やっぱり、時間をとって1日を振り返るべきだということで、日記をなるべく毎日更新することにした。
今日は、台風が直撃していたので大学を休むことにした。行くのはいいが、京葉線はちょっとしたことですぐ止まるので、帰れなくなるのではないかと思ったのだ。
さて、それはいいのだが、家で全然作業をしなかった。まったく気が乗らなかったのだが、さすがにこれではいけない。まあ、この反省をするために日記の更新をすることにしたのだが…。意味はあるのだろうか。
その台風は、たいした強さではなかったようだ。コースとしてはほぼ直撃だったようだが、中心の気圧が980hPaで風速が25メートル毎秒とのことだった。僕の知る限り、これはギリギリ台風と呼べる程度のかなり弱いものだ。こんなことなら、大学を休むことはなかった。もっとも、ラグナロクをやっている社会人の人に聞いたところ、台風の影響で早めに帰ったりしていたらしい。数字はたいしたことがなくても、それなりに厳しいものだったのかも知れない。
最近、1日を振り返ってみてもサッパリ思い出せない。いや、ずいぶん前からかも知れない。とりあえず、心がけていることをメモ書き程度に記しておくことにする。
睡眠時間は7時間がいいようだ。前は6時間だったが、どうも6時間では足りないようだ。それから、昼間はどうにも目が冴えないようだ。22時くらいにならないとまともに頭が回転しない。やることがあったらうまく夜に回すようにして、昼間はボーっとしててもできるような作業をやるべきなのだろう。何かを作るようなことではなくて、論文や本を読むといいのかも知れない。
こういう、思いついて心がけようと思いながら忘れていることは、かなりありそうだ。これからちょくちょく思い出して、記していくようにすべきなのかも知れない。何より、毎日日記を書く程度の余裕はほしいものだ。
そう言えば、昨日の帰りの電車で久し振りに座れたのだが、そこで眠っていて、何年かぶりに余裕のある気分になった。5年も乗っている小田急線の車内が、まるで未知の領域のように感じた。あまりに変わり映えのしない毎日も、ストレスになるのかも知れない。落ち着いて、変化を探していくことも必要なのだろうか。僕は、生活の変化が好きではない。しかし、人間というのはある程度変わっていかなければ落ち着かない生き物なのかも知れない。
過去の日記を読んでみたが、やはり研究室に入る前までは、毎日いろんなことがあったようだ。端的に言えば、日記に書くネタのある生活と言える。そういう、おもしろいと感じることがなくなってしまったから、研究や生活に対する気力が湧かないのだろうか。こういうのを鬱というのかも知れない。今はまだ、気分に余裕がないだけで、時間を振り返ってみると少し余裕がある。これで時間的な余裕も失って、ゲームなどの趣味に費やすことができなくなったらどうなるのだろう。少し不安を感じる。しかし、だからこそ趣味の時間を減らしてみるのもおもしろいだろう。とりあえず、毎週木曜日はゲームから離れてみることにする。PCそのものから離れてもいいのだが…。1日くらいメールチェックをしなくても、たいした問題ではないだろうか。
そうやって考えてみると、毎日毎日異常に長い時間、PCに向かっている。ここのところ、1日中まともに研究の作業に打ち込んでいたことはない。ただ、研究をしていようが遊んでいようが、どちらにしてもPCに向かっている。それ以外のことに時間を使ってみることにしよう。
そうすると問題なのは、何をするかだ。テレビを見ているだけでもいいのだろうか。音楽を聴くにも、コンポを就職した弟に持って行かれたのでPCが必要だ。PCなしで何ができるのだろう。家にある本は一通り読んでしまっただろうか。まだあるかも知れない。新聞を端から端まで読むのもいいだろうか。
毎日更新しようと決めつつ、いざ書き始めるまでは何となく気乗りがしなかった。何をするにもそうだ。最近では、ゲームを始めることすら躊躇することがある。ゲームが嫌いなのではない。大好きで依存していると言っても過言ではないほどなのに、動くのがおっくうで始められないことがあるのだ。だからこそ、毎日決めたことはやるべきなのかも知れない。変化のない毎日だからこそ、やることを多く詰め込んでみるのも、おもしろいのだろうか。
問題は時間だ。現在の時間は朝の4時だ。時間を自由に使える生活とは言え、こんな調子でいいのだろうか。これから7時間寝るとすると、4時半に就寝したとして、起きるのは11時半になってしまう。毎日やるとは言っても、ある程度メリハリのある生活は必要だろう。
こんなことを改めて考えてしまうほど、生活の感覚が世間からずれてしまったのだと感じる。ほかと接触することがほとんどない研究室なんてのに2年もこもるとこういうことになるのか。これから毎日、世の中一般の、普通の生活というのを念頭に置いて日記を書くことを心がけよう。そうすれば、少しはまともな生活に戻れるかも知れない。
それにしても、遅く起きることに関して、教授への恐怖心を感じてしまう。研究室に行く時間が遅れるからだが、それは研究室に行く時間が問題なのであって、家でどうしようが教授に関与される問題ではないはずだ。なのに、家での行動まで教授に縛られているように感じる。意識して切り離さないといけない。無意識のうちに感じている教授への恐怖心が、時間的に余裕のあるはずの生活を、余裕のないものにしている気がする。