Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2005年03月31日(木) 消えたデータ

GREEに顔写真を登録してみようと思って、自分の写真フォルダを見ていたら、過去に撮った写真が全然なかった。おかしいと思って探してみると、過去のデータをかなりなくしていることに気付いた。ファイル数202620、フォルダ数6935もあって、まさか過去の写真をなくしているとは。大事な写真もあったのだが…。しかし、仕方がないのかも知れない。どうせ、過去のことなど覚えてはいない。何とか先を見ていくしかないのだろう。

しかし、それでも悲しいものだ。ただでさえ顔を覚えていないのに、写真ですら見ることができなくなってしまったとは。ちょっとバックアップをあさってみて、原因の見当がついた。バックアップに使ったCD-RWには限界まで書き込まれていたが、そこに写真はなかった。おそらく、面倒になったか、あるいは捨ててしまおうと思ってバックアップを取らなかったのだろう。あとで取ろうと思っていたのかも知れない。で、結局そのままになってしまったわけだ。過去の自分がどう思っていたかなんて、もはや想像する余地すら残っていない。しかし、やはり悲しいものだ。



2005年03月13日(日) アルジャーノンに花束を

僕は、朝起きてから何をしたのだろう。まだ、15時17分だ。起きた時間は、起きた直後にPHSを見たからハッキリ覚えている。10時46分だ。つまり、4時間半前だ。たった4時間前!それが思い出せない!一体どうしてしまったのだろう。

今日に始まったことではない。2年も前から、ちょっとしたことが思い出せないことはあった。しかし、4時間前に、実際自分がやったことを思い出せないなんて…。考え事をしていて、10秒くらいで忘れてしまうことはよくあった。しかし、自分でやった行動については、こんなことはなかった。前の日の夕食を忘れてしまうことはあった。寝る前にその日の朝食を思い出せないこともたまにはあった。しかし、たった4時間前だ。

思い出せない。そもそも僕は朝食を食べたのか?起きてから12時頃までの記憶がない。それから先は覚えている。昨日、公民館の図書室で借りてきた「ハリーポッターとアスカバンの囚人」を返しに図書室へ向かったのだ。そして、図書室では新しい図書カードを作った。前に作った図書カードは古すぎて、失効してしまっていたのだ。僕は、正確にいつ頃作ったのかは覚えていなかったが、5年前に作ったと言った。こんな細かいことでもうそをつく癖がついている。意味もないうそなどつかないようにしなければ。冷静に考えれば分かるはずなのだ。意味のないウソなど、弊害しかないのだと。1時間以上も、何もせずボーっとしていたはずはない。もしボーっとしていたのなら、時間を長く感じるはずだから覚えているはずだ。いや、覚えていられるだろうか。もう、自分の記憶など信じられない。そして、図書カードを作ったあと、本棚を眺めていて見つけた「アルジャーノンの花束を」を読んだ。

中学生の頃、お父さんを亡くした女の同級生に、生命保険の話をしたことが思い出される。1週間に1度は必ず思い出す。なぜそんなバカなことを言ったのか。みんなで何かをしてやれればいいと思って、それで保険を連想して、口から出たという記憶がある。まあ、理由などどうでもいい。僕はとてつもなく愚かなことを口にしたのだ。彼女は僕の言葉を覚えているだろうか。キレイサッパリ忘れてくれているといいのだが。

中学生の頃の記憶など、遠く記憶の彼方にある。中学生と言えば、12歳くらいだからもう11年も前のことなのだ。僕が16歳の頃、5際の頃のことを思い出すのに等しい。いや、その頃は物心が付いていなかっただろうから、そんなこともないのだろうか。

徐々に知能を失い、絶望するチャーリーの姿と僕が重なる。小説を読んでも、もはや以前ほどスッと理解することなどできない。僕はまだ23歳なのに!「アルジャーノンに花束を」を読み終えるまでには、3時間近くを要した。以前なら、もっと速く、もっと深く理解することができたのに。最近では、ほとんど何を読むにしても、2回以上読まないとその意味するところを理解できない。小説だけではない。マンガやゲームにしてもそうなのだ。ゲームの筋書きすら理解できていないのだ…。

書く方の力については、もっとずっと前から無力感を感じている。この日記にも、何度となくその無力感を書き記していることだろう。以前の僕なら、高校生の頃の僕なら、大学院生としてもうまくやれただろう。しかし、今の僕にそんなことができるものか。研究室の扉を出入りするだけで、それまで考えていたことを忘れてしまうのだ。

僕はチャーリーと同じなのか?まだ取り戻せるのか?どうやれば取り戻せるのか?…でも、取り戻す必要なんてあるのか?取り戻すって何を?それとも、単に歳を取って衰えているだけなのか?まだ僕は23歳なのに?…僕は本当に23歳なのか?血液型はウソだった。僕はA型だと言われていたのにA型じゃなかった。年齢は本当なのか?僕の過去は本当なのか?そんなこと、他の人なら分かり切っていることだろう。なぜなら、裏付けとなる、自分の年齢と同じだけ積み上げられた記憶があるからだ。しかし、僕には裏付けとなる記憶なんてないのだ。

最近、僕は涙もろくなった。「I am Sum」を見ていて泣いてしまった。結局そのビデオは、父の操作ミスで、途中で切れてしまっていたが。ルーシーに手紙を読んであげるシーンのあとを、僕は見ていない。いつか見ようと思っている。映画ならまだ分かる。しかし、「あるアサシンの物語」(Ragna Festival)を見ただけで泣いてしまうのは、自分でもおかしいと思う。でも、「アルジャーノンに花束を」を読んでも何とも思わなかった。おそらく、感動するほどちゃんと理解できなかったのだ。僕の読解力は、どこまで落ち込んでいるのだろう。

いくら考えても、起きてから1時間、何をやっていたのか思い出せない。そろそろあきらめるとするか…。


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