにこれではいけない。まあ、この反省をするために日記の更新をすることにしたのだが…。意味はあるのだろうか。

その台風は、たいした強さではなかったようだ。コースとしてはほぼ直撃だったようだが、中心の気圧が980hPaで風速が25メートル毎秒とのことだった。僕の知る限り、これはギリギリ台風と呼べる程度のかなり弱いものだ。こんなことなら、大学を休むことはなかった。もっとも、ラグナロクをやっている社会人の人に聞いたところ、台風の影響で早めに帰ったりしていたらしい。数字はたいしたことがなくても、それなりに厳しいものだったのかも知れない。

最近、1日を振り返ってみてもサッパリ思い出せない。いや、ずいぶん前からかも知れない。とりあえず、心がけていることをメモ書き程度に記しておくことにする。

睡眠時間は7時間がいいようだ。前は6時間だったが、どうも6時間では足りないようだ。それから、昼間はどうにも目が冴えないようだ。22時くらいにならないとまともに頭が回転しない。やることがあったらうまく夜に回すようにして、昼間はボーっとしててもできるような作業をやるべきなのだろう。何かを作るようなことではなくて、論文や本を読むといいのかも知れない。

こういう、思いついて心がけようと思いながら忘れていることは、かなりありそうだ。これからちょくちょく思い出して、記していくようにすべきなのかも知れない。何より、毎日日記を書く程度の余裕はほしいものだ。

そう言えば、昨日の帰りの電車で久し振りに座れたのだが、そこで眠っていて、何年かぶりに余裕のある気分になった。5年も乗っている小田急線の車内が、まるで未知の領域のように感じた。あまりに変わり映えのしない毎日も、ストレスになるのかも知れない。落ち着いて、変化を探していくことも必要なのだろうか。僕は、生活の変化が好きではない。しかし、人間というのはある程度変わっていかなければ落ち着かない生き物なのかも知れない。

過去の日記を読んでみたが、やはり研究室に入る前までは、毎日いろんなことがあったようだ。端的に言えば、日記に書くネタのある生活と言える。そういう、おもしろいと感じることがなくなってしまったから、研究や生活に対する気力が湧かないのだろうか。こういうのを鬱というのかも知れない。今はまだ、気分に余裕がないだけで、時間を振り返ってみると少し余裕がある。これで時間的な余裕も失って、ゲームなどの趣味に費やすことができなくなったらどうなるのだろう。少し不安を感じる。しかし、だからこそ趣味の時間を減らしてみるのもおもしろいだろう。とりあえず、毎週木曜日はゲームから離れてみることにする。PCそのものから離れてもいいのだが…。1日くらいメールチェックをしなくても、たいした問題ではないだろうか。

そうやって考えてみると、毎日毎日異常に長い時間、PCに向かっている。ここのところ、1日中まともに研究の作業に打ち込んでいたことはない。ただ、研究をしていようが遊んでいようが、どちらにしてもPCに向かっている。それ以外のことに時間を使ってみることにしよう。

そうすると問題なのは、何をするかだ。テレビを見ているだけでもいいのだろうか。音楽を聴くにも、コンポを就職した弟に持って行かれたのでPCが必要だ。PCなしで何ができるのだろう。家にある本は一通り読んでしまっただろうか。まだあるかも知れない。新聞を端から端まで読むのもいいだろうか。

毎日更新しようと決めつつ、いざ書き始めるまでは何となく気乗りがしなかった。何をするにもそうだ。最近では、ゲームを始めることすら躊躇することがある。ゲームが嫌いなのではない。大好きで依存していると言っても過言ではないほどなのに、動くのがおっくうで始められないことがあるのだ。だからこそ、毎日決めたことはやるべきなのかも知れない。変化のない毎日だからこそ、やることを多く詰め込んでみるのも、おもしろいのだろうか。

問題は時間だ。現在の時間は朝の4時だ。時間を自由に使える生活とは言え、こんな調子でいいのだろうか。これから7時間寝るとすると、4時半に就寝したとして、起きるのは11時半になってしまう。毎日やるとは言っても、ある程度メリハリのある生活は必要だろう。

こんなことを改めて考えてしまうほど、生活の感覚が世間からずれてしまったのだと感じる。ほかと接触することがほとんどない研究室なんてのに2年もこもるとこういうことになるのか。これから毎日、世の中一般の、普通の生活というのを念頭に置いて日記を書くことを心がけよう。そうすれば、少しはまともな生活に戻れるかも知れない。

それにしても、遅く起きることに関して、教授への恐怖心を感じてしまう。研究室に行く時間が遅れるからだが、それは研究室に行く時間が問題なのであって、家でどうしようが教授に関与される問題ではないはずだ。なのに、家での行動まで教授に縛られているように感じる。意識して切り離さないといけない。無意識のうちに感じている教授への恐怖心が、時間的に余裕のあるはずの生活を、余裕のないものにしている気がする。



2005年07月14日(木) 余裕

長いこと放置してしまったので、ちょっと書いておくことにする。

最近、余裕ということについてよく考える。時間も気分も余裕がないからだ。実際、冷静に振り返ってみれば、それほど余裕がないわけではない。最近、気分がすぐれないのは睡眠不足のせいではないかと考えて、1時間ほど睡眠時間を増やしてみたが、それでも特に問題はない。なので、これはおそらく「気の持ちよう」の問題なのだと思う。

今は、ほとんど人に会うことがなく、1日の行動のほとんどを誰にも制約されない状況にある。一方で大学院生ということから、研究をしなければならない。ということで、自分で自分の1日の行動を決めなければならないことが、大きなストレスになっているのだと思う。

それにしても、昼間はボーっとするのは変わっていない。なぜだろうか…。


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